シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あっ、赤ちゃん…!)
可愛い、とブルーが見詰めた親子連れ。学校からの帰りの路線バスで。
母親に抱かれた赤ちゃんと、幼い娘を膝に座らせた父親と。街に出掛けた帰りなのだろう。良く見える場所に座っているから、つい見てしまう赤ちゃんの姿。
まだ小さくて、一歳にもなっていないのだろうか。ニコニコ笑顔が可愛らしい。
(トォニィみたいな髪の毛だよ…)
お揃いの色、と眺めた赤ちゃん。フワフワの巻き毛もトォニィのよう。
名前はトォニィなんだろうか、と考えたけれど、違った名前。あやす母親が呼んだ名前は、全く違うものだった。トォニィとは似ても似つかない名前。
けれど、何故だか良く似合う。「あの子はそういう名前なんだ」と。
(みんなトォニィとは限らないよね…)
あの髪の色で、巻き毛の子供は。
中にはトォニィもいるだろうけれど、誰もが名付けてしまったら…。トォニィだらけで、きっと困ってしまうと思う。将来、幼稚園に入った時とか、学校に行った時とかに。
(先生が名簿で呼ぶなら、大丈夫だけど…)
そうでない時、大勢の子供の群れに向かって「トォニィ」と呼んだら、みんなが振り向く。あの髪の色の子たちが、一斉に。
それは如何にも大変そうだし、トォニィでなくて正解だろう。赤ちゃんの名前。
本当にトォニィを思わせるけれど。…前の自分が会ったトォニィ、あの子が赤ちゃんだった頃の姿はあんな具合、と。
(今のハーレイに見せて貰ったしね?)
赤ん坊時代のトォニィの姿。だからそっくりだと思う。本物だったトォニィに。
可愛いよね、と赤ちゃんを見詰めて、大満足。
トォニィが赤ん坊だった頃には出会っていないけれども、きっとああいう風なんだよ、と。
一人っ子で姉はいなかったけれど、両親と一緒で、可愛がられて。
見惚れてしまっていた赤ちゃん。今は失われた赤いナスカが、平和だった時代を思いながら。
その内に着いた、自分が降りるバス停。降りようとして席を立ったら、手を振って来た女の子。父親の膝に座った、赤ちゃんの姉。そういえば、その子はこちらを見ていた。何回も。
挨拶しなきゃ、と「バイバイ」と手を振り返したら…。
「ソルジャー・ブルー!」
バイバイ、と笑顔が弾けた女の子。「またね」と大きく振られた手。バスから降りても、懸命に手を振っていた。伸び上がって、こちらの方を見ながら。バスが動き出して、走り去るまで。
(…ソルジャー・ブルー…?)
ぼくが、とポカンと見送ったバス。
トォニィに似てる、と見ていた赤ちゃんの幼い姉には、ソルジャー・ブルーに見えていた自分。チビだけれども、確かにそっくりだから。銀色の髪も赤い瞳も、髪型だって。
(…それで何度も見てたんだ…)
自分が弟の方を見ている間に、あの子はあの子で、「あんな所にソルジャー・ブルー」と。
まだ幼稚園くらいの女の子なのに、「見付けちゃった」と目を丸くして。
ほんの小さな女の子でも知っていた名前。ソルジャー・ブルーと呼ばれた前の自分の顔も。
(何処から見たって、幼稚園だよ?)
学校に行くには小さすぎると思うんだけど、と女の子の顔を思い返したけれど。
よく考えたら、今の自分も幼稚園の頃には知っていた。
ソルジャー・ブルーという名前を。どういう顔をしていた人かも。
今の自分の名前は、彼に因んだ名前。アルビノの子供に生まれて来たから、両親が付けた。遠い昔のミュウの英雄、ソルジャー・ブルーの名前を貰おうと。
けれど、自分の名前が「ブルー」でなくても、さっきの女の子くらいの年なら、もう知っていたことだろう。ソルジャー・ブルーという人のことを。
ミュウの時代の、青い地球の礎になった偉大なソルジャー・ブルー。
歴史の授業では必ず習うし、学校に上がる前から何処かで聞く名前。今の時代に生まれたら。
(…大英雄だしね…)
それにしたって有名過ぎだよ、と溜息をついて帰った家。自分の方では、赤ちゃんのトォニィにすっかり夢中だったというのに、赤ちゃんの姉が見ていたものは…。
(トォニィに似てる弟じゃなくて、ぼくの方…)
しかもソルジャー・ブルーのつもりだったなんて、と考えてしまう、おやつの時間。母がお皿に載せてくれたケーキを食べながら。
どうして前のぼくだけが、と。赤ちゃんのトォニィがいたというのに、と。
トォニィそっくりの弟を自慢すればいいのに、ソルジャー・ブルーの方を見ていた女の子。赤い瞳に銀色の髪で、ただ似ているというだけのことで。
(トォニィだって、英雄だよ?)
記念墓地にはトォニィの墓碑は無いのだけれども、ミュウの英雄には違いない。ジョミーの跡を継いだソルジャーだったし、ミュウの時代の基盤を築き上げたのだから。
そのトォニィに似ていた弟、そっちは放ってチビの自分に夢中だった幼い女の子。
(…あの子に小さなお兄ちゃんがいて、その子がジョミーそっくりでも…)
きっと注目を浴びたのは自分。ジョミーに似ている兄よりも、やっぱりソルジャー・ブルー。
なんとも酷い、と思うけれども、そうなるのが目に見えている。
(トォニィじゃ駄目で、ジョミーでも駄目で…)
キースだって、駄目に違いない。ジョミーと同じに英雄だけれど、小さなキースがお兄ちゃんで一緒にいたとしたって、女の子の目が向くのは自分。ソルジャー・ブルーにそっくりだから。
(注目されるの、前のぼくばかり…)
後の二人のソルジャーの方も、もっと有名でいいと思うのに。
ソルジャー・ブルーと同じくらいに、ジョミーも、それにトォニィだって。
(一応、人気はあるんだけどね…)
写真集だって出ている二人。今の時代も人気のソルジャー、ジョミーとトォニィ。
それなのに、なんで駄目なんだろう、と頬張ったケーキ。
前のぼくばかり目立たなくてもいいのに、と。トォニィたちにも目を向けてよ、と。
おやつを食べ終えて、戻った二階の自分の部屋。
勉強机に頬杖をついて、さっきからの続きを考える。前の自分だけが目立っていること。
(校長先生の挨拶、「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」は定番だけど…)
下の学校でも何度も聞いたし、今、通っている学校でも。入学式とか始業式の時の、お決まりの言葉。こうして学校で学ぶことが出来るのも、ソルジャー・ブルーのお蔭だから、と。
(…ミュウの時代にならなかったら、学校どころじゃないものね…)
ミュウは人類に処分されるか、檻に入れられて実験動物にされてしまうか。学校に通うなど夢のまた夢、生きる権利さえも無かったのが前の自分たち。
確かに前の自分は「始まりのソルジャー」だったのだろう。初代のミュウたちを乗せていた船、それを守って生きたから。守るために命も捨てたのだから。
そうは言っても、目立ち過ぎだと思う。…こうして記憶が戻って来たら。
前の自分の跡を継いだジョミーはとても頑張ったのだし、もっと評価をされるべき。ジョミーがしたこと、それは本当に大きくて凄いことだったから。
(SD体制を倒して、自然出産だって…)
ジョミーが「命を作ろう」と言わなかったら、トォニィたちは生まれていない。赤いナスカで、ミュウの大地で生まれた子たち。
彼らは揃ってタイプ・ブルーで、あの子供たちがいなかったなら…。
ミュウが地球まで辿り着くには、長い時間がかかっただろう。ジョミーの代で行けたかどうか、それすらも分からないくらい。
ナスカの子たちは、誰もがソルジャー級だったから。戦いを有利に進めることが出来たから。
その子供たちが生まれた切っ掛け、「命を作ろう」というジョミーの宣言。
完璧な管理出産の時代に、それを実行に移したジョミー。もう一度、自然出産を、と。
(トォニィだって凄いんだよ…)
初めての自然出産児。もうそれだけで、前の自分よりも凄いと思う。
母親の胎内で育った子供。SD体制が始まって以来、そんな子供は何処にもいなかったのに。
そうやって子供が生まれることさえ、人間は忘れかけていたのに。
生まれからして凄いトォニィ、誕生自体が歴史の節目。機械の時代の終焉の兆し。
(前のぼくだと、ミュウ因子を持っていただけの子供…)
トォニィと同じタイプ・ブルーでも、全く違う。
機械が組み合わせた交配で生まれた、偶然と言ってもいい産物。ジョミーも同じで、人工子宮で育てられた子供。あの時代は、それが普通だったけれど。
(でも、トォニィは本物の…)
お母さんから生まれた子供なんだよ、と考えた所で気が付いた。
帰りのバスでも「トォニィみたい」と、赤ちゃんを眺めていたけれど。その赤ちゃんより目立つ前の自分はどうなんだろう、と思ったけれど。
(…前のぼく、ちゃんと知っていたっけ…?)
キースが人質に取ったトォニィ、あの日、格納庫で出会った時に。
「人質を一人、解放しよう」とキースが無造作に投げた、幼いトォニィを受け止めた時に。
トォニィがどういう子供なのか。
どれほどの価値を持っているのか、どうやって生まれた子供なのかを、前の自分は…。
(えーっと…?)
遠い記憶を手繰ったけれども、まるで気付いていなかった自分。
「子供が危ない」と守っただけ。満足に動けもしない身体で飛び出しただけ。
トォニィを庇って床に叩き付けられて、思念波も紡げなかったほど。ナキネズミのレインの力が無ければ、ブリッジに連絡も出来なかったほどに。
それでもトォニィを腕にしっかり抱えてはいた。「早く手当てをしなければ」と。
トォニィは酷い怪我をしていて、仮死状態。早く手術を、と祈ったけれども、たったそれだけ。腕の中にいる幼い子供が、何者なのかは知らなかった。医療班が駆け付けて来るまで、ずっと。
(だったら、いつ…?)
いつなのだろうか、ナスカの子たちの正体に気が付いたのは?
医療班はトォニィと自分をメディカル・ルームに搬送しただけ、彼らから何も聞いてはいない。もちろんドクター・ノルディからも。
何も聞かされた覚えは無いというのに…。
(フィシスに会いに行った時には…)
もう知っていた。
赤いナスカで、あの子供たちが生まれたことを。
自然出産で生まれたのだと、トォニィの他にも、母の胎内から生まれた子たちがいるのだと。
けれど、全く記憶に無い。
フィシスに会った時には知っていた子たち、彼らに会った記憶が無い。トォニィにだって、その正体を知った後には…。
(…会っていないよ?)
それなのに何故、前の自分は、トォニィたちのことを知っていたのだろう。誰からそれを聞いていたのか、まるで記憶に残っていない。
どうしてだろう、と考え込んでいたら、仕事の帰りにハーレイが訪ねて来てくれた。チャイムを鳴らして、「よう」と笑顔で。
きっとハーレイなら知っている筈、と早速、切り出したトォニィたちのこと。テーブルを挟んで向かい合わせで。
「ねえ、ハーレイ…」
「なんだ?」
「前のぼく、ナスカの子たちに会っていないよ」
トォニィには格納庫で会ったけれども、他の子たちには。
「何を言うんだ、会っただろうが。…メギドの炎を防いだ時に」
どの子も揃っていたじゃないか。それをジョミーに託してしまって、お前は一人きりでメギドに行っちまったんだ。
…誰にも応援を頼みもしないで、たった一人で。
「その前だよ…!」
まだシャングリラもナスカも無事だった頃だよ、逃げたキースが戻って来る前…。
その時のぼくは、自然出産で生まれた子供たちのことは知っていたけど、会っていなくて…。
SD体制始まって以来の、初めての自然出産児だなんて、とっても凄いことなのに…。
会ってみたいと思う筈なのに、どうして会っていないんだろう?
ぼくに話をしてくれた人は、あの子供たちに会わせようと思わなかったわけ…?
会わせるつもりが無いんだったら、話す必要、無さそうなのに…。
「おいおい…。そんな酷いことを考える筈が無いだろう」
本当だったら、前のお前に一番に知らせたいほどのニュースなんだぞ、トォニィのことは。
お前が目覚めたら話したかったし、前の俺だってそのつもりで…。
いや、待てよ…?
そういやそうか、と翳ってしまったハーレイの顔。ほんの一瞬だったけれども。
「結果的には、そうなっちまったのか…」と、小さな溜息を一つ零して。
「…前のお前には、報告しかしていなかったんだ。目覚めた後は」
「え?」
目覚めた後って…。どういうこと?
「起きる前なら、話していたということさ。…眠り続けていたお前にな」
お前の所を訪ねた時には、全部話した。カリナが身ごもった時から何度も、眠るお前の枕元で。
ゆりかごの歌も歌ってやったろ、トォニィのための子守歌だったからな。
…いつかお前が目覚めた時には、ゆっくり話そうと思っていた。俺がこの目で見たことを。
もちろん、あの子供たちも紹介して。
だが、前のお前が目覚めた時には、トォニィは重傷を負っていただろう。意識も無かった。他の子たちはナスカにいたし…。
そんな時だったから、「実は、あの子たちは…」と報告がてら話しただけだ。
前のお前を、ゼルたちと一緒に見舞った時に。
「…そうだったっけ…」
ホントだ、ハーレイが言う通りだよ。
前のぼくは自然出産のことも、子供たちのことも、聞かされただけ…。
キースが船で起こした騒ぎや、脱出したキースを連れて逃げたミュウがいた話と一緒に…。
それにカリナが死んじゃったことや、シャングリラの被害状況とかも…。
すっかり忘れてしまっていた。前の自分がナスカの子たちの存在を知った時のこと。
他の色々な報告と一緒に、自然出産の子供が七人、生まれたのだと聞いただけ。
トォニィもそうだと知ったけれども、重傷だったから面会謝絶。会ったとしても話は出来ない。他の子供たちは、あの時には、まだナスカの自分の家にいたから…。
(ナスカ、船からでも見られる力は持っていたけど、使えなくて…)
十五年もの長い眠りから覚めたばかりの弱った身体は、サイオンを自在に使いこなせなかった。船からナスカを見られるほどには。
充分に回復していたのならば、どんな子たちか見られただろうに。…青の間から。
けれど出来ずに、「そういう子たちが生まれたのだ」とだけ知った。
SD体制始まって以来、初めての自然出産児。母の胎内から生まれた子供。ミュウという種族の未来を担う子。
(幸せに育って欲しい、って…)
一番初めに考えたことは、それだった。
記念すべき自然出産児の子供たちの未来に、幸多かれと。幸せな未来を掴んで欲しいと。
会えたら彼らを祝福しようと、この目で見たいと強く願った。
トォニィの怪我も跡形も無く治るようにと、目覚めたら話し掛けたいと。
「はじめまして」と、「君がトォニィ?」と。
自分に残された時間が少ないことは悟っていたのだけれども、ミュウの未来を生きる子だから。
最初は本当にそうだった。…トォニィにも、他の子供たちにも、会って話をしたかった。
そう思ったのに、次々と昏睡状態に陥った子たち。治療のためにと、ナスカからシャングリラに運び込まれて来た子供たち。
それで気付いた異変の兆候。フィシスが恐れた不吉な風。…赤いナスカに死の風が吹く。
(変動の予兆なんだ、って…)
眠り続ける子供たち。彼らの眠りが示しているのは、ナスカに訪れるだろう滅びの時。
そう思ったから、子供たちを見舞いに出掛けなかった。
彼らの誕生を知った時には、姿だけでも船から見たいと願ったのに。会って話したかったのに。
今、出掛けたなら、眠る彼らを見られるのに。
(…だけど、あの子たちは…)
次の時代を生きてゆく子たち。これから訪れる破滅を乗り越え、ミュウの未来へゆく子供たち。
彼らはこれから生きてゆくのだ、と考えただけで竦んだ足。
下手に会ったら、きっと泣き出すだろうから。…眠る子供たちを見ただけでも。
(ぼくの命は尽きるのに…)
ナスカで尽きる予感がするのに、子供たちはミュウの未来を生きる。
自分の旅は此処で終わって、青い地球へは行けないのに。青い星は夢で終わるのに。
けれど、トォニィたちの命はこれから。
ミュウの未来を生きて、生き抜いて、きっと地球まで行くのだろう。
そんな彼らには、とても会えない。
彼らの未来が羨ましすぎて、泣き出すことが分かっているから。
その場では涙を堪えたとしても、青の間に一人、戻った途端に、涙は堰を切るだろうから。
会えはしない、と思った子たち。自分は見られない、青い地球まで行く子供たち。
(あれって、嫉妬してたんだよね…)
未来を生きる子供たちに。寿命が尽きる自分と違って、輝かしい未来を持つ子供たちに。
今から思えば、我慢して会っておけば良かった。一人一人に祝福の言葉を贈るべきだった。前の自分が妬んだ子たちは、七人揃って地球には着けなかったから。
(…アルテラも、コブも、タージオンも…)
地球を見ないで逝ってしまった。ミュウの未来を作るためにだけ、戦って暗い宇宙に散った。
彼らにも夢があっただろうに。
あんな時代に生まれなかったら、子供らしく生きて育ったろうに。
今の自分が、こうして生きているように。両親に愛されて、幸せに育って来たように。
なのに、未来が無かった彼ら。…前の自分が嫉妬した未来、それを持ってはいなかった子たち。
ああなるのだったら、前の自分は、なんと酷いことをしたのだろう。
「あの子供たちには未来があるから」と、嫉妬して会わなかっただなんて。
会えば自分が辛くなるから、顔を出しさえしなかったなんて。
本当だったら、誰よりも先に、言葉を贈るべきだったのに。
前の自分が後継者にと選んだジョミー、彼が望んで生まれた子たち。ミュウの未来を担ってゆく七人の子供たち。
ミュウの未来をよろしく頼むと、ジョミーと一緒にどうか地球へと、頼むべきだった子供たち。
それをしないで、前の自分は殻の中に一人、籠っていた。
自分は行けない地球を見る子たち、彼らには未来があるのだから、と。
なんとも、みっともない話。…前の自分の、ソルジャー・ブルーとも思えない行動。
どうしようかと迷ったけれども、抱えていても仕方ない。それに自分は生まれ変わりで、弱虫でチビの子供だから、と今のハーレイに打ち明けた。「ホントはね…」と。
「…前のぼく、トォニィやナスカの子たちに、会えるチャンスがあったのに…」
話をするのは無理だったけれど、お見舞いだったら行けたのに…。
だけど行かずに、放っておいてしまったんだよ。…あの子たちは地球に行くんだから、って。
ぼくは見られない地球を見られる、幸せな子供たちだから、って…。
みっともないよね、ホントに酷い…。自分のことしか考えてなくて、おまけに嫉妬…。
あの子供たちは、揃って地球には行けなかったのに…。アルテラたちは死んじゃったのに…。
「みっともないって…。それが普通だろ?」
人間としては、ごくごく普通の感情だ。自分よりも恵まれているヤツが、羨ましいと思うのは。
この野郎、と思っちまうのも。
相手が小さい子供だろうが、やっぱり考えちまうだろうが。「お前は幸せでいいよな」と。
人間たるもの、そうでなくちゃな、いくらソルジャー・ブルーでも。
ミュウの初代のソルジャーだろうが、人間には違いないんだから。
「…それが普通って…。本当に…?」
今のぼくなら仕方ないけど、前のぼくはソルジャーだったんだよ?
「だからこそだな、普通な部分も持っていないと辛いじゃないか。お前自身が」
お前も最後に人間らしく嫉妬してたか、と俺は嬉しく思っているぞ。
何の未練も無かったみたいに、真っ直ぐに飛んでっちまったから…。
もう戻れないと分かっていたのに、前の俺まで捨ててしまって、メギドへな。
「……ごめん……」
ホントにごめんね、ハーレイを置いて行っちゃったこと…。独りぼっちにしちゃったこと。
どんなに辛いか考えもせずに、ぼくの形見も残さないで…。
「謝るな。…とっくに終わったことなんだからな」
それに、あの時は、あれが最善の道だと俺も思っていたんだし…。
後からよくよく考えてみれば、道は他にも幾つもあった筈なんだがな。
俺だって選択を誤ったんだ、とハーレイは優しく慰めてくれた。「お前だけじゃない」と。
「前のお前の嫉妬の方が、選択ミスとしては、よっぽどマシだ」と。
「…お前は子供たちに言葉を贈り損なっただけで、嫉妬も人間にはありがちだが…」
前の俺のミスは、それどころじゃない。…前のお前を失くしちまった。
ナスカに残ろうとした仲間たちも大勢喪ったわけで、キャプテンの判断ミスの結果だ。あの時点ではベストを尽くしたつもりでいたって、今から思えば痛恨のミスというヤツなんだから。
アレに比べりゃ、前のお前の嫉妬くらいは可愛いモンだな。
そういや、お前…。
あの子たちのことは、殆ど知らんか。…今のお前が知っているだけで。
「シャングリラでは会わないままだったけれど、ちゃんと会えたよ?」
メギドの炎を受け止めた時に、ナスカの上空で。
いきなり成長しちゃっていたから、トォニィ以外は小さかった頃を知らないけれど…。
それでも一人残らず会えたし、気を失ってた子供以外は声も聞けたよ。
…ペスタチオとツェーレンは、ジョミーが連れて帰る前には、ぼくが抱えていたんだから。
「だが、その程度しか知らんだろうが。…直接はな」
お前が知ってる、あの子たちが生まれてからのこと。トォニィも、それにアルテラたちもだな。
色々なことを知ってる筈だが、それは知識で記憶じゃない。
今の俺が教えてやったこととか、歴史の授業で習ったことが殆どを占めているんじゃないか?
お前が直接目にしたものは、ほんの少ししか混ざってなくて。
「…そうなのかも…」
トォニィだって、会ったのは二回だけだったし…。他の子たちは一回きりだし…。
「もったいないなあ、歴史的な時に生きてたのにな」
SD体制始まって以来の、初めての自然出産児だぞ?
前のお前が起きてさえいれば、歴史的瞬間に立ち会えたのに…。
「そうだね…」
生きていたけど、見損ねちゃったね。…人の歴史が変わる所を。
人間が人工子宮からじゃなくって、お母さんのお腹から生まれる時代に戻ってゆくのを…。
前の自分は同じ時代に生きていたのに、眠っていたから何も知らない。
ジョミーが命を作ろうと決めて、それが実行に移されたことも。自然出産の子供たちがナスカで生まれたことも。
最初に生まれたトォニィに会っても、その特別さに気付かなかった前の自分。どういう生まれか知っていたなら、もっと大切に抱き締めたろうに。…格納庫で救助を待つ間に。
「この子が本物の子供なのか」と、「母親の胎内から生まれた子か」と。
身動きも出来ないほどに弱っていたって、残った力で撫でたり、頬をすり寄せたりもして。
「…前のぼく、ホントに、もったいないことしちゃったね…」
トォニィが生まれる前から起きていたなら、とてもワクワクしたんだろうに…。
「まったくだ。あの時の賑やかだった空気を知らないなんてな」
ナスカに入植した時以上に、船も、地上もお祭り騒ぎという有様だ。子供が生まれるんだから。
俺たちは日々、カリナの出産を心待ちにしていたわけでだな…。
ん?
駄目だな、お前は知らなかった方が良かったんだな。…眠ったままで正解だった。
「知らなかった方がいいって…。何を?」
もったいないって先に言ったの、ハーレイじゃない。なのに、知らなくていいなんて…。
「知らない方がいいことも、世の中には色々あるからな」
トォニィが生まれた時のことだ。そいつが大いに問題で…。あれは、お前じゃ耐えられないぞ。
「耐えられないって…。何に?」
「出産の痛みというヤツだ」
凄かったんだ、とハーレイは顔を顰めるけれど。
「何、それ…?」
「だから痛みだ、出産の時の。…トォニィが生まれて来た時のな」
歴史の授業じゃ、其処まで教えないからなあ…。医者になるための学校だったら別だろうが。
トォニィを産む時にカリナが味わった痛み、それが俺たちを襲ったってな。
実は、病室にノルディが張らせた、思念波シールドが破れちまって…。
病人や怪我人の苦痛を外の人間が共有しないようにと、ノルディが開発した技術。それが思念波シールドだった。サイオンを持つミュウは、手を打たなければ苦痛も共有してしまうから。
カリナの出産の時にも張られたけれども、不足していたシールドの強度。ノルディが読んだ古い医学書、それに基づいて設定された数値は弱すぎた。
自然出産が普通だった時代の人間が書いた医学書なのだし、書き手の経験で記された中身。この程度だ、と書かれた内容、ノルディも「そういうものだ」と思った。シールドを設定する時に。
けれど、違っていた現実。自然出産が消えた時代の人間には、予測不可能だったのが痛み。
思念波シールドは破れてしまって、皆が痛みを共有した。
それはとんでもない苦痛というのを、ハーレイもエラも、ゼルも、ジョミーたちも。
トォニィが無事に生まれて来るまで。…元気が産声が上がった瞬間まで。
あれは酷かった、とハーレイはフウと大きな溜息をついた。
「お前、寝ていて良かったな。…本当にな」
もしも、お前が食らっていたなら、残り少なかった命の焔が消し飛びかねん。
せっかくトォニィが生まれて来たって、俺たちはソルジャー・ブルーを喪うわけで…。
「前のぼくが痛みで死んじゃうだなんて…」
そんなに凄い痛みだったの?
前のぼくならソルジャーだったし、アルタミラでも酷い目に遭ったし、痛みに強そう…。
だけど、駄目なの?
「それを言うなら、前の俺やゼルだって、アルタミラからの生き残りだぞ?」
長い年月が経ってはいたが、普通よりかは痛みってヤツに強かったかと…。
だが、アレは駄目だ。…痛みの質が違うってな。
いかん、思い出したら、なんだか痛くなって来た。今の俺の記憶じゃないっていうのに。
「今のハーレイでも、やっぱり痛いの?」
柔道だったら投げられたりもするから、今度も痛みに強そうなのに…。
「言っただろうが、痛みの質が違うんだと。…そういった類の痛さとはな」
尋常じゃないぞ、あの痛みは。
しかしだ、今は自然出産の時代なんだし…。
俺のおふくろも、お前のお母さんも、同じ思いをしてくれたんだな…。俺たちのために。
カリナがトォニィを産んだ時のと、同じ痛みを味わって産んでくれたってことだ。
「そうなるよね…。ぼくもハーレイも、今は本物のママなんだから…」
だったら、ぼくも知りたいよ。
前のハーレイたちが共有した痛み、どんなのか、ぼくも知りたいんだけど…!
「おい、お前、今は弱虫だろうが」
ついでにチビだし、あんなのを食らったら気絶するぞ。…聖痕でも気絶してただろうが。
「あれも痛かったから、大丈夫だよ」
少しくらいなら、きっと平気だと思うから…。
ハーレイが今も覚えてるんなら、ちょっとだけ…。
ほんのちょっぴりでかまわないから、ぼくにも記憶を見せて欲しいな。
お願い、と頼み込んで、ハーレイに絡めて貰った褐色の手。
フィシスの地球を見ていた時と同じ要領で、前のハーレイの記憶を送って貰ったけれど…。
「いたたた…!」
「ほら見ろ!」
言わんこっちゃない、とパッと離されたハーレイの手。「痛かったろうが」と。
「…うん、痛かった…」
お腹がとっても、と手を当てていたら、「これからだぞ?」と笑うハーレイ。
「今のは、ほんの序の口だってな」
「…まだ酷くなるの?」
「そういうことだな。生まれるまでは、もう酷くなる一方で…」
どんどん痛くなっていくんだが、続き、見てみるか?
今は俺から手を離したが、もっとしっかり握ってやるから。…お前が逃げられないように。
「…見てみたい気はするけれど…。でも…」
気絶しちゃったら、ママが困るし…。病院にだって、連れて行かれるかもしれないし。
「賢明だな。…好奇心だけで見るというのも感心しないし」
なにしろ、俺のおふくろや、お前のお母さんも味わった痛みなんだから。
それにカリナは、あんな痛みに耐えてトォニィを産んだんだ。…本当の命を作るためにな。
チビのお前は、今のヤツで充分だろうと思うが…。
いつか、俺が気絶したお前の面倒を見てやれるようになったら、味わってみるか?
痛いとはいえ、貴重な体験には違いない。トォニィ誕生の時の記憶だからな。
俺以外には誰も知らんし、痛みは記録出来ないんだから。
「…考えとく…」
さっきの、とっても痛かったから…。
もうちょっとアレが酷くなったら、本当に気絶しそうだから…。
今のぼくは前より弱虫だもの、と肩を震わせたけれど、いつかハーレイと結婚したら。
同じ家で二人で暮らし始めたら、その時は…。
気絶しても面倒を見て貰えるなら、記憶の続きを見せてくれるように頼んでみようか。
少しだけでも本当に酷く痛かったけれど、今の時代は、自然出産の時代だから。
命はあれと全く同じに、紡がれて生まれて来るのだから。
本来の出産の形だったのに、SD体制の時代は消えていたのが自然出産。
カリナがそれを取り戻したから、出産は元の姿に戻った。人間が機械に統治される時代、それも自然出産児だったナスカの子たちの力のお蔭で崩壊した。
あの子供たちがいなかったならば、出来ていないこと。ジョミーとキースの力だけでは。英雄と呼ばれる前の自分が、ソルジャー・ブルーがいただけでは。
だからこそ、しっかり見ておきたいという気持ちがする。トォニィを産んだ時のカリナの痛み。前のハーレイたちが味わったという、苦痛の記憶を。
(本当の英雄、前のぼくじゃなくって、カリナかもね…)
今も語られるソルジャー・ブルーなどではなくて、トォニィを生み出した母親のカリナ。
其処から歴史が始まったから。…本当の意味でのミュウの歴史が。
人工子宮から生まれた子供ではなくて、母親の胎内で育まれた子供。本物の子供。
今の自分も、ハーレイもそうやって生まれて来たから、英雄はカリナかもしれない。
人が人らしく生きてゆく世界、それを取り戻した切っ掛けの英雄。
(…英雄の座なら、いつでも譲ってあげるんだけど…)
ジョミーやトォニィにも譲りたいけれど、カリナにだって。
心からそう思うけれども、カリナが聞いたら断られそうな気がしないでもない。
カリナにとっては、前の自分が、きっと英雄だろうから。
赤いナスカへ皆を導いたソルジャー、ジョミーを連れて来た英雄。一番最初のミュウたちの長。
そんな所だ、と思うから…。
(困っちゃう…)
ホントに厄介、と竦めた肩。
誰に英雄を譲ろうとしても、どうやら難しそうだから。
けれども、今の自分は普通の子供なのだし、良かったと思う。
ソルジャー・ブルーにそっくりなだけの、アルビノなだけの、ただのブルー。
もう英雄でも何でもないから、ハーレイと二人で幸せに生きてゆけばいい。
いつかハーレイと結婚式を挙げて、何処までも一緒。
気絶したって、ハーレイが「大丈夫か?」と面倒を見てくれる、幸せな日々が来るのだから…。
本物の子供・了
※前のブルーが格納庫でトォニィを受け止めた時は、知らなかった自然出産児だということ。
そして報告を受けても、ナスカの子たちには会わなかったのです。彼らの未来に嫉妬をして。
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