シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あちこち、赤い実…)
沢山あるよね、と小さなブルーが眺めた木の実。学校の帰り、バス停から家まで歩く途中で。
道の両側、赤い実をつけた木のある家が幾つも。庭だけではなくて、生垣にも。今は秋だから、木の実の季節。艶やかな赤やら、くすんだ赤。鮮やかな色も、濃い色合いも。
びっしりと赤い実が並ぶ生垣の木はピラカンサ。薔薇だって実をつけていたりする。わざとか、それとも花が咲いた後にウッカリ切り忘れたか。
(食べられる薔薇の実もあるんだよね?)
確かローズヒップ。母のお気に入りのハーブティー。綺麗な赤い色だけれども、ローズヒップも赤いけれども。…ハーブティーにした時の赤は、ハイビスカスの赤だと聞いた。薔薇の実だけでは美しい赤が出てくれないから、ブレンドしてあるハイビスカス。
(ローズヒップの薔薇、どれなのかな?)
一重咲きの薔薇だと母に教わったけれど、そういう薔薇を植えている家が近所にあるかは聞いていないから、分からない。一重咲きの薔薇を育てている家なら、道沿いに幾つかあるのだけれど。
(他に食べられる実…)
棗に、グミに…、と数えながら家へと歩いてゆく。赤い実が一杯の帰り道。
名前を知らない赤い実も沢山。小さなものから、目立つものまで。探し始めると幾つも赤い実。垣根に、庭に。石垣の裾に作ってある細長い花壇にも。
赤い実探しを楽しみながら家に帰ったら、テーブルの上にもあった赤い実の枝。制服を脱いで、おやつを食べに出掛けて行ったダイニング。母が生けたらしい、赤い実が幾つもついた枝。
グミの実に少し似ているけれども、違うと分かる真っ赤な木の実。艶のある赤。
「ママ、これ、何の実?」
「山茱萸よ」
「…サンシュユ?」
「春に黄色い花が咲く木よ、前に教えてあげたでしょう。…忘れちゃった?」
あそこの家よ、と母が口にした場所で思い出した。顔馴染みのご夫婦が住んでいる家。
「そっか、あったね、花火みたいな黄色い花が賑やかに咲く木…」
こんな実になるんだ、と見詰めた赤い実。食べられそうな感じだけれども、母の話では薬になる実。生ではなくて、種を抜いてから乾燥させて作る漢方薬。遠い昔の中国の薬。
(赤い実、一杯…)
秋だものね、と山茱萸の実をチョンとつついた。美味しそうなのに、生で食べても美味しくない実。漢方薬もきっと、苦いのだろう。母は「解熱剤になるのよ」と言っていたから。
(薬なんかより、甘くて美味しい実がいいものね?)
こういう赤い実の方が好き、とフォークに乗っけたケーキのベリー。赤く熟した甘酸っぱい実。秋が旬なのか、季節をずらして栽培したのか、そこまでは分からないけれど。
それでも、秋は赤い実が似合う。庭にも、テーブルの飾りに生けるにも、おやつのケーキの飾りなどにも。自然の恵みの塊だから。太陽が育てて、綺麗に赤く熟すのだから。
美味しかった、と食べ終えたケーキ。空になったお皿と紅茶のカップをキッチンの母に返して、二階の自分の部屋に帰って。
窓から覗いた家の庭にも、赤い実が見える。さっき帰って来た道とは別の方にも、赤い実のある家が幾つも。母が山茱萸の枝を貰って来た家も、その中の一つ。
(色々、赤い実…)
こうして窓から眺める辺りだけでも、赤い実をつけた木が何本も。きっと赤い実は、世界に沢山あるのだろう。この地域にだって、山のようにあるに違いない。
山茱萸の実が何か分からなかったように、名前を知らないものも、まだ見たことが無いものも。
なにしろ、世界は広いのだから。同じ地球でも、地域が変われば植物がまるで違うのだから。
地球の反対側の地域は、季節だって此処と逆様になる。秋ではなくて、春を迎えたばかりの所。そういう地域が秋になったら、赤い実の種類も此処とはきっと…。
(違うんだよね?)
園芸用に植えられた木や、栽培されている果樹の赤い実は同じでも。そっくり同じ赤い実の木もあるだろうけれど、知らない木の実も沢山ある筈。その地域では普通の、ありふれたものでも。
世界は本当に広いから。青く蘇った地球の上には、途方もない数の植物が生えているのだから。
前の自分が生きたシャングリラとは、全く違った豊かな植生。本物の地球と箱舟との差。
(シャングリラだと…)
あった木の実は全部分かるよ、と自信を持って言い切れる。
白い鯨に改造した時、導入された植物たち。何を植えるかは、何度も会議を重ねて決めた。船の中だけで全てを賄い、生きてゆくのに必要なもの。
食べられる実も、観賞用の木がつける実にしても、前の自分は把握していた。会議を経ずには、栽培許可は出なかったから。苗の調達も、前の自分がやっていたから。
白いシャングリラは閉じた世界で、知らない場所など一つも無かった。植物が育つ公園や農場、そういったものが何処にあるかも。
もちろん木の実は分かって当然、名前も形も全部分かっていたんだから、と思ったけれど。
(あれ…?)
不意に頭に浮かんだもの。プカルの実と呼んでいた木の実。シャングリラでは広く知られていた実で、ナキネズミの大好物だった。
前の自分たちが作った生き物、ナキネズミ。思念波を上手く扱えない子供をサポートするよう、人間と思念波で話せるようにと。思念波を中継することも。
そのナキネズミが好んだ木の実が、プカルの実。役に立ってくれたら、皆が御褒美に与えた実。頭を撫でて、「ほら」とプカルの実を一つ。
(プカルって、何の実だったっけ…?)
勉強机に頬杖をついて、思い出そうとしたプカルの実。どんなのだっけ、と。
途端にポンと出て来た木の実はサクランボ。真っ赤に熟した美味しそうな実は、シャングリラで実っていたけれど。前の自分も食べたのだけれど。
(…プカルじゃないよ?)
サクランボは、あくまでサクランボ。桜によく似た花を咲かせたサクランボの木。プカルという名で呼ばれはしないし、そんな渾名もあるわけがない。
サクランボは、サクランボなのだから。…プカルの木ではないのだから。
(プカルの実…?)
あれはどういう木の実だっけ、と遠い記憶を探るけれども、バラバラに浮かぶ赤い色の実。
最初がサクランボだったせいなのか、イチゴやリンゴや、様々なベリー。大きさも形も揃ってはいない。共通点は「赤い」というだけ。それから、どれも食べられる実。
たったそれだけ、出て来てくれないプカルの実。リンゴのように木に実ったのか、イチゴと同じ一年限りのものだったのか。あるいは木とも草とも呼べそうなベリー、そういったものか。
(…ぼく、忘れちゃった?)
プカルの木を。でなければ草を、ベリーのような茂みを作る植物を。
白いシャングリラに、プカルは確かにあったのに。…ナキネズミの好物だった実をつけたのに。
(でも…)
忘れるよりも前に、自分はプカルの木を知らない。木なのか草なのか、それさえも。どんな形の実をつけていたか、全く覚えていないのが自分。サクランボが浮かんだほどなのだから。
(…家の近くには生えてなくても…)
他の地域で育つ植物だったとしたって、前の自分の知識がある筈。今の自分が今日の帰り道で、色々な赤い実を見ていたように。この実の名前は…、と考えながら歩いたように。
前の自分もシャングリラのあちこちを視察したのだから、プカルもきっと見ていた筈。公園か、農場か、何処かできっと。
ナキネズミの好物の実が熟していれば、「これがプカル」と。花の季節にも、プカルの花を。
白いシャングリラで目にした筈のプカルの実。その実をつける木だか、草だか。そこから一つ、毟ってナキネズミに与えていたかもしれないのに。「よくやったね」と、御褒美に一つ。
子供たちと遊ぶのを仕事にしていた前の自分なら、そういう機会もあっただろうに。子供たちのサポートをするナキネズミを、何度も労ってやっただろうに。
どうしたわけだか、思い出せないプカルの実。それを実らせていた植物ごと。
木なのか、それとも草だったのか。プカルの実の形はどうだったのか。
(どうしよう…)
ぼく、本当に忘れちゃってる、と愕然とさせられたプカルの実。すっかり消えてしまった記憶。プカルの実という言葉は覚えているのに、実物の方を忘れてしまった。植物の姿も、実の形も。
(機械に消されたわけじゃないのに…)
前の自分は成人検査で記憶を消されて、繰り返された人体実験で何もかも全て忘れてしまった。育ててくれた養父母の顔も、育った家も、誕生日さえも。
けれども、今の自分は違う。前の自分の記憶を丸ごと引き継いだ筈で、切っ掛けさえあれば遠い記憶が蘇るもの。
そうだとばかり思っていたのに、ぽっかりと抜けたプカルの記憶。空白になっているプカル。
もしかしたら他にも、抜け落ちた記憶があるかもしれない。引き継がれずに失くした記憶。
プカルどころか、もっと様々な記憶を幾つも、自分は何処かに落としただろうか?
地球に生まれてくる時に。…今の自分に生まれ変わる時に。
プカルくらいならまだいいけれど、と思い浮かべた恋人の顔。前の生から愛したハーレイ。
二人で地球に生まれたけれども、プカルを忘れてしまっているのが自分だから。
(ハーレイのこと、忘れていたら嫌だな…)
それも、とっても大切なことを。
ナキネズミの好物だったプカルみたいに、前のハーレイの大好物とかを。
(好き嫌いは無い筈だけど…)
今の自分と全く同じで、好き嫌いが無いという今のハーレイ。前の生で酷い目に遭った食べ物、餌と水しか与えられなかったアルタミラの檻で生きていた頃。脱出した後も、ジャガイモ地獄だのキャベツ地獄だのと苦労した時代があったから。贅沢なことは言えなかったから、そのせいで。
前の自分たちの記憶が何処かに残っていたのか、今の生でも無い好き嫌い。ハーレイだって。
そうは言っても、前のハーレイにもあった嗜好品。今も好物のコーヒーや酒。
今の自分はそのくらいしか覚えていないけれども、抜け落ちた記憶があるのなら。プカルの実が思い出せないほどなら、前のハーレイにも何か好物があったかもしれない。
ナキネズミが好きだった、プカルのように。
今の自分が忘れているだけで、前のハーレイが好んだ何か。
それを忘れてしまったかも、と考えたら心配になって来た。心当たりはまるで無いのに、記憶に無いというだけの何か。前のハーレイが好きだった何か…。
恋人の好物を忘れていたらどうしよう、と思わず抱えてしまった頭。プカルの記憶が無い頭。
抱えた所で、何も浮かびはしないけれども。前のハーレイが好きだったものは、欠片さえも姿を見せてはくれないけれど。
(忘れちゃったの、それともハーレイの好物は無いの…?)
どっちなのだろう、と悩んでいた所へ聞こえたチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合うなり、打ち明けた。
「あのね、ぼく…。ハーレイの好物、忘れてるかも…」
忘れちゃったかもしれないんだよ。ハーレイは何が好きだったのか。
「はあ? 忘れたって…」
なんの話だ、俺の好物を忘れたっていうのは、どういう意味だ?
「大好物だよ、ハーレイが好きな食べ物だよ!」
それを覚えていないかも…。すっかり忘れちゃってるかも…。
「俺の大好物ってか? それを言うなら…」
お前のお母さんが焼くパウンドケーキってトコだな、直ぐに浮かぶのは。
美味いからなあ、おふくろのパウンドケーキとそっくりな味っていうのがいいんだ。
「今じゃなくって、前のハーレイだよ!」
前のハーレイの大好物って、なんだったの?
「なんだ、そっちか。前の俺なら、酒とコーヒーだな」
シャングリラを改造してから後は、酒は合成になっちまったし、コーヒーは代用品のキャロブのヤツになっちまったが…。それでも、好物に変わりはないってな。
ついでに、どっちも前のお前が苦手だった分、余計に美味い気がしたなあ…。
俺にはこいつの味が分かると、満足な気分に浸れたからな。優越感ってヤツかもしれん。
いや、禁断の味と言うべきか…。前のお前が苦手だったせいで、飽きるほど飲めなかったしな。
酒とコーヒー、これに限る、とハーレイは自信たっぷりだった。あれは美味かった、と。
その二つならば、今の自分の記憶にあるのと変わらない。忘れてはいないし、記憶は確か。
けれどプカルのことがあるから、まだ安心とは言い切れなくて…。
「お酒とコーヒー…。ホントにそれだけ?」
他にも何かあったんじゃないの、前のハーレイが好きだったもの。大好物の何か。
「お前なあ…。何を必死になっているんだ、酒とコーヒーだと言っただろうが」
それしか咄嗟に思い付かんぞ、前の俺だと言われても。…俺の好物、お前も知ってる筈だがな?
「でも…。ぼく、本当に忘れていそう…」
お酒とコーヒーは覚えているけど、本当に他には何も無かった?
前のハーレイが大好きな食べ物、お酒とコーヒーの他には何も無かったの…?
「無かったが…。今の俺と同じで、好き嫌いってヤツが無かったからな」
なんでも食えたし、なんでも美味い。そう思っていたのが前の俺だが…。
どうしたんだ、何かあったのか?
前の俺の好物を知りたいだなんて、今更、訊くまでも無さそうなんだが…?
「そうなんだけど…。本当だったら、訊かなくってもいいんだけれど…」
忘れてる例を思い出したんだよ、ハーレイのことじゃないけれど…!
大好物だった物が思い出せなくて、とっても困っていたんだよ…!
だから、ハーレイのことも忘れてしまっているのかも、って…。
前のハーレイが大好きだった食べ物のことも、ぼくは忘れていそうなんだよ…!
プカルの実が何か分からない、と目の前の恋人に白状した。遠い昔に、白いシャングリラで共に暮らしたハーレイに。
「…ナキネズミが好きだったプカルの実だよ」
あれが少しも思い出せなくて、どんな実なのか分からなくって…。
プカルそのものも覚えていないよ、木だったのか、草か、そんな基本のことだって…。
いくら考えても分からないから、前のハーレイの好物だって、忘れていたっておかしくないよ。
「なるほど、プカルか…」
プカルと言ったらプカルじゃないか。簡単なことだ、ナキネズミどもの好物だよな。
「ハーレイ、プカルを覚えているの?」
どんな実だったか、ちゃんと忘れずに覚えているわけ…?
「当たり前だ。…もっとも、お前がプカルと言うまで忘れていたが」
俺も一応、キャプテンだしな?
船のことなら、しっかり把握しておかないとな。ナキネズミも船に乗ってたんだし。
「じゃあ、ぼくにも分かるように教えて」
プカルはどういうものだったのか。…どんな実が出来て、どんな植物だったのか。
「だからプカルだ」
さっきも言ったろ、プカルはプカルだ。ナキネズミが好きなヤツなんだ。
「それじゃ、ちっとも分からないよ!」
もっと詳しく、きちんと説明してくれないと…。ぼくは言葉しか知らないんだから!
忘れているぼくが思い出せるように、プカルのことを説明してよ。
今だと何処に生えているのか、植物園に行ったら見られるのかとか、そういったことを…!
どういう実をつける植物がプカルだったのか。自分は覚えていないけれども、ハーレイは覚えているらしいから。この際、教えて貰わなければ、と意気込んだ。
記憶から抜けてしまったプカルを思い出せたら、他にも何か出て来るかも、と。忘れてしまった様々なことが。小さなことでも、つまらないような出来事でも。
「ふうむ…。プカルは何かと訊かれたら…」
コレだな、とハーレイが指差したケーキ。母の手作りのミルフィーユ。果物といえば、スライスしたイチゴが挟まっているけれど。ホイップクリームの中から覗いて、上にも飾ってあるけれど。
「…イチゴ?」
ハーレイ、これがプカルだって言うの?
「そうだが?」
他に果物は入ってないだろ、そいつがプカルの実なんだが?
「でも…。これ、どう見てもイチゴだよ?」
ママが作る所は見てなかったけど、普通のイチゴ。…変わったイチゴじゃないと思うけど…。
「だが、プカルだ。…お前の知りたいプカルの実だ」
どれがプカルかと訊かれりゃ、これだ。間違いなくこいつはプカルなんだ。
「嘘つき!」
ハーレイの嘘つき、ぼくが覚えていないと思って!
酷いよ、そんな大嘘をついて…!
「誰が嘘をつくか。…俺は真面目に答えてるんだぞ、あのシャングリラのキャプテンとして」
話しているのは今の俺だが、プカルが何かを答えているのは、キャプテンだった前の俺なんだ。
イチゴは本当にプカルだったし、そうだな、今だとプカルってヤツは…。
うん、この季節なら柿もプカルに入るかもなあ、渋柿は駄目だが、富有柿とか。
「柿!?」
渋柿は駄目で、富有柿って…。柿がプカルに入るって、なに…?
今でこそ馴染みの柿だけれども、柿はシャングリラに無かった植物。前の自分が生きた時代に、柿を食べる習慣は無かったから。
SD体制が崩壊した後、蘇った多様な食文化。青い水の星に戻った地球では、遠い昔の国などの特色を取り入れている。この地域だと日本風だから、柿の木を植えて、その実を食べる。
生で食べたり、干し柿にしたり、食べ方は色々。庭で育てる人も少なくない。
とはいえ、本当に今の時代ならではの果物が柿で、シャングリラの時代にある筈がない。なのに柿の実がプカルだなんて、ハーレイは何を言っているのだろう?
「…ハーレイ、ぼくをからかっていない?」
さっきはイチゴで、今度は柿って…。ぼくを騙して面白いわけ?
「騙すって…。お前、ホントにプカルを忘れちまっているのか…」
綺麗サッパリ忘れたんだな、まるで覚えていないんだな?
「だから、そう言ってるじゃない!」
何がプカルか、ぼくに教えて欲しいって…!
植物園にあるんだったら、見に行ったっていいくらいだよ。本物のプカルが見られるんなら…!
「その話も本気だったのか…。植物園って言っていたのも」
見事に忘れちまったか、プカル。…いや、お前が忘れたのはプカルじゃないな。プカルの実だ。
イチゴも柿もプカルだと言っても、お前、嘘だと怒るんだから。
「当たり前だよ、意味がちっとも分からないよ!」
イチゴと柿だと、何処も少しも似ていないじゃない…!
それに、シャングリラに柿の木は無かったんだから!
今の時代の果物なんだし、柿がプカルになるわけがないよ、ハーレイの馬鹿!
嘘をついた上に騙すなんて、とプンスカ怒って膨れたけれど。仏頂面になったけれども、何故か笑っているハーレイ。それは可笑しそうに、クックッと。
「…まあ、普通に考えればそうなるだろうな、柿もプカルだと言われちゃなあ…」
お前が怒るのも無理は無いんだが、本当のことだから仕方ない。俺は嘘なんかついていないし、騙して遊んでいるわけでもない。
いいか、よくよく考えてみろよ?
イチゴは赤くて、柿だって熟せば赤くなる。…それくらいのことは分かるだろ?
大切なのは其処だ、赤けりゃ何でもプカルなんだ。イチゴだろうが、柿だろうが。
「えっ?」
赤いとプカルって…。イチゴも柿もプカルだって言うの、赤い実だから…?
「うむ。そもそもプカルは、人間の言葉じゃなかったからな」
いくら調べても出ては来ないぞ、前の俺たちの時代のデータベースを隅から隅まで探しても。
シャングリラのなら、入っていたかもしれないが。…誰かが後から付け加えてな。
「なに、それ…」
人間の言葉じゃないなんて。…データベースにも入っていないって、プカルって…なに?
暗号だったってことはないよね、赤い実はプカルと置き換えるだとか。
「おい、暗号って…。そりゃまあ、暗号も必要だった時代だが…」
なんだってナキネズミの好物を暗号で呼ぶんだ、シャングリラ中の人間が。
お前、本当に忘れたんだな、プカルのことをすっかり全部。
プカルは赤い実の暗号ではない、とハーレイはイチゴをフォークでつついた。これもプカルで、柿の実もプカル、と。
「…プカルってヤツは、ナキネズミの言葉だったんだ」
人間の言葉じゃないというのは、文字通りの意味というわけだな。…動物の言葉なんだから。
「ナキネズミ…?」
いつも普通に話をしてたよ、ナキネズミは。そうでなきゃ、みんな困るじゃない…!
思念波を上手く扱えない子供に渡してたんだよ、ナキネズミ語じゃどうにもならないよ…!
「その通りだが…。最初から人間の言葉を話してたわけじゃないだろうが」
元はネズミとリスだったんだぞ、ネズミやリスが人間の言葉を喋るのか?
そういうヤツらを色々弄って、出来上がったのがナキネズミだ。…思念波で会話が出来る動物。
開発初期のナキネズミの時代だ、赤い実がプカルだったのは。
ハーレイが言うには、ナキネズミという生き物がようやく姿を現した頃。まだ毛皮の色も様々なもので、青い毛皮を持った血統を育ててゆこうと決まった頃。
ナキネズミたちは、船で自由に生きていた。研究室から解き放たれて、白いシャングリラの中を走り回って。
青い毛皮を持ったナキネズミは子供たちのサポートに向けて、教育を受けていたけれど。毛皮の色が違うナキネズミは、欲しがった仲間のペットになった。思念波で話が出来るのだから。
そういう時代に、ナキネズミ同士が出会ったら交わしていた会話。青い毛皮でも、他の色でも、同じナキネズミ同士で色々。
彼らの言葉と、人間の言葉が混ざったものを。思念波だったり、鳴き声だったり。
「その内にだな…。プカルちょうだい、と厨房に出たんだ」
「プカル…?」
「ああ。チビのナキネズミが一匹な」
青い毛皮のチビではあったが、まだ教育は受けていなかった。ほんの子供じゃ、早すぎるしな。
ナキネズミの社会しか知らなかったチビだ、そいつが厨房に迷い込んだんだ。
美味い匂いがしてたんだろうな、飯を作っている場所だけにな。
チョロッと入って来たもんだから、「何か食べるか」と厨房のヤツらが訊いたんだが…。
そしたら返事がプカルだったわけだ、「プカルちょうだい」と。
「そっか…! いたね、そういうナキネズミが…!」
思い出したよ、プカルが欲しいと言ったんだっけ…。
笑い話になったんだっけね、あの時のプカルも、プカルの実も…!
そうだったっけ、とポンと打った手。チビのナキネズミが欲しがったプカル。
けれど、厨房にプカルは無かった。そういう名前の食べ物は、何も。欲しがられても、プカルが何か分からなかった厨房にいた仲間たち。
優しかった彼らは、ナキネズミの注文を無視する代わりに、ヒルマンとゼルを呼ぶことにした。何がプカルか分からないから、ナキネズミを開発した責任者の二人を。
ナキネズミだけに通じる特別な言葉でもあるのか、と。研究室で使った専門用語だとか。
そういう用事で呼ばれたと聞いて、面白そうだと、ブラウとエラも厨房に出掛けた。前の自分とハーレイも。
丁度、暇な時間だったから。夕食の後の。厨房の者たちは、翌日の仕込みをしていた時間帯。
其処へ行ったものの、ヒルマンとゼルは首を捻った。心当たりが無かったプカル。そんな言葉は教えていないが、と。
謎が解けないまま、チビのナキネズミに尋ねたヒルマン。
「いったい、どれがプカルなんだね?」
プカルちょうだい、と頼むからには、何処かにプカルがあるんだろう?
好きに取っていいよ、私たちにはプカルが何か分からないからね。
どれでもお取り、とヒルマンが促し、ゼルも「そうじゃな」と頷いた。分からないなら、選んで貰えばいいのだから。
もし食べさせてはいけないものなら、「駄目だ」と取り上げればいいだけのこと。ナキネズミにとっては毒になるものや、消化の悪い食べ物だったら。
チビのナキネズミは厨房の中をキョロキョロと見回し、「これ!」と真っ赤なイチゴを抱えた。小さな二本の前足で。
『これ、プカル。…みんな、プカル、言ってる』
プカルはこれ、と届いた思念波。「食べてもいい?」と。
「なんだ、イチゴのことだったのかい…!」
あたしたちには分からない筈だよ、イチゴはイチゴだと思ってたしねえ…。
それがあんたのプカルなのかい、いいよ、お食べ。
ブラウが許してやったものだから、チビのナキネズミはイチゴにガブリと齧り付いた。欲しいと強請ったプカルの実に。
ヒルマンとゼルが呼び出されたプカルは、真っ赤なイチゴ。きっとナキネズミは、何か勘違いをしたのだろう。イチゴという言葉を覚える代わりに、間違えてプカル。
「みんな言ってる」とチビのナキネズミは言ったけれども、「みんな」とはチビのナキネズミ。子供のナキネズミばかりの集団の中で、イチゴをプカルと呼んでいるのに違いない。人間だって、幼い子供は独特な言葉を使うのだから。それと同じで、イチゴがプカル。
変な言葉があるものだ、と皆で笑って散会になった。「一つ賢くなった」と笑い合って終わり。
ところが、暫く経った頃。長老たちが集まった席で、ヒルマンが話題にしたプカル。
「この前のプカルなんだがね…。実は、厨房から昨日、連絡が来てね」
またナキネズミが来たらしいんだが…。リンゴをプカルと言ったそうだよ、これが欲しいと。
もちろんナキネズミはリンゴを食べるし、そのまま与えたらしいんだがね。
…しかし、プカルだ。この間はイチゴがプカルだったのに、今度はリンゴがプカルなんだよ。
「何かおかしくないかい、それ?」
ちょいと変だよ、イチゴとリンゴじゃ味も見た目も別物じゃないか。
あたしだったら間違えないけどね。記憶をすっかり失くしていたって、別の果物は別だろう?
違う名前で呼ぶけれどね、とブラウが不思議がる通り。
イチゴとリンゴは似ても似つかないし、同じプカルでは有り得ない。チビのナキネズミの語彙が足りないか、それとも言い間違えたのか。あるいは、プカルと言ったら貰えるだろうと、リンゴもプカルと呼んだのか。
厨房で初めて貰った食べ物がイチゴだったから。その時に「プカルちょうだい」と頼んだから。厨房で果物を貰う時には、どれも「プカル」と呼ぶのが一番なのだと考えたとか…。
謎が生まれたら、その謎を解いてみたくなるもの。今日は時間もあることだし、と問題のチビのナキネズミを連れて来させた。ナキネズミ担当の飼育係に連絡を取って。
厨房ではなくて会議室だから、ヒルマンが実物の代わりに見せた映像。ナキネズミが好む色々な果物、それを端から映していって。「どれがプカルか、教えて欲しいね」と。
そうしたら…。
『これ、プカル!』
サクランボを見るなり、思念波で叫んだナキネズミ。サクランボの季節ではなかったけれども、ナキネズミの子供時代は長いものだから、食べた経験はちゃんとある。サクランボもプカル。
そうなるのか、と次々に変えていった映像、赤い実が映ると「プカル!」という思念。赤い実はどれもプカルだった。イチゴもリンゴも、サクランボも。赤いベリーも、残らずプカル。
「そうかい、そういうオチだったのかい…」
赤けりゃ全部プカルなんだね、どんな果物も。参ったねえ…。
こりゃ、この子だけの問題じゃないよ、と天井を仰いで困り顔だったブラウ。他のナキネズミも赤い実は全部プカルなんだろう、と。
「ナキネズミ語じゃな、わしらの言葉とはまた違うんじゃ」
仕方ないのう、こいつらにも言葉はあるんじゃし…。ナキネズミ同士で話す間に、言葉が出来ていたんじゃな。…赤い実はプカル、といった具合に。
過渡期なんじゃし、こういうことも起こり得るじゃろ、とゼルが引っ張っていた自慢の髭。今は人間と話す時間よりも、ナキネズミ同士の会話が多い状態だから仕方がない、と。
「人間との接触が増えれば、変わるだろうね」
我々の言葉の方が身近になるから、プカルもイチゴやリンゴに変わっていくだろう。
そうでなければ、子供たちとのコミュニケーションにも困るだろうからね。
今の間だけの現象だよ、とヒルマンもゼルと同意見だった。ナキネズミ語は消えて、人間と同じ言葉が自然に残ってゆく筈だと。
ナキネズミ語だった、プカルの実。赤い実はどれでも、イチゴもリンゴもプカルの実。
その内に直ってゆくだろうから、と無理に直さないで放っておいたら、プカルの方が定着した。人間にとっても覚えやすかったプカル。ナキネズミの言葉で赤い実はプカル、と。
覚えてしまえば、ナキネズミと話していて「プカル、食べるか?」とやってしまいがち。大人も子供も、イチゴやリンゴを手にして「プカル」と言ってしまうもの。
言葉が拙い幼子相手に、そうするように。わざと幼い言葉遣いで話し掛けるように。
そうやって皆が赤い実を「プカル」と呼んでみせたものだから、ナキネズミの言葉が直るわけがない。気付けば赤い実は、全部プカルになっていた。
人間の方がナキネズミに合わせて、プカルはプカル。白いシャングリラに特有の言葉。
「そうだったっけ…。プカル、ナキネズミの言葉だったんだっけ…」
前のぼくもウッカリ言っちゃったんだよ、青の間にヒョコッと出て来た時に。
「プカル、食べるかい?」って、テーブルにあった赤い果物を指差して。
あれじゃ絶対、直らないよね…。みんながプカルって言うんだから。
「そういうこった。…だから柿でもプカルなんだ」
赤く熟せばプカルになるんだ、富有柿とかは。…渋柿だって、いずれはプカルだ。普通の柿より時間はかかるが、あれも熟せば甘いんだから。
「うん、知ってる。実がトロトロになった頃には、甘いんだよね」
パパとママに聞いたよ、干し柿にしなくても食べられる、って。スプーンで掬って。
でも、ナキネズミは、もういないけどね?
人間が手を加えすぎた生き物だから、って弄らないでおいたら、繁殖力が落ちてしまって…。
そのまま絶滅してしまって。
「いいんだ、それで。…生き物は自然に任せておくのが一番いい」
だが、あいつらが今もいたなら、柿は立派にプカルなんだぞ。渋柿は赤くなったというだけじゃ食えんし、プカルと呼びにくい代物だがな。
お前はプカルを忘れてはいたが、言葉だけだ、とハーレイは説明してくれた。プカルそのものは忘れていないと、イチゴもリンゴも、サクランボも覚えているだろうが、と。
「ナキネズミが果物を食っていたことを覚えていれば充分だな、うん」
プカルの実は赤い実のことなんだから。…綺麗に忘れてしまっていたがな、本当に。
「良かった、ナキネズミの好物を忘れていたんじゃなくて…」
どれがプカルか分からなかっただけで、赤い果物は全部プカルなんだし、ホッとしたよ。
覚えていたなら大丈夫だよね、ハーレイの好物もきっと忘れていないと思う。
前のハーレイが好きだった食べ物、ナキネズミ語で呼びはしないもの。
「いや、忘れてるな、今のお前は」
酒とコーヒーだと言っていたよな、なら、間違いなく忘れている。
ナキネズミ語で呼んでたわけじゃないんだが、お前の口から出て来ないからな。
「忘れてるって…。何を?」
ハーレイの好物を忘れているって、どんな食べ物?
「俺の一番の好物ってヤツは、お前だろうが。赤い実も二つくっついているな、目の所に」
美味かったんだ、前のお前はな。…本当に何よりも美味かった。
そいつを忘れて酒とコーヒーだと言ってる辺りが、チビならではだ。
前のお前なら、それは上手に俺を誘ったものなんだがなあ、食って欲しいと。
チビのお前はまだ食えないが、と悪戯っぽい笑みを浮かべたハーレイ。
頬が真っ赤に染まったけれども、一番の好物だと言って貰えたのが嬉しいから。
酒やコーヒーより、ハーレイが好きな食べ物が前の自分だったというのだから。
(…顔の赤い実って、ぼくの目だよね…?)
前の自分とそっくり同じに育った時には、またハーレイに食べて貰おう。
チビの間は無理だけれども、いつか大きく育ったら。
赤い実が二つ、と言われた赤い瞳ごと。
顔についている、ハーレイが好きな赤い実のプカルも、育った身体も、丸ごと全部。
赤い瞳もプカルだから。赤い実は全部、プカルだから。
そして幸せな時を過ごそう、ハーレイと二人。
甘い時間を熱く溶け合って、何度も何度も、甘くて優しいキスを交わして…。
プカルの実・了
※ナキネズミの好物だった、プカルの実。どういう実なのか思い出せずに、焦ったブルー。
けれど「プカル」は、ナキネズミたちの言葉だったのです。赤い実だったら、何でもプカル。
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