シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
ミュウと暗号
(秘密の暗号…?)
なあに、とブルーが興味を引かれた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
投稿した読者に取材のコーナー、記者が「これは素敵だ」と思った人に。写っているのは男性の写真。若くはなくて、父よりもずっと年上な感じ。とても優しい笑顔だけれど。
(おじいちゃんと、お孫さん…)
新聞に写真が載ってはいない、お孫さん。そのお孫さんと、暗号の手紙を交換しているという。お互い、全部暗号で書いて。宛先と差出人の名前と住所だけは普通に。
でないと配達して貰えないから。郵便屋さんは暗号なんかは読めないから。
(そうなっちゃうよね、住所も名前も暗号だったら…)
暗号の解読は郵便屋さんの仕事ではないし、きっと放っておかれる手紙。何処に届けていいのか分からず、送り返す先も謎なのだから。
(お孫さんが作った暗号なんだ…)
お祖父さんが住んでいる町から離れた所で、下の学校に通う男の子。その子が考え出した暗号、それが手紙に使われる。お祖父さんにだけ、仕組みを教えて。
「暗号ですから、誰にも教えられませんよ」と笑っている、お祖父さんの写真。けれど記者には見せてくれたらしい、お孫さんから届いた手紙。「こんな風に暗号なんですよ」と。
ごくごく単純だという暗号、記者の人にも分かった内容。手紙に何が書かれているか。
でも秘密だから、読者には秘密。手紙の中身も、暗号のヒントの欠片も全部。
(なんだか素敵…)
暗号で書いた秘密の手紙をやり取り、郵便屋さんが運んでくれる。宛先などは普通だから。中の手紙が暗号だなんて、思いもせずに。
(おじいちゃんも、お孫さんも、手紙をポストに入れるだけ…)
集配用のポストに、コトンと。秘密の手紙を書き上げたら。
住んでいる所が離れていたって、同じ地域の中でのこと。どちらも日本と名乗っている場所。
お蔭で手紙を投函したなら、次の日には届く秘密の手紙。郵便配達のバイクが走って出掛ける、手紙の宛先になっている家。「この家だな」と確かめた後は、家のポストへ。
他の色々な手紙と一緒に、暗号の手紙。お祖父さんとお孫さんだけの間の秘密。
(暗号で手紙を書いて貰って、暗号で返事…)
手紙を送り合う二人だけしか読めない手紙。お祖父さんとお孫さんだけの暗号、仕組みは秘密。
本当の所は、お祖母さんにも読めるのだけれど。記者だって読めたくらいだから。
男の子のパパも、もちろんママも、お祖父さんからの手紙が読めるけれども、男の子には内緒。せっかく秘密のやり取りなのだし、読めないふり。周りの誰もが。
家族たちに温かく見守られて続く、幸せな文通。微笑ましい秘密。簡単なのに、秘密の暗号。
とっても素敵、と思った所で閃いた。「暗号だよ」と。
(ハーレイとだって…)
暗号だったら、文通できるに違いない。この記事のような「誰にでも分かる」暗号ではなくて、正真正銘、暗号の手紙。誰にも読めはしないもの。
(ハーレイから届いて、ぼくが机に置いておいても…)
そのまま学校に出掛けてしまって、母が部屋の中に入ったとしても、暗号だったら大丈夫。机の上に手紙を見付けて、「そういえば昨日、届いてたわね」と開いてみても。
なんと言っても暗号なのだし、中身が分かるわけがない。穴が開くほど見詰めてみても。
(ハーレイもぼくも、前の自分がいるんだから…)
その時代のことを書くには暗号なのだ、と言えば納得するだろう母。「あら、秘密なのね」と。
辛く悲しい記憶も山ほど持っていたのが、シャングリラで生きた前の自分たち。両親たちに披露するには、悲しすぎるものも沢山ある。そういうことを書いた手紙は暗号、と説明すればいい。
(ママもパパも、きっと分かってくれるよ)
暗号でやり取りする理由。「自分たちには話せないほど、辛い出来事だったのだろう」と。
一度そうして話してしまえば、二度と訊かれることも無い。「手紙の中身は何だった?」とは。過去の悲しい話を聞くより、幸せな今を生きている話を両親も聞きたいだろうから。
(暗号だったら、ホントに安全…)
嘘の理由を説明したなら、もっと安全で安心な筈。毎日のようにやり取りしたって、両親は気にしないから。「会って話すには、辛すぎることもあるだろう」と思ってくれるから。
面と向かって話していたなら、ハーレイも自分も、涙が止まらなくなるだとか。二人揃って泣き続けたまま、会話にさえもならないだとか。
これは使える、と思った暗号。新聞の記事から貰ったアイデア。何食わぬ顔で閉じた新聞、母に返しに出掛けた空のカップやケーキのお皿。「御馳走様」と。
胸を弾ませて上がった階段、戻った二階の自分の部屋。勉強机の前に座っても、心はワクワク。
あの記事にあった子供みたいに、バレる暗号文でなければ、ラブレターだって交換出来る。誰も中身を読めないのだから、堂々と。ハーレイと幸せな手紙のやり取り。
どうして今まで思い付きさえしなかったろう…?
暗号化された手紙だったら、何を書いても大丈夫なのに。どんな手紙が届いても。
(ハーレイに頼めばいいんだよね!)
たったそれだけで、直ぐにも始められる暗号の手紙の交換。「ぼくと暗号で文通して」と。そう書いた暗号文の手紙を、ポストにコトンと入れるだけでいい。ハーレイの家の住所を書いて。
手紙が届けば、きっと返事が貰える筈。同じ暗号で綴られた、ハーレイの文字が並んだ手紙が。
(ハーレイだったら、ぼくの暗号…)
簡単に読めることだろう。両親には、まるで読めなくても。書いている途中で母が入って来て、「あら、手紙?」と覗き込んでも、謎の文章にしか見えなくても。
そう、ハーレイなら大丈夫。前の自分たちが使った暗号、それなら必ず通じるから。あれだ、と見るなりピンと来て。「前の俺たちの暗号だよな」と、スラスラ読めるだろう手紙。
(暗号の手紙、素敵だよね?)
一番最初は、「文通してよ」とお願いだけ。もちろん全部、暗号で書いて。
返事が来たなら、今度は少し長めの手紙。「今日はね…」などと、当たり障りのない話題。やり取りが続いて定着したら、ラブレターを書いて出せばいい。「ハーレイが好き」と。
(もうその頃なら、ハーレイも慣れてしまっているから…)
暗号だったら大丈夫だな、と「愛している」と返事が来そう。運が良ければ、とても熱烈な恋の想いを綴ったものも。
(今のハーレイ、古典の先生なんだから…)
暗号で書いても、名文が届くかもしれない。読んだら涙が零れるくらいに感動的なラブレター。手紙そのものはそれほどでなくても、引用された本の一節が心にジンと響くとか。
(ずっと昔の恋の歌とか、そういうのだって…)
暗号に混ぜてくるかもしれない。とても素敵な恋歌だって、上手に暗号文にして。
きっとハーレイなら書ける筈だよ、と思う熱烈なラブレター。その気になってくれさえすれば。
そういう手紙を貰うためには、まずは手紙の交換から。誰にも読めない暗号で書いて。
明日にでも早速出してみよう、と意気込んだけれど。書こうと勇み立ったのだけれど。
(あれ…?)
どう書くのだろう、暗号の手紙。「ぼくと暗号で文通してよ」と綴る方法。ハーレイと自分しか読めない暗号、それで手紙を書きたいのに…。
(えーっと…?)
まるで分からない、その暗号の綴り方。「ぼくと暗号で文通してよ」は、どう書くのかが。
前の自分たちが使った暗号、それは確かにある筈なのに。人類に傍受されないようにと交わした通信、あれは暗号だったのに。…ミュウにしか理解出来ない暗号。
それで書いたら簡単だよ、と思っていたのに、その暗号が全くの謎。今の小さな自分には。
書き方を忘れてしまったのかな、と下書き用の紙を用意した。いきなり書くのは無理みたい、と便箋ではなくて罫線が引いてあるだけの紙を。
(ぼくと暗号で…)
文通してよ、と綴ってやろうと、ペンも握ってみたのだけれども思い出せない。いったい暗号でどう書いたならば、そういう文になるのかが。
(…ぼくと暗号…)
最初の「ぼく」を、どう書いたならば、暗号の「ぼく」が出来るのだろう?
それに肝心要の「暗号」、それは暗号でどう綴ったらいいのだろう。「ぼく」と「暗号」、その段階でもう躓いた。まだ書き始めもしない内から。
(ぼくっていうのも、暗号の方も…)
基本の中の基本の筈。「ぼく」は「私」の意味にもなるし、ハーレイが書くなら「俺」になる。自分を指している言葉だから。それを抜きでは、きっと作れはしない文章。
(主語と述語の、主語が抜けちゃってる文章…)
誰が何をするか、文章に無くてはならない主語。「誰が」の部分。「ぼく」の書き方を知らないままでは、暗号文など綴れない。ついでに暗号文を書くなら、「暗号」だって知らないと。
「ぼくと暗号で文通してよ」と書きたかったら、必要なもの。「ぼく」と「暗号」、その両方を示す暗号が無くては無理。どう考えても、普通の言葉に置き換えてみても。
いきなりぶち当たった壁。いいアイデアだとワクワクしたのに、暗号が出て来ないから。いくら記憶を探ってみたって、「ぼく」も「暗号」も、それを表す欠片も浮かびはしないから。
(うーん…)
暗号が分からないなんて、と抱えてしまった小さな頭。「忘れちゃったの?」と。
青い地球の上に生まれ変わる時に、何処かに落として来たろうか。今の時代は、もう出番などは無い暗号。人類に傍受されないようにと、ミュウの間だけで使ったものは。
(今だと、おじいちゃんとお孫さんの間で暗号…)
おまけに新聞記者が取材に出掛けて、微笑ましい記事が出来るほど。「暗号ですから」と読者に秘密にしておいたって、記者だって読んで来た暗号。内緒で手紙を見せて貰って。
そんな時代に生まれた自分は、暗号を忘れたかもしれない。母のお腹にいる内に。温かな場所で眠る間に、「もう要らないよ」と、夢見心地で手放して。
そうなのかも、と思うくらいに本当に書けない暗号文。「ぼく」も「暗号」も、手紙に書きたい「ぼくと暗号で文通してよ」という、ほんの短い言葉でさえも。
これは困った、と机の前でウンウン唸っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、暗号を訊くことにした。まずは手紙を書いてくれるか、其処からだよね、と。
「あのね、ハーレイ…。ぼくがハーレイに手紙を出したら、返事をくれる?」
ちゃんと郵便で送ってくれる、と投げた質問。郵便屋さんが家に届けてくれる手紙、と。
「返事って…。お前と文通しろと言うのか、ラブレターには早すぎるがな?」
お前の年ではまだ早すぎだ、とハーレイは案の定、苦い顔。「もっと育ってからにしろ」とも。
やっぱりね、と思った通りの答えだったから、重ねて訊いた。
「そうだろうけど…。暗号の手紙だったらどう?」
普通の手紙なら、パパやママに読まれちゃったら大変だから、ラブレターは無理。
ハーレイはぼくの恋人なんだ、って分かっちゃったら、こんな風に会えなくなっちゃうし…。
でも暗号なら大丈夫だから、暗号の手紙。…暗号で書いた手紙をくれない?
「暗号だって?」
「そう、暗号」
知られたくない中身だったら、暗号で書けばいいんだよ。手紙だってね。
それなら何が書いてあっても安心なんだし、ハーレイの家に暗号の手紙を出そうかな、って…。
今日の新聞にこんな話が載っていたよ、と披露した。お祖父さんとお孫さんの間の文通、暗号を使った秘密の手紙。下の学校の子供が作った暗号だから、新聞記者でも読めるけれども。
「それを真似して、ハーレイに書こうと思ったんだよ。暗号の手紙」
ぼくが暗号で手紙を書いたら、ハーレイも暗号で返事をくれればいいじゃない。秘密の手紙。
パパやママが開けて読んでみたって、暗号文なら平気だよ。本当に暗号だったらね。
新聞に載ってた子供みたいな暗号は使えないけれど、と付け加えるのも忘れない。誰でも読める暗号文など、全く役に立たないから。…ハーレイと文通するのなら。
「なるほどなあ…。お祖父さんと暗号で文通だなんて、実に微笑ましい話だな」
取材に出掛けて行ったのも分かる気がするぞ。真似をしてみたい人も大勢いそうだから。
お前もその中の一人なわけだが…。どんな暗号を考えたんだ?
そう簡単には解読出来ない暗号だとは恐れ入った、とハーレイが知りたがる暗号。「俺は手紙を貰うわけだし、暗号、教えてくれるんだろう?」と興味津々な表情で。
けれど、そうではない暗号。何も考案してはいないし、その上、すっかり忘れた始末。使おうと思って張り切ったのに、前の自分たちが何度も使った暗号を。
だから素直に白状した。「ぼくは暗号、考えてなんかいないんだよ」と。
「わざわざ頑張って考えなくても、前のぼくたちのを使えばいいと思ったから…」
人類に傍受されない暗号、通信に使っていたじゃない。シャングリラで暮らしていた頃に。
あれを使おうと思ったんだけど、ちっとも思い出せなくて…。
下書き用の紙を出しても、ペンを持っても、欠片も出て来てくれないから…。もうお手上げ。
ハーレイだったら覚えてるでしょ、シャングリラのキャプテンだったんだもの。
どう書けばいいの、と尋ねた暗号。本当は自分で書いてポストに入れたかった文章。
「ぼくと暗号で文通してよ」は、暗号で書いたらどうなるの、と。
主語の「ぼく」さえ出て来ないけれど、「ぼく」は暗号だと何になるの、と問い掛けた。まるで覚えていないのだから仕方ない。
(…ハーレイに訊いて書くなんて…)
情けないけれど、「聞くは一時の恥」という言葉もある。「聞かぬは一生の恥」になるのだし、此処で頭を下げておいたら、掴める手掛かり。遠い昔に馴染んだ筈の暗号文。
少しだけでも耳にしたなら、思い出せるかもしれないから。暗号の仕組みを、丸ごと全部。
大恥だけれど此処は我慢、と訊いたのに。忘れてしまった暗号のことを、シャングリラを纏めていたキャプテンに質問したのに、ハーレイは事もなげに答えた。「なんだ、そんなことか」と。
「前の俺たちの暗号なあ…。簡単なもんだ、頭なんかは使わなくても、そのままだから」
悩む必要は何処にも無いぞ、というのが返事。シャングリラで使った暗号文。
「そのままって…?」
何をそのまま使うって言うの、ぼくはホントに何も覚えていないから…。暗号は、何も。
そのままだなんて言われても困るよ、その「そのまま」のことを説明してよ…!
忘れちゃったぼくにも分かるように、と組み立て直した質問の中身。今、ハーレイから教わったことは、少しも理解出来ないから。いくら頭を使ってみたって、暗号は謎のままだから。
「そのままだと言っているだろう。…もう本当にそのままなんだ」
ぼくと文通して、と書けばいいだけのことなんだが…。お前が書きたい、暗号の手紙。
そっくりそのまま書くだけだ、とハーレイが言うから驚いた。それは暗号とは言わないから。
「ちょっと待ってよ、暗号になっていないじゃない!」
ぼくがすっかり忘れちゃったと思って、冗談を言ってからかってるの?
酷いよ、馬鹿にするなんて…!
あんまりだよ、と上げた抗議の声。「文通する気が無いにしたって、酷すぎない?」と。
「馬鹿にしてなんかいないがな、俺は。…至極真面目に、お前の質問に答えただけだが」
きちんとキャプテン・ハーレイとしての、記憶と知識を使ってな。今の俺の冗談とは違う。
いいか、そいつを文字で書くから、そのままの形になっちまうんだ。…暗号じゃなくて。まるで暗号化されていなくて、誰でも読めてしまう文章。それじゃ暗号とは呼べないが…。
ところが、同じ言葉を通信用の回線に乗せれば、きちんと立派な暗号になる。つまりは通信用の回線、それを通すしかないってこった。…暗号文にしたければな。
「えっと…。それって、どういうこと?」
自分で暗号にするんじゃなくって、機械の力を借りていたわけ、シャングリラでは…?
「おいおい、其処まで忘れちまったのか、ソルジャーのくせに」
いや、これはソルジャーの管轄の話じゃなかったな。忘れちまうのも無理ないか…。
キャプテンには必須の知識だったが、ソルジャーは知らなくてもいいってトコだな、暗号は。
もちろん知ってはいた筈なんだが、生まれ変わった後まで律儀に、覚えてなくてもいいわけだ。
通信システムの仕組みまでは…、とハーレイが始めた話。前の自分たちが暮らしていた船、白いシャングリラと、改造前だった船のこと。
「前の俺たちだが、人類の通信は傍受していただろう。人類軍のも、民間船のも」
鉢合わせしたら大変だからな、コンスティテューション号だった頃から誰かがチェックしていた筈だ。あの時代の俺は厨房にいたから、詳しいことまでは知らないが。
まだシャングリラじゃなかった頃から、きちんと通信とその内容とを調べてたもんだ。
前のお前が物資を奪いに出掛ける時にも、それを参考にしていたろうが、という指摘。どういう物資を積み込んだ船が何処を通るか、人類の船の通信を元に、航路を割り出していたのだから。
「そうだったけど…。それと暗号、関係があるの?」
人類が暗号を使っていたって、それは人類の暗号だよ。…ミュウのじゃなくて。
前のぼくたちの役には立たない暗号だけど、と首を傾げた。人類も使う暗号などでは、ミュウの船では安心して使うことは出来ない。既に知られた暗号文など、暗号の意味を成さないから。
「人類が使っていた暗号ってヤツは、この話とは無関係だな。何の参考にもしなかったから」
シャングリラって名前をつけた後にも、前の俺たちには他に船なんかは無かったわけで…。
船の格納庫にシャトルはあっても、それの出番は来やしない。飛び出して行く用が無いから。
外に出るのは前のお前だけで、お前とは思念波で連絡が取れた。そんな頃なら、通信回線を使う必要は無かったんだが…。通信する相手が無いわけなんだし。
しかし、白い鯨に改造したなら、事情はガラリと変わっちまうぞ。デカい格納庫まで持っていた船だ、その格納庫は空っぽじゃない。…前の船でも、小型艇くらいはあったがな。
白い鯨はどうだったんだ、と問われた格納庫の中のこと。何基もあった、ギブリなどの船。
「シャトル、あったね…。白い鯨が出来て直ぐから」
ギブリも、他の形の船も。アルテメシアに着くまで、出番は無かったけれど。
載っていたっけ、と今でも思い出せる船。何隻もあった小型艇。前の自分が欲しいと願った、救命艇の姿が無かっただけで。
「あっただろうが、シャングリラの外に出て行ける船が幾つもな」
それをシャングリラの外に出すなら、通信システムをどうするのかが問題だ。
せっかくコッソリ隠れているのに、人類に全部、傍受されていたんじゃたまらんからな。
俺たちが人類のを傍受していたみたいに、こっちの通信も筒抜けだなんて。
そいつは大いに困るだろうが、と言われなくても分かること。シャングリラと小型艇とが交わす通信、それは秘密でなくてはならない。人類に通信を捉えられても、内容が掴めないように。
白いシャングリラへの改造を前に、ゼルたちが中心になった研究。
サイオンを活用したステルス・デバイスやシールドの他に、通信の暗号化というものも。人類に居場所を知られないよう、用心せねばならないから。
けれど、それらの蓋を開けてみたら、通信の暗号化が一番簡単だった。意外なことに。
思念波を補助的に使う通信システム。それが発信する通信自体を、コンスティテューション号という名前だった船のシステムでは全く拾えない。雑音としてさえ捉えられない。
受信自体が不可能なのだ、と開発を始めて直ぐに分かった。思念波が介在しているだけで、もう人類の通信とは全く違う。同じように通信を飛ばしてみたって、人類はそれを拾えない。
「つまりだな…。暗号化する必要さえも無かったんだ」
どうせ人類には捕捉されないし、傍受も出来ん。どんなに盛んに通信してても、届かないんだ。人類が乗ってる船の中にも、もちろん基地や惑星の上の都市にもな。
ミュウの船同士で通信するなら、もうそれだけで暗号だった。いや、それ以上と言うべきか…。
暗号だったら傍受も出来るが、通信していることさえ分からないんだから。
あのシステムさえ持っていたらだ、暗号の出番は何処にも無い。捉えられない通信なんだぞ?
人類に向かって送りたいなら、暗号化なんぞは不要だしな?
ジョミーがやってた思念波通信、あれも暗号なんかじゃなかった。人類に向けて、思念波を直接送っただけだ。文字通り、そのままの思いってヤツを。…あの時のジョミーの。
通信システムさえ使っていないぞ、思念波を送ってやったんだから。大々的にな。
結果は裏目に出ちまったんだが、とハーレイがついた深い溜息。ジョミーが送った強い思念は、人類の世界に悪影響しか及ぼさなかった。そんな意図など、誰も持ってはいなかったのに。
お蔭で人類はそれまで以上に、執拗にミュウを追うことになる。宇宙を彷徨う白い鯨を。
「そうだったっけね…。前のぼくたちが使った通信、人類には掴めなかったんだっけ…」
仕組みが違いすぎていたから、どう頑張っても拾うのは無理。…ミュウ同士で交わす通信は。
シャングリラから外の小型艇に向けて飛ばしていたって、その逆だって。
ミュウが交信していることさえ、人類は知らずに暮らしてたっけ…。
アルテメシアに辿り着く前も、あそこの雲海に長いこと潜んで飛んでた間も。
人類には傍受されない通信システム、それを開発したゼルたち。暗号などは一切使わずに。
どう試みても読めない暗号、そうとも呼べた通信内容。まるで拾えない通信なのだし、読み解くことは不可能だから。マザー・システムを構成していた、コンピューターを総動員しても。
「…シャングリラに暗号、無かったんだ…」
あったつもりでいたんだけれど、暗号は何処にも無かったんだね。通信システムを使っただけ。
言葉をそのまま送るだけで良くて、人類には通信していることさえ分からないんだから。
暗号よりも凄いけれども、暗号は無し…。暗号、使いたかったのに…。
前のぼくたちが使った暗号、とガックリと落としてしまった肩。ハーレイに送りたいと思った、暗号の手紙は書けないらしい。暗号は無かったのだから。
「お前にとっては残念なことに、そうらしいな。シャングリラは暗号など無かった船だ」
暗号なんぞを作らなくても、通信自体を丸ごと隠しておけたんだから。人類の目からも、機械の監視網からだって。
お前が忘れてしまったわけじゃないんだ、暗号化する方法を。…最初から無かったんだから。
俺に訊いてた「ぼく」って言葉も、「暗号」の方も、暗号に出来やしないってな。
文字の形にしたいのなら…、と慰められた。「残念だったな」と、半ば笑いながら。
「そうみたい…。ハーレイと文通、暗号だったら出来るよね、って思ってたのに…」
パパにもママにも読めやしないし、何を書いても大丈夫だから。ハーレイがどんな手紙を書いてくれても、机の上に堂々と置いておけるから…。「ハーレイに貰った手紙だよ」って。
中身のことを質問されたら、「前のぼくたちの悲しい話」って言っておこうと思ってたのに…。
手紙なら色々書けるけれども、二人で会ってる時に話したら、涙が止まらなくなるような。
「おい、とんでもない悪ガキだな?」
悪知恵ってヤツを働かせやがって、俺にいったい何を書かせるつもりで暗号の手紙だったんだ?
その調子だと、ラブレターを狙っていそうだが…。
「…書いて貰えると思っていたもの、文通がすっかり普通になったら」
暗号の手紙をやり取りしてたら、ハーレイだって慣れてくるでしょ?
ぼくがラブレターを送った時には、ちゃんと返事が来そうだよね、って…。
ハーレイだってラブレターを書いてくれそうだよ、って思ったから書きたかったのに…。
夢がすっかり壊れちゃった、と残念でたまらない暗号のこと。前の自分たちが使った暗号。
忘れたのかと思ったけれども、暗号は存在しなかった。それは必要無かったから。通信の内容を隠さなくても、人類はミュウの通信自体を、把握する術を持たなかったから。
人類に傍受されないからこそ、アルテメシアの育英都市に潜入班の者たちを送り込めた。地上に降りて動く彼らと、いつでも自由に通信出来た。思念波が届かない場所にいたって。
きっとナスカでも、あのシステムが活用されていたのだろう、と考えていたら…。
「前の俺たちの暗号か…。そんなものは無かったわけなんだが…」
人類には捕まえられない通信システム、それで充分だったんだが…。だがなあ…。
あのシステムをだ、もう少しばかり研究しとけば良かったな。今頃になって言い出してみても、遅すぎるんだが…。
俺はとっくにキャプテンじゃないし、シャングリラだってもう無いんだから。
だが…、とハーレイが腕組みをして考え込むから、キョトンと見開いてしまった瞳。とうの昔に完成していた通信システム、それをどうしたかったのか、と。
「えっと…。研究するって、あれ以上、何を?」
通信システムは完成品でしょ、シャトルとか潜入班の仲間と、ちゃんと通信出来たんだから。
人類には一度も見付からないまま、地球まで辿り着けた筈だよ。
ナスカが人類に知られちゃったのは、通信のせいじゃないんだもの。あそこに近付く人類の船を追い払いすぎて、「なんだか変だ」って思われたのが原因で…。
通信は関係無かったでしょ、と瞳を瞬かせた。「あのシステムは完璧だったよ?」と。
「其処なんだ。完璧に出来てはいたんだが…。そうなった理由と言うべきか…」
人類が捕捉出来なかった理由は、思念波が絡んでいたからだ。サイオンを使った装置だから。
俺が言うのは其処の部分だ、研究しておけば良かった所。
せっかく思念波を使っていたんだ、あのシステムにも増幅装置を組み込むべきだった。他のには使っていたのにな…。ステルス・デバイスにも、サイオン・シールドにも。
「増幅装置って…。なんで?」
そんなの、必要無かったじゃない。暗号なんかは要らなかったのと同じで、意味なんか無いよ。
何処にでも通信は届いてたんだし、増幅装置を入れなくっても…。
通信障害が起きるんだったら、それも必要だろうけど…。
一度も起こっていなかったじゃない、と前の自分の遠い記憶を探ってみる。通信システムは常に正常だった筈。障害などは起きもしないで。
ジョミーがアルテメシアの遥か上空まで駆け上がった時も、システムはきちんと作動していた。人類軍の猛攻を浴びる中でも、シャングリラはリオを救いに出掛けた小型艇を把握し続けたから。
とても小さな船が何処まで飛んで行ったか、リオを救出できたのか。
無事に救って逃げ出した後は、何処でシャングリラと合流すべきか、全てにおいて頼った装置。小型艇の方でも、それを送り出したシャングリラでも。
だからこそ「無かった」と言える障害。ただの一度も通信障害は起こらなかった、と。
「…そうなるだろうな、前のお前が知ってる限りじゃ一度も無かった」
お前が深い眠りに就いちまった後も、一度も困りはしなかったから。何処を飛んでいても。
だがな…。あのシステムでも、電磁波障害の中では通信出来なかったんだ。
元が思念波を使ったヤツだったんだし、増幅装置さえ組み込んでおけば、解消出来た筈なのに。もっと応援を増やして来い、と言いさえすれば、いくらでも強く出来るんだから。
増幅装置さえ入っていればな…、とハーレイが眉間に寄せた皺。「だが、無かった」と。
「ハーレイ、何か覚えがあるんだね…?」
前のぼくがいなくなった後だろうけど、電磁波障害で通信が途絶えちゃったこと。
人類軍との戦いの時なの、ジュピターの上空で戦った頃は船も増えてたらしいから…。ブラウやゼルが指揮してた船と、艦隊を組んでいたんだものね?
他の船と連絡が出来なかったの、と思い浮かべた歴史の授業で習うこと。人類軍との最大規模の戦闘があったジュピター上空、あそこだったら電磁波障害が起こったかも、と。
けれどハーレイは「違う」と答えた。それは辛そうな顔をして。
「…ジュピターじゃないんだ、ナスカでのことだ」
シェルターとの通信が途絶えちまった、メギドのせいで。…あれがナスカを襲ったせいで。
前のお前たちが防いでくれても、攻撃は地上に届いたからな。電磁波障害だって引き起こす。
惑星崩壊を誘発するほどの破壊力だし、シェルターなんかはどうしようもない。一時的な避難のために作られた施設だ、通信設備に力を入れちゃいなかった。最初からな。
シャトルとは連絡が取れていたのに、シェルターだけは繋がらなかった。どう頑張っても。
お前が命を懸けてくれたのに、シェルターの中の状態が掴めなかったから…。
間に合わなかった、シェルターに残ったキムやハロルドたちの救出。
通信障害が起こったせいで、皆は事態を甘く見すぎた。「連絡が取れないだけなのだ」と。中の仲間はまだ無事だろうと、差し迫った危険は無い筈だと。
なにしろ場所がシェルターなのだし、外よりは遥かに安全な筈。其処に入っていない仲間を先に宇宙へ逃がすべき。ありったけのシャトルを総動員して。
「…俺たちは読み誤ったんだ。誰が危険に晒されているか、其処の所を勘違いした」
とにかく外にいるヤツから、と指図してシャトルに乗せていた。シェルターの方は、まだ充分に持ち堪えると踏んでいたからな。…通信が繋がらないだけで。
しかし本当は、もうそれどころの騒ぎじゃなかった。シェルターは崖の下にあったし、幾つもの岩が落ちて来たんじゃ、埋まってしまう。あの時点で既に、中はどうなっていたんだか…。
非常灯さえ消えていたかもしれんな、俺たちが楽観視していた間に。
まだ大丈夫だ、と他のシャトルの回収を急いでいた内に。
ナスカにはジョミーが降りてたんだが、まるで連絡がつかなかったし…。だから余計に、通信が繋がらない程度だと思ったのかもしれん。
「ジョミーにも…?」
連絡がつかないままでいたわけ、シャングリラは…?
ジョミーだったら、通信システムなんかに頼らなくても、思念波で連絡出来るのに…。
「ああ。だが、忙しくしていたんだろうな、エラの思念も届きやしなかった」
そちらはどうです、と何度呼び掛けても返事は返って来なかったんだ。ジョミーからも、船には一度も呼び掛けて来なかったから…。
勘違いしても仕方ないだろ、「連絡がつかないだけなんだ」と。シェルターに残った連中とも。
電磁波障害が起こっているなら、そういうこともあるからな。
中のヤツらはきっと無事だ、と思い込んだから、撤退命令を出しただけで満足しちまった。打つべき手は全て打ったから、と。
もしも通信が繋がっていたら、シェルターのヤツらを助け出すのが最優先だと気付いたのに…。
あいつらだって、自分の命の危機には中で気付いていた筈だからな。
其処へ救助がやって来たなら、あいつらも逃げていたんだろう。いくら頑固に頑張っていても、死ぬか生きるかなら、人間ってヤツは、生きられる道を選びたくなるモンだから…。
救出の順番を読み誤った、とハーレイが悔やむ電磁波障害。途絶えたシェルターとの通信。
シェルターの状況は分からないままで、多くの命を失う結果になってしまった。外にいた者は、残らず救い出せたのに。メギドの第一波で倒れた者たちを除いて、全て。
「…前の俺にとって、痛恨のミスというヤツだな。あそこで読み間違えたこと」
もっとも、俺だけじゃないんだが…。エラもブラウも、ゼルも同じに間違えたんだが…。
シェルターの中は外より安全だろう、と外のヤツらの救出を優先しちまったこと。
だがな…。そうなった原因の、通信システムに起こった障害。
前の俺は一度も、「改善しろ」と命令しちゃいない。シェルターで起こった事故の教訓、それを生かしはしなかった。もっと強固な通信システムを作れと言ってはいないってな。
今の今まで、思い付きさえしなかったんだ。増幅装置を組み込むことを。
シェルターの件で懲りていたなら、他の通信システムも全て改善すべきなのにな、とハーレイは悔しそうだけれども、そう思うのは今のハーレイ。前のハーレイではなくて。
今の時代も英雄と呼ばれるキャプテン・ハーレイ、彼ならば思い付きそうなのに。今のハーレイでも気付くことなら、「増幅装置を組み込め」と命じそうなのに…。
「…どうして?」
前のハーレイ、どうして考え付かなかったの?
全く気付かないままだったなんて、前のハーレイらしくないけど…。今のハーレイでも、すぐに思い付くことなんだよ?
ぼくとちょっぴり話してただけで、「増幅装置があれば良かった」って。
ホントにハーレイらしくないよ、と見詰めた恋人の鳶色の瞳。前のハーレイの同じ瞳が、読みを誤るとは思えないから。…シェルターとの通信が途絶えた時の判断の件はともかくとして。
「それがだな…。本当に俺がやっちまったんだから、もうどうしようもないってな」
前のお前を失くしちまった時のことだぞ、ナスカで起こった悲劇と言えば。
きっと触れたくもなかったんだろう、あそこで救い損ねた仲間たちの身に起こったことは。
電磁波障害が起こらなかったら、あいつらを無事に助け出せたということも。
…俺はキャプテン失格だな。私情が邪魔をしていたようじゃ。
前のお前を失くしたショックで、すっかり封印しちまったらしい。ナスカの教訓を生かそうとはせずに、忘れる方へと持って行ってな。
情けないキャプテンもあったもんだ、とハーレイが零した大きな溜息。シェルターの件で懲りていたなら、通信システムの改善をさせておくべきなのに、と。
「俺としたことが…。私情は交えていないつもりで生きてたんだが、違ったようだ」
前のお前を失くした後では、すっかり鈍っていたらしい。俺に自覚が無かっただけで。
もう本当に、どうしようもないキャプテンだよな、とハーレイは自分を責めるのだけれど。赤いナスカで失くした仲間たちの死を、少しも役に立てられなかった、と悔やむのだけれど。
「でも、ハーレイ…。ハーレイはそう言うけれど…」
それまではあのシステムで良かったんだし、ナスカから後も、困ったことは無かったんでしょ?
同じように困ったことがあったなら、ハーレイだって気が付くもの。改善しなきゃ、って。
「…俺が生きてた間はな。幸いなことに、二度と無かった」
しかしだ、地球が燃え上がっちまった時にはどうだったんだか…。俺はとっくに船にいないし、多分、死んじまっていたんだろうが…。
「地球が燃えちゃった時のことって…。シャトルとは、ちゃんと通信出来てたんじゃないの?」
シドがシャトルを降ろしたんでしょ、人類たちを助けるために。
全部回収して、それからシャングリラは地球を離れて行ったんだから…。通信システムに障害は出ていなかったんだよ。まさか通信出来もしないのに、シャトルを降ろしはしないでしょ?
いくらシドでも、そんな無茶は…、とチビの自分でも分かること。それは有り得ない、と。
「そういや、そうか…。あの程度ならば、大丈夫だったというわけか…」
大規模な地殻変動だったが、電磁波障害を引き起こすまではいかなかった、と言うんだな?
「少しは起こっただろうけど…。通信障害が起きるほどではなかったんだよ」
メギドの時が酷すぎただけ。誰もあんなの考えないもの、星ごと滅ぼす兵器なんかは。
「だが、実際に起きたことだし、対策を立てておくのがだな…」
キャプテンの務めなんだと思うが、とハーレイが言うから、首を横に振った。
「ハーレイはそう言うけれど…。キャプテンだから、って完璧でなくてもいいと思うよ」
キャプテンだけれど、前のハーレイだって、人間だもの。
おまけに、前のぼくを失くしてしまって、独りぼっちで残されちゃって…。
それでも頑張ってくれたんだものね、シャングリラを地球まで運ぶために。
とても悲しくて辛かったくせに、みんなにはそれを見せもしないで…。
だから自分を責めたりしないでいいと思う、と微笑んだ。「前のハーレイは頑張ったもの」と。
「ホントだよ? ぼくはそう思うよ、とても立派なキャプテンだった、って」
「そう言われると、ホッとするがな…。ありがとう、ブルー」
お前、慰めてくれるんだな、とハーレイに笑みが戻ったから。もう苦しくはないようだから…。
「じゃあ、御礼、くれる?」
ぼくに御礼、と頼んでみた。ここぞとばかりに、さっきの話を思い出して。
「御礼だって?」
「うん。暗号でなくてもかまわないから、手紙、ちょうだい」
中身はホントになんでもいいから、一回だけ。…郵便屋さんが届けてくれる手紙を。
お願い、とペコリと頭も下げた。本当に手紙が欲しいのだから。けれど…。
「そいつは駄目だな、ラブレターになっちまうから。俺がお前に書くとなったら」
しかも御礼の手紙となったら、それっぽいヤツになっちまう。前のお前のことも書くから。
お前、そういう魂胆だろうが、違うのか…?
「酷い! ぼくは其処まで考えてないよ!」
普通の手紙が欲しかったんだよ、本当だってば。どんな手紙でもいいんだから…!
なのに駄目だなんて、ハーレイのケチ、と怒ったけれども、貰えない手紙。ハーレイは書いてはくれないから。「ラブレターを書くのはお断りだ」と、切り捨てられてしまったから。
それに暗号の手紙を綴って、文通を始めることも出来ない。
暗号の手紙は素敵だけれども、ミュウに暗号は無かったから。そうだったと気付かされたから。
(なんだか残念…)
もう本当に残念だけれど、きっといつかは貰えるだろうラブレター。家のポストに配達されて。
今のハーレイから、熱い思いが綴られている本物を。郵便屋さんのバイクが運んで来て。
ちょっぴり悔しい気はするけれども、今は本物が届く日を楽しみに待つことにしよう。
暗号で秘密の手紙を書く気は、ハーレイにはまるで無いのだから。御礼のラブレターだって。
白いシャングリラに暗号は無くて、自分からも書いて送れはしない暗号の手紙。
それが書けたら素敵だろうに、暗号で綴った秘密の手紙は、自分には書けはしないのだから…。
ミュウと暗号・了
※ハーレイと暗号で文通しよう、と思い付いたブルー。前の生で使った暗号なら大丈夫。
ところが暗号は無かったのです。ミュウが開発した通信システム、それ自体が傍受は不可能。
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なあに、とブルーが興味を引かれた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
投稿した読者に取材のコーナー、記者が「これは素敵だ」と思った人に。写っているのは男性の写真。若くはなくて、父よりもずっと年上な感じ。とても優しい笑顔だけれど。
(おじいちゃんと、お孫さん…)
新聞に写真が載ってはいない、お孫さん。そのお孫さんと、暗号の手紙を交換しているという。お互い、全部暗号で書いて。宛先と差出人の名前と住所だけは普通に。
でないと配達して貰えないから。郵便屋さんは暗号なんかは読めないから。
(そうなっちゃうよね、住所も名前も暗号だったら…)
暗号の解読は郵便屋さんの仕事ではないし、きっと放っておかれる手紙。何処に届けていいのか分からず、送り返す先も謎なのだから。
(お孫さんが作った暗号なんだ…)
お祖父さんが住んでいる町から離れた所で、下の学校に通う男の子。その子が考え出した暗号、それが手紙に使われる。お祖父さんにだけ、仕組みを教えて。
「暗号ですから、誰にも教えられませんよ」と笑っている、お祖父さんの写真。けれど記者には見せてくれたらしい、お孫さんから届いた手紙。「こんな風に暗号なんですよ」と。
ごくごく単純だという暗号、記者の人にも分かった内容。手紙に何が書かれているか。
でも秘密だから、読者には秘密。手紙の中身も、暗号のヒントの欠片も全部。
(なんだか素敵…)
暗号で書いた秘密の手紙をやり取り、郵便屋さんが運んでくれる。宛先などは普通だから。中の手紙が暗号だなんて、思いもせずに。
(おじいちゃんも、お孫さんも、手紙をポストに入れるだけ…)
集配用のポストに、コトンと。秘密の手紙を書き上げたら。
住んでいる所が離れていたって、同じ地域の中でのこと。どちらも日本と名乗っている場所。
お蔭で手紙を投函したなら、次の日には届く秘密の手紙。郵便配達のバイクが走って出掛ける、手紙の宛先になっている家。「この家だな」と確かめた後は、家のポストへ。
他の色々な手紙と一緒に、暗号の手紙。お祖父さんとお孫さんだけの間の秘密。
(暗号で手紙を書いて貰って、暗号で返事…)
手紙を送り合う二人だけしか読めない手紙。お祖父さんとお孫さんだけの暗号、仕組みは秘密。
本当の所は、お祖母さんにも読めるのだけれど。記者だって読めたくらいだから。
男の子のパパも、もちろんママも、お祖父さんからの手紙が読めるけれども、男の子には内緒。せっかく秘密のやり取りなのだし、読めないふり。周りの誰もが。
家族たちに温かく見守られて続く、幸せな文通。微笑ましい秘密。簡単なのに、秘密の暗号。
とっても素敵、と思った所で閃いた。「暗号だよ」と。
(ハーレイとだって…)
暗号だったら、文通できるに違いない。この記事のような「誰にでも分かる」暗号ではなくて、正真正銘、暗号の手紙。誰にも読めはしないもの。
(ハーレイから届いて、ぼくが机に置いておいても…)
そのまま学校に出掛けてしまって、母が部屋の中に入ったとしても、暗号だったら大丈夫。机の上に手紙を見付けて、「そういえば昨日、届いてたわね」と開いてみても。
なんと言っても暗号なのだし、中身が分かるわけがない。穴が開くほど見詰めてみても。
(ハーレイもぼくも、前の自分がいるんだから…)
その時代のことを書くには暗号なのだ、と言えば納得するだろう母。「あら、秘密なのね」と。
辛く悲しい記憶も山ほど持っていたのが、シャングリラで生きた前の自分たち。両親たちに披露するには、悲しすぎるものも沢山ある。そういうことを書いた手紙は暗号、と説明すればいい。
(ママもパパも、きっと分かってくれるよ)
暗号でやり取りする理由。「自分たちには話せないほど、辛い出来事だったのだろう」と。
一度そうして話してしまえば、二度と訊かれることも無い。「手紙の中身は何だった?」とは。過去の悲しい話を聞くより、幸せな今を生きている話を両親も聞きたいだろうから。
(暗号だったら、ホントに安全…)
嘘の理由を説明したなら、もっと安全で安心な筈。毎日のようにやり取りしたって、両親は気にしないから。「会って話すには、辛すぎることもあるだろう」と思ってくれるから。
面と向かって話していたなら、ハーレイも自分も、涙が止まらなくなるだとか。二人揃って泣き続けたまま、会話にさえもならないだとか。
これは使える、と思った暗号。新聞の記事から貰ったアイデア。何食わぬ顔で閉じた新聞、母に返しに出掛けた空のカップやケーキのお皿。「御馳走様」と。
胸を弾ませて上がった階段、戻った二階の自分の部屋。勉強机の前に座っても、心はワクワク。
あの記事にあった子供みたいに、バレる暗号文でなければ、ラブレターだって交換出来る。誰も中身を読めないのだから、堂々と。ハーレイと幸せな手紙のやり取り。
どうして今まで思い付きさえしなかったろう…?
暗号化された手紙だったら、何を書いても大丈夫なのに。どんな手紙が届いても。
(ハーレイに頼めばいいんだよね!)
たったそれだけで、直ぐにも始められる暗号の手紙の交換。「ぼくと暗号で文通して」と。そう書いた暗号文の手紙を、ポストにコトンと入れるだけでいい。ハーレイの家の住所を書いて。
手紙が届けば、きっと返事が貰える筈。同じ暗号で綴られた、ハーレイの文字が並んだ手紙が。
(ハーレイだったら、ぼくの暗号…)
簡単に読めることだろう。両親には、まるで読めなくても。書いている途中で母が入って来て、「あら、手紙?」と覗き込んでも、謎の文章にしか見えなくても。
そう、ハーレイなら大丈夫。前の自分たちが使った暗号、それなら必ず通じるから。あれだ、と見るなりピンと来て。「前の俺たちの暗号だよな」と、スラスラ読めるだろう手紙。
(暗号の手紙、素敵だよね?)
一番最初は、「文通してよ」とお願いだけ。もちろん全部、暗号で書いて。
返事が来たなら、今度は少し長めの手紙。「今日はね…」などと、当たり障りのない話題。やり取りが続いて定着したら、ラブレターを書いて出せばいい。「ハーレイが好き」と。
(もうその頃なら、ハーレイも慣れてしまっているから…)
暗号だったら大丈夫だな、と「愛している」と返事が来そう。運が良ければ、とても熱烈な恋の想いを綴ったものも。
(今のハーレイ、古典の先生なんだから…)
暗号で書いても、名文が届くかもしれない。読んだら涙が零れるくらいに感動的なラブレター。手紙そのものはそれほどでなくても、引用された本の一節が心にジンと響くとか。
(ずっと昔の恋の歌とか、そういうのだって…)
暗号に混ぜてくるかもしれない。とても素敵な恋歌だって、上手に暗号文にして。
きっとハーレイなら書ける筈だよ、と思う熱烈なラブレター。その気になってくれさえすれば。
そういう手紙を貰うためには、まずは手紙の交換から。誰にも読めない暗号で書いて。
明日にでも早速出してみよう、と意気込んだけれど。書こうと勇み立ったのだけれど。
(あれ…?)
どう書くのだろう、暗号の手紙。「ぼくと暗号で文通してよ」と綴る方法。ハーレイと自分しか読めない暗号、それで手紙を書きたいのに…。
(えーっと…?)
まるで分からない、その暗号の綴り方。「ぼくと暗号で文通してよ」は、どう書くのかが。
前の自分たちが使った暗号、それは確かにある筈なのに。人類に傍受されないようにと交わした通信、あれは暗号だったのに。…ミュウにしか理解出来ない暗号。
それで書いたら簡単だよ、と思っていたのに、その暗号が全くの謎。今の小さな自分には。
書き方を忘れてしまったのかな、と下書き用の紙を用意した。いきなり書くのは無理みたい、と便箋ではなくて罫線が引いてあるだけの紙を。
(ぼくと暗号で…)
文通してよ、と綴ってやろうと、ペンも握ってみたのだけれども思い出せない。いったい暗号でどう書いたならば、そういう文になるのかが。
(…ぼくと暗号…)
最初の「ぼく」を、どう書いたならば、暗号の「ぼく」が出来るのだろう?
それに肝心要の「暗号」、それは暗号でどう綴ったらいいのだろう。「ぼく」と「暗号」、その段階でもう躓いた。まだ書き始めもしない内から。
(ぼくっていうのも、暗号の方も…)
基本の中の基本の筈。「ぼく」は「私」の意味にもなるし、ハーレイが書くなら「俺」になる。自分を指している言葉だから。それを抜きでは、きっと作れはしない文章。
(主語と述語の、主語が抜けちゃってる文章…)
誰が何をするか、文章に無くてはならない主語。「誰が」の部分。「ぼく」の書き方を知らないままでは、暗号文など綴れない。ついでに暗号文を書くなら、「暗号」だって知らないと。
「ぼくと暗号で文通してよ」と書きたかったら、必要なもの。「ぼく」と「暗号」、その両方を示す暗号が無くては無理。どう考えても、普通の言葉に置き換えてみても。
いきなりぶち当たった壁。いいアイデアだとワクワクしたのに、暗号が出て来ないから。いくら記憶を探ってみたって、「ぼく」も「暗号」も、それを表す欠片も浮かびはしないから。
(うーん…)
暗号が分からないなんて、と抱えてしまった小さな頭。「忘れちゃったの?」と。
青い地球の上に生まれ変わる時に、何処かに落として来たろうか。今の時代は、もう出番などは無い暗号。人類に傍受されないようにと、ミュウの間だけで使ったものは。
(今だと、おじいちゃんとお孫さんの間で暗号…)
おまけに新聞記者が取材に出掛けて、微笑ましい記事が出来るほど。「暗号ですから」と読者に秘密にしておいたって、記者だって読んで来た暗号。内緒で手紙を見せて貰って。
そんな時代に生まれた自分は、暗号を忘れたかもしれない。母のお腹にいる内に。温かな場所で眠る間に、「もう要らないよ」と、夢見心地で手放して。
そうなのかも、と思うくらいに本当に書けない暗号文。「ぼく」も「暗号」も、手紙に書きたい「ぼくと暗号で文通してよ」という、ほんの短い言葉でさえも。
これは困った、と机の前でウンウン唸っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、暗号を訊くことにした。まずは手紙を書いてくれるか、其処からだよね、と。
「あのね、ハーレイ…。ぼくがハーレイに手紙を出したら、返事をくれる?」
ちゃんと郵便で送ってくれる、と投げた質問。郵便屋さんが家に届けてくれる手紙、と。
「返事って…。お前と文通しろと言うのか、ラブレターには早すぎるがな?」
お前の年ではまだ早すぎだ、とハーレイは案の定、苦い顔。「もっと育ってからにしろ」とも。
やっぱりね、と思った通りの答えだったから、重ねて訊いた。
「そうだろうけど…。暗号の手紙だったらどう?」
普通の手紙なら、パパやママに読まれちゃったら大変だから、ラブレターは無理。
ハーレイはぼくの恋人なんだ、って分かっちゃったら、こんな風に会えなくなっちゃうし…。
でも暗号なら大丈夫だから、暗号の手紙。…暗号で書いた手紙をくれない?
「暗号だって?」
「そう、暗号」
知られたくない中身だったら、暗号で書けばいいんだよ。手紙だってね。
それなら何が書いてあっても安心なんだし、ハーレイの家に暗号の手紙を出そうかな、って…。
今日の新聞にこんな話が載っていたよ、と披露した。お祖父さんとお孫さんの間の文通、暗号を使った秘密の手紙。下の学校の子供が作った暗号だから、新聞記者でも読めるけれども。
「それを真似して、ハーレイに書こうと思ったんだよ。暗号の手紙」
ぼくが暗号で手紙を書いたら、ハーレイも暗号で返事をくれればいいじゃない。秘密の手紙。
パパやママが開けて読んでみたって、暗号文なら平気だよ。本当に暗号だったらね。
新聞に載ってた子供みたいな暗号は使えないけれど、と付け加えるのも忘れない。誰でも読める暗号文など、全く役に立たないから。…ハーレイと文通するのなら。
「なるほどなあ…。お祖父さんと暗号で文通だなんて、実に微笑ましい話だな」
取材に出掛けて行ったのも分かる気がするぞ。真似をしてみたい人も大勢いそうだから。
お前もその中の一人なわけだが…。どんな暗号を考えたんだ?
そう簡単には解読出来ない暗号だとは恐れ入った、とハーレイが知りたがる暗号。「俺は手紙を貰うわけだし、暗号、教えてくれるんだろう?」と興味津々な表情で。
けれど、そうではない暗号。何も考案してはいないし、その上、すっかり忘れた始末。使おうと思って張り切ったのに、前の自分たちが何度も使った暗号を。
だから素直に白状した。「ぼくは暗号、考えてなんかいないんだよ」と。
「わざわざ頑張って考えなくても、前のぼくたちのを使えばいいと思ったから…」
人類に傍受されない暗号、通信に使っていたじゃない。シャングリラで暮らしていた頃に。
あれを使おうと思ったんだけど、ちっとも思い出せなくて…。
下書き用の紙を出しても、ペンを持っても、欠片も出て来てくれないから…。もうお手上げ。
ハーレイだったら覚えてるでしょ、シャングリラのキャプテンだったんだもの。
どう書けばいいの、と尋ねた暗号。本当は自分で書いてポストに入れたかった文章。
「ぼくと暗号で文通してよ」は、暗号で書いたらどうなるの、と。
主語の「ぼく」さえ出て来ないけれど、「ぼく」は暗号だと何になるの、と問い掛けた。まるで覚えていないのだから仕方ない。
(…ハーレイに訊いて書くなんて…)
情けないけれど、「聞くは一時の恥」という言葉もある。「聞かぬは一生の恥」になるのだし、此処で頭を下げておいたら、掴める手掛かり。遠い昔に馴染んだ筈の暗号文。
少しだけでも耳にしたなら、思い出せるかもしれないから。暗号の仕組みを、丸ごと全部。
大恥だけれど此処は我慢、と訊いたのに。忘れてしまった暗号のことを、シャングリラを纏めていたキャプテンに質問したのに、ハーレイは事もなげに答えた。「なんだ、そんなことか」と。
「前の俺たちの暗号なあ…。簡単なもんだ、頭なんかは使わなくても、そのままだから」
悩む必要は何処にも無いぞ、というのが返事。シャングリラで使った暗号文。
「そのままって…?」
何をそのまま使うって言うの、ぼくはホントに何も覚えていないから…。暗号は、何も。
そのままだなんて言われても困るよ、その「そのまま」のことを説明してよ…!
忘れちゃったぼくにも分かるように、と組み立て直した質問の中身。今、ハーレイから教わったことは、少しも理解出来ないから。いくら頭を使ってみたって、暗号は謎のままだから。
「そのままだと言っているだろう。…もう本当にそのままなんだ」
ぼくと文通して、と書けばいいだけのことなんだが…。お前が書きたい、暗号の手紙。
そっくりそのまま書くだけだ、とハーレイが言うから驚いた。それは暗号とは言わないから。
「ちょっと待ってよ、暗号になっていないじゃない!」
ぼくがすっかり忘れちゃったと思って、冗談を言ってからかってるの?
酷いよ、馬鹿にするなんて…!
あんまりだよ、と上げた抗議の声。「文通する気が無いにしたって、酷すぎない?」と。
「馬鹿にしてなんかいないがな、俺は。…至極真面目に、お前の質問に答えただけだが」
きちんとキャプテン・ハーレイとしての、記憶と知識を使ってな。今の俺の冗談とは違う。
いいか、そいつを文字で書くから、そのままの形になっちまうんだ。…暗号じゃなくて。まるで暗号化されていなくて、誰でも読めてしまう文章。それじゃ暗号とは呼べないが…。
ところが、同じ言葉を通信用の回線に乗せれば、きちんと立派な暗号になる。つまりは通信用の回線、それを通すしかないってこった。…暗号文にしたければな。
「えっと…。それって、どういうこと?」
自分で暗号にするんじゃなくって、機械の力を借りていたわけ、シャングリラでは…?
「おいおい、其処まで忘れちまったのか、ソルジャーのくせに」
いや、これはソルジャーの管轄の話じゃなかったな。忘れちまうのも無理ないか…。
キャプテンには必須の知識だったが、ソルジャーは知らなくてもいいってトコだな、暗号は。
もちろん知ってはいた筈なんだが、生まれ変わった後まで律儀に、覚えてなくてもいいわけだ。
通信システムの仕組みまでは…、とハーレイが始めた話。前の自分たちが暮らしていた船、白いシャングリラと、改造前だった船のこと。
「前の俺たちだが、人類の通信は傍受していただろう。人類軍のも、民間船のも」
鉢合わせしたら大変だからな、コンスティテューション号だった頃から誰かがチェックしていた筈だ。あの時代の俺は厨房にいたから、詳しいことまでは知らないが。
まだシャングリラじゃなかった頃から、きちんと通信とその内容とを調べてたもんだ。
前のお前が物資を奪いに出掛ける時にも、それを参考にしていたろうが、という指摘。どういう物資を積み込んだ船が何処を通るか、人類の船の通信を元に、航路を割り出していたのだから。
「そうだったけど…。それと暗号、関係があるの?」
人類が暗号を使っていたって、それは人類の暗号だよ。…ミュウのじゃなくて。
前のぼくたちの役には立たない暗号だけど、と首を傾げた。人類も使う暗号などでは、ミュウの船では安心して使うことは出来ない。既に知られた暗号文など、暗号の意味を成さないから。
「人類が使っていた暗号ってヤツは、この話とは無関係だな。何の参考にもしなかったから」
シャングリラって名前をつけた後にも、前の俺たちには他に船なんかは無かったわけで…。
船の格納庫にシャトルはあっても、それの出番は来やしない。飛び出して行く用が無いから。
外に出るのは前のお前だけで、お前とは思念波で連絡が取れた。そんな頃なら、通信回線を使う必要は無かったんだが…。通信する相手が無いわけなんだし。
しかし、白い鯨に改造したなら、事情はガラリと変わっちまうぞ。デカい格納庫まで持っていた船だ、その格納庫は空っぽじゃない。…前の船でも、小型艇くらいはあったがな。
白い鯨はどうだったんだ、と問われた格納庫の中のこと。何基もあった、ギブリなどの船。
「シャトル、あったね…。白い鯨が出来て直ぐから」
ギブリも、他の形の船も。アルテメシアに着くまで、出番は無かったけれど。
載っていたっけ、と今でも思い出せる船。何隻もあった小型艇。前の自分が欲しいと願った、救命艇の姿が無かっただけで。
「あっただろうが、シャングリラの外に出て行ける船が幾つもな」
それをシャングリラの外に出すなら、通信システムをどうするのかが問題だ。
せっかくコッソリ隠れているのに、人類に全部、傍受されていたんじゃたまらんからな。
俺たちが人類のを傍受していたみたいに、こっちの通信も筒抜けだなんて。
そいつは大いに困るだろうが、と言われなくても分かること。シャングリラと小型艇とが交わす通信、それは秘密でなくてはならない。人類に通信を捉えられても、内容が掴めないように。
白いシャングリラへの改造を前に、ゼルたちが中心になった研究。
サイオンを活用したステルス・デバイスやシールドの他に、通信の暗号化というものも。人類に居場所を知られないよう、用心せねばならないから。
けれど、それらの蓋を開けてみたら、通信の暗号化が一番簡単だった。意外なことに。
思念波を補助的に使う通信システム。それが発信する通信自体を、コンスティテューション号という名前だった船のシステムでは全く拾えない。雑音としてさえ捉えられない。
受信自体が不可能なのだ、と開発を始めて直ぐに分かった。思念波が介在しているだけで、もう人類の通信とは全く違う。同じように通信を飛ばしてみたって、人類はそれを拾えない。
「つまりだな…。暗号化する必要さえも無かったんだ」
どうせ人類には捕捉されないし、傍受も出来ん。どんなに盛んに通信してても、届かないんだ。人類が乗ってる船の中にも、もちろん基地や惑星の上の都市にもな。
ミュウの船同士で通信するなら、もうそれだけで暗号だった。いや、それ以上と言うべきか…。
暗号だったら傍受も出来るが、通信していることさえ分からないんだから。
あのシステムさえ持っていたらだ、暗号の出番は何処にも無い。捉えられない通信なんだぞ?
人類に向かって送りたいなら、暗号化なんぞは不要だしな?
ジョミーがやってた思念波通信、あれも暗号なんかじゃなかった。人類に向けて、思念波を直接送っただけだ。文字通り、そのままの思いってヤツを。…あの時のジョミーの。
通信システムさえ使っていないぞ、思念波を送ってやったんだから。大々的にな。
結果は裏目に出ちまったんだが、とハーレイがついた深い溜息。ジョミーが送った強い思念は、人類の世界に悪影響しか及ぼさなかった。そんな意図など、誰も持ってはいなかったのに。
お蔭で人類はそれまで以上に、執拗にミュウを追うことになる。宇宙を彷徨う白い鯨を。
「そうだったっけね…。前のぼくたちが使った通信、人類には掴めなかったんだっけ…」
仕組みが違いすぎていたから、どう頑張っても拾うのは無理。…ミュウ同士で交わす通信は。
シャングリラから外の小型艇に向けて飛ばしていたって、その逆だって。
ミュウが交信していることさえ、人類は知らずに暮らしてたっけ…。
アルテメシアに辿り着く前も、あそこの雲海に長いこと潜んで飛んでた間も。
人類には傍受されない通信システム、それを開発したゼルたち。暗号などは一切使わずに。
どう試みても読めない暗号、そうとも呼べた通信内容。まるで拾えない通信なのだし、読み解くことは不可能だから。マザー・システムを構成していた、コンピューターを総動員しても。
「…シャングリラに暗号、無かったんだ…」
あったつもりでいたんだけれど、暗号は何処にも無かったんだね。通信システムを使っただけ。
言葉をそのまま送るだけで良くて、人類には通信していることさえ分からないんだから。
暗号よりも凄いけれども、暗号は無し…。暗号、使いたかったのに…。
前のぼくたちが使った暗号、とガックリと落としてしまった肩。ハーレイに送りたいと思った、暗号の手紙は書けないらしい。暗号は無かったのだから。
「お前にとっては残念なことに、そうらしいな。シャングリラは暗号など無かった船だ」
暗号なんぞを作らなくても、通信自体を丸ごと隠しておけたんだから。人類の目からも、機械の監視網からだって。
お前が忘れてしまったわけじゃないんだ、暗号化する方法を。…最初から無かったんだから。
俺に訊いてた「ぼく」って言葉も、「暗号」の方も、暗号に出来やしないってな。
文字の形にしたいのなら…、と慰められた。「残念だったな」と、半ば笑いながら。
「そうみたい…。ハーレイと文通、暗号だったら出来るよね、って思ってたのに…」
パパにもママにも読めやしないし、何を書いても大丈夫だから。ハーレイがどんな手紙を書いてくれても、机の上に堂々と置いておけるから…。「ハーレイに貰った手紙だよ」って。
中身のことを質問されたら、「前のぼくたちの悲しい話」って言っておこうと思ってたのに…。
手紙なら色々書けるけれども、二人で会ってる時に話したら、涙が止まらなくなるような。
「おい、とんでもない悪ガキだな?」
悪知恵ってヤツを働かせやがって、俺にいったい何を書かせるつもりで暗号の手紙だったんだ?
その調子だと、ラブレターを狙っていそうだが…。
「…書いて貰えると思っていたもの、文通がすっかり普通になったら」
暗号の手紙をやり取りしてたら、ハーレイだって慣れてくるでしょ?
ぼくがラブレターを送った時には、ちゃんと返事が来そうだよね、って…。
ハーレイだってラブレターを書いてくれそうだよ、って思ったから書きたかったのに…。
夢がすっかり壊れちゃった、と残念でたまらない暗号のこと。前の自分たちが使った暗号。
忘れたのかと思ったけれども、暗号は存在しなかった。それは必要無かったから。通信の内容を隠さなくても、人類はミュウの通信自体を、把握する術を持たなかったから。
人類に傍受されないからこそ、アルテメシアの育英都市に潜入班の者たちを送り込めた。地上に降りて動く彼らと、いつでも自由に通信出来た。思念波が届かない場所にいたって。
きっとナスカでも、あのシステムが活用されていたのだろう、と考えていたら…。
「前の俺たちの暗号か…。そんなものは無かったわけなんだが…」
人類には捕まえられない通信システム、それで充分だったんだが…。だがなあ…。
あのシステムをだ、もう少しばかり研究しとけば良かったな。今頃になって言い出してみても、遅すぎるんだが…。
俺はとっくにキャプテンじゃないし、シャングリラだってもう無いんだから。
だが…、とハーレイが腕組みをして考え込むから、キョトンと見開いてしまった瞳。とうの昔に完成していた通信システム、それをどうしたかったのか、と。
「えっと…。研究するって、あれ以上、何を?」
通信システムは完成品でしょ、シャトルとか潜入班の仲間と、ちゃんと通信出来たんだから。
人類には一度も見付からないまま、地球まで辿り着けた筈だよ。
ナスカが人類に知られちゃったのは、通信のせいじゃないんだもの。あそこに近付く人類の船を追い払いすぎて、「なんだか変だ」って思われたのが原因で…。
通信は関係無かったでしょ、と瞳を瞬かせた。「あのシステムは完璧だったよ?」と。
「其処なんだ。完璧に出来てはいたんだが…。そうなった理由と言うべきか…」
人類が捕捉出来なかった理由は、思念波が絡んでいたからだ。サイオンを使った装置だから。
俺が言うのは其処の部分だ、研究しておけば良かった所。
せっかく思念波を使っていたんだ、あのシステムにも増幅装置を組み込むべきだった。他のには使っていたのにな…。ステルス・デバイスにも、サイオン・シールドにも。
「増幅装置って…。なんで?」
そんなの、必要無かったじゃない。暗号なんかは要らなかったのと同じで、意味なんか無いよ。
何処にでも通信は届いてたんだし、増幅装置を入れなくっても…。
通信障害が起きるんだったら、それも必要だろうけど…。
一度も起こっていなかったじゃない、と前の自分の遠い記憶を探ってみる。通信システムは常に正常だった筈。障害などは起きもしないで。
ジョミーがアルテメシアの遥か上空まで駆け上がった時も、システムはきちんと作動していた。人類軍の猛攻を浴びる中でも、シャングリラはリオを救いに出掛けた小型艇を把握し続けたから。
とても小さな船が何処まで飛んで行ったか、リオを救出できたのか。
無事に救って逃げ出した後は、何処でシャングリラと合流すべきか、全てにおいて頼った装置。小型艇の方でも、それを送り出したシャングリラでも。
だからこそ「無かった」と言える障害。ただの一度も通信障害は起こらなかった、と。
「…そうなるだろうな、前のお前が知ってる限りじゃ一度も無かった」
お前が深い眠りに就いちまった後も、一度も困りはしなかったから。何処を飛んでいても。
だがな…。あのシステムでも、電磁波障害の中では通信出来なかったんだ。
元が思念波を使ったヤツだったんだし、増幅装置さえ組み込んでおけば、解消出来た筈なのに。もっと応援を増やして来い、と言いさえすれば、いくらでも強く出来るんだから。
増幅装置さえ入っていればな…、とハーレイが眉間に寄せた皺。「だが、無かった」と。
「ハーレイ、何か覚えがあるんだね…?」
前のぼくがいなくなった後だろうけど、電磁波障害で通信が途絶えちゃったこと。
人類軍との戦いの時なの、ジュピターの上空で戦った頃は船も増えてたらしいから…。ブラウやゼルが指揮してた船と、艦隊を組んでいたんだものね?
他の船と連絡が出来なかったの、と思い浮かべた歴史の授業で習うこと。人類軍との最大規模の戦闘があったジュピター上空、あそこだったら電磁波障害が起こったかも、と。
けれどハーレイは「違う」と答えた。それは辛そうな顔をして。
「…ジュピターじゃないんだ、ナスカでのことだ」
シェルターとの通信が途絶えちまった、メギドのせいで。…あれがナスカを襲ったせいで。
前のお前たちが防いでくれても、攻撃は地上に届いたからな。電磁波障害だって引き起こす。
惑星崩壊を誘発するほどの破壊力だし、シェルターなんかはどうしようもない。一時的な避難のために作られた施設だ、通信設備に力を入れちゃいなかった。最初からな。
シャトルとは連絡が取れていたのに、シェルターだけは繋がらなかった。どう頑張っても。
お前が命を懸けてくれたのに、シェルターの中の状態が掴めなかったから…。
間に合わなかった、シェルターに残ったキムやハロルドたちの救出。
通信障害が起こったせいで、皆は事態を甘く見すぎた。「連絡が取れないだけなのだ」と。中の仲間はまだ無事だろうと、差し迫った危険は無い筈だと。
なにしろ場所がシェルターなのだし、外よりは遥かに安全な筈。其処に入っていない仲間を先に宇宙へ逃がすべき。ありったけのシャトルを総動員して。
「…俺たちは読み誤ったんだ。誰が危険に晒されているか、其処の所を勘違いした」
とにかく外にいるヤツから、と指図してシャトルに乗せていた。シェルターの方は、まだ充分に持ち堪えると踏んでいたからな。…通信が繋がらないだけで。
しかし本当は、もうそれどころの騒ぎじゃなかった。シェルターは崖の下にあったし、幾つもの岩が落ちて来たんじゃ、埋まってしまう。あの時点で既に、中はどうなっていたんだか…。
非常灯さえ消えていたかもしれんな、俺たちが楽観視していた間に。
まだ大丈夫だ、と他のシャトルの回収を急いでいた内に。
ナスカにはジョミーが降りてたんだが、まるで連絡がつかなかったし…。だから余計に、通信が繋がらない程度だと思ったのかもしれん。
「ジョミーにも…?」
連絡がつかないままでいたわけ、シャングリラは…?
ジョミーだったら、通信システムなんかに頼らなくても、思念波で連絡出来るのに…。
「ああ。だが、忙しくしていたんだろうな、エラの思念も届きやしなかった」
そちらはどうです、と何度呼び掛けても返事は返って来なかったんだ。ジョミーからも、船には一度も呼び掛けて来なかったから…。
勘違いしても仕方ないだろ、「連絡がつかないだけなんだ」と。シェルターに残った連中とも。
電磁波障害が起こっているなら、そういうこともあるからな。
中のヤツらはきっと無事だ、と思い込んだから、撤退命令を出しただけで満足しちまった。打つべき手は全て打ったから、と。
もしも通信が繋がっていたら、シェルターのヤツらを助け出すのが最優先だと気付いたのに…。
あいつらだって、自分の命の危機には中で気付いていた筈だからな。
其処へ救助がやって来たなら、あいつらも逃げていたんだろう。いくら頑固に頑張っていても、死ぬか生きるかなら、人間ってヤツは、生きられる道を選びたくなるモンだから…。
救出の順番を読み誤った、とハーレイが悔やむ電磁波障害。途絶えたシェルターとの通信。
シェルターの状況は分からないままで、多くの命を失う結果になってしまった。外にいた者は、残らず救い出せたのに。メギドの第一波で倒れた者たちを除いて、全て。
「…前の俺にとって、痛恨のミスというヤツだな。あそこで読み間違えたこと」
もっとも、俺だけじゃないんだが…。エラもブラウも、ゼルも同じに間違えたんだが…。
シェルターの中は外より安全だろう、と外のヤツらの救出を優先しちまったこと。
だがな…。そうなった原因の、通信システムに起こった障害。
前の俺は一度も、「改善しろ」と命令しちゃいない。シェルターで起こった事故の教訓、それを生かしはしなかった。もっと強固な通信システムを作れと言ってはいないってな。
今の今まで、思い付きさえしなかったんだ。増幅装置を組み込むことを。
シェルターの件で懲りていたなら、他の通信システムも全て改善すべきなのにな、とハーレイは悔しそうだけれども、そう思うのは今のハーレイ。前のハーレイではなくて。
今の時代も英雄と呼ばれるキャプテン・ハーレイ、彼ならば思い付きそうなのに。今のハーレイでも気付くことなら、「増幅装置を組み込め」と命じそうなのに…。
「…どうして?」
前のハーレイ、どうして考え付かなかったの?
全く気付かないままだったなんて、前のハーレイらしくないけど…。今のハーレイでも、すぐに思い付くことなんだよ?
ぼくとちょっぴり話してただけで、「増幅装置があれば良かった」って。
ホントにハーレイらしくないよ、と見詰めた恋人の鳶色の瞳。前のハーレイの同じ瞳が、読みを誤るとは思えないから。…シェルターとの通信が途絶えた時の判断の件はともかくとして。
「それがだな…。本当に俺がやっちまったんだから、もうどうしようもないってな」
前のお前を失くしちまった時のことだぞ、ナスカで起こった悲劇と言えば。
きっと触れたくもなかったんだろう、あそこで救い損ねた仲間たちの身に起こったことは。
電磁波障害が起こらなかったら、あいつらを無事に助け出せたということも。
…俺はキャプテン失格だな。私情が邪魔をしていたようじゃ。
前のお前を失くしたショックで、すっかり封印しちまったらしい。ナスカの教訓を生かそうとはせずに、忘れる方へと持って行ってな。
情けないキャプテンもあったもんだ、とハーレイが零した大きな溜息。シェルターの件で懲りていたなら、通信システムの改善をさせておくべきなのに、と。
「俺としたことが…。私情は交えていないつもりで生きてたんだが、違ったようだ」
前のお前を失くした後では、すっかり鈍っていたらしい。俺に自覚が無かっただけで。
もう本当に、どうしようもないキャプテンだよな、とハーレイは自分を責めるのだけれど。赤いナスカで失くした仲間たちの死を、少しも役に立てられなかった、と悔やむのだけれど。
「でも、ハーレイ…。ハーレイはそう言うけれど…」
それまではあのシステムで良かったんだし、ナスカから後も、困ったことは無かったんでしょ?
同じように困ったことがあったなら、ハーレイだって気が付くもの。改善しなきゃ、って。
「…俺が生きてた間はな。幸いなことに、二度と無かった」
しかしだ、地球が燃え上がっちまった時にはどうだったんだか…。俺はとっくに船にいないし、多分、死んじまっていたんだろうが…。
「地球が燃えちゃった時のことって…。シャトルとは、ちゃんと通信出来てたんじゃないの?」
シドがシャトルを降ろしたんでしょ、人類たちを助けるために。
全部回収して、それからシャングリラは地球を離れて行ったんだから…。通信システムに障害は出ていなかったんだよ。まさか通信出来もしないのに、シャトルを降ろしはしないでしょ?
いくらシドでも、そんな無茶は…、とチビの自分でも分かること。それは有り得ない、と。
「そういや、そうか…。あの程度ならば、大丈夫だったというわけか…」
大規模な地殻変動だったが、電磁波障害を引き起こすまではいかなかった、と言うんだな?
「少しは起こっただろうけど…。通信障害が起きるほどではなかったんだよ」
メギドの時が酷すぎただけ。誰もあんなの考えないもの、星ごと滅ぼす兵器なんかは。
「だが、実際に起きたことだし、対策を立てておくのがだな…」
キャプテンの務めなんだと思うが、とハーレイが言うから、首を横に振った。
「ハーレイはそう言うけれど…。キャプテンだから、って完璧でなくてもいいと思うよ」
キャプテンだけれど、前のハーレイだって、人間だもの。
おまけに、前のぼくを失くしてしまって、独りぼっちで残されちゃって…。
それでも頑張ってくれたんだものね、シャングリラを地球まで運ぶために。
とても悲しくて辛かったくせに、みんなにはそれを見せもしないで…。
だから自分を責めたりしないでいいと思う、と微笑んだ。「前のハーレイは頑張ったもの」と。
「ホントだよ? ぼくはそう思うよ、とても立派なキャプテンだった、って」
「そう言われると、ホッとするがな…。ありがとう、ブルー」
お前、慰めてくれるんだな、とハーレイに笑みが戻ったから。もう苦しくはないようだから…。
「じゃあ、御礼、くれる?」
ぼくに御礼、と頼んでみた。ここぞとばかりに、さっきの話を思い出して。
「御礼だって?」
「うん。暗号でなくてもかまわないから、手紙、ちょうだい」
中身はホントになんでもいいから、一回だけ。…郵便屋さんが届けてくれる手紙を。
お願い、とペコリと頭も下げた。本当に手紙が欲しいのだから。けれど…。
「そいつは駄目だな、ラブレターになっちまうから。俺がお前に書くとなったら」
しかも御礼の手紙となったら、それっぽいヤツになっちまう。前のお前のことも書くから。
お前、そういう魂胆だろうが、違うのか…?
「酷い! ぼくは其処まで考えてないよ!」
普通の手紙が欲しかったんだよ、本当だってば。どんな手紙でもいいんだから…!
なのに駄目だなんて、ハーレイのケチ、と怒ったけれども、貰えない手紙。ハーレイは書いてはくれないから。「ラブレターを書くのはお断りだ」と、切り捨てられてしまったから。
それに暗号の手紙を綴って、文通を始めることも出来ない。
暗号の手紙は素敵だけれども、ミュウに暗号は無かったから。そうだったと気付かされたから。
(なんだか残念…)
もう本当に残念だけれど、きっといつかは貰えるだろうラブレター。家のポストに配達されて。
今のハーレイから、熱い思いが綴られている本物を。郵便屋さんのバイクが運んで来て。
ちょっぴり悔しい気はするけれども、今は本物が届く日を楽しみに待つことにしよう。
暗号で秘密の手紙を書く気は、ハーレイにはまるで無いのだから。御礼のラブレターだって。
白いシャングリラに暗号は無くて、自分からも書いて送れはしない暗号の手紙。
それが書けたら素敵だろうに、暗号で綴った秘密の手紙は、自分には書けはしないのだから…。
ミュウと暗号・了
※ハーレイと暗号で文通しよう、と思い付いたブルー。前の生で使った暗号なら大丈夫。
ところが暗号は無かったのです。ミュウが開発した通信システム、それ自体が傍受は不可能。
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