忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

思い出の服

(こんなの、あるんだ…)
 知らなかった、とブルーが覗き込んだ新聞。学校から帰って、おやつの時間に。
 可愛らしいクマのぬいぐるみ。チョコンと座った姿のクマ。そういう写真が載っているけれど、ただのクマではないらしい。
 生まれた時の身長と体重と同じに作って貰える、世界に一つだけのクマ。つぶらな瞳で、子供が喜びそうな姿の。
(女の子だったら、きっと友達にするよ)
 自分の名前を付けたりして。何処へ行く時も、大切に抱いて。お気に入りのぬいぐるみを連れた子供は、公園でも街でもよく見掛けるから。
 それに、このクマは記念品にもなるという。赤ちゃんが生まれた時の思い出、体重も身長も全く同じに出来ているから。
 「こんな子だった」と手に取ってみたり、クマのモデルになった子供に抱かせたり。赤ちゃんの時はとても小さかった、と思い出すにはピッタリのクマ。
 赤ちゃんの頃に着ていた服を、着せてやることも出来るらしいから…。
(そっちだったら、男の子でも…)
 いい記念品になるだろう。友達にして遊ばなくても、眺めるだけで。「あれが、ぼくだよ」と。ぬいぐるみだけれど、一生の記念。生まれた時の自分の大きさ、それとそっくりなクマだから。
(結婚する時も、持って行くとか…)
 こんな大きさで生まれたのだ、と連れてゆくクマ。結婚して二人で暮らす家まで。
 相手もクマを持っていたなら、二人のクマを並べておける。こういう二人が今は一緒、と。
(ちょっと素敵かも…)
 生まれた時には別々だったのに、今では誰よりも大切な家族。愛おしい人のクマの隣に、自分のクマがチョコンと座る。仲良く並んで。
(ぼくとハーレイだと…)
 きっと大きさが違う筈。似たようなクマでも、体重と身長が変わるから。
 それにベビー服も、まるで違った色や雰囲気だろうし、クマが着ている服だって違う。持ち主は誰か、一目で分かるに違いない。自分のクマと、ハーレイのクマが並んでいたら。



 きっとそうだ、と眺めた写真。クマが何匹か写っているけれど、どのクマも違う雰囲気だから。同じクマでも、まるで同じには見えないから。
 面白いよね、としげしげ見詰めていたら、掛けられた声。いつの間にか入って来ていた母に。
「あら、欲しいの?」
「え?」
 顔を上げたら、「クマでしょう?」と母が指差した写真。
「たまに見るけど、欲しいんだったら、今からでも注文出来るわよ?」
 赤ちゃんの時のブルーと同じ体重のクマ。身長も同じに作って貰って、服だって着せて。
 ブルーの服は取ってあるから、クマに着せたら可愛いわ、きっと。
 注文をしてあげましょうか、と今にも注文しそうな母。生まれた時の身長と体重、それを調べて通信を入れて。「こういうサイズでお願いします」と。
「ううん、注文しなくていいけど…」
 見てただけだよ、面白いクマがあるんだな、って。赤ちゃんそっくりに作るだなんて。
「でも…。ブルー、欲しそうだったわよ?」
 とても欲しそうな顔をしてたわ、「あったらいいのに」っていう顔ね。
 ママには分かるわ、だってブルーのママだもの。…欲しいんでしょう、本当は?
「…ちょっとだけね。ママが言う通り、欲しいけど…」
 あったらいいな、って思うけれども、ぼくはとっくに赤ちゃんじゃないし…。
 ぬいぐるみと遊ぶ年でもないから、わざわざ今から作ってまでは…。
 最初からあったら、きっと大事にしただろうけど。



 注文しようとは思わないよ、と帰った二階の自分の部屋。
 勉強机の前に座って、考えてみたクマのこと。母に「欲しいの?」と訊かれたクマ。
 本当の所は、ちょっぴり欲しい。ハーレイのクマがあるのだったら、いつか並べてみたいから。別々に生まれた二人だけれども、今はこうして一緒なんだ、と。
 そうは思っても、ハーレイのクマ。生まれた時の体重と身長で作られたクマ。
(きっと、作っていないだろうし…)
 ハーレイも持っていないと思う。赤ちゃん時代の思い出のクマは。
 けれどハーレイだって、その気になったら、あのクマを注文出来るのだろうか?
 生まれた時の身長と体重、それは記録が残っている筈。それさえあれば、クマは作れる。ベビー服が今も残っているなら、服を着ているクマだって。
(ハーレイのお母さんなら、赤ちゃんの時に着せてた服も…)
 大切に残しているだろう。何処の家でも、きっと仕舞ってあるだろうから。
 赤ちゃんが最初に着ていた服とか、そういう思い出の服を。
(きっと、あるよね…)
 何処の家でも、子供が育ってゆく間は。時々、取り出して風を通して、眺めたりして。
 「こんなに小さかったのに」と、大きく育った子供と比べて。
 ハーレイはとっくに大人だけれども、まだ結婚していないから。家族を持ってはいないから。
(…今もやっぱり、ハーレイのお母さんには大事な子供で…)
 記念の服も残していそう。赤ちゃんのハーレイが着ていた服を。
(クマ、作れるかな?)
 ハーレイのクマと、自分のクマを。
 今は無理でも、結婚したら注文して。赤ちゃん時代の服だって着せて。
 クマを並べたい気分になったら、二人のクマを並べておきたくなったなら。



 作ろうと思えば作れるのかな、と考えていたら聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、早速訊いてみることにした。あのクマのことを。
「あのね、ハーレイの赤ちゃんの時の服って、ある?」
 残してあるかな、赤ちゃんの時に着てた服…。ベビー服だよ。
「はあ? ベビー服って…」
 俺の服があったらどうかしたのか、お前、そいつが気になるのか?
「じゃあ、クマは? ハーレイ、クマは持ってるの?」
 本物じゃなくて、ぬいぐるみのクマ。…ハーレイの家では見なかったけど…。
「クマだって? ベビー服の次はクマなのか?」
 何を訊きたいのか、俺にはサッパリ分からんのだが…。ベビー服とクマがどうしたんだ?
 まるで分からん、と瞬きしているハーレイ。「ぬいぐるみのクマで、ベビー服だと?」と。
「ハーレイ、知らない? 赤ちゃんの服を着てるクマ…」
 服は着てなくても、赤ちゃんそっくりの大きさに出来たぬいぐるみのクマ。
 身長も体重も同じなんだよ、赤ちゃんが生まれて来た時のと。注文して作るらしいけど…。
 赤ちゃんが生まれた記念のクマ、と説明したら。
「あれのことか…。見たことはあるな、俺の友達の家で」
「えっ?」
 友達って…。ハーレイの友達、男の子なのにクマを持ってたの?
 遊びに行ったら飾っていたわけ、自分の部屋に…?
 持っていても不思議じゃないけれど…。作ったんなら、あるだろうけど。



 それにしても凄い、と思ってしまったハーレイの友達。ぬいぐるみのクマを飾っていた子。
 男の子だったら、友達が家に遊びに来る時は、何処かに隠しておきそうなのに。大切な記念品のクマでも、ぬいぐるみには違いないから。「お前の趣味か?」と友達に訊かれそうだから。
 流石はハーレイの友達だ、と感心したのに、「間違えるな」とハーレイが浮かべた苦笑。
「友達の家で見たと言っても、そいつのクマってわけじゃない」
 そいつの子供のためのクマだな、子供が生まれた記念に作ったと言ってたが…。
 待てよ、側には他にもいたな。あのクマは一匹だけじゃなかった。
 全部で三匹いたってことはだ、他の二匹は、あいつらのクマになっていたのか。クマの家族で。
 そうだとは思いもしなかったから、訊かずに帰って来ちまったが。
「ハーレイの友達と、お嫁さんのクマ?」
 それが一緒に並べてあったの、赤ちゃんのためのクマと一緒に?
「今から思えば、そうなんだろう。直ぐ側に飾ってあったんだから」
 多分、ついでに作ったんだな。子供用のを注文する時に。
 古いクマのようには見えなかったから、クマにも家族が出来るようにと。
「そうなんだ…。そういうのがあるなら、ぼくたちも作っていいかもね」
 家族なんだし、クマのぬいぐるみ。
「なんだって?」
 作るってなんだ、何を作ろうと言うんだ、お前?
「ハーレイとぼくのためのクマだよ、いつか結婚した時にね」
 赤ちゃんの頃はこうでした、って二人のクマを並べておいたら素敵だろうと思わない?
 ハーレイにも赤ちゃんの時の服があったら、それをクマに着せて。ぼくのクマには、ぼくの服。
 服無しのクマより、服つきのクマ…。そっちの方が、赤ちゃんの時をイメージしやすいでしょ?
「クマのぬいぐるみって…。お前、そういう趣味なのか?」
 俺の友達の家で見た、と話した時には驚いたくせに。…お前は、そいつを飾りたいのか?
 結婚したら作って、俺たちの家に?
「ちょっといいよね、って思うんだけど…」
 だってハーレイのお嫁さんだよ、今度は家族になれるんだよ?
 別々に生まれて来たっていうのに、結婚してハーレイと二人で家族。
 だから、赤ちゃんだった二人が今では家族なんです、っていう記念にクマのぬいぐるみ…。



 作って並べたら素敵だと思う、と話したらハーレイは頷いてくれた。「確かにな」と。
「男同士のカップルではあるが、ぬいぐるみも悪くはないかもしれん」
 赤ん坊だった時の俺たちと同じに出来てるクマなら、そいつを作って並べておくのも。
 俺たちの場合は、大いに意味があるだろうしな。赤ん坊時代の思い出のクマは。
 前の俺たちには、絶対に出来ないことなんだから。…ミュウでなくても。
「自然出産じゃなかったから?」
 人工子宮から生まれて来たから、今とは全然違うよね…。
 機械がタイミングを決めて出してたんだし、どの子供でも似たようなものだったかも…。
 身長も、それに体重だって。…前のハーレイとぼくも、殆ど同じだったかも…。生まれた時は。
「それもあるがだ、個人差があったとしてもだな…」
 お前と俺では、まるで違っていたとしたって、誰がそいつを残すんだ?
 いくら自分にそっくりだとしても、クマのぬいぐるみは持って行けないぞ。成人検査にも、その後に待ってる教育ステーションにもな。
「あっ…!」
 ホントだ、クマのぬいぐるみを作って貰っても…。そのクマ、なんの意味も無いよね…。
 大きくなってから思い出そうにも、子供時代の持ち物なんかは持っていなくて…。
 育ててくれた人たちだって残せないよね、育てた子供の思い出なんか。
 無理なんだっけ、と気付いたSD体制の時代。前の自分たちが生きた時代は、そういう時代。
 子供時代の持ち物は処分されてしまった。ミュウでなくても、普通の人類の子供でも。
 成人検査で記憶を消されるのだから、子供時代の思い出の品は持っていたって意味が無い。もう戻れない過去のことだし、必要は無いとされていた。
 子供を育てた養父母の方も、次の子供を育ててゆくには、前の子供の思い出は不要。成人検査が終わったら直ぐに、ユニバーサルから職員が来て全て処分した。
 子供部屋の中身はそっくり捨てて、持ち物も、アルバムの写真でさえも。
 処分するために、養父母たちに休暇を与えて留守にさせたくらい、徹底的に何もかもを。



 どうせ捨てると分かっているのに、クマのぬいぐるみを作りはしない。
 おまけに人工子宮から生まれた子供なのだし、身長も体重も単なる記録の一つにすぎない。成長過程を確認するのに必要なだけの、ただの数字でデータの一つ。
「…前のぼくやハーレイのクマは無いんだね…」
 誰も作ってくれやしないし、持ってたわけもなかったんだね。赤ちゃんの時とそっくりなクマ。
「うむ。記憶みたいに消されたのとは全く違う。最初から存在しなかったんだ」
 作ろうと思うヤツもいなけりゃ、残そうと考えるヤツだっていない。
 赤ん坊は十四歳になるまで育てるだけだし、育てた後には、二度と会えないわけだから…。
「なんだか寂しい…」
 前のぼくを育ててくれたパパとママも、優しそうな人たちだったのに…。
 だけど訊いてはくれないんだね、「クマが欲しいの?」って。
 ぼくのママは訊いてくれたのに…。ぼくが新聞を覗き込んでたら、「それ、欲しいの?」って。
 今からでもクマは注文出来るし、欲しいんだったら頼んであげる、って言ってくれたのに…。
「あの時代は、そういう時代だったんだ。仕方あるまい」
 優しい心を持っていたって、社会の仕組みが先に立つ。…思い付きさえしなかったんだ。人類の社会で暮らす限りは、その枠の中でしか考えないから。
 その点、俺たちのシャングリラだと、残そうと思えば残せたんだが。
 誰も処分はしないからなあ、子供時代の色々な物も。
「そうだっけね…。だから今でも残ってるんだね」
 宇宙遺産になってしまった、前のハーレイの木彫りのウサギ。…ナキネズミだって聞いたけど。
 あれはトォニィが生まれた時ので、人類の世界だったら処分されちゃう…。
 トォニィが大切に持っていたって、十四歳になった途端に。…子供時代の宝物なんかは、残しておいても意味が無いから。
「そういうこった。ミュウだったからこそ、残せたんだな」
 俺にとっては、恥ずかしい記念になっちまったが…。
 ずいぶんと出世されてしまって、ご立派な宇宙遺産になって。…あれはウサギじゃないのにな。ただのナキネズミで、お守りじゃなくてオモチャのつもりだったのに…。



 とんだ出世をされちまった、とハーレイが嘆くナキネズミ。宇宙遺産の木彫りのウサギ。今では博物館の目玉で、本物の展示は百年に一度という代物。公開の時には長蛇の列が出来るほど。
 それを残せたのもミュウならではのことで、ナキネズミは立派な宇宙遺産になったのに…。
「…あのナキネズミは残っちまったが、前の俺は残せなかったんだ」
 シャングリラで暮らしていたっていうのに、大切なものを。…誰も処分はしないのにな。
 俺としたことが、と溜息をついたハーレイ。失敗だった、と。
「残せなかったって…。何を?」
「前のお前の思い出ってヤツだ」
 そいつを残し損なっちまった。シャングリラだったら、思い出も取っておけたのに。
「思い出って…。前のぼく、赤ちゃんじゃなかったよ?」
 トォニィみたいに、赤ちゃんの時から船にいたってわけじゃないから…。
 それとも船に乗り込んだ頃のこと?
 白い鯨になる前の船で、アルタミラから脱出した時。あの時が生まれた時みたいなもので…。
 ぼくが着ていた服を残しておきたかったの?
 研究所で着せられていた服は、捨てちゃったから…。でも、あんな服を残しておいたって…。
「服って所は合ってるんだが、それじゃない」
 お前が着ていたソルジャーの服だ。幾つもあったろ、同じ服がな。
「え…?」
 ソルジャーの服って、マントとか上着…。
 ハーレイが残し損なったものって、あれだったの…?



 なんでそんなもの、と驚いて丸くなってしまった瞳。ソルジャーの衣装は制服なのだし、意味はそれほどありそうにない。どれを取っても同じ服ばかり、寸法も同じだったのだから。
 けれどハーレイは「あれのことだ」と瞳の色を深くした。「お前の服だ」と。
「お前のことを思い出すにはピッタリだろうが。…ベビー服とは違うがな」
 それでも、お前が着ていた服だ。いつもお前を包んでいた服。
 だが…。お前がいなくなっちまった後を考えてみろ。
 青の間のベッドのマットレスとかも、一度は撤去したくらいだぞ?
 もう持ち主はいないんだから、と片付けられて枠だけになった。…もっとも、そっちは暫くして元に戻ったが…。誰が見たって寂しいからな。
 しかし、お前が着ていた服はどうなるんだ?
 それを着ていたお前はいないし、誰かが代わりに着るってわけにもいかないし…。
「…前のぼくの服、無くなっちゃった?」
 処分って言ったら変だけれども、他の何かに役立てるとか。
「その通りだ。…一部の記念品を残して、他のは再利用するということになった」
 特殊な素材で出来ていたしな、ジョミーの服に作り替えて生かすべきだろう。上着もマントも、手袋とかも全部。
 俺はキャプテンだったわけだし、データを誤魔化せば貰っておくことも出来たんだが…。
 上着が一枚減っていたって、誰も気付きはしないだろうしな。
「そうすれば良かったんじゃない。…欲しかったんなら」
 残し損ねた、って今でも溜息をつくほどだったら、思い切ってデータを誤魔化して。
「お前なあ…。そうやって残して、俺に万一のことがあったら、どうするんだ」
 仲間たちが部屋を整理するんだぞ、その時にアッサリ見付かっちまう。…お前の服が。
 再利用に回した筈の服をだ、キャプテンの俺が持ってたとなると…。
 色々なことを疑われちまうだろうが、お前との仲も含めてな。
「それはマズイかもね…」
 データを誤魔化していたこともバレるし、そうやって残した理由も探られるだろうし…。
 誰かがウッカリ思い付いたら、恋人同士だったのかも、って噂だって流れてしまいそう…。
「ほらな、お前でも直ぐに思い付くだろ」
 だから俺だって考えた。…残しておいたら何が起こるか、考えた末に諦めたんだ。



 ソルジャーの服をキャプテンが持っているのはマズイ、と前のハーレイが出した結論。データを誤魔化して手に入れられても、その後のことを思うと無理だ、と。
 そう考えたから、ハーレイの手許にソルジャーの衣装は残らなかった。手袋の片方だけさえも。
 青の間に残された記念品の衣装も、手には取れない。係が手入れをしていたから。
「…係が手入れをするってことはだ、決められた位置があるってことで…」
 クローゼットにはこう入れるだとか、この前は此処に入れておいたから次はこう、とか。
 係がルールを決めてるんだし、勝手に手に取るわけにはいかん。…気付かれるからな。
 残留思念を残さないように気を付けていても、何処からかバレるものなんだ。誰か触った、と。
「それじゃ、ハーレイは…」
 触ることさえ出来なかったの、前のぼくの服に…?
 青の間にきちんと残してあっても、出したりするのは無理だったの…?
「そうなるな。痛くもない腹を探られたくはないだろう?」
 本当は痛い腹だったわけだが、だからこそ余計に気を付けないと…。誰にも知られないように。
 前のお前を好きだったことも、忘れられずにいることも。
 しかし、ウッカリ触ったが最後、気持ちが溢れ出しかねん。ほんの少し、と触っただけで。
 そうなっちまえば思念が残る。俺の思念だとバレるだろうな、お前に恋をしていたことも。
 だから触りはしなかった。仕舞ってある場所を開けてみることも。
「…見ることも出来なかったわけ?」
 クローゼットを開けられないなら、そうなるよね。…服は仕舞ってあるんだから。
「見たい時に見るのは無理だったんだが、たまに手入れする係が外に出していた」
 上着とかに風を通しにな。仕舞ったままだと、駄目だと思っていたんだろう。
 そういう時に眺めただけだ。運良く出会えた時にはな。
 お前はこんなに細かったか、と。なんて小さな上着なんだ、と。
 何度も眺めて、目に焼き付けて、それから帰って行ったんだ。何度も後ろを振り返りながら。
 あれを着ていたお前の姿を、出してある服に重ねながらな…。



 青の間にソルジャーの衣装が置いてあっても、触れられなかった前のハーレイ。風を通すために出してあっても、眺めることしか出来なかった。
 懐かしい衣装を目にした日には、部屋に帰った後、ハーレイが撫でた奇跡のシャツ。奇跡としか思えなかったシャツ。縫い目も針跡もまるで無かった、ソルジャー・ブルーからの贈り物。
 古い恋歌、スカボローフェアの歌詞の通りに、作り上げられた亜麻のシャツ。それをハーレイは取り出して撫でた。青の間で見て来た服を思って。
 これよりもずっと小さかったと、それなのに上着だったんだ、と。
 あんなに小さくて華奢だった人に、どれほどの重荷を背負わせたのかと。シャングリラを守って逝かせたのかと、どうして止めなかったのかと。
 シャツを撫でる度に、涙が零れて落ちたという。もうこのシャツしか残っていない、と。
「…あのシャツはお前が作ってくれたが、俺のサイズのシャツだったから…」
 お前の服とは違ったんだ。大きさからして、全然違った。…お前とは重ならないってな。
 そう思う度に、何度考えたか分からない。
 お前の服を貰っておけば良かったと。…データを誤魔化して手に入れるんじゃなくて、堂々と。何か適当な理由をつけて。
「理由って…。どんな風に?」
 ハーレイがぼくの服を貰っても、着ることなんて出来ないから…。難しそうだよ?
「さてなあ…。俺の一番古い友達の服だ、と言ってやるのが良かったか?」
 実際、お前はそうだったわけだし、ゼルたちにも何度もそう言ったもんだ。最初の頃はな。
 その友達の思い出の品が何も無いから、貰って行ってもいいだろうか、と。
「ハーレイの一番古い友達…。それなら通用したかもね」
 友達の思い出だって言うなら、着られない服でも貰えたかも…。誰にも変だと思われないで。
「あの時は、それを思い付きさえしなかったがな…」
 お前がいなくなって直ぐの頃には、その最高の言い訳を。
 恋人だったお前の思い出、それが欲しくて服のデータを誤魔化せないかと考えて…。
 友達の思い出に貰うってヤツは、まるで頭に無かったな。
 そいつを思い付いてりゃなあ…。



 服が思い出の品になる、という発想が全く無かったんだ、とハーレイは呻く。思い出ではなくて形見だとばかり考えていた、と。恋人の形見に服が欲しい、と。
 恋人が着ていた服だったから、欲しいと思ったソルジャーの衣装。そう考えて欲しがっただけ。
 奇跡のシャツを撫でていたように、服を抱き締めたかっただけ。愛おしい人を想いながら。
 その服を見るだけで思い出せることに、ハーレイは気付きもしなかった。服が思い出のよすがになること、それがあるだけでも思い出になるということに。
 記念に残されたソルジャーの服を、青の間に出掛けて目にするまでは。
 風を通すために係が出しておいた服、それを見付けて恋人の姿を重ねるまでは。
「…俺が失敗しちまったのも、前の俺たちが生きてた時代ならではだ」
 後から大切に思い出すために、何かを残すっていう考え方自体が無かったんだな。
 子供たちの持ち物は取っておいても、持ち主の子供は生きてるわけで…。
 思い出の品を取っておくのと、それを使って思い出すのとが繋がらなかった。あの時代は、次の世代というのは全く違うものだったから…。
 赤ん坊の時の体重や身長そっくりのクマを作ることさえ、必要無かった時代だからな。
 いくらシャングリラで生きていたって、人類と何処か似ちまうもんだ。忌々しいことに、基本の考え方までが。
「そうだったのかもしれないけれど…。でも、ぼくの髪の毛は探したんでしょ?」
 髪の毛を探しに青の間に行ったら、すっかり掃除されちゃってた、って言ってたよ?
 ぼくの髪の毛は残っていなくて、とっても悲しかった、って…。
「髪の毛はそのまま、お前の欠片というヤツだろうが」
 お前の髪だし、お前の欠片だ。…抜けちまったらゴミでしかないが、お前の身体の一部だぞ。
 だから俺だって直ぐに思い付いた。お前の髪が落ちていたなら、拾って来ようと。
 だが、服は違う。お前が着ていたというだけだ。
 お前自身の欠片じゃないしな、抱き締めたって其処にお前はいないんだから。
 人形を側に置くようなつもりで、ソルジャーの服が欲しかった。
 そいつを強く抱き締めていたら、寂しさが少しは紛れるだろうと思ってな…。



 俺は考え違いをしていたんだ、とハーレイが浮かべた苦笑い。服そのものを恋しがるより、服の向こうに愛おしい人の姿を見ること。それが大切だったのに、と。
「其処に気付いていたならなあ…。ソルジャーの服を貰ったんだが…」
 俺の一番古い友達の思い出だから、と頼みに行って。上着だけでも貰えないか、と。
 きっと貰えただろうにな。…そういうことなら、と誰も変には思わないで。
「そうだよね…。何かを思い出に残す発想、今ほど普通じゃなかったけれど…」
 子供たちの持ち物は捨てずに置いてた船だし、誰だって直ぐに分かったと思う。前のハーレイが言いたいことも、服が思い出になることも。
 でも…。
 上着だけでも、って聞いたら思い出したんだけれど、前のぼく…。
 ハーレイの上着をよく借りていたよ、独りぼっちで寂しかった時は。
 いくら待ってもハーレイが青の間に来ない時とか、遅くなりそうな時とかに。借りて着てたら、ハーレイが側にいてくれるような気がしたから…。
 着たままで眠っちゃってた時には、ハーレイ、困っていたじゃない。上着が皺くちゃ。
 あのぼくを見てても、服が思い出になるって考えなかったの?
 ぼくはハーレイの上着の向こうに、いつもハーレイを見ていたのに。
「そういうお前は覚えていたが…。十五年間もお前が眠っていたって、忘れなかったが…」
 お前が着ていた俺の上着は、お前の服とは結び付いてはくれなかったな。
 俺はお前の服を借りたりしなかったから…。服の向こうにお前を見てはいなかったから。
 服というのは、そいつの中身が伴ってこそだと思ってた。
 それを着ているお前がいないと、何の役にも立たないんだと。…人形みたいに眺めるだけで。
 馬鹿だったな、俺も。
 もっとしっかり考えていたら、友達の思い出なんだから、とソルジャーの服を貰ったろうに。
「そういう時代だったしね…」
 前のぼくたちが生きてた時代は、思い出は残さない時代。…赤ちゃんから育てた子供のでも。
 一番大切な時を一緒に過ごした子供の思い出も全部、処分するような時代だったから…。
 いくらミュウでも、考え方まで丸ごと人類から切り離すのは無理。
 トォニィたちが生まれた後でも、そう簡単には変われないよ…。



 世界そのものが今とは違っていたんだから、と見詰めたハーレイの鳶色の瞳。ソルジャーの服を残し損ねた、と時の彼方で悔やんだ恋人。
 青の間でそれを見る度に。…手に取ることも出来ない衣装を眺める度に。
 ハーレイはどんなに悲しかっただろうか、残し損ねた服を思って。あれが手許にあったなら、と何度も涙したと言うから。
 …前の自分がプレゼントしたシャツ、奇跡のシャツを撫でながら。縫い目も針跡も無い、亜麻のシャツ。ハーレイのサイズで作られたシャツで、前の自分の服とは大きさが違いすぎるのを。
「えっとね…。前のハーレイは、ぼくの服を残し損なったけど…」
 思い出に出来るって気付かなくって、貰い損ねてしまったけれど…。
 今のぼくなら、赤ちゃんの時の服だってちゃんと残っているよ。ママが残してくれているから。
 クマだって作れる時代なんだよ、ぼくが生まれた時の体重と身長になってるクマを。
 そういう時代に二人で生まれ変わって来たでしょ、今度は幸せに生きていけるよ。
 いつまでも、何処までも、ハーレイと一緒。…ぼくは絶対、離れないから。
「赤ん坊の時の服ってヤツか…。おふくろなら残しているんだろうなあ…」
 きちんと仕舞って、時々、風を通したりもして。
 俺はすっかりデカくなったが、「こんなに小さい頃もあった」と見てるんだろう。小さい頃には可愛い子供だったのに、と溜息をついているかもな。あんなに大きくなるなんて、と。
 そのデカい俺の嫁さんになってくれるのが、大きく育った今のお前か…。
 ちゃんと帰って来てくれたんだな、俺の所に。…今はチビだが。
 お前、クマのぬいぐるみ、作りたいのか?
 会った途端に訊いてたからなあ、俺が赤ん坊だった頃の服は残ってるか、と。
「うーん、どうだろう…? 欲しい気持ちもするけれど…」
 男同士でクマは変かな、ぬいぐるみを並べて飾っていたら…。
 そうだ、ハーレイが生まれた時って、大きかった?
 クマを作るんなら、赤ちゃんの時のハーレイと同じになるんだけれど…。ハーレイのクマは。
「俺か? そりゃなあ…?」
 この図体だぞ、小さいわけがないだろう。
 おふくろも親父も、「この赤ん坊は大きくなる」と見るなり思ったらしいしな…?



 聞いて驚け、という台詞通りに、驚いてしまったハーレイの体重。青い地球の上に、ハーレイが生まれて来た時の重さ。それに身長も、うんと大きい。チビの自分は軽くて小さかったのに。
(…やっぱりハーレイ、大きい赤ちゃんだったんだ…)
 生まれた時から、大きくなりそうだと一目で分かる元気な赤ちゃん。それがハーレイ、泣き声も大きかっただろう。自分とは比べられないほどに。
(そんなに違っていたんなら…)
 あのクマをいつか作ってみようか、ハーレイのクマと自分のクマを並べるために。
 こういう大きさで生まれた二人が、今では家族なんだから、と。
 赤ちゃんの時の服を着させて、仲良く二つ並べて置いて。生まれた時には小さかったよ、と。
「俺はどっちでもかまわないぞ、クマは」
 作ってもいいし、作らなくても、どっちでもいい。…お前さえいれば。
 前の俺みたいに、お前の服も俺の手許には残っちゃいない、と泣かずに済むならいいんだから。
 お前がクマを作りたいなら、おふくろに頼んで貰って来るさ。赤ん坊の時の俺の服をな。
 残しているに決まっているんだ、今はそういう時代だから。
「うん。クマを作って並べるかどうか、二人でゆっくり考えようね」
 男同士のカップルなんだし、クマのぬいぐるみは似合わないかも…。
 もしかしたら、ハーレイ、笑われちゃうかもしれないものね。柔道部員の生徒たちが来たら。
「笑うだと? そういう失礼な生徒ってヤツにはお仕置きだな」
 俺のクマを見て笑うのはいいが、お前のクマまで笑ったヤツは許さんぞ。
 大事な嫁さんのクマを笑うなんて、そいつは飯もおやつも抜きだ。うんと反省して貰わんと。
「…それって可哀相じゃない?」
 遊びに来たのに、御飯もおやつも抜きなんて…。何も食べさせて貰えないなんて。
「何処が可哀相だ、可哀相というのは前の俺みたいな思いをしてこそだ」
 独りぼっちで残されちまって、思い出になる服も持っていなくて…。あれがあったら、と何度も何度も悔やみ続けて、泣き続けてこそ可哀相だと言えるってな。
「…ごめんね、ハーレイ…。前のハーレイを一人にしちゃって」
 本当にごめん、と謝ったけれど、「いいさ」とハーレイは笑ってくれた。「もういいんだ」と。
「お前、帰って来てくれただろ? お蔭でクマの話も出来る」
 いつか二人でゆっくり決めよう、俺たちのクマを作って飾るかどうかってことを。



 クマを作るなら付き合うからな、とハーレイも乗り気らしいクマ。
 家に来た教え子がクマを眺めて笑った時には、お仕置きもしてくれるらしいから…。
 生まれた時の体重と身長で作って貰えるクマを、二つ並べて飾ってみようか。小さめのクマと、それより大きなハーレイのクマ。今のハーレイの赤ちゃんの時の服を着ているクマ。
(…赤ちゃんの時の服もいいけど…)
 前の自分の上着を着せてみるのも素敵だろうか、小さい方のクマに。
 大きなクマには前のハーレイの上着、そういうクマもいいかもしれない。
 青い地球の上に生まれ変わる前には、二人とも、それを着ていたから。
 遠く遥かな時の彼方で、そんなカップルだったから。
(生まれ変わりなんです、っていうのは内緒でも…)
 姿がそっくり同じなのだし、着せていたって、誰も不思議には思わないだろう。遊びなのだ、と微笑ましく思うことはあっても。
(柔道部員とかが笑った時には…)
 ハーレイがお仕置きをして、御飯とおやつが抜きになる。ちょっぴり可哀相だけど。
 本当にいつか作ってみようか、前の自分たちの上着を着ている二匹のクマのぬいぐるみ。
 前のハーレイが貰い損なった前の自分の上着を、頑張って真似て縫い上げてみて。
 ハーレイのキャプテンの上着も作って、着せて座らせる二匹のクマ。
 きっと幸せだろうから。
 ハーレイと二人で手に取ってみては、「こんなに小さかったんだね」と笑い合って。
 今は二人ともずっと大きいと、大きく育ったから、結婚して家族になれたんだよね、と…。




           思い出の服・了


※前のブルーのソルジャーの衣装。ブルーがいなくなった後、欲しいと思ったのですが…。
 友達の思い出として残す発想が無くて、そのままに。今の時代は、思い出の品は普通なのに。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








PR
Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]