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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

チーズの料理

(たまには、のんびり食ってみるかな)
 よし、とハーレイが選んで籠に入れたチーズ。これにしよう、と。
 ブルーの家には寄れなかった日に、帰りに出掛けたいつもの食料品店で。けれど、食べたいのはチーズそのものだけではなくて…。
(これと、これに…)
 これも美味い、と次々に籠に入れてゆく食料品。忘れちゃならん、とパンを扱うコーナーにも。欠かせないのがバゲットだから。これを忘れたら始まらない。
(ついでがあるなら、パン屋に行ってもいいんだが…)
 朝食用のパンは買ってあるから、この店のものでいいだろう。専門店とは違うけれども、パンは此処でも焼いているから。種類が少ないというだけのことで、味は充分、いいものだから。
 バゲットを買って、他にも色々。メインはチーズ。
 支払いを済ませて、詰めて貰った袋。それを手にして、足取りも軽く駐車場へと。其処で待っていた愛車に乗り込み、鼻歌交じりに家へと向かう。
 今夜はチーズフォンデュを食うぞ、と。一人だけれども、ちょっと豪華に。明日も仕事がある日とはいえ、ワインなんかも開けたりして。
 食べたくなったら、その時が一番美味しい時。料理も、それに食材だって。



 家に帰ったら、もう早速に始めた準備。チーズフォンデュに使える鍋を取り出して。野菜などは切って茹でてやる。バゲットも丁度いい大きさにカット。
 そういった具材を見栄えよく盛ってゆく大皿。一人分でも手抜きはしない。豊かな時間を味わうためには、手間を惜しまないことも大切。
(ブルーの家でも食ったんだがな…)
 両親も一緒の夕食の席で、「どうぞ」と出て来たチーズフォンデュ。色々な具材が揃っていた。それを端からフォークに刺しては、ブルーと、両親と食べた夕食。それは賑やかだった食卓。
 けれども、一人でのんびりやるのも悪くないもの。チーズを溶かして、ワインをお供に。
 実際、前はよくやっていた。気ままな一人暮らしならではのことで、思い付いたら、帰りに店で食材を買って。あれもこれもと、目に付いたものを籠へと入れて。
 ブルーの家へと通う習慣が出来る前には、何度やったか分からない。食卓には自分一人でも。
(寒い冬場は、特に美味いが…)
 今の季節だって美味いんだ、と整えた支度。これでいいな、とチェックして。
 ダイニングのテーブル、その上にチーズフォンデュに使う鍋。漂う美味しそうな匂いと、鍋からフワリと立ち昇る湯気。溶かしたチーズと、それを滑らかに伸ばすために入れた白ワイン。
 これに合うのは…、と選んだワインを開けて、グラスに注いでやって…。
(美味い!)
 用意した甲斐があったってもんだ、とチーズを絡めたバゲットを噛む。最初はバゲット、それでチーズの味を見るのが楽しいもの。もう少し緩めた方がいいのか、これでいいのかと。
 今日のチーズの出来は上々、他の具材もフォークに刺しては絡めてゆく。次はこれだ、と思ったものを。野菜も、バゲットも、ソーセージなども。



 一人だからこそ、要らない遠慮。何を選ぼうが、どう食べようが。
 ブルーの家で御馳走になった時には、気を遣うこともある食事。チーズフォンデュの時だって。次はあれを、という気分のままには食べられない。用意されている量があるのだから。
 ブルーの母が「これだけあれば」と大皿に盛っていた具材。それの減り具合で、どれを選ぶか、考えなくてはいけないから。同じものばかりを取っていたなら、他の誰かの分が減るから。
 その点、家では気楽なもの。選んだ具材が偏っていようが、余ろうが。
(俺の好きに食えばいいってな)
 好きに飲んで、と頬張ってゆくチーズフォンデュ。次はこいつ、とフォークに刺して、とろけたチーズを絡めてやって。
 用意した具材が残ったならば、明日に自分が使うだけ。それを使って作れそうなものは何か、と考えて。野菜だったら、そのように。バゲットが余れば、朝食の時につまんでもいい。
 こういう食事もいいもんなんだ、とワインのグラスも傾けていたら…。
 頭に浮かんだ小さな恋人。今日は一緒に夕食を食べられなかったブルー。
(あいつと二人きりだったなら…)
 きっと気を遣いはしないのだろう。料理がチーズフォンデュでも。
 ブルーも自分も好きに選んで、フォークに刺してゆく具材。気の向くままに。
 残りのバゲットが一つになっても、お互い、遠慮などしない。食の細いブルーが其処までついて来られるかどうかは、ともかくとして。
(最後の一個になっちまった、と思っても…)
 俺のだ、と刺すかもしれないフォーク。早い者勝ちだ、と手を伸ばして。
 ブルーが「酷い!」と叫んだとしても、悠々と絡めていそうなチーズ。「お前が悪い」と。
 食べたかったのなら、もっと早くに動くものだ、とニヤニヤ笑って。



 そうは言っても、相手はチビのブルーだから。苛めたら膨れそうだから。
(俺のフォークで刺したヤツでも…)
 欲しがるのならば、きっと譲ってやるのだろう。「俺のフォークで刺しちまったが」と、膨れるブルーに渡してやって。「このままでいいか?」と。
 もしもブルーがチビでなくても、そうやって譲ることだろう。「早い者勝ちだ」と取ったって。そういうルールで食べていたって、愛おしさの方が先に立つから。
 気を遣うのとは違う所で、想ってしまうブルーのこと。「こいつを優先しないとな?」と。
 前の生から愛したブルーは、今でも宝物だから。大切にしてやりたいから。
(いつか、あいつと食いたいもんだな)
 昔のように、と遠く遥かな時の彼方に思いを馳せる。白いシャングリラで暮らした頃に。
 朝食はいつも二人だったし、たまに夜食も食べていた。青の間で二人、サンドイッチなどを。
 あんな風にブルーと食べてみたい、と思うけれども…。
(チーズフォンデュは…)
 食っていないな、と簡単に分かる。白い鯨でブルーと二人で食べてはいない。
 朝食にチーズフォンデュは出ないし、凝った夜食も食べられはしない。二人きりでは、こういう手間のかかる夜食は無理だから。
 もっと手軽に食べられるもので、後の片付けも簡単なもの。夜食はいつも、そういったもの。
 厨房から何か運ばせるにしても、仕事の後で、前の自分が「これを頼む」と作って貰って、青の間まで運んでゆく方にしても。
 それに…。



 モノがこれだ、と見詰めるテーブルのフォンデュ鍋。一人分でも、必要な鍋。
 チーズフォンデュは、常にチーズを温めていないと駄目な食べ物。鍋が無ければ温められない、柔らかく溶けているチーズ。
 冷めてしまえばチーズは固くなってしまって、塊に戻る。それでは具材に絡みはしないし、鍋で温め続けるもの。一人用だろうが、何人もで食べる時であろうが。
 テーブルに置いた鍋と熱源、それが欠かせないのがチーズフォンデュで、美味なのだけれど…。
(あの船にチーズフォンデュってヤツは…)
 無かったのだった、白いシャングリラには。チーズフォンデュという料理は。
 船にチーズはあったけれども、食堂で皆に供するためには向かない料理。一人分ずつ出すには、かかりすぎる手間と鍋などの食器。とてもメニューに入れられはしない。
 大勢で囲むパーティー料理にも、あの船の場合は向いてはいない。なにしろ船には、仲間たちが大勢いたのだから。一つの鍋では済みはしないし、やっぱりかかりすぎる手間。
(厨房のヤツらが、てんてこ舞いで…)
 懸命になって用意したって、きっと追い付かないだろう。
 船の仲間たちの胃袋を充分、満たせるだけのチーズフォンデュを作ること。チーズを溶かして、具材を揃えて、食事の後には幾つものフォンデュ鍋を洗って。



 今の自分が考えてみても、「無理だ」と即答出来ること。とても作れるわけがない、と。
 厨房出身のキャプテンでなくても、チーズフォンデュは無かったと分かるシャングリラ。いくらチーズがあったと言っても、皆の分を作れはしないから。
(前の俺は、食っていないんだよな…)
 こういう洒落たチーズ料理は、とフォークで口に運んだバゲット。熱いチーズと中のバゲット、それが奏でるハーモニー。ただのチーズとバゲットだけでは出せない味わい。
 今ならではだ、とモグモグと噛んでいたのだけれど。次の具材はどれにしようかと、フォークを握って皿の上を眺めていたのだけれど…。
(待てよ?)
 チーズフォンデュ、と聞いた気がする。この料理の名を、遠い昔に。
 前の自分が生きていた船で、今はもう無いシャングリラで。
(…チーズフォンデュだと?)
 存在した筈が無い料理。あの船では皆に出せない料理。
 けれども、確かに「チーズフォンデュ」と耳にした記憶。それも料理の名前として。
(誰だ…?)
 チーズフォンデュの名を口にした仲間。誰が自分に言ったのだろう?
 船には無かった料理なのだし、ヒルマンだろうか、それともエラか。博識だったあの二人なら、調べて知っていそうではある。
 チーズがあったら、こういう料理が作れると。…自分では食べたことが無くても。



 いったい何処で聞いたのだろう、と首を捻ったチーズフォンデュという料理。シャングリラでは無理だと分かる料理は、何処から出て来たのだろう、と。
(あそこじゃ作れもしない料理を…)
 持ち出したのは誰なのか。どうしてそういう話になるのか、チーズフォンデュは作れないのに。食堂のメニューを決める会議があったとしたって、議題にするだけ無駄なのに。
(…会議?)
 それだ、と戻って来た記憶。あれは会議で聞いたのだった、と。
 シャングリラを白い鯨に改造した後、開かれた何かの会議の席。長老の四人と、前のブルーと、前の自分の六人が集まるのが常だった。
 自給自足の生活が軌道に乗って、乳製品が順調に出来ていた頃。ブルーとも、とうに恋人同士になっていたから、白い鯨は平穏な日々を送っていたのだろう。アルテメシアの雲海の中で。
 その日の議題を検討した後も、そのまま残って続いた会話。昔馴染みの六人だから。あれこれと話をしている内に…。
 「チーズは充分あるのだがね」と言ったヒルマン。切っ掛けが何かは覚えていない。農場の話を交わしていたのか、それとも食べ物の話題だったか。
 どちらにしても、ヒルマンの言葉だけを聞いたら、チーズに関する何かが気がかりらしいから。
「チーズだと?」
 何か問題でもあるのだろうか、と尋ねた自分。たとえ些細なことにしたって、キャプテンとして聞いておかねばならない。
 チーズは充分あるというのに、何か起こっているのなら。満足のいく品質になっていないとか、味にバラつきがあるだとか。
 そういうことなら、手を打つようにと促すのもまた、キャプテンの仕事。チーズ作りの責任者を呼んで、「なんとか出来ないものだろうか」と。



 これはキャプテンの出番だろうな、とヒルマンの答えを待ったのに。それ次第では、ブリッジに真っ直ぐ戻る代わりに、乳製品の製造場所へ出向いて行かなければ、と考えたのに。
「そういうことではなくてだね…。チーズ自体には、何の問題も無いのだが…」
 このシャングリラでは、出来ない料理もあるという話なんだよ、チーズがあっても。
 チーズは充分、足りているとは思うんだがねえ…。
 残念だよ、とヒルマンが髭を引っ張るものだから。
「なんだって…?」
 シャングリラでは作れないチーズ料理があるのか、その言い方だと…?
 確かめなければ、と思ったヒルマンの言葉。チーズはあっても、出来ない料理があるのなら。
 せっかく作ったミュウの箱舟、改造を済ませたシャングリラ。
 自給自足で生きてゆく日々は順調なのだし、不自由があるなら改善するのも必要なこと。材料のチーズが足りていたって、作れない料理があってはならない。
 元は厨房の出身だけに、調理方法の問題だろうか、と考えた。相手はチーズ料理だから。
 今の厨房では無理だと言うなら、改装を検討すべきだろう。それを作れるだけの設備を備えた、使い勝手のいい厨房に。もっと広さが要るのだったら、拡張だって。
 白い鯨は進化してこそ、より良い船に出来るのだから。
 現状に不満を抱いているより、解決して先へ進んでこそ。
 それが自分の信条だったし、厨房の改装などは次の会議の議題だろうな、と思ったほど。
 此処で話題になった以上は、きちんと対処しなくては、と。
 そうしたら…。

 

「作れないことはないのだがね」と、ヒルマンが軽く広げた両手。今の厨房でも充分だ、と。
「調理方法としては可能なのだよ、問題は無いと言ってもいい」
 チーズと同じだ、厨房の方にも問題は何も無いのだが…。今すぐにで作れそうだが…。
 問題があるのは料理の方だね、食堂で出すには不向きなのだよ。
 不味いとは思えないのだが…。むしろ、歓迎されそうだとも思うのだがねえ…。
 しかし無理だ、とヒルマンは最初から諦めているようだから。試しもしないで、無理だと決めてかかっているから、余計に気になったチーズの料理。それはいったい何なのだろう、と。
 だからヒルマンにぶつけた疑問。真正面から。
「何なのだ、それは?」
 歓迎されそうだと思っているなら、どうして試してみないんだ。厨房の者に訊いてみるとか…。
 何もしないで諦めるというのは、この船らしくないと思うが…?
 どういう料理が無理だと言うんだ、チーズを使った料理と言っても色々だろうが…。
「チーズフォンデュだよ、知っているかね?」
 料理の本とは違う本でも、割によく見る名前だがね。
「あれか…。本で見掛けたことならあるな」
 作り方も、と名前だけでピンと来た料理。鍋で溶かしてやったチーズに、野菜やバゲットなどの具材を絡めて食べるもの。
 美味しそうだ、と読んだのだった。レシピも、添えてあった写真も、鮮明に記憶に残っている。
 チーズを船で作れる今なら、あの料理だって作れるだろう。
 ただ…。



 なるほどな、と頷かざるを得なかった。チーズフォンデュの材料はあるし、チーズを溶かすのも厨房で出来る。けれど其処まで、食堂で皆が揃って食べるには不向き。
「…この船の皆で、鍋を囲むわけにはいかないか…。専用の鍋が幾つ要るやら…」
 それに食事の時間の方も、それぞれの持ち場で違うものだし…。
 時間に遅れた、と駆け込んで行ったら、食べるものがろくに残っていない恐れも出て来るな…。
「そうなのです。一人用に作ることも出来るようなのですが…」
 全員の分の鍋を用意する手間や、片付けなどを思うと非効率的です、と応じたエラ。
 「残念ですが、チーズフォンデュは諦めざるを得ないでしょう」と。
 美味しそうな料理なのですが…、とエラも言うから、ゼルとブラウも興味を示した。今の船では出来ないらしいチーズフォンデュとは、どんな料理かと。
 前のブルーも黙って聞いてはいたのだけれども、瞳を見れば直ぐに分かった。「無理だ」という答えを知ったがゆえの沈黙なのだ、と。関心が無いわけではないと。
 ヒルマンとエラが、ゼルとブラウに訊かれるままに語った料理。チーズフォンデュの作り方。
 熱を加えれば、とろけるタイプのチーズを使う料理だと。
 それをすりおろすか、細かく刻んで、専用の鍋に入れてやる。熱しながら溶かして、白ワインで伸ばして、具材に絡めるのに似合いの濃度に。
 そうやって出来たチーズを絡めて、食べやすいサイズに切られた具材を食べるもの。バゲットや茹でた野菜などを。
 鍋のチーズが濃くなりすぎたら、白ワインを足して緩めてやって。



 チーズフォンデュはこういうものだ、と説明されたゼルとブラウが漏らした溜息。残念だ、と。
「もったいないねえ、材料は揃っているのにさ」
 とろけるチーズは山ほどあるだろ、グラタンとかに使っているんだから。
 あれを溶かせば出来ると分かっているのにねえ…、とブラウが嘆けば、ゼルだって。
「まったくじゃて。それに具材もあるのにのう…」
 バゲットも、野菜やソーセージもじゃ。どれも、この船で手に入るんじゃが…。
 そうじゃ、ワシらだけで食うのはどうじゃ?
 会議で集まっている時じゃったら、たまに食事もするんじゃし…。
 この部屋で食えば良かろうが、と言い出したゼル。六人分なら手間も材料も、それほどの負担はかからない。厨房の者に頼んで用意をさせるとしても。
「ちょいとお待ちよ、船の仲間に、それで示しがつくのかい?」
 あたしだって食べたいと思うけれどさ…。あたしたちだけで食べるなんて、とブラウは反対。
 ヒルマンとエラも反対したから、ゼルは新たな意見を述べた。諦め切れずに。
「なら、ソルジャーのための特別料理というのは無理かのう?」
 会議の時の食事なんじゃが、ソルジャー用なら誰も文句は言わんじゃろう。
 特別な料理が用意されることは、実際、たまにあるんじゃからな。
「それだと食事会になっちまうじゃないか、招待状が無いってだけでさ」
 ソルジャー主催の食事会だろ、特別な料理が出るってヤツは。
 でもねえ…。誰がそいつを食べていたのか、厨房の連中には分かっちまうよ?
 あたしたちだけで食べたってことが。…食事会とは違うことがね。
 さっきの意見とどう違うのさ、と指摘したブラウ。「それはマズイよ」と。
「やはり駄目かのう…」
 ソルジャー用の特別料理と言うんじゃったら、チーズフォンデュも通りそうじゃが…。
 ワシらだけで食うのはマズイじゃろうなあ、皆に示しがつかんからのう…。
 美味そうな料理なんじゃがな、とゼルは残念そうだった。六人だけで食べるというのは、やはり後ろめたいものがあるから。諦めざるを得ない料理が、チーズフォンデュというものだから。
 「酒のつまみにチーズがあるだけマシとするか」というゼルの言葉で終わった会議。
 チーズは色々役立っているし、贅沢を言っては駄目じゃろうな、と。



 その夜、青の間に出掛けて行ったら、待っていたブルーに尋ねられた。キャプテンとしての報告などを済ませた後で、「今日の会議のことだけれど…」と。
「会議が済んだら、チーズフォンデュが話題になっていただろう?」
 君も知っていたようだけど…。あれは本当に、作るのが難しいのかい?
 チーズを溶かす鍋が沢山要るというのは、ぼくにも分かったんだけど…。美味しそうなんだし、船でなんとか出来ないのかな、と思ってね。
「そうですね…。会議の時にもヒルマンたちが言っていましたが…」
 色々と手間がかかりそうです、チーズフォンデュという料理は。
 もっと人数の少ない船なら、皆で食べても、厨房の者たちの負担は軽いのですが…。
 なにしろ大人数の船です、現状では無理がありすぎます。…材料だけでは作れませんよ。
 皆には諦めて貰うしか…、と昼間の会議の結論と同じことをブルーに言ったのだけれど。
「それなら、いつか地球に着いたら食べようか」
 この船では無理な料理だったら、いつか地球でね。
「地球ですか?」
 チーズフォンデュをお召し上がりになりたいのですか、地球に着いたら?
「いい考えだと思うけれどね?」
 地球だったら、きっと美味しいチーズもあるよ。地球で育った牛のミルクで作ったチーズが。
「そうなのでしょうね、地球ですから…」
 この船で作るチーズなどより、ずっと美味しいことでしょう。
 せっかくのチーズフォンデュなのです、いつか本物の地球のチーズで食べてみましょうか。
 時間もたっぷりあるでしょうから、鍋でゆっくりチーズを溶かして。
「地球なら、きっと店もあるよね」
 チーズフォンデュが食べられる店が。…其処へ行ったら、誰にも迷惑はかからないよ?
 厨房の仲間たちにもね。
「店ですか…。確かに地球なら、そういう店もありそうですね」
 それでは、いつか地球まで辿り着いたら、二人で行くとしましょうか。
 本物の地球のチーズを使った、美味しいチーズフォンデュを食べに。



 地球に着いたら、と前のブルーと交わした約束。シャングリラが地球に着いたなら、と。
 白いシャングリラが地球に着くには、人類と和解せねばならない。けれども、それさえ済ませてしまえば、ソルジャーもキャプテンも要らなくなる。ミュウは追われはしないのだから。
 ソルジャーでもキャプテンでもなくなった後は、ブルーとはただの恋人同士。
 隠し続けた仲を明かして、何処へでも二人で出掛けてゆける。ブルーが焦がれた地球の上で。
 青い地球まで辿り着いたら、ブルーと一緒にやろうと夢見ていたことの一つ。
 シャングリラでは作ることが出来ない、チーズフォンデュを食べに出掛けてゆくこと。
(…あれっきりになっちまったんだ…)
 前のブルーも「美味しそうだ」と思ったらしいチーズの料理。本当に船では無理なのか、と。
 あれから後にも、白い鯨でチーズフォンデュは作られないまま。材料になるチーズはあっても、食堂で皆に出せる料理ではなかったから。大人数の船の食堂向きではなかったから。
 そしてブルーは逝ってしまった。たった一人で、メギドを沈めて。
(…この味なんだな…)
 前の俺もブルーも知らなかった、と眺めた目の前のフォンデュ鍋。温かくとろけているチーズ。一人で美味しく食べていたけれど、前の自分たちは知らなかった味。
 材料は船に揃っていたのに、食べ損ねたままになっちまった、とチーズを絡めてやるバゲット。今の自分も、今のブルーも知っている。チーズフォンデュはどんな料理か、どんな味かを。
(あいつと二人で…)
 小さなブルーと二人きりで食べてみたいけれども、実現は難しいだろう。
 ブルーの家では、チーズフォンデュは夕食用の料理だから。両親も一緒に鍋を囲んで、賑やかに食べるものだから。
(しかし、こうして思い出したし…)
 今度ブルーの家に行ったら、小さなブルーに話してみようか。「覚えてるか?」と。
 それまで自分が覚えていたら。
 前のブルーと交わした約束、地球で食べようと夢見たチーズフォンデュのことを。



 運良く次の日、早く終わった学校での仕事。チーズフォンデュも、まだ忘れてはいなかった。
 丁度いいから、ブルーの家に出掛けて行って、テーブルを挟んで座る恋人にぶつけた質問。
「チーズフォンデュを覚えているか?」
「この前、ハーレイと食べたよね。パパとママも一緒だったけど」
 美味しかったよ、あのチーズフォンデュがどうかしたの?
「そうじゃなくてだ…。今の俺たちの話じゃない」
 前の俺たちだ、覚えていないか?
「えっ?」
 チーズフォンデュって、何のことなの?
 そんなの、シャングリラで食べていないと思うけど…。それとも、あった?
「お前の記憶で合っている。…あの船じゃ無理な料理だったな、チーズフォンデュは」
 材料は船に揃ってたんだが、船の人数が多すぎた。全員に出せるチーズフォンデュは作れない。
 だから、お互い、知ってはいたって、食い損なった料理だってな。
 ヒルマンが持ち出した話だったが、最初から「無理だ」ってことだったから。
 それでだ、前のお前と約束をして…。例のヤツだな、地球に着いたら、と。
「思い出した…!」
 そうだったっけ、いつかハーレイと地球に着いたら…。
 シャングリラで地球まで辿り着いたら、チーズフォンデュを食べに行こうって…。
 本物の地球のチーズで作った、うんと美味しいチーズフォンデュがあるだろうから。
 船の仲間に迷惑をかけてしまわないように、お店に出掛けて食べようね、って…。



 忘れちゃってた、と丸くなっているブルーの瞳。
 せっかく二人で地球に来たのに、ハーレイと食べたのに忘れていたよ、と。
「…パパとママも一緒だったけど…。本物の地球のチーズフォンデュ…」
 食べていたのに、すっかり忘れていたなんて…。
 どうしよう、ハーレイと食べたくなって来ちゃった…。今度は二人でチーズフォンデュを。
「俺もなんだが、我儘は言えん」
 昨夜、一人で食ってて思い出したんだが…。こいつだった、と。
 だがなあ、お前の家だと、チーズフォンデュは夕食の時に出るモンだしな?
「そうだけど…。頼んでみようよ、チーズフォンデュを」
「はあ? 頼むって…」
 誰にだ、お前、どうする気だ?
「決まってるじゃない、ママに頼むんだよ」
 晩御飯の時に頼んでみるよ。今度、ハーレイと食べたいから、って。
「おい、お前…!」
 我儘が過ぎるぞ、俺と二人で食うってか?
 お母さんに用意をさせるつもりか、昼飯用にチーズフォンデュを…?



 無茶を言うな、と止めたのに。「そいつはチビの我儘だぞ」と軽く叱っておいたのに。
 両親も一緒の夕食の席で、小さなブルーはこう持ち出した。
 恋人同士だったという話は隠して、「シャングリラで食べ損なった料理がね…」と。
「本当なんだよ、ぼくもハーレイも、食べ損ねたままになっちゃった…」
 料理の名前は知っていたのに、シャングリラでは作れなかったから…。
「あら、なあに?」
 材料が足りなかったのかしら、と首を傾げたブルーの母。「何のお料理?」と。
「チーズフォンデュ…。材料は船にあったんだけど…」
 手間がかかりすぎて、みんなの分はとても作れないから…。お鍋も沢山要りそうでしょ?
 ヒルマンたちと会議をしてたら、そういう話になっちゃって…。無理だよね、って。
 だけど、とっても美味しそうだし、前のハーレイと食べる約束をしていたんだよ。
 いつかシャングリラが地球に着いたら、本物の地球のチーズで作ったのを食べようね、って。
 船の仲間に迷惑をかけちゃ駄目だし、お店に行って。
「ほほう…。そいつを思い出したんだな?」
 お前もハーレイ先生も、とブルーの父が投げ掛けた問い。「うん」と頷く小さなブルー。
「チーズフォンデュ、ハーレイと食べてみたいのに…」
 うちだと晩御飯の時に出て来るから…。ハーレイと二人は無理みたい…。
「なるほどなあ…。前のお前とハーレイ先生の夢だったんだな、チーズフォンデュが」
 どうだろう、ママ。今度の土曜日のお昼御飯に、チーズフォンデュをお出しするのは?
「そうね、お昼ならハーレイ先生とブルーだけだし…」
 ブルーと食べて頂きましょうよ。ハーレイ先生とブルーの約束のお料理、ブルーの部屋で。
「いいの、ママ?」
 本当にいいの、チーズフォンデュを作ってくれるの?
「もちろんよ。お店の味にも負けないのをね」
 楽しみに待っていなさいな。今度の土曜日、お昼御飯はチーズフォンデュよ。



 ブルーのお部屋に運んであげるわ、という声で決まった、土曜日の昼食。チーズフォンデュを、二階のブルーの部屋で二人で。
 その部屋で食後のお茶を飲みながら、呆れ顔で見詰めてしまった恋人。「大した策士だ」と。
「ああいう風に持って行くとはなあ…。食べ損なった、と来たもんだ」
 俺とお前と、二人揃って、シャングリラで。
 おまけに、いつか地球で食おうと約束してたと言われたら…。
 お父さんたちだって、用意しようと思うよな。この家で作れる料理だったら。
「ぼく、上手いでしょ?」
 ずっとパパたちと暮らしているもの、おねだり、とっても上手なんだよ。
 どういう風にお願いするのが一番いいのか、考えるのだって得意なんだから。
 小さい頃から、一杯、お願いしてたしね?
 駄目な時は「駄目」って言われちゃうけど、前のぼくたちの約束だったら大丈夫。
 だから土曜日はチーズフォンデュだよ、本物の地球のチーズをたっぷり使って。
「うーむ…。俺はお前に感謝しないと駄目なんだろうな」
 こんな形で実現するとは思わなかった。
 昨夜、一人で食ってた時には、お前と一緒に食えるチャンスは当分無いと…。
 ずっと先だと思っていたのに、そうか、今度の土曜日なんだな、俺たちの約束が叶うのは。



 何でも言ってみるもんだな、と感心させられたブルーの機転。チビでも、中身はブルーだと。
 もっとも、ブルーが子供だからこそ、ブルーの両親は息子に甘いのだけれど。
 それでも凄い、と思う間に、やって来た週末。約束の土曜日。
 いつものようにブルーの家を訪ねて行ったら、昼食に出て来たチーズフォンデュ。ブルーの母が支度を整えてくれて、二人で過ごす部屋のテーブルに。
「ね、ハーレイ。約束の地球のチーズフォンデュだよ?」
 食べようよ、お店じゃないけれど…。ぼくの部屋だけど、それだって素敵。
 そんなの、思っていなかったもの。地球の上に、ぼくのための部屋があるなんて。
「まったくだ。…それに約束、叶っちまったな、凄い速さで」
 お前のお蔭で、アッと言う間に。…こいつが地球のチーズフォンデュか、本物のな。
「そうだよ、二人で地球まで来られたんだから、食べなくちゃ」
 どれにしようかな、一番最初は…。バゲットかな?
「お前の好きに選んでいいぞ。ドッサリ用意をして貰ったしな、こいつの具材」
 俺も遠慮しないで食っていくから、お前も好きなの、端から選べよ?
「好き嫌いは無いから、どれも好きだよ。チーズだって、とても美味しいし…」
 ホントに本物の地球のチーズで、ハーレイと一緒に食べられるんだし、最高の気分。
 でもね…。約束していた頃と違って、ぼくは子供になっちゃったから…。
 ハーレイとお店に出掛ける代わりに、此処で食べるしかないみたい…。
「まあなあ…。今は一緒に食うってことしか出来ないよな」
 お前をデートに連れても行けんし、こうして二人で食ってるだけか…。チーズフォンデュも。
「でしょ? だから、いつかはハーレイが作ったのを食べたいよ」
 ママじゃなくって、ハーレイの。…この前、一人で作っていたのを二人分で。
「そのくらい、お安い御用だってな。それに、食べにも出掛けないと…」
「チーズフォンデュが食べられるお店?」
「ただの店じゃないぞ、こいつの本場に行こうじゃないか」
 スイスの辺りになるんだろうなあ、昔のスイスとは違うわけだが…。今でも気候はそっくりだ。
 美味いチーズが沢山出来るし、チーズフォンデュも美味いらしいぞ。
「凄くいいかも…」
 絶対行こうね、其処のお店も。…いつかハーレイと結婚したら。



 うんと楽しみにしているからね、と笑顔のブルー。
 フォークを手にした、今日の昼食のチーズフォンデュの立役者。「えっと、次は…」と、具材も気になるらしい恋人、どれを食べようか迷っているのが可愛らしい。
 バゲットか野菜か、ソーセージか。野菜も幾つも盛られているから、どれにしようかと。
 いつかブルーが前と同じに育った時には、今度こそ本当に二人きり。
 ブルーと暮らす家で腕を奮おう、とびきり美味しいチーズフォンデュを食べるために。
 美味しいと評判のチーズを買って来て、すりおろして。上等の白ワインを惜しみなく使って。
(こいつはアルコールが飛んじまうから、ブルーも平気で食べられるしな?)
 現に今でも酔っ払っていない、小さなブルー。「美味しいね」と、せっせと食べているのに。
 この愛おしい人と一緒に暮らし始めたら、「地球で食べにゆく」という約束も叶えてやろう。
 白いシャングリラには無かった料理を、チーズフォンデュを、ブルーと二人で食べにゆく。
 本場に出掛けて、洒落たシャレーに泊まったりして、綺麗な景色を満喫して。
 チーズフォンデュを食べた後には、お土産にチーズも買って帰って、家でも楽しむ。
 旅の思い出をブルーと一緒に、本場のチーズをすりおろしながら、語り合って。
 「この味だよな」と、「チーズフォンデュはこうでなくちゃな」と。
 今度は二人で、地球の上で旅が出来るから。旅の後には、二人で帰れる家もあるから。
 前の自分たちが夢に見た地球、その上で二人、幸せに生きてゆけるのだから…。




              チーズの料理・了


※シャングリラでは無理だった、チーズフォンデュ。いつか地球で、と夢見た料理の一つ。
 ブルーのおねだりで、ハーレイと食べることが叶った休日。結婚したらハーレイが作る約束。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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