シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「俺もすっかり、お客様は卒業していたんだなあ…」
いいことなんだが、とハーレイが唐突に口にした言葉。
爽やかに晴れた土曜日の午後、ブルーの家の庭でのんびりティータイムの後、部屋に戻ったら。
「卒業って?」
ブルーがキョトンと見開いた瞳。言葉の意味がよく分からない。
卒業も何も、ハーレイはとっくに「お客様」ではないと思うから。両親も一緒の夕食の時には、いつでも普段着のメニュー。特別な御馳走が並びはしないし、家族の一員なのだと思う。
本当の家族ではなくて、親戚というわけでもないけれど。友達とも少し違うけれども、お客様の扱いとは違う。お客様なら、食事は御馳走。飾る花だって、もっと豪華に。
そう思ったから、「ずっと前からそうじゃない?」と傾げた首。「お客様じゃないよ」と。
今頃になって何故そんなことを言うのだろう、と不思議でたまらないのだけれど。
「そうなんだが…。俺も分かっちゃいるんだが…」
さっき、しみじみと思ったんだよな。本当に卒業していたんだな、と。
「…庭に何かあった?」
ぼくは気が付かなかったけれども、お客様は卒業っていう印。
お茶もお菓子も、いつも通りだと思ったけれど…。何かピンと来るものがあったの?
「テーブルの上のことじゃなくてだ、お母さんが通って行ったろ」
俺たちがお茶を飲んでいた時に。…ケーキを食ってた時だったかもしれないが。
「ママ…?」
そういえば…。通ってったっけ、向こうの方を。
庭で一番大きな木の下、据えてある白いテーブルと椅子。ブルーのお気に入りの場所。初めてのデートの記念の場所で、天気のいい日はハーレイと一緒に出掛けることも。
今日の午後もそうで、母が用意をしてくれた。ポットにたっぷりのお茶と、焼き立てのケーキ。それをハーレイと楽しんでいたら、庭の端を通って行った母。
洗濯物を取り込むための籠を抱えて、物干しがある方向へ。テーブルからは見えない物干し。
暫く経ったら、洗濯物を入れた籠を手にして戻って行った。よく乾いたろう洗濯物を。
たったそれだけ、他には何もしていない筈で…。
「ママがどうかした?」
通っただけだよ、庭の端っこを。横切って行って、ちょっとしてから戻って行って。
「洗濯籠を持っていただろ、お母さんは」
行きは空ので、帰りは中身が入ったヤツ。今日は天気がいいからな。洗濯日和というヤツだ。
「それ、普通だよ?」
いつも通って行くじゃない。ぼくたちが庭にいる時は。
あそこでお茶を飲んでいる日は、お天気がいいに決まっているし…。
洗濯物だってよく乾くから、ママが通るの、当たり前だよ。
「よくあることだな、今ならな」
この前もそうだし、その前だって多分、通っていた筈だ。
俺も何とも思わなかったし、現に今日だって、「いい天気だな」と眺めていたんだが…。
夏休みの頃はどうだった、と問い掛けられた。白いテーブルと椅子が据えられた頃。最初の間は別のテーブルと椅子で、ハーレイが運んで来てくれていたキャンプ用。それが気に入りになったと気付いて、父が買ってくれたのが今のテーブルと椅子。
其処に何度も座ったけれども、夏休みの間は暑かったから…。
「えっと…。涼しい内しか座ってないから、通らないんじゃない?」
午前中の涼しい時間に座ってたんだし、洗濯物はとっくに干した後だよ。朝の間に。
取り込むのはお昼の後だろうから、その頃にはぼくたち、いないってば。中に入って。
「それはそうかもしれないが…。朝の間に干したんだろうが…」
いい天気だったら、色々と干したくならないか?
普段の洗濯物の他にも、後から洗って追加だ、追加。物干しが空いていたならな。
「追加って…。洗濯物って、そういうものなの?」
ママだって沢山洗う日はあるけど、あれは追加じゃないと思うよ。最初から決めてた洗濯物。
今日はこれだけ、って決めている分を、洗ってるんだと思うんだけど…。
「お前、チビだから分からないかもなあ…。自分で洗濯しないんだろうし」
とてもいい天気で、干したらパリッと乾きそうな日は、洗濯物を追加したい気分になるもんだ。
こんな日はきっと良く乾くんだ、と空を見上げたら欲が出ちまう。
ちょっとシーツも洗ってみようとか、シーツを洗うなら、ついでに他にも大物を、とか。
あれも、これもと洗って干したい気分になるのが洗濯だってな。
夏の日は特にそうなるもんだ。洗って干したら、アッと言う間に乾くんだから。
他の季節とはまるで違う、とハーレイが語る夏の太陽。同じ洗濯物を干しても、乾く時間が春や秋とは大違いだと。追加の洗濯物を干しに行く頃には、先のが乾き始めていると。
確かに夏の日射しは強い。あれにかかれば、洗濯物だって本当に早く乾くのだろう。でも…。
「ママは一度も通ってないよ?」
洗濯物の追加は無かったんだよ、朝の間に洗ってしまって。
だって昼間は暑くなるでしょ、あのテーブルと椅子は木の下にあるから涼しかったけれど…。
庭はお日様が照っていたんだし、其処を通ったら痛いくらいに暑いもの。
ママもそんなの嫌だと思うよ、早い間に干しておいたら、後は取り込むだけでいいでしょ?
「なるほどな。…なら、秋になってからはどうだった?」
お母さんはやっぱり通らなかったか、俺たちがいるような時間は暑いから。
「んーと…?」
どうだったろう、と手繰った記憶。
残暑の頃には、見なかった気がする洗濯籠を手にした母。今日のように庭のテーブルにいても。
けれど、いつからか馴染みの光景。庭の向こうを、母が横切ってゆく姿。
ただ通って行くだけとは違って、声を掛けてゆく時だってある。
「お茶やお菓子は如何ですか?」と、おかわりを届けるべきかどうかを、少し離れた所から。
洗濯籠を抱えたままで。にこやかな笑顔をこちらに向けて。
そうなったのは、多分、秋から。午後のお茶を庭で楽しんでいたら、通るから。朝の間に干した洗濯物が乾いた時間に、物干しまで取り込みに行くわけなのだし…。
「季節が変わったからじゃないの?」
ぼくたちが庭に出ている時間も、午後ばっかりになっちゃったから。
きっと洗濯物を入れる時間と重なるようになったんだよ。ママが通って行く時間と。
「お前の推理も、まるで外れちゃいないだろうが…」
残念ながら、そいつは違うな。俺がお客様ではなくなったんだ、そのせいだ。
それでお母さんに出くわすわけだな、あそこにいると。
「どういう意味なの?」
さっきも卒業って言っていたけど、ママが通ると、どうしてお客様じゃなくなるわけ?
「お母さんが通って行くと言うより、洗濯籠だな」
いつも洗濯籠を持ってるわけだが、お客様の前を洗濯籠を抱えて通るのか?
中身が空の時ならまだしも、帰りは取り込んだ洗濯物が籠に入っているんだろうが。
お客様なら、ちょっと失礼だと遠慮しないか?
庭の花を抱えて通るならともかく、洗濯物ってヤツの場合は。
いくら洗ってあると言っても、洗濯物には違いない。見せちゃいけない舞台裏だろ。
「そういえば…」
洗濯籠の中身、タオルとかだけじゃないもんね…。他にも色々、洗濯した物。
纏めて取り込んでいるんだろうし、お客様には見せられないかも…。
部屋やテーブルを彩る花とは違った洗濯物。お客様に披露するものではない。洗って干したら、後はきちんと片付けるもの。来客の目には触れない場所へ。
そういう洗濯物が入った籠を抱えて、母が通って行った庭。今日も、いつもと変わりなく。
考えてみれば、わざわざあそこを通らなくても、裏口から行ける物干し場。庭を通るより、裏口から出た方が近いのだけれど、いつからか通るようになった母。
庭で一番大きな木の下、ハーレイと二人で白いテーブルと椅子にいたならば。洗濯籠を手にして通ってゆく母、行きも帰りも庭の端っこを。
「…なんでかな?」
ママが通るの、どうしてなのかな…。物干しに行くなら、裏口の方が近いのに…。
庭を通って行くってことは、ぼくたちを監視してるとか?
洗濯物を取りに行くようなふりをしながら、ぼくとハーレイを見張っているとか…。
「それは無いだろ、俺たちのことは全くバレていないんだから」
生まれ変わる前は恋人同士で、今も恋人同士だってことはバレてない。監視は必要無いだろう。
しかしだ、別の意味での監視と言うか、注意と言うか…。
窓からしげしげ見てるよりかは、庭を通って行く方がずっと自然だぞ?
お茶やお菓子の追加が要るのか、さりげなく見ていけるだろうが。声だって掛けて行けるしな。
だが、それだけのために、庭まで出て来るというのもなあ…。
「ちょっと失礼な感じがするよね」
見張ってます、っていう感じだし…。ぼくたちだって、気になっちゃうし。
「テーブルの側まで来るんだったら、別に失礼でも何でもないが…」
離れた場所から見るとなったら、失礼だろう。
そうは言っても、窓越しに見てちゃ、よく分からんし…。出て来たら気を遣わせもするし。
だから洗濯物のついでなんだ、とハーレイが視線を遣った窓。白いテーブルと椅子がある庭。
軽く頷いて視線を戻して、唇に浮かべた穏やかな笑み。
「洗濯物を取り込む時にだ、ちょっと通って、俺たちの方の様子も見る、と」
どんな具合か直ぐに分かるし、声も掛けられるし、洗濯物も取り込みに行ける。一石二鳥だ。
そうしているのは、俺が客ではないからなんだ、と今頃になって気付いたってな。
お客様を卒業したのは嬉しいことだが、今日まで気付かなかっただなんて…。
俺も鈍いな、お母さんの姿は散々見ていた筈だってのに。
「鈍くないでしょ。だって、そんなの考えなくてもいいことなんだし」
ハーレイ、すっかり家族みたいなものだもの。晩御飯、御馳走なんかじゃないし。
お客様なら、いつでも御馳走ばかりの筈だよ。普段は無理でも、週末は用意が出来るんだから。
いきなり来るっていうわけじゃなくて、来るのが分かっているんだもの。
「それは違いないな。週末でも凝った御馳走ばかりになってはいない、と」
俺専用の茶碗と箸が無いってだけだな、其処だけはお客様用で。…家族じゃないから。
ついでに洗濯物も別々だよなあ、お母さんが洗濯籠を抱えて通っていても。
やっぱり家族じゃないってことだな、お客様ではないんだが。
「俺のは一緒に洗って貰えん」とハーレイがおどける洗濯物。どんなに天気がいい日にも、と。
母が抱えた洗濯籠には、ハーレイの分の洗濯物は今は入っていないけれども…。
「頼めば出来ると思うよ、それ」
きっとママなら洗ってくれるよ。前にハーレイのシャツを洗ったでしょ、汚れちゃった時に。
乾くまではパパのを着てて下さい、って代わりのも渡していたじゃない。
だから出来るよ、ハーレイの分の洗濯物を一緒に洗って貰うのも。
「そりゃまあ、頼めば出来るんだろうが…。俺が無精者になっちまうってな」
洗濯もしない無精な男。「今日はこれだけお願いします」と、洗濯物まで運んで来て。
「それってなんだか面倒そうだね、持って来なくちゃいけないし…」
洗って乾いた洗濯物だって、持って帰らなくちゃいけないんだし。
「まったくだ。そんな余計な手間をかけるより、自分で洗った方が早いぞ」
そうすりゃ溜め込むことだって無いし、洗ったばかりのサッパリしたのを着られるし。
「ハーレイ、洗濯してるんだ…」
一人暮らしだから、やってて当然なんだけど…。やらなかったら大変だけど。
「プレスもするって言っただろうが、ワイシャツのな」
いくら機械に任せるにしても、セットするのは俺なんだから。
綺麗に洗ったワイシャツを入れて、スタートボタンを押してやらんとプレスは出来ん。
しかし、そいつが性分ってヤツだ。いちいちクリーニングに出すより、自分でやるのが。
それに…、と始まった洗濯の話。自分で洗濯しているハーレイ。出掛ける時には、雨が降ったりしたら困るから部屋干しだけれど、外に干すのが好きなんだ、と。
「俺は断然、物干し派だな。同じ洗濯物を干すなら、庭の物干しが最高だ」
気持ちいいだろ、お日様の匂いで。
庭の物干しで乾かさないと、あの匂いはついて来ないってな。
タオルでも何でも、嬉しい気分になるんだよなあ…。お日様の匂いがするってだけで。
「ぼくも好きだよ、お日様の匂い」
顔を洗ってタオルで拭く時、ふわっと匂いがするのが好き。お日様だよね、って。
「俺もそいつを楽しみに干しているってわけだが…」
お前の所に来るようになって、最近、ご無沙汰気味なんだが…。
今ならではの贅沢だよなあ、お日様の匂いの洗濯物。
「そうだね、地球の太陽だものね」
お日様の匂いも地球のお蔭で、今のぼくたちだけの贅沢。…地球に来たから。
「おいおい、地球の太陽ってヤツは最高の贅沢ではあるが…」
最高と言う前に、太陽そのものの方を考えてみろよ?
「えっ…?」
そっか、シャングリラだと太陽の光は無かったね…。
いつだって船の中だけなんだし、太陽の光と似たような照明だけだったから…。
「それ以前にだ、シャングリラでは洗濯物を外に干せたのか?」
船の外って意味じゃなくてだ、太陽に似せた光が照らしていた所。
其処に干せたら、お日様の匂いの偽物くらいは可能だったと思うんだがな…?
植物もすくすく育ったわけだし、洗濯物を一日、ああいう光に当ててやったら。
「…干してない…」
洗濯物なんか干していないよ、シャングリラでは。
白い鯨になる前の船も、ちゃんと改造して植物とかを育てられる船が出来上がっても…。
太陽に似せた光はあっても、白いシャングリラでは干していなかった洗濯物。昼の間は、燦々と光が降っていたのに。まるで船の外の、アルテメシアの太陽に照らされているかのように。
けれど、洗濯物に宿ることは一度も無かった、お日様の匂い。
巨大な白い鯨の中には、洗濯物の干場が無かったから。明るい光が降り注ぐ場所には。
船には大勢の仲間がいたから、全員の分を並べて干せはしないし、乾かす場所は乾燥室。洗った物は全部、服もタオルも乾燥室で乾かしていた。昼間の光は使わないで。
「…洗濯物を干している所、公園とかでも見てないね…」
あそこだったら、きっと気持ち良く乾いたのに…。ブリッジの下の大きな公園。
人工の風も吹いてたんだし、お日様の匂いになりそうなのに。
「洗濯物は良く乾くだろうが、公園の景色が台無しだぞ?」
ブリッジから見たって、洗濯物がズラリと干してあるのが分かるわけだし…。
そいつは流石にどうかと思うぞ、そういう所も物干しを作らなかった理由じゃないのか?
思い付かなかったってこともあるんだろうがな、改造前の船だと乾燥室しか無かったわけだし。
洗濯の後は機械を使って乾燥なんだ、と誰もが頭から思い込んでたもんだから…。
干して乾かそうって発想自体が無かっただろうな、あの馬鹿デカイ公園を目にしていたってな。
キャプテンだった俺も含めて…、とハーレイが言うのが正解だろう。公園の景色が台無しという以前の問題、太陽の光で乾かすことを思い付かなかった前の自分たち。
洗濯物は乾燥室で乾かすもので、機械の仕事。自分たちで干して取り込むだなんて、前の自分も考えなかった。干せそうな場所はあったのに。
干したならきっと、お日様の匂い。本物の太陽には敵わなくても、きっと素敵な匂いになった。
それに…。
「ちょっぴり干してみたかったかも…」
お日様の匂いはどうでもいいから、乾燥室じゃなくて物干しに干したかったかも…。
「干すって、何をだ?」
お日様の匂いを貰うためじゃなくて、ただ干すだけって、何を干すんだ。
「ぼくのマントと、ハーレイのマント」
一緒に並べて干してあったら、幸せだったと思うんだよ。並んでるね、って。
乾燥室を使わなかったら、そういう景色を見られていたかも…。
「百歩譲って、物干しを作っていたとしても、だ…」
ソルジャーのマントは別格だろうと思うがな?
此処はソルジャー専用です、と決めてあってだ、お前のマントだけが干してあるんだ。
「別格って…。キャプテンは二番目に偉かったじゃない」
並べて干してもいいと思うよ、ハーレイのマント。ぼくのと一緒に。
「…確かに俺は、あの船で二番目に偉いことにはなってたが…」
それでも、俺のマントとお前のマントを並べて干しはしないだろう。
お前はソルジャーなんだから。
「えーっ?」
並べて干すのが効率的だと思うけど…。マントはマントで、纏めて洗って。
ぼくのの隣にハーレイのマントで、干しに行く時も、取り込む時も、一緒だったら早いのに…。
手間が省けていいじゃない、と言ったけれども、考えてみれば別扱いにされそうな自分。
ソルジャーだった前の自分を、エラは何かと特別扱いしたがった。ソルジャーだから、と。
きっとマントも、並べて干しては貰えない。ハーレイのマントと纏めた方が早そうでも。
「…やっぱり駄目かな、ハーレイのマントと並べて干すの…」
エラが文句を言いに行くかな、「並べて干すとは何事ですか」って。
「そんなトコだな、エラなら絶対、許しはしないぞ。…やたらうるさく言ってたんだし」
俺が思うに、シャングリラに物干し場があったとしたなら、お前だけは別になるってな。
隣同士が駄目などころか、干す場所からして違うんだ。俺とか、他の仲間たちとは。
「何それ…」
どうして場所まで別になるわけ、隣同士が駄目っていうのは分かるけど…。
「お客様の前じゃ、洗濯籠を抱えて歩きはしないのと同じ理屈だ」
舞台裏ってヤツは決して見せないってな。お客様ではなくて、船の仲間でも。
ソルジャーの衣装を干す所なんか、もう絶対に見せられん。要はマントと上着だな。
そいつが物干しに干してあったら、それと一緒に干してあるアンダーとかの持ち主も分かるぞ。お前なんだ、と。それじゃマズイし、お前の分の干場は別だ。
「何が駄目なの、服の持ち主が分かったら?」
ぼくの服だと気が付いたって、少しも問題無さそうだけど…?
「有難味ってヤツが無くなるだろうが。…ソルジャーのな」
どんなにエラが「ソルジャーは偉い」と宣伝したって、ただの人間になっちまう。
お前のアンダーだの、下着だのが干してあったなら。
目にしたヤツらは「ソルジャーもこれを着るんだな」と思うわけでだ、有難味も何も…。下着を見られちまったら。
まるで駄目だ、とハーレイが首を振る下着。「ソルジャーの下着は見せられないぞ」と。
「考えてもみろよ、青の間まで作って祭り上げてたソルジャーなのに…」
その辺に下着が干してあったら、ソルジャーの威厳が吹っ飛んじまう。こんな下着か、と誰でも興味津々、まじまじと眺められるんだから。
「でも、下着…。誰かが洗っていたんだよ?」
前のぼくは自分で洗っていないし、洗う係がいたわけで…。その人は見るよね、ぼくの下着を。
アンダーも上着も、洗濯に出した服とかは全部。
「その通りだが、何のための部屋付き係なんだ?」
舞台裏を見るヤツは限られていたし、知られていないも同然だ。前のお前の洗濯物は。
青の間が出来るよりも前から、専属の係がいただろうが。
「えーっと…?」
そんなに前から、ぼくのための係があったっけ?
ちっとも覚えていないよ、そんなの。青の間が出来てからのことだよ、部屋付きの係。
それまでは誰もいなかった筈、と言っているのに、ハーレイは「いた」と断言した。部屋付きの係ではなかったけれども、似たような役目をしていた者が、と。
「よく思い出してみるんだな。…白い鯨が出来る前のこと」
前のお前の洗濯物は、どうしてた?
シャワーとかの後で、お前、そいつをせっせと洗ってたのか?
「んーと…?」
洗濯物は…。洗っていないよ、ソルジャーになるよりも前からずっと。
アルタミラから逃げ出した後は、洗濯の係、何人もいたし…。
洗濯用の籠に入れておいたら、誰の服でも、ちゃんと洗って貰えたから…。
自分で洗濯していない筈、ということは確か。最初から洗っていないのだから。
洗濯係の仲間が洗った洗濯物は、頃合いを見て貰いに出掛けた。乾燥室に山と積まれた中から、自分の分を選び出して。服も下着も。
(…だけど、お風呂は…)
ソルジャーという肩書きがついて間もなく、バスルームが別になってしまった。他の皆とは。
船で一番偉いのだから、と一人だけで使うことになったバスルーム。いつでも好きにシャワーを浴びたり、バスタブにゆったり浸かれるようにと。
お風呂好きだったから嬉しいけれども、使っていない時間が殆どだから。空いているから、他の仲間にも使って貰おうと提案したのに、エラに「駄目です」と切り捨てられた。
(ちゃんと扉に札を下げたら、使っていない時間が分かるのにね?)
そのアイデアさえ却下されてしまったバスルーム。其処でシャワーを浴びた後には、バスタブにゆっくり浸かった後には、どうしただろう?
洗濯物は自分で洗っていないし、放っておいたわけでもないし…。
(…抱えて帰った…?)
持って行って着替えた服の代わりに、袋に入れて。ソルジャーの上着も、着替えたマントも。
けれど、その後が思い出せない。持って帰って…、と考え込んでいたら。
「お前の服。…部屋に置いておいたら、取りに来なかったか?」
留守にしてる間に、洗濯物を入れた袋ごと。朝飯の間とか、適当な時に。
「そうだっけ…!」
消えていたっけ、前のぼくが着替えた服とかは全部…。
食堂へ行ってた間とかに部屋から消えてしまって、その代わりに…。
いつの間にか消えた洗濯物。それを入れておいた袋ごと。洗濯物の袋が消えたら、洗い上がった服や下着が届いていた。どれも所定の場所にきちんと。
「…ぼくの服、誰かが洗ってくれてた…」
洗って乾かした服も下着も、ちゃんと部屋まで届いていたよ。ぼくは頼んでいないのに…。
「ほら見ろ、係がいたってことだ」
あの時代だと、部屋付きの係ってわけじゃなくって、洗濯係の中の誰かだが…。
何人か係が選んであって、そいつらの仕事だったんだな。前のお前の服を洗うのは。
「…なんで、そんな係?」
みんなと同じで良さそうなのに、どうして係が決めてあったわけ?
「エラだ、エラ。…全部あいつが決めていたんだ」
バスルームを分けるほどだったんだぞ、ソルジャーは特別なんだから、と。
そこまでやるなら、とことん別にするべきだろうが、ソルジャーは。
もちろんソルジャーの洗濯物を、他のヤツらの洗濯物と一緒に洗えはしないってな。まだ制服が出来てなくても、お前の分は別だったんだ。
制服が出来たら、なおのことだぞ。もう完全に別扱いで、洗う係は細心の注意を払ってた、と。
洗う時には、綻びが無いか端までチェック。マントの隅の隅までな。
糸がほつれていたりしたなら、洗った後には服飾部門で直して貰って部屋に届ける。
下着とかでも同じことだな、くたびれる前に新品と取り替えて届けないとな?
ソルジャーの服は上から下まで、威厳ってヤツに溢れてないと…。
アンダーの下になって見えない下着も、一分の隙もあってはならん、といった具合で。
そんなお前の洗濯物を、他のヤツらが見る場所なんかに干せるもんか、と笑うハーレイ。公園に物干しを作ったとしても、お前の分は其処には無いな、と。別の場所だと。
「あの船で物干し場を思い付いていても、お前の洗濯物はだな…」
俺のと並べて干して貰えるわけがなくてだ、何処かに専用の干場があった、と。
人工の光と風を使って乾かすにしても、居住区にあった公園の一つを貸し切りとかでな。
「…そうなっちゃうわけ?」
干してある間は、その公園は立ち入り禁止で。…ぼくの下着とかを仲間に見られないように。
「当然だろうが。同じ下着でも、俺のだったら、あのデカイ公園に干されていそうだが…」
この大きさからしてキャプテンのだな、とマントや制服がセットでなくても気付かれそうだが。
俺だけが無駄にデカかったからな、シャングリラでは。
「そうかもね…。ハーレイのだったら、大きさだけで分かっちゃうかも…」
ハーレイにも係、ついてたの?
前のぼくみたいに、洗濯物を持って行ったり、届けてくれたりする係。
「まあな。キャプテンってヤツは忙しいからな、いつの間にやら出来ちまってた」
お前よりかは後だと思うが、白い鯨になるより前から洗濯係はついてたわけで…。
ただし、洗って届けてくれるというだけだ。キャプテンはソルジャーじゃないからな。
俺の洗濯物、お前のと一緒に洗ったりしてはいないと思うぞ。
お前の分だけは丁寧に別に洗っていてもだ、俺のは十把一絡げってトコか。
キャプテンの制服とマントは慎重に扱っていたんだろうが、アンダーや下着は適当だろうさ。
干すにしたって、皆のと一緒に一番デカイ公園行きだ。
大勢の仲間が眺めるわけだな、「このデカイ下着はキャプテンのだろう」と。
そしてお前の分はだな…。
まるで別の場所で干されてるんだ、とハーレイが挙げてゆく公園。白いシャングリラの居住区に幾つも鏤めてあった、小さな公園のどれかだろうと。
「つまりだ、俺のマントとお前のマントは、並べて干せやしないってな」
並べるどころか、うんと離れて干されるという運命だ。シャングリラに物干しがあったって。
「今のぼくたちと一緒だね…」
洗濯物を並べて干してみたくても、絶対に無理。
今もそうでしょ、ぼくのはママが干してるんだし、ハーレイのはハーレイが家で干すから。
「洗濯物を並べて干すって…。前の俺はお前の家族じゃないが?」
並べて干すような理由が無いだろ、今と同じで。
洗濯するのも干すのも別々、家族でないなら、それで少しも可笑しくはないが…?
「でも、一番の友達だったよ。ハーレイだって言っていたでしょ、最初の頃に船のみんなに」
俺の一番古い友達なんだから、って。…そう紹介してくれていたよ、ぼくを。
友達の後は、恋人同士だったのに…。家族みたいなものだったのに…。
それなのに、洗濯物は別…。
干すのが別々ってことは無くても、洗うの、別々だっただなんて…。
「仕方ないだろうが、前のお前はソルジャーなんだ」
エラがせっせと特別扱いさせてたんだし、どうしようもない。バスルームも別だったんだから。
洗濯物を俺と一緒にするわけないだろ、俺のは他の仲間たちのと纏めて洗ってもいいが…。
お前の分は特別だ。デカイ公園に下着を干されてしまいそうな俺とは、別にしないと。
「一緒に洗って欲しかったよ!」
他の仲間たちの分は諦めるけれど、ハーレイの分の洗濯物…。
船で二番目に偉かったんだし、ぼくのと一緒に洗ってくれても良さそうなのに…!
母が抱えていた洗濯籠のように、ハーレイの分と自分の分とを、一緒に入れて運んで干して。
洗う時からずっと一緒で、取り込む時にも、干す時も一緒。
「…いつも一緒が良かったのに…」
ハーレイのと、ぼくの洗濯物。…ぼくだけ別扱いにされずに。
「さっきから何度も言っているだろ、シャングリラでは無理だったんだ」
前のお前はバスルームまで別のソルジャーだったし、舞台裏を見られるわけにはいかん。
デカイ公園に下着を干されて、皆が「キャプテンのだ」と眺めていても良かった俺とは違う。
一緒に洗うのも干すのも無理な洗濯物でだ、そういう運命の二人だった、と。
今の俺たちでさえ、無理なんだぞ?
お前の洗濯物を洗っているのはお母さんだし、俺のは俺の家で洗うんだし。
「…結婚するまで、一緒は無理?」
ぼくの洗濯物とハーレイのとを、一緒に干すのは無理なわけ?
ハーレイがお客様ではなくなっていても、ママが洗濯籠を抱えて庭を通っていても。
「そういうことだな、俺は無精者にはなりたくないし」
自分が着た物は自分で洗って、プレスだってする。
お前のお母さんが「洗いますよ」と言ってくれても、「お願いします」とは言わないな。
この家でウッカリ汚しちまったら、その時は頼むかもしれないが…。
実際、前にもシャツを洗って貰ったからな。
それ以外では決して頼まん、とハーレイは自分で洗濯を続けそうだから。せっかく洗濯物の話が出たのに、前の自分たちと全く同じで、当分は別々に洗って干すしか無さそうだから。
「じゃあ、結婚したら一緒に干せるんだよね?」
ぼくのとハーレイのを一緒に洗って、一緒に干して。
やっと並べて干せるようになるね、前のぼくたちだと無理だったけど…。
物干しがあっても、前のぼくは別にされそうだから。…洗うのまで別にされちゃってたから…。
「お前がソルジャーになる前だったら、一緒に洗っていたかもなあ…」
シャングリラって名前も無かった頃の船なら、お前のも俺のも纏めて洗濯。
いや、体格が違いすぎたから、やっぱり別か…。
洗う前に仕分けをしてただろうしな、似たようなサイズのを纏めて洗うのが一番だから。
乾燥室で乾燥させたら、サイズ別に揃えていたんだし…。
デカすぎた俺のと、一番のチビだったお前の分とは、あの頃から別々だったんだろうな。
「きっとそうだよ、確かめようがないけれど…」
あんな頃の記録は残ってないから、確認しようがないけれど…。きっと別々。洗うのも、洗った後で乾燥させるのも、全部。
…早く一緒に干してみたいよ、ハーレイとぼくの洗濯物。
一緒に洗って、お日様の下に並べて干して。…とても幸せになれると思うよ、そうしたら。
ぼくたち、ホントに家族だよね、って。
「幸せって…。洗濯物にまで夢を見るのか、お前は」
結婚したら俺のと一緒に洗えるだとか、一緒に並べて干そうだとか。
「ハーレイが最初に言ったんじゃない。もうお客様は卒業だな、って」
家族とおんなじ扱いだから、ママが洗濯物の籠を持って通って行くんだって。
だから、ハーレイと結婚したら、本物の家族で洗濯も一緒。洗うのも、干すのも。
「うーむ…。まあ、そいつも楽しみにしておくんだな」
洗濯物を一緒に干すってだけでも、お前が幸せになれるんなら。
今はまだまだ出来ないわけだし、俺と結婚して家族になったらそうするんだ、と。
洗濯物なあ…、とハーレイは呆れた顔だけれども、幸せな夢がまた一つ出来た。
いつかは並べてお日様の下に干す洗濯物。ハーレイの分と、自分の分と。
前の自分たちには出来なかったことで、物干し場さえも無かった船がシャングリラ。
(だけど今だと、物干し、あるしね…)
ハーレイと二人で暮らす家の庭にも、お日様が燦々と照らす物干し。
洗濯をしたら、地球の太陽の匂いが素敵な服になるよう、ハーレイの分と並べて干そう。
お日様に当てても色が褪せずに、パリッと乾く気持ちいい服を。
良く乾いたら、次のデートに出掛ける時には、二人でそれを着て行こう。
手を繋ぎ合って、幸せに。
今日は何処まで行ってみようかと、洗濯日和の青空の下を…。
二人の洗濯物・了
※シャングリラでは干していなかった洗濯物。その上、ソルジャーの洗濯物には専属の係が。
ブルーとハーレイの洗濯物を並べて干すのは、結婚するまで無理なのです。その時が楽しみ。
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