シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(うーん…)
腕輪が一杯、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
カラーで刷られている写真。民族衣装だろう服を纏った、女性の腕にビッシリと腕輪。手首から肘までの半分くらいは、隙間なく腕輪が覆っている。幅はそれほど無いものが。しかも両腕。
(この腕輪、うんと小さいよ?)
いったいどうやって嵌めたのだろう、と不思議になるほど小さな腕輪。一番細い手首の腕輪も、腕にピッタリ貼り付くよう。そこから少しずつ大きくなるのか、肘に一番近い腕輪も…。
(隙間、全然無さそうだけど…)
腕と腕輪の間の隙間。何処から見たって無さそうな余裕。きっと揺れさえしないのだろう。腕の持ち主が腕を振っても、この腕輪たちは。
まるで一個ずつ腕に合わせてカチリと嵌めては、サイズを調節したような腕輪。手首から順に、上へ向かって少しずつ大きくなってゆくように。腕を半分、覆い尽くすように。
こんな腕輪は見たことがない、と興味津々で記事を読み始めたら…。
(三ヶ月間も付けっぱなし!?)
そう書かれていた、腕輪の正体。花嫁の腕輪。
遠い昔のインドという国、其処の習慣を復活させたのが両腕の腕輪。花嫁のための。民族衣装も昔のインドのものだった。一枚の布を巻き付けて着るらしい、サリーという服。
(お嫁さんの腕輪…)
結婚式の前に、専門の人が嵌めてゆく腕輪。「あなたの腕には、このサイズです」と。
プロが選んで嵌めるのだから、とんでもなく直径が小さな腕輪も、こういう風にピタリと合う。手首に貼り付くようなサイズでも、手にくぐらせてギュウッと嵌めて。
そうやって嵌めた沢山の腕輪は、花嫁のためのものだから…。
今の時代は、結婚式の日に嵌めたらおしまい。外してしまっても叱られない。花嫁を彩る飾りの一つで、サリーと一緒に身につけるもの。
結婚式が済んだら旅行に出掛けるカップルも多いし、普通の服に沢山の腕輪は似合わないから。昔の民族衣装だからこそ、腕にビッシリ嵌めるのが腕輪。花嫁なんです、と。
(でも、昔だと…)
人間が地球しか知らなかった時代は、花嫁の腕輪は嵌めっ放しにしておくもの。三ヶ月だとか、二ヶ月だとか。
花嫁の幸福を祈る腕輪だから、最低でも一ヶ月は嵌めていたという。両方の腕にビッシリと。
それでは邪魔になりそうだけれど、その代わり、家事はしなくてもいい。水仕事などは、絶対に駄目。腕輪の模様が剥げてしまって、「家事をした」ことが分かるから。
もしも花嫁に家事をさせたら、その家の人たちが陰口を言われる。「あそこの家の人は…」と、ヒソヒソと。「花嫁に家事をさせるらしい」と、「とんでもない」と。
酷い家族だ、と悪い評判が立つほど、大切にされたらしい花嫁。
三ヶ月だとか、一ヶ月だとか、花嫁の腕輪を嵌めている内は。家事はしないで、幸せな日々。
腕に沢山の腕輪を嵌めて、綺麗な民族衣装を着て。
(レディーファースト…)
女性が優先、きっとそういう素晴らしい国だったのだろう。
花嫁には家事をさせないくらいに、女性が大切にされていた国、と。
インドはそういう国だったんだね、と感心しながら読み進めたら、間違いだった。人間が宇宙で暮らし始めるよりも、ずっと昔のインドという国。
其処では、女性は大切にして貰えるどころか、モノ扱い。花嫁だって同じこと。腕輪をビッシリ嵌めて貰ってお嫁に行っても…。
(殺されちゃうことがあったわけ!?)
持参金の額が少ないから、と。「もっと持参金をくれる花嫁がいい」と。
腕輪を嵌めている時期が済んだら、台所で火を点けられた。綺麗なサリーは風にフワリと揺れて動くから、料理の途中で火が点いた事故に見せかけて。
(それって、酷い…)
花嫁の腕輪が外れた途端に邪魔者扱い、新しい花嫁を貰えるようにと殺されるなんて。
今はそういう酷いことはなくて、遠い遠い昔にあった出来事。
けれど写真の花嫁衣装は、昔のものとそっくり同じ。腕輪の他にも飾りが沢山、ジャラジャラと音がしそうなくらいに大きくて華やかなネックレスだとか、耳飾りだとか、髪飾りとか。
本当に綺麗な花嫁だけれど、お姫様のように飾り立てられているけれど…。
(嬉しくないよね?)
今ではなくて、昔の花嫁。
SD体制が始まるよりも前の時代に女性蔑視は消えたとはいえ、長く続いていたという。女性を物のように扱い、要らなくなったら殺したくらいに酷かったインド。
そんな所で腕輪をビッシリ嵌めて貰っても、家事をしなくていい腕輪でも…。
嬉しくないよ、と頭を振った。結婚して直ぐに家事をさせられてもいいから、自由な方が、と。一人の人間として認めて貰って、喧嘩しながらでも家族の一員。
(絶対、そっちの方がいい…)
モノ扱いだなんて、前の自分の人生のよう。アルタミラで檻にいた頃の。
もっとも、それは昔の話。アルタミラも、女性がモノ扱いされた時代のインドも。
今の時代にインドを名乗っている地域。其処では、花嫁の腕輪などだけが復活している。とても華やかに見えるから。花嫁の姿を引き立てるから。
(花嫁の腕輪を壊しちゃうと…)
不幸になる、という言い伝えもあるらしい。これも昔のインドから。
花嫁の腕輪にも色々とあって、素材もデザインも、実に様々。中にはガラスの腕輪だってある。キラキラ光って綺麗だけれども、ガラスで出来た腕輪だから…。
結婚式の前の日に嵌めて貰って、結婚式に出るまでの間。気を付けていないと壊れてしまう。
だから腕輪を壊さないよう、気を付けて暮らすらしい花嫁。昔みたいに、何もしないで。
(こういう話は面白いけどね?)
今の時代だから、楽しく読めるインドの花嫁の記事。
腕輪をビッシリ嵌めた女性たちも、幸せに生きている時代だから。みんな幸せな花嫁だから。
いろんな花嫁衣装があるんだ、と新聞を閉じて帰った部屋。花嫁専用の腕輪なんて、と。専門の人が嵌めに来るほど、大切らしい花嫁の腕輪。とても嵌まりそうにないサイズのも嵌めて。
(お嫁さんの腕輪…)
ぼくは結婚式ではつけない、と眺めた両腕。服の袖を捲って、細っこい腕まで確かめてみて。
キュッと握ってみた手首。こんな所にピッタリくっつくサイズの腕輪を、どう嵌めるの、と。
(…専門の人って、凄いよね…)
腕に合うサイズの腕輪を見付けて、きちんと通してしまうのだから。手首よりも大きい筈の手をくぐらせて、花嫁の腕輪を腕にビッシリ、隙間なく。手首から肘までの半分くらいを覆うほど。
(ぼくは嵌めないから、分かんないや…)
花嫁の腕輪を嵌める人の凄さ。どうやって嵌めてゆくのかも。
ウェディングドレスを選んだとしても、白無垢の方でも、花嫁の腕輪の出番は来ない。インドの花嫁衣装ではないし、どちらにも無い腕輪の習慣。花嫁は腕輪を嵌めたりしない。
(ビッシリどころか、一個も無いよね…)
花嫁のための腕輪というもの。頭に着けるティアラはあっても、ベールや綿帽子が存在しても。
結婚式の時しか出番が無いのはそれくらい。腕輪を嵌めても、ドレスに合わせたアクセサリー。
それを嵌めたら幸せになるとか、壊してしまったら不幸になるとか、言いはしないから。
結婚式では嵌めない腕輪。普段も腕輪を嵌めたりしないし、嵌めてみたいとも思わない。きっと腕輪は一生縁が無いんだから、と思った所で掠めた記憶。
(フィシス…!)
前の自分が攫った少女。マザー・システムが無から創った生命体。
青い地球を抱く彼女が欲しくて、与えたサイオン。ミュウだと偽り、船の仲間たちを騙そうと。
本当のことを知っていたのはハーレイだけ。他の仲間はミュウだと信じた。
青い地球を抱いた、神秘の女神。フィシスはミュウの女神なのだと。
(フィシスは、いつも特別扱い…)
纏う衣装も、住むための部屋も。何もかもが皆と違っていた。他の大勢の女性たちとは。
立ち働くには不向きだったフィシスの長い髪と、それから優雅なドレス。
そのドレスから覗く白い手、あの白い腕に腕輪を嵌めた。前の自分が。…そういう記憶。
(いつだったの…?)
金色に光る腕輪を嵌めた日。フィシスの腕には幾つも腕輪。自分が嵌めた腕輪の他にも。
まさか結婚式でもなかったろうに、と首を捻った。
フィシスは結婚してはいないし、花嫁の腕輪の習慣だって無かった筈。結婚指輪さえも無かった白い船なのだから。結婚の証の指輪も無いのに、花嫁の腕輪があるわけがない。
でも…。
(なんで腕輪を嵌めたわけ?)
前の自分が嵌めてやった腕輪。何故、そうしたのか分からない。覚えていない。
それに、フィシスの腕にあった腕輪。白い腕に幾つも嵌まった腕輪は、何だったろう…?
遠い記憶を手繰るけれども、腕輪はフィシスしか嵌めていなかった。他の女性たちは誰も、長老だったエラとブラウでさえも嵌めてはいない。
そうは言っても、子供時代のフィシスは嵌めていなかった腕輪。大きく育って、踝が隠れる長いドレスを着るようになってからのもの。
(ピアスだったら、エラたちだってつけてたし…)
きっと似合うよ、と前の自分も勧めたピアス。
耳たぶに穴を開けることをフィシスは怖がったけれど、メディカル・ルームに付き添ってまで。
ピアスは飾りで、フィシスのネックレスは服飾部門のデザイナーの趣味。
「このドレスには、これが映えますから」とデザイン画を見せて貰ったから…。
(腕輪もそうかな?)
ドレスに似合う、と作られたもの。ネックレスに見劣りしないようにと、数を沢山。
そうなのかな、と考えたけれど、それにしては捻りが全く無かった。凝った細工などは無くて、ただの金色。ブラウのピアスを腕輪のサイズにしたような感じ。
デザインに凝るなら、ネックレスに合わせて幾らでも加工出来ただろうに。透かし彫りだとか、細かい模様を刻み込むとか。
けれど、そうではなかった腕輪。ただの金色の輪だった腕輪。
(…数が多いことに意味があったかな?)
シンプルなデザインでも、幾つもつければ目立つから。
凝った腕輪を一つ嵌めるより、細い腕輪を幾つも重ねて。そうすれば触れ合って音がするから。
フィシスが腕を動かす度に、シャランと綺麗な音がしたから。
どうだったかな、と探ってゆく記憶。フィシスだけが腕輪を嵌めていた理由。ドレスに合わせたデザインだったか、それとも他に何かあったか。
あのドレスだよ、と何度もフィシスの姿を思い描いている内に…。
(最初は無かった…?)
そんな気がしてきたフィシスの腕輪。ネックレスとピアスはあったけれども、白い腕に嵌まっていなかった腕輪。右手にも、それに左手にも。
一個だった頃もあったような、という気がしないでもない。フィシスの腕輪は、いつもあったと思っていたのに。
(…なんだか変だ…)
記憶違いではなさそうだった。一度「無かった」と気付いてしまえば、そういうフィシスの姿が幾つも。白い腕に一つも無かった腕輪。一個だけ嵌めていた時だって。
ますます謎だ、と考え込んでいたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれて、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合わせ。二人きりでゆっくり話せる時間。
これは訊かねば、と早速、問いを投げ掛けた。
「あのね、ハーレイ…。フィシスの腕輪、覚えてる?」
金色のヤツだよ、両手に腕輪を嵌めていたでしょ?
「腕輪か…。幾つもつけていたっけなあ…」
フィシスは手袋をはめてないから、あの腕輪が良く似合ってたよな。
「あれって、誰が言い出したの?」
誰がフィシスにつけさせたのかな、腕輪…。腕輪をしてたの、フィシスだけでしょ?
「そういや、そうだが…」
はて…?
フィシスの腕輪を思い付いたの、誰だったんだ…?
ハーレイも覚えていなかった。フィシスに腕輪をつけさせた人を。「まるで分からん」と。
「服飾部門のヤツらじゃないのか、デザイナーとか」
フィシスのドレスをデザインしたヤツとか、作るのを手伝ったヤツだとか。
その辺りだと思うんだがなあ、ネックレスだってフィシスだけだぞ。腕輪だけじゃなくて。
「でも、あの腕輪…。つけていなかった時期があるんだよ」
覚えてないかな、腕輪無しのフィシス。…ネックレスとピアスはつけていたのに。
「言われてみれば…。俺も見たような気がするな」
お前ほど頻繁に会っちゃいないが、俺もフィシスには何度も会っていた方だし…。
なにしろミュウの女神なんだぞ、キャプテンとしては礼を欠いてはいけないってな。
「ね、腕輪が無かった頃があるでしょ?」
ハーレイも覚えているんだったら、間違いないよ。ぼく一人だと、ちょっと心配だけど…。
腕輪、一個だけの時もあったよ。…確か、左手だったと思う。
「あったっけな…。そういう時期も」
左手だったか、ちょっと記憶が怪しいが…。一つだけだったという記憶はある。
「良かった…。それとね、フィシスの腕輪なんだけど…」
ぼくが嵌めてた記憶があって…。フィシスの腕に、あの腕輪を。
どうしてなのかな、結婚式でもないのにね。
「なんだそりゃ?」
結婚式って、いったい何処から出て来たんだ?
そりゃあ、指輪の交換はあるが、あれはあくまで指輪だぞ?
腕輪を嵌めるって話は聞かんが、どうして腕輪でそうなるんだ…?
左手だからか、と首を傾げたハーレイ。結婚指輪は左手だしな、と見当違いなことを言うから、結婚式の腕輪の話をした。「こんなのだよ」と、新聞で読んだばかりのインドの花嫁の話を。
「ホントに沢山つけてるんだけど、その腕輪、花嫁専用だから…」
結婚式の前に壊すと不幸になっちゃうんだって。
だったら頑丈な腕輪にすればいいのに、ガラスの腕輪もあるんだよ。強化ガラスじゃなくって、普通のガラス。…ぶつけたらガシャンと壊れちゃうヤツ。
そういう腕輪も作ってるなんて、面白いよね。
運試しなのかな、花嫁さんの。…壊れやすい腕輪を壊さずにいたら、うんと幸せ、って。
「ほほう…。そうかもしれないな。頑丈な腕輪を嵌めているより、楽しいかもな」
この幸せを壊さないよう、気を付けようって心構えも出来るわけだし…。
結婚して直ぐに夫婦喧嘩になっちゃいかんと、我儘なんかも押さえつけてみたり。
ガラスの腕輪も良さそうだよなあ、そういう意味では。
花嫁の腕輪か、面白い習慣もあるもんだ。やっぱり世界は広いな、うん。
…いや、待てよ…?
ちょっと待て、とハーレイは腕組みをして考え込んだ。少し深くなった眉間の皺。
その花嫁の腕輪が引っ掛かる、と。
インドの花嫁は知らないけれども、花嫁の腕輪を何処かで聞いたような気が…、と。
遠い記憶を追っているのか、ハーレイが何度も「花嫁の腕輪か…」と呟くから。
「あれだったの?」
フィシスの腕輪は花嫁さんのための腕輪で、やっぱり結婚式だった…?
前のぼく、それで嵌めてたのかな、花嫁さんの腕輪は専門の人が嵌めるらしいから…。
こんな腕輪をどうやって嵌めるの、って不思議なくらいに小さなヤツでも。
前のぼくならサイオンを上手に使えたんだし、そういうのが凄く得意そうだよ。ほんの少しだけサイオンを使って、どんな腕輪でも腕にピタリと嵌めちゃうだとか。
「おいおい、フィシスは結婚なんかはしてないだろうが」
花嫁の腕輪をつけるわけがないぞ、いいから少し待ってくれ。
フィシスがつけてた腕輪だろ…。
でもって、花嫁の腕輪なんだが、フィシスは結婚していないわけで…。
そうだ、ヒルマンだ、あいつが考え出したんだ…!
「えっ、ヒルマンって…?」
考え出したって、フィシス、やっぱり花嫁さんなの…?
「さっきも違うと言った筈だぞ。フィシスが誰と結婚するんだ、まったく、お前は…」
フィシスの託宣、そいつは覚えているだろう?
よく当たるタロット占いで…。子供時代は、それでもお遊び程度ってトコだ。子供だけに。
しかし大きくなった後には、船の進路まで占うようになってだな…。
そっちじゃない、と言いに来るんだ、アルフレートと一緒にな。そっちは駄目だ、と。
「あったっけね…。そういうことも」
フィシスが言う通りに進路を変えたら、思ってたより楽に航行出来たんだっけ。
本当だったらハーレイが舵を握らなくっちゃいけない所を、シドとかが舵を握ったままで。
タロットカードで占ったフィシス。船の進路をどうするべきかを。
それが悉く当たり始めたら、次はミュウの子供たちの救出について占い始めた。救助に出てゆく小型艇を何処に配置すればいいか、どのタイミングで出るのかなどを。
「そいつをフィシスが占うようになってからはだな…」
前だったら助け損なっていただろう子供も、上手い具合に助け出せたんだ。
此処に船を、と言われる通りに進めたならな。
「フィシス、占ってくれたんだっけね…」
とても上手に、こうやって、こう、って。
ホントに当たる占いだったし、前のぼくが助けに飛び出すことは無くなって…。
救助班だけでも出来るようになったし、助け損なうことだって減って…。
「そういうことだな」
フィシスは何度も上手くやってだ、無事に成功した礼をしたいとお前が言って…。
それで腕輪が出来たんだ。フィシスへの礼に。
「思い出した…!」
御礼をしたい、ってフィシスに何度も言ったけれども、フィシス、なんにも要らないって…。
ぼくと二人でお茶が飲めたら、それだけで、って…。
だけど、お茶ならいつでも飲めるし、何処も特別じゃないんだもんね…。
フィシスの占いが当たった時。占いのお蔭で、ミュウの子供を見事に助け出せた時。
命を救えた特別な時には、どうしても御礼がしたかった。お茶だけではなくて。
それにシャングリラの仲間たちにも、フィシスは凄いと知らせて回りたい気持ちもあった。皆は当然知っているけれど、今よりも、もっと。ミュウの女神の名に相応しく。
何かいい案は無いだろうか、とヒルマンに相談してみたら…。
「考えてみよう」とヒルマンが引っ張った髭。「少し時間を貰えるかね?」と。
それから数日、長老たちが集まる会議で出された意見。
「ソルジャー、フィシス殿の件なのだがね…」
腕輪というのはどうだろうかと…。
幸い、シャングリラには腕輪をつけた女性は一人もいないし…。
「腕輪だって?」
その腕輪には、何か特別な意味でもあるのかい?
アクセサリーしか思い付かないけれども、腕輪は特別なものなのかな?
「ずっと昔に、地球のインドにあったそうだよ」
結婚式の時に、花嫁がつける腕輪というのがね。花嫁の幸運を祈る腕輪だ。
それも一つや二つではなくて、手首から肘まで覆うくらいにビッシリと。
腕にピッタリのサイズを選んで、専門の人間がつけたらしいよ。結婚式の前の日にね。
花嫁の腕輪をつけて貰ったら、一ヶ月から三ヶ月くらいは外さない。家事も一切しなかった。
腕輪を沢山つけたままでは、家事をするのは難しいからね。
フィシスは家事などしないわけだし、腕輪をつけたままでいられるのだから…。
嵌めた腕輪はそのままで。そういうことでどうだろうか、というのがヒルマンの案。
占いのお蔭でミュウの子供を救出できたら、腕輪を一つ。
「フィシスがいなければ救えなかった、という子供が来る度、腕輪が一つ増えるのだよ」
ミュウが追われる時代が終われば、腕輪も増えなくなるだろうから…。
フィシスの腕に沢山の腕輪は、出来れば勘弁して欲しいがね。
その腕輪をだ、皆の前でソルジャーが嵌めてみせれば映えるだろうと思うわけだよ。
ソルジャー自ら、フィシス殿の腕に腕輪を一つ。
「そうだね、それは素敵な思い付きだよ。いいと思うよ」
フィシスが助けた子供の数だけ、フィシスに腕輪。とても特別で、とても素敵だ。
でも、子供たちの命が危険に晒された証の品でもあるし…。
凝った腕輪じゃない方がいいね、ただの腕輪がいいんだろうね。色はやっぱり、金色かな。
それを作らせてくれるかい、と前の自分は飛び付いた。
ソルジャーが腕輪を嵌める儀式はきっと映えるし、腕輪が増えればフィシスも尊敬される筈。
長老たちも皆、賛成したから、腕輪を作ることに決まった。シンプルなものを。
(…服飾部門のデザイナーたちの話も聞いて…)
元になったインドの花嫁用の腕輪とは違って、ゆったりした腕輪。
勝手に腕から抜けない程度で、けれど余裕のあるサイズ。数が増えても困らないよう、幅は細く作って、触れ合った時に涼やかな音が鳴るように。
そうやって出来たフィシスの腕輪。ミュウの女神だけが身につける腕輪。
次にミュウの子供を救出した時、天体の間で最初の一個を嵌めた。船の仲間たちが見守る中で、前の自分が跪いて。
「ありがとう」と御礼の言葉をフィシスに告げて、左の手に。
ヒルマンたちが「最初に嵌めるのは左手がいい」と言ったから。心臓に近いのは左手なのだし、結婚指輪が左手の薬指なのも、そのせいだから、と。
それまで腕輪が無かった白い腕に一つ、金色の腕輪。何の飾りも無いものが。
難しい救出を一つこなす度に、一個、二個と腕輪は増えていって…。
「フィシスはお前の女神なんだ、っていうイメージもだな…」
どんどん強くなってったってな、腕輪が一つ増える度にな。
「うん…。ぼくがフィシスに跪くから…」
ソルジャーが跪くなんてこと、フィシス以外には一度も無かったから。
お蔭で本当の恋人がハーレイだったことは、誰にもバレずに済んだんだけど…。
あの腕輪、最後はいつだったっけ?
いつ嵌めたのかな、フィシスの一番最後の腕輪は…?
「最後のか…?」
お前、嵌め損なったんだ。最後の腕輪はあったんだが。
「え…?」
嵌め損なったって、どういうことなの?
「腕輪はあったと言っただろうが。…あったが、そいつを嵌められなかった」
ジョミーの時に用意をさせていたんだ。腕輪を作っておいてくれ、とな。
「あっ…!」
ホントだ、腕輪、作らせたんだっけ…。
ジョミーは絶対に救い出さなきゃいけなかったし、失敗なんかは有り得ないものね。
次のソルジャーになるジョミーの救出。難航すると分かっていたから、用意させた腕輪。きっとフィシスの手伝いが要ると、今までに助けた子供たち以上の正確さで、と。
何処でジョミーを救い出すべきか、誰を派遣して、どう助け出すか。
フィシスの占いは当たったけれども、自分は力を使いすぎた。テラズ・ナンバー・ファイブとの戦い、それで消耗した体力と気力。
腕輪を嵌める儀式は当分出来そうになくて、ベッドに横たわっているしかなかった。
「お前がベッドから起き上がれない内に、ジョミーは船から出て行っちまって…」
ジョミーを思念で追い掛けるのが、前のお前の精一杯で。
なのに、お前も飛び出しちまった。…ジョミーを追えるの、お前以外にいなかったからな。
「…ごめんね、ハーレイにも止められたのに…」
一人で行っちゃって、本当にごめん。
ぼくは力を使い果たしちゃって、成層圏から落っこちちゃって…。
後はジョミーが針の筵で、ぼくもフラフラだったから…。ベッドで寝ているしか無かったから。
腕輪のこと、すっかり忘れちゃってた…。
フィシスは頑張ってくれたのに。…誰よりも凄い未来のソルジャーを、占いで助け出したのに。
「周りのヤツらも言えないからなあ、お前、本当に弱っていたし…」
腕輪を嵌める儀式はいつにしますか、と訊けやしないし、勝手に予定も組めないし。
うっかり予定を組んじまったら、余計にジョミーの立場がマズイ。
無事にお前が起きられりゃいいが、起きられなくって儀式が流れてしまったら…。
腕輪を嵌める所を見よう、と集まっていたヤツらが怒り出すんだ。ジョミーのせいだと。
「…誰も言わないから、ホントに忘れてしまってた…。腕輪のこと…」
どうしよう、フィシスに渡し損ねちゃった。あの腕輪、最後の腕輪だったのに…。
本当だったら嵌めてあげる筈で、フィシスの腕輪は、もう一個増える筈だったのに…。
「一個、足りないままになったな…」
腕輪は作ってあったのに。…服飾部門のヤツらが何処かに仕舞って、それっきりだな…。
増える筈だったフィシスの腕輪。ジョミーの救出に成功した時の、輝かしい功績を称える腕輪。
それは確かに作られたのに、前の自分が作らせたのに。
きっとフィシスは知っていただろうに、彼女からは言い出せなかっただろう。嵌めて欲しいと。
腕輪を嵌める儀式は無くても、それを自分の腕に欲しいと。
フィシスは前の自分を慕っていたから、本当にそれが欲しかった筈。最後の腕輪が。前の自分の思い出の品が。
「悪いことしちゃった…。フィシス、腕輪がとても欲しかった筈なのに…」
嵌めてあげるチャンスはあったのに…。ぼくがナスカで目覚めた時に。
あの時だったら、フィシスと二人。…誰もいなくても、腕輪は嵌めてあげられたのに。
「お前、腕輪を覚えてたのか?」
覚えていたのに、置いてある場所が分からなかったとか、そういうことか?
「ううん…。今のぼくと同じで忘れていたよ」
それに、フィシスは怯えていたから…。ナスカで不吉なことが起こる、って。
大丈夫だよ、って死神のカードを燃やしちゃったけど、そうするよりも腕輪だったかな…。
もっとずっと前に、眠ってしまう前に、あの腕輪。
ちゃんと腕輪を思い出していて、「ほら」ってフィシスの腕に嵌めてあげて。
最後の腕輪を嵌めていたなら、色々なことを防げたのかな…。
深い眠りに就いていたって、フィシスを守ってあげられたかな…。ああなる前に。
「さあな?」
そいつは俺にも全く分からん。
俺に未来は読めはしないし、どう動いたら未来を変えてゆけるのか、そいつも分からん。
それに、お前がフィシスに最後の腕輪を嵌めてやっていたとしたって、だ…。
どのみちキースは来ただろうし、とハーレイが言う通りだけれど。
ナスカにやって来ることは変わらないけれど、もしもフィシスの腕に腕輪を増やしていたなら、あの時、フィシスは、閉じ込められていたキースには…。
「…フィシス、近付かなかったかも…。キースの部屋には…」
ぼくが嵌めた腕輪が目に入るんだから、用心して。…気になるけれども、行っちゃ駄目、って。
だって最後の腕輪なんだよ、ぼくが最後にあげたんだよ?
十五年間も眠るくらいに疲れていたのに、フィシスのために、って頑張って、腕輪。
それがあったら、きっとフィシスも…。
ぼくが起きていたらどう言うだろう、って考えるだろうから、きっと行かない…。
フィシスがあそこに行かなかったら、キースは脱出できなかったかも…。
「そりゃまあ…。逃げる道筋が分からなけりゃな」
逃げたつもりでブリッジにでも突っ込んで来たら、それで終わりだ。いくらあいつでも。
しかしだ、あれだけ沢山の腕輪を嵌めてりゃ、一個くらいでは…。
いくら最後の腕輪にしたって、沢山の内の一個なんだし…。
あっても無くても同じだったさ、と慰められた。
たとえ最後の腕輪を嵌めていたって、同じ生まれのキースに惹かれる方が大きい、と。
「…そうなのかな?」
ホントにそうかな、フィシス、やっぱり行っちゃったかな…?
最後の腕輪を嵌めていたって、キースの所に。…同じ記憶を持っている人が気になって。
「そう思わないと、お前、辛いだろうが」
自分のせいだ、と今頃になってまで、クヨクヨ考え込んでしまって。
腕輪の一個くらいがなんだ、と考えた方がマシってもんだ。フィシスは沢山つけていたんだし、最後の一個が増えていようが、欠けていようが、大して違いは無いってな。
それにだ、フィシスは嵌めたんじゃないか、最後の一個。
俺はそういう気がするんだがな、あの腕輪はちゃんとフィシスが嵌めた、と。
「…なんで?」
腕輪、そのままになっちゃったんでしょ、前のハーレイだって知らないんでしょ?
何処にあったか、誰が仕舞っておいたのかも。
そんなの、フィシスは見付け出せないよ。…占ってまではいないだろうから、腕輪の在り処。
「占いが全てだと思うなよ?」
宝探しと探検ってヤツは、子供の大好きな遊びだろうが。…お前はともかく、元気な子なら。
前の俺たちは、カナリヤの子たちをシャングリラに送ってやったんだ。あの船で生きろ、と。
その子供たちの世話をしてたの、フィシスだろうが。
カナリヤの子たちが船に馴染めば、宝探しを始めるぞ。船のあちこちの探検だって。
そうやって船中を走り回って、いろんな所を覗き込んだり、開けたりしてて…。
フィシスの腕輪とそっくりなヤツを発見したなら、どうすると思う?
早速、届けに走るだろうが。
「行方不明になってた腕輪を一つ見付けた」と、大急ぎでな。
「ホントだ、そうかもしれないね…!」
きっと見付けるよね、カナリヤの子たち。
仕舞い込まれてた腕輪があったら、フィシスに届けに走って行くよね、「見付けたよ」って…!
全てが終わった後だったならば、カナリヤの子たちが最後の腕輪を見付けたならば。
フィシスも自分で嵌めたかもしれない、嵌めてくれる人はもういなくても。
天体の間でいつも行われていた、厳粛な式はもう無い時代でも。
あの船で生きた、前の自分やジョミーや、ハーレイたち。いなくなった皆の思い出に。
フィシスを船に送り届けたハーレイたちから頼まれた通り、皆を覚えているように。
これが最後の腕輪なのだ、と腕に通して。
きっと左手に通したのだろう、最初の腕輪を貰った手に。
「…ハーレイ、その記録、残ってる?」
フィシスが腕輪を嵌めたかどうかの記録は無くても、腕輪の数。
シャングリラが地球を離れた後には、フィシスの腕輪、幾つあったのか…。
それが分かれば、きっと分かるよ。
腕輪が一個増えていたなら、最後の腕輪を嵌めたんだ、って。
「…残念ながら、無いだろうなあ…」
フィシスの腕輪の数までは分からないだろう。
形見の腕輪も残っちゃいないし、今となっては調べようがない。
フィシスが最後の腕輪を嵌めたか、嵌めないままで終わっちまったのかは、謎ってトコだな。
確かめようがないってことだ、とハーレイがフウとついた溜息。
「だから、お前もクヨクヨするな」と。
過ぎてしまった過去に戻れはしないし、腕輪のことで悩むんじゃない、と。
けれど、シャングリラを離れた後にも、フィシスの腕に、最後まで腕輪はあったそうだから。
幼稚園の子たちと普段着を着て遊ぶ時にも、腕輪はあったらしいから。
きっとフィシスは、最後の腕輪を嵌めていたのだと思いたい。
カナリヤの子たちが探し出して来て、自分で嵌めて。
白いシャングリラで生きた皆の思い出に、心臓に近い左の腕に、金色の腕輪を一個増やして…。
フィシスの腕輪・了
※フィシスだけが嵌めていた腕輪。それには意味があったのです。ミュウの子供を助けた証。
もう1つ増える筈だったのが、ジョミーを救出した時の分。最後の腕輪は増えたでしょうか。
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