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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

バナナミルク

(今じゃ美容にいい飲み物か…)
 そういう時代になったのか、とハーレイは新聞の記事に苦笑を漏らした。
 たまたま開いた紙面にバナナミルク。黄色いバナナの写真とセットでレシピがあった。美容に、美肌にバナナミルク。今は秋だけれど、その後に迎える寒い季節はホットでどうぞ、と。
(まあ、あの時代でも、人類にとっては美容にいいものだったかもしれないが…)
 そっちの方までは分からないな、と前の自分が生きた時代を思い出す。
 成人検査に脱落した後、実験動物として押し込められていた地獄のような研究所。それが在った星ごとメギドの炎に焼かれる所を辛くも脱出、シャングリラでの生活が始まったけれど。
 後に白い鯨へと変身を遂げた船は楽園だったけれども。
 その楽園は閉ざされた世界で、外の世界は情報が入るだけだった。しかも傍受していた通信で。
 そんなわけだから、人類たちがバナナミルクをどう扱ったかまでは分からない。
 美容にいいと思って飲んだか、あるいは単なるバナナから出来た飲み物だったのか。
 しかし…。



(こいつを飲まされていたんだがな?)
 人類の方の事情はどうあれ、前の自分はバナナミルクを飲んでいた。より正確に表現するなら、この飲み物を飲まされていた。
(嫌いってわけではなかったんだが…)
 今と同じで好き嫌いなど全く無かったのだし、苦手だったというわけでもない。
 けれど「飲まされていた」バナナミルク。「飲んでいた」のとは事情が違う。
(うん、明らかに俺の意志ではなかった)
 シャングリラで飲んでいたバナナミルク。レシピは新聞に載っているのと同じだろう。
(さて、あいつは…)
 ブルーは覚えているのだろうか、シャングリラのバナナミルクのことを。
 キャプテン・ハーレイだった自分が「飲まされていた」バナナミルクのことを?
 忘れているかもしれないな、とクッと小さく喉を鳴らした。
(懐かしのバナナミルクってヤツか…)
 明日は土曜だから、ブルーの家に行く日だから。
 バナナを持って出掛けてゆくか、と考える。
 少し早めに家を出て。朝早くから営業している、馴染みの近所の食料品店で買って。



 忘れないようにと切り抜いておいた、バナナミルクが載った記事。
 次の日の朝、テーブルの上に見付けたそれに「よし」と大きく頷いた。今日はバナナだと、寄り道をしてバナナを買うのだと。
 晴れ上がった絶好の散歩日和。
 朝食を済ませてブルーの家へと向かう途中で、食料品店に足を踏み入れた。通い慣れた店だから果物の売り場は直ぐ分かる。其処にドッサリと積まれたバナナ。
(…こんなものかな)
 目当ての品を抱えてレジへと向かった。他に買い物をしないのだから籠は要らない。
(ミルクはあいつの家にあるしな)
 小さなブルーが毎朝飲んでいるミルク。背丈を伸ばそうと、せっせと飲み続けているミルク。
 その銘柄を聞かされて以来、ハーレイが買うミルクもそれへと変わった。
 幸せの四つ葉のクローバーのマークが瓶に描かれた、そのミルクへと。
 前の生ではブルーも自分も一度も見付けられずに終わった四つ葉のクローバー。それが描かれた瓶は嬉しい。ブルーと同じミルクというのもそうだけれども、幸せの四つ葉のクローバー。
(今度の俺たちは四つ葉を見付けられるんだしな?)
 幸せになれる、とクローバーも保証してくれた。だから四つ葉のクローバーのマーク。今度こそブルーと幸せになろうと、願いをこめて四つ葉のクローバーのマークのミルク。
 もっとも、小さなブルーの方では、同じミルクにこめる願いが違うのだけれど。
 伸びてくれない背丈が少しでも早く伸びるようにと、ミルクに願っているのだけれど。



 バナナが入った食料品店の袋を提げて、ブルーの家まで歩いて出掛けた。
 門扉の横のチャイムを鳴らすと、二階の窓から手を振るブルー。そちらに大きく手を振り返していれば、ブルーの母が門扉を開けに出て来たから。
 手にした袋の中身を見せて、今日の飲み物の注文を。
 それに要るだけのバナナを渡して、残りのバナナはブルーの部屋へと持ち込んだ。ブルーの母が部屋を出て行った後で、食料品店の袋から取り出して。
「土産だぞ」
 ほら、とテーブルに置くと、ブルーが「バナナ?」と目を丸くした。
「美味しいの、これ?」
 お土産だなんて、何か特別なバナナ?
 そう訊いてから、バナナが房から折り取られた跡に気付いたようで。
「んーと…。ハーレイが買って美味しかったから、残りはぼくにくれるとか?」
「まあ、待ってろ。お母さんがもう一度、来る筈だからな」
「そういえば、お茶が…」
 まだ来てないね、と首を傾げるブルー。
 ハーレイの好物のパウンドケーキを載せた皿はテーブルの上にあるのに。
 いつもだったら、飲み物と菓子は間をおかずに揃う筈なのに。



 暫く二人で談笑する内に、部屋の扉をノックする音。
 ブルーの母がトレイを手にして現れた。カップが二つ載っているけれど、ソーサーつきのカップではなくてマグカップ。ティーカップほど気取らないカップ。
「ハーレイ先生、お待たせしました」
「すみません、お手数をおかけしまして…」
「いいえ、何でもありませんわ。それにバナナもわざわざお持ち下さって…」
 お菓子がパウンドケーキですから、ホットの方が合いますでしょう?
 どうぞ、と母がテーブルに置いて行った二つのカップ。湯気を立てているマグカップ。
「…バナナミルク?」
 なんで、とブルーが二つのカップを交互に眺める。カップの中身はバナナミルクだと、見た目と香りで分かるから。甘いバナナの香りがするから。
「こいつとバナナで思い出さんか?」
「何を?」
 バナナミルクとバナナって…。ピンと来ないよ、何の意味があるの?
「俺に飲ませていたんだが、お前」
 いわゆるバナナミルクってヤツを。散々飲ませてくれたんだがな…?
「えっ?」
 ぼくがハーレイにバナナミルクを?
 飲ませていたって、それ、いつの話?



 小さなブルーはやはり覚えていなかった。
 前の自分がハーレイに飲ませたバナナミルクを、何度も飲ませていたことを。
 ハーレイは「忘れちまったか?」と片目を瞑ってみせる。
「いつの話かと訊かれれば、そりゃあ…。今じゃない以上は決まっているだろ?」
 シャングリラさ、前の俺たちの頃だ。
 ついでにバナナにも意味があるんだぞ、こうして持って来たからにはな。覚えていないか、この果物。バナナはただの果物ってわけではなくてだな…。
 今も昔も、バナナはミラクルフルーツなんだが?
「ああ…!」
 思い出したよ、その名前で。
 バナナはミラクルフルーツだっけね、凄い果物だったんだっけね…!



 遠い昔に在ったミュウたちの楽園、シャングリラ。
 自給自足で暮らせるようになった時点で、果物も栽培していたけれども。
 是非ともバナナを加えたい、とヒルマンが長老たちを集めた会議で提案した。バナナは栄養価の高い果物で、ミラクルフルーツと呼ばれるほどだと。
 人間が必要とする栄養素を多く含むことでは、他の果物の比ではないのだと。
「ふうん…? バナナはそういう果物なのかい?」
 どうも今一つ分からないね、とブラウが言えば、ゼルも続いた。
「たかがバナナじゃと思うんじゃが…」
 ブルーが物資を奪っていた頃には何度も食ったが、特別という気はしなかったわい。皮を剥いて簡単に齧れる点では、リンゴなどより手間要らずじゃがな。
「それがだね…。本当にミラクルフルーツなのだよ、バナナなるものは」
 こういう具合で、とヒルマンが出してきた資料に記されたバナナの栄養価の高さ、含まれる成分などは説得力に満ちたものだった。バナナは凄いと、他の果物とは違うのだと。



 そうした経緯で、バナナの栽培が決まったけれど。
 普通の温度では駄目だから、と温室が設けられて他の果物も一緒に育てたけれども、温室の主はあくまでバナナ。ミラクルフルーツと呼ばれるバナナ。
 ブルーが人類の世界から奪ったバナナの苗木は大きく育って、やがて実を結んだ。バナナの実が連なった房がズシリと実った。
 最初の間は数も少ないから、希望者に分配していたけれど。
 バナナの栽培が軌道に乗ったら、ソルジャーのブルーが優先だった。分配よりも先に、ブルーに一本。ソルジャーのために、と青の間に一本、届けられるバナナ。



 何ゆえにブルーが優先なのか。バナナが一本、届けられるのか。
 ブルー自身にも謎だったから、ある日、一日の報告のためにと青の間に来たハーレイに問うた。
「どうしてバナナはぼくが優先になるんだい?」
 こうして一本貰わなくても、他の果物とセットにしたなら少ない量で済むと思うんだけれど。
 カットフルーツの盛り合わせでいいと思うし、そのフルーツだって特に貰わなくても…。
 困りはしない、とブルーは言った。フルーツ無しでも問題はないと。
 しかし、ハーレイが返した答えはこうだった。
「いえ、バナナはヒルマンも言っていた通り、栄養価の高い果物ですから」
 ミラクルフルーツと呼ぶほどなのです、ソルジャーの分が最優先です。
 ソルジャーのお力があったお蔭で、今のシャングリラがあるのです。これから先も色々とお力をお借りしなければならないでしょう。ですから、栄養をつけて頂かないと。



 収穫の度に一本お届け致します、とハーレイは伝えておいたのだけれど。
 その言葉通り、バナナが採れると青の間に届けられたのだけれど。
 ある日、ハーレイが仕事を終えて青の間へ報告に出掛けて行ったら。
「ハーレイ、これ…」
 手つかずのバナナがテーブルの上に置かれていた。バナナを載せて届けたのであろう白い皿の上に、黄色い皮を剥かれもせずに。
「お召し上がりにならなかったのですか?」
 今日はバナナを召し上がりたい御気分ではなかったのでしょうか、では、明日はバナナをお届けしないようにと言っておきます。このバナナは明日、お召し上がり下さい。
「明日って…。いいんだよ、明日も貰っておくから」
 でも…、とブルーはバナナの皿をハーレイの方へと押しやった。
「このバナナはぼくが食べるんじゃなくて、君が食べればいいと思って…」
「私がですか?」
「君は貰っていないだろう、バナナ」
 キャプテンは余った時に貰えばいいと言って断っているのを知ってるよ。
 でもね、バナナが必要なのは君の方だよ、ぼくよりもね。
 今のぼくに仕事は無いに等しいけど、キャプテンの君は大忙しだ。ブリッジでも、他の所に居る時も。船の中の出来事は最終的には君の所へ行くのだから。
 君の方が明らかに激務だよ。ぼくなんかよりも、ずっと。
 だからバナナは君が食べるべきだ、とブルーはバナナを差し出した。
 君のために食べずに残しておいたと、これを食べて栄養をつけるようにと。



 せっかくのブルーの厚意だから、とハーレイは有難くバナナを貰って食べた。ブルーが嬉しげに見守っている中、黄色い皮を剥いて熟れたバナナを。
 そのバナナはとても美味しかったけれど、一度きりだというつもりだった。明日からはブルーが食べるであろうと、たまにはこうした贅沢もいいと。
 ところが、翌日の勤務を済ませて報告にゆけば、同じように置かれていたバナナ。キャプテンのために取っておいた、と丸ごと残っていたバナナ。
「ハーレイ、今日も一日お疲れ様。このバナナは君のものだから」
 食べて、と何度も勧められては断れない。今日くらいは、と自分に言い訳しながら食べたのに、翌日も置かれていたバナナ。
 今度の収穫はそれで最後だと分かっていたから、固辞したけれど。
 このバナナはブルーのものなのだから、と食べずに帰ろうとしたのだけれども、ブルーの方は。
「それじゃ、このバナナは持って帰って」
 明日の朝にでも部屋で食べるといいよ。バナナは身体にいいんだろう?
 君こそバナナを食べるべきだよ、ぼくなんかよりね。



 半ば強引に食べさせられてしまったバナナ。ソルジャーのためにと届けられた筈が、ハーレイの胃袋に収まったバナナ。
 それが全ての始まりだった。次からバナナが青の間に一本届けられる度に、ブルーは必ず残しておいてはハーレイに食べるようにと勧めた。自分では食べず、ただハーレイにと。
「ソルジャー、これではバナナをお届けする意味が…」
 お身体のためにと、ソルジャーの分のバナナを優先で確保しておりますのに。
 それを私が食べていたのでは、何の役にも立たないのですが…。
「いいんだよ。君の方が遥かに忙しいから」
 暇なソルジャーなんかよりも、余程。
 身体のためだと言うのだったら、なおさら君が食べなきゃならない。キャプテンも身体を大切にしないと、君の代わりはいないんだからね。
「ですが…」
 ソルジャーの代わりになれる者こそ、この船には一人もいないのですが…。
 ですから、バナナはソルジャーがお召し上がりになるべきだと私は考えますが…。
「ぼくの出番なんか、今は無いにも等しいんだけどね?」
 でも、キャプテンの君はそうじゃない。
 君がいないと船の進路すらも危ういものだよ、だからバナナを食べるのに相応しい人間は君だと思っているんだけどね…?



 まだ恋人同士にはなっていなかったけれど。
 勧められたバナナを食べないとブルーがへそを曲げるから、やむを得ず食べていたバナナ。
 けれども、ブルーの口にはバナナが入らない。何度バナナを届けさせても、ハーレイのためにと皮も剥かずに取っておくのがブルーだから。
 ミラクルフルーツの名を持つバナナ。栄養豊富な果物のバナナ。
 ブルーにこそ食べて貰いたいのに、収穫の度にバナナはハーレイの所に回ってくるから。
(どうしたものか…)
 このままにしておくのは流石にまずい、とハーレイはヒルマンの部屋を密かに訪ねた。
 実はこうだと、ブルーはバナナを全く食べてはいないのだと。



「そういうことになっていたとは…」
 無理に言っても食べないだろうね、我々が直接進言しても。
「恐らくは」
 それで食べるなら、何度かに一度は自分で食べているだろう。私も何度も言ったのだから。
 しかし、どうにも食べてくれない。
 何とかして食べて貰いたいのに、必ずバナナを譲られるんだ。
「ふうむ…。ならば、こうすればいいのではないかね?」
 バナナの形で一人分だけ届けているから、君の所へ回ってしまう。
 届け方を変えればいいのだよ。
 バナナミルクを食堂で出しているだろう?
 あれはバナナを増量するための飲み物ではあるが、バナナの栄養を一番効率よく摂れるものでもある。バナナとミルクを組み合わせるとだ、人間が必要とする栄養素を全て摂れるらしいね。
 ブルーがバナナを全く食べていないなら、一本のバナナで出来るバナナミルクの半分でも充分と思うべきだろう。
 次からバナナは一本をそのままの形ではなくて、バナナミルクにして届けさせよう。それならば量も調節出来るし、二人分になるように作らせてね。



 かくして、次に採れたバナナはミルクと砂糖を加えたバナナミルクになった。
 青の間に届けられたそれにブルーは驚いたけれど、元のバナナに戻ってくれはしないから。その夜、報告に訪れたハーレイに、冷蔵しておいたバナナミルクの容器を見せた。
「ハーレイ、バナナがこんな飲み物になってしまって…」
 一応、残しておいたけれども、これをどうすればいいんだろう?
 君が飲むかい、グラスに二杯分はあるようだけれど。
「なるほど、早速届きましたか、バナナミルクが」
 ヒルマンが手配をしたようですね。それだけの量でバナナが一本分ですよ。ミルクで量の調節が出来ると言っていましたし…。その量は二人分ですよ。
「二人分って…。ハーレイ、ヒルマンにバラしたわけ?」
 ぼくはバナナを食べていないと、ハーレイに譲っているんだと。
 それでこういうバナナミルクで、二人分に変えられてしまったわけ…?
「はい。ソルジャーのご健康は大切ですから」
 全くお召し上がりにならないよりかは、半分でも食べて頂かねばと…。
 それにバナナはミルクと組み合わせるのが一番効果が大きいそうです、ですからバナナミルクをお届けすることになりました。
 二人分です、これでソルジャーも私もバナナを食べられるようになったのですよ。



 そんな形で始まった、二人分のバナナミルクの配達。
 バナナが採れるとブルーの分が最優先なことは変わらなかったが、一本を丸ごと届ける代わりにミルクを加えてバナナミルクに。ほどよい甘さの味になるよう、砂糖も加えて。
 青の間に届くバナナミルクをブルーは夜まで冷蔵しておき、報告に訪れるハーレイに飲ませた。届いてからの時間を考えれば一人で全部を飲めるだろうに、夜まで器を開けもせずに。
 二つのグラスに注ぎ分けられて、「飲んで」とハーレイの前に出されたバナナミルク。栄養価が高いのだから飲んでおくべきだと、キャプテンは激務なのだからと。
 そうして二人でバナナミルクを飲んでいた。
 時には冷たいバナナミルクをハーレイがキッチンで適温に温め、ホットにもして。



「そっか、ハーレイにバナナミルク…」
 飲ませていたっけ、これは栄養があるんだから、って。届く度に夜まで残しておいて。
「うむ。バナナの生産量が安定するまで、アレだったろ?」
 俺の所までバナナが一本、ちゃんと届くようになるまでは。
 お前、いつでもバナナミルクを取っておくんだ、一口も飲まずに律儀にな。
「そうだっけね…。せっかくのバナナミルクなんだし、二人で分けよう、って…」
 バナナだったら丸ごと残しておいたんだけどな、ハーレイがバナナミルクに変えさせたから。
 二人で飲むしか道が無くって、ハーレイと一緒に飲んだんだっけ…。
「前の俺たちの思い出の味さ、バナナミルクは」
 お前がせっせと残していたなと、キャプテンは栄養を摂らなきゃ駄目だと。
「すっかり忘れちゃってたよ」
 ハーレイに会ってからバナナは何度も見てるんだけどな、バナナのお菓子も出てたのに…。
 だけど一度も思い出さなかったよ、バナナミルクもバナナを残していたこともね。
「忘れちまってた、という点に関しちゃ俺もだがな」
 昨日まで全く思い出さずに来たんだし…。
 新聞にバナナミルクのレシピが載っていなけりゃ、忘れちまったままだったろうな。



 今はバナナなんて珍しくもない果物だしな、とハーレイは笑う。
 食料品店に行けば果物のコーナーに山と積まれて選び放題、何本買うのも自由だと。
「シャングリラじゃ、全員に毎日一本ずつとはいかなかったんだがなあ…」
 バナナが沢山採れるようになっても、そこまでの量は無かったな。
「無理だよ、最後の方はあの船に二千人もいたんだから」
 一人一本だと、毎日バナナが二千本も必要になるんだよ?
 貯蔵しとけば一度に二千本を出せても、毎日だなんて絶対に無理!
「バナナの木が何本植えてあっても足りやしないな、一日に二千本ともなればな」
「好き嫌いのお蔭で助かったけどね、その点ではね」
 他の果物の方がいい、って人も少なくなかったから…。
 だから充分に足りていたんだよ、シャングリラのバナナ。
 わざわざバナナミルクに仕立てて増量しなくても、皮を剥いて食べられるバナナがね。



 バナナを好んで食べる者もいれば、そうでない者たちも暮らしていたシャングリラ。
 増量用にと作られていたバナナミルクはいつしか忘れ去られて、黄色いバナナが普通になった。黄色い皮を纏ったバナナが供され、剥いて食べるのが当たり前。
 ブルーの所へ優先的に届けられていたのも過去のこととなり、ハーレイも日常的にバナナを口に出来る日々。もちろんブルーも、気が向いた時に青の間にバナナを届けさせて。
「お前と恋人同士になった頃には、もう無かったなあ、バナナミルク…」
 バナナがあるのが普通の毎日になっちまっていて、あの飲み物はもう無かったんだよな。
 子供用に作ったりはしていた筈だが、もう青の間には無かったなあ…。
「そういえば…。それで忘れてしまったかな、ぼく」
 バナナミルクも、バナナのことも。
 何度も二人でバナナミルクを飲んだけれども、恋人同士じゃなかったものね。



 あれもハーレイとの思い出には違いないけど、恋人同士の思い出ってわけじゃないんだもの、とブルーがクスッと笑みを零した。
 まだお互いに友達同士で、友達のためにとバナナを残していたのだから、と。
 それではブルーがバナナを全く食べられないから、と登場した飲み物がバナナミルクで二人分。
 恋人同士で飲んだジュースなら忘れないけれど、友達同士では忘れるだろうと。
 バナナミルクを飲みながら交わした会話も友達同士の話ばかりで、恋の欠片も無いのだからと。



「さてなあ…。そいつはどうだかな?」
 バナナミルクじゃなかったとしてもだ、お前、あれこれ覚えているか?
 青の間でお茶を飲むと言ったら紅茶が定番だったわけだが…。
 今のお前が暮らしてる家のお茶も紅茶が多いわけだが、紅茶を飲む度に思い出がヒョコッと顔を出してはこないしな?
「ぼく、バナナミルク以外にも忘れていそう?」
 ハーレイと恋人同士になってから飲んだ飲み物のことだって忘れてるのかな、綺麗サッパリ。
 それを飲んでも思い出しもしないで、ゴクゴク飲んだりしているのかな…?
「お互いにな」
 俺だって昨日までバナナミルクを忘れていたんだ、他にも色々と忘れちまっているんだろうな。
 お前よりかは今の年が遥かに上になってる分、手掛かりってヤツも多そうなんだが…。
 飲んだ飲み物の種類が断然、多いしな?
 ただしだ、お前にはまるで飲めない酒ってヤツもだ、うんと沢山飲んだんだがな。
「前のぼくとハーレイ、どんなの、飲んでた?」
 お酒以外で、今でも普通に飲める飲み物。
 恋人同士になってから一緒に飲んだ飲み物、紅茶の他にはどんなのがあった?
 コーヒーとお酒は今のぼくでも駄目だから無しで、他に二人で飲んだ飲み物、どういうもの?
「おっと、そこまでだ」
 飲み物の話も悪くないんだが、そういった方向へ話が行くのは良くないな。
 お前が偶然、思い出したと言うなら仕方がないが…。
 そうでもないのに、どういう飲み物を飲んでいたかと訊かれても俺は一切喋らないからな?



 チビには恋の話は早いさ、とハーレイはバナナミルクが入ったカップを指差した。
 湯気が立っていたバナナミルクはもう冷めた上に、半分くらいに減っていたけれど。話しながら飲む間に減ったけれども、そのカップを。
 バナナミルクは身体にいいと、身体にいい飲み物を飲んで健康的にいこうじゃないか、と。
「健康的に飲んで健全な会話だ、チビにはそいつがピッタリだってな」
 丁度いいじゃないか、バナナミルクで。
 ミルクも入っているんだからなあ、こいつで背だって伸びるかもな?
「そうなるの?」
 健康的に話をしよう、ってバナナミルクになっちゃうの?
 そりゃあ、確かにバナナミルクは栄養があるから、って前のハーレイに飲ませていたけど…。
「そのバナナミルク。今は美容と美肌のための飲み物らしいが?」
 栄養よりも、そっち方面の効果を期待されているらしい。
 前の俺たちが生きてた時代も、人類にとってはそうだったのかもしれないがな。
 美容にいい、ってバナナミルクで、美肌を目指してバナナミルクってな。



「じゃあ、頑張る!」
 ぼく、頑張ってバナナミルクを飲むことにするよ、ミルクもいいけど。
 ハーレイがくれたこのバナナは全部、バナナミルクにして貰うんだ。ママに頼んで。
「はあ?」
 お前、頑張ってバナナミルクって…。どういうつもりだ?
 身体にいいとは確かに言ったが、バナナミルクに頼らなくてもバランスのいい食事をだな…。
「違うよ、身体には違いないけど…」
 ハーレイ、自分で言ったじゃない。今は美容と美肌だ、って。
 だから美容と美肌のためだよ、バナナミルクで頑張らなくっちゃ!



 ぼくはハーレイのお嫁さんになるんでしょ、とブルーはニッコリ微笑んだ。
 お嫁さんなら美人の方がいいに決まっていると、美容と美肌はそのためなのだと。
「ハーレイ、美人のお嫁さんは嫌?」
 美容と美肌で努力をしているお嫁さんより、そうじゃないお嫁さんがいい?
 だったら、バナナミルクを飲むのはやめておくけれど…。
「そう来たか…」
 どうせなら美人で美肌の嫁さんが欲しくないか、と言うんだな?
「うんっ!」
 そういうお嫁さん、ハーレイ、要らない?
 同じぼくでも、手を掛けた分は美肌になると思うんだけど…。
「なるほどなあ…。それなら美人の嫁さんがいいな、お前が努力をしてくれるならな」
 バナナミルクで頑張ってくれ。
 前のお前みたいに有無を言わさず押し付けやしないから、自分のペースでバナナミルクだ。
 うんと美人で美肌の嫁さん、俺は楽しみに待ってるからな。



 今度のブルーは目的がまるで違っているらしい、バナナミルクという飲み物。
 身体にいいからとハーレイに飲ませる暇があったら、ブルーが自分で飲むのだろう。
 美容のための飲み物なのだと、これで美肌を目指すのだと。
(うんうん、そうして嫁に来るんだ)
 今更そんな努力をせずとも、ブルーは充分、美人で美肌の筈なのに。
 前のブルーの姿からして、あれ以上はもう磨く余地などありもしないのに。
(しかし、こいつは頑張るんだな、バナナミルクで)
 そう思うと可笑しくて、そしてたまらなく愛おしい。
 バナナミルクで美容と美肌だ、とカップの中身を一気に飲み干す目の前の小さな恋人が…。




           バナナミルク・了

※シャングリラでバナナが貴重だった頃、前のブルーがハーレイに御馳走したバナナミルク。
 今では美容にいいそうですけど、美肌を目指すには、今のブルーはチビすぎますね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv







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