シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
十四歳の小さなブルー。アルビノであることや前世の記憶を持っていることを除けば、見た目はごくごく普通の少年。整った顔立ちは人目を引くけれど、それでも特異な存在ではない。
しかし前世のブルーは違った。迫害されていたミュウたちの長として立ち、白いシャングリラを守っていた。最後の最期まで守り続けて、独りきりでメギドを沈めて死んだ。
今の小さなブルーからすれば恐ろしくもさえ思える前世。その始まりはアルタミラでの成人検査からであったし、それよりも前の記憶は無い。辛くもアルタミラを脱出した後も不遇の人生だった気がする。ささやかな幸せはあったけれども、毎日が船の中だった。
船から出る時は戦いか、仲間の救出ばかり。外の世界は人類のもので、ブルーには手の届かない世界。いつか行きたいと焦がれた地球にも辿り着けずに、ただ独りきりで宇宙に散った。
けれど……。
(…ハーレイが居たから幸せだったよ)
自分のベッドに仰向けに転がり、ブルーは前の生の自分を思い出す。
ソルジャー・ブルーと呼ばれていた頃のブルーを側で支えてくれたハーレイ。キャプテンだったハーレイはブルーの右腕であり、私生活ではブルーの恋人。二人の仲を誰にも明かせはしなかったけれど、心も身体も固く結ばれた恋人同士であったハーレイ。
(ハーレイが居てくれたから幸せだったし、幸せな記憶ってハーレイばかりだ…)
どんな幸せにも、必ずハーレイの姿があった。恋人同士で過ごす時間はもちろんのこと、日常の小さな幸せでさえもハーレイから貰っていたように思う。公園の花が咲きそうですよ、と誰よりも早く教えてくれたり、「試作品が出来たそうです」と勤務時間中にお菓子を届けてくれたり。
食堂の新しいメニューの試食はキャプテンの仕事の範疇だったが、ソルジャーは違う。ブルーを神のように崇めたクルーたちは完成品しか届けたいとは思わなかった。だから試作品は貰えない。アルタミラの地獄を、その後の物資不足の時代を生きたブルーは焦げていたって平気なのに。
(…ハーレイはそれも知ってたものね)
ブルーが「普通の仲間でありたい」と思っていたことを。失敗作のお菓子を皆と一緒に試食してみたり、その失敗を笑い合ったり。そうした人間味の溢れる時間が欲しかった。けれど、青の間にそういったものを持ち込もうとする者は誰もいなくて…。
(ハーレイだけが持って来てくれてたんだよ、試作品のお菓子)
流石に焦げてはいなかったけれど、改良の余地がありそうなお菓子。青の間に届けられる頃には完璧に仕上がっているだろうそれは、少し硬かったり、甘すぎたりして面白かった。
(お菓子は部屋でも食べられるから、余分に貰うって言ってたっけね…)
自分の部屋でも試食するから、と嘘をついてブルーの分を貰ってくれたハーレイ。料理の試食はその方法が使えないから、食べられたものはお菓子だけ。それでもブルーは嬉しかった。
日常の幸せから、非日常まで。何処にでもハーレイの姿があったし、いつもブルーに寄り添って幸せをそっと与えてくれた。
戦いから戻れば皆が労ってくれたけれども、キャプテンの貌をしたハーレイの言葉が心に優しく染み通った。無事に戻れたと、ハーレイの所に帰って来られたと幸せな気持ちが溢れて来た。
地球を抱く女神、フィシスを見付け出した時も、まずハーレイに相談した。フィシスの生まれが普通ではないことも、ハーレイにだけは素直に明かした。それでも連れて来たいと思う、と。
ミュウではないフィシスを船に迎える。反対されるだろうと考えたのに、ハーレイは否と答える代わりに「私は何も聞きませんでした」と笑みを浮かべた。地球の映像を抱く神秘の少女。彼女が抱く地球はシャングリラの皆を癒すだろうから、それで充分ではないか、と。
(…記憶を消せとまで言ったよね、君は)
うっかり秘密を漏らさないよう、自分の記憶を消してしまえとハーレイはブルーに進言した。
ブルーの我儘に過ぎない偽りに加担した上、それが偽りだと知られないよう、真実を知っている自分の記憶を消去しろとまで言ってくれたハーレイ。その優しさに涙が零れた。もちろん、記憶は消さなかった。そしてハーレイは何も言わずに、フィシスを船に迎え入れてくれた…。
(…君のお蔭で、ぼくはいつでも地球を見られた。あの地球はぼくの憧れだったよ…)
フィシスの記憶に刻まれていた地球。本物の地球だと信じていた。いつかあの青い地球まで辿り着くのだと自分を鼓舞した。挫けそうになる心を叱咤していた。いつか必ず青い地球へ、と。
それが叶わないと気付かされた時、ハーレイの胸に縋って泣いた。もう行けないと、自分の命は地球に着くまで持たないのだと。地球に行けないことも悲しかったけれど、それよりもずっと…。
(…君と別れるのが悲しかったよ。死んでしまうのが悲しかったよ…)
ハーレイは泣きじゃくるだけのブルーを抱き締め、いつまでも背中を撫でていてくれた。耳元で何度も繰り返してくれた。「私がいます」「大丈夫、私がお側にいますよ」と。
いつまでもお側にいますから、と告げられて心が温かくなった。離れ離れにならなくて済むと、ハーレイが側に居てくれるのだと。それはハーレイの死を意味したけれども、幸せだった。自分は独りで逝くのではないと、何処までもハーレイと共に在るのだと。
(…それなのに破らせちゃったね、約束…)
優しかったハーレイの手を振りほどいてメギドへと飛んでしまった自分。ハーレイに次の世代を託すと言い残したから、ハーレイはブルーを追えなかった。独りぼっちで長い時を生き、死の星と化した地球に着くまで生き続けねばならなかった。
(君はぼくに幸せを沢山くれたのに…。ぼくは君に幸せをあげるどころか、取り上げちゃった…)
辛かっただろうと想像がつく、残されてしまったハーレイの生。
前の生でハーレイは幸せだっただろうか? 自分は沢山の幸せをハーレイから貰ったけれども、そのハーレイは幸せな生を生きたのだろうか…。
とても心配になったから。前のハーレイは幸せだったか、とても心配になってきたから。訪ねて来てくれたハーレイに問い掛けてみた。自分の部屋でテーブルを挟んで、向かい合わせで。
「ねえ、ハーレイ。…キャプテン・ハーレイだった頃って、幸せだった?」
「なんだ、それは?」
ブルーの意図を掴みかねたハーレイが問い返してきた。
「幸せと言っても色々とあるが…。シャングリラという居場所があったのは幸せだったな。それがどうかしたか?」
「そうじゃなくって…。えーっと、それじゃハーレイが一番幸せだったことって、なに?」
「シャングリラでか?」
「んーと…。ハーレイの人生って言うのかな? 前に生きた中で一番幸せだったこと」
何だった? と尋ねると、ハーレイは少し考えてから。
「…お前に会えたことだな。そいつが一番幸せだったな、間違いない」
おまけに恋人同士になれた、と嬉しそうに微笑む。心の底から幸せそうな笑顔。ブルーの心配を吹き飛ばすのには充分すぎる笑みだったから、ブルーも釣られて笑顔になった。そしてハーレイに告白する。自分もそれが幸せだった、と。
「ぼくもだよ。ハーレイに会えて幸せだった。…フィシスを見付けて手に入れたことより、ずっとずっと幸せだったよ、君と一緒にいられたこと。もしも地球まで行けていたとしても、一番は君に会えたこと。…フィシスより、地球より、やっぱり君だよ」
「そうなのか? 地球よりも、とは光栄だな」
もっともそいつは、前の俺だが。
そう言って笑うハーレイは今も幸せそうだったから、ブルーは更に尋ねてみる。
「それじゃ今は? 今の一番の幸せって、なに?」
「もちろん、お前と出会えたことだな。…今のところは」
「えっ?」
ブルーは赤い瞳を見開いた。「今のところ」とは何だろう? 不安が膨れ上がりそうになるのをハーレイの言葉が一気に鎮めた。片方の目をパチンと瞑って、ハーレイがブルーに微笑みかける。
「まだ出会ったというだけだろう? 前の分にはまだまだ足りない。…こうして二人でお茶を飲むとか、飯を食うのが限界だからな。俺の幸せはまだ始まったばかりだ、ってことだ」
当分、結婚も出来そうにないしな。
前は結婚出来なかったから、その先にある幸せってヤツは未経験な分、楽しみなんだ。
そうだろう、ブルー?
お前もそいつは未経験だしな、うんと楽しみにしておけよ?
今度は二人で何をしようか、とハーレイが鳶色の瞳を細める。
前の生では出来なかったことが今の生では溢れすぎていて、一通り体験するまでだけでも相当に時間がかかりそうだ、と。
「ブルー、お前は何をやりたい? 前は出来なかったことが今では山ほどあるぞ」
「ハーレイと一緒なら何でもいいよ。何をやっても幸せになれるよ」
だからハーレイのやりたいことがいい。前はハーレイから沢山の幸せを貰ったから。それなのにぼくはお返しもせずに、ハーレイを置いて行っちゃったから…。
ごめん、とブルーは謝った。
ハーレイの気持ちを考えもせずに、ミュウの未来を押し付けて逝った。貰った沢山の幸せの分を返す代わりに、重荷だけを背負わせてしまってごめん、と。
「…ごめんね、ハーレイ…。ひょっとして罰が当たったのかな、ぼくの右の手…」
メギドで冷たく凍えた右の手。ハーレイの温もりを失くした右の手。
「…ぼくが勝手なことをしたから…。お返しどころか酷いことをしたから、神様が怒って取り上げちゃったのかもしれないね…。もうハーレイは要らないだろう、って」
「そんなことがあるわけないだろう。神様は全部ご存知だったさ」
あの時がどういう状況だったか。
どんな気持ちでお前が俺を置いて行ったか、何もかも知っていらっしゃったさ。だから…。
「神様は怒っていらっしゃらないし、俺にだって謝らなくていいんだ。…俺は充分に幸せだった。お前と一緒に生きていた間、俺は本当に幸せだったし、あれが一生分だったんだ」
一生分の幸せをお前から貰った、とハーレイは穏やかな笑顔で言った。
負い目に思う必要は無いと、自分は充分に幸せだった、と。
「…お前は沢山の幸せをくれた。お前を失くして、幸せも全部消えちまったと思ったもんだが…。それは違うな、一生分の幸せってヤツは残っていたな」
此処の中に、とハーレイの指が自分の左胸を指す。
「お前の夢を何度も見た。目を覚ます度に悲しかったが、夢の中では俺は幸せだったんだ。…俺の隣にお前が居た。幸せそうに笑うお前と過ごす間は幸せだったさ、そいつはお前がくれた記憶だ」
胸の中に仕舞った一生分の幸せの記憶。
それを支えに自分は生きた、とハーレイはブルーの瞳を見詰めた。
「もちろん悲しい夢だって見たさ。…お前が飛んで行っちまう夢だ。何度捕まえたか分からない。お前の身体を何度抱き締めても、お前はメギドへ行っちまうんだ。俺の腕なんかすり抜けてな」
そして泣きながら目を覚ますのだ、と悲しい夢の話もするハーレイだけれど。幸せな夢があった分だけ救われていた、と真摯に語る。一生分の幸せの記憶が自分を生かしてくれていたのだ、と。
「全部、お前がくれた記憶だ。お前と生きた幸せの分だ」
それがあったから生きていられた、とハーレイは胸に手を当てた。
「この中に全部残っていたから、独りきりになってしまった後でも夢の中で思い出せたんだ。俺の側に居たお前の姿を、幸せそうに笑うお前の顔を。…ちゃんとお前は俺にくれたさ、一生分な」
だから前の生の分は貸し借り無しだ、と鳶色の瞳が優しく輝く。
ブルーがハーレイに貰った分と同じだけの幸せを自分もブルーから貰っていた。もしかしたら、ブルーがいなくなった後に長く生きた分、自分の方が多めに貰っていたかもしれない、と。
「というわけでな、お前は俺に借りなんか無い。あるとしたら貸しだ、俺が余分に生きていた間の支えの分だけ、お前の貸しになるってことだ。…お前は心配しなくていいさ」
「でも、ハーレイ…。ぼくがいなくなった後、ハーレイは独りぼっちになっちゃったのに…」
「…まあな。お前の後を追おうと思ったことが無いと言ったら嘘になる。…それでもお前が遺した言葉を守らなければ、と歯を食いしばって地球まで行った。それが出来たのはお前のお蔭だ」
此処に幸せが在ったからだ、と自分の胸を軽くトントンと叩く。
「辛い記憶しか無かったとしたら、俺が耐えようと頑張ってみても途中で崩れてしまっていたさ。お前の言葉を守るどころか、確実に後を追ってたな。…夢の中に幸せなお前がいたから頑張れた。いつかお前の所に行こうと、そしてお前の笑顔を見ようと…」
何もかも途中で放り出して会いに行ったら、お前は笑顔で迎える代わりに怒るだろうしな。
違うか、ブルー?
「…怒らないとは思うけど……」
ハーレイが来てくれたならば嬉しい。どんな状況でも嬉しいと思う。
けれど、ハーレイが自分の命を自ら断って追って来たなら、複雑な気分ではあるだろう。幸せになれる筈の命を捨ててしまったかもしれないと。自分のせいでハーレイの未来を消してしまったと悔やんだだろう。生きてさえいれば、幸せはいつか訪れるのかもしれないのだから。
「怒らないけど、泣くかもしれない。…幸せになれたかもしれないのに、って」
「……お前が泣くのか?」
「うん。…ハーレイが生きていたら貰えた筈の幸せをぼくが消しちゃったかも、って」
「そうか…。お前、そう言ってくれるのか…」
ありがとう、とハーレイは唇に笑みを湛えた。
「お前の方がうんと辛かったのにな、独りぼっちで逝っちまったのに……。それなのに俺の心配をしてくれる上に、泣くとまで言ってくれるのか…。やっぱりお前に借りがあるかもしれないな」
俺が貰った幸せの量、と胸を指差す。前の生でブルーから自分が貰った幸せの方が、ハーレイがブルーに贈った分より多かったのかもしれないと…。
「なあ、ブルー。お前は俺に貸しがありそうだし、どうやらお前が優先らしいぞ」
今度の人生での幸せ作り、とハーレイはブルーに語り掛けた。
「お前から沢山貰いすぎた分、頑張って返していかんとな。…お前は何をしてみたい?」
「ハーレイと一緒なら何でもいいよ、って、さっきも言ったよ」
前の生では出来なかったこと。
シャングリラの中では出来なかったことも、誰もが認める恋人同士でないと出来なかったことも沢山ありすぎて選べない。普通の人生なら当たり前のことが出来ない世界に居た自分たち。今度は何でも出来るからこそ、当たり前のことでも幸せになれる。
たとえばハーレイと手を繋いで二人で歩くこと。
歩いて行く先は公園でもいいし、買い物にだって二人で行ける。公園はシャングリラにもあったけれども、手を繋いでは行けなかった。買い物はシャングリラでは出来なかった。
そんな「今では当たり前」のことで幸せになれる自分たち。
今度の生では前よりもずっと沢山の幸せをハーレイから貰って、ハーレイに贈って、どれほどの幸せが訪れるだろう。前の生での一生分をあっという間に超えてしまって、それでもきっと増えてゆく。溢れ出してもまだ増え続けて、それこそ想像もつかない量の幸せがきっと降って来る。
「ねえ、ハーレイ。…ぼくたち、まだまだこれからだよね?」
幸せ作り、とブルーが問うと「当たり前だ」と答えが返った。
「結婚さえもしていないんだぞ、これからどころかスタート地点に立ってもいないさ。…いいか、お前は前よりも幸せになれるんだ。まだ俺たちは出会ったばかりで、これからだしな」
「うん。…ハーレイと一緒に何処へだって行くよ、そして今度は離れないよ」
約束するよ、とブルーは微笑む。
決してハーレイを独りにしないと、二度と独りぼっちにさせはしないと。
「俺も同じだ。今度こそお前を行かせはしないさ」
独りで行くなら買い物くらいにしておいてくれ、とハーレイが笑う。でなければ家の近くを歩く程度で、出来ればそれも同行したい、と。
「ぼくも一緒に行きたいよ、それ。散歩と買い物!」
「ははっ、一つは決まったな。いや、二つか…。一緒に散歩と買い物だな、うん」
そうやって幸せを作っていこう、とハーレイはブルーに微笑みかけた。
幸せを貰って、自分も贈って。
そのために自分たちは生まれ変わって、この青い地球で再び出会った。
今度こそ幸せに生きてゆくために。
お互いの手を固く握って、何処までも二人、幸せを贈り合いながら生きてゆくために…。
貰った幸せ・了
※前のハーレイから沢山の幸せを貰ったブルー。なのに、お返しが出来なかったみたいです。
今度は幸せをハーレイに贈って、自分も貰って、幸せに生きていける未来が待ってます。
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