シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(ふうむ…)
珍しいな、とハーレイが覗き込んだショーケース。
いつもの食料品店に設けられている特設売り場、ブルーの家には寄れなかった金曜日。こういう日には買い出しなんだ、と店に入って来たけれど。そこで出会った菓子を並べたショーケース。
何の気なしに「ケーキの店だな」とザッと眺めたその中にあった、様々なベリーで飾られた白い菓子。最初は普通のケーキと間違えかけた菓子だけども。
その菓子の前にだけ、特に目立つ札。商品名が大きく書かれた札。「パブロワ」の名が。
パブロワといえば、焼き上げたメレンゲに生クリームとベリーを乗せたもの。ケーキさながらに大きく焼いたメレンゲを使うものやら、一人前の量に丁度いいサイズに作るものやら。
(どっちにしたって、メレンゲだからな…)
卵白と砂糖で出来たメレンゲ、生クリームとベリーを乗せたら、時間が経つほど湿るもの。形はさほど崩れなくても、失われてしまうサクッとした食感。
つまり日持ちがしない菓子だから、作ったその日に食べてしまわないと美味しくないから、店に並ぶことは殆ど無い。ベリーの季節ならばともかく、今の時期は特に。
ところがバッタリ出会ったパブロワ、それも一人用のサイズに作られたもの。小さめのカップを思わせる形、真っ白なメレンゲで焼かれたカップ。生クリームとベリーが詰まったメレンゲ。
これならデザートにピッタリだから。夕食の後にコーヒーを淹れて…。
(久しぶりに…)
食べてみよう、と店員に「一つ」と頼んで買った。滅多に出会えはしない菓子だし、見た目にも美味しそうだから。
特設売り場は日曜日までで、明日来ても確実に買えるパブロワ。期待通りの出来だったならば、明日はブルーへの土産に買って持ってゆこうと。
小さなブルーは何か貰うと、それは幸せそうな顔をするから。
食べれば消えてしまうものでも、「お土産なの?」と本当に嬉しそうだから。
(…いつかは食べ物じゃないプレゼントも持って行きたいもんだが…)
今は出来ない、ブルーは子供で、まだ幼くて。
前世の記憶を持ってはいても、キスさえ出来ない十四歳にしかならない子供。恋人への贈り物は持ってゆけない、色々とマズイことになるから。
ブルーの両親さえも知らない、誰にも秘密の恋人同士。この辺りは前の自分たちの恋と似ているけれど。隠さねばならない恋なのだけれど。
(今度は結婚出来るんだからな?)
そこが違う、と頷いた。いずれは明かせる、祝福されて結婚出来る。隠すことなく、堂々と。
プレゼントも贈れる、幾つも、幾つも。
それまでは食べ物で我慢して貰おう、小さなブルーへの贈り物は。家に届けてやる土産物は。
特設売り場のパブロワの他にも、あれやこれやと買って帰った食料品。仕分けが済んだら夕食の支度、料理をするのは好きだから。手際よく作って満足の食卓、一人暮らしでも豊かな彩り。
「御馳走様」と合掌した後はキッチンで片付け、ついでに熱いコーヒーも淹れた。愛用の大きなマグカップ。それにたっぷり、例のパブロワも紙箱から出してケーキ用の皿に。
何処で食べるか少し思案して、書斎へと。懐かしい菓子には似合いの部屋だから。本棚に並んだ本と同じで、パブロワにも思い出が詰まっているから。
机の前に座って、まずはコーヒー。淹れたての味と香りを一口、それからパブロワ。
(こいつは、行儀よく食うのも美味いんだが…)
綺麗な形が崩れないよう、端の方からフォークで切っては口に運ぶのもいいのだけれど。それが本来の食べ方だけれど、こうして書斎に持って来た菓子。
俺は断然、こっちだな、とザックザックと崩していった。カップのように焼かれたメレンゲを。フォークを手にしてザックザックと、メレンゲとベリーと生クリームが混ざるように。
もう原型は無いけれど。すっかり崩れてグシャグシャだけれど。
(パブロワは、これに限るってな!)
混沌とした皿の上のパブロワをフォークで掬って、一口食べて。頬が緩んだ、その味わいに。
崩れたメレンゲと、それに絡んだ生クリームと、ベリーの味と。絶妙に絡み合ったそれ。上品に端から食べていっても、決してこうはならないパブロワ。
学生時代に教えて貰った、柔道や水泳の先輩たちに。「パブロワはこう食べるべきだ」と。
運動部員ならイートン・メスだと、この食べ方が相応しいのだと。
遠い遥かな昔の地球。SD体制が始まるよりも遠い遠い昔、イギリスと呼ばれていた島国。
その国にあったメレンゲの菓子がイートン・メス。伝統ある名門、イートン校の名がつけられた菓子。それの由来はパブロワだったと教わった。先輩たちから、誇らしげに。
イートン校のクリケット試合で供されたパブロワ、それを生徒たちがグシャグシャに崩したのが始まりなのだと、実に由緒ある食べ方なのだ、と。
だから運動をやる者だったら、パブロワを食べるならイートン・メス。
こうして崩せと、豪快にやれと、行儀よく端から食べてゆくなど論外だぞ、と。
ベリーの季節に習った食べ方、「こうやって食え」とパブロワを崩した先輩たち。それは驚いたものだけれども、恐る恐る食べたら違う意味でもっと驚かされた。
なんと美味しい食べ方だろうと、崩すだけでこうも違うのかと。それに…。
(イートン・メスってヤツはだな…)
別のものだと思っていた。そういう名前の菓子があるから、パブロワとはまるで違うから。
新鮮なベリーが出回る季節に母が作っていたイートン・メス。ガラスの器に盛られたデザート。指でヒョイとつまめるサイズに焼かれた小さなメレンゲ、それとベリーと生クリーム。順に入れて重ねて、それの繰り返し。
メレンゲとベリー、ふわりとホイップされた生クリーム、重なったそれはパフェにも見えて。
けれどパフェほど冷たくはなくて、スプーンで掬って食べていた。ベリーとメレンゲが意外にも合うと、生クリームが味を引き立てていると。
(よく考えたら、材料は同じなんだよなあ…)
パブロワも、それにイートン・メスも。
ベリーの季節に家で食べた菓子、パフェを思わせたイートン・メス。それがパブロワのふざけた食べ方から生まれたと聞けば、素直に納得出来たから。
最初にそれをやらかしたと伝わるイートン校の生徒とやらも、自分たちのように運動が好きで、やんちゃ盛りだったのだろうと嬉しくなってしまったから…。
それ以来、パブロワを見掛けたら食べる、こうやってグシャグシャにフォークで潰して。
学生時代を懐かしみながら、先輩たちや仲間たちの顔を思い浮かべて微笑みながら。
パブロワを食べるならイートン・メス。どんなに綺麗に作られていても、崩して食べるのが運動部員。遠い昔のイートン校の生徒たちのように、行儀なんぞは知ったことかと。
(こいつにはコレが一番なんだ)
それに美味いし、とザックザックと混ぜるパブロワ、元の形はもう分からない。売っていた店の者が見たなら、これを作ったパティシエが見たら、きっと唖然とするだろう。
けれども、これが醍醐味だから。パブロワはこうして食べたいから。
知ったことかと、買ったからには俺のものだとザックザックと混ぜていて。
パブロワを食うなら崩してこそだと、こうでないと、と崩す楽しみを満喫していて…。
(ん…?)
こんなトコか、と最後にグシャリとやった所で引っ掛かった記憶。
前にも崩して混ぜたのだった、こんな具合に。
大きなパブロワをフォークでグシャグシャに壊して、混ぜたベリーと生クリームと。
運動部員たちと食べたものより、もっと立派なパブロワを。
何人前だか分からないほど、それは大きく作り上げられた見事で綺麗なメレンゲの菓子を。
崩して食べたパブロワの記憶、あんなものを売る店があるだろうかと首を傾げてしまう大きさ。いったい何人で食べたというのか、あまりに大きなパブロワの記憶。
けれど自分は確かに崩した、それを大勢で賑やかに。焼き上げられたメレンゲを壊してベリーや生クリームと混ぜた、これはこうやって食べるものだと。
(何処でだ…?)
記憶の彼方の大きすぎるパブロワ、何処で崩して食べたのだろう?
遠征試合で出掛けた先で出されただろうか、歓迎の印に。それくらいしか思い浮かばない。普段行かないような何処かで、けれどもパブロワが出て来そうな場所。
(…運動部員の食い方は確かにアレなんだが…)
だからと言って、柔道や水泳と縁のある菓子ではないパブロワ。元々はクリケットの試合で出た菓子、遠い遥かな昔の地球で。イギリスという国のイートン校が出ていた試合で。
かつてイギリスがあった地域なら、今の時代は色々な試合でパブロワなのかもしれないけれど。クリケットでなくても、パブロワが出るかもしれないけれど。
今の自分が暮らす地域や、遠征試合で出掛けて行った先。柔道や水泳のためにと訪れた選手に、あの菓子を振舞ってくれるだろうか?
超特大だと思えるパブロワ、それをわざわざ作ってまで。グシャグシャにして食べられてしまう菓子を、パブロワとは縁の無い運動をしに来た選手のために。
(…いくらなんでも…)
気前が良すぎないかと思う。それくらい大きかったパブロワの記憶、あれは凄いと。
けれどもまるで思い出せない、あのパブロワを食べた場所。何処だったろうか、あんなに大きなパブロワを崩して食べていた場所は?
地球の上では無かっただろうか、宇宙船で出掛けた先だったろうか?
(宇宙船なあ…)
シャングリラも宇宙船だった。それも巨大な白い船。今の時代も伝説の船で、ミュウたちの箱舟だった船。白い鯨に似た、楽園という名を持っていた船。
まさかシャングリラには無かったろうに、と思った途端。
同じ宇宙船でも違いすぎると、今の自分が遠征試合で乗った船とはまるで違うと思った途端。
(違う…!)
それだ、と蘇ったパブロワの記憶。超特大だった見事なパブロワ。
あの船で食べた、白いシャングリラで、白いパブロワを。純白のメレンゲを焼き上げた菓子を。
ベリーと生クリームをたっぷりと乗せて、美しいそれを惜しげもなくフォークで突き崩して。
原型を留めないほどに壊して、混ぜて。
白いシャングリラのブリッジが見える大きな公園、あそこで皆で食べたパブロワ。
こうやって食べるための菓子だと、崩して食べるのが正しいのだと。
遠い記憶が蘇って来た、前の自分が食べたパブロワの。白い鯨のメレンゲの菓子の。
公園に設けられた大きなテーブル、其処に置かれていたパブロワ。ベリーと生クリームで飾ったメレンゲの菓子、崩される前は芸術品のようだった菓子。
絞り出された形そのままに焼き上げられた白いメレンゲが。上に盛られた様々なベリーが、その周りを囲む生クリームが。
厨房のスタッフが腕を奮った会心の作。
どうせ壊れてしまうのに。フォークでグシャグシャにされてしまって、形が残りはしないのに。
それでも腕を奮ったスタッフ、素晴らしい出来栄えだったパブロワ。
壊されるために生まれて来たのに、食べる前には崩されるのに。
(あれは祝いの菓子だったんだ…)
そうだった、と前の自分の記憶に残ったパブロワを眺める、壊される前の。崩される前の見事な姿を、厨房のスタッフたちの誇らしげな顔を、パブロワが置かれていたテーブルを。
自給自足の生活を始めたシャングリラ。白い鯨への改造が済んで、奪うことをやめて。
そのシャングリラでの鶏の飼育が軌道に乗って、かつて貴重だとされた卵がいつでも好きなだけ食べられるようになったから。卵白だけを使うメレンゲまでもが作れるようになったから。
野菜もベリーも充分に採れて、白い鯨は本物の楽園になったから…。
(卵に不自由しない生活ってヤツを祝おうってことで…)
どういうわけだか、卵を祝おうということになった。他の食べ物も色々あるというのに、白羽の矢が立ったのが何故だか卵。それを贅沢に使って何かと、素敵な何かが作れないかと。
祝いに似合いの卵の菓子。お祭り騒ぎにもってこいの菓子、そういったものが何か無いかと。
話を持ち掛けられた厨房のスタッフが、「メレンゲでしょうか」と答えたから。
卵白だけで作るメレンゲ、黄身は使わないのが贅沢だろうと言ったから。
かつて厨房にいた前の自分も、それが良さそうだとメレンゲに賛成したものだから…。
ヒルマンとエラがデータベースであれこれ探した、伝統あるメレンゲの菓子というのを。
祝いはともかく、お祭り騒ぎ。皆でワイワイと食べることが出来て、思い出にもなるメレンゲの菓子を。卵白と砂糖から作る特別な何か、誰もが喜びそうな菓子。
二人が懸命に調べて探して、見付かったのがパブロワだった。パブロワそのものは普通の菓子で珍しくもなく、祝いの菓子でもないけれど。ごくごく平凡なのだけれども、その食べ方。
遠い昔にイートン校の生徒たちが壊して食べたパブロワ、そこから生まれたイートン・メス。
これぞ伝統とお祭り騒ぎの融合だろう、とヒルマンとエラが自信に溢れて提案して来た。
パブロワを作って、崩して食べる。
それに限ると、その食べ方から新しい菓子が生まれたくらいに美味らしいからと。
おまけに地球のイートン校。遥かな昔の小説を読めば、名前が出て来るほどの名門。真似るには充分すぎる食べ方、今は何処にも残ってはいない名門校の生徒たちの悪ふざけ。
お祭り騒ぎにはピッタリだから。
出来上がった菓子を崩すというのも、贅沢すぎる食べ方だから。
パブロワにしようと決めたのだった、前の自分やブルーや、ヒルマンたちが。パブロワを作って卵が食べられる時代を祝おうと、美しい菓子をグシャグシャに崩せる贅沢な時代を楽しもうと。
こうして決められ、厨房のスタッフが作り上げた大きくて見事なパブロワ。
純白のメレンゲの上にベリーと生クリームを乗せ、それは美しく飾られたパブロワ。テーブルに置かれて皆に披露され、誰もが惜しみなく拍手を送った。
こんな菓子が作れる時代になったと、シャングリラは本物の楽園なのだと。
(せっかくだからと、クリケットの代わりに…)
パブロワを崩して食べる前には、クリケットの試合があったと言うから。
あの公園でサッカーをしたのだったか、希望者を募って、疲れない程度に。他の仲間が応援する中、公園の芝生で真似事のようなサッカーの試合。
それが終わったら、パブロワの食べ方をヒルマンとエラが由緒も含めて説明をして。
「壊してから食べるものなのか」と酷く驚いた仲間たち。こんなに美しい菓子なのに、と。
けれど、全員にフォークが配られ、「こうなのだがね?」とヒルマンがグサリと加えた一撃。
続いてエラが、ゼルが、ブラウが、それにブルーと前の自分が、パブロワにフォークをお見舞いしたら、ワッと上がった皆の歓声。
もうその後は、誰も遠慮はしなかった。グサリ、グサリと刺さったフォーク。
美しかった菓子はみるみる壊れて、メレンゲもベリーも生クリームもグシャグシャに混ざった、元の形がどうだったのかも想像出来ないほどに無残に。
破壊の限りを尽くした宴は、皆の笑顔を連れて来た。見た目は酷い形だけれども、混ざり合ったメレンゲとベリーと生クリームはとても美味しいと、別々に食べるよりずっと素敵だと。
この食べ方を考え付いたイートン校の生徒に感謝せねばと、悪ふざけも時には素晴らしいと。
(そうだ、あの船にあったんだ…)
白いシャングリラにはパブロワがあった、美味しいと皆が喜んだから。
ベリーが採れるシーズンになったら、超特大とはいかないまでも作られていたメレンゲの菓子。真っ白なケーキさながらの姿に出来上がるけれど、壊される菓子。そのままで食べはしない菓子。
パブロワはいつもグシャグシャにされた、食べようとしていた仲間たちの手で。
いわゆる本物のイートン・メスの方も、いつの間にやら誕生していた。ガラスの器にメレンゲとベリー、生クリームを順に重ねて入れるもの。
そちらの方が簡単だから。壊さなくても混ぜるだけでいいし、手軽に味を楽しめるから。
(…あのシャングリラに、パブロワなあ…)
まさかあったとは思わなかった、とグシャグシャになったパブロワを頬張り、笑みを浮かべた。前の自分も食べた味かと、白いシャングリラで食べていたかと。
(こいつは、ブルーに…)
持って行かねばならないだろう。
そうするつもりでいたのだけれども、グンと重みを増したパブロワ。白いシャングリラで食べていた味、前のブルーとフォークで崩して食べたパブロワ。
明日は買ってゆこう、パブロワを二つ。
遠い記憶の超特大には及ばないけれど、一人用のケーキのサイズだけれど。
次の日はよく晴れていたから、歩いて出掛けたブルーの家。
途中で昨日の食料品店に寄って、パブロワを二つ、詰めて貰った小さな紙箱。出店している店のロゴが入った箱を受け取りながら思った、「崩して食うとは思うまいな」と。
朝一番から綺麗に作ったパティシエには申し訳ないけれど。ショーケースに並べた店員にも少し悪いけれども、これはそういう菓子だから。
学生時代の自分も先輩からそう教わったし、白いシャングリラでもそうだったから。
(…俺のせいではないんだ、うん)
文句を言うならイートン校の生徒に言ってくれ、と心の中でクックッと笑う、彼らが諸悪の根源だからと。遥かな昔のイートン校だと、何不自由なく育ったヤツらの悪ふざけなんだ、と。
紙箱を提げて、生垣に囲まれたブルーの家に着いて、門扉の脇のチャイムを鳴らして。
迎えに出て来たブルーの母に、「買って来ました」とパブロワが入った箱を渡した。前の自分も食べた菓子だから、ブルー君へのお土産です、と。
パブロワは早速、ケーキ皿に載せられ、ブルーと二人で向かい合わせに着いたテーブルに運んで来られたから。紅茶のポットやティーカップなども揃ったから。
小さなブルーは母の足音が消えるのを待ちかねたように、ケーキ皿の上を指差した。
「えーっと…。これ、ハーレイのお土産だよね?」
なんでパブロワなの、ハーレイのお勧めのお店でも来てた?
「いや、そうじゃなくて…。懐かしいだろ?」
「えっ?」
何が、とキョトンとしているブルー。やはり忘れてしまったのだろう、自分と同じで。
白いシャングリラにあったパブロワを、あの日の派手なお祭り騒ぎを。
「忘れちまったか、こいつの食べ方?」
こうなんだがな、とフォークで端を突き崩したら。もう一撃、とグシャリとやったら。
「食べ方って…。ハーレイ、壊しちゃうの?」
こんなに綺麗に出来ているのに、とブルーの瞳が真ん丸になる。「酷くない?」と。
それにお行儀も良くないけれど…、と赤い瞳が見ているから。
「いいから、崩して食ってみろ。美味いんだから」
こうだ、すっかり壊しちまって、こうグシャグシャに混ぜてだな…。
「うん…」
なんだか信じられないけれども、ハーレイがそう言うのなら…。
パブロワ、そういう食べ方じゃないと思うんだけど…。
壊すなんて、と不思議そうにパブロワをフォークで崩したブルーだけれど。
おっかなびっくりといった様子で混ざったそれを口へと運んだけれど。
「本当だ…!」
ホントに美味しい、と顔を輝かせたブルー。
パブロワのままよりずっと美味しいと、「ハーレイの食べ方、とても凄いね」と。
「だろう…!」
でなけりゃ、やってみろとは言わんさ。崩した挙句に不味い菓子になってしまうんならな。
学生時代はこうやってパブロワを食っていたもんだ、先輩たちに教えられてな。
「運動部員が食うならこうだ」と、柔道でも水泳でも言われていたなあ、崩して食えと。
しかし、お前も食ってたんだぞ、こうやって。
前のお前もグシャグシャにしてたな、パブロワを食ってた時にはな。
「え…?」
ぼくが、とブルーが首を傾げるから。
前の自分はそんな食べ方をしていたろうか、とフォークを持つ手も止まったから。
「これよりも遥かにデカかったなあ、もう桁外れの大きさだったが」
公園に置いても、少しも小さく見えなかったぞ、あのパブロワは。公園は広いというのにな。
それとサッカーの試合だ、サッカー。
やりたいヤツらを集めてサッカーをさせて、それをみんなで応援してから食ったんだが…。
覚えていないか、デカいパブロワ。
前のお前もフォークでグサリとやっていたがな、ヒルマンが最初にグサリとやって。
「ああ…!」
あったね、凄く大きなパブロワ。
みんなでフォークで壊したんだっけね、とても綺麗に出来たパブロワだったのに…!
思い出した、と手を打ったブルー。
シャングリラで特大のパブロワを食べたと、あれは卵のお祝いだった、と。
「そっか、イートン・メス、シャングリラの頃にもあったんだ…」
あれが切っ掛けでパブロワが流行って、いつの間にかイートン・メスも出来てて…。
ベリーの季節にはメレンゲを作って食べていたよね、生クリームと一緒に器に盛って。
「イートン・メス…。今のお前も知っているのか?」
シャングリラの頃にも、と言い出すってことは、今のお前も知ってるんだな?
こうして壊して食う方じゃなくて、混ぜて食う方のイートン・メスを?
「うん。ママが作ってくれることがあるよ」
今年も夏の頃に食べたよ、ハーレイとは食べていないけど…。
ぼくのおやつに作って貰って、ぼくが一人で食べてたんだけど…。
でなきゃ、ママと一緒。ママと二人で混ぜて食べたよ、イートン・メスを。
ハーレイにお行儀の悪いお菓子は出さないものね、と言われて気付いた。
ベリーが出回るイートン・メスのシーズンの頃はまだ、小さなブルーと出会ったばかり。
この家を訪ねて来てはいたけれど、今よりもずっと客扱いだった、あの頃の自分。
そんな自分にイートン・メスを出しはしなかったろう、ブルーの母は。器に盛られたメレンゲとベリー、生クリームをスプーンで混ぜるイートン・メスは。
来客に出すには些か行儀の悪い食べ物、美味しいけれども食べ方が絵にはならないから。
イートン・メスは普段着の菓子で、それくらいならば綺麗なパブロワの方がいいだろうから。
そして自分も、ブルーの家に来てパブロワが出たら、それを崩そうとはしなかったろう。崩して食べたい気持ちであっても、崩しはしないで、行儀よく。
けれど…。
「なあ、ブルー。あの頃に食ってりゃ、俺たちは思い出せたのか?」
イートン・メスは行儀が悪いと出なかったとしても、パブロワの方。
お前のお母さんがパブロワを出してくれていたなら、シャングリラのパブロワ、思い出せたか?
あのとてつもないデカいパブロワ、みんなで崩して食ったってことを。
「どうだろう…?」
思い出せたのかな、ママがパブロワを作っていたら…。
ハーレイと二人で食べていたなら、あの時のヤツだって気付いたのかな…?
二人、考えてみたけれど。
パブロワを食べたら思い出せたか、お互い、自分の遠い記憶を手繰ったけれど。
白いシャングリラの頃の記憶は、沢山ありすぎるものだから。
超特大のパブロワがあった記憶も、思い出す前には掠めたことさえ一度も無かったものだから。
「…無理だったかもね…」
ママがパブロワを作ってくれてても、イートン・メスを出してくれたとしても。
「俺も無理だったような気がするな、お前の家で出して貰ったら、壊せはしないし…」
行儀が悪くてとても出来んぞ、あの頃の俺でなくても無理だ。
今日のパブロワは壊すつもりで買って来たから、こうして崩して食ってるわけだが…。
お前のお母さんが作ってくれたヤツなら、壊すなんてことは出来ないな。
そうなってくると、俺の記憶が戻る切っ掛けにはならないだろう。
イートン・メスが出て来ていたって同じことだな、ただ混ぜるだけじゃ俺の記憶は戻らんしな。
もしも、あの頃にパブロワが出ても、イートン・メスが出されていても。
きっと食べながら別の話をしていただろう。メレンゲの菓子は話題にもならず、ただ食べられて終わりなだけ。空になった器が残るだけ。
あの頃はブルーも今と違って、やたらとくっつきたがっていたし…。
こうして向かい合わせで座っているより、膝の上に乗っている方が多かったブルー。ベッタリと胸に甘えたがっては、「温めてよ」と右手を出したりもして。
「…今だから思い出せたんだろうな、あのパブロワ」
前の俺たちが食ったパブロワ、とてつもなくデカいヤツだったがな。
「うん、きっと…」
今だからだよね、ぼくだって思い出さなかったし…。
イートン・メスをおやつに食べていたって、スプーンで混ぜながら食べていたって。
どうして今まで思い出さなかったのか、とっても不思議な気がするけれど…。
ハーレイがいきなり思い出したのも、凄く不思議な感じだけれど。
「全てのわざには時がある、って言うからな」
ヒョッコリ浮かんで来たってわけだな、時が来たから。
「えーっと…?」
なにそれ、時が来るって、なあに?
「聖書の言葉さ、全てのわざには時がある、ってな」
生まるるに時があり、死ぬるに時があり…、って感じで続いてゆくんだ、色々と。
泣くに時があり、笑うに時があり、愛するにも、語るにも時がある。
そんな具合で、思い出すにも時ってヤツがあるんだろう。
時が来るまでは出て来ないんだな、どんなに条件が揃っていても。記憶を呼び戻せる切っ掛けが幾つ揃っていたとしたって、ヒョイと戻ってはくれないってことだ。時が来ないと。
今がその時だったんだろう、と微笑んだ。イートン・メスに関しては、と。
パブロワが売られているのを見付けて、それを買おうと思い立って。自分用にと買って帰って、崩した一個。そのパブロワが俺の記憶を運んで来た、と。
「つまりは時が来たってことだ。こいつで思い出すがいい、と」
俺は先輩に教わった通り、パブロワを崩していただけなんだが…。
こうして食うのが美味いんだから、と運動部員ならではの食い方をしていただけなんだがな。
「そうだね、ハーレイはいつも通りに食べてただけだね、こうでなくちゃ、って」
思い出そうとして頑張ったわけでもなんでもなくって、思い出が勝手に出て来ただけで…。
ホントに時が来たってことだね、神様のせいか、そうじゃないかは分からないけど。
…パブロワは崩して食べるもんだ、って言ってたハーレイの先輩たち、どうしてるんだろ?
今でもこうやって食べているのかな、壊してグシャグシャに混ぜてしまって。
「多分な。実際、美味いんだから」
俺と同じで、人前では普通に食うんだろうが…。
自分の家だとやってるだろうな、グシャグシャと。パブロワはこれが美味いんだ、とな。
「ゼルたちも何処かで食べてるといいね、パブロワに会って」
これはこうして壊すんだった、って崩してパブロワ、食べてるといいね…。
「そうだな、「懐かしいのう」なんて言いながらな」
今じゃすっかり若くなっちまって、「懐かしいのう」なんて言いはしないかもしれないが。
うんと若いゼルが「懐かしいぜ!」とフォークでグシャグシャやってるかもなあ、何処かの星で運動部員になってしまって、何かのはずみで思い出して。
「あははっ、それって最高かも…!」
ゼルだと何の運動だろうね、何をやるのが似合うんだろう?
サッカーとかかな、それとも陸上部員とかになって、思い切り走ったりしちゃうのかな…?
偶然出会った、学生時代の思い出の菓子。崩して食べろと教えられたパブロワ。
それがシャングリラの懐かしい記憶を連れて来た。時の彼方から、超特大だったパブロワを。
きっと他にもあるのだろう。
その時がまだ来ていないだけで、今と昔が繋がるものが。
今の自分たちも前の自分たちも知っているものが、パブロワの他にも、きっと幾つも。
「俺たちの思い出、もっと見付けていかんとなあ…」
時が来ないと駄目なようだが、まだまだ幾つもある筈だからな。
「うん、ハーレイと二人でね」
ぼくが思い出すか、ハーレイが先に思い出すのか。
それとも同時か、ちょっと楽しみ。
ホントに沢山ありすぎるものね、前のぼくたちが作った思い出の数。
「そうだな、山ほどあるからなあ…」
三百年以上だ、こいつは多いぞ。ちょっとやそっとじゃ拾い切れんな、俺とお前と二人がかりで拾い集めて回るにしてもな。
前の自分たちが生きた記憶と、今の自分たちが生きている今と。
思い出を繋いでくれる切っ掛けは、きっと幾つもあるだろうから。
結婚するまでも、結婚した後も、それを二人で見付けてゆこう。
幾つも幾つも思い出しては、幸せな記憶を拾い上げながら歩いてゆこう。
この地球の上で、何処までも二人、手を繋ぎ合って。
思い出を拾ってはキスを交わして、今の幸せを二人で何度も確かめ合って…。
メレンゲの菓子・了
※シャングリラにもあった、パブロワの不思議な食べ方。グシャグシャに崩したメレンゲ菓子。
遠い昔の地球の真似ですけど、今では素敵な思い出の一つ。他にも沢山の思い出がある筈。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv