シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「こらあっ、そこ!」
何をしている、と怒鳴ったハーレイ。古典の授業の真っ最中に。
突然のことにブルーもビックリしたのだけれども、声が向けられた先には男子生徒が一人。彼の瞳も驚きで真ん丸、教室の前でボードを背に立つハーレイをポカンと見ているだけ。
ハーレイは腕組みをして男子生徒を睨んだ。「そう、お前だ」と。
「さっきから気になっていたんだが…。俺の授業はそんなに退屈か?」
鏡を見詰めて何をしている、此処からは良く見えるんだが?
「え、えっと…。じゅ、授業はちゃんと聞いてます! でも…」
この前髪が気になって、と指差す寝癖がついた前髪。あらぬ方へと跳ね上がったカーブ。それを引っ張っていたらしい。鏡を覗いて、なんとか直せないものかと。
「ほほう…。手鏡持参でか?」
なかなか洒落た鏡だな。わざわざ家から持って来たのか、お前のか、それともお姉さんのか?
「こ、これは…。ぼくのじゃないです、違うんです!」
だから没収しないで下さい、という叫び。鏡はクラスの女子の持ち物、頼み込んで貸して貰ったらしい。「少しだけ」と。
「なんだ、お前の鏡じゃないのか。つまらんな」
実につまらん、お前のだったら良かったのに。…没収の件とは関係ないぞ?
「え…?」
「とびきりの渾名、つけてやろうと思ったんだが」
ずいぶん熱心に鏡を見てるし、お前に相応しいヤツを。もうピッタリの名前があるんだ、お前のように鏡ばかり見てるヤツにはな。
これだ、とハーレイがボードに書いた「水仙」。冬に咲く香り高い花。寒さの中で凛と咲く花、それが水仙だった筈。
「こういう名前をプレゼントしようかと…。水仙、もちろん知っているよな?」
今の季節の花じゃないんだが、普通は知っているだろう。白いのとか、ラッパ水仙だとか。
しかし、お前にくれてやるのは花の名前の水仙じゃない。名前の元になった伝説の方だ。
水仙の学名ってヤツは、ギリシャ神話の美少年から来ていてな…。
ナルキッソスという名前なんだが、水鏡に映った自分に恋をしちまったんだ。その少年は。
ところが相手は自分なんだし、恋が実るわけないからな?
水鏡ばかり覗き続けて、憔悴し切って死んじまった。そして水仙の花に変身した、と。
そんなに鏡が気になるんなら、この名前、お前にくれてやるんだが…。
鏡がお前の持ち物だったら、もう確実に名付けていたな。お前の名前は水仙君だ、と。
「酷いです!」
ぼくは自分の顔を見ていたわけじゃなくって…。この寝癖が…!
「酷いのはお前だ、今は授業中だ」
鏡に夢中になれる時間じゃないんだぞ。お前がナルキッソスだと言うなら、仕方ないがな。
他のヤツらも、しっかり肝に銘じておけよ?
授業中に鏡で身づくろいをしてたら、遠慮なくコレをつけるからな。水仙だ、水仙。
ただし、男子の場合に限る。
女子につけたら、なんの意地悪にもならん。綺麗ですね、と褒めるようなもんだ。素敵な名前をくれてやろうって気は無いからなあ、俺にもな?
その場合は別のを考えておこう、とても悲しくなるようなヤツを。
覚悟しとけよ、というハーレイの言葉にドッと笑って、戻った授業。思いがけないタイミングで来た、雑談の時間はこれでおしまい。
水仙になった美少年。ギリシャ神話のナルキッソス。水鏡に映った自分に恋して、眺め続けて、とうとう窶れて死んでしまって。
(…鏡なんか…)
ぼくは授業中に見ないもんね、と自分自身を振り返る。
寝癖なら家を出る前に母に直して貰うし、そのための時間が無かったとしても…。
(ハーレイの授業中には見ないよ、鏡)
小さな鏡に映った自分と格闘するより、ハーレイを見ている方がいい。「ハーレイ先生」としか呼べないけれども、ハーレイには違いないのだから。
寝癖なんかはどうでもいい。ハーレイが笑って見ていたとしても、鏡を覗いて直しはしない。
(鏡の自分を覗き込むより、ハーレイがいいよ)
たとえ寝癖のついた髪でも、それをハーレイに笑われていても、きちんと前を見ていたい。前で授業をしている恋人、鏡を見るより、断然、そっち。
髪が好き勝手に跳ねていたって、直したい気分になっていたって。
鏡を覗いて直しているより、ハーレイの姿を見る方がいい。ハーレイの目が笑っていても。
学校が終わって、家に帰っても覚えていたこと。鏡を見ていた男子生徒と水仙の話。
もしも自分がやっていたなら、ハーレイは渾名をつけるだろうか。「水仙君」と。
恋人だけれど、遠慮なく。学校では教師と生徒なのだし、「お前はコレだ」と。
(…つけちゃうのかな?)
それとも恋人だから免除だろうか、見ないふりをして。そっちだといいな、と考えていた所へ、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、訊くことにした。
テーブルを挟んで向かい合わせで、興味津々で。
「ハーレイ、あの渾名、ぼくにもつけるの?」
つけてしまうか、見ないふりをして助けてくれるか、いったい、どっち?
「はあ? 渾名って…」
それに見ないふりって、何の話だ?
「今日の授業だよ、ぼくのクラスで言っていたでしょ。…鏡で寝癖を直してた子に」
水仙って渾名をつけちゃうぞ、って。…他の生徒も覚悟しとけよ、って。
だから、ぼくでもつけちゃうの?
授業中に鏡を見てた時には、ぼくも水仙って名前になっちゃう?
「…水仙って名前、欲しいのか?」
それとも見逃して貰いたいのか、其処の所が気になるな。お前の希望はどっちなんだ?
俺としては見ないふりを選びたいんだが、水仙って名前が欲しいんだったら…。
「ちょっと興味があっただけだよ、どっちかなあ、って」
ぼくが鏡を見るわけないでしょ、ハーレイが授業をしている時に。
自分の顔なんか見てても仕方ないもの、自分を見るよりハーレイの方!
「そうだろうなあ、お前はな」
たとえ寝癖がついていようが、俺の方ばかりを見てるんだろうな。
お前、いつでも見詰めているしな、俺が背中を向けている時も、授業が終わって出て行く時も。
気配で分かるさ、と笑うハーレイ。「お前の視線は直ぐに分かる」と。
「第一、お前は自分の姿にまるで頓着しないしなあ…」
前に寝癖で慌ててた時は確かにあったが、あれは俺が訪ねて来るからで…。
お前が学校に出て来る方なら、寝癖を直している暇が無ければ、そのままだろうが。俺の授業に顔を出す方が大切だしな?
要するにお前、俺がいなけりゃ、寝癖どころか、どう育っても気にしないだろ?
ソルジャー・ブルーと瓜二つの姿にならなくても。
お前の姿で期待されるような顔に育つ代わりに、ごくごく普通の顔になっても。
「うん、多分…。それに、ぼく…」
そっちの方がいいな、と思っていたみたい…。すっかり忘れてしまってたけれど。
ハーレイに会って、早く前のぼくと同じ姿になりたくて…。そっちばっかり考えてたから。
でも、前は…。
違ったみたい、と白状した。ソルジャー・ブルーと同じ姿は欲しくなかった、と。
目立ちたいタイプではなかったから。
見た目でキャーキャー騒がれるよりは、地味な姿の方がいい。何処にいるのか分からないほど、他の人たちに紛れてしまう姿が。
「欲のないヤツだな、せっかく綺麗に生まれついたのに」
今はまだ可愛いって感じの顔だが、充分、人目を惹くってな。小さなソルジャー・ブルーだし。
なのに、そいつは要らないと来た。目立たない姿に育ちたかった、と。
前のお前もそうだったが…。鏡なんか見ちゃいなかったしな。
「だって、どうでもいいじゃない」
鏡を見たって、何が変わるっていうわけでもないし…。ぼくはぼくだし、それだけだもの。
前の自分も、顔など気にしていなかった。自分は自分で、それ以上でも以下でもないから。
外見が気になる女性ではないし、自分の顔がどうなっていようが、どうでもいいこと。
前のハーレイに恋をするまでは、本当に頓着していなかった。見た目などには。
恋をしてからも、とうに年を取るのをやめていたから、老けてゆくわけではなかったし…。
「前のぼくが鏡を覗き込んでも、何も変わらなかったでしょ?」
せいぜい寝癖を直すくらいで、他には何も…。綺麗になるってわけでもないし。
「化粧してたわけじゃないからなあ…」
鏡を見たって、することが無いな。もっと綺麗になれるんだったら、別だったろうが。
寝ても起きても同じ美人じゃ、どうにもならん。鏡なんかは見る価値も無いな。
猫に小判とは少し違うが、前のお前に鏡は全く要らなかったわけで…。
ん…?
待てよ、とハーレイが顎に手を当てたから。
「どうかした?」
何か変なことでも思い出したの、前のぼくのことで…?
「いや、変というわけじゃないんだが…。お前が鏡を覗いてたような…」
えらく熱心に、鏡ってヤツを。
「自分の顔を見てたってわけじゃないでしょ、それは」
青の間の鏡は別だってば。
何度も覗き込んでいたけど、見ていた意味が違うんだもの。鏡の向こうを見ていたんだよ。
ハーレイだって知っていたでしょ、鏡は別の世界に繋がっているっていう言い伝え。
それを通って地球に行けたらいいんだけれど、って見ていたよ、いつも。
青の間の奥で見ていた鏡。向こう側の自分と手と手を重ねて、鏡の世界に入れないかと。鏡から道が開かないかと、一気に地球まで飛べる道が、と。
前の自分が何度も夢見た、鏡の道。覗いていたのは鏡の道だ、と言ったのに…。
「違うな、もっと昔のことだ」
鏡の道の時じゃなかった。そっちなら俺も分かっているさ。
「昔って…?」
いつのことなの、もっと昔って…?
「青の間の鏡を覗くどころか、青の間はまだ無かった頃で…」
ソルジャーでさえも無かった頃だと思うんだが…。そういう記憶だ、俺のはな。
「なんで、そんな頃に?」
鏡の道はまだ知らなかったよ、そんなに昔のことだったら。
だから鏡を覗く理由が無さそうだけど…。チラとは見るけど、それだけだよ。
「俺にも分からないんだが…」
その辺りは全く思い出せんが、お前、確かに鏡を見てたと…。
「鏡って…。そうだっけ?」
知らないよ、ぼくは。
鏡を見ていた覚えなんか無いし、眺める理由も無いんだから。鏡の道は別だけれどね。
別の世界へ繋がる扉になるならともかく、ただ映し出すだけの鏡は要らない。朝、起きた時に、チラと覗けば充分だった。髪が変な風に跳ねていないか、眠そうな顔をしていないかと。
たったそれだけの鏡だったし、熱心に覗き込むわけがないよ、と思ったけれど。
鏡の道を知らない頃なら、きっと見ないと考えたけれど。
(…鏡…?)
不意に蘇って来た記憶。
ハーレイの言葉通りに遠い遠い昔、鏡を見ていた少年だった自分。鏡に映った顔は子供で、今の自分と変わらないくらい。そういう顔をした自分が鏡の中にいて、それを覗いている自分。
じっと眺める鏡の向こう。自分しか映っていないのに。
(なんで…?)
どうして、と不思議になる記憶。鏡を見ている少年の自分。
鏡の中を覗き込んでは、大きな溜息。いつも、いつも、いつも。
そして見回していた他の仲間たち。溜息を零した後には必ず、ぐるりと何かを確かめるように。
(…自分に恋はしていないよね?)
水仙になった少年のように、自分に恋してはいないと思う。なんて素敵な少年だろう、と。
鏡の自分に見惚れなくても、特別だったハーレイがいたから。
恋ではなくても、一番古い友達だと思っていた頃にしても、誰よりも特別だったハーレイ。鏡の自分を見詰めているより、ハーレイの方がずっといい。
けれど記憶の中の自分は、鏡を覗き込んでは溜息。
他の仲間たちを見ては溜息、皆の方へと視線を移して見回した後は。
だから…。
変な記憶だ、と思いながらも話してみた。それを呼び覚ます切っ掛けになったハーレイに。
「えっとね…。ハーレイの記憶で合ってたよ」
ホントに鏡を見ていたよ、ぼく。…今のぼくと変わらないくらいのチビだった頃に。
それでね、ぼく、溜息をついてたみたい…。
「溜息だって?」
どういう溜息だったんだ、それは?
溜息と言っても色々あるしな。ホッとした時とか、感心した時にも溜息は出るし。
「そんな溜息とは違うと思う…。多分ね」
鏡を見ていて溜息をついて、その後は他のみんなを眺めて…。そっちも溜息。
なんだか自信が無さそうな感じがしてこない?
どっちを見たって溜息だもの。…鏡の中のぼくも、他のみんなも。
「そりゃ、水仙の話とは逆様っぽいな…」
鏡のお前が素敵だったら、そいつで満足していりゃいいし…。他のヤツらまで見なくても。
同じ顔がそっちにいるといいな、と確かめてたなら、「いない」と溜息も零れそうだが…。
そういうわけでもなさそうだしなあ、お前の話しぶりからしても。
「でしょ? きっとガッカリしている溜息だよ、あれ」
ぼくってよっぽど、自分の顔に自信が無かったのかなあ…。
今のぼくだと、ソルジャー・ブルーにそっくりだ、って言われちゃうから大丈夫だけど…。
普通の顔になりたいな、って思ってたくらいに、顔に自信はあったみたいだけど。
「お前、一人だけチビだったからなあ…」
大人ばかりの船の中でチビは一人だけだし、チビと大人じゃ顔は違って当然だし…。
でもまあ、自信は失くしそうだな、どうして自分だけチビなんだろう、と。
そのせいで溜息だったんじゃないか、と言い終えた途端に、ハーレイがポンと手を打った。遠い記憶を捕まえたらしく、「そうか、アレだ」と。
「アレだったっけな、確かに鏡だ」
でもって、溜息。お前、幾つもついていたんだ。…鏡を見ては。
「思い出したの?」
ぼくが溜息をついてたトコまで。鏡のことを覚えていたのも、ハーレイだけど…。
「ああ。お前の目が問題だったんだ」
「ぼくの目…?」
目だ、と聞いたら蘇った記憶。前の自分がチビだった頃に、何度も覗いていた鏡。
其処に映った自分の瞳は、いつ見ても赤。今の自分の瞳と同じ。
今の自分には慣れた色だけれど、前の自分は赤い瞳が気になっていた。船には仲間が大勢乗っているのに、赤い瞳を持つ者はいない。自分だけしか。
鳶色の瞳や、青や、緑や黒や。
色々な瞳の仲間がいるのに、赤い瞳は一人だけ。それに…。
(元は水色…)
最初から赤くはなかった瞳。成人検査を受ける前には、水色の瞳を持っていた。
忘れていなかった、本来の自分の瞳の色。そして船には、同じ水色の瞳の仲間も乗っていた。
(前のぼくの目、色が変わっちゃった…)
アルタミラの檻で生きていた頃は、それほど気にしていなかったこと。檻に鏡は無かったから。
自分の顔が映っていたのは、実験室の設備など。磨き上げられた物の表面。
たまに目にすることはあっても、成長を止めていたほどなのだし、どうでも良かった。瞳の色が何であろうと、赤い瞳でも、水色でも。
こういう色に変わったんだな、と思う程度で。
金色だった髪が銀色に変わるくらいだし、瞳の色も変わってしまうだろう、と。
けれど、アルタミラを脱出した後。船の仲間に、赤い瞳の持ち主は誰もいないと気付いて…。
(ぼくの目、気持ち悪くない…?)
一人だけ、赤い瞳だから。血のような色の瞳だから。
気味悪く思う仲間はいないだろうか、と気になって覗いていた鏡。赤い瞳の自分の顔を。
サイオンの強さを怖がる仲間もいるのだけれども、この目だって、と。
血のように赤い色の瞳も気味悪がられそうだと、こんな瞳の仲間は一人もいないのだから、と。
(…水色だったら良かったのに、って…)
鏡を覗く度に零れた溜息。自分が失くしてしまった色。水色の瞳を持っていたなら、仲間たちと同じだったのに。…青や緑や鳶色の中に溶け込めたのに。
鏡から瞳を上げて見回すと、目に入る青や緑の瞳。自分も持っていた筈の瞳、赤い瞳に変わってしまう前までは。
ああいう瞳を持っていたのに、と零れる溜息。
自分の瞳は水色だったと、あの色のままが良かったと。赤い瞳より、水色がいいと。
いくら鏡を覗き込んでも、水色の瞳の自分はいない。赤い瞳が映るだけ。
あの水色が欲しいのに。水色の瞳のままでいたなら、気味悪がられはしないのだろうに…。
溜息ばかり零していたから、ある日とうとう、ハーレイに訊かれた。「どうしたんだ?」と。
食堂にあった鏡を覗いて、いつもと同じに深い溜息を零したら。
「お前、溜息ばかりだぞ。…この所、ずっと」
それも鏡を覗き込んでは溜息だ。食堂でもそうだし、休憩室でも。
何か気になることでもあるのか、鏡の中に…?
「…ぼくの目……」
「目? 目がどうかしたか?」
痛むのか、何か入ってそのままになってしまっているのか、目に?
それならヒルマンに診て貰わないと…。溜息をついて見ているだけでは治らないぞ。
「違うよ、ぼくの目はなんともないんだけれど…」
ぼくの目、気持ち悪くない?
ハーレイ、今も見ているけれども、気持ち悪いと思わない…?
「気持ち悪いって…。何故だ?」
どうしてそういうことになるんだ、お前の目が気持ち悪いだなんて。
「…一人だけ赤いよ、ぼくの目だけが」
他のみんなは青い目だとか、緑だとか…。ハーレイだって鳶色だよ。
赤い色の目はぼく一人だけで、他には誰もいないから…。
「俺はなんとも思わないが…」
気持ち悪いどころか、綺麗だと思うくらいだが?
お前の目、とても綺麗じゃないか。とびきり澄んでて、キラキラしてて。
「でも、赤くって変な色…」
血の色みたいな赤色なんだよ、自分でも変だと思うもの。普通じゃないよね、って。
こんな目の仲間は誰もいないよ、と訴えた。幸い、周りに他の仲間はいなかったから。壁の鏡を見ていた時には、とうに終わっていた食事。皆、持ち場や部屋へと散ってしまって。
ハーレイの仕事は料理だったから、後片付けはしなくていい。それで残っていたのだろう。
「ぼくの目、ホントは赤じゃなかった…。だから分かるんだよ、変だってことが」
元は水色だったのに…。成人検査を受ける前には、ちゃんと普通の色だったのに…。
ぼくの水色、無くなっちゃった。…こんな赤い目になっちゃった…。
「そう言ってたなあ…。ミュウになる前は違ったんだ、と」
成人検査でミュウに変わるついでに、身体まで変化しちまったんだな。
サイオンに目覚めるのと引き換えみたいに、色素がすっかり抜けちまって。
「え…?」
色素って…。それって、どういうこと?
「そのままの意味だな、色素は色素。…色ってことだ」
俺の肌の色、こんなだろ?
こいつも色素が作ってるわけだ、この目の色も、髪の色もな。他のヤツらも同じ仕組みだ。肌の色も髪も、目の色だって。
ところが、お前には色素が無い。水色の瞳をしていた頃には持っていたのに。
お前みたいなのをアルビノって言うんだ、色素を失くしたヤツのことをな。
「アルビノ…?」
そういう言葉があるんだったら、ぼくが特別おかしいわけではないの、ハーレイ?
ぼくみたいな人間、この船には乗っていないってだけで、ちゃんと普通にいるものなの…?
「さあなあ…。俺もそこまでは…」
聞いちゃいないし、とんと分からん。
お前がアルビノだってことなら、ちゃんと聞いてはいるんだがな。
ヒルマンが詳しい筈だから、と連れてゆかれたヒルマンの部屋。「俺もヤツに聞いた」と。
其処で教えて貰ったアルビノ。色素が欠けた個体のこと。
人間に限らず、動物にもアルビノは存在するという。ただし、滅多に現れなくて、大抵は弱い。
「生命力自体が弱いそうだよ、アルビノに生まれた動物はね」
ブルーも虚弱な身体ではあるが…。アルビノのせいではないだろう。多分、元々の体質だ。
なにしろ、アルビノに変化しただけだし、アルビノが持つ筈の欠点が無い。…ブルーにはね。
恐らく、無意識の内に、サイオンで補っているんだろう。そう考えるのが自然だと思うよ。
本当は光に弱いらしいからね、アルビノは。瞳も、肌も。
宇宙船の中では肌の心配は要らないが…。太陽の光は無いわけだから。
しかし、光は事情が違う。光が強い場所もあるのに、ブルーは困っていないようだし。
目が痛むことはないだろう、と話したヒルマン。強い光は目を傷める、と。
「そうなんだ…。赤い目だから?」
赤い目は光に弱い色なの、他のみんなの目とは違って?
「少し違うね、赤が光に弱いわけじゃない」
目にも色素を持っていないから、そのせいで光に弱くなる。遮ってくれる色が無いからね。
その赤は血の色が透けて見える赤で、水色の瞳を持っていた頃には隠れていたんだ。その下に。
「…この目、やっぱり血の色なんだ…」
ヒルマンは気持ち悪くない?
血の色の赤の目だなんて…。気味が悪いと思わない?
アルビノがとても珍しいんなら、この色、普通じゃないんだもの。
気味が悪いと思ってる仲間、船に何人もいそうだけれど…。
珍しいと教えられたアルビノ。おまけに瞳の赤は血の色。気味悪がられても仕方ない、と溜息をついてしまったけれども、ヒルマンは「大丈夫だよ」と微笑んでくれた。
「心配しなくても、それも個性の一つだよ」
青や緑の瞳と同じで、たまたま赤というだけだ。珍しい色でも、瞳の色には違いない。瞳の色は幾つもあるから、赤があってもいいだろう。一人くらいは。
そうは言っても、水色の瞳だったことを覚えているから、余計に気にしてしまうのだろうね。
私は赤でもいいと思うよ、水色の瞳をしていなくても。
「俺もそう思うぞ、会った時から赤なんだから」
むしろ水色に戻った方が、驚いてしまうといった所か…。俺の知ってるブルーじゃない、と。
赤でいいじゃないか、赤い瞳で。俺もヒルマンも、気味が悪いと思ったことは一度も無いぞ。
「だけど、みんなは…」
きっと気味悪いと思ってるんだよ、血の色だもの。青や緑じゃないんだもの…。
ぼくのサイオンが強いだけでも怖がられてるのに、目まで血の色をしているなんて…。
「そんな話は聞かないよ、ブルー」
少なくとも私は、一度も聞いたことがない。…ハーレイもそうだね、聞かないだろう?
どちらかと言えば、覚えやすいくらいに思っている筈だよ、この船の皆は。
赤い瞳は一人だけだし、この先、何かと分かりやすくて便利だからね。
今は一人だけ子供で小さいけれども、育ったら皆と区別がつかない。大人になってしまったら。
普通の姿だと皆に紛れてしまうだろうから、赤い瞳の方がいい、と言ったヒルマン。
銀色の髪なら他にもいるから、一人だけの赤い瞳がいい、と。
「皆が集まった時にだね…。誰でも一目で分かるだろう?」
赤い瞳ならブルーなんだ、と考えなくてもピンと来る。きっと目立つよ、赤い瞳は。
子供の姿で目立てる時代が過ぎてしまったら、その瞳の出番が来るわけだ。
「…そうなのかな?」
他のみんなと区別がつくのが便利なのかな、血の色の目でも?
ぼくだけ変に目立っていたって、誰も気にしたりしないのかな…?
「目立つのは悪いことではないよ」
特にブルーは、他の仲間には出来ない仕事をしているのだし…。
これから先も同じだろうから、その分、目立つ方がいい。何処にいるのか分からないよりは。
「俺もヒルマンに賛成だ」
お前は何処だ、って捜し回らなくても、誰でも簡単に見分けが付くしな?
赤い瞳のヤツがいたなら、そいつがお前なんだから。
どんな隅っこに紛れていたって、赤い瞳でお前だと分かる。便利だろうが、色々な時に。
こういう顔で…、と捜さなくても、目だけで区別がつく方がな。
赤い瞳は目印ってことでいいじゃないか、と二人に言われて、そんな気になった。血の色の赤を透かした色でも、目印になるなら、それでいいかな、と。
気味悪く思う仲間がいたって、この色が役に立つのなら。将来、見分けやすくなるなら。
「…鏡、見るのをやめたんだっけ…」
ぼくの目は赤がいいんだから、ってハーレイたちが言ってくれたから…。
ハーレイがヒルマンの所へ連れてってくれて、説明、ちゃんと聞けたから…。
アルビノのことも、ぼくの目が役に立つことも。…血の色の目でも。
「パッタリとやめてしまったっけな、あの日から」
鏡は同じ場所にあるのに、もう覗かなくなっちまった。あんなに毎日、覗いてたのに。
じいっと鏡を覗き込んでは、俺でも変だと気付くくらいに溜息ばかりだったのに。
「大丈夫、って言って貰えたからだよ」
赤い瞳はぼくの個性で、ぼく一人しかいないから…。
いつか大きくなった時には目印になって役に立つから、それでいい、って。
役に立つなら、きっとみんなも喜ぶし…。気味悪い色でも、目印だったら気にしないもの。
赤い目、一人しかいなくて良かった、って思うでしょ?
大勢の中からぼくを見付けるには、赤い目を捜せばいいんだから。
そうして覗くことをしなくなった鏡。食堂で見掛けても、休憩室でも。
鏡を覗き込むのをやめたら、気にならなかった仲間たちの目。視線もそうだし、あれほど何度も溜息を零した、青や緑の瞳の色も。…自分とは違う、普通の色を湛えた瞳も。
一人しかいない赤い瞳も、個性だから。血の色を透かした気味悪い赤も。
いずれ自分が皆に紛れてしまった時には、きっと役立つだろうから。育ってチビではなくなった時に、この瞳だけで捜し出せるから。
「ホントに心が軽くなったんだよ、あれで」
ぼくの目、目印なんだから、って。赤くて変な色でも、目印。
目立つんだったら、それでいいもの。小さい間は気味が悪くても、大きくなったら便利だしね。
ぼくは何処なの、って慌てなくても、赤い目だけで見付けられるから。
「…お前、そう言っていたんだが…」
俺もヒルマンも、あの時は本気でそのつもりだったんだが…。いい目印だ、と。
なのに、育ったお前ときたら、とびきりの美人になっちまって、だ…。
赤い瞳で見分ける必要、無かったってな。
何処にいたって、どんな隅っこに隠れていたって、誰でも一目で気付くような美人。振り返って見るとか、立ち止まってしげしげ見ちまうだとか。
…もっとも、お前、ソルジャーだったし、そうそう見惚れちゃいられないんだが…。
ボーッと突っ立って見てようものなら、エラが飛んで来て叱られるってな。「失礼ですよ」と。
「それがソルジャーにすることですか」と、「謝りなさい」と。
その点、俺は恵まれていたな、シャングリラでも一番の美人を一人占めだ。
堂々と出来やしなかったんだが、好きなだけお前を見ていられた上、恋人に出来た幸せ者だぞ。あの船で最高の美人ってヤツを、俺は独占してたんだから。
あれほどの美人になるとはなあ…、とハーレイは感慨深そうだけれど。
今も手放しで褒めているのだけれども、前の自分は水仙になった美少年とは違っていた。自分の姿に見惚れはしないし、鏡を覗き込んだりもしない。
身だしなみさえ整えられたら、それで充分だと思った鏡。チビだった頃に鏡を何度も覗き込んだことすら、忘れ果ててしまっていたのだから。
赤い瞳はどう見えるのかと、溜息をついて。気味悪くないかと、仲間たちの瞳の色を気にして。
鏡を熱心に覗いていたのは、その時だけ。
育った自分の姿を映して、「綺麗だ」と見惚れた記憶は全く無いものだから…。
「…前のぼく、自分を美人だと思ったことはないけど?」
船のみんなが言っていたから、そうなのかな、って思っただけで…。鏡なんかは見てないよ。
もっと綺麗になりたいな、って覗きもしないし、「美人だよね」って見てもいないけど…。
でも、ハーレイには、好きだと思って欲しかったかな…。
ハーレイが好きだと思ってくれる姿に育ったお蔭で、恋人にして貰えたんだから。
「そりゃ光栄だな、俺のことは意識してくれていたんだな?」
お前、自分の姿に興味は全く無かったくせに…。鏡もどうでも良かったくせに。
鏡を熱心に見ていた時にも、目の色ばかり気にしていたのにな?
そんなお前が、俺の目にお前がどう映るのかは、一応、気にしてくれていたと…。
俺がお前にぞっこんだったのは、美人に育ったからなんだ、とな。
「そうだよ、それにね…」
今のぼくもだよ、ハーレイの好きな姿に育つのが、ぼくの目標なんだもの。
早く大きくならないかな、って、鏡、何度も見ているし…。大人っぽい顔も研究してるし。
前のぼくだと、こんな顔だよ、って。
「まだ早い!」
今から研究しなくてもいい、チビのくせに!
水仙って渾名をつけられたいのか、お前ってヤツは…!
チビは鏡を見なくてもいい、とハーレイに叱られたけれど。
「何度も見るなら、水仙って名前で呼ぶからな」と睨まれたけれど、鏡の中の自分を見たい。
前の自分とそっくり同じに育った姿を早く見たいから、覗きたい鏡。
チビの自分が映る鏡を覗き込んでは、「もっと大人に」と。
赤い瞳の色を気にする代わりに、「前のぼくと同じ」と、赤い瞳に満足して。
(…それって、自分に見惚れてるのとは違うよね…?)
だから水仙になった美少年とは違うものね、と考える。
鏡を覗くのはハーレイのためで、早くハーレイにピッタリの自分に育ちたいから。恋人のために頑張りたいから。…一日も早く、ハーレイとキスが出来る恋人になりたいから。
(鏡、これからも覗かなくっちゃね…)
前の自分と同じ姿を、鏡の中に見付ける日まで。前と同じに育つ時まで。
ハーレイの授業中にはしないけれども、きっと何度も覗き込む。
(でも、水仙にはならないんだよ)
水仙になってしまった少年、彼の名前は貰わない。「水仙」の名では呼ばれない。
授業中には、鏡の自分を覗き込むより、ハーレイの姿を見ていたいから。
その方がずっと幸せなのだし、きっとハーレイもそうだから。
自分がチビで、生徒の間は。前の自分と同じに育って、いつか結婚出来る日までは…。
水仙と鏡・了
※赤い瞳の人間は自分しかいない、と溜息をついていた前のブルー。何度も鏡を覗き込んで。
けれど目印になるのなら、と納得してから、見なくなった鏡。凄い美形に育ったのに…。
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