シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(おや?)
ハーレイが覗いたポストの中。ブルーの家には寄れなかった日、学校から家に帰って来て。
愛車をガレージに入れてやった後の、いつもの習慣。ポストの中をチェックすること。郵便物に夕刊、たまにチラシや町の情報紙なども。
(ふうむ…?)
郵便物が幾つかある中、目を引いた封筒。凝った模様がついてはいないし、珍しい絵柄の切手も貼られていないけれども…。
(あいつからだな)
封筒に書かれた宛名と住所。この家が建っている場所の。その文字たちに見覚えがあった。誰が書いたか直ぐに分かった、懐かしい昔馴染みの友達。
もうそれだけで弾んだ心。彼の顔を見るのが当たり前だった、青春時代に戻ったように。
(楽しかったな…)
あの頃は、と持って入って、早速開けた。夕食の支度を始める前に。裏を返して、差出人の名を確かめただけで。「やっぱり、あいつからだよな」と。
封筒の中から出て来た便箋、畳まれたそれを広げてみたら。
(そうか、地球を離れていたのか…)
久しぶりだ、と書かれた手紙。新しい家にも慣れて来たから、手紙を送ると。地球を離れても、日々の暮らしはそれほど変わらないのだが、と。
封筒を裏返してみたら、本当に変わっていた住所。さっきは全く見ていなかった。見慣れた文字だけで差出人が分かっていたから、住所も彼のものだとばかり。この地球の上の、同じ地域の。
(思い込みってのは、酷いもんだな)
まるで違うと気付かないのか、とコツンと叩いた自分の額。
ソル太陽系でさえもないじゃないかと、見ただけで分からないのかと。ウッカリ者が、と。
手紙を読み終えてから、作った夕食。帰りに買って来た食材で。
味わいながらゆっくりと食べて、後片付けが済んだら、いつものコーヒー。愛用のマグカップに熱いのを淹れて、手紙も持って向かった書斎。其処で手紙をじっくり読もうと。
(…遠くに引越しちまったんだなあ…)
俺に知らせも寄越さないで、と思うけれども、彼らしい。書斎の机で広げた手紙も、もう本当に彼らしいもの。「引越すと知らせたら、みんなに迷惑かけるからな」と。
あの頃の仲間は、皆、それぞれに散っているから。同じ地球でも別の地域に行った者もいれば、家は同じでも仕事であちこち飛び回っている者だっている。それを集合させるとなったら…。
(日を合わせるのに、まずは連絡…)
この日ならば、と決まったとしても、仕事を休む者も出るだろう。遠い地域から旅行鞄を提げて来る者も。たった一日のお別れパーティー、そのためだけに。引越してゆく友に会うためだけに。
(そいつは悪い、と思ったんだな…)
皆が揃って会うだけだったら、機会は何処かである筈だから。
引越す彼を見送るためにと集まらなくても、早い時期から通知が回って、誰もがその日を開けておける会。集まる名目は何だっていいし、「この日にするぞ」と決めさえすれば。
彼だってきっと、次の会には何食わぬ顔で来るのだろう。「久しぶりだ」と、手紙さながらに。
遠い星へと引越したことさえ、会った途端に忘れるほどに。
飄々と、土産でも提げて。「俺の星では、これが美味い」と酒の肴か、酒そのものを。
地球からは遠く離れた星。けれども距離を感じさせない、友からの手紙。今も覚えている、彼がこの地球で暮らしていた場所、其処で出された手紙のように。
昨日か一昨日、彼がポストに入れたかのように。「じきに届くな」と。
(あそこからだと、何日くらい…)
かかって届くものだろうか、と消印を見れば、意外に速い。思ったよりも、ずっと。
たまたま定期便が出るのに間に合ったろうか、地球へと直行する船に。あちこちの星などに寄港しながら飛ぶのではなくて、地球へ真っ直ぐ。
宇宙の中心は、今の時代も地球だから。前の自分が生きた時代は、それは名目だったけれども。
(聖地ってだけで、本当の首都はノアだったんだ…)
死の星だった地球に人は殆どいなかった。地球再生機構だったリボーンの者だけ、廃墟と化した地表に聳えるユグドラシルの住人だけ。
そんな所へ定期便など飛ばないけれども、今なら何処の星からも出る。頻繁に出るか、一週間に一度くらいか、もっと少ない星もあるのか。
けれど何処でも、地球に向かって、真っ直ぐに飛ぶ船はあるものだから…。
(それに乗ったってこともあるよな)
友が投函しただろうポスト、其処から集められて、仕分けをされて。地球宛は此処、と。
上手い具合に定期便が出る日に間に合ったならば、何処の星にも寄港しないで一気にワープ。
(どういう旅をして来たのやら…)
この手紙は、と手紙に訊いても、答えが返るわけがない。
手紙は言葉を話さないから、思念波だって持っていないから。…友の言葉を伝えるだけで。
思いもかけない速さでやって来た手紙。友がいる星から、漆黒の宇宙を地球まで飛んで。
(遠いって書いていやがるのに…)
なんだかなあ、と拍子抜けするほどに早く届いてしまった手紙。
実際、友が住んでいる星は遠いのに。地球からは遥か離れた彼方で、夜空に見えもしないのに。
キャプテン・ハーレイだった頃の記憶を辿ってみても…。
(この速さで手紙を配達しようと思ったら…)
一気にワープしか無いだろう、と出した結論。寄港していては間に合わない。
前の自分が生きた時代の宇宙船でも、今の船でも。
地球までワープで飛んでゆくなら、何処の星にも寄らないのなら…。
(こう、上昇して…)
重力圏を離脱すること、それが肝心。亜空間ジャンプをする時の基本。
懐かしい感覚が蘇って来る。今の自分は宇宙船など動かせないのに、出来るかのように。
遠く遥かな時の彼方で、シャングリラで指揮をしていた自分。
白いシャングリラの舵も握った、シドが主任操舵士になった後にも。重要な時は。やらねば、と自分が思った時は。
他の者ではとても無理だと、自分しかいないと考えた時は。
(地球までの最後のワープっていやあ…)
気分が高揚したものだ。操舵していたのはシドだけれども、地球への最後の長距離ワープ。
ついに地球へ、と躍った心。ブルーが焦がれた地球に行ける、と。
其処で自分の旅は終わって、役目をシドに引き継いだ後は、ブルーの許へ、と。
もっとも、そうして飛んだ先では、メギドが待っていたけれど。
六基ものメギドが狙いを定めて、シャングリラを待っていたのだけれど。
(物騒な時代だったんだ…)
ワープアウトしたら、目の前にメギド。危うく、船ごと焼かれる所。戦場だった漆黒の宇宙。
其処を今では手紙が旅する時代なのか、と友からの手紙を感慨深く眺めたけれど。
(手紙か…)
白いシャングリラで生きた頃にも、手紙というものは一応はあった。SD体制の時代にも。
けれど、シャングリラでは手紙を出してはいない。手紙が届くことだって無い。
船の中だけが世界の全てだった、ミュウの箱舟には必要ないもの。手紙を届ける仕組みなどは。
誰もが船の仲間なのだし、わざわざ手紙を出すまでもない。
せいぜい、招待状くらい。ソルジャー主催の食事会とか、仲間たちが開く集まりなどの。
それに、招待状を出すにしたって…。
(こんな具合に、住所をだな…)
封筒に書きはしなかった。住所などありはしないのだから。皆、シャングリラの住人だから。
受け取る相手の名前を書いたら、それで充分。封筒に書くのは宛名と、差出人の名前だけ。
たったそれだけ、手紙も住所も無かった船がシャングリラ。
(今の俺だと…)
友から届いた、この手紙に返事。「遠い所へ行きやがったな」と、「俺に黙って」と。
手紙を書いたら封筒に入れて、住所や宛名もきちんと書いて、ポストに入れる。学校の近くにもポストはあるし、近所にもあるから、何処だっていい。
すると手紙が宇宙に旅立つ。ワープして遠い星系まで。
直行便に乗らなかったとしたって、幾つもの星に立ち寄りながら、友の星まで、家のポストへ。
返事を書いてやらなければ、と思うけれども、何と書こうか。「俺に黙って引越しやがって」の他には何がいいのだろうか。
「その星の酒は美味いのか?」と書いてやるべきか、「どんな具合だ?」と星の気候でも尋ねてみるか。書きたいことは山ほどあるから、直ぐに書かずに考えて書こう。
遠い星まで旅をする手紙に相応しく。地球からの手紙だ、と懐かしく開いてくれそうなものを。
(手紙を書いたら出せて、届いて…)
相手に中身を読んで貰える。今日の自分がそうだったように。「あいつからだ」と心が弾んで、遠い昔に戻ったように。
なんと幸せな時代だろうか、と気付いた手紙。出せば届いて、それに返事が来る手紙。
白いシャングリラには無かったもの。遠く離れた星の友にも届けられるもの。
古典の授業をしている時には、遥かな昔の手紙についても教えるのに。手紙だけが相手の人柄や教養、そういったものを知る唯一の手段だった時代もあったんだぞ、と話すのに。
(俺としたことが…)
この幸せに気付いていなかったのか、と見詰めた友からの手紙。それが教えてくれたこと。
誰かに手紙を書ける時代は幸せだと。それに手紙が届く時代も。
(灯台下暗し、といった所か…)
お前、古典の教師だろうが、と小突いた額。しっかりしろよ、と。
手紙を出すことが出来る素晴らしい世界、お前は其処に来たんだろうが、と。
(今の暮らしに慣れちまっていて、まるで気付きもしなかったよな…)
シャングリラの時代は違ったことに。白い鯨で生きた頃には、手紙なるものは無かったことに。
手紙を出したら届く幸せ、ポストに手紙が届く幸せ。
ブルーにも話してやることにしよう、せっかく気付いたのだから。
幸い、明日は土曜日なのだし、ブルーと二人で過ごせるから。
次の日も覚えていた手紙。友からの手紙を見るまでもなく。
いい天気だから、歩いてブルーの家に出掛けて、いつものテーブルを挟んで尋ねた。向かい側に座る恋人に。
「お前、ポストを覗きに行くか?」
でなきゃ帰った時に覗くか、ポストの中を?
「…ポスト?」
なあに、とブルーはキョトンとした顔。「どうかしたの?」と。
「ポストと言ったら、郵便が届くポストだが…」
新聞とかも入るだろうが。お前の家の前にもあるヤツ。あれを覗くか、と訊いているんだ。
「んーと…。覗く日もあるし、忘れてる時も…」
だけど、配達の人が来たのが分かった時には、ちゃんと取りに行くよ。ポストのトコまで。
「お前宛の手紙も届くのか?」
ポストまで取りに行くってことは。…それとも、お母さんの代わりに取って来るのか?
「そっちの方だよ、ぼく宛の手紙は少ないし…」
滅多に来ないし、届くのはパパとママ宛ばかり。それをポストまで取りに行くだけ。
「だろうな。お前の年だと、まだまだなあ…」
友達は近所に住んでいるのが殆どだろうし、手紙の出番は無いってな。会って話すのが一番だ。
だが、俺くらいの年になると違う。友達も仕事で他所へ行ったり、引越したりもするからな。
お蔭で、昨日は…。
こんなに遠い所から俺に手紙が来たぞ、と昨日の手紙が投函された星の名を口にした。地球では滅多に聞かないくらいに、遠く離れた星系からだ、と。
「知らない間に、引越しちまっていたらしい。…あいつらしい、とは思うんだがな」
手紙の中身も、普段の調子とまるで同じだ。別の町に引越しましたから、とでもいった感じで。
あんな遠くに行っちまったなんて、今も実感が無いってな。…確かに其処の住所なんだが。
「その手紙…。何日くらいかかって届くの?」
地球まで届いて、ハーレイの家のポストに来るまで、うんと時間がかかるんだよね?
それだけ遠く離れた星なら、手紙を出しても、地球に着くまでに何日かかるか…。
「俺だって、そう思ったんだが…。どのくらいだろう、と消印を見てみたんだが…」
聞いて驚け、手紙はワープして来たらしい。
運よく、地球への直行便に間に合ったんだろう。長距離ワープの連続で飛ぶしな、直行便は。
地球の辺鄙な所で出すのと、多分、変わりはなさそうだ、うん。
「へえ…!」
そんなに短い時間で地球まで来ちゃったの?
ホントに地球から出したみたいだよ、此処からは遠い地域の何処かで。
高い山の上とか、海に潜る人が出して遊べる海の中のポスト、毎日集めはしないだろうし…。
そういう所で手紙を出したら、同じ地球でも、きっと時間がかかっちゃうしね。
遠い星なのに凄い速さ、とブルーの顔が輝くから。「手紙もワープしちゃうんだ…」と、とても感動しているから。
「手紙のワープも凄いんだが…。凄い速さで、俺の家まで来ちまったんだが…」
今の俺たちも凄いってな。ワープして来た手紙に負けないくらいに。
「え?」
凄いって、何が?
今のぼくたちの何処が凄いの、生まれ変わりっていうこととか…?
ハーレイと二人で地球に来ちゃったし、おまけに地球は、前のぼくが思った通りに青いし…。
「そいつも凄いが、手紙だ、手紙」
手紙を出したら届くんだぞ。とんでもなく遠い星に出しても、場合によっては凄い速さで。
それに手紙を貰えもするだろ、お前宛の手紙は滅多に来ないとしても。
「当たり前でしょ、手紙だよ?」
郵便屋さんは、そのために走っているんだから。…配達用のバイクとかで。
他の星まで届けるんなら、バイクじゃ走って行けないけれど…。宇宙船の出番になるけれど。
「うむ。郵便物はコレ、と決まっている袋に入って、貨物室とかに積み込まれてな」
そうやって宇宙を飛んで行ったり、地球の上をバイクで走って行ったりするのが郵便だが…。
シャングリラにあったか、そういうシステム。
出したい手紙は此処に入れろ、とポストがあってだ、係が集めて配りに行くとか。
「…無かったね…。手紙を入れるポストも、それを配りに行く係も」
シャングリラは大きな船だったけれど、郵便のシステム、無かったよ…。
思念波を飛ばせば相手に届くし、そうでなくても、会って話せば済むんだし…。
船の中だけで用事が済むから、手紙なんかは要らないよね。…潜入班からも手紙は来ないし。
「そうだったろうが。…人類の世界には、手紙も存在したんだが…」
だからと言って、アルテメシアに潜入していた仲間たちから手紙は来ないぞ。
シャングリラ宛の郵便物なんか、人類は運んでくれないからな。
もしも住所が書いてあったら、手紙を届けてくれる代わりに爆弾だ。ミュウの船が此処に潜んでいるぞ、と爆撃機を山ほど飛び立たせてな。
手紙なんぞは出せなかったのが前の俺たちだ、と話してやった。今では普通のことなのに、と。
「当たり前だと思ってることが、意外に幸せだったりするな、と気が付いてな…」
あいつから手紙が届いたお蔭で。…返事は何と書いてやろうか、と色々考えている内に。
それで手紙の話をしたんだ、「ポストを覗きに行くか?」とな。
今の平和な時代だからこそ、俺たちにも手紙が届くんだから。…爆撃機が来る代わりにな。
「ホントだね、今は幸せだよね…」
シャングリラはもう何処にも無いけど、今の時代なら、シャングリラ宛に手紙を出せるよ。
飛んでいる間は無理だろうけど、何処かの星に降りた時には、其処で届けて貰えるから。
宇宙を飛んでいる時にしたって、手紙、届くかもしれないね。
物資とかの補給に飛んで行く船に預けておいたら、補給のついでに。
「出来るだろうな、そのやり方も」
実際、やっているようだから…。
俺も詳しい仕組みは知らんが、長距離航路を長い時間をかけて飛ぶ船。客船とかだな。
そういう船だと、乗っている客に手紙を出せるらしいから…。
「この船です」と、船の名前とかを指定しておけば、そいつが住所の代わりってことだ。
届くまでの時間は、きっとタイミングによるんだろう。俺に届いた手紙と同じで。
「補給船が出る時に上手く間に合うとか、その船が何処かに降りる時だね」
あと何日かで此処に入港、って分かっているなら、その星とかに運べばいいんだし…。
タイミングが合えば、アッと言う間に届いちゃうよね、船宛の手紙。
宇宙船にも手紙を出せるだなんて、凄すぎるよ。今のぼくたちが生きてる時代。
前のぼくたちだと、手紙なんかは誰にも出せなかったのに…。
何処からも手紙は届かなかったし、そっちが当たり前だったのに…。
だけど今だと、住所が分かれば、何処にだって、手紙…。
宇宙船でも、うんと遠くの星に住んでる人にでも、ちゃんと手紙を出せる時代で…。
そうだ、と不意に煌めいたブルーの瞳。素敵なことを思い付いた、という顔で。
赤い瞳の小さな恋人、桜色の唇が紡いだ言葉。
「ねえ、ハーレイの家の住所を教えて」
お願い、住所は何処なの、ハーレイ…?
「住所って…。お前、知ってるだろうが、俺の家なら」
一度だけだが、遊びに来たしな。眠ってる間に、瞬間移動で飛んで来ちまった夜もあったし…。
それに名刺もプレゼントしたぞ、欲しがったから。
名刺を見れば分かるだろうが、番地まで全部。
「そっちじゃなくって、隣町のだよ!」
隣町にあるでしょ、ハーレイの家が!
そっちの住所を知りたいんだよ!
「はあ? 隣町って…」
俺が育った家のことなのか、親父とおふくろが住んでる家か?
あそこの住所を聞いてどうする、地図を見て何処か探すつもりか…?
「違うよ、手紙を出すんだよ」
ハーレイのお父さんたちの家に出したいよ、手紙。
いつも夏ミカンのマーマレードを貰っているから、その御礼…。
一番最初は、ぼくにくれたマーマレードだったんだもの。だから、マーマレードの御礼の手紙。
美味しいマーマレードをありがとうございました、って書きたいから…。
「おい、本当にそれだけか?」
マーマレードの礼を書くためだけに、親父とおふくろに手紙なのか?
「んーと…。ぼくが御礼の手紙を出したら、それの返事が貰えるでしょ?」
そしたら文通を始めるんだよ。貰った返事に、ぼくがきちんと返事を書いて。
ポストに入れたら、また郵便屋さんが届けに行ってくれるから…。暫く経ったら、それの返事を書いて貰えて、ぼくの家のポストに届く筈だから。
「こら、お前!」
親父やおふくろと文通だと?
俺に伝言を頼むならいいが、俺は抜かして、直接、手紙を交換すると…?
勝手なことを始めるな、とブルーの頭に軽く拳を落としてやった。痛くないように。
「親父たちと直接、連絡を取ろうとするなんて…」
お前にはまだ早いんだ。早すぎるってな、お前みたいなチビにはな。
「なんで?」
ぼく、手紙だって上手く書けると思うけど…。相手が大人の人でも、ちゃんと。
ハーレイだって知っているでしょ、ぼくの字だとか、文章とかは。
呆れられるような、下手な手紙は出さないよ。挨拶だって、忘れないようにきちんと書くし…。
それに子供でも、大丈夫。
今から覚えて貰っておいたら、将来、絶対、役に立つから。
「ほらな、やっぱり俺の思った通りだ」
お前、文通を始めちまったら、きっと調子に乗り始めるぞ。…最初はただの御礼状でも。
何度も手紙を遣り取りしてたら、おふくろたちが知っているのをいいことにして、すっかり俺の花嫁気取りというヤツだ。
違うのか、チビ?
「えーっと…。それは…」
ぼくだって今から、色々と覚えておきたいから…。
ハーレイのお父さんとお母さんのこととか、どういう風に毎日、暮らしてるのか。
夏ミカンのマーマレードの作り方だって、手紙で教えて貰えるよ。作る時期とか、コツだとか。
そしたら、直ぐに手伝えるから…。マーマレードを作る時には。
「駄目だ!」
一足お先に知ろうだなんて、これだからチビというヤツは…。
そういうことはな、直接会って話を聞くのが一番なんだ!
遠い所に引越しちまった友達とかとは、全くわけが違うんだから!
俺と一緒に出掛けて行って、「はじめまして」の挨拶からだろ、親父たちとは!
俺がきちんと紹介するまで、全部お楽しみに取っておけ、と叱り付けた。悪知恵の回る恋人を。手紙と住所で閃いたらしい、小さなブルーの思い付きを。
「お前、その内に、「写真を送って下さい」とも書いたりするんだろうが!」
俺の親父と、おふくろの写真。…それも色々注文をつけて。
夏ミカンの木の下で写してくれとか、家もちょっぴり一緒に写ると嬉しいだとか。
「そうだけど…」
文通するなら、写真くらいは…。
ぼくの写真はママに頼まないと焼き増せないから、ぼくからは送れないけれど…。
ハーレイのお父さんとお母さんなら、写真、送ってくれそうだから…。
「写真を送って貰おうだなんて、チビのお前には早すぎるんだ!」
もっと大きく育ってから言え、前のお前と同じ背丈に!
俺と結婚出来る年になって、親父たちに挨拶してから貰うことだな、そういう写真。
もっとも、チビのお前が頼んだとしたら、おふくろは喜びそうだがな…。
何処で撮ろうかと、写す場所をあれこれ探し始めて、大張り切りで。
「…ハーレイのお母さん、喜んでくれるみたいなのに…」
ホントに駄目…?
ハーレイのお母さんたちが住んでいる家、住所は教えてくれないの…?
「当然だろうが、お前の良からぬ計画を聞いちまったらな」
逆立ちしたって、俺は教えん。…もちろん、逆立ちはお前だぞ?
そんな芸当、出来っこないのが頑張って披露したとしてもだ、親父たちの住所は教えてやらん。
泣こうが、強請ろうが、駄々をこねようが、絶対に教えないからな!
「ハーレイのケチ!」
頼んでるのに、住所、教えてくれないなんて…。大きくなるまで駄目だなんて…。
ぼく、本当に、ハーレイのお父さんたちに手紙を出したいのに…。
どうしても住所、ハーレイが教えてくれないのなら…。
夏ミカンの木が目印です、って書けば届くかな、と言い出したブルー。隣町宛に。
まるで宇宙船に宛てて手紙を出すように。「この船です」と指定する代わりに、目印になるのが夏ミカンの木。隣町の家のシンボルツリー。金色の実がドッサリ実るから。
(…全部の区域宛てで、それを出されたら…)
ブルーが図書館か何処かで調べて、書き抜いて帰る、隣町の幾つもに分かれた区域。郵便を出す時に必要な住所、それの大まかな区分けの仕方。
それの数だけ手紙と封筒、準備が出来たら区域までを書いて、「夏ミカンの木が目印です」。
住所の代わりに夏ミカンの木。「これを手掛かりに届けて下さい」と。
もしも実行されてしまったなら、届きかねないブルーの手紙。
夏ミカンの木はよく知られているから、手当たり次第に何通も出した内の一つが。
郵便を配達する係だって、ピンと来るだろう。自分が受け持つ区域の中に、そういう家が確かにあると。郵便局の係が「知りませんか?」と尋ねたならば、「ありますよ」と。
分かってしまえば、後は配達。
「夏ミカンの木が目印です」としか書かれていない手紙でも。
あの家のことだ、と他の郵便物と一緒に、郵便配達のバイクに乗せて。
郵便物を順に配る途中で、「この家だな」とポストに入れてゆく手紙。庭の夏ミカンの木を確認してから、「間違いなし」と。
郵便局員たちはプロだし、仕事に誇りを持っている。幼い子供が下手くそな字で書いた、とても読めそうにない住所や宛名も、読み解いて配達するのが彼ら。
だからブルーが出した手紙も、届いて不思議は無いのだけれど。夏ミカンの木だけで、ポストに配達されそうだけれど。
(しかしだな…)
隣町だって、相当に広い。住所を聞いたら「あの辺りだな」と見当はついても、実際に出掛けて歩いてはいない区域も多い。
町全体ということになったら、他にも多分、あるだろう。
夏ミカンの木がシンボルの家が何軒か。近所の人なら、郵便配達の係だったら、「あの家だ」と思う家が、他にも、きっと。
ブルーが全部の区域に宛てて、同じ中身の手紙を出した場合には…。
(そういう家にも届くってわけで…)
庭に夏ミカンの木はあるけれども、両親は住んでいない家。届いた手紙の差出人にも、心当たりなどまるで無い家。
「誰からだろう?」と不思議がるだけで。「隣町の人が出したようだが」と。
ブルーの名前を知らなかったら、封筒を開けて読んでみる筈。手紙を読めば分かるだろうかと、前に夏ミカンの実を幾つか渡した人だったかも、と。
散歩中の人に木を褒められたら、そうしたくなるものだから。「どうぞ」と幾つか袋に入れて。
「荷物にならないなら、持って帰って食べて下さい」と、相手の名前を訊きもしないで。
その中の一人だっただろうか、と開けそうな手紙。本当は他の人宛のもので、開いて読んでも、首を傾げるしかない手紙なのに。
(マーマレードをありがとうございました、だしな?)
ついでに、「結婚したら、ぼくをよろしくお願いします」とも書いてあるのだろう。両親の家に届き損ねた手紙で、ブルーがせっせと綴った自己紹介だから。
(なんのことやら、と家族全員で回し読みだぞ?)
もう間違いなく、そうなる筈。そして手紙の返事が書かれて、ブルーの家に届くことだろう。
「受け取りましたが、人違いです」と。「開けてしまってすみません」とも。
郵便局の者たちが優秀なせいで、如何にも有り得そうな郵便事故。別の家にも届いてしまって、読まれてしまうブルーの手紙。
これは使える、と考えたから、夏ミカンの木を手掛かりに、と企む恋人にこう言った。
「おい、その住所…。夏ミカンの木が目印です、ってヤツなんだが…」
親父たちにも届くかもしれんが、別の家に配達されるってことも充分にあるぞ。
あの町もけっこう広いからなあ、俺が知らない場所も沢山あるってな。その中の何処かに、同じような家があるかもしれん。夏ミカンの木が目印の家が。
其処に届いてしまった時には、「誰からだろう?」と開けられちまって、お前の手紙…。
「読まれてしまうの、知らない人に?」
ハーレイのお父さんたちとは違う誰かに、人違いで…?
「そうなるだろうな。手紙が届いた家の人にとっても、知らない人ではあるんだが…」
住所が合ってりゃ、開けるだろうが。
夏ミカンの木は、確かに庭にあるんだし…。散歩中の人にプレゼントしたことも、きっと何度もある筈だからな。
そいつの礼か、と思って開けてみるだろう。そして中身がお前の手紙だったなら…。
親切に返事をくれるだろうな、「人違いです」と。「間違えて開けてしまいました」とも。
「…そうなっちゃうんだ…」
間違えて他所に届いちゃったら、ぼくの手紙、知らない誰かが読んで…。
それだけじゃなくて、「人違いです」って手紙が来ちゃって、ぼくが大恥…。
「分かったか、チビ」
だから手紙は出さないことだな、そんな目に遭いたくなかったら。
赤っ恥をかいて、俺に泣き付くような末路が嫌だったらな。
「…うん、分かった…」
いいアイデアだと思ったんだけど、失敗したら、とても恥ずかしいから…。
他所の家に届いて読まれちゃったら、ぼく、本当に泣きそうだから…。
出さないよ、手紙を書くのはやめる。…ハーレイのお父さんたちには書かないよ、手紙…。
残念だけど、とブルーが項垂れているから、「仕方ないだろ」と叩いてやった肩。
「チビはチビらしく、大人しくしてろ」と、悪だくみは身を滅ぼすぞ、と。
「安心しろ。いつかは出せるさ、親父たちに手紙」
俺が住所を教えてやるから、そいつを書けばきちんと届く。親父たちの家に。
間違えて他所に届きはしないし、のびのびと好きに書くといい。マーマレードの作り方だとか、お前の知りたいことを山ほど。
文通だって悪くはないなあ、親父もおふくろも張り切るぞ、きっと。
「ホント?」
本当にちゃんと教えてくれるの、ハーレイのお父さんたちの家の住所を?
手紙を書いて文通しちゃってもいいの、ハーレイは抜きで…?
「かまわないぞ。…俺の悪口を書いたって、俺は怒らないってな」
ハーレイはこんなに意地悪なんです、と密告されて、親父の雷が落ちてもかまわん。
お前は好きなように手紙を書けばいいんだ、書きたいことを。…親父たちに知らせたいことを。
親父たちだって、きっと喜ぶ。中身が俺の悪口でもな。
ただし、住所を教えてやるのは、俺と一緒に出掛けてからだぞ?
親父とおふくろに会って、挨拶をして、「はじめまして」じゃなくなってからだ。
「…なんで?」
挨拶に連れて行ってくれるんだったら、もう、結婚は決まってるのに…。
ぼくがお父さんたちと文通してても、おかしくないと思うんだけど…。
「それはまあ…。その点は問題ないんだが…」
住所が分かれば、親父たちの家が何処にあるのか、お前にも分かっちまうだろうが。
地図を広げて、其処を探せばいいんだから。…どんな家かは分からなくても、場所だけは。
それじゃ、つまらないと思わないか?
俺の車で出掛けてゆく時、お楽しみが減ってしまうだろうが。何処で曲がるのか、まだまだ先は長いだろうか、とドキドキ出来なくなっちまうぞ、お前。
「…そうかも…」
場所を知ってたら、そうなっちゃうね…。もうすぐだよね、って分かっちゃう…。
ぼくのドキドキ、減ってしまうよ、ハーレイの言う通りだけれど…。
でも出したいな、とブルーが惜しそうにしている手紙。隣町に住む両親の家へ。
(…夏ミカンの木が目印です、と来やがった…)
それをされたら、届いたかもしれないブルーの手紙。間違って他所に配達されても、正しい家に届く一通もありそうだから。…手当たり次第に、全部の区域に宛てて出されたら。
危ない所だったけれども、これも手紙を出せる時代ならではの、幸せな危機。
前の自分たちが生きた船には、手紙は届きはしなかったから。出すことも出来なかったから。
(…しかし、本当に危険だぞ、こいつ…)
本気で手紙を出しかねないから、ブルーには決して喋らないよう、気を付けなければ。
隣町の家の住所の手掛かり。此処の区域だ、とブルーに教えてしまいそうな何か。
地図に載っていそうな店の名前や、施設は決して口にしないこと。
「夏ミカンの木が目印です」という住所で手紙が届いてしまったならば、文通だから。
小さなブルーが調子に乗るから、花嫁気取りで手紙を交換し始めるから。
まだ結婚も出来ない年でも、チビのままでも、得意になって。
「ハーレイのお父さんたちから手紙が来たよ」と、届く度にウキウキ報告をして。
「もうすぐお嫁さんになるんだから」と、子供のくせに。
キスも出来ないチビのままでも、ブルーならきっと、幸せ一杯で文通するだろうから…。
手紙が届く今・了
※シャングリラの時代は、手紙を出せなかったブルーたち。けれど今では、出せるのです。
宇宙船にでも、届けられる手紙。ハーレイの両親の家にも、いつかブルーが書いた手紙が…。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv