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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

無かった旗

(あれ…?)
 ハーレイだ、とブルーが見付けた後姿。朝、学校に入って直ぐに。
 校門をくぐって校舎に向かう途中の、グラウンドの端。もう少し行けば最初の校舎。ハーレイは其処に座り込んでいて、こちらを振り向きさえしない。
(何してるの?)
 早い時間だから、ハーレイが着ている柔道着。朝の練習の途中なのだろう。他に柔道部の生徒が数人、そちらはハーレイの手許を覗いているようで。
 懸命に何かしているハーレイ、柔道部員たちは立ったまま。練習も運動もしていないから、別の用事が出来たのだろうか、ハーレイに?
 生徒だけで出来そうな練習もありそうなのに、とハーレイがいる場所をよく見てみたら。
(旗…?)
 そういえばあった、と気付いた校旗。雨の日以外は、いつも上がっている旗。
 当たり前すぎて存在を忘れがちだけれども、学校の紋章が描かれたもの。風のある日は、青空に高く翻る。曇り空でも、空にはためく学校の旗。
 その旗が、今朝は…。
(揚がってない…?)
 正確に言えば、半分しか。
 ポールの上まで揚がり切らずに止まってしまって、中途半端になっている旗。
 それでハーレイがいるのだろうか。旗をきちんと揚げようとして、ポールと格闘中だとか。



 きっとそうだ、と考えたから、近付いて行って挨拶した。後ろからだけれど。
「ハーレイ先生、おはようございます」
「おはよう、ブルー」
 笑顔で振り向いてくれたハーレイ。座ったままで。「ブルー君」とは違って「ブルー」。
 授業中でなければ、たまに「ブルー」と呼んで貰える。「ブルー君」よりも、親しみをこめて。今日はそっちだ、と胸が弾んだけれども、問題はハーレイが此処にいる理由。
「どうしたんですか?」
 旗ですか、と尋ねてみたら。
「こいつか? 見ての通りだってな」
 壊れちまった、と両手を広げたハーレイ。「あそこで止まっちまってな」と。
 朝一番の校旗の掲揚、運動部の生徒の持ち回りらしい。練習で早く登校するから、学校が始まる旗を揚げるには丁度いい。休みの日は揚がらない校旗。
 今日は柔道部が当番の日で、所定の場所へ取りに出掛けた旗。それをポールのロープに結んで、高く掲げようとしたのだけれど…。
「ハーレイ先生、すみません」
 もっと注意してやるべきでした、と頭を下げた生徒の一人。彼がロープを引いたのだろうか。
「お前のせいじゃないと思うがなあ…」
 何処かに引っ掛かっちまったようだ、とハーレイが引っ張ってみるロープ。軽く引いてみたり、力を入れてグイと引いたり。
 けれど、ロープはビクともしない。旗と一緒に止まったままで。
「えっと…。サイオンは使わないんですか?」
 引っ掛かったんなら、それで動かせませんか、とハーレイに提案したのだけれど。
「人間らしく、が基本だろ?」
 社会のマナーで、ルールとも言う。…サイオンは出来るだけ使わないこと。
 使えばなんとかなるんじゃないか、っていう時でもな。



 此処は学校だから、余計にそうだ、と手で引っ張っているロープ。生徒に教える立場の教師が、そうそうサイオンを使えるか、と。
「だがなあ…。止まっちまった場所も悪いし、なんとかせんと」
「え…?」
 どういう意味か、と首を傾げたら、「この旗さ」とハーレイは上を指差した。
「半分しか揚がっていないだろ。本当に丁度、半分ってトコだ」
 これは良くない。まるで揚がらない方がマシってもんで…。
 おっと、お前たちは気にするなよ?
 単なる俺の気分ってヤツだし、旗はシャキッと上まで揚がってこそだしな。
 とにかくこいつは、俺がなんとか直すから、と動かないロープと格闘を続けているから…。
(…どう良くないのか、訊けないよね?)
 旗が止まってしまった場所。
 気になるけれども、此処で自分が質問したなら、柔道部の生徒にも聞こえてしまう。ハーレイが懸命に旗を揚げようとしている理由。「止まっちまった場所が悪い」と。
 ハーレイは隠しておきたいわけだし、この話は…。
(後で訊こうっと…)
 今日、ハーレイが仕事の帰りに、家を訪ねて来てくれたなら。
 それまで旗を覚えていたら。
 半分しか揚がっていない旗だと、どうしてハーレイは「良くない」と思ってしまうのか。



 忘れないようにしなくっちゃ、と校舎に入って、教室に着くなりメモに書き込んだ。鞄の中から出したメモ帳、それを一枚、破り取って。
 真ん中に大きく「旗が半分」、その文字をクルッと取り巻く丸印も。
(これで良し、っと!)
 メモを見たなら、きっと思い出すことだろう。さっき見て来た光景を。ポールの途中で止まった旗と、揚げようとしていたハーレイを。
 家に帰ったら、一度は必ず開けるのが鞄。制服を脱いで着替える時に。
 これに入れたら大丈夫、と目立つ所に突っ込んだメモ。鞄の内ポケットから顔を出すように。
 そうやってメモも入れたというのに、授業を幾つも受ける間に忘れてしまった旗のこと。
 今日の学校はこれでおしまい、と帰りにグラウンドの側を通ったら…。
(揚がってる…)
 ちゃんと上まで、と思い出して見上げたポールの天辺。其処に翻っている校旗。
 青い空にパタパタとはためく校旗は、とても誇らしげに広がっていた。見上げていたって、風は少しも感じないけれど、上の方では違うのだろう。いい風が吹いているのだろう。
 学校の紋章が描かれている旗、いつもは気にも留めない旗。
 ハーレイが上まで揚げておいたのか、他の先生が頑張ったのか。
(どっちなのかな…?)
 半分の旗も、旗を揚げた人も気になるけれども、分かるとしたら家に帰ってから。
 運よくハーレイが仕事の帰りに寄ってくれたら、どちらの謎も解けるだろう。
 旗が半分だと駄目な理由も、旗をポールの上まできちんと揚げておいた先生は誰なのかも。



 家に帰っても、忘れないでいた半分の旗。ポールの途中で止まっていた旗。
 鞄から出した「旗が半分」と書いてあるメモを勉強机に置いて、おやつを食べに一階に下りた。母が用意してくれたケーキと紅茶でゆっくりしてから、部屋に戻って。
 机の上のメモを眺めて、傾げた首。
(なんで駄目なの?)
 半分しか揚がっていなかった旗。ハーレイが「良くない」と言っていた旗。
 止まった場所が悪いと口にしたのだし、きっとあの場所が駄目なのだろう。揚げようとした旗が止まってしまった、ポールの半ば辺りの所。
 そうは思っても、分からない理由。どうして半分揚がった旗は駄目なのか。揚がらない方がまだマシだとまで、ハーレイが嫌った半分の旗。
 けれど旗には詳しくないから、いつも「あるな」と見ているだけ。
(前のぼくだって…)
 半分の旗は知らないらしくて、遠い記憶も引っ掛かって来ない。知っていたなら、「あれだ」とピンと来るだろうから。遠く遥かな時の彼方で得た知識でも。
(シャングリラに旗は無かったものね…)
 白いシャングリラにも、白い鯨になる前の船も。
 旗が翻るのを見てはいないし、ミュウとは縁が無かったもの。人類の世界にあっただけの物で、船の外でたまに目にしただけ。
 旗を揚げたのは人類の世界。どういう風に揚げていたのか、それさえ興味を抱いてはいない。
 だから知らない、半分の旗が駄目な理由も。



 前のぼくでも知らなかったことを、今のぼくが知ってるわけがないんだから、と考えていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、チャンス到来。
 母が運んでくれたお茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで向かい合うなり問い掛けた。
「朝の旗、あれからどうなったの?」
 途中で止まっちゃってた旗だよ、ハーレイ、揚げようと頑張ってたでしょ?
「アレか…。俺じゃどうにもならなかったし、結局、修理だ」
 他の先生たちも来てはみたんだが、引っ掛かったんじゃなくて滑車が壊れていたらしい。
 ポールの天辺についてるヤツだな、そいつを使ってロープと旗を動かしてるから…。
 帰りにはちゃんと揚がっていただろ?
 業者の人を呼んだら直ぐに来てくれたわけで、滑車も無事に直ったってな。
「修理することになっちゃったんだ…」
「当然だろうが、あのままにしておいちゃ駄目だしな」
 なにしろ半分揚がっているんだ、其処が大いに問題だ。
 あれじゃ縁起が悪くていかん。いくら壊れたからと言っても。
「縁起が悪い…?」
 旗が半分しか揚がっていないと、縁起が悪くなっちゃうの…?



 どうしてなの、と尋ねてみたら「知らないか?」と覗き込まれた瞳。…鳶色の瞳で。
「半旗、知らんか?」
 言葉のまんまだ、半分の旗という意味なんだが。
「半旗…?」
 なあに、それ…。そんな言葉は初めて聞いたよ、前のぼくだって知らないよ。
「そうそう無いしな、今の時代じゃ。…半旗ってヤツは」
 人間はみんなミュウになっちまって、平和そのものな時代だし…。
 色々な技術が進んだお蔭で、事故だって滅多に起こらないしな。
「…事故?」
 事故と旗って…。どうしたら半分の旗と事故とが結び付くの?
 助けて下さい、って旗を振るんだったら分かるけど…。此処にいます、って振り回す旗。
「そういう旗とは違うんだ。…半旗はポールに揚げておく旗で…」
 普段だったら、一番上まで揚げておくのが旗なんだ。…それは分かるだろ?
 しかし、誰かが亡くなった時は、半分までしか揚げないってな。その揚げ方を半旗と呼ぶんだ。
 弔意を表すって意味になるから、学校の旗がそれだとマズイぞ。
 誰も死んではいないわけだし、半旗だなんて縁起でもない。これから事故でも起こりそうでな。
 ウッカリ半旗を揚げたばかりに、誰かが事故に巻き込まれるとか。
「そうだね…」
 あの旗にそういう意味があるなら、ホントに大変。…縁起が悪いよ。
 滑車が壊れて止まった旗でも、見た目は半旗なんだから。
「お前がしつこく訊かなかったから助かった」
 あそこで説明する羽目になっていたら、柔道部のヤツら、気にしちまうしな。
 半旗を揚げたのはあいつらなんだし、心が落ち着かないってヤツだ。
 直ぐに直れば良かったんだが、あのまま授業になっちまったから…。
 業者を呼ぼうってことになった時には、あいつらは授業を受けていたしな。



 壊れた滑車の修理が出来たのは、一時間目が始まってから。
 ハーレイや他の先生たちが色々試して、「駄目だ」と業者に連絡したのが朝のホームルームの後だったから。「これは自分たちの手では直せない」と。
 業者が滑車を修理するまで、半旗になったままだった校旗。
 それは確かに、半旗の意味を知っていたなら気にするだろう。「まだ直らない」と、柔道部員の生徒たちだって。彼らが校旗を揚げようとしたら、途中で止まってしまったのだから。
 弔意を表す半旗にしたのは、柔道部員の生徒たち。…そんなつもりは無かったのに。
「ハーレイ、なんて言っておいたの?」
 柔道部員の人たちに。…ぼくはいいけど、あの人たちだって訊いたでしょ?
 旗が半分しか揚がっていないと、どうして駄目ってことになるのか。
「俺の気分の問題だ、とだけ説明したさ。…半分だけっていうのは駄目だ、と」
 そう言っておけば、「きちんと揚げるのが好きなんだな」とも取れるしな。
 旗が途中で止まっちまったら、だらしないようにも見えるから…。良くないってのも、そっちの意味に考えることも出来るだろ。
 同じ揚げるならシャキッとしろ、と。上まで揚がらないんだったら、揚げない方がマシだとな。
「そっかあ…。ハーレイなら、それも言いそうだもんね」
 柔道は礼を重んじる、って何度も聞いたし、旗もシャキッと。…途中で止まっただらしない旗、他の生徒も見るもんね。運動部が交代で揚げてるんなら。
「そういうこった。多分、それだと思っただろうな、あいつらだって」
 まさか半旗とは思うまい。…今の時代は、お目にかかる機会も少ないからな。
 揚げるようなことが滅多に無いんだ。運が良ければ一生、見ないで終わると思うぞ。



 あの連中にその気があったら、調べているかもしれないが…、とハーレイは顎に手をやった。
 上まで揚げるつもりで準備した校旗、それが半旗になってしまった運の悪い柔道部員たち。
「もっとも、調べようと考えたって…。無理かもしれんな」
 半旗って言葉を知らなかったら、まるで手掛かりが無いわけだから…。
 家に帰って家族に訊いたら、教えて貰えるかもしれないが。半旗って言葉を調べてみろ、と。
「それ、前のぼくも知らなかったよ」
 今のぼくじゃなくて、前のぼく…。前のぼくだって知らないままだよ、半旗って言葉。
 家に帰ってから考えたけれど、何の記憶も引っ掛かっては来なかったから…。
「だろうな、旗が無かったからな」
 天辺まで揚げる旗にしたって、半旗にしておく旗にしたって。
 シャングリラには旗は無かったわけだし、前のお前は半旗と無縁だ。…旗が無いんだから。
「作っていないものね、シャングリラでは」
 旗は一度も作らなかったし、旗を揚げるポールも無かったし…。
「無かったよなあ、お前のせいでな」
 お前がゴネなきゃ、旗だってきっとあっただろうに…。
「えっ…?」
 ぼくのせいだなんて、どういうこと?
 前のぼくが何かやったっていうの、シャングリラで旗を作れないように…?
「なんだ、忘れてしまったのか。…お前らしいと言えば、お前らしいが」
 嫌だったことは忘れちまうんだよな、まるで最初から無かったように。
 シャングリラで旗を作ろうって話、パアになっただけで、ちゃんと会議で出た議題なのに…。
 白い鯨にデカイ公園が出来上がってだ、アルテメシアに着いた後にな。
 あの公園ならブリッジからも良く見えるんだし、旗を揚げるには丁度いい、と。
 何処かにポールをドカンと建ててだ、ミュウの旗を毎日、揚げることにしよう、と。
「そうだっけ…!」
 ミュウの旗を揚げるんだったっけ…。人類がやっていたみたいに。



 白いシャングリラが、アルテメシアの雲海の中に居を定めた後。
 この星を拠点に地球を目指そうと、大きな夢を描いていた頃。いつか此処から旅立つのだ、と。
 幾つもの夢が広がった船で、ヒルマンとエラが言い出した旗。ミュウのための旗を作ろうと。
 人類の世界には、何種類も旗があるという。彼らの集団に合わせた旗が。
 首都惑星ノアのパルテノンに行けば、翻っているらしい沢山の旗。地球の紋章が描かれた旗や、人類が暮らす星々の旗。全部はとても掲げられないから、主だった星の分の旗だけ。
 言われてみれば、前の自分も目にしていた旗。アルテメシアに降りた時には。
「そういえば、アルテメシアにも旗があったかな…?」
 アタラクシアとかエネルゲイアで見掛けたような気がするよ。…そういう旗を。
「あると思うよ、ユニバーサルの前には間違いなくあるね」
 地球の紋章の旗とアルテメシアの旗が…、と答えたヒルマン。それと一緒に、エネルゲイアなら其処の紋章が入った旗が。アタラクシアなら、アタラクシアの紋章になる。
 常に掲げられている旗が三種類、時には増えるらしい旗。
 人類統合軍や国家騎士団、そういった軍の偉い人間が視察に来たなら、それらの旗が。軍全体は地球の紋章を使うけれども、人類統合軍や国家騎士団にも独自の旗があったから。
 揚げられる場所が何処であるかを示すのが旗。
 育英都市を束ねるユニバーサルなら、その星の旗と育英都市の旗、それに地球の旗。
 人類を統べる首都惑星なら、地球の旗と主な星々の旗と。



 それに倣ってシャングリラでも、と出された案。地球の紋章の旗の代わりに、ミュウだけの旗。
 ブリッジが見える一番広い公園に揚げれば、誰もが目にすることだろう。
 人工の光が作り出している船の昼と夜、それに合わせて毎朝、揚げる。夜は下ろして、また次の日の朝に高く掲げて…、と。
 揚げる係を定めてもいいし、希望者たちが交代でもいい。とにかく毎朝、ミュウの旗を揚げるというのが大切。このシャングリラはミュウの船だ、と表す旗を。
「良さそうじゃないか、旗ってのはさ」
 あたしたちだけの旗なんだろ、と乗り気になったブラウ。「素敵じゃないか」と。
 人類が旗を掲げているなら、ミュウにも旗があったって、と。
「わしも賛成じゃな。わしらの船にピッタリじゃわい」
 この船だけで生きてゆけるんじゃし…、とゼルも頷いた。自給自足で生きてゆけるよう、作った船が白い鯨だから。何処からも補給を受けることなく、飛び続けられるミュウの箱舟。
 もう人類から奪った物資に頼らなくても、誰も困りはしない船。
 衣食住の全てを船で賄い、余裕を持って暮らしてゆけるから。
 船全体が一つの世界で、小さいながらも自治権を持った星のよう。
 社会から弾き出されたミュウでなければ、何処かの星に立ち寄った時は、旗を掲げて貰える船。こういう客人が来ているから、とその星を纏める機関の前に。
 アルテメシアなら、ユニバーサルの建物の前に翻るのだろう。
 いつも掲げられている三種類の旗、それと並んでシャングリラを表すミュウたちの旗が。
 今はまだ、叶わないけれど。
 いつになったらその時が来るか、それさえも見えはしないけれども。



 そうは言っても、旗を作る案自体は悪くなかった。皆が眺めるミュウのための旗。毎朝、公園に掲げられる旗。
 きっと誰もが誇りを胸に、旗を見上げることだろう。これが自分たちの旗なのだ、と。
 いつか人類に認められたら、この旗を揚げて貰おうと。
 地球の紋章の旗と並べて、ミュウという種族を表す旗を。シャングリラで毎朝、掲げた旗を。
 とてもいい案に思えたけれども、心配な点が一つだけ。だからヒルマンに尋ねてみた。
「旗を作ろうというアイデアはいいね。ぼくも賛成だと言いたいけれど…」
 その前に一つ、訊いておきたい。…その旗の模様はどうなるんだい?
 旗には模様があると言ったね。ミュウのための旗には、どんな模様をつけるんだろう…?
「もちろん、ミュウの紋章だよ」
 船の誰もが知っているのだし、あれの他には考えられない。
 デザインも素晴らしい紋章だからね、あのまま旗に使えるよ。何処も手直ししなくてもね。
「それは困るよ…!」
 何も知らない人が見たなら、ただの模様で通りそうだけど…。
 この船の中じゃ、そういうわけにもいかないだろう。模様の意味を誰もが知っているんだから。
 どうして赤い色が入るか、あの赤は何を指しているのか。



 困る、と顔を顰めた紋章。ミュウの紋章はフェニックスの羽根で、孔雀の尾羽を元にしたもの。
 孔雀の尾羽には目玉の模様がついているから、ミュウの紋章にも同じに目玉。
 ただし、紋章に組み入れられた目玉は、ソルジャーだった前の自分の瞳。お守りの目玉。
 皆の制服にあしらわれた石、赤い石がお守りだったのと同じ。メデューサの目と呼ばれた、遠い昔の地球のお守り。メデューサの目は青い目玉だけれども、ミュウのお守りは赤い瞳だと。
 ミュウのお守りが赤い瞳なら、紋章に使う孔雀の尾羽の目玉も赤。
 そうしておこう、と赤い目玉がミュウの紋章にも組み込まれていたものだから…。
「ぼくの瞳がミュウの旗にも入るのは、ちょっと…」
 困ってしまうよ、ミュウの紋章には例の目玉があるんだから。…制服の赤い石と同じで。
「緘口令を敷いちまってるじゃないか、その件はさ」
 いずれは謎になっちまうよ、とブラウは他人事のように言ったし、ヒルマンも大きく頷いた。
「そうだよ、これから新しい仲間も増えてゆくのだし…」
 あの赤が何か知らない仲間が、きっと大勢になることだろう。どうして赤い石なのかも。
 だから旗には、ミュウの紋章で問題ないと思うがね?
 古い仲間も、すっかり忘れてしまっているよ。…我々の旗が地球に翻る頃にはね。
「地球だって…!?」
 引っくり返ってしまった声。自分の瞳があしらわれた旗が、憧れの星に掲げられるなんて、と。
 けれど、ヒルマンは意にも介しはしなかった。「そうだとも」と笑みを湛えただけ。
「地球まで辿り着いたからには、我々の存在が認められたということだ」
 そうなったからには、地球はもちろん、パルテノンや他の場所でも、我々の旗を掲げなければ。
 人類が揚げている幾つもの旗と並べて、ミュウの旗を掲げて貰うのだよ。
「それは、ぼくには最悪だから…!」
 君たちは良くても、ぼくにとっては最悪のシナリオと言ってもいい。
 広い宇宙の何処へ行っても、ぼくの瞳が描かれた旗が風に翻っているだなんてね…!



 あんまりすぎる、と拒絶したのがミュウの紋章。それをミュウの旗に描くということ。
 赤い瞳は自分の他にはいないわけだし、いたたまれない気持ちがするだけだから。
 そう思ったから、別のデザインにするのなら許す、と言ったのに。
 白いシャングリラの船体にあしらった、自由の翼とかミュウを表すMの文字とか。他にも意匠があるわけなのだし、旗にはそれを、と推したのに…。
「…あの紋章が使えないんじゃねえ…」
 まるでミュウらしくないじゃないか、とブラウが振った頭。「あれがいいのに」と。
「まったくじゃて。…船にも描いてあるというのに」
 わしらの船には、あれが似合いの紋章なんじゃ。旗も同じじゃ、わしらの旗にするのなら。
 他の模様の旗なぞ要らんわ、とゼルもブラウと同じ意見。
 ヒルマンとエラは最初からミュウの紋章を使うつもりだったし、別の案を出す気さえ無かった。
 赤い瞳が描かれた紋章を旗に使えないなら、旗など要らない、というのが総意。
 キャプテンだった前のハーレイも賛同したから、それっきり…。
「…シャングリラに旗、無かったっけ…」
 ミュウの紋章の旗は嫌だ、って前のぼくが反対しちゃったから…。
 他のデザインにして欲しい、って言っていたのに、誰も賛成しなかったから…。
「そういうことだ。…お前のせいで旗は無かった」
 作ろうって案は出たというのに、お前が却下しちまったんだ。…デザインのせいで。
 駄目だと切り捨てられちまったら、もうどうしようもないだろうが。
 前のお前はソルジャーだったし、俺たちだってゴリ押しは出来ん。…旗くらいではな。
 そういうわけで、あの船では旗は、作られないままになっちまった。
 だからだな…。



 後にアルテメシアを制圧した時、其処に掲げるミュウの旗は存在しなかった。
 かつて追われた雲海の星。旗を作ろうという案が出た時、シャングリラが潜んでいた惑星。
 遠い昔に夢見た通りに、アルテメシアにミュウたちの旗を掲げられる時がやって来た。
 アタラクシアでも、エネルゲイアでも、都市を統べていたユニバーサルの前に聳えるポールに。
 新たな時代の統治者になった、ミュウの存在を表す旗を高々と。
 人類側から「旗を掲げたい」と打診されたのだけれど、その旗を持っていなかったミュウ。
「…ジョミーが俺に、「旗をどうしようか」と訊いて来たから…」
 ミュウの紋章を入れた旗を作ろうと思ったらしいが、俺は許可しなかったんだ。
 そうする代わりに、「ソルジャー・ブルーの御意志だ」と言った。…旗が無いのは。
「ええっ!?」
 ハーレイ、ジョミーにそう言ったわけ…?
 ぼくが言ったから、シャングリラにミュウの旗は無くって、新しく作れもしないって…?
「何か間違ったことを言ったか?」
 全部、本当のことだろうが。…シャングリラに旗が無かった理由も、お前の気持ちも。
 それに、お前の思い出を守りたかったしな。
 あんなに嫌がっていたんだから。…ミュウの紋章入りの旗は嫌だ、と。
 いくらジョミーの時代だとはいえ、それを崩してしまいたくはない。お前が嫌がったデザインの旗を、お前がいなくなった後に作るだなんて。
 …ヒルマンたちも同じだったさ、「それで良かろう」と頷いてくれた。
 ミュウの旗を掲げたい気持ちはあったようだが、前のお前の思いを大切に守りたい、とな。



 ハーレイが許可を出さなかった旗。人類側は「旗があるなら掲げたい」と打診して来たのに。
 そして「ミュウの世界に旗などは無い」と返答したジョミー。
 どういう理由か訊きもしないで、「それがブルーの意志だったなら」と。
 ミュウたちは旗を持たなかったから、旗を作って掲げる代わりに、地球の紋章の旗を下ろした。もう支配者は機械ではないと、彼らの旗は必要無いと。
 アルテメシアの旗と、エネルゲイアやアタラクシアの旗を残して。
 旗を掲げるためのポールは、一本だけ旗を失った。地球の旗は下ろされてしまったのだし、次の支配者は旗を持たないミュウだったから。
 それから後に制圧した星は、何処でも同じ。首都惑星だったノアが陥落した時も。
「…そうだったんだ…。ミュウの旗を揚げて貰う代わりに、地球の紋章の旗を下ろすだけ…」
 旗の無いポールが一つ出来たら、ミュウが支配する星だったんだ…?
 地球の紋章の旗はもう要らないから、その旗、ポールから下ろしてしまって。
 …なんだか寂しい気もするけれども、ミュウの紋章の旗が揚がるよりは、やっぱりマシかな。
 前のぼく、とっくに死んじゃってたけど、それでも何処かで見ていたのかもしれないし…。
 ジョミーが旗を作っていたなら、「酷い」と泣きたくなっただろうしね。
「そんなトコだな、前のお前は」
 強いくせして、おかしな所で泣き虫なんだ。…それに恥ずかしがり屋だったっけな。
 制服の石が赤い理由を、ジョミーにも教えずに逝っちまった。
 だからジョミーは分かっちゃいないぞ、どうして旗が駄目だったのか。
 ソルジャー・ブルーは旗というヤツが好きじゃなかった、と思っていたかもしれないな。
 いったい何があったんだろうと、旗を嫌いになった理由は何なんだろう、と首を捻って。
「…そこまでは責任持てないよ…」
 前のぼくの意志だってジョミーに言ったの、ハーレイじゃない。
 だからハーレイの責任なんだよ、旗が無かった理由でジョミーが悩んじゃったんなら。
「さあ、どうだか…」
 俺はお前の気持ちを思って、「旗は駄目だ」とジョミーに言った。
 お前、さっき自分で言ってただろうが、死んだ後でも、あの紋章の旗は嫌だとな。



 何もかも前のお前のせいってわけで…、とハーレイに真っ直ぐ見詰められた。
「シャングリラに旗は無いままだったし、ミュウの旗だって無かったわけだ」
 嫌だと言われたら仕方ないしな、あの紋章の他には考えられなかったし…。ミュウの旗には。
 それをお前が却下したから、前の俺たちには旗が無かった。…掲げるためのポールが出来ても、掲げてくれる星を手に入れても。
 全部お前のせいだったんだぞ、今の旗もな。
「今の旗…?」
 それって何なの、今の旗っていうのは何…?
「あるだろ、宇宙全体の旗。…学校じゃ揚げていない旗だが…」
 政府の機関が入ってる場所や、大勢の人が集まる博物館とかに揚がっているヤツ。
 地球がデザインされている旗だ、学校の授業でも教わるだろう?
 この旗が宇宙のシンボルです、とな。
「知っているけど…。そういう旗はあるけれど…」
 ぼくのせいだなんて、なんでそういうことになるわけ?
 あの旗のデザイン、前のぼくは全然知らないよ?
 地球をデザインするんだったら、こういう旗が素敵だよね、って思ったことも無いけれど…?
「前のお前はそうだったろうな、旗をデザインするとは思えん」
 それをやってりゃ藪蛇ってヤツで、「丁度いいから」とミュウの紋章の旗を作られちまうから。
 だがな…。ミュウの旗が何処にも無かったというのが問題なんだ。
 あれを作る時にミュウの旗があったら、人類側の旗のデザインと絡めりゃ良かった。
 ジョミーが「下ろせ」と命じて進んだ、地球の紋章が入った旗だな。
 そうすりゃ、ミュウと人類の時代に相応しい旗が出来たのに…。
 お互いの旗を半分ずつ使って、これからの時代は旗と同じに手を取り合おう、と。
 しかし、肝心のミュウの旗が無かったもんだから…。



 人類の旗と組み合わせようにも、旗を持ってはいなかったミュウ。誰も作らなかったから。
 組み合わせることが出来ないのなら、と人類側も自分たちの旗を捨てることになった。
 宇宙全体を表す旗は、トォニィの時代に、一から新しく出来たデザイン。
 ミュウと人類が案を出し合って、新しい時代を象徴する旗を作って掲げた。
 その頃にはまだ再生していなかった地球を中心に据えて、宇宙全体を表す旗を。
「お前、旗では、とことん迷惑かけたってな」
 全ての始まりの英雄とはいえ、旗の件では、トォニィの代まで迷惑を…。
 ジョミーは旗をどうしようかと悩んだ挙句に、俺に「駄目だ」と言われちまったし…。
 お前が我儘を言ったばかりに、今の時代まで引き摺ってるわけだ。
 ミュウの紋章の欠片さえも無い、ああいう旗が宇宙全体の旗なんだから。
「それでいいんだよ、前のぼくの瞳が今もあるより…!」
 運が悪かったら、前のぼくの瞳、今の旗にも入っていたかもしれないから…。
 あの旗を今のぼくが眺めたら、ピンと来ちゃうかもしれないから。
 此処のデザイン、前のぼくの瞳を使ってるよ、って。
 そんなの嫌だよ、恥ずかしすぎるよ…!
 シャングリラどころか、地球にも、宇宙全体にだって、ぼくの瞳の旗なんて…。
 あれから凄い時間が流れて、今のぼく、やっと地球に来たのに…。
 旗が揚がっている所に行ったら、嫌だった旗があるなんて…。
 ジョミーが後から作った旗のデザイン、今の時代まで生き残ってしまっているなんて…!



 酷すぎるよ、と悲鳴を上げた。考えただけでも恥ずかしいから。
 前の自分の赤い瞳をデザインしていたミュウの紋章。それを使ったミュウたちの旗。
 今もデザインが残っていたなら、きっといたたまれない気持ちだから。
(穴があったら入りたい、って…)
 そういう時に言うんだよね、と考えてしまうような光景。宇宙のあちこちに自分の瞳。
 前の自分の瞳だけれども、自分の瞳には違いないから…。
 これでいいんだ、と開き直っておくことにした。
 ハーレイに教えて貰った旗。
 半分しか揚がっていなかった校旗、それのお蔭で分かった事実。
 前の自分が反対したから、ミュウには無かったらしい旗。
 ジョミーの時代になった後にも、人類たちがミュウの旗を掲げたいと言う時代が来ても。
 それに、ミュウと人類が和解した印、そういう旗を共に作ろうという案が出た時も。
(…ミュウの旗、無くても別にいいよね…?)
 宇宙全体を表す旗には、今も使われているデザインの方が、きっといい。
 ただ組み合わせて使うだけより、ミュウと人類がアイデアを出し合ってデザインした旗。
 その方がずっと、新しい時代に相応しい旗だと思うから。
 古い時代を引き摺る旗より、平和な時代に似合いの素敵な旗だから。
(…ぼくだって、今はただのチビだし…)
 前の自分の瞳の旗は欲しくない。
 ハーレイと二人、青く蘇った地球で、平凡に生きてゆきたいから。
 ソルジャー・ブルーの記憶を持っていたって、ただそれだけのチビなのだから…。




             無かった旗・了


※前のブルーが嫌がったせいで、ミュウの船には無かった旗。後の時代に困ったようです。
 星を落としても旗は掲げられず、人類と和解した後も、デザインを混ぜた旗を作れなくて…。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








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