シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
なんだか妙に息が苦しい。ブルーは自分のベッドの中で意識は半分眠ったままで寝返りを打ち、丸くなろうとしたのだけれど。
(…うーん……)
身体に纏わりつく重い感触。蹴飛ばしてみたら軽くはなったが、今度は少し肌寒い。ブルーの上から上掛けが消えてしまったらしい。
(……んー……)
確かこの辺、と手を伸ばして探る間に意識が浮上し、上掛けの端を掴んだ時には眠りから覚めてしまっていた。寝ぼけ眼で上掛けをグイと引っ張り上げれば、パジャマの裾まで一緒に上がった。上掛けの下で細っこい腹だか、胸あたりまでが晒されてしまったと言うべきか。
起き上がって直すのも面倒だから、と押し下げようとしたが、眠っている間に緩んでいたのか、一番下のボタンが外れた。こうなると些か始末が悪くて、上掛けの下では留めにくい。
「…うー……」
手探りでボタンをはめる間に気付くあれこれ。乱れたパジャマも問題だったが、上掛けもかなり変なことになっているようだ。眠りながら身体に巻き付けていたか、引っ張ったか。定位置に無いそれを被って寝るには、今のブルーは意識がハッキリし過ぎていた。
(…寝にくいよ、これ…)
足が片方はみ出しているし、その足を覆う筈のパジャマのズボンも裾が上がってしまった状態。上掛けを蹴飛ばした時に巻き添えになったものと思われる。ベッドに寝転がったままでは元通りにするのが難しそうな上掛けとパジャマ。
それでも暫し格闘した末、諦めて起き上がることにした。常夜灯だけが灯った部屋は薄明るく、目が慣れてくれば充分に見える。ベッドから這い出し、裸足で床へと下り立ってみれば。
(…………)
蹴り飛ばされた上掛けの一部がベッドからずり落ち、パジャマのボタンも下の二つが外れていたらしく、一つだけ外れたと思い込んで手探りではめた結果は違う位置へと留め付けることで。
(…あーあ…)
情けない気持ちでずれたボタンの位置を直して、上掛けもきちんとベッドに被せ直した。これで安眠出来るだろう、と再びベッドにもぐり込む。くるりと丸くなり、大きな枕に顔を埋め…。
(これで良し、っと)
夢の世界を目指そうとした時、ふと思い出した。前の生での自分のことを。
(前のぼくって器用だったよね…)
あんな格好で寝てたんだから、とソルジャーの衣装を思い浮かべた。青の間のベッドで眠る時も着たままだった服。上着どころかマントもあったし、手袋とブーツもセットだったそれ。
ソルジャーの象徴でもあった正装を解かずに眠っていたのに、前の自分はベッドの中でも姿勢が良かった。目覚めた時にマントが身体に巻き付いていたことは一度も無いし、上掛けだって…。
(…今のぼくだと、あの服は多分……)
見るも無残な状態になったソルジャーの衣装は容易に想像がついた。自分のマントにぐるぐると巻かれた姿はさながらクレープ、紫色をしたクレープの中も酷いことになっているだろう。上着のファスナーは半分でも留まっていればいい方、アンダーのファスナーさえも怪しい。
(…絶対、苦しくて開けちゃうんだよ)
ぴったりとしていた黒いアンダーは首の半分を覆っていたから、今のブルーなら無意識に襟元を開けて緩めてしまうに違いなかった。ついでにマントの襟も邪魔だと留金を外し、ブルーの肩から外れたマントはクレープのように巻き付くどころか蹴り飛ばされて落ちていそうで。
(ぼくだとホントにやっちゃいそうだ…)
そんな寝姿、披露出来ない。
前の生でブルーが眠っている時にも青の間に人の出入りはあったし、枕元で会議が開かれたことさえもあった。思念だけで応えるブルーは眠ったままで、長老たちが集まって。ブルーが行儀よく眠っていたから会議は粛々と進んだけれども、もしも寝相が悪かったなら…。
(…そっちが気になって会議どころじゃなかったよね、きっと)
几帳面なエラはせっせと上掛けを被せ直してくれそうだったし、服やマントはハーレイやゼルといった男性陣が整えたり留めたりしただろうと思う。それでは大切な会議どころか、みんな揃ってブルーのための世話係。そうならなくて本当に良かった。
(後で文句も言われそうだしね?)
ソルジャーの威厳を保つためにも動かずに寝ろとか、せめて上掛けは蹴り飛ばすなとか。
丸くなって眠るのが好きな今のブルーには無理な注文。ソルジャー・ブルーだった自分のように仰向けの姿勢で服を乱さずに朝まで寝るなど、どう考えても出来るわけがない。
(…前のぼく、ホントに器用すぎだよ…)
仰向けに寝るのが好きだったのか、寝相が素晴らしく良かったのか。どちらも今の自分には到底出来ない芸当。
眠る時には手足を丸めてコロンと横になるのが好きだ。目覚めたら仰向けという時はあっても、断然、横向け。前の生でも、よく丸くなって…。
(…あれ?)
好きだった寝方は、前の生でも丸くなる方…?
何か変だ、とブルーは違和感を覚える古い記憶を探った。ソルジャー・ブルーだった頃の自分が好んだ寝方。それは仰向けでは無かった気がする。今と同じで丸くなるのが好きだったような…。
(…えーっと…。丸くなってピタッとくっついて……)
そう、ピッタリとくっついて寝るのが好きだった。いつも側にある優しい温もり。その温もりの元に身体を擦り寄せ、包まれて眠るのが大好きだった。
とても幸せで心地よかった時間。丸くなって、くっついて眠った時間…。
(……んーと……)
あの温もりは何だったろう。温かかったものは何だったろう…?
眠る時には必ず側に在ったそれ。くっついているだけで心が温かく満たされた温もり。どんなに疲れ果てた時でも、それに包まれれば幸せになれた。くっついているだけで幸せだった。
(…何もしなくても幸せだったよ、くっついていれば…)
君さえいれば、と揺蕩う記憶の海に揺られて、うっとりと心の中で呟く。
(…そうだよ、ハーレイ…。君さえ側に居てくれたなら……)
其処でブルーはパチリと瞳を見開いた。
(ちょ、ちょっと…!)
部屋の中は真っ暗だったけれども、頬が真っ赤に染まるのが分かる。
あの温もりはハーレイだった。
ソルジャー・ブルーだった頃の自分がくっついていたものはハーレイだった。
丸くなってハーレイの身体にくっついて眠り、その温もりにいつも包まれていた。
ブルーを抱き締めるハーレイの腕。その中で自分は眠っていた…。
(……そうだったっけ……)
眠る時はいつでもハーレイが居た。二人で眠って、目覚めたらソルジャーの衣装に身を包んだ。ハーレイは船長の服を身に着け、マントを羽織ってブリッジへ。
ということは、ソルジャーの衣装を着けて眠っていたわけではない。それどころか…。
(…ひょっとして大抵、裸だった…?)
ブルーの頬がカアッと熱くなる。ハーレイと二人で眠る時にはソルジャーの衣装も船長の服も、互いを隔ててはいなかった。ついでにパジャマの記憶は無い。
今でこそ当たり前になったパジャマだけれども、前の生ではブルー専用のパジャマは無かった。シャングリラの者たちに支給されるパジャマさえ持たなかったし、眠る時にはソルジャーの衣装。ハーレイの分のパジャマはあったが、それを青の間に持って来たことは一度も無くて…。
(…ぼ、ぼくはパジャマを持ってなくって、ハーレイは持たずに青の間に来てて…)
それなのにソルジャーの服だの、船長の服だのに隔てられて眠ったことは無い。
ハーレイの身体にピタリとくっつき、温もりを感じて眠っていた時、服もパジャマも無かったのならば、二人ともが…。
(…た、大抵じゃなくて、いつでも裸…!?)
ブルーは軽くパニックになった。温もりの記憶は温かいけれど、裸だったとは恥ずかしすぎる。せめてアンダーウェアくらいは、と切に願った。裸で眠っていた夜が殆どにしても、たまには何か着ていて欲しい、と。
それくらいに恥ずかしい光景だったが、幸せな記憶には違いない。丸くなってハーレイの身体にくっつき、温もりに包まれて眠った記憶。今と同じで丸くなるのが大好きだった前の生の自分。
(……だけど……)
大抵は裸で眠っていたらしい前世の自分。ソルジャーの衣装で眠っていた時はともかくとして、裸で眠っても大丈夫なほどに青の間は暖かかっただろうか?
(…空調は多分、普通だったと思うんだけど…)
ブルーの枕元で会議をしていたゼルたちは「暑い」と言わなかったし、ハーレイもキャプテンの服を着ていた時間に上着を脱いだりはしなかった。ソルジャーの衣装は特別だから暑さや寒さとは無関係としても、ハーレイや長老たちの服は温度差を感じたと思う。
(空調、特に調節していなかったよね?)
バスローブで居ても平気な室温ではあったけれども、だからと言って裸で眠ればブルーは風邪を引きかねない。今のブルーなら確実に引くし、前の自分も虚弱だった。
(…ハーレイが毛布の代わりだったとか?)
きっとそうだ、とブルーは思った。上掛けにプラスしてハーレイの温もり。それがあったから、裸で眠っても風邪を引いたりしなかったのだ、と。
毛布代わりにしていた前世のハーレイ。ぴったりとくっついて眠るブルーは暖かかったが、当のハーレイはどうだったろう?
(…ぼくが暖かかったってことは、ハーレイ、ひょっとして寒かったかな?)
自分に温もりを奪われてしまって寒かったかも、と考えたものの。
(だけどハーレイ、風邪なんか引いていないよね?)
ぼくよりも大きい身体で丈夫だったから平気だったのかな、と納得した。
(うん、ハーレイはきっとパジャマとかが無くても平気なんだよ)
あの体格ならそうだと思う。虚弱体質が多かったミュウの中では飛び抜けて頑丈だった前の生のハーレイ。補聴器が必要な耳の他にはこれという欠陥を持たなかった。
当時のハーレイでさえもパジャマが要らない丈夫さだったら、今のハーレイはどうなのだろう。
(…今でも裸で寝てるのかな?)
ハーレイの生活に興味が出て来た。
包み込んでくれる温もりが無い今の自分はパジャマが必須な毎日だけれど、ハーレイは前よりも更に丈夫になっている筈。柔道と水泳で鍛えた身体は伊達ではないし、パジャマなんかは全く必要ないかもしれない。
(ひょっとしたら雪の降る日でも裸?)
自分たちが生まれ変わって来たこの地域には四季がある。冬ともなれば白い雪が舞い、ブルーは部屋に暖房を入れて上掛けも増やして眠るのが常。しかしハーレイなら厳寒の頃もパジャマなどは着ず、裸に上掛け一枚なのかも…。
(…だとしたら、ハーレイ、凄いよね…)
ブルーにはとても真似が出来ない眠り方。丈夫なハーレイだからこそ出来る眠り方。
今も裸で眠っているのか、寒い冬でも裸なのかを知りたくなった。
(でも…。今も裸で寝ているの? なんて、恥ずかしくって訊けないよ…)
前の生の自分がいつもどうやって眠っていたのか、思い出しただけで頬が熱かったから。
ハーレイが裸で眠っていたことを思い出した切っ掛けがそれだったから…。
それでもハーレイの今を知りたい。
今の眠り方を教えて欲しい…。
どうしても気になって、訊きたくてたまらない今のハーレイの眠り方。
何と尋ねればいいものなのか、とあれこれ考えを巡らせた末に、ブルーは名案を思い付いた。
(これだったら変に思われないよね?)
早速、週末に訪れたハーレイにぶつけてみる。自分の部屋で向かい合わせに座ってから。
「ねえ、ハーレイ。…ハーレイのパジャマって、どんなパジャマ?」
「パジャマ?」
怪訝そうなハーレイに「パジャマだってば」と畳み掛けた。
「寝る時に着るパジャマだよ。…どんなパジャマなの?」
「どんなって…。ごくごく普通のパジャマだが?」
サイズはうんとデカイんだがな、という答えに、思わずブルーの本音が漏れた。
「えっ。…着てたんだ……」
「はあ?」
ハーレイの鳶色の瞳が丸くなった。
「着てたんだ、って…。寝る時は普通、パジャマだろうが。どういうのを期待してたんだ、お前」
「…え? えっと……」
言えない、とブルーは口ごもる。ハーレイは裸で寝ているのかも、と想像しただなんて、とても言えない。恥ずかしくてもう黙るしかない、と思ったのに。
「シャネルの五番じゃないだろうな?」
「……しゃねる?」
ハーレイが妙なことを言うから、オウム返しに「しゃねる」とやらを復唱した。
「何なの、それ?」
「ははっ、やっぱり知らなかったか! 古典の授業とは関係無いがな、遙か昔の名文句だな」
俺もキャプテン・ハーレイだった頃には知らなかった、とハーレイが笑う。
「SD体制に入るよりもだ、千年以上も前の言葉さ。当時の有名な女優が言ったらしいぞ、記者の質問に答えてな。…寝る時には何を着ていますか、という質問だったそうだ」
「それで?」
「シャネルの五番を着て寝るわ、と女優は答えた。…シャネルの五番というのは香水の名前だ」
香水しかつけていないという意味なんだ、とハーレイは片目をパチンと瞑ってみせた。
「つまりだ、お前が期待していた俺の答えはそいつなのか、と訊いたのさ。実は裸で寝ています、と言わせたかったんじゃないだろうな、と」
「違うから!」
そうじゃないから、と叫んだものの、ブルーの顔は耳まで真っ赤。語るに落ちるとはこのことであって、ハーレイの笑いが止まらなくなる。パジャマで寝ていて悪かったな、と腹を抱えて。
散々笑って笑い転げてから、ハーレイは脹れっ面になったブルーの額を指でチョンとつついた。
「どういう発想で、その質問を持って来たのか知らんがな…。お前が喜びそうな答えってヤツは、今の俺には手持ちが無いな。…前の俺ならありそうなんだが」
「ハーレイ、裸で寝ていたからね」
ブルーが唇を尖らせる。
「思い出したから訊いただけだよ、今も裸で寝てるのかな、って」
「それだけか? だったら前の俺からの答えは要らんな、お前が喜びそうだったんだが」
やめておこう、と言われたけれども、ブルーは好奇心をかき立てられた。
前の生のハーレイなら持っていそうだというパジャマに関する質問の答え。
自分が喜びそうなものだと耳にしてしまえば、追求せずにはいられない。やめにしておくなんて出来はしないし、ぜひ聞きたい。
「教えてよ、それ!」
「…ん? だったら俺に質問してみろ、回りくどくパジャマなんぞを持ち出さずにな」
「えっ?」
ハーレイの言う意味が分からない。キョトンとするブルーをハーレイが「ほら」と声で促す。
「さっき教えてやっただろう? 寝る時は何を着ていたんですか、と訊くだけでいい」
「ええっ?」
前のハーレイが寝る時に何を着ていたか。
着ているも何も、裸だったことを思い出したからパジャマに関する質問をした。それなのに…。ハーレイは何を着ていたと言うのだろう?
「どうした、ブルー? お前が訊かないと答えてやれんぞ、知りたくないなら教えないが」
「聞きたいってば!」
「なら、訊いてみろ」
「…………」
堂々巡りになってしまった「知りたいこと」。訊かない限りは教えて貰えそうにない。
からかわれているような気もするけれども、訊かないと何も始まらない。ブルーは渋々、さっきハーレイに聞いた大昔の名文句とやらに纏わる問いを投げ掛けてみた。
「ハーレイ、寝る時は何を着ていたの?」と。
これでハーレイの答えが聞ける。自分が喜びそうだとハーレイが言った答えが聞ける、と期待に胸を高鳴らせるブルーに、ハーレイがニヤリと笑みを浮かべた。
「そうだな、前の俺の場合は「ソルジャー・ブルーを着て寝ます」だな」
「ちょ、ハーレイ…!」
よりにもよってその答えなのか、とブルーは耳まで赤く染まった。けれどハーレイは涼しい顔でこう付け加える。「お前は俺を着てたんだろうが」と。
「ちょ、ちょっと…!」
先の言葉が続かなかった。怒りたいのに怒れない。それは本当のことだったから。
怒鳴りたいのに怒鳴れない。とても恥ずかしくてたまらないけれど、また嬉しくもあったから。
前の生では二人抱き合って、裸で眠った。
ハーレイはブルーを、ブルーはハーレイをパジャマの代わりに着て眠っていた。互いの温もりを素肌に感じて、二人ぴったりと寄り添い合って…。
「分かったか、ブルー? うん、嬉しかったと顔に書いてあるな」
見れば分かるさ、と鳶色の瞳が細められる。
「俺はお前を着て寝てたんだが、今のお前は俺が着るには早すぎだ。…そしてお前も俺を着るには早過ぎる」
子供はきちんとパジャマを着て寝ろ。
そう諭されたブルーは頬を膨らませて「ちゃんと着られるよ!」と抗議したが。
「まだまだ駄目だな、サイズ違いというヤツだ。俺のパジャマはモノによってはサイズが無いぞ」
大きすぎる身体も困ったもんだ、とハーレイが自分を指差した。
「お前が俺のパジャマを着たなら、余るなんていうモンじゃない。もっと大きく育たんとな?」
前のお前と同じくらいに育った時には、前みたいに俺を着られるさ。
それまではパジャマで我慢しておけ、俺じゃなくて……な。
(…………)
ハーレイの微笑みがあまりにも優しかったから。
鳶色の瞳の底に揺らめく熱い焔を見てしまったから。
ブルーは何も言えなくなってしまい、ただハーレイを上目遣いに睨み付けているだけだった。
優しくてちょっぴり意地悪な笑みを湛えた、前の生からの大好きな恋人。
いつかきっと、この褐色の肌をした恋人を素肌に纏って眠る。
前の生で彼を着ていたように。彼が自分を着ていたように、裸の身体に彼だけを着て……。
暖かなパジャマ・了
※前のブルーが着ていたパジャマは、実はハーレイだったのです。暖かで頼もしいパジャマ。
マリリン・モンローが言った「シャネルの五番」、今も伝わっているのが凄いかも。
あの17話から明日、7月28日で8年になります。
今まで週1更新でやってきたハレブル別館、明日から暫く週2更新になりますです。
月曜更新は固定、他に何処かで1回。多分、木曜辺りじゃないかと。
今週は「7月28日記念」で明日も更新、ゆえに週3回更新です~。
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