シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(なんだ、こりゃ!?)
どうなってるんだ、とハーレイが仰天した光景。ブルーの家には寄れなかった日、仕事の帰りに入ったパン屋。家から近くて、パンを買うなら其処なのだけれど…。
花屋と間違えたのかと思った。足を踏み入れたら、辺り一面、花だったから。
お馴染みの薔薇やら、カーネーションやら、ありとあらゆる種類の花たち。色もとりどり、その香りだって。
(…花だよな?)
様々なパンが積み上げられた、パン売り場。陳列棚も、パン籠を並べたテーブルの上も、沢山の花が彩っている。所狭しと、誇らしげに咲く幾つもの花。
パンが積まれたトレイとトレイの間から咲いて、陳列棚の柱にも。パン籠が置かれたテーブルの隙間も、花たちが埋めている有様。もちろん床にも、花屋よろしく花瓶がドッサリ。
(…あっちも凄いぞ…)
レジを挟んだ向こう側にあるレストラン部門。一見、普通のレストランだけれど、パンが専門の店が手掛けているから、パンを幾らでもおかわり出来る。パン皿が空いたら「如何ですか?」と。何種類ものパンが食べ放題で、そちらも人気。
そのレストランの方も花だらけだった。入口の両側に花が飾られ、中にも溢れている花たち。
客たちが座るテーブルはもちろん、カウンター席も、床も花で一杯。
何事なのかと思ったけれど。
此処は確かにパン屋だよな、と何度も瞬きしたほどだけれど。
(パンと花の日々…)
そう書いてある小さな札。気を取り直して、パンを買おうとトングとトレイを取ろうとしたら。札もやっぱり、花に埋もれて。
いったい何だ、と読んでみた札。文字の周りにも花模様の縁取り。
(酒と薔薇の日々…?)
昔の映画のタイトルです、という紹介。それをもじって「パンと花の日々」。そういう企画で、「興味のある方はチラシをどうぞ」と、花の下にチラシが隠れていた。二つ折りにして。
(ほほう…?)
買う前に読んでもいいんだよな、と一枚、引っ張り出してみた。「パンと花の日々」も気になるけれども、「酒と薔薇の日々」にも心惹かれる。酒好きとしては。
ふうむ、と開いて眺めたチラシ。「酒と薔薇の日々」は、人間が地球しか知らなかった遠い昔の映画。そのタイトルにオーナーが引っ掛けたらしい、遊び心で。「パンと花の日々」と。
(映画の中身は謎なのか…)
今は失われて、タイトルしか残っていないという。「酒と薔薇の日々」と。
酒と薔薇の日々があるというなら、パンと花でもいいだろう。たまには、こういうイベントも。
(…まずはパンだな)
チラシは帰ってゆっくり読もう、とトレイとトングを手に取った。田舎パンを買おうか、焼けたばかりのバゲットもいいし、トースト用のパンだって…、と眺めてゆく棚。
何処もすっかり花だらけだなと、田舎パンの周りにも花がドッサリ咲いてるぞ、と。
選んだパンをトレイに載せて運んだレジにも、華やかな花。パン屋ではなくて花屋のように。
面白いもんだ、とパンの袋を提げて帰って、夕食の後で広げたチラシ。熱いコーヒーを淹れて、書斎の椅子にゆったり座って。
(パンと花の日々なあ…)
店では映画のタイトルとまでしか読まなかったけれど。オーナーの遊び心なのだ、と溢れる花を眺め回して、買い物を済ませて帰ったけれど。
(…毎日のパンか…)
パンは毎日食べるもの。御馳走ではなくて、普段着の食べ物なのがパン。それが無ければ、困る人は困る。朝はパンだ、と決めている人だって多い筈。
遠い昔の人間も同じ。パンが主食の地域だったら、パンが無いのは飢えるということ。食べ物が何も無いということ。…パンは命の糧なのだから。
けれども、花はそうではない。眺めて楽しむためのもの。心に余裕がある時に。
パンも無いほど飢えていたなら、誰も花など見向きもしない。花があっても、食べ物が無ければ飢えて死ぬから。花よりもパンが欲しいから。
(生きてゆくのに欠かせないパンと、心にゆとりのある時の花と…)
意外な組み合わせをお楽しみ下さい、というのが「パンと花の日々」のコンセプト。
パンを扱う店だけれども、綺麗な花たちも並べました、と。
(確かに意外性はあったんだ…)
入った時にも驚いたけれど、チラシを手にしてパンを選んでいた時。
普段とは違って見えたパンたち。ただの食パンも、田舎パンも、焼き立てのバゲットたちも。
花に彩られて並ぶパンたちは、どれもとびきり豪華に見えた。値段以上の、特別なパンに。
いつもの値段で売られているのが、不思議に思えてしまったほどに。
(こう、王様の食卓って言うのか?)
王侯貴族が食事するテーブル、其処に置かれたパンのよう。贅を尽くした料理と一緒に、黄金の皿に盛られたりして。
晩餐会などで使うテーブルは、花で飾られたらしいから。庭師が咲かせた美しい花を、惜しげもなく切って、豪華な器に生けて。
(有り余るほどの金があったら…)
テーブルだけと言わず、パンの皿にだって花を飾っただろう。招かれた客の数だけ並ぶパン皿、それを残らず花で取り巻いて。どの客の前にも、美しい花が溢れるように。
(花よりも先に、黄金の皿や銀の皿だとは思うんだが…)
遠い昔は、季節外れの花も贅沢だったという。今と違って、金持ちの特権だった温室。寒い冬に花を咲かせられる設備は、金持ちしか持っていなかった。
そんな時代なら、やった貴族もきっといた筈。「パンと花の日々」さながらの宴会を。客たちが度肝を抜かれるような、とても贅沢な冬の宴席。これだけの花を用意するには、どれだけの財産が要るのだろうと、誰もが驚く花が溢れたパン皿の周り。
屋敷の外は雪なのに。花が咲くなど信じられない、冬景色が広がっている筈なのに。
今日のパン屋は、その雰囲気を味わわせてくれたという気がする。普段着のパンまで花で飾って楽しむ贅沢、遠い昔の王侯貴族になったような気分。
オーナーも洒落たことをするな、と花だらけだった店内を思い浮かべていたら…。
(ん…?)
ふと引っ掛かった、花たちの記憶。花が溢れていたテーブル。
そういうテーブルを見たことがあった、と花が頭を掠めたから。其処で食事をしていたから。
(…結婚式か?)
友達か、それとも同僚か。披露宴の時のテーブルだったら、花で飾るのはよくあること。新婦の好みの花を飾るとか、ドレスの色に合わせてあるとか。
幾つも見て来た披露宴の席。けれど、それよりも花が凄かったように思える記憶。
テーブルに溢れ返った花たち、まるで今日見たパン屋のように。花も主役であるかのように。
(いつなんだ…?)
何処で見たんだ、と記憶の糸を手繰ってゆく。花が溢れていたのは何処だ、と。
そうしたら…。
(シャングリラか…!)
あの船だった、と蘇った記憶。前の自分が生きていた船。遠く遥かな時の彼方で。
(まさにパンと花の日々…)
宴会じゃなくて、普通の食卓に花だったんだ、と思い出したから。懐かしい思い出が時を越えて姿を現したから、浮かんだ笑み。あの船で溢れる花を見たな、と。
(ブルーに話してやるとするかな…)
パンと花の日々を。シャングリラに溢れていた花たちのことを。
幸い、明日は土曜日だから。ブルーの家へと出掛けてゆく日で、夜までゆっくり過ごせるから。
一晩眠っても、忘れなかったパンと花の日々。
いい天気だから、歩いて出掛けた。途中で入った昨日のパン屋。店中に花が溢れている中、二つ選んで買った菓子パン。ブルーの分と、自分の分と。紅茶のお供になりそうなものを。
チラシも忘れずに貰っておいた。花たちの下から引っ張り出して。
そしてブルーの家に着いたら、目ざとく袋に目を留めたブルー。それを提げて部屋に入るなり。
「ハーレイ、お土産?」
買って来てくれたの、何かお土産。…パン屋さん?
「ああ。お前のおやつに丁度いいかと思ってな」
話している間に、ブルーの母が届けてくれた紅茶と、パンを載せるための皿と。その皿にポンと置いた菓子パン。袋から「ほら」と取り出してやって。
甘い菓子パンは、紅茶にも合う。前に自分も食べているから、間違いなく。
ブルーはしげしげと菓子パンを眺めて、首を傾げた。
「このパン、ハーレイのお勧めなの?」
「もちろん美味いが…。そうじゃなくてだ、今日はこっちの方だな」
こういうイベントをやっていたから、と渡したチラシ。「俺も昨日は驚いたんだ」と。
「…パンと花の日々?」
なあに、これ?
昔の映画のタイトルの真似って…。「酒と薔薇の日々」…?
「読んでみろ、何か思い出さないか?」
酒と薔薇の日々の方とは違って、パンと花の方で。…パンと花の日々だ。
「えーっと…?」
毎日のパンで、パンと花との組み合わせ…?
ちょっと想像もつかないけれども、これがどうかしたの?
パン屋さん、いったい、どうなっていたの…?
「そりゃまあ…。凄い光景だったぞ、間違えて花屋に入ったのかと思ったくらいに」
何処もかしこも花だらけでな…。パンを並べた棚にまで花だ。
そういうの、お前、何処かで見ている筈なんだがな…?
俺は確かに見たんだが、と話してもキョトンとしているブルー。「いつの話?」と。
「…ハーレイが見てて、ぼくも見たなら、前のぼくたちのことだろうけど…」
シャングリラで花なんか飾っていたかな、パンを並べた棚なんかに…?
厨房にパン専用の棚はあったけど…。焼き上がったら並べていたけど、其処に花…?
そんな所に花を飾っても、厨房の人しか見られないじゃない。食堂からは見えないんだもの。
「お前が言うのは、パンの棚だが…。棚じゃなくって、パンの方だな」
毎日のパンで、誰もが普通に食っていたパン。食べ物ってヤツだ。
そういう普通に食べてた飯が花だらけだった、と言えば分かるか?
パンもスープも、何もかもだ。食堂中が花まみれになっていたってわけだが、思い出さんか?
「食堂中に花って…。ああ、あったっけね…!」
思い出した、と手を打ったブルー。
前のぼくが失敗したんだっけと、それで食堂に花が一杯、と。
まだ白い鯨ではなかった時代のシャングリラ。人類の船から奪った物資で皆が命を繋いでいた。食料も物資も、何もかも、前のブルーが奪って来たもの。輸送船を見付けたら、出掛けて行って。
必要な物資を切らさないよう、仲間たちが飢えてしまわないよう。
ある時、物資を奪いに出て行ったブルー。輸送船が近くを通過するという情報が入ったから。
いつもと同じに、コンテナを幾つか奪って戻って来たのだけれど…。
「なんだい、これは?」
ブラウが呆れたコンテナの中身。奪った物資を仕分けするために、コンテナを運んだ格納庫で。
「…花だらけじゃないか」
花は食えんぞ、とゼルが覗いたコンテナの奥。「何処まで行っても花のようだが」と。
ヒルマンが見ても、エラが眺めても、前の自分が覗き込んでも、ものの見事に花ばかりだった。今を盛りと咲き誇るものや、これから咲こうとするものや。
鉢に植えられた花とは違って、どれも切り花。色も種類も様々なものがコンテナに一杯。
きっと何処かの星の花屋に運ぼうとしていたのだろう。テラフォーミングの成果が芳しくない、こういった花々を育てられない星へ。
そういう星でも利用価値があれば、人類は大勢住んでいるから。資源の採掘に適しているとか、他の星への中継地点に向いているとか、理由は色々。
人間がいれば町が生まれて、町が出来れば花だって売れる。その星で花が育たないなら、余計に花を見たくなるから。
こうしてわざわざ運んで行っても、花たちは全部売れるのだろう。入荷したと聞けば、買いたい人間が詰め掛けて。アッと言う間に一つ残らず売り切れそうな、コンテナ一杯に溢れる花たち。
残念なことに、ミュウが奪ってしまったけれど。
花よりも食料や衣類などがいい、と誰もが考えるような船に運ばれてしまったけれど。
他のコンテナには食料品。当分は奪いに出掛けなくても済むだけの量の。
肉や魚や、野菜などや。乳製品だって充分あったし、食べてゆくには困らない。けれど、溢れる花たちの方は…。
「…やっぱり捨てた方がいいかな…」
捨てて来ようか、コンテナごと。…花なんか、料理したって食べられないし…。
食料は他にたっぷりあるから、花まで料理しなくても…。昔だったら、別だけれどね。
奪った食料が偏っていたって食べてた時代、とブルーがついた溜息。
アルタミラからの脱出直後は、そういう時期も確かにあった。ジャガイモだらけの食事が続いたジャガイモ地獄や、キャベツばかりのキャベツ地獄といった具合に。
けれども、今では安定している食料事情。ブルーは選んで奪って来るから、食材も物資も偏りはしない。不要だったら、捨ててしまってもいい時代。
そういう時代になっていたから、ブルーが犯した小さなミス。もう一つ、と欲を出して奪った、中身を調べなかったコンテナ。きっと食料だろうから、と。
奪って持って帰る途中で、ブルーも気付いていたという。食料ではなくて花だった、と。
とはいえ、せっかく奪った物資。捨てるかどうかは船に戻ってからでいい、と考えたらしい。
コンテナを一つ余分に運ぶくらいは、ブルーには何でもなかったから。
そうは言っても、食べられない花。食料は他に沢山あるから、花まで食べる必要はない。宇宙に捨ててしまうのならば、ブルーに任せれば一瞬で済む。瞬間移動で放り出すというだけだから。
花の処分はそれでいいか、と前の自分は考えたけれど。
ブルーも同じに、「捨てた方がいいよね」とコンテナの扉を閉めかけたけれど。
「ちょいと待ちなよ、飾るって手もあるんだからさ」
花は食べられやしないけどね、とブラウが止めた。これは飾っておくものだろう、と。
「飾るって…。でも、何処に?」
こんな船で、とブルーは周りを見回したけれど、ゼルも「そうだな」と頷いた。
「モノってヤツは考えようだ。これだけあるんだ、嫌というほど飾れるぞ」
どうせだったら、派手に飾ってやろうじゃないか。
人類どもの世界じゃ、こいつを売っているんだから。花屋に並べて、買いに来る客に。
俺たちは金を払っちゃいないが、こうして頂いちまったんだし…。
飾ったって別にかまわんだろうが、人類は食えもしない花を贅沢に飾っているんだからな。
俺たちには花を飾るような余裕はまるで無いのに、こんな風に輸送してやがる。
見ろよ、コンテナ一杯分だぞ?
贅沢なもんだ、俺たちの船とは生きてる世界が違うってな。
だったら真似をしようじゃないか、と言い出したゼル。たまには贅沢したっていいと。
わざわざ奪ったわけではないから、オマケで手に入れた花なのだから。
「花を飾ってもかまわんだろうが、ミュウの船でも」
手に入れたものを使おうってだけだ、そいつで贅沢するだけなんだし。
捨てるよりかは、うんと贅沢した方がいいと思わないか?
「私もそれに賛成だね。有効に使った方がいい」
捨てるよりも、とヒルマンがエラに視線を向けた。「どう思う?」と。
「飾るべきだわ、捨てるくらいなら。…だって、これは全部、飾る花なのよ?」
そのために運んでいるんじゃないの、とエラも花を飾りたい一人。飾るための花は、遠い昔には本当に贅沢だったんだから、と。
「花は贅沢だったのかい…?」
本当に、とブルーが訊いたら、「そうだよ」とヒルマンが即座に答えた。「ずっと昔は」と。
「エラが言った通りに、今よりもずっと昔のことだ。人間が地球しか知らなかった頃だね」
今のような輸送技術は無かった。星から星へと花を運べるような技術は。
珍しい花が欲しいのならば、自分たちで育てて咲かせるしかない時代でね…。
おまけに温室も、一部の特権階級だけの持ち物だった。
自然の花が咲かない季節に、温室で育てた花で飾るのは、もう最高の贅沢だよ。そういう設備を作れるだけの財産があって、惜しげもなく切って出せるのだからね。
「そうよ、こういう飾るための花は贅沢品だったのよ」
放っておいても咲くような花とはわけが違うの、余裕が無いと育てられないから。
それを沢山飾れる人なんて、ほんの少ししかいなかったのよ。
お金も、花の手入れをする使用人も、山ほど持ってた人間だけだわ。王様や貴族といった人間。
そういう人間になった気分で贅沢しましょ、というのがエラの提案。ヒルマンも同じ。ブラウは最初から飾ろうと考えていたし、ゼルも贅沢をしようと思っていたわけだから…。
「いいねえ、あたしたちも昔の貴族の仲間入りかい」
お城ってわけにはいかないけどねえ、こんな船だし…。普段は花も無いわけなんだし。
だけど、今なら山ほどだ。飾るべきだよ、この花はね。
捨てるだなんて、とんでもない、とブラウが改めて覗いたコンテナ。「飾らないと」と。
「そうでしょ、ブラウ? こんなチャンスは、そうそう無いわよ」
飾らなくちゃね、とても素敵に。…今の時代でも、私たちには花は贅沢なんだもの。
この船に飾っておくべきだわ、とエラも主張したし、誰も反対しなかった。花を飾ることに。
(…飾るだけなら、エネルギーを食うわけでもないし…)
花を生けておく器や水も、船にあるもので間に合うだろう。備品倉庫には器が色々、水は充分に足りている。コンテナ一杯の花を養える程度には。
「…いいだろう。ブルー、その花たちは捨てなくてもいい」
飾ろうという意見の方が多いんだ。それに反対する理由もないしな、俺の立場からは。
せっかく手に入れた花なんだから飾ってやろう、と前の自分が下した判断。
もうキャプテンになっていたから、自信を持って。船の最高責任者として、「大丈夫だ」と。
これくらいの花なら積んでおけると、宇宙に捨てる必要は無いと。
花を飾ると決まった後には、何処に飾るかが問題だけれど。小分けにして船のあちこちに飾るという意見も出たのだけれども、「食堂がいい」と言ったヒルマンとエラ。
皆が集まって食事する場所で、其処なら誰もが花を見られる。一日に三回、朝、昼、晩と食事の度に。それに広さもあるのが食堂。テーブルに飾って、他にも色々。
花が贅沢だった時代は、宴席に飾られていたというのも決め手になった。贅沢な食事は出来ないけれども、花を飾ればきっと豊かな気分になれる、と。
なにしろ、コンテナに一杯分もある色々な花たち。全部を纏めて見られる方が断然いい。分けてしまったら、どれだけあったか分からなくなるし、値打ちも減ってしまうだろう。
同じ飾るなら食堂がいい、と花たちは食堂に運ばれた。手の空いた者たちを総動員して、使える器を運んで、生けて。
「これは床だな」とか、「テーブルには、これ」と、相談したり、指図し合ったり。
次から次へと運び込まれて、生けられていったコンテナ一杯分の花。色も形も様々なものが。
薔薇やら、百合やら、カーネーションやら、ふうわりと白いカスミソウなどが。
何種類もの花を一緒に生けた器もあったし、一種類の花で纏めたものも。同じ色合いの花たちを合わせた器も、色とりどりの花を生けた器も。
前の自分や、ブルーはポカンと見ていたけれども、エラとブラウは張り切っていた。皆と一緒に生けて回って、ああだこうだと器の場所を移動させたり、入れ替えたりと。
ヒルマンも皆を指図していたし、ゼルは花たちの運搬係。「まだまだあるぞ」と、「これも」と次々にコンテナの中から運び出して。「次はこいつだ」とドカンと置いて。
そんなわけで、見事に飾り立てられた食堂。テーブルには幾つも花が生けられた器が置かれて、テーブルの無い床にも花が入った器。歩くのに邪魔にならない場所に。
食堂一杯に溢れた花たち。香りも彩りも実に様々、それに囲まれての食事の時間。誰もが豊かな気分になった。ただ花があるというだけで。普段は見られない花が溢れているだけで。
いつもと変わらない普通の食事で、いつものパンが出て来ても。
御馳走ではない料理を作っている者たちも、食堂の雰囲気を楽しんでいた。料理を味わう仲間の表情、それが素敵なものだから。まるで御馳走を食べているように、賑やかな声が飛び交うから。
「花があるだけで違うもんだな、食事ってヤツは」
いつものパンの筈なんだがなあ、ずっと美味いって気がするんだよな。
それに料理も、こう、輝いて見えるって言うか…。照明、変えていないのにな。
「まったくだ。同じスープを飲むにしたって…」
テーブルだけしか無いっていうのと、花があるのとでは違うよなあ…。
どっちを見たって花が咲いてて、あっちとこっちで違う花だろ?
ついつい余所見をしながらスープを飲んでるわけだが、こいつが美味い。花のせいだな。
花は食えない筈なんだがなあ、こんなに飯が美味いとは…。
いつまでも咲いててくれればいいがな、萎れて枯れてしまわないで。
皆に喜ばれた、食堂を飾った沢山の花。前のブルーが間違えて奪ってしまった花。
危うく宇宙に捨てられる所だった花たち、ゼルやブラウが止めなければ。ヒルマンとエラが花の歴史を知らなかったら。…遠い昔は花は贅沢なものだった、と。
飾る場所を食堂にしたのも良かった。
食卓を彩る花たちは其処に集まる皆に愛され、散るのを惜しまれ、まめに世話をされて…。
「ハーレイ、あの花…。最後までみんなが見てたんだっけね」
一番最後まで頑張って咲いてた花が駄目になるまで、船のみんなが。
毎日、毎日、花を楽しみにして食堂に来て。
「エラたちが、きちんと生け替えてたしな」
この花はもう萎れちまった、というヤツはどけて、元気な花を纏めて生け直して。
茎が弱って駄目になっても、花だけを水に浮かべてやって、生き生きと咲かせておくとかな。
頑張ってたよな、と今も思い出せる、エラたちの努力。花の命を伸ばしてやるための工夫。
今から思えば、フラワーアレンジメントというものだった。きっと調べていたのだろう。船とは縁の無い花だけれども、手に入れたからには生かそうと。
美しく生けて、飾って、愛でて。…最後の一輪まで、無駄にはすまいと。
大切にされた花たちだけれど、造花ではなくて本物の花。いつか命は終わってしまう。花びらの色が褪せていったり、少しずつ萎れていったりして。
そうして食堂から消えた花たち。一輪、また一輪と数が減っていって、最後の花も。
見られなくなってしまった花の最期を誰もが惜しんだ。もっとゆっくり見ていたかった、と。
「またあるといいな、コンテナ一杯の花ってヤツが」
リーダーのミスだっていう話なんだが、もう一度やってくれたらいいな、と思わないか?
ミスでもなければ花なんて無いし、あれだけの量は無理だしなあ…。
「ああいうミスなら大歓迎だ。山ほどの花を見られるならな」
食堂に花が溢れるんなら、ミスも大いに歓迎ってトコだ。物資が少々、足りなくてもな。
そのくらいのことは我慢するさ、と船の仲間たちは言ったのだけれど。
また花がドッサリ来てくれないかと待ったのだけれど、ブルーはミスをしなかったから、二度と無かった花で溢れていた食堂。豊かな気分になれた食堂。
いつもと変わらないメニューだったのに、御馳走に思えた素敵な場所。
パンも料理も、スープも美味しく変えてしまった、食堂を飾っていた花たち。
それから長い時が流れて、シャングリラは白い鯨になった。自給自足で生きてゆく船、幾つもの公園を備えた船に。巨大な白い鯨の中では、色々な花が咲いたけれども…。
「…俺たちがシャングリラで育てていた花、どれも綺麗に咲いてたんだが…」
色々な花が咲いたもんだが、あの時みたいな贅沢ってヤツは、二度と出来ないままだったな。
船で咲いた花を端から集めて、食堂を飾り立てるのは。
「…無かったっけね、そんなの、一度も…」
シャングリラの花は、咲いているのを公園で眺めるものだったから…。
摘んでもいいのはクローバーとか、スミレとか…。スズランだって、摘んでいい日は一日だけ。五月一日だけは摘んでいいけど、他の日は駄目だったんだから。
薔薇とか百合とか、大きくて目立つ綺麗な花だと、ホントに其処で見ているだけ。
そうでなければ、ちょっとだけ切って、花瓶とかに生けるのが精一杯だよ。
…パンと花の日々、二度と無かったね。
あの時は、そういうお洒落な名前は無かったけれども、パンと花の日々。
「そのままだよなあ、あれは本当にパンと花の日々というヤツだったんだ」
毎日食べてるパンが美味くなる、実に素敵な魔法だったが…。
俺もすっかり忘れていたなあ、昨日、パン屋に入った時も。
俺は花屋に来ちまったのか、と見回していても、あそこじゃ頭に浮かばなかった。
前の俺たち、あれと全く同じことをやっていたのにな…。
やり始めた理由も、意味も違うが、パンと花の日々。
最高に美味い飯を食っていたんだ、食堂に花が山ほど溢れていたお蔭でな。
今の自分は忘れてしまっていたのだけれども、パンと花の日々は確かにあった。白くはなかった頃のシャングリラで、楽園という名を持っていた船で。
懐かしくそれを思い出していたら、「ねえ」とブルーに問われたこと。
「…トォニィ、やってくれたかな?」
パンと花の日々、シャングリラでやってくれたと思う?
平和な時代になってたんだし、コンテナ一杯の花も買えるよ。奪わなくても、お金を払って。
あちこちの星を回っていたなら、お金、沢山あっただろうし…。
その気になったら、食堂一杯の花だって。…食堂、ずっと大きくなってたけれど。
「花を買うだけの金は充分、あったんだろうが…」
パンと花の日々、お前の記憶に入ってたのか?
ジョミーに残した記憶装置だ、あれにきちんと入れてあったか、あの時の記憶…?
「…入れていないよ、ずっと昔のことだったもの」
それに失敗した話だから、残しておいても役に立たない記憶でしょ?
ジョミーが見たって、花が一杯溢れてるな、って思うだけだよ。
あんな風に食堂を花で飾らなくても、美味しい食事が出来る時代になっていたしね。
合成品とか代用品を使う料理もあったけれども、シャングリラの食事は美味しかったもの。
「なら、無理だろ。…トォニィが気付くわけがない」
お前がソルジャーでさえもなかった頃にだ、食堂を花で飾り立てたことがあっただなんて。
俺も航宙日誌には書いてないしな、あの時のことは。
お前が失敗しちまったんだし、書き残すのはどうかと思って書かずにおいたんだ。
みんながどんなに喜んでいても、元はお前のミスなんだから。
だからトォニィがやるわけがない、と思うけれども、平和になった船だったから。
前の自分がいなくなった後に、白いシャングリラに花は溢れたと思いたい。
広い食堂を花で埋め尽くす「パンと花の日々」は無くても、船の中には沢山の花。誰もが好きに切って飾れて、それを愛でられる船になってくれていたなら、と。
シャングリラはもう無いけれど。…前の自分が好きだった船は、ブルーと共に暮らした船は。
前のブルーを失くした後には、辛かった白いシャングリラ。
どうしてブルーは此処にいないのかと、自分だけが生きているのかと。
前の自分が失くしたブルーは、生まれ変わって帰って来てくれたけれど。土産に買って来た甘い菓子パン、それを「美味しい」と喜ぶ小さなブルーになって。
「ハーレイ、お土産のパン、美味しかったから…」
前のぼくたちのことも思い出したから、いつか二人でやってみたいね。あの時みたいに。
「やってみたいって…。パンと花の日々か?」
俺がパンを買って来た店のヤツとは違って、お前と暮らす家でってか?
「…駄目?」
花で一杯のテーブルだけでもかまわないから。
床にまで置こうって欲張らないから、テーブルの上に花を沢山。
置く場所がもう残ってないよ、って思うくらいに、お皿とかの無い場所は花だらけで。
「お前がやってみたいのならな」
あれをもう一度、と言うんだったら、いいだろう。
今度はお前のミスじゃなくって、俺が金を出して花を買い込む、と。
お前は店で端から選べ。「この花がいい」とか、「こっちも」だとか。薔薇でも何でも、お前の好きな花を端から選んじまっていいから。…予算なんかは気にしていないで、好きなだけな。
いつかブルーと暮らし始めたら、望みを叶えてやるのもいい。遠い昔にシャングリラでやった、パンと花の日々をもう一度。
毎日のパンや食卓だからこそ、贅沢に。あの時のように、花一杯に。
華やかにテーブルを飾ってみようか、ブルーが選んだ沢山の花で。置き場所がもう無いほどに。
けれど、同じに花で飾るなら…。
「…俺としては、お前を飾りたいがな」
パンと花の日々もいいがだ、同じ飾るなら、お前がいい。…そう思うんだが。
「え?」
ぼくって…。ぼくを飾るの、いったい何で飾るつもりなの?
「花に決まっているだろうが。…今はそういう話なんだぞ、パンと花の日々」
お前には花が映えそうだ。パンやテーブルよりも遥かに、飾る値打ちがありそうだがな?
「花で飾るって…。ぼく、男だよ?」
女の人なら分かるけれども、ぼくを飾ってどうするの。…男なのに。
「お前、薔薇の花、似合うだろうが」
前のお前は、そういう評判だったしな?
薔薇の花と薔薇のジャムが似合うと、そういう綺麗なソルジャーだと。
だから今でも似合う筈だぞ、前と同じに育ったら。
綺麗な薔薇の花を山のように買って、お前を飾れたら幸せだろうな。
まさしく酒と薔薇の日々だ、とブルーに向かって微笑み掛けた。
酒も好きだが、お前と薔薇の日々がいいな、と。
それが最高だと、俺にとっての「酒と薔薇の日々」ってヤツだ、と。
「酒を片手に薔薇を見るより、お前の方がいいからなあ…」
お前を綺麗な薔薇で飾って、俺の隣に座らせておく、と。…酒は無しでも、お前に酔える。
パンと花の日々より、酒と薔薇の日々。
今の俺なら、間違いなくそれだ。酒じゃなくてだ、お前なんだが…。俺を酔わせる美味い酒は。
「酒と薔薇の日々…。ハーレイもお酒、大好きだけど…」
その映画、どんなお話だったんだろうね?
お酒を薔薇で飾るのかなあ、瓶とか、お酒のグラスとかを。
「さあなあ…?」
とんと謎だな、タイトルしか残っていないんだから。
知りたくなっても誰も知らんし、データは何処にも無いんだし…。
そいつが少し残念ではあるな、お前を飾って酒と薔薇の日々が出来るんだから。
今は失われた、遠い昔の映画の中身。
それを惜しいと思うけれども、いつかは酒と薔薇の日々。ブルーと薔薇の日々が来る。
パンと花の日々を味わった筈の前の自分には、最後まで出来なかった贅沢。
前のブルーは、自分だけのものにならなかったから。
最後までソルジャーのままで逝ってしまって、失くしてしまった恋人だから。
けれど、今度の自分は違う。
帰って来てくれた小さなブルーは、いつか自分のものになるから。
今度こそ自分だけのブルーになってくれるのだから、その時は酒と薔薇の日々。
ブルーが望むなら、パンと花の日々も。
食卓を溢れるほどの花で飾って、ブルーを綺麗な薔薇で美しく飾り立てて…。
パンと花の日々・了
※リーダーだった頃の、前のブルーの失敗。切り花が詰まったコンテナを奪ったのですが…。
捨てるよりも飾った方がいい、と床まで花で埋もれた食堂。たった一度きりの、最高の贅沢。
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