シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(今夜は豪華にステーキなんだ)
よし、とハーレイが取り出したステーキ用の牛肉。夜のキッチンで。
今日はブルーの家には寄れなかったけれど、学校の休み時間に少し話せた。校舎の廊下を歩いていたら、「ハーレイ先生!」と後ろから呼び止められて。
学校では自分は「ハーレイ先生」、ブルーも必ず敬語で話す。ブルーの家で言葉を交わす時とはまるで違って。いつもながら見事な言葉の切り替え、その健気さがいじらしくなる。自分から声を掛けなかったら、敬語で話さずにいられるのに。挨拶だけで済ませばいいのに。
(それでも、あいつは話したいんだ)
教師と生徒の会話でも。恋人同士の会話でなくても、日常の些細な話題であっても。
「ハーレイ先生!」と笑顔で呼び止めるブルー、「話せるだけで嬉しい」と書いてある顔。もう本当に嬉しそうだから、幸せそうな顔をしているから。
ブルーの家に寄れなかった日でも、心の中にブルーの笑顔。それが愛おしくて、ついつい笑みが零れるから。いい日だったと、ラッキーだったと自分の心も温かいから。
たまにはこんな夕食もいい、と買って来た肉。分厚いステーキ用の牛肉。
やはり熱々を食べたいから。ステーキは焼き上げて直ぐにナイフを入れたいから。
スープなどから先に作った、メインのステーキが霞まないよう、それでいてバランスが崩れないよう。栄養バランスと、食卓の見栄えと。料理の腕の見せ所。披露する相手はいないけれども。
準備が出来たら、いよいよステーキ。
フライパンにオリーブオイルとガーリックのスライス、パチパチとはぜる音がして来たら、肉の出番で。今日の焼き加減はミディアムレアといった所か、もう少し焼くか。
(でもって、仕上げに…)
ウイスキーを軽く注いでフランベ、上がる焔が気分を高める。肉の焼ける匂いと、青い焔と。
火が消えた所で、温めておいた鉄板つきの木のプレートに移してやって。ガーリックを乗せて、フライパンの肉汁で手早くソース。
(わさび醤油でもいいんだがな?)
おろしたてのワサビと醤油で食べるステーキも美味ではある。ステーキと醤油は相性がいいし、ソースの隠し味にもするから。
前の自分が生きた時代には無かった醤油とワサビを味わう文化。今の時代ならではのお楽しみ。それも悪くはないのだけれども、今夜のソースは正統派で。
白いシャングリラで暮らした頃と違って、材料は全て本物だけれど。ソースに加えた赤ワインもそうだし、フランベに使ったウイスキーだって合成などではないのだから。
焼き上がったステーキ、シャングリラの時代とそう変わらない筈のレシピのソース。今夜はその味で食べてみたかった、ブルーと食べているつもりで。
小さなブルーの家でも夕食にステーキは出て来るのだから、その光景を思い浮かべて。
ダイニングのテーブル、まだジュウジュウと音を立てるステーキにナイフを入れて口に運んで。
(あいつの肉は小さいんだよなあ…)
これの半分くらいだろうか、とブルー用のステーキ肉のサイズを考えた。いつ見ても小さすぎるステーキ、ブルーの皿に置かれたステーキ。ブルーの両親が食べるものよりずっと小さな子供用。あれで本当に食べた気がするのだろうかと思うくらいに可愛らしいサイズ、ミニサイズ。
だから何かとからかってしまう、小さなブルーと食事の量の話になってしまった時は。
「デカいステーキ肉は食えるか?」だとか、「デカいステーキ肉でもか?」とか。
からかわれる度に「無理!」と叫んでいるブルー。
とても食べられるわけなどがないと、自分の小ささを考えてくれと。胃袋もそうだし、十四歳の子供の小さな身体。それでは無理だと、大きな肉など食べ切れないと。
「チビ」と呼んだら膨れるくせに、そんな時だけ子供だと主張するのが可笑しい、愛らしい。
子供扱いは嫌いなくせに、一人前の恋人気取りでいるくせに。
とはいえ、いつかは育つ筈のブルー。前のブルーと同じ背丈に、同じ姿に。
もう子供だとは言えない姿になるだろうけれど、気高く美しいブルーを再び見られるけれど。
(育ったって、だ…)
こんなデカいステーキを食うのは無理だな、と頬張る熱々の肉。鉄板のお蔭で少しも冷めない。火傷しそうな熱さがそのまま、口の中に広がる肉汁とソースの絶妙な味。
半分ほどは食べたけれども、まだ半分もあるステーキ。小さなブルーならとうに悲鳴で、大きく育った後でもそろそろ「まだあるの?」と言いそうな量で。
(前のあいつだって…)
ソルジャー・ブルーだった頃のブルーも、大きなステーキ肉を食べてはいなかった。これよりも小さな量のステーキ、それがソルジャー・ブルーの好み。
「もっと大きく」と希望したなら、肉は大きく出来たのに。前の自分がそうだったように、他の者より大きめのサイズ。
肉の量は個人の好みだから。自給自足の船の中でも、その程度の融通は利いたから。
前のブルーがそれをしなかった理由は、ソルジャーだったからではないだろう。食べ物のことで色々と遠慮はしていたけれども、ステーキに関しては絶対に違う。
なにしろ、ソルジャーの肉が一番小さいのでは駄目だろう、と思うような場面であっても、肉はいつでも小さかったから。「この量でないと食べ切れなくて」と。
残すよりかはこの方がいいし、と小さかった前のブルーのステーキだけれど。
(待てよ…?)
今も記憶に残るステーキ、前のブルーが好んだ小さなステーキ肉。
けれども、それを前のブルーと二人で食べたことがあっただろうか。白いシャングリラで、あの懐かしい船で、ブルーと一緒に。
(ステーキは何度も…)
食べていたが、と蘇る記憶、鮮明なのがソルジャー主催の食事会。前のブルーの名前で出された招待状を貰った者やら、様々な部門の責任者たちとの交流会やら。
ソルジャー専用のミュウの紋章入りの食器が使われるのが売りで、エラが有難さを説いていた。他の場所では出ない食器だと、此処でしか使われないものなのだと。
(そういう時でも、あいつの肉は小さくて、だ…)
自分も含めた他の者たち、そちらの肉の方が明らかに大きめ。招待客たちを思い遣るなら、肉のサイズは同じにしておくべきなのに。「遠慮しないで食べるように」と。
それでも小さい肉にしていたソルジャー・ブルー。「ぼくはこの量しか無理だから」と。
ソルジャー専用の立派な食器を割らないように、マナー違反もしないようにと、コチコチだった食事会に招かれた仲間たち。見ている方が気の毒になるほどに。
ブルーも充分に承知していたから、よく目配せをされていた。「頼むよ」と。
それが来たなら、わざとやっていた大失敗。ナイフをガシャンと取り落としたり、ステーキ肉が皿から飛んで行ったり。エイッとナイフで切ったはずみに皿の外へと、勢いよく。
そんな具合で、前のブルーとは何度も食べたステーキだけれど…。
(…あれだけなのか?)
食事会の席だけだったかもしれない、前のブルーと一緒にステーキを食べたのは。
前のブルーは青の間で食事をするのが普通だったし、そうでなくても自給自足のシャングリラでステーキは貴重だったから。
同じ肉なら、もっと大勢が揃って食べられる料理。シチューにするとか、他にも色々。
(シャングリラ中が揃ってステーキってことは…)
無かったのだった、ミュウたちの箱舟だった白い鯨では。
たまにステーキも食べたくなるから、そういったものも食べたいから。食堂でステーキの食事を提供する時は、仲間たちを希望や都合に合わせて何組かに分けて、順番に。今日はこの組、というグループのために焼かれたステーキ、せっかくなのだし、各自の好みの焼き加減を訊いて。
(それよりも前は、だ…)
白い鯨が完成する前、食料も何もかも人類の船から奪っていた頃。前のブルーが輸送船から瞬間移動で奪い取っては、持って帰って来ていた頃。
食料が詰まったコンテナの中に入っていた肉で、ステーキだったこともあったけれども。何度も食べてはいたのだけれども、その時のステーキ。
(二人きりでは食っていないぞ!)
みんな揃って食堂で食べた、今日はステーキだと賑やかに。
前の自分がまだ厨房にいた頃はもちろん、ブルーがソルジャーになった後にも。青の間は出来ていなかったから。前のブルーの偉大さを演出するための部屋は、何処にも存在しなかったから。
ソルジャーもキャプテンも、長老と呼ばれ始めていたゼルたちも、揃って食べていたステーキ。他の仲間たちと一緒に、あの頃の船の食堂で。
つまりは、ブルーと二人きりではなかったステーキの食事、白い鯨が出来上がる前も、それから後も。ただの一度も二人で食べてはいなかった。常に誰かが同じテーブル、ステーキの時は。
どんなに記憶を手繰り寄せてみても、他には無かったステーキの記憶。
前のブルーと二人きりでステーキを食べてはいない。三百年以上も同じ船で共に暮らしたのに。
(…気付かなかった…)
まるで気付いていなかった、とステーキを眺めてついた溜息。
小さなブルーと再会してから、何度ステーキを食べただろうか。家でも食べたし、ブルーの家で御馳走になったことも何度もあるけれど。ブルーとステーキを食べたけれども、そのテーブルにはブルーの両親、家族が揃う夕食の席。
それはそうだろう、ブルーの部屋での昼食にステーキを焼いて出すより、家族団欒の夕食の方が似合いだから。誰に訊いても、同じ答えが返るだろうから。
そうなってくると…。
(二人きりで食うのは結婚するまで無理なのか?)
ブルーと二人きりでのステーキ。自分の皿には大きなステーキ、ブルーの皿には小さめのもの。それぞれ好みの焼き加減の肉を、切って食べるというだけなのに。
たったそれだけのことが叶わないらしい、二人きりで食べるということが。
(結婚までにはデートもするし…)
その時に二人で食べに行く手もあるけれど。自分の家にブルーを招いて、「今日はこれだぞ」と御馳走してもいいのだけれど。
それが出来る日がやって来るまで、二人きりでステーキはどう考えても無理そうで。
(うーむ…)
俄かに重みを増したステーキ、思った以上に貴重なもの。
白いシャングリラにいた頃と違って、今はそれほど肉は貴重ではないけれど。食料品店へ行けば常にあるものなのだし、食べたいと思えば専門の店も幾つも幾つもあるのだけれど。
(前のあいつとも食ってないんだ…)
二人きりで食べる機会は一度も無かったから。いつも誰かが一緒だったから。
今のブルーも、小さい間は二人きりでは食べられないのだし、この先、何年待つことになるか。大きなステーキと小さなステーキ、それを二人きりで食べられる日が来るまでに。
(たかがステーキなんだがなあ…)
先は長い、と心で零しながら食べた、今も熱さを保ったままのステーキを。木のプレートの上の鉄板、それが温めているステーキを。
美味いんだが、と。
しかしブルーと二人きりでは、当分、食べられそうにもないな、と。
少し寂しかったステーキの夕食、次の日、仕事を終えた帰りにブルーの家に寄れたから。
小さなブルーにも教えてやろうと、ステーキの話を持ち出した。
「なあ、ブルー。ステーキ、貴重だったんだな」
「えっ?」
なんでステーキ、とキョトンとしている小さなブルー。赤い瞳を真ん丸にして。
「いや、珍しいって意味ではなくて、だ。…お前の家でも何度も食わせて貰っているし」
昨夜も一人で焼いて食ってたが、その時にハタと気が付いたんだ。
前の俺たち、ステーキを二人で食ってはいないぞ、お前と俺との二人きりでは。
「そうだっけ?」
シャングリラのステーキ、確かに貴重品だったけど…。ステーキは珍しかったけど…。
でも、ハーレイとは何度も食べたよ、ハーレイの肉はぼくのよりずっと大きかったよ。あんなに沢山食べられるんだ、って感心しながら見ていたもの。凄いよね、って。
「そのステーキだが…。いいか、よく状況を思い出してみろ」
テーブルにはお前と俺の二人だけしかいなかった、ってことは一度も無い筈だがな?
食堂で仲間がゾロゾロいたとか、ソルジャー主催の食事会とか。そんなのばかりだ、前のお前と一緒に食べたステーキ。
二人きりでステーキを食った思い出、お前にも一つも無いだろうが。
「本当だ…!」
ちっとも気付いていなかったけれど、ホントに一度も食べなかったね、二人きりでは…。
ステーキ、とっても貴重なんだね、ハーレイと二人きりで食べたことが一度も無いなんて…。
知らなかった、とブルーも驚いているステーキの貴重さ、一度も二人きりで食べていないもの。前の生では三百年以上も共に生きたのに、同じ船で暮らしていたというのに。
「…いつになったら食えるやらなあ、お前と二人で」
三百年以上も食い損なったままで来ちまったんだし、今更、大した待ち時間でもないんだが…。せいぜい数年ってトコなんだろうが、気付いちまうと辛いな、うん。
「いつって…。土曜日でいいんじゃないの?」
「はあ?」
土曜日っていつだ、土曜日にデートに出掛けて食おうというのか、俺と二人で?
その土曜日が何年先になるのやら、って話を俺はしてるんだがな…?
「違うよ、土曜日は今度の土曜日!」
今週の土曜日、それでいいんだと思うけど…。ママに頼むから、「お昼にステーキ」って。
そしたら二人で食べられるじゃない、お昼御飯は此処のテーブルで食べるんだから。
「昼飯に二人でステーキって…。なんて言う気だ、お母さんに!」
俺が食いたがっているとでも言う気か、確かにそれで間違いは無いが…。
厚かましいにも程があるだろうが、ステーキを食いたいと俺がリクエストをするなんて!
「ちゃんと言っておくよ、シャングリラの頃の思い出だよ、って」
ハーレイと話をしていて思い出したから、二人で食べてみたいんだけど、って。
シャングリラのステーキは貴重品だったし、その頃の気分に浸りたいから二人で食べたい、って言えばママだって納得するよ。
大丈夫だよ、と笑ったブルー。
ママならきっと、と。「ぼくの我儘、聞いてくれるよ」と。
そして土曜日、いつものようにブルーの家を訪ねたら。生垣に囲まれた家まで歩いて行ったら、満面の笑顔で待っていたブルー。二階の部屋で。
「あのね、ママがステーキ、焼いてくれるって!」
ハーレイと二人で食べられるんだよ、今日のお昼御飯にステーキ!
「ステーキって…。お前、本気で言ったのか?」
お母さんを騙して注文したのか、これはシャングリラの思い出だから、と嘘八百で?
「だって、食べたい…」
ハーレイと二人で食べてみたいよ、まだ何年も待つだなんて我慢出来ないもの…。
シャングリラの思い出には違いないんだし、貴重品だったのも本当だし…。
ちょっと黙っておいただけだよ、前のハーレイと二人きりで食べたことがないっていうことを。それでステーキが食べられるんなら、もう充分だと思うけど…。
ハーレイだって、食べたいって言っていたじゃない。…二人きりでステーキ。
「そりゃまあ、そうだが…」
言い出したのは俺なわけだが、良心が痛まないでもないなあ…。
とはいえ、お前のお母さんは支度をしてくれてるわけで、昼前になったらステーキの焼き加減を訊きに来てくれるんだろうし…。
申し訳ない気持ちはするがだ、此処は有難く御馳走になるのがいいんだろうな。
四の五の言わずに感謝の気持ちで、「頂きます」と。
ブルーの母が運んで来てくれた昼食。鉄板つきのプレートに載せられたステーキが二枚。熱々のそれは、ハーレイの分の肉が大きくて、ブルーの分は…。
「相変わらずだな、お前のステーキ」
いつも小さいと思って見てたが、こうして改めて目にしてみると…。
お子様ランチとまでは言いはしないが、お前の年の男の子用とも思えんサイズだ、小さすぎだ。お前くらいの年のガキなら、それだけだと腹が減りそうだがな?
「ぼくはこれだけしか食べられないよ!」
もっと大きい肉になったら、もう絶対に食べ切れないから!
どんなに美味しく焼いてあっても、残してしまうに決まってるから!
「前のお前は、もう少し大きい肉を食えたが?」
小さめがいい、と言ってはいたがだ、今のお前の肉よりはなあ…?
そこまで小さな可愛らしい肉ではなかった筈だぞ、前のお前が食ってたステーキ。
「いつか食べられるようになるよ!」
前のぼくと同じくらいの量なら、大きくなったら食べられるから!
ちゃんと育ったら食べられるんだよ、前のぼくと同じ姿になるまで育ったら。
今みたいにコッソリ二人きりじゃなくて、ハーレイと二人で堂々とステーキを食べられるようになる頃には、きっと…!
ハーレイと本当に二人きりで食べる時なら、もっと大きいステーキ肉でも大丈夫、と無茶としか思えない主張をするから。「このくらいでも」と、ハーレイの皿の肉と変わらない大きさを両手で作ってみせるから。
「おいおい、そんなデカイのを食べ切れるのか?」
前のお前でも食えなかったぞ、そこまでデカいステーキ肉は。
まさか忘れちゃいないだろうなあ、前のお前の胃袋のサイズの限界ってヤツを?
「忘れていないよ、だけど大きいのも試してみたいよ」
ハーレイと二人でステーキなんだよ、三百年以上も一緒にいたのに二人きりでは一度も食べてはいなくって…。
やっと二人で食べられるんだよ、ちょっぴり欲張ってみたいよ、お肉のサイズ。
それに、大きすぎて駄目だった時は、ハーレイが食べてくれるでしょ?
ぼくが残してしまったステーキ、前に学校の大盛りランチを綺麗に食べてくれた時みたいに。
「…俺に残りを食えってか?」
美味い肉ならいくらでも食えるが、俺が残りを片付けることが大前提なのか、デカイ肉は?
前のお前はそんな無茶は一度も言わなかったが、デカイ肉に挑戦したいだなんて。
「あの頃は、みんなで食べてたからだよ」
残りはハーレイに食べて貰うなんてこと、みんなの前では言えないじゃない…!
そんなの一度も考えてないよ、思い付きさえしなかったよ!
前のぼくたちが恋人同士なことは誰にも秘密で、ハーレイに甘えることなんか無理で…。
我儘だって言えやしなかったよ、みんなが周りにいる時には…!
二人きりなら我儘が言える、と嬉しそうな笑みを浮かべるブルー。
「今度はハーレイと二人きりだよ、周りに誰もいないんだよ?」
ぼくが我儘を言っていたって、変に思う人はいないんだから。
ママにだって我儘が通ったんだもの、ハーレイに我儘言ってもいいでしょ、今度のぼくは…?
「お母さんに我儘なあ…。確かに通っちまったな」
そして何年先になるのか分からなかったステーキ、こうして二人で食ってるってか?
結婚どころかデートにも一度も行かない内から、お前の部屋で。
「うん。ちゃんと二人きりで食べられたでしょ?」
パパもママもいなくて、ハーレイと二人。
思い出の味だよ、ってママに言ったら、また食べられると思うけど…。シャングリラだと貴重品だったんだよ、って言ってあるから、頼まなくても、また焼いてくれるかもしれないけれど…。
でも、ハーレイとホントのホントに二人きりでステーキ、食べたいなあ…。
こんな風にコッソリ二人きりじゃなくて、ちゃんと二人で美味しいお店に出掛けて行って。
「俺もそうだな、思いがけなく早く二人で食べられはしたが…」
お前のお蔭で食べられたんだが、お前の我儘な注文が聞けるステーキってヤツを食いたいな。
俺のと変わらないほどデカイ肉がいいとか、そういう我儘を聞きながら。
ついでに、店に行くのもいいが…。
俺が自分の家で焼くステーキ、自慢の腕も披露したいもんだな、今度の俺は一味違うぞ?
前の俺も厨房にいた頃に焼いてはいたがだ、あの頃より腕は確かだってな。
ステーキが身近になっている分、経験値ってヤツが上なんだ。もう段違いだ、ステーキを焼けば前より断然美味いって自信を持ってるぞ、俺は。
焼き加減はもちろん、ソースも色々…、と挙げていった。
シャングリラでは合成だった酒が本物になったことやら、前の自分たちが生きた頃には無かった食材が使えることやら。
「一番なのは多分、わさび醤油だな」
あの時代には考えられなかった食べ方じゃないか、ステーキの。
ワサビも醤油も無かったからなあ、マザー・システムに文化ごと消されちまってな。
「無かったね…。わさび醤油で食べてみたくても」
試してみたい、って思ったとしても、お醤油もワサビも無かったんだし…。
ワサビっていう植物は何処かにあったんだろうけど、海藻と同じで、食べられるものだと思っていなかったものね。
今だとワサビが無いなんて考えられないけれど…。お刺身もお寿司も、ワサビだけれど…。
「そうだな、ワサビはあったのかもなあ、シャングリラには植えていなかったがな」
アルテメシアの植物園に行けばあったかもしれんな、ワサビという名前で植えられていて。
誰も食べ物だと思わなかっただけで、そりゃあいい匂いがしていたかもなあ、美味いワサビの。
いつか二人でワサビ醤油でステーキを食べてみるのなら…、と提案してみた。
「ステーキ肉を買いに行く前にだ、ちょっとドライブと洒落込まないか?」
新鮮なワサビを手に入れに出掛けようじゃないか、俺の車で。
「ワサビって…。何処へ?」
ハーレイ、いいお店、知ってるの?
其処へ行ったら、新鮮なワサビが買えるお店を?
「店じゃなくてだ、産地直送っていうヤツだな。ワサビ農園までドライブだ」
ワサビ農園、写真くらいは見たことがないか?
あれは綺麗な湧き水を使って育てるからなあ、普通の畑とはちょっと違うぞ。
いいか、湧き水だ、地球の水だ。そいつが沢山湧いていないとワサビは育たないってな。地球の恵みだ、青い地球だからこそ美味いワサビが育つんだ。
そういう所へ行ってみないか、俺と二人でワサビを買いに。
前の俺たちが二人きりでは食い損なったステーキ、それを美味しく食べる前にな。
二人きりでステーキを焼いて食べるなら、地球の水で育った新鮮なワサビ。
湧き水が育てたワサビを二人で買いに出掛けて、それで作ったワサビ醤油をたっぷりとつけて。
「美味しそう…!」
買って来たばかりのワサビだったら、きっと素敵な匂いがするね。
ツンと鼻まで抜けるみたいなワサビの匂い。ワサビ農園もおんなじ匂いがするかな、綺麗な水で育ったワサビが沢山生えているんなら。
「ワサビ、好きか?」
俺たちに好き嫌いってヤツは無いがだ、お前、ワサビは好きな方なのか?
前の俺たちは全く知らない味だからなあ、ワサビの味は。
「好きだよ、小さい頃から平気」
子供向けのお寿司はワサビを抜くでしょ、でもね、ぼくは平気だったんだって。
幼稚園の頃に、パパとママのお寿司を間違えて食べちゃったことがあってね、二人とも、ぼくが泣き出すと思ったらしいんだけど…。
ぼくはビックリしたみたいに目を真ん丸にしていただけで、そのまま全部食べちゃった、って。
「ピリピリするね」ってニコニコしたから、パパもママもポカンと見ていたらしいよ。
「…ほほう、そいつは武勇伝ってヤツだな」
お前にもあったか、武勇伝が。
それは誇っていいと思うぞ、幼稚園の頃から大人用の寿司を平気で食えたんならな。
俺も食ったと親父たちに聞いたが、まさかお前が食ってたとはなあ…。幼稚園に通ってたチビのくせにだ、大人用のワサビたっぷりの寿司。
小さなブルーはワサビが好きだと言うから。買わねばなるまい、ワサビ農園まで車で出掛けて、採れたばかりの新鮮なものを。ドライブを兼ねて、二人で行って。
「ワサビを買って帰って来たなら、サメ皮のおろしの出番だな」
おろすにはアレが一番だってな、ワサビにはな。
「サメ皮も地球の海のサメだね、海で獲れるサメ」
青い地球だからサメもいるんだよね、サメ皮のおろしが作れるサメ。
「サメ皮のおろし、前の俺たちの頃には無かったぞ」
地球の青い海も無かったわけだが、サメ皮のおろしを作る文化も使う文化も無かったからな。
ワサビとセットの文化なんだぞ、サメ皮のおろし。
「そういえば…!」
あるわけないよね、サメ皮のおろし…。
ワサビを食べようって文化が無いのに、ワサビ用のおろしがあっても使えないものね…。
前の自分たちが生きた頃には、ワサビも無かったし、醤油も無かった。
ステーキ肉はあったけれども、二人きりでは食べられなかった。白いシャングリラでステーキは何度も食べたけれども、二人きりで食べたことは一度も無かった。本当にただの一度でさえも。
「ねえ、ハーレイ。二人きりで食べる最初のステーキ、わさび醤油?」
わさび醤油なの、ハーレイと二人きりで初めて食べるステーキには?
「今、二人だが?」
俺と二人きりで食ってるじゃないか、お前の我儘とやらのお蔭で。
「本当の意味での二人きりだよ!」
ハーレイと二人でデートに出掛けて、ワサビ農園でワサビを買って帰って…。それでステーキを食べるんでしょ?
わさび醤油で、ハーレイと二人きりの初めてのステーキ。
「そいつもいいが…。わさび醤油で食べるステーキも美味いんだが…」
本当の意味での初めてとなったら、そこはやっぱり伝統の味にしたいじゃないか。
前の俺たちが何度も一緒に食っていたのに、二人きりではなかったステーキ。
「じゃあ、シャングリラ風にしてみるの?」
前のハーレイが焼いてた時のレシピでソースを作ってくれるの、ステーキ用の?
シャングリラにあったステーキ用のソース、元はハーレイのレシピだものね。
「うむ。特に凝ったソースってわけでもなかったがな」
おまけに材料の方も単純だったな、今みたいに色々と手に入る時代じゃなかったからな。
あの船でも充分に美味く食えるよう、俺なりに工夫を凝らしてはいたが…。
そのせいかどうか、俺が厨房から消えた後にも、ソースのレシピを変えようってヤツはゼロで、新しいレシピを作ったヤツさえいなかったってな。
前の自分が厨房にいた頃、考案したステーキ用のソースのレシピ。
ブルーと本当に二人きりで食べる初めてのステーキにはそれを使おう、遥かな昔の古いレシピで白いシャングリラのレシピだけれど。今の自分なら、使わないようなレシピだけれど。
それでも懐かしい味を出したい、前のブルーと二人きりでは食べ損なったステーキだから。
今度は二人で、二人きりでステーキを食べるのだから。
「…あのレシピだと、今の俺たちには物足りないかもしれないが…」
材料が本物の地球のヤツだし、案外、変わってくるかもな。
ステーキにしたって、地球で育った牛の肉を焼き上げるわけなんだし…。
「きっと美味しいよ、ハーレイが焼いてくれるステーキ」
シャングリラで食べていた頃よりも、ずっと。
材料もそうだし、ハーレイのステーキを焼く腕もグンと上がってるんでしょ、前よりも?
それで美味しくならない方が変だよ、とても美味しく出来上がるよ、きっと。
「そうだな、おまけにお前と二人きりだしな」
前の俺たちは二人きりでは食えなかったが、今度は二人で食えるんだ。
二人きりで食う最初のステーキは俺の家で焼いて、俺の家でゆっくり食べるとするか。
シャングリラのソースを作れる人間、俺の他にはいないんだからな。
いつかは本当に二人きりで食べよう、ステーキを焼いて。
最初のステーキはシャングリラで食べていた頃のソースを使って、その後は色々工夫して。車でワサビ農園に出掛けて買ったワサビでわさび醤油や、他にも様々なステーキの食べ方。
今度は二人きりで食べられるから。
前の自分たちが食べ損なった分まで、何度も、何度も、二人きりで。
小さな肉しか食べられないくせに、大きな肉でも大丈夫だと我儘を言うらしいブルーに、大きな肉を焼いて熱々のを鉄板に載せてやって。
「えっと…。大きなお肉を食べ切れなかったら、ハーレイ、食べてよ?」
ぼくがステーキを残しちゃったら、大盛りランチの時みたいに。
「もちろんだ。俺がすっかり残さず平らげてやるさ」
それでだ、そいつを食い終わったら…。
その後はお前を食うとするかな、と片目を瞑った。
極上のステーキよりも柔らかくて美味いお前をな、と。
ブルーは「ハーレイっ…!」と真っ赤になったけれども、たまにはこういう冗談もいい。
今はまだキスも出来ない小さなブルーを、ステーキよりも美味しく食べてもいい日。
その日はずっと先だけれども、小さなブルーはその日を夢見ているのだから。
いつか、その日もきっと訪れる。
二人きりでステーキを食べられる日も、ブルーを美味しく食べられる日も…。
二人で食べたい・了
※前の生では、二人きりで食べたことが一度も無かったステーキ。船で何度も食べたのに。
初めて二人で食べられましたが、いつかは本当に二人きりで、ワサビ醤油などで美味しく…。
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