シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
読まれる心
「こらあっ、そこ!」
今、何をしてた、と響き渡ったハーレイの声。教室中に、窓のガラスまで揺れそうなほどに。
ブルーも含めて教室の皆が驚いた。いったい何が起こったのかと、誰もが目を丸くしている中。並んだ机の間の通路を、ゆっくりと歩いてゆくハーレイ。一足、一足、踏みしめるように。
やがて止まった、一人の男子生徒の側。彼の机を指でトン、と叩くと…。
「出せ、今のを」
此処に、と促す机の上。「今のを此処に出すんだな」と。
「何もしていません!」
男子生徒は叫んだけれども、顔には「違う」と書かれている。そういう表情なのだから…。
「俺には何か見えたんだがな?」
確かに見たぞ、とハーレイの方も譲らない。「早く出せ」と。
「見間違いです、先生の!」
「…そうか?」
俺はそうとは思わんが、とハーレイが手を突っ込んだ机。「なら、確かめてみるとするか」と。中を探って、引っ張り出して来た漫画の本。「読んでたろうが」と机の上に。
男子生徒は顔色を変えたけれども、それでも懸命に言い張った。
「いえ、この本は休み時間から入れてただけで…」
授業のチャイムが鳴ったんで、此処に入れたんです。別に鞄に入れなくても…。
みんな色々入れてますよね、漫画でなくても。お弁当とか、本だとか…。
漫画の本だって同じなんです、と必死の言い訳。ハーレイに発見されたのだったら、読んでいたことは確実なのに。それでも彼は「やっていない」と繰り返すから…。
「いい度胸だ。なら、手を出せ」
「え?」
目を見開いた男子生徒に、ハーレイはこう言葉を続けた。
「出したくないなら、手を出さなくてもいいんだが…。この距離だったら簡単だからな」
言わない以上は、読むしかなかろう。…お前の心。
手を握れたら俺も楽だが、出さないのなら仕方ない。いいから、そのまま座ってるんだな。
「せ、先生…?」
「お前が潔白だったら謝る。俺の目が節穴なんだから」
だが、違ったなら、宿題をサービスするからな?
お前は授業中に漫画で、俺に嘘までついたんだ。やっていない、と。…さて、読むとするか。
俺か、お前か、どっちの言うことが正しいか…、とハーレイがスウッと細めた目。
「待って下さい!」
読んでました、と男子生徒は白状した。「すみませんでした」と肩を落として、ションボリと。
「やっぱりか…。嘘をつくだけ無駄だってな。こいつは俺が貰っておく」
後で職員室まで取りに来い、と没収されてしまった漫画。それに一人だけに出された宿題。自白した分、サービスだとかで少なめに。他の生徒よりは遥かに多いけれども。
「お前が白状していなかったら、本当はこれだけ出したいトコだ」と、サービスで減らした量を強調されて。
「これに懲りたら他のヤツらも気を付けろ」と、ハーレイは教室の前に戻った。「続けるぞ」と授業の続き。何も起こりはしなかったように。
授業が終わって、ハーレイが去って行った後。男子生徒の机の周りは賑やかだった。他の男子に取り囲まれて、呆れられて。
「馬鹿だよな、お前。…なんで漫画を読んでたんだよ」
ハーレイ先生、背が高いんだぜ。他の先生より、ずっと上から見えるじゃねえかよ。
机の下で読んでいたって丸見えだ、とワイワイと騒ぐ男子たち。「読むなら他の時間だ」とも。
「読みたかったんだよ、続きが気になって…」
丁度いいトコで、授業のチャイムが鳴ったから…。読みたくなるだろ、そういう時って?
「…それで没収されてしまったら、続きどころじゃねえと思うぜ」
ハーレイ先生、丸ごと持ってっちまったじゃねえか。取りに行けるの、放課後だぞ?
それまで全く読めやしねえし、読めねえ上に宿題のオマケも貰っていりゃあ、世話ねえよ。
もう本当に馬鹿としか…。他に言いようがねえってモンで…。
教室中が呆れてるぜ、と男子生徒の友人たちは容赦ない。「女子も馬鹿だと思ってるぞ」と。
「……俺も自分でそう思う……」
俺が馬鹿だった、と項垂れている生徒。ハーレイが「後で」と言ったからには、もう放課後まで読めない漫画。取り戻すまでは、どんなに続きが気になっても。その上、宿題まで出された彼。
(ホントに馬鹿かも…)
分かってないよね、と思ってしまう。ハーレイにバレてしまった時点で、もう隠したって無駄というもの。「やっていません」と嘘をついても、心を読まれておしまいなだけ。
さっきハーレイが言っていたように、「俺か、お前か、どっちが正しい?」と読まれる心。
(タイプ・ブルーの生徒だったら、大丈夫かもしれないけれど…)
心の遮蔽が強くなるから、そう簡単には読まれない。先生が読もうと頑張ったって。
とはいえ、前の自分が生きた頃より増えてはいても、今も少ないタイプ・ブルー。大抵の生徒は心を読まれたら、おしまい。叱られるだとか、没収だとか、宿題を沢山サービスだとか。
放課後になったら、例の男子は「また叱られるよな…」とハーレイの所に出掛けて行った。没収された漫画を返して貰いに、付き添いの友達も何人か連れて。
それを見送った後に家に帰って、いつものようにダイニングでおやつ。母の手作り、熱い紅茶も淹れて貰って、のんびりと。
「御馳走様」と二階の部屋に戻ったら、思い出した男子生徒の顔。今日の出来事、それも古典の授業中のこと。没収されてしまった漫画と、宿題サービス。
(ぼくなら、ハーレイの授業の時間に漫画なんて…)
絶対、読まない、と勉強机の前に座って考える。漫画でなくても、他の本でも。どんなに続きが気になっていても、そんなものより、ハーレイの授業の方が好き。
下を向いて何か読んでいたなら、ハーレイの顔が見られない。大好きな声だって聞き逃すから。心が他所に行ってしまって、恋人を忘れてしまうから。
せっかく、其処にいてくれるのに。学校では「ハーレイ先生」でも。
(他の先生の授業の時でも、やらないけどね?)
バレたら心を読まれるだとか、没収だとか、そういうのとは関係無しに。学校は勉強をする所。先生の授業を聞きに行く場所、休み時間や放課後以外は。
勉強をするために登校したのに、他のことなんて、とんでもない。いつも真面目に聞く優等生。余所見もしないし、他のことをコソコソやったりもしない。
(でも、授業中に他の色々なこと…)
やっている生徒は時々いる。漫画を読むとか、大胆な場合はコッソリお弁当だとか。
どんなことでも、先生にバレたら、今日の生徒と同じコースで…。
(隠すだけ無駄…)
やっていないと主張したって、心の中身を読まれておしまい。「全部、心に書いてあるが」と。
バレた後には叱られる。隠そうとしていたことも含めて、それは厳しく。
下の学校の頃から、何度も見て来た叱られる生徒。先生に心を読まれてしまって、隠そうとしたことの分までお仕置き。宿題サービスとか、先生のお手伝いだとか。
やっていない、と隠しおおせた生徒は一人も見たことが無いのだから…。
(タイプ・ブルーがいなかったんだよ)
きっとそうだ、と考えた。悪さをしていて、先生に見付かった生徒の中には一人も。自分が通う学校では。…下の学校でも、今の学校でも。
そうでなければ、先生もタイプ・ブルーだったか。悪さを発見した先生の方も。
(先生もタイプ・ブルーだったら…)
いくら生徒がタイプ・ブルーでも、敵わない。力不足の子供は勝てない。
心を遮蔽しようとしたって、経験不足。子供なのだし、上手く心を隠せはしない。先生の方が、何枚も上手。タイプ・ブルー同士の対決でも。
(ぼくだって、タイプ・ブルーだけれど…)
力不足とか、経験不足以前の問題。とことん不器用になったサイオン。前の自分の頃と比べて、雲泥の差どころの騒ぎではない。サイオンは無いも同然なくらい。
前と同じにタイプ・ブルーでも。最強の筈のタイプ・ブルーに生まれて来ても。
そのサイオンを上手く扱えないから、心の中身は読まれ放題。先生に横に立たれたら。睨んで、「手を出しなさい」と言われなくても、きっと。
わざわざ手まで握らなくても、とうに心が零れているから。「バレちゃった」と。
(悪い生徒じゃなくて良かった…)
ホントに良かった、とホッと安堵の息をついたら、気付いたこと。
悪さをしていたのが先生にバレて、隠そうとしても無駄だということ。当然だよね、と叱られた生徒を見ていたけれど。「ぼくなら、しない」とも思ったけれど…。
その隠し事、と心を掠めたこと。隠そうとする生徒と、暴く先生との攻防戦。今日までに自分が見て来た勝負は、悉く先生の勝ちだった。どう隠したって、先生に敵いはしないから。
(今の時代だと、普通だけど…)
自分もすっかり慣れていた。隠そうとしても、心を読まれてしまうこと。授業中の悪さが先生にバレたら、何処の学校でも起こるのだろう。
そういう場面に限らなくても、心を読むということは普通。人間はみんな、ミュウだから。
社会のマナーで、読まないのがルールになっているだけ。まだまだ小さな子供同士なら…。
(当てっこだとか…)
そんなゲームをしたりもする。色々な物を一人が隠して、他のみんなで捜しにゆく。隠し場所は何処か、心を読んで。「何処なのかな?」と心を覗き込んで。
そういう遊びで、隠した方も読まれないように努力するもの。サイオンの扱いが上手い子供は、偽の情報を流すことだってある。「あそこだよ」と全く違う場所を心に思い浮かべて。
人気の高い遊びだけれども、サイオンが不器用な自分は全く出来ない。どう頑張っても、隠した子の心が見えないから。覗き込むことさえ出来ない始末。
(ぼくの友達、あのゲームは…)
ルールを変えてくれていた。不器用すぎる自分のために。他の子たちは、元のルールで楽しんで遊べる筈なのに。
(ぼくが何にも読めないから…)
心の中身を読ませる代わりに、言葉でヒントを出す方法。「大きな木だよ」とか、「水がある」とか。大きな木ならば、公園には何本も生えているのに。水がある場所も幾つもあるのに。
ヒントでも充分、楽しめたゲーム。隠し場所は木の側の水飲み場だったり、そんな具合で。
サイオンはまるで駄目な自分も、そうやって遊んでいたけれど。心の中身を読み取れないから、ルールを変えて貰ったけれど…。
(みんなミュウだから、誰も変だと思わないだけで…)
心を読まれるのは、自分の力が足りないから。先生に悪さがバレてしまうのも、遊びで頑張って隠した何かが、発見されてしまうのも。
どちらも、心を隠し通せない自分が悪い。力不足で、自分の責任。
でも…。
隠せずに読まれてしまうこと。心の中身を読まれてしまって、知られること。
(人類だったら…)
今はもう宇宙の何処にもいない、人類と名乗っていた種族。前の自分が生きた時代に、ミュウを殲滅しようと努力した者たち。
彼らだったら、どうだっただろう?
どういう風に感じたのだろう、心を読まれるということを。心の中身を他の誰かが容易く読んでゆくというのに、自分は全く読めはしなくて、欠片も掴めないことを。
(怖くない…?)
そのことが、とても。
人類同士なら何も起こらなくても、ミュウと出会ったら起こる出来事。自分にしか見えない筈の心を、心の中身を知られてしまう。
それが敵意でなかったとしても。好意だとしても、口にする前に。
素敵な何かをプレゼントしようと、驚かせたくて何処かに隠して持っていたって。
(…怖いし、それになんだか嫌だ…)
ぼくだって、と思った「心を読まれる」こと。いつも心が零れてしまって、何かと失敗しがちな自分。ハーレイはもちろん、友達相手にコッソリ計画してみても。
いったい何度失敗したのか、自分でも数え切れないほど。つい最近のことだけでも。
心の中身がバレてしまっても、けして嫌だと思いはしない。怖いと思うことだって無いし、逆に情けない気持ちになるだけ。「ぼくって、駄目だ」と。「また失敗だよ」と、肩を落として。
(今は、誰でもミュウだから…)
そういう世界に生きているから、サイオンが不器用な自分のせいだと思うだけ。もっと器用なら読まれはしないし、不器用なのも自分の個性。
他の人たちには簡単なことが出来なくたって、ミュウには違いないのだから。サイオンは自分も持っているのに、使いこなせないだけだから。
けれど…。
もしもサイオンが無かったら。…不器用に生まれたわけではなくて、自分が人類だったなら。
(…サイオンなんかは持っていなくて、この世界に独りぼっちなら…)
戦争も武器も無い平和な世界が、恐ろしく見えるかもしれない。殺されたり、追われたりしない世界でも。誰も自分を嫌わなくても、とても親切な人ばかりでも。
周りの人たちは、心の中身を読むのだから。言葉にしなくても、「どうぞ」と欲しかったものを差し出して来たり、手を貸してくれたりするのだから。
(ぼくには当たり前だけど…)
不器用なのだし、なんとも思いはしない。物心ついた時には、そういう世界にいたのだから。
自分は上手く読めないけれども、他の人たちは心を読み取る世界。「ぼくって駄目だ」と思っていれば良かった世界。ゲームのルールも変えて貰って。
そんなものだ、と幸せに生きて来たのだけれども、たった一人の人類だったら恐ろしいだろう。心を読まれているというのに、自分の方では欠片も読めはしないのだから。
しかも自分とは異なる種族。家族でもなければ友達でもない、そんな者たちに囲まれて、一人。
(…ミュウが嫌われたの…)
無理もないかも、と今頃、分かった。人類がミュウを恐れた理由。
人の心を食う化け物、と言われた理由も。
ミュウは土足で人の心に踏み込むから。遮蔽できない人類の心、それを端から読み取るから。
恐れ、忌み嫌い、蔑む気持ち。「化け物」とミュウを嘲笑いつつも、人類はいつも恐れていた。この瞬間にも、心を読まれているのだと。自分の心はミュウに筒抜けなのだから、と。
(…アルタミラでも、いつも怖がられてた…)
気味悪がられていた自分。たった一人のタイプ・ブルーで、それは酷い目に遭わされたのに。
自分も人類を恐れていたのに、彼らの方でも怖がっていた。「化け物だから」と、人類とは違う生き物だと。
触れることさえ嫌がる気配を感じたくらいに、ミュウを嫌悪した人類たち。研究者たちも、檻を管理していた者たちも。
そうだったのか、と今になってやっと理解した。人類がどうしてミュウをあんなに恐れたのか。人の心を食う化け物だと忌み嫌ったのか。
(今のぼくは、幸せに育って来たから…)
何も怖がりはしないだけ。自分の心を読まれることも、自分ではまるで読めないことも。
不器用なのだし仕方がない、と残念に思っていたくらい。「もっと器用になりたいよ」と。
けれど突然、今のような世界に放り込まれてしまったら。
此処で幸せに育つ代わりに、ある日いきなり、心を読める人ばかりが住む世界に向かって、突き落とされてしまったら…。
(絶対、怖い…)
怖くて、とても気味悪い。自分は心を読めもしないのに、周りの人々は読むのが普通。どういう仕組みになっているのか、言葉にする前に先回りされる。あらゆる場面で。
自分には、それが出来ないのに。…相手が何を思っているのか、その欠片さえも見えないのに。
(…ホントに怖くて、どうしたらいいか分からなくって…)
きっと外にも出られなくなる。外に出たなら、心の中身を誰もに読まれてしまうのだから。何を考えながら歩いているのか、皆に筒抜けなのだから。
…どうして気付かなかったのだろう。その怖さに。恐ろしさに。
人類がミュウに覚えるだろう恐怖、それを微塵も考えもせずに、歩み寄れると思ったのだろう。ミュウと人類とは手を取り合えると考えた自分。ソルジャー・ブルーだった、前の自分。
あまりにも考えなしだった。人類の心を思うことさえしなかった。
ミュウがサイオンを封印するなら、歩み寄れたのかもしれないけれど…。
(サイオンを持ったままだったら…)
忌み嫌われてしまって当然、恐れられるのも当然のこと。
人類にすれば、歩み寄りたくもないだろう。近付いたならば、一方的に読まれる心。隠す術さえ持っていないのに、勝手に心を覗き込まれて。
ミュウ同士ならば、隠せるのに。読まれたくないことは隠しておけるし、それが出来ないなら、自分の力が足りないだけ。そういう時には、「読まないで欲しい」と伝えることも出来るのに。
人類には心を隠す方法が無かったのだ、と気が付いた。不器用な今の自分と違って、サイオンを持たなかった人類。ミュウならそれを持っているのに、人類は持っていなかった。
サイオンが不器用な今の自分には、少しだけ分かる人類がミュウに覚えた恐怖。
(…間違えちゃってた…)
前の自分の考え方。心から願った、ミュウと人類との共存。
けれども、サイオンを捨てるか、封印でもしない限りは、人類はミュウを怖がるだけ。ミュウに近付いたら、心を読まれてしまうから。「読まないで」と伝えることも出来ずに。
その状態では、歩み寄れていた筈もない、と考えていたら、聞こえたチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、ハーレイ…。ミュウは怖いね」
「はあ?」
どう怖いんだ、と瞬いた鳶色の瞳。「お前も俺も、ミュウなんだが?」と。
「そうだけど…。人類から見たミュウのことだよ」
「なんだって?」
人類ってことは、前の俺たちの時代の話か、それは?
確かに人類軍と派手に戦いはしたが…。勝ったわけだし、怖かったのかもしれないが…。
「えっとね…。戦いが始まってからじゃなくって、それよりも前」
今日のハーレイ、生徒に注意してたでしょ?
漫画の本を没収してたよ、その前に脅していたじゃない。心を覗けば全部分かる、って。
あれで気が付いたよ、あの力、人類には怖いんだよ。…自分の心を読まれちゃうこと。隠そうとしても隠せなくって、何もかも知られてしまうってこと。
今のぼくだと分かる気がするよ、人類はきっと怖かったんだ、って。
ぼくのサイオン、とことん不器用になって、あの頃の人類とそれほど変わらないんだから。
「なるほどな…。今のお前は、心を読まれないように遮蔽することは出来ないか…」
前のお前ならば完璧だったが、それとは逆というわけだな。
「そう、読むことも出来ないんだよ」
ホントに人類と似たような感じ。…ミュウの世界に一人だけ混じってしまったみたいに。
ぼくは慣れてるから平気だけれども、人類は怖かったと思う。…ミュウが現れたら、心の中身をすっかり読まれてしまうんだから。
その人類とミュウが初めて顔を合わせたのが、前のぼくたちが生きてた時代、と説明した。心を読まれることを恐れる種族と、心を読むのが当たり前の種族。
「前のぼくの考え、間違っていたよ。…そう思っちゃった」
ソルジャー・ブルーは甘かったんだ、って。人類の気持ちをまるで分かっていなかったんだよ。
「分かっていないって…。どういう風にだ?」
前のお前も色々と考えていた筈だが、とハーレイが首を捻るから。
「ミュウのことを理解して貰おう、っていう考え方。…分かり合えると思っていたこと」
人類とミュウは兄弟なんだ、って思ってたけど、それは間違ってはいないんだけど…。
サイオンを捨てなきゃ駄目だったんだよ、本当に分かり合いたかったら。
ミュウだけが人類の心を読めるというのは、ちっとも公平なことじゃないでしょ?
サイオンを捨てることが無理なら、封印する方法を開発するとか…。
「封印するって…。APDか?」
人類のヤツらが開発していた、アンチ・サイオン・デバイススーツ。あんな具合に、サイオンが効かないようにする道具を、人類が持てば良かったと…?
「違うよ、APDは人類が開発したんだけれど…。人類に作らせていたんじゃ駄目」
作って下さい、ってお願いするんじゃなくって、ぼくたちが開発するべきだったんだよ。
サイオンを無効化する方法を、自発的にね。…人類がミュウを怖がらなくても済むように。
そうしていたなら、人類も考えてくれていたかも…。話し合うことを。
「ふうむ…。そいつは一理あるかもしれないな」
キースの野郎が捕虜になってた時、ジョミーに訊いたそうだ。「星の自転を止められるか」と。
ジョミーは、「やってみなければ分からない」と答えたらしいんだが…。
その時、キースはこう言った。「その力がある限り、分かり合うことは出来ない」とな。
「…そうなんだ…」
星の自転とは違うけれども、人の心を読むのも同じサイオンだから…。
サイオンがあったら駄目ってことだよね、キースがジョミーに言った言葉は…。
遠い昔に、キースがジョミーに投げ掛けた問い。それに、その答えを受けてぶつけた言葉。
キースには見えていたのだろうか。人類とミュウの間に横たわる溝、深い問題の根本が。
前の自分は気付かないままで終わったけれども、キースは見抜いていたろうか?
サイオンという力の怖さも、それがあったら人類がミュウを恐れることも。
「…キース、気付いていたのかな…。どうして人類はミュウを怖がるのか」
ミュウには心を読み取る力があるから、心を隠すことが出来ない人類にとっては怖い存在。
そのままだと分かり合うなんて無理で、サイオンを捨てて来ないと駄目だ、って。
「…多分な。しかし、キースはそれを克服したんだろう」
ミュウはサイオンを持ったままでいたのに、手を取り合う道を選んだんだから。
あいつを褒めたいとは思わないんだが、その点は評価してやってもいい。
ミュウへの恐れを克服出来た所だけはな、とハーレイが言うから、尋ねてみた。
「それが出来たのって…。キース、心を読まれない訓練を積んでいたからかな?」
とても凄かったよ、キースの心理防壁は。…本当にこれが人類なのか、って思うくらいに。
そういう心を持っていたから、他の人類も努力次第で何とか出来ると思ったのかな…?
「むしろ逆だと思うがな? 俺は」
前のお前も、それにジョミーも少しは読んだと聞いているしな、あいつの心。…違うのか?
「そうだけど…。それがあったら、どうして逆なの?」
分からないよ、と瞳を瞬かせたら、「読んだんだろう?」と返った言葉。
「お前もジョミーも、読まれないように訓練していたキースの心を読んじまった」
読まれる恐怖を知ったわけだな、キースが初めて知った恐怖だ。…ミュウの本当の恐ろしさ。
こうして心に入り込むのかと、防ぐ方法は無いらしい、とも。
そいつを思い知らされちまって、その上で色々と考えることになったんだろう。人類の指導者としてな。人類とミュウに分かれた現状をどうするべきか、次の時代にどう繋ぐのか。
ミュウ因子の排除というのも含めて、キースは何年も考え続けた。
そして導き出した結論があれだ。
SD体制もマザー・システムも時代遅れだという、大演説。
自分がグランド・マザーに粛清されても、人類が正しい道を選んで進んでゆけるように、と。
お蔭で今の平和な時代がある、とハーレイは穏やかな笑みを浮かべた。
「キースの選択は正しかった」と、ミュウへの恐怖を克服出来たからこそだ、と。
「あいつが決断していなかったら、もっと長引いていただろう。…地球までの道は」
ミュウの時代が訪れるのも、遅くなっていたに違いないな。
「…キース、偉いね…」
心を読まれて怖かったんなら、徹底的に退治してもいいのに…。そうするつもりだったのに。
ナスカをメギドで焼いた時には、そういうつもりだったんだよ。…一人残らず滅ぼすつもり。
でも、考えを変えちゃった…。いろんな条件が重なったにしても、キースが一人で考えて。
だから偉いよ。グランド・マザーは、そういう風にしろとは絶対、言わないのに…。
マザー・イライザも、そんな風には、キースを育てていない筈なのに…。
「どうなんだかなあ…。偉かったことは確かだろうが…」
時代はミュウに味方していた。トォニィたちが生まれたことも、ジョミーの両親や、スウェナのようなミュウの理解者が現れたことも、その証拠だ。
キースが決断しなかったとしても、いずれはミュウの時代になった。…キースが国家主席の間は無理でも、次の時代か、その次にはな。
「そうだろうけど…。そうなる前にキースが決めたよ、ミュウと一緒に生きてゆくことを」
キースは本当に偉かったんだよ。ミュウを受け入れる決断が出来ただなんて。
ぼくなら、怖くて出来たかどうか…。
心を読まれることの怖さも知ったんだったら、余計にミュウが怖くなりそう。
「…出来そうにないのは、今のお前か?」
前のお前なら、自分がどんな思いをしたって、世界を優先しそうだからな。
「うん…。今のぼくだよ、ミュウの怖さに気が付いた、ぼく」
サイオンがとことん不器用なせいで、今頃、分かったんだけど…。人類の気持ち。
「今のお前は弱虫だしな? そんな考えになっちまうほど」
もしも自分が人類だったら、と考えただけで怖いと思っちまう弱虫。
キースとは違うさ、人類の世界を背負うためだけに作り出されたヤツとはな。
機械に作り出された割には、人間くさいヤツだったが…、という所で止まった言葉。
「おっと、あいつを褒めすぎちまった。…俺としたことが、お前のせいで」
キースの野郎を偉いだなんて、俺の台詞とも思えんな。
まったく…、とハーレイは苦々しい顔。「俺はあいつが嫌いなのに」と。
「ううん、ハーレイもキースを分かってくれているんだな、って嬉しいよ、ぼく」
いつもキースの悪口ばかりで、会ったら一発殴りたいとか、そんなのばかり。
だけど、ハーレイもちゃんと分かってるんだよね。…本当のキースは偉いってことが。
ホントに嬉しい、と見詰めた恋人の鳶色の瞳。
ハーレイのキース嫌いは酷くて、何度も心を痛めたから。「ぼくのせいだ」と。
前の自分がメギドで撃たれなかったら、キースは其処まで憎まれていない。撃たれた傷痕と同じ聖痕、それをハーレイが見ていなかったら。
「…俺は分かりたくもないんだが…」
キースの偉さなんていうのは分かりたくないし、認めるつもりも無いんだが?
お前に釣られて、ついつい余計なことまで話してしまっただけで。
俺はキースを許しはしない、とハーレイの眉間の皺が深めになったけれども。
「いつか分かるよ、ハーレイにもね。…そして嫌いじゃなくなるってば」
ハーレイがキースを嫌いになったの、前のぼくを撃ったせいだから…。
でもね、ぼくはハーレイの所に帰って来たでしょ、チビだけど。
まだ小さいけど、大きくなったら、前のぼくと同じになるんだよ。…ホントにそっくり。
だからキースは悪くないってば、ぼくは帰って来たんだから。
「…そいつはキースのお蔭じゃないと思うがなあ…」
あいつは全く関わっちゃいないぞ、お前が生きて帰って来たことに関しては。
これは神様が起こした奇跡で、聖痕までつけて下さっただろうが。
聖痕のお蔭で、キースの罪がバレちまったってな。…前のお前に何をしたのか。
あいつの心は読めなかったが、神様が教えて下さった。あいつが隠してやがったことを。
あの馬鹿野郎が何処に逃げても、見付けた時には、俺は必ず殴ってやる。
生憎とまだ出会えないがだ、許してやるつもりは全く無いぞ。…この手であいつを殴るまでは。
しかし、お前は此処にいるよな、と大きな手で頭をクシャリと撫でられた。
「俺のブルーだ」と、「うんと不器用だが、お前だよな」と。
「…本当にお前なんだろうか、と思っちまうくらいに、サイオンは不器用になっちまったが…」
おまけにチビだが、お前は俺のブルーなんだ。…前の俺が失くしちまったお前。
生きて帰って来てくれたんだよな、もう一度、俺の目の前に。
「そうだよ、これが今のぼく。…人類みたいになっちゃったけど」
サイオンは殆ど使えないから、タイプ・ブルーだなんて、嘘みたいだよね。…誰が見たって。
お蔭で、人類の気持ちが分かったけれど…。ミュウが本当に怖かったんだ、って。
前のぼくの考え、やっぱり間違ってた?
ミュウはサイオンを捨てるべきだったの、でなきゃ封印するだとか…?
サイオンを持ったままで人類と分かり合おうなんて、ぼくの考え、甘すぎたかな…?
「間違っちゃいないさ、前のお前は。…前のお前の考え方は」
今の時代は、人間はみんなミュウばかりだ。誰もがサイオンを持っているだろう?
お前みたいに不器用なヤツでも、サイオンはちゃんと備わっている。それが大切なことなんだ。
普段は心を読んだりしないし、それが社会のマナーでもある。
だがな、派手な喧嘩をしちまった時とか、友達との仲がこじれた時には、サイオンの出番だ。
こういう風に考えてます、と相手に直接伝えられるし、心を読んで貰うことも出来る。
心を読むのが得意じゃないお前も、「読んで下さい」と明け渡されたら読めるだろ?
そうやって誰もが分かり合える世界、そいつがミュウの世界だってな。
心の底から分かり合えるからこそ、平和なんだ。…戦いも無ければ、武器も要らない。
本気の喧嘩は、何処からも起こらないからな。殴り合いになっても、その場限りでおしまいだ。後でよくよく考えてみれば、「悪かったかな」と思うモンだから…。
其処に気付いたら、言葉にしにくい気持ちは心を見て貰う。それで解決しちまうわけで…。
こういう社会は、サイオン抜きでは無理なんだ。…人類に合わせて封印したなら、もう駄目だ。
だから、前のお前は間違っていない。サイオンは人間に必要な進化だったんだから。
「そっか…。サイオンのお蔭で、平和な時代になったんだよね…」
サイオンを封印してしまっていたら、今もミュウ同士で何処かで戦争だったかも…。
お互いの心が分からなかったら、本気の喧嘩がこじれてしまって、戦争になってしまうから…。
間違えていなかったんなら良かった、とホッとついた息。前の自分の考え方。
サイオンはあっても良かったんだ、と。
「…前のぼく、間違えちゃったのかと思ったよ…」
人類から見たら、ミュウはとっても怖そうだから…。そんな感じがしちゃったから。
とても怖いと思われてたのに、怖い力を振りかざしながら「仲良くしよう」って言う方が無理。
それに気付かないで過ごしてたなんて、間抜けだよね、って思っちゃったから…。
でも、間違えてはいなかったんだ…。サイオンが必要な進化だったら。
「当然だろうが、それでこそミュウだ。…ミュウはサイオンを持っていてこそなんだぞ」
そいつを封印しちまうだとか、無効化してまで人類に媚を売ってもなあ…。
何の解決にもなりやしないぞ、平和な時代は来やしない。…サイオン抜きの世界だなんて。
前のお前のことだとはいえ、否定しちゃいかん、自分をな。
間違えたように思えていたって、そいつが正しかったんだから。
「…自分を否定したら駄目って言うなら、ぼくの不器用さは?」
とっても不器用で、思念波もろくに使えなくって…。心はいつも読まれ放題。
ハーレイにも、友達にも、ぼくの考え、筒抜けになってしまうんだけど…。
脅かしてやろう、ってワクワクしてても、その前に気付かれちゃうんだけれど…。
「そいつも俺には愛おしいってな、守り甲斐があって」
もう本当に不器用だからなあ、危なっかしくて見ちゃいられない。
お前ときたら、其処の窓から落っこちたら骨が折れるんだろうし…。池に落ちたら溺れるし。
そうならないよう、俺が一生、お前を守るしかないってな。
前のお前なら、俺が守られる方だったんだが…。
お前を守る、と偉そうなことを言っていたって、シャングリラごとお前に守られていたからな。
前のお前みたいな無茶はするなよ、と釘を刺されたけれど。
鳶色の瞳に見据えられたけれど、ハーレイの心配はもう要らない。
平和な時代に命懸けの無茶はもう出来ないから、それに弱虫になってしまったから…。
今度は守って貰うだけ。
ハーレイに側で守って貰って、幸せに生きてゆけばいいだけ。
不器用すぎて心を読むことも出来ないけれども、読まれる一方なのだけれども。
人類と違って、ちゃんとミュウなのだし、何も怖がらなくてもいい。
周りが器用な人ばかりでも、心を読める人ばかりでも。
みんなが自分を気遣ってくれるし、必要だったら遊びのルールも変えてくれたりする世界。
其処に生まれてハーレイと二人、手を繋ぎ合って生きてゆく。
青い地球の上で、何処までも二人、幸せに微笑み交わしながら…。
読まれる心・了
※人類が何故、ミュウを恐れたのか、今になって理解したブルー。心を読まれる恐ろしさを。
そしてキースは、読まれる怖さを知ったからこそ、あの選択をしたのかも。考え抜いた末に。
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今、何をしてた、と響き渡ったハーレイの声。教室中に、窓のガラスまで揺れそうなほどに。
ブルーも含めて教室の皆が驚いた。いったい何が起こったのかと、誰もが目を丸くしている中。並んだ机の間の通路を、ゆっくりと歩いてゆくハーレイ。一足、一足、踏みしめるように。
やがて止まった、一人の男子生徒の側。彼の机を指でトン、と叩くと…。
「出せ、今のを」
此処に、と促す机の上。「今のを此処に出すんだな」と。
「何もしていません!」
男子生徒は叫んだけれども、顔には「違う」と書かれている。そういう表情なのだから…。
「俺には何か見えたんだがな?」
確かに見たぞ、とハーレイの方も譲らない。「早く出せ」と。
「見間違いです、先生の!」
「…そうか?」
俺はそうとは思わんが、とハーレイが手を突っ込んだ机。「なら、確かめてみるとするか」と。中を探って、引っ張り出して来た漫画の本。「読んでたろうが」と机の上に。
男子生徒は顔色を変えたけれども、それでも懸命に言い張った。
「いえ、この本は休み時間から入れてただけで…」
授業のチャイムが鳴ったんで、此処に入れたんです。別に鞄に入れなくても…。
みんな色々入れてますよね、漫画でなくても。お弁当とか、本だとか…。
漫画の本だって同じなんです、と必死の言い訳。ハーレイに発見されたのだったら、読んでいたことは確実なのに。それでも彼は「やっていない」と繰り返すから…。
「いい度胸だ。なら、手を出せ」
「え?」
目を見開いた男子生徒に、ハーレイはこう言葉を続けた。
「出したくないなら、手を出さなくてもいいんだが…。この距離だったら簡単だからな」
言わない以上は、読むしかなかろう。…お前の心。
手を握れたら俺も楽だが、出さないのなら仕方ない。いいから、そのまま座ってるんだな。
「せ、先生…?」
「お前が潔白だったら謝る。俺の目が節穴なんだから」
だが、違ったなら、宿題をサービスするからな?
お前は授業中に漫画で、俺に嘘までついたんだ。やっていない、と。…さて、読むとするか。
俺か、お前か、どっちの言うことが正しいか…、とハーレイがスウッと細めた目。
「待って下さい!」
読んでました、と男子生徒は白状した。「すみませんでした」と肩を落として、ションボリと。
「やっぱりか…。嘘をつくだけ無駄だってな。こいつは俺が貰っておく」
後で職員室まで取りに来い、と没収されてしまった漫画。それに一人だけに出された宿題。自白した分、サービスだとかで少なめに。他の生徒よりは遥かに多いけれども。
「お前が白状していなかったら、本当はこれだけ出したいトコだ」と、サービスで減らした量を強調されて。
「これに懲りたら他のヤツらも気を付けろ」と、ハーレイは教室の前に戻った。「続けるぞ」と授業の続き。何も起こりはしなかったように。
授業が終わって、ハーレイが去って行った後。男子生徒の机の周りは賑やかだった。他の男子に取り囲まれて、呆れられて。
「馬鹿だよな、お前。…なんで漫画を読んでたんだよ」
ハーレイ先生、背が高いんだぜ。他の先生より、ずっと上から見えるじゃねえかよ。
机の下で読んでいたって丸見えだ、とワイワイと騒ぐ男子たち。「読むなら他の時間だ」とも。
「読みたかったんだよ、続きが気になって…」
丁度いいトコで、授業のチャイムが鳴ったから…。読みたくなるだろ、そういう時って?
「…それで没収されてしまったら、続きどころじゃねえと思うぜ」
ハーレイ先生、丸ごと持ってっちまったじゃねえか。取りに行けるの、放課後だぞ?
それまで全く読めやしねえし、読めねえ上に宿題のオマケも貰っていりゃあ、世話ねえよ。
もう本当に馬鹿としか…。他に言いようがねえってモンで…。
教室中が呆れてるぜ、と男子生徒の友人たちは容赦ない。「女子も馬鹿だと思ってるぞ」と。
「……俺も自分でそう思う……」
俺が馬鹿だった、と項垂れている生徒。ハーレイが「後で」と言ったからには、もう放課後まで読めない漫画。取り戻すまでは、どんなに続きが気になっても。その上、宿題まで出された彼。
(ホントに馬鹿かも…)
分かってないよね、と思ってしまう。ハーレイにバレてしまった時点で、もう隠したって無駄というもの。「やっていません」と嘘をついても、心を読まれておしまいなだけ。
さっきハーレイが言っていたように、「俺か、お前か、どっちが正しい?」と読まれる心。
(タイプ・ブルーの生徒だったら、大丈夫かもしれないけれど…)
心の遮蔽が強くなるから、そう簡単には読まれない。先生が読もうと頑張ったって。
とはいえ、前の自分が生きた頃より増えてはいても、今も少ないタイプ・ブルー。大抵の生徒は心を読まれたら、おしまい。叱られるだとか、没収だとか、宿題を沢山サービスだとか。
放課後になったら、例の男子は「また叱られるよな…」とハーレイの所に出掛けて行った。没収された漫画を返して貰いに、付き添いの友達も何人か連れて。
それを見送った後に家に帰って、いつものようにダイニングでおやつ。母の手作り、熱い紅茶も淹れて貰って、のんびりと。
「御馳走様」と二階の部屋に戻ったら、思い出した男子生徒の顔。今日の出来事、それも古典の授業中のこと。没収されてしまった漫画と、宿題サービス。
(ぼくなら、ハーレイの授業の時間に漫画なんて…)
絶対、読まない、と勉強机の前に座って考える。漫画でなくても、他の本でも。どんなに続きが気になっていても、そんなものより、ハーレイの授業の方が好き。
下を向いて何か読んでいたなら、ハーレイの顔が見られない。大好きな声だって聞き逃すから。心が他所に行ってしまって、恋人を忘れてしまうから。
せっかく、其処にいてくれるのに。学校では「ハーレイ先生」でも。
(他の先生の授業の時でも、やらないけどね?)
バレたら心を読まれるだとか、没収だとか、そういうのとは関係無しに。学校は勉強をする所。先生の授業を聞きに行く場所、休み時間や放課後以外は。
勉強をするために登校したのに、他のことなんて、とんでもない。いつも真面目に聞く優等生。余所見もしないし、他のことをコソコソやったりもしない。
(でも、授業中に他の色々なこと…)
やっている生徒は時々いる。漫画を読むとか、大胆な場合はコッソリお弁当だとか。
どんなことでも、先生にバレたら、今日の生徒と同じコースで…。
(隠すだけ無駄…)
やっていないと主張したって、心の中身を読まれておしまい。「全部、心に書いてあるが」と。
バレた後には叱られる。隠そうとしていたことも含めて、それは厳しく。
下の学校の頃から、何度も見て来た叱られる生徒。先生に心を読まれてしまって、隠そうとしたことの分までお仕置き。宿題サービスとか、先生のお手伝いだとか。
やっていない、と隠しおおせた生徒は一人も見たことが無いのだから…。
(タイプ・ブルーがいなかったんだよ)
きっとそうだ、と考えた。悪さをしていて、先生に見付かった生徒の中には一人も。自分が通う学校では。…下の学校でも、今の学校でも。
そうでなければ、先生もタイプ・ブルーだったか。悪さを発見した先生の方も。
(先生もタイプ・ブルーだったら…)
いくら生徒がタイプ・ブルーでも、敵わない。力不足の子供は勝てない。
心を遮蔽しようとしたって、経験不足。子供なのだし、上手く心を隠せはしない。先生の方が、何枚も上手。タイプ・ブルー同士の対決でも。
(ぼくだって、タイプ・ブルーだけれど…)
力不足とか、経験不足以前の問題。とことん不器用になったサイオン。前の自分の頃と比べて、雲泥の差どころの騒ぎではない。サイオンは無いも同然なくらい。
前と同じにタイプ・ブルーでも。最強の筈のタイプ・ブルーに生まれて来ても。
そのサイオンを上手く扱えないから、心の中身は読まれ放題。先生に横に立たれたら。睨んで、「手を出しなさい」と言われなくても、きっと。
わざわざ手まで握らなくても、とうに心が零れているから。「バレちゃった」と。
(悪い生徒じゃなくて良かった…)
ホントに良かった、とホッと安堵の息をついたら、気付いたこと。
悪さをしていたのが先生にバレて、隠そうとしても無駄だということ。当然だよね、と叱られた生徒を見ていたけれど。「ぼくなら、しない」とも思ったけれど…。
その隠し事、と心を掠めたこと。隠そうとする生徒と、暴く先生との攻防戦。今日までに自分が見て来た勝負は、悉く先生の勝ちだった。どう隠したって、先生に敵いはしないから。
(今の時代だと、普通だけど…)
自分もすっかり慣れていた。隠そうとしても、心を読まれてしまうこと。授業中の悪さが先生にバレたら、何処の学校でも起こるのだろう。
そういう場面に限らなくても、心を読むということは普通。人間はみんな、ミュウだから。
社会のマナーで、読まないのがルールになっているだけ。まだまだ小さな子供同士なら…。
(当てっこだとか…)
そんなゲームをしたりもする。色々な物を一人が隠して、他のみんなで捜しにゆく。隠し場所は何処か、心を読んで。「何処なのかな?」と心を覗き込んで。
そういう遊びで、隠した方も読まれないように努力するもの。サイオンの扱いが上手い子供は、偽の情報を流すことだってある。「あそこだよ」と全く違う場所を心に思い浮かべて。
人気の高い遊びだけれども、サイオンが不器用な自分は全く出来ない。どう頑張っても、隠した子の心が見えないから。覗き込むことさえ出来ない始末。
(ぼくの友達、あのゲームは…)
ルールを変えてくれていた。不器用すぎる自分のために。他の子たちは、元のルールで楽しんで遊べる筈なのに。
(ぼくが何にも読めないから…)
心の中身を読ませる代わりに、言葉でヒントを出す方法。「大きな木だよ」とか、「水がある」とか。大きな木ならば、公園には何本も生えているのに。水がある場所も幾つもあるのに。
ヒントでも充分、楽しめたゲーム。隠し場所は木の側の水飲み場だったり、そんな具合で。
サイオンはまるで駄目な自分も、そうやって遊んでいたけれど。心の中身を読み取れないから、ルールを変えて貰ったけれど…。
(みんなミュウだから、誰も変だと思わないだけで…)
心を読まれるのは、自分の力が足りないから。先生に悪さがバレてしまうのも、遊びで頑張って隠した何かが、発見されてしまうのも。
どちらも、心を隠し通せない自分が悪い。力不足で、自分の責任。
でも…。
隠せずに読まれてしまうこと。心の中身を読まれてしまって、知られること。
(人類だったら…)
今はもう宇宙の何処にもいない、人類と名乗っていた種族。前の自分が生きた時代に、ミュウを殲滅しようと努力した者たち。
彼らだったら、どうだっただろう?
どういう風に感じたのだろう、心を読まれるということを。心の中身を他の誰かが容易く読んでゆくというのに、自分は全く読めはしなくて、欠片も掴めないことを。
(怖くない…?)
そのことが、とても。
人類同士なら何も起こらなくても、ミュウと出会ったら起こる出来事。自分にしか見えない筈の心を、心の中身を知られてしまう。
それが敵意でなかったとしても。好意だとしても、口にする前に。
素敵な何かをプレゼントしようと、驚かせたくて何処かに隠して持っていたって。
(…怖いし、それになんだか嫌だ…)
ぼくだって、と思った「心を読まれる」こと。いつも心が零れてしまって、何かと失敗しがちな自分。ハーレイはもちろん、友達相手にコッソリ計画してみても。
いったい何度失敗したのか、自分でも数え切れないほど。つい最近のことだけでも。
心の中身がバレてしまっても、けして嫌だと思いはしない。怖いと思うことだって無いし、逆に情けない気持ちになるだけ。「ぼくって、駄目だ」と。「また失敗だよ」と、肩を落として。
(今は、誰でもミュウだから…)
そういう世界に生きているから、サイオンが不器用な自分のせいだと思うだけ。もっと器用なら読まれはしないし、不器用なのも自分の個性。
他の人たちには簡単なことが出来なくたって、ミュウには違いないのだから。サイオンは自分も持っているのに、使いこなせないだけだから。
けれど…。
もしもサイオンが無かったら。…不器用に生まれたわけではなくて、自分が人類だったなら。
(…サイオンなんかは持っていなくて、この世界に独りぼっちなら…)
戦争も武器も無い平和な世界が、恐ろしく見えるかもしれない。殺されたり、追われたりしない世界でも。誰も自分を嫌わなくても、とても親切な人ばかりでも。
周りの人たちは、心の中身を読むのだから。言葉にしなくても、「どうぞ」と欲しかったものを差し出して来たり、手を貸してくれたりするのだから。
(ぼくには当たり前だけど…)
不器用なのだし、なんとも思いはしない。物心ついた時には、そういう世界にいたのだから。
自分は上手く読めないけれども、他の人たちは心を読み取る世界。「ぼくって駄目だ」と思っていれば良かった世界。ゲームのルールも変えて貰って。
そんなものだ、と幸せに生きて来たのだけれども、たった一人の人類だったら恐ろしいだろう。心を読まれているというのに、自分の方では欠片も読めはしないのだから。
しかも自分とは異なる種族。家族でもなければ友達でもない、そんな者たちに囲まれて、一人。
(…ミュウが嫌われたの…)
無理もないかも、と今頃、分かった。人類がミュウを恐れた理由。
人の心を食う化け物、と言われた理由も。
ミュウは土足で人の心に踏み込むから。遮蔽できない人類の心、それを端から読み取るから。
恐れ、忌み嫌い、蔑む気持ち。「化け物」とミュウを嘲笑いつつも、人類はいつも恐れていた。この瞬間にも、心を読まれているのだと。自分の心はミュウに筒抜けなのだから、と。
(…アルタミラでも、いつも怖がられてた…)
気味悪がられていた自分。たった一人のタイプ・ブルーで、それは酷い目に遭わされたのに。
自分も人類を恐れていたのに、彼らの方でも怖がっていた。「化け物だから」と、人類とは違う生き物だと。
触れることさえ嫌がる気配を感じたくらいに、ミュウを嫌悪した人類たち。研究者たちも、檻を管理していた者たちも。
そうだったのか、と今になってやっと理解した。人類がどうしてミュウをあんなに恐れたのか。人の心を食う化け物だと忌み嫌ったのか。
(今のぼくは、幸せに育って来たから…)
何も怖がりはしないだけ。自分の心を読まれることも、自分ではまるで読めないことも。
不器用なのだし仕方がない、と残念に思っていたくらい。「もっと器用になりたいよ」と。
けれど突然、今のような世界に放り込まれてしまったら。
此処で幸せに育つ代わりに、ある日いきなり、心を読める人ばかりが住む世界に向かって、突き落とされてしまったら…。
(絶対、怖い…)
怖くて、とても気味悪い。自分は心を読めもしないのに、周りの人々は読むのが普通。どういう仕組みになっているのか、言葉にする前に先回りされる。あらゆる場面で。
自分には、それが出来ないのに。…相手が何を思っているのか、その欠片さえも見えないのに。
(…ホントに怖くて、どうしたらいいか分からなくって…)
きっと外にも出られなくなる。外に出たなら、心の中身を誰もに読まれてしまうのだから。何を考えながら歩いているのか、皆に筒抜けなのだから。
…どうして気付かなかったのだろう。その怖さに。恐ろしさに。
人類がミュウに覚えるだろう恐怖、それを微塵も考えもせずに、歩み寄れると思ったのだろう。ミュウと人類とは手を取り合えると考えた自分。ソルジャー・ブルーだった、前の自分。
あまりにも考えなしだった。人類の心を思うことさえしなかった。
ミュウがサイオンを封印するなら、歩み寄れたのかもしれないけれど…。
(サイオンを持ったままだったら…)
忌み嫌われてしまって当然、恐れられるのも当然のこと。
人類にすれば、歩み寄りたくもないだろう。近付いたならば、一方的に読まれる心。隠す術さえ持っていないのに、勝手に心を覗き込まれて。
ミュウ同士ならば、隠せるのに。読まれたくないことは隠しておけるし、それが出来ないなら、自分の力が足りないだけ。そういう時には、「読まないで欲しい」と伝えることも出来るのに。
人類には心を隠す方法が無かったのだ、と気が付いた。不器用な今の自分と違って、サイオンを持たなかった人類。ミュウならそれを持っているのに、人類は持っていなかった。
サイオンが不器用な今の自分には、少しだけ分かる人類がミュウに覚えた恐怖。
(…間違えちゃってた…)
前の自分の考え方。心から願った、ミュウと人類との共存。
けれども、サイオンを捨てるか、封印でもしない限りは、人類はミュウを怖がるだけ。ミュウに近付いたら、心を読まれてしまうから。「読まないで」と伝えることも出来ずに。
その状態では、歩み寄れていた筈もない、と考えていたら、聞こえたチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、ハーレイ…。ミュウは怖いね」
「はあ?」
どう怖いんだ、と瞬いた鳶色の瞳。「お前も俺も、ミュウなんだが?」と。
「そうだけど…。人類から見たミュウのことだよ」
「なんだって?」
人類ってことは、前の俺たちの時代の話か、それは?
確かに人類軍と派手に戦いはしたが…。勝ったわけだし、怖かったのかもしれないが…。
「えっとね…。戦いが始まってからじゃなくって、それよりも前」
今日のハーレイ、生徒に注意してたでしょ?
漫画の本を没収してたよ、その前に脅していたじゃない。心を覗けば全部分かる、って。
あれで気が付いたよ、あの力、人類には怖いんだよ。…自分の心を読まれちゃうこと。隠そうとしても隠せなくって、何もかも知られてしまうってこと。
今のぼくだと分かる気がするよ、人類はきっと怖かったんだ、って。
ぼくのサイオン、とことん不器用になって、あの頃の人類とそれほど変わらないんだから。
「なるほどな…。今のお前は、心を読まれないように遮蔽することは出来ないか…」
前のお前ならば完璧だったが、それとは逆というわけだな。
「そう、読むことも出来ないんだよ」
ホントに人類と似たような感じ。…ミュウの世界に一人だけ混じってしまったみたいに。
ぼくは慣れてるから平気だけれども、人類は怖かったと思う。…ミュウが現れたら、心の中身をすっかり読まれてしまうんだから。
その人類とミュウが初めて顔を合わせたのが、前のぼくたちが生きてた時代、と説明した。心を読まれることを恐れる種族と、心を読むのが当たり前の種族。
「前のぼくの考え、間違っていたよ。…そう思っちゃった」
ソルジャー・ブルーは甘かったんだ、って。人類の気持ちをまるで分かっていなかったんだよ。
「分かっていないって…。どういう風にだ?」
前のお前も色々と考えていた筈だが、とハーレイが首を捻るから。
「ミュウのことを理解して貰おう、っていう考え方。…分かり合えると思っていたこと」
人類とミュウは兄弟なんだ、って思ってたけど、それは間違ってはいないんだけど…。
サイオンを捨てなきゃ駄目だったんだよ、本当に分かり合いたかったら。
ミュウだけが人類の心を読めるというのは、ちっとも公平なことじゃないでしょ?
サイオンを捨てることが無理なら、封印する方法を開発するとか…。
「封印するって…。APDか?」
人類のヤツらが開発していた、アンチ・サイオン・デバイススーツ。あんな具合に、サイオンが効かないようにする道具を、人類が持てば良かったと…?
「違うよ、APDは人類が開発したんだけれど…。人類に作らせていたんじゃ駄目」
作って下さい、ってお願いするんじゃなくって、ぼくたちが開発するべきだったんだよ。
サイオンを無効化する方法を、自発的にね。…人類がミュウを怖がらなくても済むように。
そうしていたなら、人類も考えてくれていたかも…。話し合うことを。
「ふうむ…。そいつは一理あるかもしれないな」
キースの野郎が捕虜になってた時、ジョミーに訊いたそうだ。「星の自転を止められるか」と。
ジョミーは、「やってみなければ分からない」と答えたらしいんだが…。
その時、キースはこう言った。「その力がある限り、分かり合うことは出来ない」とな。
「…そうなんだ…」
星の自転とは違うけれども、人の心を読むのも同じサイオンだから…。
サイオンがあったら駄目ってことだよね、キースがジョミーに言った言葉は…。
遠い昔に、キースがジョミーに投げ掛けた問い。それに、その答えを受けてぶつけた言葉。
キースには見えていたのだろうか。人類とミュウの間に横たわる溝、深い問題の根本が。
前の自分は気付かないままで終わったけれども、キースは見抜いていたろうか?
サイオンという力の怖さも、それがあったら人類がミュウを恐れることも。
「…キース、気付いていたのかな…。どうして人類はミュウを怖がるのか」
ミュウには心を読み取る力があるから、心を隠すことが出来ない人類にとっては怖い存在。
そのままだと分かり合うなんて無理で、サイオンを捨てて来ないと駄目だ、って。
「…多分な。しかし、キースはそれを克服したんだろう」
ミュウはサイオンを持ったままでいたのに、手を取り合う道を選んだんだから。
あいつを褒めたいとは思わないんだが、その点は評価してやってもいい。
ミュウへの恐れを克服出来た所だけはな、とハーレイが言うから、尋ねてみた。
「それが出来たのって…。キース、心を読まれない訓練を積んでいたからかな?」
とても凄かったよ、キースの心理防壁は。…本当にこれが人類なのか、って思うくらいに。
そういう心を持っていたから、他の人類も努力次第で何とか出来ると思ったのかな…?
「むしろ逆だと思うがな? 俺は」
前のお前も、それにジョミーも少しは読んだと聞いているしな、あいつの心。…違うのか?
「そうだけど…。それがあったら、どうして逆なの?」
分からないよ、と瞳を瞬かせたら、「読んだんだろう?」と返った言葉。
「お前もジョミーも、読まれないように訓練していたキースの心を読んじまった」
読まれる恐怖を知ったわけだな、キースが初めて知った恐怖だ。…ミュウの本当の恐ろしさ。
こうして心に入り込むのかと、防ぐ方法は無いらしい、とも。
そいつを思い知らされちまって、その上で色々と考えることになったんだろう。人類の指導者としてな。人類とミュウに分かれた現状をどうするべきか、次の時代にどう繋ぐのか。
ミュウ因子の排除というのも含めて、キースは何年も考え続けた。
そして導き出した結論があれだ。
SD体制もマザー・システムも時代遅れだという、大演説。
自分がグランド・マザーに粛清されても、人類が正しい道を選んで進んでゆけるように、と。
お蔭で今の平和な時代がある、とハーレイは穏やかな笑みを浮かべた。
「キースの選択は正しかった」と、ミュウへの恐怖を克服出来たからこそだ、と。
「あいつが決断していなかったら、もっと長引いていただろう。…地球までの道は」
ミュウの時代が訪れるのも、遅くなっていたに違いないな。
「…キース、偉いね…」
心を読まれて怖かったんなら、徹底的に退治してもいいのに…。そうするつもりだったのに。
ナスカをメギドで焼いた時には、そういうつもりだったんだよ。…一人残らず滅ぼすつもり。
でも、考えを変えちゃった…。いろんな条件が重なったにしても、キースが一人で考えて。
だから偉いよ。グランド・マザーは、そういう風にしろとは絶対、言わないのに…。
マザー・イライザも、そんな風には、キースを育てていない筈なのに…。
「どうなんだかなあ…。偉かったことは確かだろうが…」
時代はミュウに味方していた。トォニィたちが生まれたことも、ジョミーの両親や、スウェナのようなミュウの理解者が現れたことも、その証拠だ。
キースが決断しなかったとしても、いずれはミュウの時代になった。…キースが国家主席の間は無理でも、次の時代か、その次にはな。
「そうだろうけど…。そうなる前にキースが決めたよ、ミュウと一緒に生きてゆくことを」
キースは本当に偉かったんだよ。ミュウを受け入れる決断が出来ただなんて。
ぼくなら、怖くて出来たかどうか…。
心を読まれることの怖さも知ったんだったら、余計にミュウが怖くなりそう。
「…出来そうにないのは、今のお前か?」
前のお前なら、自分がどんな思いをしたって、世界を優先しそうだからな。
「うん…。今のぼくだよ、ミュウの怖さに気が付いた、ぼく」
サイオンがとことん不器用なせいで、今頃、分かったんだけど…。人類の気持ち。
「今のお前は弱虫だしな? そんな考えになっちまうほど」
もしも自分が人類だったら、と考えただけで怖いと思っちまう弱虫。
キースとは違うさ、人類の世界を背負うためだけに作り出されたヤツとはな。
機械に作り出された割には、人間くさいヤツだったが…、という所で止まった言葉。
「おっと、あいつを褒めすぎちまった。…俺としたことが、お前のせいで」
キースの野郎を偉いだなんて、俺の台詞とも思えんな。
まったく…、とハーレイは苦々しい顔。「俺はあいつが嫌いなのに」と。
「ううん、ハーレイもキースを分かってくれているんだな、って嬉しいよ、ぼく」
いつもキースの悪口ばかりで、会ったら一発殴りたいとか、そんなのばかり。
だけど、ハーレイもちゃんと分かってるんだよね。…本当のキースは偉いってことが。
ホントに嬉しい、と見詰めた恋人の鳶色の瞳。
ハーレイのキース嫌いは酷くて、何度も心を痛めたから。「ぼくのせいだ」と。
前の自分がメギドで撃たれなかったら、キースは其処まで憎まれていない。撃たれた傷痕と同じ聖痕、それをハーレイが見ていなかったら。
「…俺は分かりたくもないんだが…」
キースの偉さなんていうのは分かりたくないし、認めるつもりも無いんだが?
お前に釣られて、ついつい余計なことまで話してしまっただけで。
俺はキースを許しはしない、とハーレイの眉間の皺が深めになったけれども。
「いつか分かるよ、ハーレイにもね。…そして嫌いじゃなくなるってば」
ハーレイがキースを嫌いになったの、前のぼくを撃ったせいだから…。
でもね、ぼくはハーレイの所に帰って来たでしょ、チビだけど。
まだ小さいけど、大きくなったら、前のぼくと同じになるんだよ。…ホントにそっくり。
だからキースは悪くないってば、ぼくは帰って来たんだから。
「…そいつはキースのお蔭じゃないと思うがなあ…」
あいつは全く関わっちゃいないぞ、お前が生きて帰って来たことに関しては。
これは神様が起こした奇跡で、聖痕までつけて下さっただろうが。
聖痕のお蔭で、キースの罪がバレちまったってな。…前のお前に何をしたのか。
あいつの心は読めなかったが、神様が教えて下さった。あいつが隠してやがったことを。
あの馬鹿野郎が何処に逃げても、見付けた時には、俺は必ず殴ってやる。
生憎とまだ出会えないがだ、許してやるつもりは全く無いぞ。…この手であいつを殴るまでは。
しかし、お前は此処にいるよな、と大きな手で頭をクシャリと撫でられた。
「俺のブルーだ」と、「うんと不器用だが、お前だよな」と。
「…本当にお前なんだろうか、と思っちまうくらいに、サイオンは不器用になっちまったが…」
おまけにチビだが、お前は俺のブルーなんだ。…前の俺が失くしちまったお前。
生きて帰って来てくれたんだよな、もう一度、俺の目の前に。
「そうだよ、これが今のぼく。…人類みたいになっちゃったけど」
サイオンは殆ど使えないから、タイプ・ブルーだなんて、嘘みたいだよね。…誰が見たって。
お蔭で、人類の気持ちが分かったけれど…。ミュウが本当に怖かったんだ、って。
前のぼくの考え、やっぱり間違ってた?
ミュウはサイオンを捨てるべきだったの、でなきゃ封印するだとか…?
サイオンを持ったままで人類と分かり合おうなんて、ぼくの考え、甘すぎたかな…?
「間違っちゃいないさ、前のお前は。…前のお前の考え方は」
今の時代は、人間はみんなミュウばかりだ。誰もがサイオンを持っているだろう?
お前みたいに不器用なヤツでも、サイオンはちゃんと備わっている。それが大切なことなんだ。
普段は心を読んだりしないし、それが社会のマナーでもある。
だがな、派手な喧嘩をしちまった時とか、友達との仲がこじれた時には、サイオンの出番だ。
こういう風に考えてます、と相手に直接伝えられるし、心を読んで貰うことも出来る。
心を読むのが得意じゃないお前も、「読んで下さい」と明け渡されたら読めるだろ?
そうやって誰もが分かり合える世界、そいつがミュウの世界だってな。
心の底から分かり合えるからこそ、平和なんだ。…戦いも無ければ、武器も要らない。
本気の喧嘩は、何処からも起こらないからな。殴り合いになっても、その場限りでおしまいだ。後でよくよく考えてみれば、「悪かったかな」と思うモンだから…。
其処に気付いたら、言葉にしにくい気持ちは心を見て貰う。それで解決しちまうわけで…。
こういう社会は、サイオン抜きでは無理なんだ。…人類に合わせて封印したなら、もう駄目だ。
だから、前のお前は間違っていない。サイオンは人間に必要な進化だったんだから。
「そっか…。サイオンのお蔭で、平和な時代になったんだよね…」
サイオンを封印してしまっていたら、今もミュウ同士で何処かで戦争だったかも…。
お互いの心が分からなかったら、本気の喧嘩がこじれてしまって、戦争になってしまうから…。
間違えていなかったんなら良かった、とホッとついた息。前の自分の考え方。
サイオンはあっても良かったんだ、と。
「…前のぼく、間違えちゃったのかと思ったよ…」
人類から見たら、ミュウはとっても怖そうだから…。そんな感じがしちゃったから。
とても怖いと思われてたのに、怖い力を振りかざしながら「仲良くしよう」って言う方が無理。
それに気付かないで過ごしてたなんて、間抜けだよね、って思っちゃったから…。
でも、間違えてはいなかったんだ…。サイオンが必要な進化だったら。
「当然だろうが、それでこそミュウだ。…ミュウはサイオンを持っていてこそなんだぞ」
そいつを封印しちまうだとか、無効化してまで人類に媚を売ってもなあ…。
何の解決にもなりやしないぞ、平和な時代は来やしない。…サイオン抜きの世界だなんて。
前のお前のことだとはいえ、否定しちゃいかん、自分をな。
間違えたように思えていたって、そいつが正しかったんだから。
「…自分を否定したら駄目って言うなら、ぼくの不器用さは?」
とっても不器用で、思念波もろくに使えなくって…。心はいつも読まれ放題。
ハーレイにも、友達にも、ぼくの考え、筒抜けになってしまうんだけど…。
脅かしてやろう、ってワクワクしてても、その前に気付かれちゃうんだけれど…。
「そいつも俺には愛おしいってな、守り甲斐があって」
もう本当に不器用だからなあ、危なっかしくて見ちゃいられない。
お前ときたら、其処の窓から落っこちたら骨が折れるんだろうし…。池に落ちたら溺れるし。
そうならないよう、俺が一生、お前を守るしかないってな。
前のお前なら、俺が守られる方だったんだが…。
お前を守る、と偉そうなことを言っていたって、シャングリラごとお前に守られていたからな。
前のお前みたいな無茶はするなよ、と釘を刺されたけれど。
鳶色の瞳に見据えられたけれど、ハーレイの心配はもう要らない。
平和な時代に命懸けの無茶はもう出来ないから、それに弱虫になってしまったから…。
今度は守って貰うだけ。
ハーレイに側で守って貰って、幸せに生きてゆけばいいだけ。
不器用すぎて心を読むことも出来ないけれども、読まれる一方なのだけれども。
人類と違って、ちゃんとミュウなのだし、何も怖がらなくてもいい。
周りが器用な人ばかりでも、心を読める人ばかりでも。
みんなが自分を気遣ってくれるし、必要だったら遊びのルールも変えてくれたりする世界。
其処に生まれてハーレイと二人、手を繋ぎ合って生きてゆく。
青い地球の上で、何処までも二人、幸せに微笑み交わしながら…。
読まれる心・了
※人類が何故、ミュウを恐れたのか、今になって理解したブルー。心を読まれる恐ろしさを。
そしてキースは、読まれる怖さを知ったからこそ、あの選択をしたのかも。考え抜いた末に。
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