シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
今日は学校が早く終わったから。ぼくの家から近いバス停に着くのも早くて、のんびり散歩。
あちこちの庭や生垣をキョロキョロしながら歩いていたら、幼稚園バスが追い越してった。昔はぼくもお世話になってた幼稚園バス。
少し先で停まって、ちっちゃな子供が降りて来た。お迎えのお母さんもいる。
(ふふっ)
さようなら、ってバスに手を振る男の子。制服も幼稚園の帽子も可愛らしいけど。
肩から下げた通園バッグの他に持ってる小さな袋。お母さんの手作りだろうか、あの中にきっとお弁当。そんなサイズの布袋。
男の子は袋と通園バッグを揺らしながら家に入って行った。お母さんとしっかり手を繋いで。
お弁当箱が弾んでる音が聞こえそうなほど、はしゃいでピョンピョン飛び跳ねながら。
(お弁当箱…)
幼稚園の頃はぼくも持ってた。お気に入りの模様のお弁当箱。お箸とフォークとスプーン入りの箱と一緒にランチョンマットに包んで貰って、袋に入れて。
あんまり沢山食べられないから、お弁当箱は小さかったけど。その代わり中身は色とりどりで、ママが工夫を凝らしてくれた。
(リンゴのウサギとか、タコのウインナーとか…)
一口で食べられそうなサイズのコロッケ、ピックに刺さったハム巻きだとか。
色々と入れて貰って食べてたお弁当だけど、広げるのが楽しみだったんだけれど。
(お弁当、なくなっちゃったんだよ)
学校に上がったら、お昼御飯は給食だった。お弁当の出番はなくなっちゃった。遠足とかに行く時しか持てなくなってしまって、お弁当箱とも滅多に会えなくなっちゃって。
(お弁当箱だって、すっかり普通…)
幼稚園の頃みたいに模様なんかはついていなくて、サイズが優先。誰でも持っていそうな感じのお弁当箱、「ぼくのだよ」って得意になれはしなかった。中身は素敵なんだけど。
今の学校は給食も無くて、お昼は食堂で食べるもの。
部活のある子がランチだけでは足りないから、って休み時間に食べるためのお弁当を持ってたりするけど、学校でお弁当箱はあんまり見ない。もちろん、ぼくも持っては行かない。
(お弁当かあ…)
懐かしいよね、って男の子が入ってった家を眺めて通り過ぎた。
ぼくもあんなに小さかったかな、って。お弁当箱もずいぶん小さいよね、って。
家に帰って、制服を脱いで、それからおやつ。
ママが焼いてくれたケーキを食べながら、ダイニングの窓から庭を見ていて…。
(あれ?)
ぼくはあそこに座っていたよ、って懐かしい記憶が戻って来た。
庭でお弁当を広げていた、ぼく。
うんと小さな、それこそ幼稚園くらいの子供の頃に。
庭の真ん中、ぼくが一人でお弁当。ママはいなくて、パパもいなくて、ぼくだけ一人。
だけどちっとも寂しくはなくて、一人で楽しく食べているんだ。まるで遠足に行ったみたいに、それは御機嫌でニコニコしながら。
(なんで?)
パパもママも一緒にいないというのに、どうして楽しかったんだろう?
お喋りしようにもパパとママは家の中にいるんだし、ぼくは庭だし、無理に決まってる。それに喋ってた覚えもない。ぼくは一人が好きだったんだ。一人きりで食べるお弁当が。
(…お弁当、一人で食べて楽しい?)
幼稚園では友達と食べてた。見せ合いっこして、おかずを交換したりもしてた。一人ぼっちじゃつまらないと思うし、お弁当は賑やかに食べるもの。学校の遠足の時だって、そう。
なのに小さなぼくは一人で、庭の真ん中で楽しくお弁当。
しかも何かを探してた。
お弁当を食べながら何かを探してた記憶。
(…何を?)
一人でお弁当を食べてるだけでも変だというのに、探し物。
食べながら何を探すというのか、座ったままで何が庭で見付かるのか。
(小鳥でも来た?)
それとも生垣の間をくぐって猫でも遊びに来てたんだろうか?
一人で何かを探していた、ぼく。
それが何だか思い出せなくて、いくら考えても出て来なくって。
おやつをすっかり食べ終えちゃっても端っこさえも掴めないから、カップやお皿をキッチンまで返しに行ったついでに訊くことにした。
「ママ! あのね…」
「なあに?」
カップとかを洗い始めたママが手を止めて、タオルで濡れた手を拭いて。
どうしたの、って身体ごと振り向いてくれたから、早速、質問。
「ぼく、庭でお弁当を食べていた?」
「よく食べてたでしょ、ハイキングとかに行けなくなっちゃった時に」
ブルーは身体が弱かったから。
ハイキングに行くのはちょっと無理ね、って時にはお弁当だけ庭で食べていたじゃない。
「そうじゃなくって、ぼくだけ一人でお弁当…」
一人きりだよ、パパもママもいなくて、ぼくだけ一人。
庭の真ん中で一人で食べていた気がするけど、夢だったのかな?
それともホントにやってたのかなあ、一人で食べてもつまらないような気がするんだけど…。
「ああ、あれね」
食べていたわね、って微笑んだママ。
ぼくはホントに一人で食べてたみたいだけれども、どうして一人?
「ママ、ぼくが一人で食べたがった理由、知ってるの?」
ぼくは全然思い出せないけど、ママはどうしてなのか知ってる?
「ええ、知ってるわよ。一人でなくっちゃ駄目なんだよ、って言っていたもの」
パパやママが一緒じゃ駄目だって言って、お弁当を持って出て行くの。
そうしてネズミさんを探していたわよ、庭に座って。
「ネズミ?」
「そうよ、おにぎりを分けてあげなくちゃ、って」
「えっ…?」
なんでおにぎり、ってビックリしちゃった、ぼくだけれども。
思い出しちゃった、ネズミのお話。
幼稚園で聞いて来たのか、それとも絵本を読んだのか。ネズミの国に出掛けたお爺さんのお話。
(おにぎりを落っことすんだっけ…)
おむすびころりん、っていう話だった?
お爺さんが落としたおにぎりがコロコロ転がって行って、ネズミの巣穴に落ちちゃって。
追い掛けて巣穴に入ったお爺さんは、おにぎりの御礼に宝物を貰って帰るんだった。
お爺さんみたいにネズミの国に行きたいな、って庭でお弁当を食べていたぼく。
ネズミが喜ぶのはおにぎりだから、って必ずおにぎりを入れて貰った。
そうだったっけ、と鮮やかに蘇って来た記憶。
おむすびころりん。
そういうお話だったと思う。
ママもお爺さんの話は知ってて、悪いお爺さんのことも覚えてた。
宝物を貰ったお爺さんのことが羨ましくって、ネズミの巣穴におにぎりを押し込んだお爺さん。欲張りなお爺さんは酷い目に遭って、宝物も貰えないっていう結末。
ぼくはおにぎりを押し込むつもりは全く無くって、ネズミが来るのを待っていただけ。
おにぎりが好きなネズミが出て来て、下さいと頼んでくれないかな、って待っていただけ。庭は平らでおにぎりは転がって行かないから。落っことしたって転がらないから。
「ブルーはネズミさんの宝物が欲しかったわけじゃないみたいね?」
宝物の話は聞かなかったわ、ママは一度も。
ネズミさんを待っているんだよ、って言っては一人で出掛けて行くのよ、おにぎりを持って。
「うん…。宝物はどうでもよかったんだよ」
ネズミの国に行ってみたかっただけ。
おにぎりをあげれば行けるんだよね、って庭でお弁当を食べていたのに…。
ネズミはとうとう来なかったみたい、ぼくの所へ。
「それはそうでしょ、ネズミの国に行って来たなら、ブルーは得意でお喋りするもの」
だけどママはブルーから聞いていないものね、ネズミの国のお話は。
いつ頃までやっていたのかしらねえ、庭で一人でお弁当。
「ママ、おにぎり」って何度も何度も頼まれたわよ。
「他のおかずは何でもいいから、おにぎりは絶対入れておいてね」って。
小さかったぼくの憧れだった、ネズミの国。
地面の下にある、ちょっと不思議なお伽話の世界に憧れてたんだ。
そこへ行こうと、せっせとおにぎり。庭で一人でお弁当。
(ぼく、頑張っていたみたい…)
何回くらいやっていたんだろう?
ママが覚えているくらいだから、幼稚園が無い日はいつもやってた?
自分のことだけど傑作だよね、って微笑ましくなる。部屋へ戻る途中も笑いが零れる。
(おむすびころりん…)
ぼくの家でコロコロ転がすんなら、階段くらいしかないんだけれど。
真っ平らな庭でおにぎりを食べながらネズミが来ないか待っていたなんて、流石は子供。部屋に入って窓から庭を見下ろしてみた。
小さなぼくが座っていたのはあの辺りかな、って。
おにぎりを持って、一人で座って、今日こそネズミさんに会うんだよ、って。
窓から離れて、勉強机の前に座って頬杖をついた。
(おにぎり…)
ママがぼくのために何個作ったか、何回くらい作ってくれたのか。おにぎりが入ったお弁当。
それを持って庭に座っていたのに、見付からなかったネズミの国。
とうとうネズミは来てくれなくって、行きそびれてしまったネズミの国。
(…行きたかったんだけどな、ネズミの国…)
身体が弱くてハイキングさえも滅多に行けないぼくだったけれど、冒険の旅がしたかった。家の庭から出発するなら、ネズミの巣穴に入るだけなら弱くても出掛けられるから。
行って来ます、って家の庭からネズミの国へ。
(おにぎりをあげて、巣穴に入って…)
宝物なんかはどうでもいいんだ、ネズミの国さえ見られたなら。冒険の旅が出来たなら。
だって、ちょっぴり英雄気分。
ネズミの国まで行って来たなら。地面の下まで出掛けてネズミの国を見たなら。
英雄になってみたかった、ぼく。
幼稚園でも胸を張って得意でいられる英雄になりたかった、ぼく。
(それどころじゃない英雄だったんだけど…!)
実は本物の英雄だった、誰もが知ってる大英雄だった、チビのぼく。
ぼくじゃなくって、前のぼくだけど。
ソルジャー・ブルーを知らない人なんて誰もいなくて、世界を救った大英雄。正真正銘、本物の英雄、今の世の中、英雄と言えばソルジャー・ブルー。
あの頃のぼくはネズミの国へ出掛けるどころか、星から星へだって飛んで行けてた。生身で宇宙空間を駆けて、とんでもない距離でも一瞬で飛べた。
だけど今のぼくは…。
(おにぎりでネズミの国が限界…)
自分の力で行くんじゃなくって、ネズミの国からの御招待待ち。
招待して貰うために渡すおにぎりだってママのお手製、ぼくが作ったわけじゃない。
なんとも情けない英雄。
しかもそうやって行くつもりだったネズミの国すら行けていないし…。
あまりにも情けなさすぎるかも、って思っていたら、チャイムが鳴って。
窓に駆け寄ってみたら、やっぱりハーレイ。ぼくの恋人。前のぼくだった頃からの恋人。
そのハーレイが部屋に来てくれて、ママがお茶とお菓子を置いてってくれたテーブルを挟んで、二人、向かい合わせ。
もしかしたらハーレイも小さな頃におにぎりを庭で食べていたかも、って気になったから訊いてみることにした。
「ハーレイ、ネズミの国って探した?」
小さかった頃におにぎりを持って、ネズミを探していなかった?
「はあ?」
なんだ、それは。小さかった頃というのはともかく、おにぎりだとか、ネズミだとか。
「おむすびころりん…。ハーレイ、知らない?」
おにぎりを落としたらネズミの国に行けるんだよ。おにぎりの御礼に呼んで貰えるって…。
「ああ、あれか。お爺さんがおにぎりを落とす話だな」
お前、ネズミを探してたのか?
あの話みたいにネズミの巣穴に入ってみたくて、おにぎりを持って探していたのか?
「うん。まだ幼稚園に行ってた頃に…」
ぼくの家の庭で探してたんだよ、ネズミがいないか。
会えたら御馳走してあげなくちゃ、って庭で一人でおにぎり食べてた。
おにぎりが入ったお弁当だよ、おかずは何でも良かったんだけど、おにぎりは必ず要るんだよ。
ネズミにあげるには、おにぎりが無くちゃ。
「おにぎりを一人で食っていただと? いや、おにぎり入りの弁当か…」
チビが一人で弁当だなんて、そこまでして行きたかったのか?
ネズミの国に行きたかった理由を聞きたいもんだな、出掛けて行って何をするんだ?
「別に何も…。行ければいいな、って思っただけだよ」
ネズミの国まで行って来たなら英雄でしょ?
地面の下の世界で冒険なんだよ、家の庭から冒険の旅に行ったんだよ、ってみんなに自慢できるもの。身体の弱いぼくでも、冒険。
「なんだ、宝物を貰いに行くんじゃないのか」
てっきりそうかと思ったんだが、宝物はどうでもいいんだな?
ネズミの国に行くことが大事で、冒険したかっただけってわけだな。
「そう。行って来た証拠に何か欲しいけど、それで充分」
宝物までは要らないよ。ネズミの国に行って来ました、って分かる何かがあればいいんだ。
「欲の無い奴だな、せっかく出掛けて行ったのに…」
まあ、幼稚園くらいの子供だったらそういうものかもしれないが。
宝物よりも先に冒険かもなあ、別の世界を見に行けるだけで充分なのかもしれないな。
「ハーレイは?」
一人でお弁当、食べてなかった?
おにぎりを持って、家の庭で一人。
「俺は一度もやっていないな。いや、庭で一人で弁当を食ったことはあるかもしれないが…」
そもそもネズミを探していない。
ネズミの国に行こうと思っていないし、ネズミにおにぎりをやろうとも思っていなかったな。
「そうなの?」
おにぎりをあげたらネズミの国に連れてって貰えるのに…。ハーレイ、おにぎり、あげないの?
「ネズミにプレゼントするつもりは無い」
握り飯は自分で食うもんだ。俺の好みの具が入ってれば尚更だな。
ただの塩おにぎりにしたって、俺の弁当なんだから。
なんでネズミにくれてやらんといかんのだ。うっかり地面に落としたのなら仕方がないが…。
お前が言ってる話にしたって、おにぎりがネズミの穴に落っこちたのは偶然だろうが。
握り飯をネズミの巣穴に無理やり押し込んじまったら駄目なんだぞ。
ネズミを探してプレゼントとなると、お前、おにぎり、押し付けてないか?
「…そうなのかも…」
だからネズミは来なかったのかな、おにぎりなんか要らないよ、って。
間に合ってます、って断られたかな、ぼくのおにぎり…。
「そうなんじゃないか?」
連れてってくれ、と用意したなら、そいつは巣穴に押し込んでるのと変わらんだろう。
小さかったお前は気付いてなくても、ネズミにしてみりゃ押し売りだってな。
おにぎりをやるから迎えに来い、と偉そうに言われても出てはこないさ。
「そんなつもりじゃなかったんだけど…」
親切の押し売りをやってたのかな、あの頃のぼく。
おにぎりを用意してネズミが来るのを待っていたなら、立派に押し売り?
「でなきゃ罠とも言うかもしれんな、ネズミ用の罠」
おにぎりが餌で、そいつを食ったら案内するしかないっていう罠。
チビの頃のお前を自分の国まで、どうぞいらして下さいとな。
「押し売りどころか罠だったの、あれ?」
なんだか自分が悪者みたいな気がして来たよ。悪いお爺さんと変わらないほど酷い欲張り。
「いいんじゃないか? 小さな子供はそんなもんだろ」
自分が王様みたいなもんだ。思い込んだら一直線だし、そいつはそいつで可愛いじゃないか。
おにぎりを食え、って庭でふんぞり返っていてもな。
どうやらネズミに向かって押し売りをやっていたらしい、ぼく。
おにぎりを食べに出て来たら最後、ぼくを案内しなくちゃいけない罠を仕掛けたらしい、ぼく。
それじゃネズミは来てくれないよね、って自分に溜息が出そうだけれど。
(おにぎり、真剣だったんだけどな…)
押し付けた気持ちは全く無くって、押し売りでも罠でも何でもなくて。
ネズミの国に行ってみたいよ、って思ってだけで、ネズミを困らせるつもりなんかは…。
(でも、連れてってくれ、って頼んでるなら困っちゃうかも…)
あんなに何度も用意したのに、無駄だったらしいぼくのおにぎり。
ママが作ってくれたおにぎり。
お弁当に詰めて、これが大事だと庭で一人で食べてたおにぎり…。
(…おにぎり?)
其処で初めて気が付いた。
ハーレイはなんて言ったっけ?
握り飯とも言っていたけど、確か…。
「ハーレイ。ねえ、ハーレイもおにぎりだよね?」
「はあ?」
なんだ、って鳶色の瞳が丸くなったから、「おにぎりだよ」って繰り返した。
「おにぎりの名前。ハーレイもおにぎりって言っていたでしょ?」
おむすびって言うんじゃなくて、おにぎり。ぼくもおにぎりって呼んでいるけど…。
「ああ、握り飯の呼び方か。おにぎりと呼ぶか、おむすびと呼ぶか」
今じゃどっちでもいいみたいだなあ、好みで呼んでいるんじゃないか?
ただし、おむすびころりんの話。
あの話を「おにぎりころりん」と呼んだ奴には、お目にかかったことが無いがな。
「それじゃ、元々はおむすびなの?」
おむすびって呼ぶのが正しかったの、ずうっと昔は?
おにぎりじゃなくて、おむすびだった?
「そうと決まったわけでもないが…。おむすびころりんの話が出来た頃には、だ」
おむすびと呼ぶ時は形が決まっていたそうだ。
よくある三角形のおにぎり、あの形だけがおむすびだ、とな。
「へえ…!」
三角形のおにぎり、転がりにくい形だと思うんだけど…。
それがコロコロ転がったんなら、ネズミの巣穴に落っこちたなら。
ホントに凄い偶然なんだね、小さかったぼくが庭で待ってもネズミは来なくて当然だよね。
うーん…、と自分の欲深さを思い知らされた、ぼく。
宝物が欲しかったわけじゃなくても、ネズミの国に案内してよ、って言ってるだけでネズミからすれば充分に迷惑だっただろう。
家の庭でお弁当を広げてるだけのチビが「連れて行って」って待っているんだから。
ネズミの国に行ってみたくて、冒険したくて待っているチビ。
そんなのを案内しなくちゃいけない義理なんか無いし、ネズミは笑って見ていただろう。
今日も馬鹿なチビがお弁当を一人で広げてるよ、って、おにぎりを用意しているよ、って。
英雄になりたくて頑張るチビだと、今日も一人でお弁当だと。
(…英雄どころか間抜けだったよ…)
ネズミにさえ鼻で笑われてしまうか、迷惑がられただろう幼稚園時代の小さなぼく。
前のぼくなら大英雄なのに、ネズミの国を旅した英雄にさえもなれなかった、ぼく。
そんなぼくが一人で庭で食べてた、大事なおにぎり。
お弁当に必ず入れて貰った、ママのおにぎりなんだけど…。
「ハーレイ。前のぼくたちの頃には無かったね」
御飯を握って作るおにぎり。白い御飯を食べる時代じゃなかったものね。
「うむ。そういう文化が無かったからな」
おにぎりも無ければおむすびも無いな、三角形をした一番有名なヤツでさえもな。
海苔だって無い時代だったし、おにぎりなんかは作りようがない世界だったんだなあ…。
「今じゃおにぎり、普通なのにね」
お弁当って言ったら、おにぎり。
普通の御飯を入れていた子もたまにはいたけど、小さい頃には大抵、おにぎり。
家によって形は色々だったし、入ってる具だって色々だけれど…。
でも、お弁当の定番だよ?
ぼくがネズミにあげたかった時は、ママがサンドイッチとかを作っちゃったら困るから注文しただけで、御飯が入るお弁当だったら普通はおにぎり。
学校に入ってもお弁当の時はおにぎりが多かったかな。
「俺はお前くらいの年になっても、おにぎりを持って学校に行ってたもんだが?」
食堂が開く昼休みまでは腹が持たんからなあ、弁当だったり、おにぎりだったり。
そいつを休み時間に食うんだ、お前のクラスにもそういう生徒がいるだろう?
おにぎりの日の俺のおにぎりは大きかったぞ、なにしろ弁当の代わりだからな。
このくらいだ、ってハーレイが両手の親指と人差し指で作ってみせた三角形。
ハーレイの手も大きいけれども、その手が示したおにぎりもビックリするほど大きい。ぼくなら半分も食べられやしない、と思ったのに、ハーレイはそれを二個だって。
大きすぎるおにぎりに具を詰めて貰って二個持って、そして学校へ。お昼休みまでの休み時間に二つとも食べて、お昼はもちろん食堂で食べていたっていうから凄すぎる。
しかも大きいだけじゃない。御飯をギュウギュウに固めたおにぎり、それが二個。お昼御飯とは別に二つも、そのおにぎりを持ってない日はお弁当。
(ハーレイ、大きく育つ筈だよ…)
前のハーレイは何を食べて大きく育ったんだろう、って気になるほど。
だけど、その話は訊いちゃいけない。
前のハーレイの記憶は機械に消されて残っちゃいないし、成人検査よりも後に育った分の栄養は餌から摂ったに決まっているから。不味くても栄養だけは満点だった餌のオーツ麦のシリアル。
でも、シリアルで大きく育つためには基礎になった頑丈な身体がある筈。
その身体を作ったお弁当や食事は、前のハーレイを育てたお母さんが作ったんだろう。
あの頃だったらサンドイッチか、それともランチボックスを余計に持たせていたか。
気になるけれども訊いちゃいけない、訊いてもハーレイは答えられない。
(だって、覚えていないんだもの…)
もしも訊いたら、ハーレイだって悲しくなるに決まってる。思い出せない、って。
だから質問を変えなくちゃ。
同じ訊くなら、楽しいことを。ハーレイが笑顔で答えられることを。
せっかくなんだし、やっぱり、おにぎり。
「今のハーレイも、そんなおにぎり食べてるの?」
うんと大きな、そのおにぎり。今でもたまには食べてたりする?
「親父と一緒に釣りに行くなら、持って行ってることもあるなあ」
「お弁当に?」
「いや、おやつだ。釣りってヤツは朝が早かったりするからな」
弁当を持って出掛けて行っても腹が減る。
そういった時には握り飯だな、昼飯までに出して食うんだ。釣りをしながら片手で食えるし。
「釣りの途中に食べてるんなら、ハーレイ、ネズミに会えそうだね」
おにぎりを落っことしちゃって、コロコロ転がって行くんだよ。
ネズミの巣穴にコロンと落ちたら、ハーレイ、ネズミの国に行けるよ。
「俺のおやつだぞ、おやつは自分で食うもんだ。落としてたまるか」
腹が減るだろうが、それにおにぎりもネズミにくれてやるにはもったいない。
「もったいないって…。ハーレイのおにぎり、上等なの?」
ネズミには分けてあげられないほど、上等な中身が詰まってる?
いいお肉で作った時雨煮だとか、新鮮なイクラがたっぷりだとか。
「そこまで具には凝っちゃいないが、釣りに持って行く時の握り飯にはこだわってるのさ」
俺のはクラシックスタイルなんだ。握り飯じゃなくて入れ物がな。
「えっ?」
何か特別なお弁当箱?
おにぎり専用っていうのがあったりする?
「特別と言えば特別だな。弁当箱の売り場には置いてないからなあ、竹の皮」
「竹の皮?」
「タケノコは知っているだろう? あれの皮だな」
竹が生えてくる時に被っている皮。そいつを使って包むんだ、俺は。昔の人の知恵だってな。
「なんで?」
おにぎりを包むのに丁度いい大きさとか幅のものなの、竹の皮って?
「そういった面ももちろんあるがだ、殺菌作用がバッチリなんだ」
衛生面で優れてるんだな、昔の人がどうやって見付け出したかは知らないが…。
ついでに雰囲気もいいだろう?
竹の皮の包みを開いて食うには、釣りに出掛けるような野外が一番似合っているからな。
「それ、食べてみたい…!」
竹の皮に包んだおにぎり、食べてみたいよ。一度、作って持って来てよ。
「いつかはな」
俺の自慢の具を入れて、お前が食べられそうなサイズに握って。
ちゃんと竹の皮に包んでやるがだ、まだまだ当分、先のことだな。
「おにぎりのお土産も駄目なの、ハーレイ?」
「当然だろうが。おにぎりといえども、俺が作って包む以上は俺の手料理になるからな」
お前のお母さんの手前もあるから、おにぎりは駄目だ。諦めるんだな。
「そんな…!」
御飯を握るだけじゃない!
握って固めて海苔を貼るだけでも手料理になるの、ただの御飯の塊なのに…!
酷い、って頬を膨らませたけど、ハーレイは聞いてくれなくて。
駄目なものは駄目だとしか言ってくれないから、ぼくはプウッと膨れたままで。
「おにぎり、結婚してからなの?」
でなきゃ婚約するまで駄目なの、ちょっと御飯を握って固めるだけなのに…。ハーレイのケチ!
「ケチと言われても、そこは譲れん。その代わり、いずれ美味いのを作ってやるから」
それまで待ってろ、俺のおにぎり。
「どんなおにぎり?」
「そうだな、焼きおにぎりとかもいいなあ」
醤油でもいいし、味噌でも美味い。焼き立ては実に美味いんだぞ。
「ホント!?」
ハーレイがおにぎり焼いてくれるの、御飯を固めるだけじゃなくって?
「ああ。そして竹の皮に包んだおにぎりってヤツもやろうじゃないか」
俺の分はデカイ包みで、お前の分は小さめで。そいつを二人で並んで食おう。
「何処で?」
「親父と釣りに行く時だ。お前も連れて行ってやりたいと何度もうるさく言っているしな」
「わあっ…!」
それじゃ何処かの山の中かもしれないね。
おむすびを落としたらネズミの巣穴にコロンと転がって入っちゃいそうな、山の中。
竹の皮の入れ物が似合いそうだね、そういう所で食べるおにぎり。
ハーレイと二人で並んで座って、おにぎりを食べながら釣りなんだね…!
小さかったぼくが庭で待ってたネズミに出会えそうな、いつかハーレイと釣りに行く場所。
ハーレイのお父さんが連れてってくれる、きっと何処かの山の中。
竹の皮で包んだおにぎりを持って出掛けて行くけど、ちゃんとおにぎり、持ってるけれど。
でも、おにぎりは落とさない。
間違ったって落としやしないし、しっかり掴んで食べなくちゃ。
だって、ハーレイが作ってくれたおにぎり。
ネズミなんかにはあげられないんだ、ぼくの大事なおにぎりだから…。
おにぎり・了
※幼かった頃のブルーが行こうとしていたネズミの国。子供らしい夢ではあります。
いつかはハーレイが作ってくれた「おにぎり」を持って二人でお出掛け。素敵ですよね。
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