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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

招待は突然に  第3話

どっしりとしたアドス和尚の大学時代の渾名はクリームちゃん。「ちゃん」付けはイライザさんだけだと聞きましたけど、なんとも凄い渾名です。お坊さんとしての名前で漢字二文字の法名ってヤツがアイスだったからクリームだなんて…。呆然としている私たちを他所に会長さんが微笑みます。
「遊び心に溢れてるだろ? アイスクリームなんてセンスいいよね」
「私も可愛いなって思ったんですのよ。…なのに身体はガッシリしてて…その辺りのギャップに惹かれましたの」
イライザさんの言葉にアドス和尚は照れ笑い。
「いやいや…。わしも驚きましたわい。新入生の中でもピカイチの美女が手作りの菓子をくれましてな。何の冗談かと思いましたが、イライザは至って本気だったようで…」
「色々と調べましたもの。お坊さんっていうだけじゃ駄目ですものね、元老寺を継いで下さる方でないと。そしたらお寺の三男坊で実家のお寺はお兄さんが継いでるらしい、って耳にして…。これはアタックするしかないわ、と」
頑張りました、とイライザさん。
「いきなりウチのお寺を継いで下さい、なんて言えないでしょう? 普通にデートして、半年ぐらい経った頃でしたかしら…。お寺の一人娘なんです、と打ち明けたらとっても喜ばれちゃって」
「何処かの寺へ婿養子に入るのが夢でしたからな。…そういう話が無かった時は就職しようと思ってまして、教員免許を目指してました。ここへ来られたのは御仏縁で…」
有難いことです、とアドス和尚が床の間に掛かった南無阿弥陀仏の掛軸に手を合わせます。うーん、これもラブロマンスって言うんでしょうねえ…。と、シロエ君が急に真面目な顔で。
「え、えっと…。おばさまはお父さんからお寺を継げって厳しく言われてたんですよね? でも…ぼく、この前、聞いちゃったんです。キース先輩の曾お祖母様のこと。…それって、おばさまの…お祖母様なんじゃ…?」
「あらあら、曾お祖母ちゃんの話ってことは…テラズかしら?」
「はい。伝説のダンス・ユニットだって聞きましたけど、おばさまのお祖母様は…その…おばさまがお寺を継ぐっていう件については何も仰らなかったんですか? テラズ・ナンバー・ファイブって名前で踊っておられたみたいですから、進歩的な考えをお持ちだったんじゃないのかと…」
「積極的に攻めていけ、って言われたわねえ…。尼さんになりたくないんだったら、まずは自分を売り込めって。アピールする相手が増えれば増えるほどいい牌が来るって言われたんだけど…曾お祖母ちゃんほどの勇気は無かったのよ」
尼さんになるのは嫌だったけど、とイライザさんは溜息をつきました。
「だってね、私、運動神経ゼロですもの。ダンスなんて絶対に無理! …曾お祖母ちゃんはテラズの御縁でお婿さんをゲットしたっていうのに、私は手作り菓子だったのよねえ…」
「曾祖母さんの血はキースが継いだなぁ…。わしも柔道は子供の頃からやっておったが、キースと違って優勝なんぞはしとらんし…。運動神経の良さは曾祖母さんから継いだとみえる。おまけに強情な所まで似てしまいおった」
「……親父……」
余計なことを、とキース君の声が低くなりましたが、アドス和尚は聞いていません。
「坊主なんか絶対嫌だ、俺はやりたいようにやる…と反抗しまくった次は坊主頭は嫌だ、嫌だ…と。坊主が坊主頭にしないでどうするんだと思うのですが、全く聞く耳を持たないようで」
「キースの自由にさせてやれ…って言っただろう」
会長さんが割り込みました。
「無理強いするのはよくないよ。強情なのは修行の時に役に立つ。人に弱みを見せたがらない性格なんだし、誰よりも頑張って修行する筈さ。広い心で見てやるといい。…アドス和尚だって元老寺に来た頃は先代とかに温かく見守ってもらったんだろ?」
「それはまあ…そうですが。先代にも曾祖母さ……いえ、先々代の大黒様にも可愛がって頂きまして」
「ほら、入り婿だった君でもそうだ。キースは実の息子だよ? 厳しくするだけじゃ伸びないってことを覚えておいた方がいい。…焦る気持ちは分かるけどね、住職を継ぐって言い出しただけでも進歩じゃないか」
「そうですな。あなたが遊びに来て下さったお蔭で決心をしてくれたんでしたな…」
緋の衣を着けた会長さんに対抗心を燃やし、住職を目指すと決めたキース君。坊主頭の件はともかく、緋の衣を許された高僧になりたいことは確かですから…ドロップアウトはしないでしょう。回り道はするかもしれませんけど。

話は和やかに続きました。アドス和尚は大学を卒業してから一年間の厳しい修行に行って、それからイライザさんと結婚したのだそうです。
「厳しいって…?」
首を傾げたのはジョミー君。
「ブルー、楽だって言わなかったっけ? だから厳しい修行がしたくて恵須出井寺に行ったんだ…って」
「興味を持ってくれたのかい? 嬉しいな、ジョミーもやってみる気になった?」
ニッコリ笑う会長さんに、ジョミー君は震え上がって。
「ち、違うってば! そうじゃなくって、変だな…って。話が違うって思っただけで!」
「残念。…でも覚えててくれたんだね。なかなか将来有望かも…」
「勝手に決められるのは御免だよ! お坊さんになんかならないからね、絶対に!」
ジョミー君の必死の叫びを会長さんはサラッと無視して、私たちをぐるりと見渡しました。
「君たちも変だと気付いたかな? 璃慕恩院の修行は楽な筈ではないのかって」
「「「………」」」
首を左右に振る私たち。アイスちゃんだか、クリームちゃんだか…アドス和尚の過去に驚いたせいで、会長さんの修行のことなどすっかり忘れていたのです。そんな中でも覚えていたとは、ジョミー君って素質があるかも…。
「ほらね、ジョミー。みんな気付いてなかったようだよ。君は修行に関心あり…、と。覚えておこう」
「忘れていいっ!」
「そう言わずに…。本山の修行体験ツアーにも行ったことだし、敏感なのも無理はない。で、君の疑問はもっともだ。ぼくは修行は楽だと言ったし、アドス和尚は厳しいと言った。…璃慕恩院にもそれなりに厳しいコースはあるんだよね。だけど自分で選べるんだ」
要らないと思ったらしなくても済む、と会長さんは言いました。
「そこが恵須出井寺との違いかな。あっちは修行の途中で逃げ帰ったら二度と寺には戻れない。住職の資格が取れなくなるのさ。…璃慕恩院はそこまで厳しくはないし、修行期間も短いね。アドス和尚が行ったコースはそれとは別モノ。修行を積みたい人だけが行く道場だ。来る日も来る日もお念仏だよ。おまけに外部との連絡は禁止」
「「「………」」」
「運動できるのは掃除の時だけ。他の時間はお念仏か読経か、勉強か…。恵須出井寺みたいな荒行は無いけど、厳しいことは間違いない。アドス和尚が行ったってことは、いずれキースも行くかもね」
うわぁ…。キース君なら行きかねませんけど、一年間も会えなくなるのは寂しいような気がします。いざとなったら会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」に手伝ってもらってコッソリ面会可能でしょうが…。
「そうだ、キースが行くんだったらジョミーとサムも一緒にどうだい? 人数制限は特にないから問題ないし」
「嫌だってば!」
即座に断るジョミー君の横でサム君が。
「俺は別に行ってもいいけど…。でも…一年かぁ…」
会長さんの顔を見つめるサム君の考えはすぐに分かりました。アドス和尚とイライザさんがいるので口にしないだけで、大好きな会長さんと会えなくなるのが辛いのに違いありません。会長さんも気が付いたようで…。
「君たちが揃って修行に行くなら、ぼくが面会に行ってあげるよ。ぼくは何処へでも顔を出せるし、差し入れしたって問題はない。本当は差し入れ厳禁だけどさ」
ペロリと舌を出す会長さん。
「なんなら高飛びも手伝おうか? 修行中の連中がコッソリ抜け出して遊んでるのはよくある話だ。それがバレたら大惨事だけど、ぼくと一緒なら大丈夫。ぼくが連れ出したって言えば通るからね」
「おお…」
アドス和尚が会長さんを伏し拝みました。
「ありがとうございます! せがれはクソ真面目な所がございまして…。やはり人並みに羽目を外すことも覚えませんと、檀家さんの相談ごとにも上手に対応できないのではと心配いたしておりました。せがれが修行に行きます時には、よろしくお導き下さいませ」
「任せといてよ。緋色の衣はダテじゃないさ」
大船に乗った気持ちでいて、と請け合う会長さんにアドス和尚は大感激。キース君、まだ住職の資格もないのに先の予定まで決められちゃって、引き返す道は無さそうです。順調に行けば今年の秋には髪を短く切っての修行で、来年の暮れには剃髪で…。えっと…本当に大丈夫かな…?

クリームちゃんなアドス和尚は御機嫌でした。キース君と一緒に修行してくれそうな人が二人も現れた上に、会長さんのサポートまで約束されたのですから嬉しくなって当然です。否定し続けるジョミー君にも愛想をふりまき、サム君には仏門の素晴らしさを説き…。イライザさんも二人にせっせと食べ物やジュースを勧めてますし!
「キースをよろしくお願いしますね」
美人のイライザさんにそう言われては、ジョミー君も怒鳴れません。なんとか話題を逸らそうとしたジョミー君は…。
「そうだ! アイスっていうの、本名ですか?」
「お坊さんにとっては本名ですわね。…きっとあなたも素敵な名前がもらえましてよ。銀青様がお付けになるのでしょう?」
「ぼくは弟子入りしてません! それより、本当にアイスなんですか? クリームちゃんって聞いた後では冗談にしか聞こえないんですけど…」
よくぞ聞いてくれました! みんな思いは同じらしくて、アドス和尚に視線が集中しています。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も好奇心に瞳を輝かせて。
「ねえねえ、ホントにアイスなの? ぼく、アイスクリームは大好きだよ♪」
「…そのアイスとは違うんですがなあ…」
アドス和尚が苦笑しながら坊主頭に手をやりました。
「わしの名前は親父がつけてくれたんです。アドスの名前を活かしたものを…、と思ったんですな。埃という漢字に須弥山の須と書きます。須弥山は仏教では世界の中心に聳えておる山のことでして…数ならぬ人の身といえども須弥山の埃くらいにはなってみせろ、との親父の願いがこもっております」
「「「………」」」
分かったような、分からないような。顔を見合わせていた私たちに会長さんが教えてくれました。
「須弥山は人間が辿り着ける場所ではないよ。ぼくたちの住む世界と須弥山の間には幾重もの山や海があるんだと言われてる。そして太陽と月は須弥山の周りを回っているんだ」
げげっ。それはスケールでかすぎるかも…。その須弥山の埃だなんて、ちょっとやそっとの修行では…。
「須弥山の埃になるっていうのが大変なことは分かっただろう? アイスだからって笑えないのさ。もちろんアドス和尚も名前に誇りを持っている。…あ、今のはシャレじゃないからね」
「…すげえ名前…」
呟いたのはサム君です。仏門に入ってもいいかな、と思ってるだけに羨ましいのかもしれません。クリームちゃんという渾名に親しみを覚えた私たちですが、アイスの意味は深すぎました。
「そっか…。アイスって、アイスクリームじゃなかったんだ…」
言いだしっぺのジョミー君は悔しそう。仏門から話題を逸らしたつもりが、思い切り仏教世界のド真ん中まで突っ込んでいってしまったのですから。
「じゃあ、キースは?」
ヤケクソになったらしいジョミー君が繰り出したのは禁断の質問というヤツでした。
「キースの名前は何なんですか!?」
「馬鹿野郎!」
聞くな、と叫ぶキース君。いつも必死に隠し続けて、会長さんに何度も「ばらす」と脅しをかけられてきた名前をそう簡単に明かされたのでは、キース君も浮かばれないでしょう。ところが…。
「キュースですわ」
イライザさんがアッサリ答えました。
「「「キュース?」」」
「ええ。元々の名前とそっくりでしょう?」
コロコロと笑うイライザさん。キース君は頭を抱えていますが、キュースの何処がいけないと…? ごくごく普通な感じです。特に何にも思いつきませんし、隠す必要はなかったんじゃあ…?
「ええと…。それって、どんな漢字を書くんですか?」
ガッカリ感が滲み出た顔で質問を投げるジョミー君。ここまで来たら全部聞くぞ、と思ったに違いありません。
「休むという字に須弥山の須ですな」
須の字はわしと同じです、とアドス和尚が答えました。
「わしは須弥山の埃が限界ですが、せがれには須弥山で休めるくらいの器になって欲しいと思いまして…。わしのように妙な渾名がついても困る、と候補も絞り込みました。自信を持ってつけたというのに、せがれときたら…」
どうしても名乗りたがらんのです、とアドス和尚は深い溜息。須弥山で休むなんていう壮大な名前をキース君はどうして隠すんでしょう? 名前負けとかそういうレベルの問題なのかもしれませんが…。
「ね、君たちだっていい法名だと思うだろう?」
会長さんに改めて言われなくても、いい法名に決まっています。キース君、何が嫌なのかな…?

宴会は午前三時を回った頃にお開きになりました。朝の六時には山門を開けておかなくてはならないそうで、九時からは本堂でアドス和尚が初詣に来る檀家さんたちを迎えるのだとか。キース君も私たちが帰った後は同席することが決まっています。この初詣のために坊主頭にされる所だったキース君を会長さんが助けたというのが意外ですけど。
「ブルーなら剃らせる方だと思ったけどなあ…」
ジョミー君の言葉にマツカ君が。
「そうですよね? ぼくたち、それを阻止するために呼ばれたのに…」
私たちは宿坊の中の会長さんに割り当てられた部屋に来ていました。二間続きの立派な部屋で、控えの間なんかもあったりして…。会長さんは立派な布団の上に寝そべり、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はもう一組の布団の上でウトウトと。子供ですから眠いのでしょう。キース君は庫裏の自分の部屋に帰っています。
「ぼくってそんなに信用ないかな? いくらなんでも本当に坊主頭にはしやしないよ」
恨まれてしまう、と会長さん。
「アドス和尚はキースの頭を剃り上げようとしていたんだ。馴れない間は自分で剃るのは難しい上に、キースが自分で剃るわけがないし。…そりゃ、そういう時でもサイオニック・ドリームで誤魔化すことは出来るけどさ…。面倒じゃないか。何日間も坊主頭のフォローをしなくちゃいけないんだよ? それくらいなら阻止する方が楽でいい」
「…面倒かどうかで決めたんですか?」
呆れた声のシロエ君。会長さんは「どうだろうね?」と微笑んで。
「強制されて坊主になるんじゃ意味がない。須弥山で休む境地にはとてもとても…。で、君たちは初日の出を拝むのかい? 元老寺の山門からだと綺麗に見えると思うんだけど」
「んーと…。今から寝るよりは徹夜がいいよね」
ジョミー君の提案に賛成した私たちですが…。
「じゃあ、君たちは勝手に徹夜したまえ。ぼくは寝るよ。…大丈夫、年寄りは朝が早いんだ。それじゃ、おやすみ」
言うなり会長さんは布団を被って寝てしまいました。すぐに寝息が聞こえてきます。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も爆睡中ですし、ここで徹夜は悪いかも…。私たちはジョミー君とサム君の部屋に移って雑談やテレビで時間を潰し、空が明るくなってきた頃に玄関先へ移動しました。
「やあ、おはよう」
「かみお~ん♪」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が爽やかに声をかけてきます。
「君たち、顔は洗ったんだろうね? 歯磨きは?」
「「「え?」」」
「えっ、じゃない。初日の出を拝みに行くんだろう? 身を清めるのは最低限の礼儀ってものさ」
「「「すみません~!」」」
大慌てで洗顔を済ませて戻るとキース君が来ていました。うわぁ、朝からバッチリ墨染の衣…。それからみんなで山門に行って、凍えるような寒さの中で石段の一番上から眺めた初日の出は神々しいほどの美しさでした。会長さんとキース君はきちんと両手を合わせています。なるほど、拝むものなんですねぇ…。気付けば後ろにアドス和尚とイライザさんも。
「皆さん、あけましておめでとうございます」
アドス和尚の挨拶に、一気に気分はお元日。私たちも声を揃えて挨拶をして、それが済むと宿坊の食堂に案内されました。キース君は一緒でしたが、アドス和尚は初詣の準備を整えに本堂へ。食堂には御雑煮とおせちが用意されています。イライザさんが配ってくれた湯飲みの中には、梅干しと結び昆布が入ったお茶。お正月のお茶、大福茶です。酸っぱいですけど、縁起ものですし飲まなくちゃ…。
「おかわりは普通のお茶がいいかしら?」
イライザさんの好意に私たちは素直に頷き、会長さんだけが「このままでいいよ」と答えました。
「無病息災のお茶だからね、これをおかわりしなくっちゃ。それより、初詣の準備の方はアドス和尚だけでいいのかい? お茶のおかわりだけ運んでくれれば、後は勝手にやっとくけれど」
「あら…。申し訳ございません。では、お言葉に甘えまして…。あ、お片付けは後でお手伝いの人が来てくれますから、放っておいて下さいね」
そしてイライザさんはお茶のおかわりが入った大きな土瓶と人数分の新しい湯飲みを運んでくると、忙しそうに行ってしまったのでした。会長さんの大福茶ですか? それは梅干しと結び昆布が残った湯飲みに普通のお茶を注げばいいようですよ。

元老寺の元日の行事は初詣客の応対です。アドス和尚が本堂に座って檀家さんをお迎えし、お屠蘇を勧めたり、子供連れの人にはお菓子を渡したりするそうですけど、キース君は食堂に残って私たちとお話し中。
「俺の仕事はブルーの相手が最優先だ。…親父からそう言われているし、坊主頭の危機から救ってくれたし…丁重にもてなしをさせて頂く」
キース君は会長さんの湯飲みに土瓶のお茶を恭しく注ぎ入れ、私たちには土瓶と湯飲みを指差して。
「おかわりはそこだ。自分で好きに淹れてくれ」
うっ。私たちはセルフサービスですか…。キース君に呼ばれたお客様なのに、会長さんとは身分の違いがあるようです。仕方なく土瓶の取っ手を握ったところへ「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサッと出てきて。
「任せといて! はい、順番に回してね」
手際よく注がれたお茶を手渡しで順に送っていると、会長さんが声をかけてきました。
「ぶるぅ、大きな土瓶だけど重くないかい? お前がやるんならイライザさんに頼んで急須を…」
「平気だよ? もっと重たいお鍋も使ってるもん!」
「でも…急須の方がいいんじゃないかな」
「平気、平気! ほら、もうおしまい」
これで全部、と得意そうに胸を張る「そるじゃぁ・ぶるぅ」。いつもながら頼もしい家事上手です。…あれ? キース君、どうしたの? なんだか顔色が悪いみたい…。でも会長さんは気付かない風で。
「やっぱり急須と替えてもらおう。…キース、悪いけどこれを急須に…」
頼むよ、と土瓶を持ち上げる会長さん。
「ぶるぅには大きすぎるんだ。小さい身体には急須が一番」
「…分かった…」
キース君は土瓶を持って出てゆきました。なんだか足取りが重そうです。代わりに行くべきだったでしょうか…?
「いいんだよ。甘やかしてやる必要はない。同類嫌悪に陥っているだけだから」
「「「同類嫌悪?」」」
「そう。…分かるかい? キュースが急須を取りに行った」
「「「ああっ!」」」
アクセントが全く違っていたので誰もが気付いていませんでした。キュースと急須。キース君の法名には恐ろしい落とし穴があったのです。アドス和尚とイライザさんは気付いているのか、いないのか…。どうなんだろう、と騒いでいるとキース君がお湯がたっぷり入ったポットと急須を持って戻って来ました。襖がカラリと開いた瞬間、私たちは一斉に吹き出していて…。
「しゃべったな、ブルー!!!」
キース君の怒声が食堂に響き渡ります。申し訳ないとは思っていても、笑いのツボにハマッたものはそう簡単には抜けません。急須を手にしたキース君。キュースが急須を持ってるわけで、急須がキュースの手の中に…。あああ、もうダメ、笑い死ぬかも~! 笑いすぎておかしくなった喉を潤そうと湯飲みを持てば、またまた急須を連想しますし…。
「いい加減にしないと片付けるぞ!」
怒鳴りながら湯飲みを回収しようとするキース君の衣の袖を会長さんがハッシと掴みました。
「こらこら、そんなに怒らない。頭から湯気が出てしまうよ?」
「俺の名前はヤカンじゃないっ!!!」
「じゃあ、土瓶? それとも茶瓶? …もっと捻って茶っ葉とか? 急須と茶っ葉はセット物だよね」
「勝手にどんどん捻り出すなぁぁっ!!!」
キース君には悪いですけど、笑うなと言うだけ無駄ってものです。土瓶に茶瓶、キース君の自己申告ではヤカンも急須の連想ゲームに入ってるみたい。アドス和尚の「クリームちゃん」より惨いかも…。声が嗄れるまで笑って笑って、キース君は頭を抱えて呻くしかなかったのでした。

「…だから言いたくなかったんだ…」
やっとのことで笑いが鎮まった後、キース君は仏頂面で私たちを睨み付けました。
「お前たちなら絶対ネタにすると思って黙ってたのに、おふくろのヤツ…」
「勘違いをしちゃいけないよ、キース」
注意したのは会長さん。
「あの時点では誰も反応しなかった。お母さんは訊かれたことに答えただけだし、お父さんだって名付けた理由を話してくれたじゃないか。この子たちも全員、素晴らしい名前だと思ってたんだ。…急須のことに気付くまではね」
「………。つまりあんたが悪いってわけか」
ドスのきいた声に、会長さんは肩を小さく竦めてみせて。
「どうだろう? 急須、急須と連発したのはわざとだけれど、隠していてもいつか誰かに気付かれるよ? 陰でコソコソ笑われるより、パアッと派手にバラされた方が傷が浅いと思うんだけどな」
「…そうきたか…。実際、俺も怒りのやり場がなくて困ってるんだ。親父とおふくろは急須を見せても無反応だし、俺の法名と急須の繋がりに気付いていない可能性もある。だとしたら…騒ぎ立てても気の毒だしな。…仕方ない、バレてしまったことは諦めよう。その代わり…」
ビシッと私たちを指差すキース君。
「俺の名前はあくまでキースだ。法名の方で呼ぶんじゃないぞ。…呼びたいヤツは覚悟しておけ」
「やれやれ、物騒な話だねえ…」
会長さんが苦笑しながら右の手のひらに青いサイオンの光を浮かべました。
「それじゃ早速…。はい、キュース」
「なんだと!?」
「一応、覚悟はしてるんだけどね? これ、お年玉」
「お年玉…?」
不審そうなキース君に渡されたのは、会長さんがサイオンで宙に取り出した包み。リボンで綺麗にラッピングされた手のひらサイズの箱みたいです。
「開けてみて。これからの君に必要なものだ」
「……???」
ガサガサと包みを開けて中身を取り出すキース君。高級そうな箱の中から出てきたものは…銀色に輝く円形の綺麗なコンパクトミラー。四葉のクローバーが彫り込まれていて、どこから見ても女性用です。
「なんだこれは!?」
「…魔法の鏡。君の真実の姿が映る」
「また馬鹿なことを…」
コンパクトをパカッと開けた瞬間、キース君の顔が凍りました。どうやら声も出ないようです。
「どうだい? 新年初の坊主頭はいいものだろう」
会長さんはニッコリ笑って。
「アドス和尚にはああ言ったけど、君の将来のためを思えば…やっぱり馴れが大切だよね。そのコンパクトに映った君はいつでも坊主頭に見える。笑顔、泣き顔、困り顔…いろんな時に開けてみたまえ。その内に坊主頭も悪くないかと思える時が来る…かもしれない」
「…………」
「ぶるぅと二人で力を合わせて作ってあげた鏡だよ? 一万回くらい使える筈だ。期限切れになったらチャージするから持ってきて。四葉のクローバーの模様にしたのは幸運のお守りっていう意味で…。そうそう、ジョミーも欲しいかい? 欲しいんだったらお年玉に…」
「要らないってば!!!」
逃げ腰になるジョミー君を他所に、キース君は固まったままでした。手には魔法のコンパクト。法名の秘密をバラされた上に怪しい鏡を押し付けられて、踏んだり蹴ったりの元旦です。私たちも会長さんも、もうすぐ家に帰るんですけど…キース君、お見送りしてくれるかな? このままバッタリ倒れてしまって寝込むなんてことはないですよね? 今年も賑やかな年になりそうです。初笑いのネタにしちゃってホントにごめんね、キース君…。




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