忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

特別な石鹸

(なんだか色々…)
 石鹸なのに、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
 天然素材の石鹸、色々。そういう特集。オリーブオイルやアーモンドオイルで作った石鹸、牛乳からも作れる石鹸。様々な石鹸があるのだけれども、驚いたのが世界最古の薬局の石鹸。
(…十三世紀って…)
 いつなの、と指を折っても足りないくらいに、遠い昔に生まれた薬局。人間が地球しか知らずに生きていた頃、薬局は修道院だった。薬と言ったらハーブだったから、それを育てる場所が薬局。
 そういう修道院の一つから生まれた薬局、其処が作っていた石鹸。何百年も同じ製法で。
 修道院での処方そのまま、何も変えずに。天然素材にこだわり続けて、いい石鹸を。
(でも…)
 地球の大気が、大地が汚染されていったら、その石鹸も作れなくなってゆく。滅びゆく地球は、緑が自然に育ちはしない。そんな星では、もう材料が手に入らないから。
 そうして消えてしまった石鹸。処方だけが後の時代に残った。かつてこういうものがあった、と書き残されて。最古の薬局も、地球から消えた。
 ついには人間も離れざるを得なかった、母なる地球。青い水の星を蘇らせるためだけに、機械が治めるSD体制を敷いて。
 前の自分が生きていたのは、そういう時代。地球は死の星のままだったという。
(今ならではです、って…)
 SD体制が崩壊した後、多様な文化が戻って来た時代。青い地球まである宇宙。
 石鹸だって、原料も作り方も自由に出来る。世界最古の薬局が作っていた石鹸も、遠い昔と全く同じに作られるらしい。天然の材料だけを使って。
(石鹸の世界もそうなんだ…)
 青い地球の上、あちこちの地域は気候も色々。それぞれの場所に合わせた石鹸、オリーブだとか牛乳だとか。他にも何種類もあるのが石鹸、前の自分が生きた時代には無かったものが。



 ふうん、と興味深く読んで、二階の部屋に帰った後。
 勉強机に頬杖をついて、石鹸について考えてみた。今の時代は色々なものがあるけれど…。
(前のぼくたちだと…)
 アルタミラの檻で生きていた頃は、石鹸どころか洗浄液。お風呂に入れはしなかった。入りたい気持ちも多分、無かった。実験動物のように洗われただけで、それだけが全て。
 「入れ」と放り込まれた洗浄用の部屋で、何もかも自動で。酷い火傷を負っていたって、手加減さえもされないで。
(石鹸なんて…)
 考えることも無かった筈。身体を洗うためのものなど、自分で使えはしないから。
 その地獄から脱出した後、嬉しかったのが初めてのシャワー。やっと人間になれた気がした。
(あれで、お風呂が大好きになって…)
 具合が悪くても入っていたほど、前の自分はお風呂好き。そのせいなのか、今の自分も。
 お風呂好きだった前の自分だけれども、その時に使っていた石鹸は…。
(一番最初は…)
 船のバスルームにあった石鹸。シャワーを浴びに出掛けて行ったら、其処に置かれていた石鹸。それを使って洗った身体。ボディーソープもあったけれども、石鹸を使ったような気がする。
(ボディーソープだと、洗浄液みたいな感じだから…)
 避けたのだろうか、無意識の内に。「少し怖い」と。記憶は定かではないけれど。
 少し経ったら、石鹸にするか、ボディーソープか、気分で決めるようになっていたから。今日はこっちを使ってみよう、と目に付いた方を。



 船に最初からあった石鹸、ボディーソープといったもの。倉庫に山と積まれていたって、使えば消えて無くなってゆく。毎日の暮らしに欠かせないもので、誰もが使うものだから。
 船の備品が尽きた後には、前の自分が奪って来た。人類の輸送船から、石鹸だって。他の物資を奪うついでに、「これも」と失敬してしまって。
(いろんな石鹸…)
 沢山あったよ、と思い出す石鹸やボディーソープの類。香りも色も、実に様々。
 あんな時代だけに、天然素材ではなかったのだろうけれど。天然素材を使っていたって、恐らくほんの少しだけ。オリーブ石鹸と書いてあっても、オリーブオイルは僅かしか入っていないとか。
 きっとそうだ、と思うけれども、その石鹸。様々な香りや色の石鹸。
(どうやってたっけ?)
 皆の好みが分かれていそうな、石鹸たちの配り方。色も香りも、本当に様々だったから。
 希望者を集めて分配したのか、好みは無視してバスルームに置いておいたのか。今度はこれ、と一方的に決めてしまって、個人の希望はまるで聞かずに。
 物資が限られていた船なのだし、その可能性も充分にある。流石に花の香りがする石鹸などを、男性用のバスルームに置きはしないだろうけれど。
 男性用だと思われるものを、女性用のバスルームに置くことだって。
 そうは言っても、やはりあるだろう石鹸の好み。選びたい仲間はきっといた筈。



 分配したのか、有無を言わさず備え付けの形だったのか。シャングリラで使っていた石鹸。
(どっちだったの…?)
 覚えていない、と首を捻って考え込んでいたら、聞こえたチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、訊こうと思った。石鹸のことを。
(…ハーレイだったら、きっと覚えているよ)
 キャプテンになる前は、備品倉庫の管理人も兼ねていたのだから。物資を分配する係だって。
 訊くのが一番、とテーブルを挟んで向かい合うなり、石鹸の話を持ち出した。
「あのね、石鹸って、色々だよね」
「はあ? 何の話だ?」
 お前、石鹸が欲しいのか、と怪訝そうな顔になったハーレイ。慌てて「違うよ」と話の続き。
「欲しいってわけじゃないけれど…。今の時代は石鹸が色々。天然素材の」
 今ならではです、って書いてあったよ、新聞に。
 天然素材だけで出来てる色々な石鹸、今だから作れるんだ、って…。
「まあ、そうだろうな。前の俺たちが生きてた時代じゃ無理だ」
 原料があっても、とてつもなく高くついただろうし…。それに文化も限られていたし。
 石鹸なんぞは洗えればいい、と合成だろうな。シャングリラじゃなくて、人類が生きてた世界の方でも。…天然素材ばかりで量産するのは無理だったろう。入っていたって、少しだったろうな。
 もっとも、そういう時代にしたって、パルテノンのヤツらは使っていたかもしれないが。
 うんと贅沢に作らせた石鹸、まるで無かったとは言えないしな。
「使ってたかな…?」
 材料は確かに、無いってわけではないものね…。作ろうとしたら高くつくだけで。
「あいつらは特権階級だからな、やりかねないぞ」
 こういう石鹸を作って届けろ、と命令するだけで済むんだから。自分たちが使う分だけ、特別に材料を集めさせてな。
「…それ、アドスとかが…?」
 あんな人たちが使っていたわけ、天然素材の石鹸を…?



 前の自分は知らないアドス。元老の一人だったけれども、キースに消された。旗艦ゼウスで。
 歴史の授業で習う範囲だから、アドスのことは知っている。どう考えても天然素材の石鹸などは似合いそうにない、でっぷりと太っていた男。
 ハーレイも「アドスなあ…」と苦笑しているのだから、やっぱり似合わないのだろう。
「あいつが高級石鹸か…。天然素材で贅沢に作った石鹸、アドスが使っていたってか?」
 身体を洗ったら、ついでに頭も石鹸で洗っちまいそうな感じだが…。
 まさに猫に小判ってヤツだな、アドスが使っていたんなら。
 あいつに使わせるくらいだったら、前のお前に使わせてやりたかったよなあ…。高級石鹸。
「前のぼく? …なんで?」
 そんなもの使ってどうするの、とキョトンとしたら、「決まってるだろうが」という返事。
「凄い高級石鹸なんだぞ、きっと肌にもいい筈で…。そいつを使えば肌を磨ける」
 お前はただでも美人だったし、磨き甲斐があるというもんだ。一層、綺麗になれるんだから。
 俺も嬉しいし、船のヤツらも喜んだだろう。
 美人のソルジャーがもっと綺麗になってみろ。自慢の種が増えるってな。
「…それはどうでもいいけれど…。高級石鹸を使いたかったとも思わないけど…」
 その石鹸だよ。ハーレイ、シャングリラの石鹸の配り方、覚えてる?
「配り方だと?」
「そう。前のぼくが人類の船から奪った石鹸、色々だったよ。色も香りも」
 石鹸も、それにボディーソープも、いろんな種類があったでしょ?
 これが欲しい、って思った仲間もいただろうけど、バスルーム、一人に一つじゃなかったし…。
 石鹸とかも、いつもおんなじ種類があるとは限らないんだし…。
 希望者を集めて分配してたか、バスルームに備え付けだったのか。それを覚えていなくって…。
 備え付けだと、選ぶ自由は全く無くなっちゃうけれど…。



 どうだったのかな、と瞳を瞬かせたら、「なんだ、そんなことか」と笑ったハーレイ。そいつは俺の得意分野だと、ダテに備品倉庫の管理人をやってはいない、と。
「ああいうのは好みが分かれるからなあ…。そういう時には押し付けるよりも…」
 配っちまうのが一番だってな、希望者に。これが好きだ、と欲しがるヤツらに。
「そうだったの?」
 だけど、それだと、他の人たちの分の石鹸は?
 欲しい人たちが持ってっちゃったら、足りなくなってしまわない…?
「其処はきちんと考えてたさ。癖のない石鹸やボディーソープは共用ってことで」
 そういうのを先に取り分けておいて、バスルームの方に回すんだ。備え付けって扱いだな。
 石鹸の類にこだわらないヤツは、備え付けのを使ってた。洗うだけなら何でもいい、と。
 そうでないヤツは、持って出掛けて行ったんだ。バスルームに行く時は、自分用のを。
 お前も記憶を辿ってみたなら、思い出せると思うがな…?
 あの船の中の石鹸事情、と言われたけれど。
「えーっと…?」
 覚えていない、と傾げた首。
 バスルームと言えば、初めてのシャワーが嬉しかったことと、ソルジャーになった途端に、皆と分けられてしまったこと。
 エラがソルジャー専用のバスルームを設けてしまったから。他の者たちが使うことが無いよう、決められてしまったソルジャー専用のバスルーム。
 其処にも石鹸とボディーソープはあった。その程度しか覚えていない石鹸。
 ハーレイにそう話したら…。
「そのバスルームを貰う前にはどうだったんだ?」
 貰ったと言うか、押し付けられたと言うか…。そうなる前のお前だな。



 石鹸を持ってバスルームに出掛けて行ったのか、という質問。着替えの他に、石鹸なども持って行ったのか、と。
「そいつが鍵になるってな。お前、石鹸、持っていたのか?」
 バスルームに行くなら、これも、と忘れずに自分の石鹸。部屋の何処かに仕舞ってたヤツを。
「持って行っていないよ、石鹸なんか」
 わざわざ持って出掛けなくても、バスルームに置いてあるんだし…。
 しないよ、そんな面倒なこと。石鹸が無いなら、持って行かなきゃいけないけれど。
「それはお前がそうだっただけで、こだわるタイプじゃなかったってことだ」
 どんな石鹸が置いてあっても、何の不満も無いんだな。今度はこれか、と思う程度で。
 しかしだ、そうやって石鹸を持たずに出掛けた、お前の周りはどうだった?
 先にシャワーを浴びたヤツに会うとか、次に入ろうとしてやって来たヤツらのことなんだが。
「…思い出した…!」
 ホントだ、それが鍵だったよ。凄いね、ハーレイ…。ぼくはすっかり忘れてたのに。
 石鹸のことを考えていても、思い出せずにいたことなのに…。
 凄い、と感心させられたこと。ハーレイが今も忘れずにいた、希望者たちに配った石鹸。
 バスルームに出掛けて行った時には、石鹸やボディーソープを持った仲間たちが何人かいた。
 すれ違う時に目にすることもあったし、ふわりと香りがして来たり。
 石鹸そのものは見えない時でも、髪や身体から漂った香り。直ぐにそれだと分かった香り。
 纏う香りは様々だったし、本当に好みがあったのだろう。希望者に配られる石鹸の中に、それがあったら欲しい香りが。貰わなければ、と名乗りを上げたくなる石鹸が。



 前の自分は全くこだわらなかったけれども、仲間たちは違ったらしい石鹸。より正確に言えば、こだわる仲間も少なくなかったらしい石鹸。
 ハーレイが言うように、希望者向けの分配の時には、出掛けて行って手に入れていた仲間たち。自分好みの石鹸があれば、「欲しい」と声を上げてまで。
「自分用の石鹸、持っている人、いたっけね…」
 石鹸も、それにボディーソープも。きっと分配される時には、必ず覗きに行ってたんだね。
 欲しい石鹸とかが出ているかどうか、いつでもチェックしてないと…。
「そういうことだな。好みのヤツが常にあるとは限らんし…」
 前のお前が奪った物資の中身次第だし、見付けたら貰っておかなきゃならん。同じ好みのヤツが多けりゃ、尚更だ。貰える時に貰っておかんと、切らしちまうからな。
 俺もキャプテンになる前はずっと、配る係をしてたから…。
 石鹸のことは良く覚えてる。貰いに来るのは女性の方が多かった。香りがいいのを欲しがって。
 男だったら、ゼルがこだわる方だったぞ。
「ゼル…?」
 石鹸なんかを貰いに行ったの、あのゼルが…?
 ハーレイが配っていた頃なんだし、うんと若かった頃だよね…?



 意外な名前を聞かされたけれど、お洒落だったらしい若き日のゼル。自分好みの石鹸が無いか、チェックするのを欠かさなかった。分配の時には必ず出掛けて行って。
 考えてみれば、後に髭にこだわったくらいなのだし、その片鱗。きっとあの髭も、石鹸と同じに気を配って手入れしていたのだろう。
 髭と言ったら、ゼルと並んでヒルマンも髭が自慢だったから…。
「ヒルマンは…?」
 やっぱり石鹸にこだわっていたの、ゼルみたいに?
 配られる時には出掛けて行って、欲しい石鹸、貰ってたのかな…?
「あいつは別にそれほどでも…。たまに覗きに来た程度だな」
 話の種になりそうなのを探していた、といった感じか。興味津々で眺めてはいたが、貰うことは滅多に無かったからな。
 そして、配っていた俺にしてみりゃ、お前が全くこだわらないのが不思議だったぞ。
 石鹸をあれこれ奪って来たのは、お前のくせに。
「どれでも全部、同じじゃない。どれも石鹸だよ、洗えればね」
 色も香りも、ただのオマケで…。こだわらなくても、少しも困りはしないもの。
「そう言ってたなあ、ずっと後にも」
 俺が石鹸を配る係を離れて、キャプテンになって…。それよりもずっと後のことだが。
「後って…?」
「白い鯨になった後だな、シャングリラが。…ずっと後だと言ったぞ、俺は」
 お前、ソルジャー専用の石鹸、断っちまったろうが。
 石鹸なんかはどれも同じで、洗えればそれでいいんだから、と。
「なに、それ?」
 ソルジャー専用の石鹸だなんて、それをバスルームに置こうとしたわけ?
 もう青の間は出来ていたから、あそこに置くのにピッタリだとか…?
「それに近いが、少し違うな。石鹸作りが先だったから」
 オリーブ石鹸みたいに他の石鹸も作れるだろう、って話が船で出た時だ。
 覚えていないか、オリーブ石鹸。
「あったね、そういう石鹸も…」
 それで欲張ったんだっけ…。もっと凄いのも作れそうだ、って。



 自給自足で生きてゆくために、白いシャングリラで育てたオリーブ。食用油は欠かせないから、何本も植えて世話をして。
 オリーブの木たちは大きく育って、どれもドッサリ実をつけた。オリーブオイルが沢山採れて、一部の者たちが挑んでみたのが石鹸作り。オリーブオイルから作る石鹸。
 その石鹸がいいと評判になって、欲が出たのが石鹸を作っていた仲間たち。データベースで色々調べて、他の石鹸も作れそうだと考えた。牛乳を使った石鹸なども。
 牛乳石鹸が上手く出来たら、作りたくなったのが長い歴史を誇った高級石鹸だった。人間がまだ地球しか知らなかった時代に生まれて、人気を呼んでいた石鹸。
 船で材料は揃うのだけれど、オリーブや牛乳のようにはいかない。あっても量が少ない原料。
 素晴らしい石鹸が出来上がったって、とても皆には配れない。少しだけしか作れないから。
 それでも作りたくなるのが人情。
 オリーブ石鹸も牛乳石鹸も評判なのだし、もっといい石鹸を作ってみたい。それが高級石鹸ともなれば、なおのこと。
 けれど、作っても皆に配れない所が大いに問題。
 石鹸作りをしていた仲間は、考えた末に、エラの所へ出掛けて行った。この案だったら、きっと賛成して貰える、と。
 相談を受けたエラの方でも、「これはいい」と思ったものだから…。



 ある日、長老たちが集まる会議でエラが提出した議題。それが石鹸、しかもソルジャー専用だと言うから、驚いたのが前の自分。いったいどうして石鹸なのか、と。
「ぼく専用の石鹸だって?」
 誰が言い出したんだい、それを。…ぼく専用という意味も教えて欲しいね。
 石鹸だけでは分からないよ、とエラに尋ねたら。
「いい案だと思うのですけれど…。言い出したのは、石鹸を作っている者たちです」
 御存知でしょう、オリーブ石鹸を最初に作り始めた者たちを。
 今では牛乳石鹸も作っております、どの石鹸も評判です。石鹸作りの腕には自信があるとか。
 ソルジャー専用の石鹸を作りたいとの話で、私の所にやって来ました。
 如何でしょうか、とエラが乗り気になった石鹸。
 遠い昔に人気を博した高級石鹸、地球で最古の薬局が作っていたものらしい。その薬局の基盤になった修道院での、処方そのままの作り方で。
 天然素材にこだわるだけに、シャングリラでは僅かな量しか作れない。仲間たちに配れるだけの量は無理だし、ソルジャー専用に作ると提案されたけれども。
「ぼくの分しか作れない高級石鹸だなんて…。そんな贅沢なものは要らないよ」
 そうでなくても、ぼくは石鹸にこだわるタイプじゃないからね。…昔からずっとそうだった。
 石鹸は洗えれば充分なんだし、どんな石鹸でもかまわない。原料も香りも、全部含めて。
 その高級な石鹸だけれど…。
 どうしても作りたいのだったら、作った人たちが使えばいい。趣味の作品なら、他の仲間に遠慮することはないからね。配らなくては、と考える必要も無いだろう?
 ぼくはいいから、作りたい仲間で趣味の品として使うようにと伝えて欲しい。
 いいね、ソルジャー専用の石鹸なんかは、ぼくは欲しくはないんだから。



 断ってしまった、ソルジャー専用の石鹸を作ること。必要無いと考えた自分。
 今から思えば、今日の新聞に載っていた石鹸の中の一つだろう。世界最古の薬局が作った石鹸、それに修道院生まれの処方。エラの話と重なる部分が幾つもあるから。
 あの石鹸は、その後、どうなったろう…?
 作りたかった仲間たちは本当にそれを作ってみたのか、作らないままになったのか。
「ハーレイ、前のぼくが断っちゃった石鹸だけど…」
 ソルジャー専用の石鹸を作る話は消えちゃったけれど、石鹸の方はどうなったのかな?
 作りたがってた仲間が作って使っていたかな、そうすればいい、って言っておいたけど…。
「あの石鹸か? お前が断っちまったから…」
 諦めちまって、それっきりだ。自分たちで使うのはどうかと考えたんだろう。
 しかしそいつが、フィシスが来てから再燃したぞ。丁度いい、と思ったらしくてな。
「…そうだったっけ…」
 それもすっかり忘れていたけど、フィシス専用になったんだっけね、あの石鹸。
 ソルジャー専用の代わりに、フィシス専用。
「思い出したか?」
 フィシスだったらミュウの女神で、ソルジャーに引けを取らないからな。
 専用の石鹸を持っていたって、誰も文句を言いはしないし…。
 お前も文句は言わなかった。ソルジャー専用の石鹸の時は、一言で切って捨てたくせにな。
「文句なんか言うわけないじゃない。フィシス用だよ?」
 フィシスにだったら、素敵な石鹸があったっていいと思ったから…。
 そうでしょ、フィシスは特別だったんだもの。前のぼくにとっても、仲間たちにとっても。
 青い地球を抱いてて、未来が読めて…。本当に女神そのものだったよ。
 機械が無から作ったものでも、フィシスはミュウの女神で特別。



 フィシスのために専用の石鹸を作りたい、と再び持ち上がった話。石鹸を作る仲間たちから。
 前の自分が船に連れて来た、青い地球を抱く幼いフィシス。彼女が美しく成長してから、彼らは話を持って来た。前と同じにエラを通して。
 ソルジャー専用の石鹸などは要らないけれども、フィシス用だったら話は別。こちらから頼みに行きたいくらいで、反対したりはしなかったから…。
 嬉々として石鹸作りを始めた仲間たち。必要な材料を全部揃えて、フィシスのための石鹸を。
「…あの石鹸…。フィシスが使っていたんなら…」
 フィシスから花の匂いがしたのは、香水じゃなくて石鹸の香りだったのかな?
 花の匂いがする石鹸も色々あったから…。フィシス用なら、そういう石鹸にしていそう。
 ソルジャー用だと、花の匂いは無しだろうけれど。
「いや、石鹸と香水じゃ、全く違うぞ。石鹸の匂いは長くは持たん」
 風呂上がりに会ったら分かる程度の匂いだろう。石鹸だな、と。
 前のお前が、バスルームの近くで気付いた他の仲間の石鹸の匂いも、その時だけだろ?
「そっか…。お風呂上がりのフィシスの匂い…」
 石鹸の香りはそれなんだ、と気付いたけれども、肝心の香り。
 お風呂上がりにフィシスが纏った筈の香りを、前の自分は知らなかった。
 会ったことが無かったものだから。…夜はハーレイと一緒だったから、フィシスを訪ねて行きはしなくて、まるで知らない。
 フィシスからどんな匂いがしたのか、石鹸の香りは何だったのか。



 愕然とさせられた、その事実。何十年もフィシスの側にいたのに、ミュウにしてまで攫って来たほど彼女が欲しかったのに。…フィシスが抱く地球の映像が。
 なのに自分は知らないらしい。フィシスに、ミュウの女神に与えた、特別な石鹸が漂わせたろう香り。あの時代には希少だったという高級石鹸、それがどういう香りだったか。
「…前のぼく…。フィシスの石鹸、どんな匂いか知らなかったよ!」
 作るように、って注文したのに、匂いを知らずにいたみたい…。
 お風呂上がりのフィシスには一度も会ってないから、知らないんだよ…!
「うーむ…。お前、夜には俺と一緒だったし…」
 行かないだろうな、フィシスの部屋には。それは不思議じゃないんだが…。
 フィシスの石鹸の匂いを知らないままだってか?
 そいつは由々しき問題なんだが、生憎と俺も、石鹸の処方は知らんしなあ…。
 オリーブ石鹸や牛乳石鹸の作り方だって知らんし、フィシス専用の方を知るわけがない。
 まるで興味が無かったもんでな、訊きに行こうとも思わなかった。見学だって。
 キャプテンの仕事には入らないだろうが、石鹸作りの方法を書き留めておくというのは。
 これが石鹸の配り方なら、場合によっては航宙日誌に書いただろうがな。
 石鹸が不足しそうな時でもあったら、後で参考にするために。



 前のハーレイの管轄ではなかった石鹸作り。フィシスが使った特別な石鹸、それの香りも成分も知らないらしいキャプテン。知ろうとも思っていなかったから。
 ハーレイの記憶に今もあるのは、最古の薬局と修道院生まれの処方だったという言葉だけ。今の自分と全く同じで、何の手掛かりにもなってはくれない。
 ただ…。
「えっとね…。あの石鹸、今もありそうだけど…」
 フィシス専用に作った石鹸。新聞に書いてあったから…。
 今の時代は昔と同じに作れるらしくて、あの石鹸もちゃんと復活しているみたいだよ?
「俺も話に聞いちゃいるがだ、一種類しか存在しないというわけではないぞ」
 さっきお前が言っただろうが、フィシス用なら花の匂いにしていそうだと。ソルジャー用だと、花の香りは抜きで作りそうだが…。なんと言ってもフィシス用だし、花の香りは欲しい所だ。
 本物の石鹸もそれと同じで、香りが幾つかある筈だから…。
「そうなの?」
 一種類しか無いわけじゃないんだ、今は復活している石鹸…。
 それじゃ、フィシス用に作っていた石鹸と同じのは…。その中の一つってことになるわけ?
「多分、そういうことだろう」
 自信を持ってフィシス用にと言い出したからには、きちんとデータがあっただろうしな。
 ソルジャー用に作ろうとしていた時とは違ったんじゃないか、処方ってヤツが。
 どういう風に配合するとか、入れる香料はこれだとか。
「だったら、フィシス用の石鹸、どれだったのかは分からないね…」
 一種類しか無いんだったら、それに決まっているんだけれど…。
 幾つもあるなら香りも違うし、フィシスの石鹸、見付からないよね…。
「残念だがな…」
 せっかく同じ石鹸があるというのに、手掛かりが何も無いんじゃなあ…。
 この香りだった、と誰かが教えてくれないことには、どうにもこうにも…。



 お前も知らないらしいからな、とハーレイがついた大きな溜息。フィシス専用の石鹸の香り。
 石鹸は確かにあったのに。作っていた仲間が確かにいたのに、幻になってしまった石鹸。
 今の時代は、その石鹸と同じ石鹸が作られるのに。昔と同じ処方のままで。
「…フィシスの石鹸、ホントに残念…」
 前のぼく、匂いも知らないままになっちゃって…。今のぼくにも分からないなんて…。
 石鹸が一種類しか無いんだったら、買いに行ったら分かるのに…。
「まったくだ。俺も残念だが、こればかりはなあ…」
 そうだ、お前がいつか試すか?
 端から試せば、もしかしたら見付かるかもしれん。
「えっと…?」
 試すって、なあに?
 何を試すの、どうやればフィシスの石鹸がどれか見付け出せるの?
「簡単だってな、端から試すと言っただろう?」
 例の石鹸、買って使ってみればいいんだ。チビのお前が大きくなったら。
 俺と一緒に暮らし始めたら、石鹸を買って使うわけだな。どれかは謎だし、一種類ずつ。
 前のお前は、前の俺よりは遥かに沢山、フィシスに会っていたんだし…。
 石鹸の匂いを嗅いでいる内に、この香りだ、とピンと来るのがあるかもしれん。
 毎日使い続けていたなら、記憶を呼び戻すチャンスも多くなるからな。
 石鹸の匂いは長く残りはしないが、微かに残ることもあるから…。お前が忘れてしまった記憶の中に、それが無いとは言い切れない。
 でもって、俺も同じ匂いでピンと来たなら、そいつがフィシスの石鹸なんだ。
 前の俺だってフィシスとは何度も会っているから、「これだ」と気付くだろうからな。
 もっとも、お前が探してくれんと、俺では見付け出せそうもないが…。



 石鹸だったら買ってやるから、順に使って探さないか、と言われたフィシスの香り。フィシスのためにと仲間たちが作った、特別な石鹸と同じ石鹸。
 その香りを石鹸を使って探す。お風呂で何度も泡立てる内に、戻って来るかもしれない記憶。
 小さな泡が弾けたはずみに、石鹸の香りがフイと鼻腔を掠めた時に。
「楽しそうだね、そのアイデア」
 石鹸を買って、毎日使って探すだなんて…。そんなの思い付かなかったよ。
 だけど、それなら見付かりそう。…これだったよ、って思う石鹸。フィシスの香りも。
「悪くないだろ? それに、相手は石鹸だからな」
 お前を磨くことも出来るし、俺にとっても嬉しい話だ。石鹸に感謝しないとな。
「磨くって…。ぼくを?」
 ハーレイ、石鹸で何をするつもり?
「分からないか? 磨くと言ったろ、それに石鹸だぞ」
 どれがフィシスの石鹸なのかは知らないが…。
 お前がそいつを見付け出すまでの間はもちろん、見付けた後にも石鹸で綺麗に磨くんだ。
 俺の大事な宝石を。…お前の身体をせっせと磨いて、ピカピカに磨き上げるってな。
「ちょ、ちょっと…!」
 ハーレイがぼくを洗うって言うの、ぼくが自分で洗うんじゃなくて?
 毎日使えって言っていたから、ぼくが使うんだと思ってたのに…!
「お前が使うのには違いないだろ、その石鹸で洗うものはお前なんだから」
 自分で洗うか、洗って貰うかの所が違うというだけだ。
 石鹸の香りは変わりやしないぞ、洗おうが、洗って貰おうが。
 それにだ、お前がピンと来た時に、俺がお前と一緒にいたなら話は早い。
 風呂を出てから、「これだったよ」と報告する手間が省けるぞ?
 俺は一緒にいるわけなんだし、その場で「これか」と確認すればいいんだから。
「んーと…」
 石鹸はいいけど、ハーレイとお風呂…。
 ぼくが自分で洗うんじゃなくて、ハーレイに洗って貰うんだ…?



 なんだか恥ずかしい気がするけれども、きっとハーレイと暮らす頃には大丈夫だろう。とっくにチビではなくなっているし、もう結婚しているのだから。
 それに、気になるフィシスの石鹸。白いシャングリラで仲間が作った、天然素材の特別な石鹸。
 どんな香りか、どれがフィシスの石鹸だったか、分かるものなら知りたいから…。
 いつかハーレイと暮らし始めてから、石鹸のことを思い出したら、二人で買いに出掛けようか。
 遠い昔に世界最古の薬局が作った、修道院生まれの処方だという石鹸の復刻版を。
 種類が幾つもあるらしいから、順番に一つずつ使ってフィシスの石鹸を探す。
 これがそうだ、と思う香りが見付かるまで。毎日石鹸を使い続けて。
「…ハーレイ、ホントにぼくを磨いてくれるんだね?」
 お風呂で毎日、石鹸で。…洗って、磨いて。
「もちろんだ。俺に任せておけってな」
 フィシスよりも綺麗な、俺の自慢の嫁さんになってくれるように、せっせと磨いてやろう。
 石鹸を泡立てて、お前を洗って、それこそ月みたいにピカピカにな。
「ぼくにフィシスよりも綺麗になれって…?」
 それは無理だと思うけど…。フィシスの方がずっと綺麗だと思うんだけど…。
「他のヤツらはどうだか知らんが、俺にとっては、お前の方が上だった」
 フィシスがミュウの女神だろうが、お前の方が遥かに美人だ。
 そう思っていたし、今も変わっちゃいないってな。
 チビのお前でも、フィシスよりもずっと、魅力的な俺のブルーなんだから。



 お前が大きくなった時には、より美しく磨いてやろう、とハーレイが片目を瞑るから。
 石鹸を買ったら、本気で磨いてくれそうだから、頬を染めながらも広がる夢。
 ハーレイと結婚した時に覚えていたなら、石鹸を買いに二人で出掛けてゆこう。
 今の時代だからこそ誰でも手に入れられる、世界最古の薬局が作ったのと同じ石鹸を。
 白いシャングリラでフィシスが使った、特別な石鹸と同じらしいのを。
 どれがそうなのか分からないから、端から試して、それでハーレイに磨いて貰う。
 フィシスよりも綺麗になれるよう。
 ハーレイの自慢のお嫁さんになるよう、毎日、二人でお風呂に入って。
 遠く遥かな時の彼方の、フィシスの石鹸を探しながら。
 これがそうだ、と思う香りに出会える時まで、ハーレイにせっせと磨いて貰って、幸せな時。
 フィシスの石鹸が見付かった後も、きっとハーレイは磨いてくれる。
 「俺の大事な宝石だからな」と、お月様みたいにピカピカに…。




            特別な石鹸・了


※シャングリラで、ソルジャー専用に作ろうとした石鹸。後に、フィシス専用の石鹸に。
 今も同じ石鹸があるというのに、分からない種類。結婚したら、二人で見付けたいですよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









PR
Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]