シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あ…!)
学校からの帰り道。ブルーの前をふわりと横切った綿毛。バス停から家まで歩く途中で。小さな小さなプロペラみたいに、羽根をくっつけた何かの種。柔らかそうな、白い羽根を。
目の高さくらいでスウッと通り過ぎたのに、上手い具合に風に乗ったらしい種。ふうわりと空に舞い上がってゆく。そのまま道端に着地するのかと思ったのに。
(飛んで行くよ…)
羽ばたきもせずに飛んでゆく種。生垣を軽く飛び越えて行った。引っ掛からないで。
今の自分は飛べないのに。前と同じにタイプ・ブルーでも、とことん不器用に生まれたせいで。どう頑張っても空は舞えない。生垣の高さにだって飛べない。
あんなに小さな種が軽々と飛んでゆくのに。気持ち良さそうに風に乗ってゆくのに。
(…いいな…)
何もしないでも飛べるなんて、と羨ましい気持ちで見上げた種。チビの自分よりもずっと小さい種。何かの植物の赤ん坊。生まれたばかりで、空に飛び立った所。この世界へと。
(種だけど、やっぱり赤ちゃんだよね?)
でなければ卵かもしれない。雛が孵る前の卵の旅。何処かに落ちたら雛が孵って、とても小さな芽が出るのだろう。気を付けていないと、見落としそうなくらいに小さいのが。
赤ちゃんなのか、それとも卵か。どっちなのかな、と見ている間も、種はぐんぐん昇ってゆく。いい風に乗って。生垣の次は庭を飛び越えて、お次は家。
二階の屋根より高く舞い上がって、光の中に溶けてしまった。とても小さな種だったから。白く光を弾く綿毛よりも、太陽の輝きが強かったから。
種は見えなくなってしまったから、何処まで行くかはもう分からない。今の自分は、サイオンの目では追えないから。前の自分の頃と違って。
不器用な自分が飛べない空を、フワフワと飛んで行った種。風に乗っかって、広い空へと。
(うんと遠くまで行っちゃうかもね?)
ああやって空の旅をして。もしかしたら、上昇気流にも乗って。
風船が思いがけなく遠い所まで旅をするように、あの種だって行くかもしれない。バスの終点を軽く飛び越して、もっと遠くへ。隣町とか、その向こうとか。
(遠くまで旅をしなくても…)
種が飛び立った場所とは違った、知らない所へ飛んでゆく旅。ほんのちょっぴりだけの旅でも。家を幾つか越えただけでも。
初めて見る場所にふうわりと落ちて、地面の中で眠って、冬を越して。春になったら…。
(何が育つのかな?)
あの綿毛から。地面に落ちたら、多分、綿毛は役目を終えて外れるのだろう。種が旅するための綿毛はもう要らないから。
種はゆっくり眠り続けて、春の暖かな光で芽を出す。小さな葉っぱが顔を覗かせて、その葉から太陽の光を貰って、根からは土の中の養分。新しい場所で育ち始める命。
すくすく育ってゆくだろうけれど、後は綿毛の正体と運。雑草が生えた、と抜かれてしまうか、逞しく育ち続けてゆくか。「いいものが生えた」と歓迎されるか、綿毛だけでは分からない。
(綿毛、色々なのがあるから…)
雑草でなくても、様々な園芸植物の類。あの種が何かは分からないけれど。
(土があったら、芽を出せるよね?)
道路なんかに落ちなかったら、無事に芽を出すことだろう。着地した場所で、春になったら。
いい旅を、と心で呼び掛けた綿毛。今の自分は空を飛べないから、心の底から。素敵な所へ旅をしてねと、気持ちいい所へ飛んで行ってね、と。
もう見えなくなった種を見送って、家に帰って、おやつを食べて戻った部屋。二階の窓から外を眺めたら、綿毛のことを思い出した。帰り道に空を飛んで行った種。
風に乗って高く舞い上がった種は、あれから何処へ行ったのだろう?
(この辺りだったら、土のある場所は、うんと沢山…)
何処の家にも庭があるから、其処にふわりと落ちたなら。公園もあるし、家の外にまで植木鉢を並べた家だって。
屋根に落ちても、雨で流れて着地出来そうな庭。花壇にだって着くかもしれない。綿毛の正体が雑草だとしても、芽を出すことは出来る筈。冬が終わって、暖かな季節が巡って来たら。
もっと遠くまで飛んでゆけたら、広い野原にも着けるだろう。何の種でものびのび育てる、誰も抜いたりしない場所。雑草の種でも、綺麗な花が咲く植物でも。
(素敵な所まで飛べるといいね…)
幸せに育ってゆける場所まで。庭で芽を出しても大きくなれる家だとか。うんと遠くの町外れに広がる野原にだって。
もしも雑草の種だったならば、庭では歓迎されないから。ある程度までは大きくなれても、空を飛んでゆける種が出来上がる前に、引っこ抜かれてしまいそうだから。
どんな種でも立派に成長出来る場所なら、郊外の野原。其処が一番。
帰り道に出会った綿毛の正体は分からないから、野原まで飛んで行けたらいいい。空を旅して、町の外まで辿り着けたら大丈夫、と思った所でハタと気付いた。
(町の外って…)
人間が住んでいる家が見えなくなったら、広がっている野原や緑の山や。沢山の木が茂った山を越えて行っても、続いてゆく植物の種が生きられる地面。山の向こう側も、木々に覆われた斜面。其処を下れば、林や野原。
当たり前に思っていたのだけれども、その光景は今だからこそ。青く蘇った地球の恵みで、前の自分は知らない風景。町の外まで緑の地面が続く景色は。
(アルテメシア…)
白いシャングリラが長く潜んだ、雲海の星。緑溢れる町もあったし、海も広がっていたけれど。
(全部、人間が暮らすためのもので…)
本来の星の姿を改造したもの。人間が其処で生きてゆくのに適した姿に。
テラフォーミングされた場所を除けば、アルテメシアは荒地のままだった。同じ星の上にあった二つの都市の間でさえも、不毛の地だった峡谷が挟まっていた有様。
険しい断崖と深い峡谷、水さえ流れていなかった。そんな所に緑が育ちはしない。どんな雑草も生えていなくて、荒涼とした谷。町の外も同じに荒れた土だけ、草は一本も育たなかった。
(あそこだと、種が風に乗っても…)
高く、遠くと舞い上がれても、幸せにはなれなかっただろう。旅をした先に、植物の種を育ててくれる地面は無いから。長い空の旅を続けた果てには、不毛の大地があっただけだから。
人間のために整備されていた区域の中でしか、雑草でさえも芽を出せなかったアルテメシア。
綿毛の羽根で空を飛べても、自由にはなれなかった星。人間が作った世界からは。
けれども、今日の綿毛は違う。町の外まで飛んで行ったら、本当に自由。雑草の種でも、抜いて捨てられはしないから。山で、野原で、大きく育ってゆけるのだから。
(今は人間の方が遠慮してる時代…)
人間の都合で星を、自然をどんどん改造したりはしない。テラフォーミングをするのだったら、星ごと変えてゆくのが基本。人間の住む場所以外であっても、自然が息づく星になるように。
(砂漠とかも、ちゃんとあるけれど…)
それは、その方が自然だから。この惑星ならどうすべきか、と検討して自然を作ってゆくから。もっと人間の住める地域を、と欲張らないで。他の生き物が暮らす範囲を最優先で。
特に地球では、厳しい決まり。一度滅びて、奇跡のように蘇って来た星だから。
この星の上では、他の動物や植物のためにある場所の方が多くて、人間は其処に住ませて貰うといった雰囲気。彼らの邪魔をしないようにと遠慮しながら。
(アルテメシアにあったみたいな高層ビルは…)
今の時代は、もう作られない。地球でなくても、何処の星でも。
中でも地球が一番厳しい、と学校で習う。ビルも道路も、自然を損ねてしまわないよう、とても気を配って作られていると。滅びる前の地球とは違うと。
賑やかな街の真ん中にだって、きちんと作られている公園。人が緑と触れ合えるように。小鳥や虫たちが暮らせるように。
町の外には、豊かな緑。野原も山も、「此処で終わり」と不毛の大地に変わりはしない。
(だからあの種、何処へでも行けて…)
着いたその場所で育ってゆける。家の庭でも、町の外でも。土のある場所に下りられたならば、冬の後には芽を、根を出して。
前の自分が生きた時代は、そんな風にはいかなかったけれど。世界はとても狭かったけれど。
(凄いよね、地球は…)
風に運ばれた種が、何処ででも暮らしてゆける星。土さえあれば、春になったら芽を出して。
なんて幸せな星なんだろう、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合うなり、口にしてみた。
「ねえ、地球って幸せな星なんだね。…ホントに幸せ」
地球に来られて良かったと思うよ、今の青い地球に。
「はあ? 幸せって…」
そりゃ幸せだろ、前のお前が行きたがってた夢の星だぞ。しかも今では青い地球だ。
前のお前が生きてた時代は、こんな地球は何処にも無かったが…。
滅びちまった時と変わらないままの、そりゃあ無残な星だったんだが…。
こうして元に戻ったからには、最高に幸せな星だってな。人間を生み出した星なんだから。
何を今更、という顔をされてしまったから、説明をすることにした。幸せな星だと思った理由。今の青い地球と、遠い昔のアルテメシアは違ったことを。
「あのね、綿毛が飛んでたんだよ。…今日の帰り道に」
植物の種がくっついた綿毛。ぼくの前を横切って、風に乗って飛んで行っちゃった。家の屋根を越えて、そのまま見えなくなっちゃったんだよ。
でもね、その種…。何処へ行っても、生きてゆけるでしょ?
うんと遠くへ飛んで行っても、春になったら、ちゃんと芽を出して。
「おいおい、道路とかだと駄目だぞ」
芽を出すためには土が無いとな。道路に落ちたらどうにもならんぞ、土が無いから。
「それはそうだけど…。そんなのじゃなくて、人間の住んでいない所でも、っていう意味」
町の外まで飛んで行っても、山も野原もあるじゃない。山を越えても、育つ場所は一杯。
だけど…。アルテメシアじゃ駄目だったよ。前のぼくたちが生きてた頃の。
アタラクシアも、エネルゲイアも、町の外に出たら緑はおしまい。人間が暮らす都市から見える範囲だけしか、テラフォーミングしてはいなかったから。
「そういや、そうだな…。山を越えたら荒地だっけな」
草一本生えやしなかった。そういう風には出来てなかったし、種が落ちても芽は出せないか…。
あの時代だと、完全に人が住める状態だった星は、ノアくらいだな。
人類が最初に入植に成功した星だったから、荒地のままで置いておくより、テラフォーミングをして住める場所を増やしていかないと。ポツン、ポツンと町を作るよりかは。
しかし、ノアでも今の地球には及ばんなあ…。青い星には見えたんだがな。
海もあったし、綺麗な星ではあったんだ、と話すハーレイ。
前のハーレイが白いシャングリラから目にしたノアは、他の星よりも遥かに美しかったという。星を取り巻く白い輪が無ければ、地球かと間違えそうなくらいに。
「ノアがこんなに綺麗だったら、地球はどれほど凄いんだろう、と誰もが夢を見ていたもんだ」
もっと青くて、息を飲むしかないんだろうと。…残念ながら、本物の地球は酷かったが。
あのレベルまで行ってたノアでも、今の地球には敵わなかった。技術の限界といった所か。
「ね、そうでしょ? 一番整備されてたノアでも、そんなのだから…」
アルテメシアだと、ホントに駄目。植物の種が町の外に出たら、芽は出せなかったよ。
だから、地球は幸せな星だと思って…。
ぼくたちも幸せに生きているけれど、植物だって幸せなんだよ。
「確かにな。綿毛が旅をして行った先が、不毛の土地だっていうことはないな」
此処は砂漠の地域じゃないから、土さえあったら、何処でも自由に育ってゆける、と。
もっとも、そうして芽を出したって、運が悪けりゃ、抜かれちまうが…。
雑草が生えた、と抜かれちまったら、それでおしまいなんだがな。
「そうなんだけどね…。雑草の種は嫌われちゃうから」
ぼくが見た種、何の種だか分からないんだよ。雑草かもしれないし、花壇の花かも…。
だけど、気持ち良さそうに空を飛んでた。ぼくは飛べないのに、風に乗ってね。
いい旅をしてね、って思っちゃった。あの種が幸せになれる場所まで。
幸せな空の旅を続けて、何処かで幸せに育つといいな、と夢を語ったら。
「そうだな、そういうのも今の地球ならではだな」
空の旅をする色々な種。そいつが沢山あるというのも、地球の良さだ。
幸せな場所を目指して旅に出るのは、お前が見掛けた綿毛だけではないからな。
「うん…。他にも幾つも飛んでいるよね」
あれと一緒に風に乗った種、きっと一杯あっただろうし…。
その中の一つをぼくが見ただけで、色々な所に飛んでったと思う。行き先も色々。
「綿毛だけではないんだぞ? 空を飛ぶ種は」
もっと他にも幾つもあるんだ。自分で飛んで行く種だってあるが、運んで貰うのもあるからな。
綿毛なんかはついていなくて、ただの種のままで。
「なに、それ? ただの種って…」
運んで貰って空を飛ぶって、飛行機か何か?
そういう種まき、あるって聞くけど…。広い畑だと、飛行機を使って、空から種まき。
「違うな、それじゃ人間の都合で栽培されてるだけだろうが」
行き先は畑で、あまり自由じゃなさそうだぞ。快適な環境で育ってゆけるのは確かだがな。
俺が言ってるのは、それじゃない。空を飛ぶのは飛行機じゃなくて、生き物だ。
空を飛ぶ生き物とくれば鳥だろ、鳥に食べて貰って飛んでゆくんだ。
美味しい実をどうぞ、とドッサリ実らせて、種ごと飲み込んで貰ってな。
鳥が運んでゆくという種。それなら前にハーレイに聞いた。ヤドリギの実がそうなのだと。高い木の枝に生えるヤドリギ、こんもりと丸い姿に育つ寄生植物。
実の中の種は粘り気があって、小鳥を捕まえるためのトリモチが作れる。けれど、種の粘り気はトリモチの材料になるためではなくて、木の枝にしっかりくっつくためだ、と。
実を食べて種を飲み込んだ鳥が、高い木の枝に残してゆく糞。それに混じってくっついた種が、雨風で流されてしまわないようにと、強い粘り気。
「ああ、ヤドリギ…!」
木の枝にくっつかなくちゃ駄目だから、粘り気のある種なんだよね?
それでトリモチが作れるくらいに凄いって…。ヤドリギの種は空を飛ぶよね、綿毛無しで。
「覚えてたか? ヤドリギはそのために美味い実をつける、と」
鳥に運んで貰って増えるんです、っていう植物の代表みたいなモンだな、ヤドリギ。他の木まで運んで貰うとなったら、鳥にしか頼めないからな。
それが専門の植物もあるが、そうでもないのに、鳥に運んで貰って凄い所で育つこともあるぞ。
もちろん、鳥に運んで貰って遠くへ行こうとはしたんだろうが…。
本当だったら、そんな所で育つ植物じゃなかったよな、という凄いヤツが。
「それって、どんなの?」
変な所に生えてるんだよね、その植物。何の種だったの?
「聞いて驚け、松に桜だ」
松の木の上に桜が咲くんだ。小ぶりだとはいえ、立派に枝を広げてな。
「ええっ!?」
桜って、春に咲く綺麗な桜のことだよね?
それが松の木の上で咲いてるだなんて、なんだか信じられないんだけど…!
嘘みたい、と目を丸くしたけれど、本当の話。ハーレイは写真で見たという。その桜の木がある辺りでは、よく知られた木。花の季節には写真を撮ろうと愛好家たちが出掛けてゆく。
「もちろん、花見の人だって行くぞ? ただ、松の木の上だからなあ…」
何メートルも上で咲いてるんだから、普通の花見とは違うだろうな。見上げりゃ首も痛くなる。周りに桜が沢山咲いてるわけでもないし…。まあ、珍しいものを見に行くってトコか。
他にも、木の上に他の木が生えるってヤツは幾つもあるわけだ。
寄生植物じゃなくても、たまたま鳥が落として行った種が芽を出したらな。
「それって凄いね、木の上に別の木だなんて…」
ヤドリギだったら分かるけれども、桜なんかは木の上に生える木じゃないのに。
「な、地球ならではの景色だろ?」
人間が住んでる所だけしか緑が無い、って所じゃ無理だ。
鳥が自由に実を食べて飛んで、気の向いた木の枝で休憩するから、凄い所で種が育つ、と。
「ホントだね…。鳥だって好きに飛んで行けるものね」
今の地球だと、渡り鳥だっているんだもの。冬に来る鳥とか、夏の鳥だとか。
前のぼく、そんなのは少しも想像出来なかったよ。種を運ぶ鳥も、渡り鳥だって。
渡り鳥のことは色々な本に載っていたけど、そういう種類の鳥なんだな、って思っていただけ。
「アルテメシアに鳥はいたがだ、あれだって人間が作った町だけにしかいなかったし…」
おまけに、シャングリラには鳥がいなかったからな。…鶏しか。
「そう…! 卵を産んでくれて、肉も食べられる鶏だけ…」
前のぼくが欲しかった青い鳥は駄目で、みんなの役に立つ鶏しか飼えなかったんだよ。
鶏は空を飛べなかったし、種を運ぶ以前の問題だよね。
人類に追われたミュウたちのための、箱舟だったシャングリラ。白い鯨に改造された後は、自給自足で生きていた。船の中だけが世界の全てで、何もかもを船で作り出して。
余計な生き物は必要無い、と飼育されなかった空を飛ぶ鳥。手間がかかるだけだ、と鶏だけしか船で飼ってはいなかった。空を飛べない、歩き回るだけの鶏たち。
「ねえ、ハーレイ。シャングリラに鳥はいなかったけど…」
鶏だけしかいなかったけれど、もし、あの船に空を飛ぶ鳥がいたって…。
植物の種を運んで行くことは出来なかったよね。木の実を好きに食べられないもの。
シャングリラで育てていた植物は全部、人間のための植物だったから…。
観賞用に植えてあっても、それを眺めるのは人間でしょ?
大切な実を鳥が食べちゃうだなんて、絶対、駄目。…食べられないように工夫した筈だよ。
食べられない実の種は運べないから、空を飛べる種は無かったよ、きっと。
鳥がシャングリラの中を飛んでいたって、一緒に空を飛ぶ種は一つも無かったと思う。
「あの船の植物は、どれもそういうヤツだったしなあ…」
収穫するのは人間の役目で、鳥の出番は無かったな。いたとしたって。
鳥が木の実を食おうとしたなら、ゼルやヒルマンが対策を考えただろう。食われないように。
種は決して空を飛べんな、あの船ではな。
…そういや、綿毛も無かったかもしれん。自分で風に乗って行ける種。
アルテメシアの話じゃないがだ、飛んで行っても、船の中じゃどうにもならんしなあ…。
いや、あったか?
観賞用か何かで、そういう植物。…綿毛がついてる種が出来るヤツ。
「どうだったっけ…?」
花壇の花でも、綿毛のついた種が出来るのは色々あるけれど…。
シャングリラで育てていたかな、それ。…公園は幾つもあったんだけれど…。
白いシャングリラにあった植物。鳥ほど手間はかからないから、観賞用のも多かった。人の心を和ませてくれる植物たちは、大いに歓迎されていたから。
けれど、その中に綿毛のついた種を結ぶものはあっただろうか?
百合も薔薇も綿毛をつけはしないし、スズランも、スミレやクローバーも。
二人して公園の花を幾つも思い出しては、「これも違う」と数える間に、ふと蘇って来た野花の記憶。まるで小さな太陽のような、黄色い花を咲かせたタンポポ。
「そうだ、タンポポ…!」
タンポポの花が咲いていたっけ、あれの種は風で飛んで行くんだよ。
花が終わったら、真っ白な綿毛がふんわりくっついていたじゃない…!
「あったな、タンポポ…。ブリッジの下の公園にな」
春になったら咲いてたんだった、あっちこっちに。あの公園でしか咲かなかったが。
「うん…。根っこが深くて、嫌われてたけど…」
公園の手入れをしていた係に。
大きく育ったタンポポの根っこはうんと深くて、引っ張っただけじゃ抜けないから…。
小さい間に抜いてしまわないと、ホントに手間がかかっちゃうから。
「だが、タンポポを植えないと、とヒルマンが押し切ったんだっけな、あの公園」
船の子供たちに、植物が増えてゆく仕組みを教えたいから、と。
種を蒔いたら増えるもんだが、それじゃ駄目だ、と言ったんだった。
自然の中では勝手に増えてゆくものなんだし、船の中だからこそ教えたい、とな。
タンポポってヤツは、人の手を借りずに増えるからなあ、あの種が風に乗っかって。
種を落とすだけのスミレやクローバーとかとは違って、見た目で分かる。種が飛ぶのが。
是非植えたい、と言われちまったら、厄介なヤツでも仕方ないよな。
船の中だけが世界の全てだった、白いシャングリラ。救い出した子供たちを乗せた箱舟。外には出られない子供たちに自然を教えるためには、タンポポは格好の教材だった。
ある日、長老たちを集めて「タンポポを植えたい」と言ったヒルマン。
「育ててみようと思うのだよ。この船でね」
タンポポは植えておくべきだ。一ヶ所だけでもかまわないから。
「ちょいと、タンポポって…。雑草をかい?」
あんなのが何の役に立つのさ、とブラウが尋ねた。綺麗な花でもないじゃないか、と。
「観賞用の植物だけが全てではないよ」
それでは駄目だ。自然をそっくり再現しようとは言わないが…。タンポポは欲しい。
「もう色々と植えてあるわい、スミレもクローバーも植えたじゃろうが」
追加は要らん、とゼルが苦々しい顔をしたけれど、ヒルマンは「いいや」と首を横に振った。
「確かにあれこれ植えたがね…。公園で見るには充分なのだが…」
生憎と、今ある植物たちの種は、旅をしてくれないものばかりだ。ただ増えるだけで。
「旅だって?」
誰もが首を傾げた「旅」という言葉。
長い旅なら、前の自分たちもして来たけれども、植物の旅とは何だろう?
しかも種とは、と不思議に思った前の自分たち。
人間だったら宇宙船などで旅をするものだけれど、植物が何故、と。
植物は自分で歩いてゆきはしないから。根を下ろした場所から少しも動きはしないのだから。
アルタミラの地獄から脱出した後、長く宇宙を旅していた。白い鯨に改造を終えて、雲海の星に辿り着くまで。アルテメシアの雲に潜むまで。
其処で保護したミュウの子供たち。幼い子たちが船に加わり、ヒルマンはその教育係。旅をする種が必要だから、とタンポポの導入を唱えたヒルマン。
「タンポポはね…。種に綿毛があるのだよ」
本などで見たことがあるだろう。タンポポの種の写真くらいは。丸い綿毛の塊をね。
あの種は、綿毛を使って風に運ばれて、落ちた先の地面で芽を出すものだ。
それが旅だよ、タンポポの種の。…ほんの短い距離にしたって、自然を実感出来るだろう。
この船の公園に吹いている風は、人工の風には違いないが…。
それでも、そうして風が吹いたら、タンポポの種の旅が始まる。その風に乗って。
子供たちが息を吹き掛けて散らした時にも、やはり同じに旅をしてくれる。風のままにね。
本来、自然はそういったものだ。人間の力を借りることなく、次の世代を育ててゆく。
船の中しか知らずに育つ子供たちにも、自然の仕組みを教えておきたい。
…どうだろうかね?
タンポポを植えるのは駄目だろうか、という質問に反対する者はもういなかった。旅をする種は船に必要だろうから。自然の教材は、きっと子供たちの役に立つから。
「いいじゃろう。…そういうわけなら、反対せんわい」
「あたしも植えるべきだと思うよ。…どうだい、ソルジャー?」
ブラウに訊かれたから、「いいと思う」と前の自分も応じた。ハーレイたちも。
ヒルマンは嬉しそうに頷き、それから髭を引っ張っていた。
「ただ、問題はタンポポの性質でね…」と、「増えすぎると抜くのが厄介らしいが」と。
繁殖力が旺盛な上に、深く根を張るから嫌われ者の植物なのが難点だがね、と。
そんな遣り取りを経て、シャングリラにタンポポが植えられた。前の自分が種を採りに降りて、綿毛を公園に吹く風に乗せて。ブリッジが見える一番大きな公園で。
ヒルマンが連れて来た子供たちがワッと揃って上げた歓声。綿毛が風に乗って散ったら。
やがてタンポポの種は芽を出し、公園のあちこちで育ち始めた。それまでは無かった植物が。
「植えたんだっけね、タンポポの種…」
前のぼくが最初に蒔いたんだったよ、タンポポの種。…ううん、タンポポは自分で飛んでった。風に乗せたら、ぼくの方なんか見向きもせずに。
何処へ飛ぶかな、って見送っていたよ、ヒルマンや子供たちと一緒に。タンポポの旅を。
後で生えて来たら、ビックリするほど色々な所にあったっけ…。あの時のタンポポ。
「うむ。雑草なだけに、生命力が強かったからな」
もれなく発芽したんじゃないのか、お前が公園に蒔いてやった種。
いや、お前はタンポポの種を採って来ただけで、後はタンポポが旅をしただけか。
あの公園は広いというのに、呆れるほどの範囲で芽が出たぞ。
でもって、黄色い花が幾つも咲いてだ、花が終わったら綿毛の番で…。
そいつらが旅を始めたっけな、公園に吹いてた風に乗っかって。
子供たちもフウフウ吹いて飛ばして、シャングリラ生まれのタンポポが旅をしたんだが…。
次の季節にはワンサカ増えてて、増えすぎたから、と係に手入れを頼んだら…。
「…抜けなかったんだよね、根っこが深くて」
引っ張っただけではビクともしなくて、無理に引っ張ったら千切れちゃって。
残った根っこからまた新しい葉っぱが生えてくるから、係が悲鳴を上げてたっけね…。
ヒルマンが厄介者らしいと言った通りに、厄介だったシャングリラのタンポポ。公園の整備係を困らせたそれは、教材だからと居座ったまま。花が終わったら種を飛ばして、また増えて。
「実に厄介な植物だったが、お前も遊んでいたっけな」
子供たちと一緒に、タンポポの種で。綿毛を息で吹き飛ばしてな。
「競争してたよ、誰が一番遠くまで種を飛ばせるか、って」
それにサイオンで風も起こしてたっけ。公園の風より強い風をね。
子供たちに「やって見せて」って頼まれた時は、タンポポの周りに、うんと強い風を。
そしたら種がブワッと飛ぶから、みんな大喜びで見上げていたよ。あんなに飛ぶね、って。「ブリッジにもたまに落ちて来てたぞ、タンポポの綿毛」
お前がわざわざ飛ばさなくても、風の加減というヤツで。
こんなトコまで飛んで来たな、と拾っては公園に返したもんだ。ブリッジに土は無いからな。
ついでに、誰かの服にくっついて、他の所で生えたら困るし。
「あの公園でしか育てていなかったんだよね、タンポポは…」
植える前にヒルマンが言ってた通りに、ホントに厄介者だったから。
抜いても抜いても次が生えて来るし、引っこ抜く時も掘り起こさなくちゃ駄目だったから…。
「嫌われ者っていうヤツだよなあ、頼んでないのに次々と増えて」
好き勝手に旅をしては増えるから、どうにもならん。何処に生えるのもヤツらの自由で。
教材としては立派だったが、嫌われっぷりも酷かったぞ。公園の係がブツブツ文句だ。
他の公園で見付かった、ってニュースが入ろうもんなら、係のヤツらが飛んでったっけな。飯の途中でも放り出しちまって、タンポポ退治。
早い間に根絶やしにしないと、またタンポポが増えるしな?
本当に、よっぽど厄介だったんだろうな、飯も後回しで退治しておきたいくらいにな。
「多分ね…。後で、って思って忘れちゃったら、おしまいだものね」
種が飛んじゃったら、もう拾えないし。…生えてくるまで、何処にあるのか謎なんだから。
白いシャングリラのブリッジが見えた広い公園。其処にしか生えていなかったタンポポ。綿毛の旅は公園の係泣かせで、他の公園では端から退治されていたから。
「…ぼくが見た綿毛、タンポポだったのかなあ?」
今日の帰りに飛んでった綿毛。もっと良く見ておけば良かった、タンポポだったら。
こんな懐かしい話になるんだったら、もっとしっかり。
「タンポポだったかもしれないな。秋にも咲くしな、気候が良けりゃ」
なんたって、相手はタンポポなんだ。厄介者で嫌われ者だった、あの頑丈な雑草だぞ?
花を咲かせたら、きっと綿毛を作るだろうしな。咲いただけでは終わらないで。
「厄介者かもしれないけれど…。今の時代でも、タンポポ、厄介なんだけど…」
ママが「また生えちゃったわ」って抜いているけど、あの種がタンポポだったなら…。
厄介者だって言われない場所で、うんと幸せになって欲しいな。
シャングリラのことを思い出せたから、嫌われない場所で、花を咲かせて。
「うーむ…。俺もタンポポには手を焼くんだが…」
庭の芝生に生えちまったら、たまに泣かされているんだが…。
お前が見た種がタンポポだったとしても、きっと幸せになれるだろうさ。地球なんだから。
今度が駄目でも、また次ってな。
「次って…。花を咲かせられなくても、その次があるの?」
引っこ抜かれた根っこの残りから、また新しい葉っぱを出すってこと?
「そうじゃなくてだ、俺たちみたいに生まれ変わって」
次もタンポポになって旅をするとか、もっと喜ばれる花の種になって旅をしてゆくとかな。
綿毛で増える花壇の花とか、鳥に食べられて空の旅をする木の実だとか。
「そっか…! 空の旅だって色々だっけね」
地球なんだもの、空を旅する種も色々。旅をしてゆく方法も色々…。
あの種もきっと幸せになれるね、地球なんだものね。タンポポの種でも、何の種でも。
幸せに旅が出来ますように、と窓の向こうに目をやった。
あの種は今も飛んでいるのか、何処かにふわりと舞い降りたのか。家の庭か、野原か、それとも山か。歓迎される場所に降りたか、すくすく育ってゆけるのか。
何処へ降りても、植物の種でも、幸せに生きてゆけるのが地球。
今度が駄目でも、またタンポポになって空を舞うとか、鳥に運んで貰うとか。
種だって幸せになれる時代は、何に生まれても、きっと幸せ。
死の星だった地球は青く蘇って、他の星でも、今は誰もが幸せだから。
その幸せな世界に生まれて来られた、今の自分と今のハーレイも。
今度は幸せに生きてゆけるから、いつまでも、何処までも、二人で旅してゆけるのだから…。
旅をする綿毛・了
※今の地球だと、何処に落ちても育ってゆける植物の綿毛。旅をする種をつける植物は色々。
シャングリラでも、子供たちの教材にタンポポを育てていたのです。増えすぎる嫌われ者を。
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