シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
会長さんのロシアンティーにサム君がジャムを入れ、会長さんがスプーンでかき混ぜるのを不審そうに見ていた教頭先生。シャングリラ学園生徒会長を三百年も勤めた会長さんですし、駆け出しの特別生を顎で使っても別におかしくはないですが…サム君だけが恭しく傅いているというのは変でしょう。
「ブルー、もう一度訊いてもいいか?」
恐る恐るといった風の教頭先生に会長さんは首を軽く傾げました。
「何?」
「い、いや…。なんでサムがお前の紅茶の世話を?」
「ああ、それか。サムはぼくと一緒に朝御飯を食べる仲だから…。みんなだって知ってるよね?」
私たちは一斉に頷き、教頭先生は愕然として。
「朝御飯!? なんだ、それは?」
「聞いたとおりの意味だよ、ハーレイ。夏休みから後のことなんだけど、週に一度は朝御飯を一緒に食べて一緒に登校してるんだ」
「…朝食を…一緒に…。二人で一緒に登校だって…?」
教頭先生の声が上ずり、額に汗が浮かんでいます。そこで初めて気が付きましたが、朝食を一緒に食べて登校だなんて、事情を知らない人が聞いたらとんでもない意味に取れちゃうかも。会長さんはクスクスと笑い、サム君の肩に手を回しました。
「ふふ、サムはとっても優しいのさ。ぼくのお願いを聞き入れてくれて、毎週通って来てくれる。その御褒美が朝御飯ってわけ。そうだよね、サム?」
「うん! ブルーが喜んでくれるんだったら、俺、いくらでも頑張るから!」
元気一杯に答えるサム君は教頭先生の誤解に全く気付かず、仏弟子修行を頑張るという決意表明をしています。しかし教頭先生は…。
「…ブルーを喜ばせる…。頑張る…。……一緒に朝食……」
ズーン…と効果音が聞こえそうなほどショックを受けている教頭先生。頭の中では凄い勘違いが渦巻いていることでしょう。サム君は阿弥陀様を拝みに朝早くから会長さんの家へ行ってるだけですけれど、教頭先生は大人の時間なお泊まりコースを連想したに違いありません。更に追い討ちをかけるように会長さんが。
「サムは本当に筋がいいよ。飲み込みも早いし、将来有望」
「……将来……?」
勘違いコース一直線の教頭先生は既に顔面蒼白でした。
「もうそんな話になっているのか? お前はサムを選んだのか…?」
「まだ本決まりじゃないけどね。サムのご両親にも話をしないといけないし…サムも決心が要るだろうし。…ぼくとしてはこのまま決まって欲しいけど」
「…………」
仏弟子修行だと知らなかったら結婚話にしか聞こえない中身に、教頭先生は激しく打ちのめされたようです。長い長い沈黙が続き、ようやく声を絞り出して。
「…そうか…。お前がそれで幸せならば、私も祝福すべきだろうな。だが、今は…すまんが何も言えそうにない」
宿泊券を使って来てくれたのに申し訳ないが、と教頭先生は頭を下げました。
「明日の朝食も作らねばならんし、今夜は先に休ませて貰う。布団はそっちの部屋にあるから適当に敷いて使ってくれ。女子は一番奥の和室だ。…徹夜してもいいが、疲れんようにな」
おやすみ、と出てゆく教頭先生はガックリと肩を落として背中がとても小さく見えます。けれど会長さんは誤解を解く気もないようで…。
「おやすみ、ハーレイ。朝御飯、期待しているからね」
焼きたてパンにオムレツに…、と羅列する声に答えは返ってきませんでした。教頭先生は二階の寝室へ引っ込んでしまい、シャワーに一度降りてきただけで、それっきり…。
「ふふ、完全に引っかかった。寝酒を飲んでもダメみたいだね」
会長さんが上機嫌で天井を仰ぎます。サイオンで教頭先生の寝室を覗き見しているのでしょう。
「何度も溜息をついてるよ。どうやら寝付けないらしい」
「…そりゃそうだろう」
気の毒すぎる、とキース君。
「教頭先生、どう考えても誤解してるぞ。あんたとサムの関係を…な」
「勝手に誤解したハーレイが悪い。ぼくは間違ったことは一つも言っていないんだから。公認カップルの話をしたんならマズイけどさ…ぼくが言ったのは師弟関係の方なんだし」
「わざわざ言葉を選んで話しただろうが!」
「…そうかなぁ? 君も邪推が得意なのかもね」
ケロッとした顔の会長さんはトランプを配り始めました。リビングには布団が敷かれています。眠くなった人から眠ればいい、という発想の下、お風呂も順番に入って残るはお馴染みトランプ大会。教頭先生が買っておいてくれたスナック菓子やジュースをお供に夜遅くまで騒ぎまくって、寝たのは夜中の二時過ぎでした。翌朝、スウェナちゃんと私が目を覚ましたのは朝と言うには遅すぎる時間で…。
「寝過ごしちゃった…」
慌てて起き出したものの、男子の声は聞こえません。着替えを済ませてリビングを覗くと、みんな揃って爆睡中。顔を洗って布団を畳み、さてどうしよう…と思った所へ。
「ちょっといいか?」
襖の向こうから教頭先生の遠慮がちな声がします。スウェナちゃんと二人で出てゆくと、教頭先生はキッチンでホットミルクを作ってくれました。
「紅茶かコーヒーの方が良かったか? 朝飯がまだだし、腹が減ってるかと思ったんだが」
クッキーを盛ったお皿を添えて、教頭先生は私たちの向かいに座ります。
「…今の間に教えて欲しい。昨夜ブルーが言っていたのは本当か?」
「「は?」」
「ブルーとサムの関係のことだ。…あれはブルーの冗談だよな?」
「えっ? えっと…」
スウェナちゃんと私は顔を見合わせ、どうしたものかと考えた末に…。
「…本当です」
「冗談なんかじゃありません」
あくまで弟子入りの話だからと頭の中で言い訳をして事実を述べる私たち。教頭先生は深い溜息をつきました。
「そうなのか…。やはり本当の話なんだな。まさかこういうことになるとは…」
落ち込んでいる教頭先生を他所に、リビングでは男子が起きたようです。ドタバタと派手な足音が聞こえ、やがて布団も片付いたらしく…。
「おはよう、ハーレイ」
会長さんが扉から顔を覗かせ、朝食の催促を始めました。
「テーブルは元に戻したよ。早く朝御飯が食べたいな」
「あ、ああ…」
立ち上がってエプロンを着ける教頭先生。スウェナちゃんと私はリビングに戻り、会長さんたちとテーブルについて朝食待ちです。教頭先生は朝一番に買ってきたらしい焼きたてパンを運び、卵料理の注文を取り、サラダやソーセージや温めたスープを手際よく並べていきました。
「待たせてすまん。口にあえばいいのだが…」
「「「いっただきまーす!」」」
元気一杯に食べ始める私たちとは対照的に、教頭先生は食が進まないようでした。会長さんの隣にいるサム君がやたら気になるらしく、何度も視線がそちらに向きます。会長さんがクスクスと笑い、サム君の肩を叩きました。
「ほら、サム。ぼくたち、注目されてるようだよ。…どうしようか?」
「注目? 誰に?」
「一番熱い視線はハーレイだけど、他のみんなも気にしてるかも。…そういえば一度も披露してないね。いい機会だし、みんなの前でやってみる? 大丈夫、ぼくも一緒にやるから」
ほら、とサム君の手を引く会長さん。何を披露しようというのでしょうか? 教頭先生は婚約披露か何かだと思ったようで、顔色が紙のように真っ白です。会長さんはサム君と並んでリビングの端に正座し、深々と頭を下げました。もちろんサム君も頭を下げます。そして同時に上半身を起こした二人は…。
「「がーんがーーしーんじょーー にょーーこーろーー…」」
願我身浄如香炉、願我心如智慧火…。前にキース君の大学で聞いたお経です。いわゆる朝のお勤めというヤツで、気付けば会長さんは木魚と鐘と叩き鉦まで持ち込んでいました。サム君もいつの間に覚えたものやら、なかなか見事な読経っぷり。そして教頭先生は…。
「な、何なんだ、この騒ぎは…?」
「朝の勤行だと思いますが」
キース君が冷静な声で答えました。
「ごんぎょう…?」
「はい。俺の大学では毎朝必ずやっています」
「それをなんでブルーとサムが…?」
「…お勤めの間は静粛に、というのが大原則です」
お静かに、とキース君。教頭先生は黙らざるを得ず、会長さんとサム君の時ならぬ読経は延々と続いたのでした。やがてお念仏の繰り返しと叩き鉦の乱打が始まり、お念仏が朗々と十回唱えられて。
「「…南無阿弥陀仏」」
チーンと鐘が鳴り、会長さんとサム君は床に頭がつくほど深く一礼。お勤めはこれで終わったらしく、会長さんが頭を上げてサム君にニッコリ微笑みかけます。
「うん、今日も上手に唱えられたね。…じゃあ、朝御飯の続きを食べようか」
木魚や鐘がフッと消え失せ、二人はテーブルに戻って来ました。教頭先生はまだ呆然としたままです。
「ハーレイ、一宿二飯のお礼に教えてあげるよ」
会長さんが軽くウインクして。
「サムがぼくと朝御飯を一緒に食べる日は必ず朝のお勤めをする。…いや、朝のお勤めをした後に食事というのが正しいかな? サムが弟子入りしてからね」
「弟子入り!?」
素っ頓狂な声を上げる教頭先生。
「そう、弟子入り」
オムレツを切り分けながら会長さんは綺麗な笑みを浮かべました。
「ぼくはサムの師匠ってわけ。…弟子は師匠に絶対服従、身の回りの世話もしなくっちゃ」
「…そ、それじゃ紅茶の砂糖の数は…」
「弟子の心得。当然だろう?」
「…しょ、将来がどうとかって言っていたのは…?」
教頭先生の頬が引き攣っています。
「もちろん出家をするかどうかさ。ぼくの一存では決められないし、サムのご両親にも相談しないと」
「……出家……」
ポカンと口を開ける教頭先生の頭の中で全てのピースが嵌まるまでには長い時間がかかりました。結婚ではなく出家であって、ラブラブではなく師弟関係。…壮大な勘違いに気付いた教頭先生は真っ赤になって謝りまくり、サム君はひたすら照れています。本当は公認カップルですけど、それは内緒のままみたいですね。
宿泊券は一泊二食用でしたが、教頭先生は昼食も出してくれました。シーフード入りカレークリームのパスタです。会長さんに少しでもゆっくりしていって欲しいという意図が見え見えで…。
「悪いね、昼御飯まで御馳走になって」
ちっとも悪くなんか思っていない会長さんですが、教頭先生はニコニコ顔。
「いや、私の方こそ悪かった。せっかく泊まりに来てくれたのに、昨夜は付き合いもせずに先に寝たしな。本当なら徹夜トランプでも付き合わなければならないものを…」
「いいんだってば、誤解させるようなことを言っちゃったんだし。でもね……ぼくとサムとの仲は深いよ? ハーレイが割り込む余地は無いから」
なんといっても弟子なんだし、と会長さんはサム君の肩を抱き寄せました。
「正式に入門ということになったら、サムに名前もつけなくちゃ」
「「「名前!?」」」
「うん、名前。…お坊さんには必須なんだよ。法名、もしくは僧名といって、漢字で二文字がお約束。サムの場合は元がサムだし、漢字を当てるだけでもいいかな、って候補を考えてはいるんだけどね」
ね? と言われて頷くサム君。お坊さんになる決心がついたわけでもないのに会長さんに従ってるのは、惚れた弱みというヤツでしょう。会長さんは視線をジョミー君に向けて…。
「ジョミーだとジョの音を大事にすべきかな。まあ、まだまだ先の話だけれど」
「…ぼ…ぼくはお坊さんなんて嫌だってば!」
「テラズ様のことを忘れたのかい? 君を立派なお坊さんにしたい一心で成仏していったよね、テラズ様。それにキースと一緒に剃髪対策もしてるじゃないか。…君には高僧になってほしいよ」
人の意見を全く聞かない会長さん。ジョミー君もこのままいくと仏門に入るしかなさそうですが…。
「ブルーにも漢字の名前ってあるんですか?」
話を逸らしたのはマツカ君の一言でした。
「ん? そりゃあ…もちろんあるけど」
「ほほう…。この際だ、ぜひ聞きたいな」
キース君が言い、会長さんは「そうだねぇ…」と呟いて。
「喋っちゃっても問題ないか。どうせハーレイは知ってるんだし、ゼルたちだって知ってるし。…ギンショウだよ」
「「「ギンショウ?」」」
「うん。銀という字に青と書く。お師僧さんが付けてくれたんだ。ぼくの名前がブルーだから青。銀は銀色の髪だから。…剃ってしまえば髪の色なんか関係ないけど、銀は仏教の七宝っていう七種類の宝の一つでね。その色の髪を持っているのも御仏縁だろう、ってお師僧さんが…」
初めて聞いた会長さんの法名。本当にお坊さんだったんだ…、と感心している私たちの横でキース君が愕然としています。キース君もお坊さんだけに、もしかして聞き覚えがあったとか…?
「…まさかとは……まさかとは思っていたが…」
キース君の唇が震えていました。
「あんたが銀青様だったのか! 俺は尊敬していたのに…あんたは二重人格か!? 伝説の高僧で今なお教えを慕われてるのに、その実態はこれだってか…!」
「君が言うのは銀青様だろ? ぼくはブルーだ。大学で習う本の中にはぼくの教えもあるだろうけど、ぼくの名前は忘れた方が精神衛生上いいと思うよ。銀青の名前で書いた論文は沢山あるし、言葉だって残っている。…銀青様に失望したくなければ忘れたまえ」
「……うう……」
なんてこった、と呻き声を上げるキース君。どうやら会長さんは歴史に残る高僧だったようですけれど、一般人の私たちには関係のないことでした。教頭先生もおかしそうに笑っています。…銀青様の出家前から知ってるんですし、そりゃ笑いたくなりますよねえ…。
会長さんの法名を知った私たちが次に始めたのはキース君の追及でした。キース君にも漢字二文字の法名ってヤツがある筈です。前に会長さんがバラすと脅して、キース君がパニクったことがありましたっけ。よほど恥ずかしい名前なのかどうか、ここまで来たら知りたいかも~!
「俺は意地でも喋らんぞ」
キース君は腕組みをして仏頂面です。
「あんたもバラしたら承知しないからな、銀青様」
「様は要らないよ、銀青でいい」
「…どうしても呼び捨てに出来ないんだ! 正体があんただと分かってもな」
苦悩しているキース君を他所に、会長さんは。
「君たちにヒントを教えてあげよう。…法名は本名から一文字取ることが多いんだ。そして親子だったりすると、その一文字をそのまま貰っていることも…。キースのお父さんの名前は何だったっけ?」
「「「あっ!!」」」
私たちの脳裏にアドス和尚の恰幅のいい姿が浮かびました。キースとアドス。共通点は『ス』の一文字。
「スの字だ!」
ジョミー君が叫び、キース君が頭を抱えます。これで一歩前進ですが…。
「今日の所は見逃してあげた方がいいと思うよ」
銀青様でガッカリさせたし、と会長さん。
「君たちはキースで遊んでるけど、ぼくはハーレイで遊びたいんだ」
「「「えぇっ!?」」」
「わざわざ泊まりに来たんだよ? 何もしないで帰れるわけがないじゃないか」
「もう充分に遊んだろうが!」
キース君が突っ込みましたが、会長さんは涼しい顔で。
「あれは勝手な勘違い。ぼくがあの程度で済ませるとでも…? ハーレイ、忘れちゃいないだろうね。ぼくが出家しようとした時、一緒に行こうって誘ったのに…君はアッサリ断ったんだ」
「そ、それは…」
矛先を向けられ、教頭先生はうろたえました。
「あの頃は学校も忙しかったし、私まで留守にするわけには…」
「ゼルだっていたし、ヒルマンもいた。エラもブラウもちゃんといた。…君の代理は四人もいた上、生徒は今より少なかった。もちろん仲間の数だって…ね。忙しかったなんて言い訳だろ? ぼくは知ってる。ぼくの誘いを断った理由は髪の毛なんだ」
ビシッと教頭先生の髪を指差す会長さんの瞳が赤く燃え上がります。
「出家するには剃髪が必須。その髪の毛を剃るのが嫌で、もっともらしい言い訳を…。ぼくが好きだなんてよく言うよ。本当にぼくが好きだったんなら、一緒に出家するだろう? ハーレイが一緒に来てくれていたら色々と心強かったんだ。なのに断ってくれたから…護身術なんか習う羽目に!」
あ。護身術といえば会長さんが教頭先生を投げ飛ばした技です。あの時、確か布団部屋がどうとか…。教頭先生はみるみる青ざめ、会長さんに謝りました。
「すまん、ブルー…! 寺にそういう危険があるとは知らなくて…。知っていたなら私がお前を…」
「みっともないよ、ハーレイ。その気さえあれば、ぼくが護身術を習ってることが分かった筈だ。なのに知ろうとしなかった。一緒に出家もしてくれなかった。…ぼくへの愛はその程度だ。ぼくより髪の毛が大事なんだ!」
「い、いや…決してそういうわけでは…。お前よりも髪が大切なんてことは…」
「本当に?」
じっと見詰める会長さん。教頭先生は蛇に睨まれた蛙でした。冷や汗を垂らし、大きな身体を縮めています。
「……本当だ。お前か髪か、どちらかを選べと言われれば…私は絶対にお前を選ぶ」
「そうかなぁ? 全然信用できないんだけど」
「頼む、ブルー! 信じてくれ、あの頃は私も若かったんだ。寺がどういう所かも知らずに、お前なら大丈夫だと思っていた。ぶるぅも一緒に連れて行くんだと話していたし、きっと元気に帰ってくると…」
「遠足に行くんじゃないんだからさ。…もっと気遣ってほしかったな。髪の毛が心労で禿げるほどにね」
戻ってきたらフサフサしていた、と会長さんは糾弾します。
「ぼくよりも大事な髪の毛だもんね。薄くなるなんて許せないよね? そうだろ、ハーレイ? 今でもぼくと髪の毛だったら髪の毛の方を選ぶんだ!」
「違う、ブルー! 髪よりもお前が大切だ!!」
「そっか。じゃあ…」
キラッと青いサイオンが走りました。
「貰っておくよ、君の髪の毛。愛してるんならかまわないよね?」
会長さんの両手の中にフンワリと載っていたのは鈍く輝く金髪の山。そして教頭先生の頭の上から髪は消え失せていたのでした。
「「「!!?」」」
教頭先生が頭に手をやり、私たちは目が点です。見事に剃り上げられた教頭先生の坊主頭は、天井からのライトを受けて眩しい光を放っていました。会長さんの手の中に金色の髪があるってことは、サイオニック・ドリームではなくて正真正銘の丸坊主…?
「……ブルー……」
泣きそうな顔の教頭先生に、会長さんは「何?」と無邪気に応えます。
「さ、触っても髪の毛が無いのだが…。サイオニック・ドリームにしてはリアルすぎる気がするのだが…」
「ああ、髪の毛? そりゃ触っても無いだろうね。剃っちゃったもの」
「「「剃った!??」」」
全員が唖然とする中、会長さんは宙にビニール袋を取り出し、金色の髪を詰めました。
「ぶるぅ、この髪の毛で何か作れるかな? ハーレイの剃髪記念にしたいんだけど」
「んーとね…。針山なんかどうかなぁ? 人間の髪の毛って油分があるから、針が錆びにくくなるんだよね」
「針山か。ぼくは使わないけど、記念品には良さそうだ。ぶるぅ、作ってくれるかい?」
「うん! どんな形にしようかなぁ…。可愛いのがいいかな、それとも渋いデザインがいいかなぁ?」
のんびり会話する会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」。丸坊主にされた教頭先生はリビングを飛び出し、洗面所に向かったようですが…鏡を見たらさぞ衝撃を受けるでしょうねえ。案の定、意気消沈した教頭先生がどんよりした顔で帰ってきて。
「…ブルー、本当に剃ったのか…?」
「髪の毛よりもぼくが大事だって言ったじゃないか。そのぼくに欲しいと要求されたら髪の毛くらい差し出さなくちゃ。…だからといって出家した時についてこなかった件をチャラにするわけじゃないけどね」
「…駄目なのか…」
「もちろん。そのまま出家して仏門に入るというなら考えないでもないけどさ」
ツルツル頭の教頭先生の姿を見ても、会長さんの心はまるで痛まないようでした。それどころか宙にヒョイと雑誌を取り出して。
「はい、これでもヘアカタログってヤツなんだ。…ボウズスタイルっていうんだよ」
「「「ボウズスタイル!?」」」
「そうさ、坊主頭の専門雑誌。キースなら知っているかもね。これが最新号で、おしゃれボウズなスタイルが108載っている。あと、特集が『人気美容師が教える! 自分で刈る! セルフボウズテク』。色々あるから参考にして。…冬休み中に坊主頭を脱却するのは日数的に厳しそうだし」
似合うスタイルを探すといいよ、と教頭先生に渡された雑誌の表紙は文字通り坊主だらけでした。綺麗さっぱりツルツルのから、少し伸びたもののアレンジまで…。ほんの少しだけ髪が伸びた頭を文字や模様に刈り込んだのも載っています。会長さんはそれの一つを指差しました。
「冬休み明けに間に合いそうなスタイルといえばこの辺りかな? 金髪でボウズなスタイルっていうのは難しいけど、ハーレイは肌の色が濃いからね…。模様なんかが映えると思う。載ってるとおりにするのもいいし、シャングリラ学園の紋章なんかもオシャレじゃないかな」
「きょ…教頭がそんな頭というのは…」
「だったらスキンヘッドしか残ってないね。生え際が後退しそうだったから、その前に潔く剃りました…って言えば世間は通ると思うよ。でなきゃカツラを被るとか。…ここのカツラが評判いいんだ」
今度はオーダーメイドのカツラのチラシが出てきます。会長さんったら、どこまで用意がいいんだか…。宿泊券をゲットした時から計算し尽くしていたのでしょうけど、まさか教頭先生がツルツル頭にされるとは! 次に宿泊予約を入れている数学同好会のメンバーとアルトちゃんたち、腰を抜かすかもしれません。
「それじゃ、ぼくたち帰るから。ボウズスタイルかカツラにするか、冬休み中にじっくり考えて」
会長さんの合図で私たちは教頭先生の家を引き揚げました。教頭先生、あまりのことに見送りにも出てこられないらしく、窓の向こうで手を振っています。会長さんに惚れたばかりに髪の毛を剃られてしまう結果になっても、会長さんへの名残は尽きないらしいですねえ…。
バス停まで歩く途中で会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」に言いました。
「準備いいかい?」
「かみお~ん♪」
「「「えっ!?」」」
フワッと身体が浮いたかと思うと、私たちは見慣れた会長さんの家のリビングに…。すぐに「そるじゃぁ・ぶるぅ」がホットケーキと飲み物を用意してくれます。お泊まり会を振り返るにはもってこいの場所ですけれど、なんて手回しがいいのでしょう。
「ハーレイったら鏡とにらめっこしているよ。ボウズスタイルとカツラのチラシを交互に見ては悩んでいるね」
絶対ボウズがお薦めなのに、と会長さんはビニール袋に入った金色の髪を取り出します。
「これだと針山は一個くらいか…。まあ、作れっこないんだけどさ。ね、ぶるぅ?」
「うん、本物じゃないもんね。つまんないの…」
チョンチョン、と袋をつつく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。本物じゃない…って、どういうこと? 私たちが口々に訊くと会長さんはクスッと笑って。
「この髪の毛は此処にはない。…まだハーレイの頭の上」
「「「は!?」」」
「サイオニック・ドリームなんだよ、最上級のね。ハーレイ自身も幻覚に囚われて髪の毛は無いと思ってる。明日の朝には元に戻すけど、それまでツルツル頭の絶望感をじっくり味わってもらおうと…。ぼくよりも髪の毛を選んだ過去をキッチリ後悔するといいさ。どうせこうなるなら出家しておけばよかった…とね」
「あ、あんたは…」
キース君が口をパクパクとさせて会長さんを見詰めました。
「まさかそのために教頭先生の家に泊まりに!? 最初から全部計算の内か…?」
「決まってるじゃないか。ハーレイの家に堂々と泊まり込めるチャンスなんてそうそう無いし…何をしようかって考えてたらこうなった。今は坊主が旬なんだよ」
托鉢ショーにトンズランスに…、と指折り数える会長さんは心の底から楽しそうでした。
「ぼくの法名も明かしてあげたし、いつかは君の法名も披露しないといけないね。知られたくないなんて言ってる内は、まだまだ修行がなってないんだ。みんなに話す覚悟が出来たら剃髪にも抵抗が無くなるさ。その時はジョミーも一緒に坊主頭に…」
「それだけは嫌だ!」
「ぼくも嫌だーっ!!!」
キース君とジョミー君の叫びが重なり、会長さんとの言い争いが始まります。丸坊主にされたと思い込んでいる教頭先生は今もドン底気分でしょう。キース君が尊敬している伝説の高僧・銀青様。その銀青様と会長さんが同一人物だなんて、お釈迦様でも知りたくないかもしれません。…お歳暮に貰った宿泊券でのお泊まり会は…教頭先生、ごめんなさいです~!