シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「千羽鶴?」
なあに、それ? とブルーは首を傾げた。
学校があった日の夕方、仕事帰りに訪ねて来てくれたハーレイの台詞。
ブルーの部屋で二人、テーブルを挟んで向かい合わせでお茶とお菓子を楽しんでいたら、唐突にそういう言葉が出て来た。
千羽鶴。ブルーが初めて耳にする言葉。
「折鶴のことだが、知らないか?」
こう、折り紙を折って作る鶴。幼稚園あたりで教わるんじゃないかと思うがな?
「知ってるよ? でも、折鶴を千羽鶴って言うの?」
センバって何なの、どういう意味?
「千羽は千羽だ、千の数の鶴っていう意味さ。小さな折鶴を千羽作るのが千羽鶴だ」
そいつを端から糸に通して、折鶴が何羽も連なった紐にするんだな。千羽だと紐は何本くらいになるんだか…。束ねればドッサリの折鶴ってわけだ、千羽分のな。
遥かな昔の日本にあった、とハーレイは語る。
今、ブルーとハーレイが暮らしている地域。その辺りに遠い昔に存在していた小さな島国。
千羽鶴はその国にあった習わしで、祈りのこもったものだったという。
長寿だとか、病気平癒だとか。そういう願いをこめて作られていたものだった、と。
千羽もの鶴を折るには大変な手間がかかるから。
病気や怪我をしたクラスメイトへのお見舞いに、とクラスの生徒が手分けして折って、病院まで届けに出掛けるケースも多かったらしい。
早く学校に戻れるようにと、怪我や病気が治るようにと。
「そうなんだ…。ハーレイ、千羽鶴、折ってくれるの?」
ぼくに千羽鶴。折鶴を千羽って、とっても愛がこもっていそう。
「なんでお前に折ってやらねばならんのだ」
折るような理由が無いと思うが、千羽鶴なんぞ。
「お見舞いなんでしょ?」
長寿も祈るって言っていたけど、お見舞いに作って貰えるものでしょ、ぼくも欲しいな。
風邪とかで学校を休んじゃったら、千羽鶴。
ハーレイが作ってくれた千羽鶴を飾って眺めるんだよ、早く学校に行けますように、って。
「入院するような重病や怪我の見舞いに作るものだぞ」
たかが風邪くらいで作ってどうする。お前、弱いが、でかい病気はしないんだろうが。
「ハーレイのケチ!」
ぼくの病気なんかどうでもいいんだ、お見舞い、作ってくれないんだ!
「お前なあ…。どのくらいの手間がかかると思っているんだ、千羽鶴」
いいか、千羽だぞ、折鶴を千羽。それだけの鶴を折らねばならん。
俺がせっせと折ってる間にお前が登校して来るだろうが。
まさか一日中、朝から晩まで、夜も寝ないで折るってわけにもいかないんだからな。
「そうかも…」
百羽も出来ない間に治ってしまっちゃうかも、ぼくの風邪とか。
千羽鶴を貰おうと思うんだったら、うんと長い間、お休みしなくちゃいけないね…。
それじゃ学校でハーレイの顔を見られないんだし、そんなのはちょっと困るかな。
でも…、とブルーは考え込んだ。
「ハーレイ、作ってくれる気も無いのに、どうして千羽鶴だなんて言い出したの?」
ぼくはそんなの知らなかったし、聞かなかったら欲しいって言いもしないのに。
「データベースで偶然、見付けちまってな…。千羽鶴ってヤツを」
こいつは知らんな、と読み進めていたら、長寿祈願に病気平癒と来たもんだ。
それを読んだら、お前に作ってやりたくなった。…間違えるなよ、今のお前のためじゃない。
俺はな、前のお前のために千羽鶴を作って祈りたかった。今となっては手遅れだがな。
「前のぼく?」
どうして前のぼくのために千羽鶴なの、今のぼくにくれるなら分かるけど…。
「俺が祈ってやりたかったのは、死んでしまう、って泣いていたお前。身体が急に弱ってしまって寿命が尽きると気付いて泣いたろ、何度も、何度も」
俺と一緒に地球には行けない、って泣いてたお前だ。あのお前に作ってやりたかったんだ。
「お見舞いに?」
「長寿祈願だ、お前の寿命が延びるようにと」
俺と地球まで辿り着けるようにと、千羽鶴。
お前の命が尽きないようにと、千羽鶴を作ってやりたかったと思ってな…。
たかが折り紙の鶴なんだが…、とハーレイの鳶色の瞳が深くなった。
「毎日せっせと、ブリッジや部屋で小さな鶴を何羽も折って。千羽出来たら、お前に渡して」
糸で連ねて束ねた鶴を青の間のお前に届けに行くんだ、千羽鶴だ、と。
こんなに出来たと、千羽もあるから寿命もしっかり延びる筈だと。
「それ、効いた?」
折り紙の鶴だよ、そんなのが効くの? 前のぼくの寿命がそれで延びるの?
「効いただろうと思うんだ。生き延びてくれ、と祈りと願いをこめて作った千羽鶴だしな」
現に、前のお前。
ジョミーの思いで生き延びたんだろ、アルテメシアの空から落っこちて来た後は?
「生きてくれ」と願ったジョミーの思いだけで、生きてナスカまで行けたんだろう?
アルテメシアを脱出した後には眠っちまったが、その状態でも十五年間も。
「そうだけど…」
「俺にそこまでの力は無かった。お前に直接、生きて欲しいと働きかけるだけの力は無かった」
しかし、俺の願いと祈りを形に出来ていたら。
生きて欲しいと、お前の寿命を伸ばしたいんだと千羽鶴を作って前のお前に渡していたなら…。
そうしていたなら、どうなったと思う?
「生きられたかもね…。ハーレイの千羽鶴のお蔭で」
「そうだろう?」
折り紙で作っただけの鶴でも、お前が信じてくれれば、きっと。
これで寿命を延ばせるんだ、と俺を信じてくれたならば、きっと…。
だから千羽鶴を作りたかった、とハーレイは語る。
前の自分が知っていたなら、千羽鶴を作っていただろうに、と。
「お前、ジョミーと俺なら、どっちを信じた?」
シャングリラのこととか、仲間のこととか。そういったことではなくって、だ。
お前のためにと言い出した意見が食い違っていたら、どっちの意見を信じたんだ?
「決まってるでしょ、ハーレイだよ」
ハーレイが正しいに決まっているもの。ぼくの恋人だというのは別にしたって、ジョミーよりも長く生きていたしね。キャプテンとしての経験だって、何百年分もあったんだから。
ジョミーとハーレイ、どっちか一人なら、ハーレイの方を信じるよ。
とんでもない意見に聞こえたとしても、ハーレイがきっと正しいから。
「お前自身がそう思っていたなら、千羽鶴を作れば、俺にだってジョミーの真似が出来たんだ」
生きろと、鶴の数だけ生きろと。
お前はそれだけ生きなきゃならんと、俺が祈っているんだから、と。
「そう言われたなら、死ねないかも…」
ハーレイに「生きろ」って言われちゃったら、ジョミーの思いで生きたのと同じ。
強い思いがぼくを生かすのなら、ハーレイの千羽鶴でも効き目は変わらなかったのかもね…。
「な、そんな気持ちがしてくるだろう? 生きられたかも、と」
あの頃の俺が知っていたらな、千羽鶴っていうのをな…。
お前の身体が弱ってしまって眠っている日が多くなっても、その間に。
ブリッジや部屋でせっせと折るんだ、青の間でもな。
そうして、お前が目を覚ましたなら「これだけ折ったぞ」と見せてやるんだ。
「目が覚めたら鶴があるんだね?」
増えてるんだね、寝てる間に。眠る前よりも数が増えてて、うんと沢山。
「ああ。何羽も何羽も鶴を折り続けて、千羽揃ったら、ベッドの周りに掛けてゆくのさ」
糸に通して、千羽束ねて。そいつをベッドの周りのカーテンレールに吊るすんだ。
千羽鶴なら誰も怪しまないからな。
前のお前と俺との仲をな…。
「それ、子供たちが真似しない?」
ソルジャーにお見舞いの千羽鶴を作ってプレゼントしよう、って頑張りそうだよ。
他の仲間たちだって、みんなで幾つも届けてくれそう。
ベッドの周りは直ぐに一杯になってしまうよ、みんなが作った千羽鶴で。
「そうならないよう、キャプテン権限で俺の分だけをベッドの周りに吊るすことにする」
他の千羽鶴は別の場所だ。いくら増えようが、ベッド周りは絶対、譲らん。
「それって、ちょっぴり酷くない?」
みんなの願いがこもっているのに、ベッドの側には飾れないだなんて。
「いや、そのくらいでないと俺の気持ちがお前に届かん」
ただの見舞いというわけじゃないんだ、生きて欲しいと祈りと願いがこもったヤツだ。
他の奴らが作ったヤツとは思いの強さがまるで違うってな。
お前に向かって「生きろ」と伝える、俺の心の叫びなんだからな。
「そうかもね…」
他の千羽鶴とは違って効くよね、ぼくの寿命を延ばすために。
そういうヤツなら、ベッドの周りを独占してても当然ってことになるんだろうね…。
だけど…、とブルーは呟いた。
「前のぼくたちが生きていた頃に、折鶴なんかは無かったね」
折り紙自体が無かったのかな、鶴以外のも見たこと無かったしね。
「うむ。ナプキンの洒落た折り方なんかはあったようだが、折り紙はなあ…」
そんな時代に千羽鶴なんぞは何処にも無いしな、前の俺も知りようが無かったってな。
お前のために作ってやりたくっても、知らないんじゃなあ…。
「今は折り紙も、折鶴も普通にあるけれど…」
ぼくたちの地域だけかもしれないけれども、折り紙と折鶴、普通だよね?
「ああ。だが、千羽鶴が無いってな」
データベースでお目にかかるまで知らなかったし、千羽鶴は一度も見たことがない。
「ホントに無いの?」
折鶴を千羽、糸に通して束ねるだけでしょ? それなのに無いの?
「調べてみたんだが、無いようだ。存在した、というデータだったら沢山あったが」
SD体制に入るよりも前の、この辺りが日本だった頃。
その頃には幾つも作られたようだが、どうやら復活してないらしいな。
ハーレイが調べたデータベースに、今も実在する千羽鶴のデータは一つも無かった。
昔はあったと、かつてはこうだ、と写真などのデータが残っていただけ。
色とりどりの折鶴を連ねて束ねた千羽鶴なるものが記録に在っただけ。
今は何処にも無いというから、ブルーも今日まで全く知らずに来たというわけで…。
「なんで無いのかな、千羽鶴?」
今、ハーレイが思念で見せてくれた写真。
とっても綺麗で素敵だったのに、どうして作られていないんだろう…?
「折鶴を千羽も作らなければいけないんだぞ?」
手間と時間が沢山かかるし、第一、寿命がとてつもなく延びてしまっただろうが。長寿を祈って作らなくても、皆、長生きをするからなあ…。
見舞いにしたって、こいつを作って見舞いに行くほど深刻な病気っていうヤツも無いし。
少しばかり入院が長引いたって、だ。元通りに元気で退院するのが普通だろうが。
千羽鶴に縋る時代じゃない、っていうことだな。
昔の文化を復活させるのが流行りとはいえ、必要無いものは復活しないさ。
「そっか…。じゃあ、ハーレイが復活第一号をやらない?」
「はあ?」
「千羽鶴だよ、記念すべき復活第一号をハーレイが作ればいいじゃない」
ぼくに作ってよ、千羽鶴。折鶴を千羽、糸に通して、束ねて来てよ。
「何のためにだ?」
「だから、お見舞い」
ぼくは身体が弱いんだから。しょっちゅう休むし、お見舞いに千羽鶴を作って欲しいな。
「入院してから言ってくれ。当分は学校に戻れません、ってほどの病気になってからな」
「それは嫌だよ!」
学校に行けなくなってしまったら、ハーレイに会えなくなるじゃない!
お見舞いに来てくれた時だけしか!
「ふうむ、入院をするつもりは無い、と。だったら全く要らないだろうが、千羽鶴」
折鶴を千羽も作っていられるほどに長い間、寝込んでくれていないとな。
作る時間があるからこその千羽鶴だしな、千羽作ってもまだまだ退院して来ない、と。
「うー…」
ハーレイの千羽鶴、欲しいんだけど…。
作って欲しいんだけれど、学校に行けなくなるのは嫌だよ…。
「なら、潔く諦めるんだな、我儘を言っていないでな」
ついでに、家で寝ている程度の病気で千羽鶴をくれと言われた場合。
俺が折鶴を折っていたなら、お前の大好きなスープの方がお留守になるが?
野菜スープのシャングリラ風はとても無理だな、俺は鶴を折るのに忙しいしな。
「ええっ!? で、でも…!」
前のぼくなら千羽鶴を折ってくれるって…。
そっちだとスープはお留守にならないんでしょ? スープも作ってくれるんでしょ?
「もちろんだ。スープも作るし、千羽鶴だってせっせと折るさ」
前のお前は寿命が尽きかけていたんだからなあ、重病どころの騒ぎじゃないぞ。
深刻さが違うし、俺も真剣に千羽鶴を折って、お前のためにスープも作って頑張るわけだ。
それこそブリッジでも暇を見付けて幾つでも折るな、千羽鶴のための折鶴をな。
しかし、今のお前はピンピンしてるし、千羽鶴を作るならスープは無しだ。
「…千羽鶴…。ぼくも欲しいのに…」
「欲しけりゃ自分で作っておけ」
千羽作って糸に通して、部屋に飾っておけばいいだろ。
「何のために?」
「自己満足だな、これだけ折った、と」
折鶴を千羽も作ったんだ、と自分で自分に自慢するんだな。そいつが一番の早道だ。
ただ千羽鶴が欲しいだけなら、自分で作って自分で飾れ。
「自分で千羽も!? 飾るためだけに?」
そんなの無理だよ、何か目標でもあったら折るかもしれないけれど…。
千羽折ったら御褒美があるとか、そんな感じで。
「俺は千夜も通わないからな?」
「なに、それ?」
「百夜通いというのがあってな。古典ではないが、ずうっと昔の日本の有名な伝説だな」
絶世の美女に恋をした男が求婚したらだ、「百日の間、毎晩通って来られたら認めてもいい」という返事をされた。それで頑張って通うわけだが、百日目の夜に行き倒れたっていう結末だ。
その男が毎晩、通ってた間、美女の方ではカヤって木の実に糸を通して数えてた。一日に一個、カヤの実を糸に通すんだ。
そんな感じで、俺が毎晩、通ってくる度に鶴を一羽折って、いつかは千羽。
「ハーレイ、千夜も通ってくれるの?」
「通わんと言ったぞ、お前が何の意味かと訊くから答えた」
どうして千夜も通わないと言ったか、それを教えてやっただけだな。
お前が千羽鶴を作るなんていう目標に付き合って通ってくるほど暇じゃないぞ、俺は。
「それじゃ千羽も折れないよ!」
目標も無いのに、千羽だなんて。
ハーレイが毎晩来てくれる度に一羽だったら、楽しく折れるかもしれないけれど…。
千羽は無理だ、とブルーが嘆く。とても作れないと、折れはしないと。
けれども千羽鶴は欲しいらしくて、諦め切れないようだから。
欲しいと顔に書いてあるから、ハーレイは笑ってこう持ち掛けた。
「そんなに欲しいなら、折ってみるか? 俺が訪ねて来た日の数の分だけ千羽鶴」
「えっ?」
ハーレイ、通ってくれるの、千回?
さっきは嫌だって言っていたけど、気が変わった?
「さてな? いいから、少し計算してみろ」
俺が毎日続けて千回、訪ねて来たなら。
それは何年分になる勘定なんだ?
「えーっと…。毎日が千回、千日だから…。一年が三百六十五日で…」
ブルーは懸命に指を折りながら、「二年と…」などと数えている。
その様子にクックッと喉を鳴らして、ハーレイは「計算、終わったか?」と恋人を見詰めた。
「俺も厳密に計算してはいないが、二年半より多いんだがな?」
それだけの間、続けて訪ねて、千回目に届こうっていう頃には…。
お前、幾つだ?
何歳になっているんだ、お前?
「ぼく? 今から二年半ほど先だと…。十七歳にはなっていそう?」
もしかして、婚約出来そうな年?
今から千回通って貰って鶴を一羽ずつ折っていったら、それくらいの年になってるの、ぼく?
千羽目の鶴が出来る頃には?
「そういう話が出ても可笑しくないってことだな」
さあ、どうする?
一羽ずつ折るか? 俺が訪ねて来られない日も当然あるしな?
訪ねて来た日にだけ一羽折るなら、千羽目の頃には本当に婚約の話くらいは出ていそうだが?
あるいは千羽に届く前に結婚しちまうとかな。
今日から一羽ずつ折ったらどうだ、と提案されたブルーは瞳を輝かせた。
ハーレイが訪ねて来てくれる度に鶴を一羽折って、千羽鶴を目指す。
鶴の数が千羽に届く頃にはプロポーズされて婚約するとか、それまでに結婚出来そうだとか。
(鶴が千羽になる頃には…)
素敵な未来が待っていそうで胸が高鳴り、千羽鶴を作りたくなった。
一羽折っては大事に仕舞って、数が纏まったら糸に通して。
(百羽くらいで通してやったらいいのかな?)
まずは百羽で折鶴を連ねた紐の一本目。それが目標、まず百羽から。
百羽を連ねた紐を増やして、二本、三本と作っていって。
十本目に糸を通す頃には、ハーレイとの恋は何処まで進んでいるのだろう?
婚約を済ませて結婚式の日を待ち侘びながら千羽目の鶴を折っているのか、それまでに結婚式を挙げてしまって千羽鶴など忘れてしまっているか。
忘れ去られた折鶴の束が転がっているという未来もいい。
百羽ずつ連ねて何本目かまでは仕上げたけれども、これ以上はもう折らなくていい、と。
(うん、千羽まで折らずに終わっちゃうかも…!)
ハーレイが来てくれない日も多いのだから、その可能性は大いにある。
千羽鶴が仕上がる日を夢見ながら、ハーレイが来てくれた回数を折り上げた鶴で数えて何日も。もう百回も会ったのだ、と百羽を連ねた紐を撫でたり、まだ連ねていない鶴を数えたり。
(ハーレイが来てくれた日の数だけ、鶴…)
いいかも、とブルーは思ったけれど。
鶴を折り続けて結婚の日を待ち焦がれるのもロマンティックだと思ったけれど。
(…でも、ぼくの背丈…)
ハーレイと出会った五月の三日から、一ミリも伸びてくれない背丈。
百五十センチで止まったままで、前の自分の背丈との差が二十センチから縮まらないまま。
前の自分と同じ背丈にならない限りは、ハーレイとキスさえ出来ないというのが残酷な決まり。
懸命に鶴を折っていたって、ハーレイが訪ねて来てくれる度に一羽ずつ折っていったって。
それで千羽鶴が出来上がった時に、背丈が伸びていなかったなら…。
急に心配になって来たから、ブルーは訊いた。
千羽鶴を作りたいのなら目標はコレだ、と案を捻り出した恋人に。
「ねえ、ハーレイ。…もしも千羽目の鶴が出来上がった時に…」
ハーレイが千回目に訪ねて来てくれた時に。
ぼくの背丈が足りなかったらどうなっちゃうの?
前のぼくとおんなじ背丈になっていなかったなら、十七歳になっていたって婚約は無し?
千羽鶴が立派に出来上がるだけで、婚約の話は出てこないまま?
「うん? …お前がチビのままだった時か?」
そりゃあ、婚約は無いだろうなあ、チビのままじゃな?
きちんと大きく育っていたなら、俺は喜んでプロポーズするが…。婚約もするが、チビではな。
もう少し待てと、せめて結婚出来る年になるまで待ってくれ、と言うしかないな。
「やっぱり!?」
だったら、千羽目が出来上がった時に十八歳を越えていたって、チビだった時はお預けなの?
結婚どころか婚約も無しで、大きくなれよ、って言われちゃうだけ!?
「そう怒るな。俺は日頃から言ってるだろうが、ゆっくり大きくなるんだぞ、って」
ゆっくりのんびり育てばいいだろ、結婚を急がなくてもな?
それにだ、千羽鶴を折っても充分に間に合う可能性ってヤツもゼロではないぞ。
俺が訪ねて来られる回数、千回になるのは何年先だか分からないしな?
その時にお前の背丈が前のお前と同じになればだ、千羽鶴と一緒にゴールインじゃないか。
実にめでたい、とハーレイは言ったけれども、ブルーにしてみればそれどころではない。
千羽鶴の方が背丈が伸びるよりも先に出来上がってしまえば悲しいだけ。
ましてや、その時に婚約出来そうな十七歳やら、結婚出来る十八歳なら泣くしかないから。
こんな筈ではなかったのに、と涙が溢れて千羽目の鶴など折れないから。
「千羽鶴なんか作らない!」
絶対折らない、とブルーは叫んだ。
折ってたまるかと、悲劇に終わりそうな千羽鶴など作るものかと。
「おいおい、お前、欲しいんだろうが?」
千羽鶴が欲しいなら折らないとな?
少しずつでも折っていかんと、千羽はなかなか難しそうだぞ?
「ハーレイが折ってよ、ぼくにお見舞い!」
千羽作ってプレゼントしてよ、お見舞いに!
「何の見舞いだ?」
風邪とかの見舞いと千羽鶴とは両立しないと言ったがな?
野菜スープがお留守になるぞと言った筈だが、それでも見舞いに千羽鶴なのか?
「風邪とかじゃなくって、もっと切実! うんと重病!」
ぼくの背、ちっとも伸びないんだから!
ハーレイと会ってから一ミリだって伸びてないから、背が伸びるように千羽鶴!
それなら充分にお見舞いになるでしょ、ぼくはホントにとっても困っているんだから!
「いつか伸びるさ、いつかはな。そいつは病気じゃないだろうが」
お前の心や身体に合わせてゆっくり、ゆっくり育ってるだけだ。
病気だったら健康診断の時に引っ掛かるだろ、何も心配要らないってな。千羽鶴も要らん。
前のお前になら千羽鶴を作って祈ってやったが、今のお前には要らないさ。
背丈ぐらいしか悩みが無いんじゃ、千羽鶴の出番も皆無だってな。
欲しいなら自分で作っておけ、とハーレイは笑って取り合わなかった。
そのハーレイが両親も交えた夕食を食べて、お茶を飲んでから「またな」と帰って行った後。
見送ってから二階の部屋に戻ったブルーは、また千羽鶴を思い出した。
折鶴を千羽、連ねて、束ねて千羽鶴。
とても綺麗なのに、今の時代は何処にも無いらしい千羽鶴。
前の自分に作ってやりたかった、とハーレイが話してくれた千羽鶴。
やっぱり欲しい。鶴を連ねた飾り物。
祈りも願いもこめなくていいから、沢山の折鶴を連ねた飾り。
(千羽鶴…)
ハーレイが訪ねて来てくれる度に一羽ずつ折れば、千羽揃う頃には婚約か結婚。
そういう勘定になりそうなのだし、ハーレイのアイデアは悪くない。
今日で一羽、と折ろうかとブルーは思ったけれど。
前の学校で使った折り紙を仕舞ってあるから、取り出して一羽、折り紙の鶴。
それもいいな、と引き出しに一旦、手を掛けたけれど、問題が一つ。
(今日はいいけど…)
この先、一羽ずつ折り続けていって。
ハーレイが来てくれた日の数だけの鶴を折って連ねて、束ねていって。
これで最後だ、という千羽目を折る時、背丈が足りなかったなら。
前の自分と同じ背丈になっていなかったら、結婚はおろか婚約も無しと言われたのだった。
ゆっくり育てと、焦らずにゆっくり大きくなれと。
(ハーレイの馬鹿!)
千羽鶴を折るためのアイデアはとても素晴らしかったけれども、その後が悪い。
出来上がる頃には婚約か結婚が待っていそうだ、と夢だけかき立てておいて、実際の所は背丈が充分に無かった場合は婚約すらもして貰えないらしい。
ホントに酷い、とハーレイの写真に向かって怒りそうになって。
フォトフレームの中、笑顔のハーレイに怒りをぶつけそうになってしまって。
(でも、前のぼくに…)
折ってやりたかった、と言ったハーレイ。
あの頃に千羽鶴を知っていたなら、ブルーの寿命が延びるように作ったと語ったハーレイ。
ブリッジでも折って、糸に連ねて、青の間のブルーのベッドの周りに千羽鶴。
幾つも幾つも千羽鶴を作って掛けて祈った、と聞かされた言葉。
それは本当の想いだったろうと思うから。
前のハーレイが知っていたなら、千羽鶴が沢山、青の間に在ったと思うから。
(もしも、ぼくの背が伸びなかったら…)
あんな風に笑ったハーレイだけれど、あの大きな手で幾つも折ってくれるのかもしれない。
背が伸びるようにと、祈りをこめて折鶴を。
願いのこもった折り紙の鶴を。
前のブルーに作れなかった分まで、幾つも、幾つも鶴を折っては糸で連ねて、千羽鶴。
そうだとしたら、その千羽鶴をプレゼントされる日が来るのだろうか?
「ゆっくりでいいから、大きくなれよ」とハーレイの手から千羽鶴。
俺が作ったと、お前のものだと、祈りのこもった千羽鶴を…。
千羽鶴・了
※千羽鶴が欲しくなってしまったブルー。使い道は色々、と思ったわけですけれど…。
ハーレイからは貰えそうにもありません。でも、いつか折って貰える日が来るのかも。
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