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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

初めての祈り
(早く大きくなれますように…)
 お願い、と小さなブルーが祈った神様。お風呂から上がって、パジャマ姿で。自分の部屋で。
 明日はハーレイが来る土曜日だけれど、楽しみな日ではあるのだけれど…。そのハーレイには、問題が一つ。誰よりも好きな恋人でも。ハーレイの笑顔がどんなに好きでも、大きな問題。
 恋の障害で、恋路の邪魔をしてくれるもの。とても無粋で、大嫌いなこと。
(キスは駄目だ、って言われるんだよ!)
 ハーレイに「駄目だ」と叱られるキス。強請っても断られてばかり。誘った時には睨まれる。
 真剣に恋をしているというのに、今の自分はチビだから。十四歳にしかならない子供で、少しも育ってくれない身体。前の自分と同じ背丈にならない限りは、ハーレイはキスをくれないのに。
 ソルジャー・ブルーだった頃の自分の背丈は百七十センチで、今の自分は百五十センチ。
 おまけに、今のハーレイと出会った五月三日から、今日に至るまでに…。
(一ミリだって…)
 伸びてくれないままなのだから、まるで全く見えない希望。いつになったらキスが出来るのか。背が伸び始めて、「あと少しだよ」と思える日までは、いったい何年かかるのか。
 こればかりは本当に分からないから、伸びない背丈を伸ばすためには…。
(お祈り、たまには真剣に…)
 きちんと祈ろう、と考えた。いつもはミルクを飲む時に祈っているのだけれども、その時以外は何かのついで。「神様、お願い」と心の何処かでチラリと祈って、それでおしまい。
 そんなお祈りを捧げていたなら、神様の方でも「ついでなんだな」と思うだろう。誰かの願いを叶えるついでに、手が空いていたら叶えてやればいいだろう、と。
(…そうなっちゃうよね?)
 神様だって忙しいんだから、と今夜は真面目に祈ることにした。パジャマ姿ではあるけれど。



 ベッドの端っこにチョコンと座って、瞳も閉じて。神様を頭に思い浮かべて。
 今の時代は神様が大勢いる時代。SD体制が崩壊した後、多様な文化と一緒に帰って来た神様。色々な神様がいるのだけれども、こうして祈ろうと思ったからには…。
(前のぼくが生きてた時の神様…)
 そうでなくちゃ、と決めた神様。クリスマスに馬小屋で生まれた神様、シンボルは十字架。前の自分が生きた時代は、あの神様しかいなかった。他の神様は機械が消してしまったから。
(…他の神様でも効きそうだけど…)
 もしかしたら、背を伸ばす御利益がある神様だって存在するかもしれないけれど。そっちの方が向いているかもしれないけれども、生憎と知らない神様の名前。いたとしたって。
 それにクリスマスに生まれた神様も、自分にとっては効きそうな神様。他の神様たちと違って、前の自分を知っているから。前の自分も祈りを捧げた神様だから。
(前のぼくと同じ背丈に、ってお願いしたら…)
 きっと分かってくれる筈。今の身長よりも二十センチ、と具体的な数字を出さなくても。こんな具合でお願いします、と前の自分の姿を頭に描かなくても。
 だから一番いい筈だよね、と真面目に祈った。「早く大きくなれますように」と。
 前の自分と同じになるよう、背丈を伸ばして下さい、と。
(…神様、ホントのホントにお願い…)
 早く大きくなりたいから、と祈り終わって、目を開けたけれど。
(えーっと…?)
 本当に今ので良かっただろうか、と急に心配になって来た。祈りはともかく、祈り方が。自分はきちんとやったつもりでも、間違っていたかもしれない作法。お祈りのやり方。
 教会には行っていないのだから、どうやって祈るのか全く知らない。今の時代は神様が多いし、それに合わせて祈り方も色々。この神様にはこうだとか。この神様なら、こうするだとか。
(…ちゃんとお祈りしないと駄目?)
 あの神様に祈るのだったら、行儀よく。こうするんです、という作法通りに。
 けれど知らない、正しい方法。でも、真剣に祈れば、きっと…。



(神様、聞いてくれるよね?)
 間違えちゃった方法でも、と頷いた。神様なんだし、大丈夫だよ、と。
 前の自分たちだって、正しい祈り方などしてはいなかったから。改造前のシャングリラの時は、祈るための場所さえ無かったくらい。専用の部屋がありはしなかった。
 白い鯨に改造した後、祈りの部屋が出来た後にも、祈る時には…。
(あの部屋にあった鐘を鳴らしてただけ…)
 澄んだ音がした鐘、それを鳴らすための紐を引っ張って。神に届くよう、鳴らしていた鐘。その音の中で祈り始めて、神への言葉を紡いでいた。心の中で。
 そうでなければ、自分の部屋で蜜蝋の蝋燭を灯して祈るか。白いシャングリラで飼育していた、唯一の虫だったミツバチたち。その巣から採れた巣材の蜜蝋。
 甘い香りのする蜜蝋で作った蝋燭、それは遠い昔は神に捧げる蝋燭だった。SD体制の時代は、何処にも無かったその習慣。
 ならば、と使うことにした。人類が忘れた方法だったら、それを使えばミュウの祈りが神の所に届くだろうと。甘い香りと共に祈れば、神が気付いてくれるだろうと。
(鐘を鳴らすか、ミツバチの蝋燭を貰って祈るか…)
 どちらも神への祈りの方法。前の自分たちの、白いシャングリラでの流儀。
 正しい作法でなかったことは確かだけれども、他に方法など知らない。ヒルマンやエラが調べて来たって、船に教会は作れない。祈りの部屋を設けておくのが精一杯。
(それでも聞いて貰えたしね?)
 前の自分たちが捧げた祈り。
 白いシャングリラは地球まで辿り着けたから。ミュウの時代を手に入れたから。



 それに聖痕も貰っちゃったよ、と眺めた身体。今の自分が持っていた聖痕、あれのお蔭で記憶が戻った。またハーレイと巡り会えたし、きっと神様の贈り物。
 聖痕は本来、神様が受けた傷と同じ傷のことだから。それが身体に表れるのが聖痕現象、自分の場合は前の自分がメギドで撃たれた傷痕だけれども。
(ハーレイとのことは、メギドでは…)
 前の自分は祈っていない。ハーレイの無事を祈っていただけ。他の仲間やシャングリラの未来を祈るのと共に。どうか生きてと、無事に地球へ、と。
 ただそれだけで、また会いたいとは祈らなかった。もう会えないと思ったから。最後まで持っていたいと願った、右手に残ったハーレイの温もり。それを落として失くしたから。
 ハーレイとの絆は切れてしまって、二度と会えないと泣きじゃくりながら、前の自分はメギドで死んでいったのだから。死よりも恐ろしい絶望と孤独の中で、独りぼっちで。
 あの悲しみの中で祈ってはいない。祈った記憶も残ってはいない。
(…それとも、祈った?)
 自分では覚えていないけれども、意識が消える最後の時に。「会わせて」と。
 もうハーレイには会えないとしても、出来ることなら会わせて欲しいと。
 そう祈ったから、神様は聖痕をくれたのだろうか。ハーレイに会わせてくれただろうか。
(だったら、やっぱり祈り方なんて…)
 方法が正しいかどうかは関係無くて、心が大切。神様に祈るという気持ち。心の底から、どうか届いて、と。
 前の自分たちの祈りは届いて、シャングリラは地球に行けたから。今の自分も、ハーレイと再会出来たのだから。聖痕まで貰って、青い地球の上で。



 お祈りの正しい方法よりも心だよね、と出した結論。祈る方法が間違っていても、心から祈れば神様には届く筈だから…。
(よし!)
 きっと明日には少しくらい…、と思う身長。ちょっぴり伸びてくれるよ、と。明日が駄目でも、その内に。明後日とか、そのまた次の日とかに。
 伸び始めたら、後は順調に伸びてゆくのに違いない。前の自分と同じ背丈になれるまで。
(今日のお祈り、神様の所に届くよね?)
 きちんとお祈りしたんだから、と満足してベッドに潜り込んだ。お祈りの効果を早く出すには、眠ることだって大切な筈。「寝る子は育つ」と聞いているから、お祈りの他に自分でも努力。
 神様に任せっ放しでいるより、頑張っている所も見せなくちゃ、と思ったのだけれど…。
(あれ…?)
 枕にポフンと頭を乗っけて、眠ろうとして、ふと気になったこと。前の自分の祈りのこと。
 神様に祈って、白いシャングリラは地球まで行けて、チビの自分はハーレイと再会したけれど。青い地球で新しい命と身体を貰って、前の自分の恋の続きを生きているのだけれど。
 そうなって欲しい、と神様に祈った前の自分は…。
(お祈り、いつからやってたの…?)
 いつからやっていたのだろう。神に祈るということを。
 白いシャングリラでは当たり前のように祈っていた。祈りの部屋を作らせたほどだし、改造前の船でも何度も祈った。鳴らす鐘も、蜜蝋で出来た蝋燭も無い船だったけれど。
 捧げた祈りの中身は色々、ミュウの未来や仲間たちのこと。白い鯨ではなかった船でも。
 けれど、その船に辿り着くまでは。…元はコンスティテューションという名前だった船、人類が捨てていった船で宇宙に飛び出すまでは…。
(お祈り、してた…?)
 アルタミラにあった研究所で。狭い檻の中で。
 其処で自分は祈っただろうか、神に祈りを捧げたろうか…?



 どうだったっけ、と手繰った記憶。アルタミラの檻で過ごした頃の自分は祈ったのか、と。
(檻にいた時は…)
 長い年月、心も身体も成長を止めていた自分。成人検査を受けた少年の姿のままで。今と同じで少しも育たず、子供のままで生きていた。
 あの地獄から逃げ出すまでは。後にシャングリラと名を変えた船で、宇宙に脱出するまでは。
 もしも自分が神に祈っていたならば。神に助けを求めたのなら…。
(…もうちょっと育っていそうな気がする…)
 身体はともかく、心の方は。姿は子供のままだったとしても、中身の方は。
 神に祈るという思いがあったら、少しは成長しただろう。祈る気持ちは、前を見ないと生まれて来ないものだから。今よりもいい状態になるよう、願うのが祈りなのだから。
 それを願えば、心は育つ。前を見られる強さが生まれて、その内に希望を持ったりもして。
 なのに自分は育たなかったし、子供のままの心でいたのなら…。
(お祈り、してない…?)
 一度も祈っていなかったっけ、と思い出したこと。前の自分は祈っていない。アルタミラでは、狭い檻で一人で生きていた頃は。
 実験室に引き出された時に感じた、他の仲間たちの残留思念。殺されていった大勢の仲間たち。彼らの断末魔の悲鳴を感じ取っても、それが意味のある叫び声でも…。
(どうでも良かった…)
 残った思念が「助けて」と苦痛を訴えていても。「死にたくない」と叫んでいても。
 明日は自分も、と思っただけ。いつかは彼らと全く同じに死ぬのだから、と。死に方が変わるというだけのこと。焼き殺されるか、窒息するのか、四肢を無残に引き裂かれるか。
 いずれにしたって死んでゆくのだし、他の仲間がどういう風に死んでいったか、それを知っても意味などは無い。自分も行く道なのだから。
 檻に出入りする時は、外されたサイオン制御リング。一瞬だけサイオンで周りが見られて、他の檻にいる仲間を見たって、それもどうでも良かったこと。
 今はこういう顔ぶれなのか、と見渡しただけ。また変わったと、前にいた仲間は殺されたのかと眺めただけ。
 神に祈りはしなかった。檻の隣人が死んだのに。…皆いなくなって、別の顔ぶれだったのに。



 なんて酷い、と愕然とした前の自分のこと。仲間たちの死を知っていたって、祈りもしないで、ただ檻の中で過ごしただけ。
 祈る時間はあったのに。…檻の中では食べて寝るだけ、他にすることは無かったのに。
(ぼくって酷い…)
 死んだ仲間が安らかであるよう、一度も祈らなかっただなんて。残留思念を捉えた時にも、檻の顔ぶれが変わっていることに気付いた時も。
 皆、殺されていったのに。残虐な実験で命を奪われ、非業の最期を迎えたのに。
(…分かっていたくせに、お祈り、してない…)
 酷すぎるかも、と思う間に落ちて行った眠り。ベッドの中にいるのだから。
 実験の夢は見なかったけれど、アルタミラの夢を見てしまった。メギドの炎で燃え上がる地獄、仲間たちを星ごと喪った日を。離陸しようとする船から外を見ていた時を。
 もう一人くらい、誰か走って来ないかと。生き残った仲間が誰か姿を現さないかと。
 其処でプツリと終わった夢。朝の光の中で目覚めた自分。
(ごめんね…)
 助けられなくて、と起きた途端に祈っていた。アルタミラを滅ぼした炎の中では、大勢の仲間を助けたけれど。シェルターを開けては逃がしたけれども、間に合わなかった仲間たちもいた。
 シェルターごと地割れに飲み込まれたり、瓦礫に押し潰されたりして。
 もっと早くに助けられたら、と祈る間に、思い出した眠る前のこと。前の自分の祈りのこと。
(前のぼく、やっぱり…)
 アルタミラでは祈っていなかった。
 研究所で殺された仲間たちの魂のためには、ただの一度も。残留思念の悲鳴を聞いても、檻から姿を消していることに気付いても。
 死んだのだな、と思っただけで。…自分もいつかこうなるのだな、と麻痺した心で、感情の無い目で見ていただけで。



 一度も祈りはしなかった自分。前の自分のことだけれども、考えるほどに酷すぎること。
 仲間たちが死んだと知っていたって、彼らの悲鳴を感じ取ったって、祈りさえもせずに過ごしていた。檻の中でも、祈ることなら出来たのに。…他にすることは無かったのに。
(ぼくって、最低…)
 なんて酷いことをしたのだろう、と思っても、とうに過ぎ去ったこと。アルタミラの檻に戻れはしないし、今の自分がどんなに詫びても、前の自分の罪は消えない。消し去れはしない。
(…前のぼく、きっと恨まれてたよ…)
 あそこで死んだ仲間たちから、と胸が塞がってゆく。いくら自分が謝ってみても、前の自分とは違うから。「何故、あの時にそうしなかった」と、責める声が聞こえて来そうだから。
 それでも起きてゆくしかない。今日はハーレイが来る日なのだし、両親だって朝食の席で待っている。顔を洗って着替えたけれども、元気が無かった朝のテーブル。
 「何処か具合が悪いのか?」と父が訊くから、「平気だよ」と笑みを浮かべたけれど。頑張って朝食を食べたけれども、部屋に帰ると塞がる心。前の自分の酷さを思って。
(ハーレイ、お願い。早く来て…)
 ぼくの話を聞いて欲しいよ、と何度も眺める窓の方向。側に立って庭の向こうを見たり。
 前の自分が酷かったことを謝るのならば、きっとハーレイが一番だから。
 アルタミラで死んだ仲間たちにも詫びたけれども、自分の罪を打ち明けるのなら、死なずに生き延びた仲間でないと。…それがどれほど酷いことなのか、分かってくれる人間でないと。
 今のハーレイは生まれ変わりだけれども、アルタミラから生きて脱出した仲間。
 あそこで何が起こっていたのか、人類が何をやっていたのか、今も覚えているのだから。



 早く来てよ、と待ち続けたハーレイが部屋にやって来た後、挨拶もそこそこに切り出した。母が置いて行ったお茶とお菓子に手もつけないで、ハーレイの顔をじっと見詰めて。
「あのね、ぼくって最低だったよ…」
「はあ?」
 なんだそりゃ、とハーレイは怪訝そうな顔。「お前の何処が最低なんだ?」と。
「前のぼくだよ、ホントに最低…。昨日、寝る前に気が付いたんだよ…」
 一度も祈っていなかった…。アルタミラの檻で生きてた時に…。
 実験室に連れて行かれたら、殺された仲間の残留思念があったのに…。悲鳴とかだって。
 それに檻から出された時には、周りの檻にいた仲間たちの顔が違ってて…。
 死んじゃったんだな、って思ったけれども、たったそれだけ。…実験室でも、檻の前でも。
 いつかはぼくも死んじゃうんだな、って見ていただけで、自分のことしか考えてなくて…。
 お祈り、しようとしなかった…。死んじゃった仲間を可哀相だとも思わないで。
 それって酷くて、最低でしょ?
 普通はお祈りするものなのに…。みんなが天国に行けますように、って。
「そうか? 俺はお前が最低だとは思わないが…?」
 アルタミラでは、お前が一番辛かったんだ。あそこにいた仲間の誰よりも。
 一番長い年月を檻に閉じ込められて過ごして、成長まで止めてしまってた。…心も身体も。
 生きていたって何もいいことは無い、と思っていたから、そうなっちまっていたんだろ?
 そんな思いをしていたお前に、祈る余裕があったとは俺は思わんな。最低ってことはない筈だ。
 出来なかったことは仕方がない。…お前は祈れなかったんだ。自分が苦しすぎたから。
「でも…。他のみんなは死んじゃったんだよ?」
 助けて、って悲鳴を幾つも聞いたし、「死にたくない」っていう声だって…。
 みんな苦しんで死んでいったよ、酷い人体実験をされて。
 ぼくよりも苦しかった筈だよ、だって死んじゃったんだから…!
「それはそうだが、死んだら其処で終わりだろうが。…死んだ仲間の人生ってヤツは」
 魂は肉体を離れちまって、もう苦しんでいた身体は無い。そいつの魂の周りには。
 残留思念はあったとしたって、魂の方は、今の俺たちみたいにだな…。



 生まれ変わって別の人生を生きただろうさ、とハーレイは言った。ミュウにはならずに、今度は人類に生まれるだとか。そうでなければ、天国に行っていただろう、と。
「生まれ変わるにせよ、天国に行っちまうにせよ…。そいつの人生は終わりなんだ」
 とても苦しい思いをしたって、死んだら終わっちまうから…。もう苦しくはないってわけだ。
 苦しんでいた身体が無くなっちまえば、苦しみようがないからな。
 しかし、お前は死ねなかった。…違うのか?
 どんなに苦しい思いをしたって、お前には終わりが来なかったんだ。前のお前には。
「そうだけど…。前のぼくは死ななかったけど…」
 タイプ・ブルーは一人だけだし、死んじゃったら実験出来なくなるから…。
 これで死ぬんだ、って思っていたって、気が付いたらまだ生きていて…。
 死ななかったよ、と今でも忘れられない苦痛。気を失うまで繰り返された人体実験。
 意識が薄れて消えてしまっても、どれほど酷い傷を負っても、治療されたから死ななかった。
 絶対零度のガラスケースに放り込まれても、高温の炎に焼かれても。
「…お前は死ななかっただろう? 他の仲間なら死んだだろうにな」
 治療しないで、死ぬまで実験し続けて。…殺しちまっても、別ので実験出来るんだから。
 他のサイオン・タイプだったら、幾らでも代わりがいたからな。
 それが出来なかったのが前のお前で、一人で実験され続けた。研究のために。殺さないように、治療までして。
 前のお前は、他の仲間の何人分を死んだんだ?
 死ぬんだな、と思っていたって、それで死ななきゃ苦しいだけだ。治療も、次の実験も。
 そういう毎日だったわけだが、お前、その中で、自分のために祈ってたのか?
 「此処から出たい」と、「助かりたい」と。…神様ってヤツに。



 どうなんだ、と訊かれたけれども、まるで無かった祈った記憶。助かりたいとも、出たいとも。何も祈ってはいなかった。…思い付きさえしなかった祈り。
「…祈ってない…」
 お祈りなんか忘れていたよ。お祈りをすれば助かるかも、って考えたことも無かったみたい。
 どうせ助からないんだから、って思っていたのか、そうじゃないかは分からないけど…。
 だけど、お祈りしなかったのは確か。…ぼくは覚えていないから。
「ほら見ろ。前のお前に余裕は無かった。祈るだけの心の余裕がな」
 神様さえも忘れちまっていたんだろうなあ、毎日が苦しすぎたから。
 そうでなくても、あそこは地獄だったんだし…。神様がいるとは思えないような。
 前のお前が、自分のためにだけ祈っていたなら、最低だと言われても仕方がないが…。自分さえ良ければそれでいいのか、と責めるヤツらもいそうだが…。
 そうじゃないしな、お前は最低なんかじゃない。
 自分のためにも祈れないんじゃ、他の仲間のために祈るのは無理ってモンだ。
 立派に育った大人だったら、出来る人間もいるんだが…。前のお前もそうだったんだが、チビの頃だと話は別だ。子供だった上に、誰よりも苦しい思いをしてれば、祈るのも忘れちまうだろ?
「そうなのかな…?」
 前のぼく、最低じゃなかったのかな、知らんぷりをして生きてたけれど…。
 死んじゃった仲間のためのお祈り、ホントに一度もしなかったけど…。
「お前は最低の人間じゃない。苦しすぎて心に余裕が無かっただけだ。…祈るだけの分の」
 だから一度も祈らなかったし、自分のためにも祈れなかった。
 間違いない、俺が保証する。前のお前は最低なんかじゃなかった、と。
「ありがとう…。ちょっぴり心が軽くなったよ、ハーレイのお蔭」
 ハーレイに聞いて貰えて良かった。前のぼくが何をやっちゃったのか。…酷かったことも。
 最低じゃない、って言って貰えたら、ほんの少しだけホッとしたから…。
 やっちゃったことは変わらないけど、許してくれた仲間もいたかもね、って。
 でも、前のぼく…。



 いつから祈っていたのだろう、と尋ねてみた。それが昨夜の疑問の始まり。
 アルタミラの檻で祈らなかったというなら、いつから神を求めただろう、と。
「ぼくって、いつからお祈りしてたと思う…?」
 シャングリラではお祈りしていたけれども、誰かに教えて貰ったのかな…?
 アルタミラの檻では神様のことまで忘れてたんだし、お祈りしそうにないんだけれど…。
「さあな…? 俺は教えた覚えは無いなあ、前のお前に」
 だが、参考までに言ってやるなら…。前の俺の昔話になるが…。
 俺の場合は、檻の中でも祈っていた。いつか必ず生きて出てやると、死んじゃならんと。
 そうするためにも生かしてくれと、俺を生き延びさせてくれと。
「生きるって…。ハーレイ、凄いね」
 神様にお祈りするのも凄いけれども、生きたいだなんて…。
 あそこから生きて出てやるだなんて、ホントに凄すぎ。ぼくは何もかも諦めてたのに…。
 生きるのも、自由になることも、全部。
「お前よりは余裕があったからな。…実験が落ち着いて来てからは」
 俺がデカブツだったお蔭で、負荷をかける実験の方がメインになってたんだと話しただろう?
 肉体的にはかなりキツイが、精神的には踏ん張れる。…負けるもんか、と思うわけだな。
 お蔭で祈る余裕もあった。こんな地獄から抜け出してやる、と。
 その俺が、「頼む」と真剣に神に祈った最初ってヤツは…。あの地獄だ。
「地獄って…? あそこが地獄だったじゃない」
 研究所そのものが地獄だったよ、ハーレイもそう言ったじゃない。抜け出してやる、って。
「それよりもまだ酷い地獄だ。…地獄が地獄に落とされた時だ」
 アルタミラがメギドの炎に焼かれて、燃え上がる中を、お前と二人で走った時。
 一人でも多く助けさせてくれ、と。
 生き残っている仲間を死なせないでくれと、俺たちが無事に助け出すまで守ってくれと。
「あ…!」
 ぼくも同じだよ、その気持ち…。前のぼくもハーレイと同じだったよ…!



 思い出した、と蘇って来た遠い遠い記憶。アルタミラがメギドに滅ぼされた日。
 崩れ、燃え盛る地面を走る間に、見えない神に祈っていた。「もう少し」と。
 自分たちが其処に辿り着くまで、仲間たちが閉じ込められたシェルターを持ち堪えさせて、と。もう少しだけ時間が欲しいと、仲間たちを助けたいからと。
 そうして祈って走り続けて、助け出した大勢の仲間たち。ハーレイと二人でシェルターを幾つも開けて回って、「早く逃げて」と逃げる方向を指差して。
(神様、お願い、って…)
 時間が欲しいと、仲間たちの命を守って欲しいと祈り続けた前の自分。間に合わなくて、壊れてしまったシェルターの前では「ごめん」と心で謝って。
 「助けられなくて、本当にごめん」と、「もっと急げば良かったのに」と。
 神に祈って、死んだ仲間にも謝っていた前の自分。ということは、あの時が…。
「ハーレイ、前のぼくのお祈り、一番最初はアルタミラだったよ」
 神様にずっとお祈りしてた…。前のハーレイとおんなじことを。
 助けられなかった仲間たちにも、「ごめん」って謝っていたんだよ、ぼく。
「そうか、やっぱりあの時なんだな」
 俺の昔話が参考になって何よりだ。…お前が思い出せたんなら。
「…もしかして、ハーレイ、知っていたの?」
 ぼくがお祈りしていたってことを、思念で感じ取ってたとか…?
「まさか…。そこまでの余裕は流石に無かった。仲間たちを助け出すことで頭が一杯だしな」
 だが、あの時のお前を思い出したら、簡単に分かることだってな。
 諦めようとはしなかっただろ、お前。…本当に最後の最後まで。
 これが最後の一つなんだ、ってシェルターを開けて仲間を逃がすまでは。
 自分のことだけで手一杯なら、諦めちまって逃げるだろうから…。途中で放り出しちまって。
 それをしないで頑張ってたのは、仲間たちのことを考えていたからだ。俺と同じで。
 俺と考えが同じだったら、神様にだって祈っただろうと思ったんだが、当たりだったな。
「そっか…。ハーレイが言う通りかもね…」
 あの時、ぼくは閉じ込められてたシェルターを壊して、後はポカンとしてただけ…。
 ハーレイがぼくに「助けに行こう」って言ってくれたんだよ。他にも仲間がいる筈だ、って。
 仲間たちのことに気付いたお蔭で、神様のことも、お祈りも思い出したんだね…。



 あれだったのか、と思った初めての祈り。前の自分が神に祈ったのは、アルタミラから脱出した後のことではなかった。崩れゆく星でもう祈っていたなら…。
(そうだ、あの星を離れる時に…)
 アルタミラがあったジュピターの衛星、ガニメデを離陸してゆく時。
 事故で船から放り出されて、炎の中へと落ちて行ったハンス。前の自分のサイオンはもう、彼を救えはしなかったから。引き上げる力が無かったから。
 そのハンスにも心で詫びたけれども、救えなかった仲間たちに詫びた。シェルターごと地割れに飲まれたりして、命を落とした仲間たち。助け出すのが間に合わなくて。
 それよりも前に、実験で殺された仲間たちにも。船がどんどん遠ざかる星、其処で死んだ全ての仲間たちの魂に詫びて祈った。
 皆の分まで、きっと生きると。この船を、船の仲間たちを必ず守ってみせると。
(だから、お願い、って…)
 見えない神に祈った自分。皆を守りたいと、守らせてくれと。
 ハーレイの胸で泣かせて貰った時には、もっと強く。泣きじゃくりながらも祈った自分。
(頑張らなくちゃ、って…)
 この船で皆と生きてゆくから、守って欲しいと。
 船に乗れずに死んでいった大勢の仲間たちにも、どうか救いがあるようにと。
 あれが自分の最初の祈り。
 檻の中では忘れ果てていた、神への祈りを取り戻した時。
 アルタミラの地面の上で祈って、あの星を離れる船の中でも祈り続けて。



 良かった、と零れた安堵の息。前の自分はアルタミラでも祈っていた、と。
 きっとハーレイが言った通りに、檻の中では心の余裕が無かったのだろう。神に祈ることさえ、思い付かないほどに。…仲間たちのために祈るどころか、自分のためにも祈れないほどに。
「…良かったあ…。前のぼくも、ちゃんとお祈りしてたよ」
 まだアルタミラがあった間に。
 …脱出してから思い出したんじゃなくて、誰かに教えて貰ったわけでもなくて。
 お祈り、ホントに忘れてしまっていたんだね…。檻の中で暮らしていた時は。
「思い出せたか?」
 その様子だと、俺が話した以上に色々と思い出せたようだな。
 俺が来た時とは表情が全く違うし、見違えるように生き生きしているから。
「うん、最低じゃなかったみたい…」
 実験で殺された仲間のためにも、最後にお祈りしていたんだよ。
 アルタミラから離陸していく時にね、ハンスに謝っていたけれど…。ぼくたちがシェルターから助け出す前に、死んじゃった仲間にも謝ったけど…。
 研究所で殺された仲間たちのためにも、ちゃんとお祈りしていたよ、ぼく。
 神様にお願いしていたんだよ、死んだ仲間たちも助けてあげて、って。
「そりゃあ良かった。前のお前が、きちんと祈ってやれたんならな」
 白い鯨になった後にも、お前、ずいぶん気にしてたから…。今も気にするほどだから…。
 前のお前が最低ってことは無い筈なんだが、お前、本当に悲しそうな顔をしてたしな?
 アルタミラがまだあった間に、祈れたんなら良かったじゃないか。
 仲間たちはとっくに次の人生を生きていたんだと俺は思うが、それだとお前の悲しみは減らん。
 やっぱり祈っておきたかった、と自分を責め続けるだろうしな。
 これでお前の悩みは消えたし、俺も大いに安心だ。お前が自分で納得しないと、こればっかりは俺にもどうにもしてやれんから…。
 で、安心した所で、お前に一つ訊きたいんだが…。



 何処から祈りの話が出て来たんだ、と鳶色の瞳に覗き込まれた。真正面から。
「お前の頭を悩ませたほどの大問題だし、俺は解決に手を貸してやった」
 どうしてそういう話になったか、聞かせて貰える権利はあると思うがな?
 お前、なんだって悩んでいたんだ、お祈りなんかで…?
「そ、それは…。えっと…。昨日の夜に神様に…」
 背を伸ばそうとお祈りしてて…。ぼくの背、一ミリも伸びてくれないから…。
 普段だったら、ミルクを飲む時に、ついでにお祈りするんだけれど…。
 たまには真面目にお祈りしよう、って神様にきちんとお祈りして…。
 それが始まり、と白状したら、「なるほどな…」とハーレイが浮かべた可笑しそうな笑み。
「今のお前のお祈りってヤツが、よく分かった」
 背丈を伸ばして下さいってか…。それこそ最低な祈りだな。自分勝手で。
 神様には神様の考えがあって、お前をチビのままにしてらっしゃるんだと思うわけだが…。
 そいつを綺麗サッパリ無視して、自分の都合で「お願いします」って所が最低最悪だってな。
 前のお前の祈りに比べて、落ちるなんて騒ぎじゃないだろうが。
「…やっぱり?」
 ぼくのお願い、我儘すぎた?
 ホントのホントに最低最悪なお祈りになるの、背のこと、真面目にお祈りしたら…?
「前のお前に比べれば、と言っただろう?」
 相当に質が落ちてしまうが、今のお前はそれでいいんだ。
 今はすっかり平和な時代になっているしな、前のお前みたいな祈りは必要無いってこった。
 背を伸ばしたいというのも、お前にとっては切実なことには違いないしな?
 最低最悪でも悪くはないだろ、神様が叶えて下さるかどうかは別問題ってことになるんだが。



 背丈が伸びるかどうかはともかく、今の自分はそういう祈りでいいらしい。
 時代に合わせて祈りの中身も変わるもんだ、とハーレイは穏やかな笑顔だから。
 最低最悪のお祈りでも許してくれるらしいから、これからも神様に祈ってゆこう。
 時には真面目に、真剣に。
 お祈りの作法は間違っていても、きっと心が大切だから。
 早く大きくなれなますようにと、ハーレイとキスが出来る背丈に、と。
 このお祈りが神様に届きますようにと、心からの願いをお祈りに乗せて…。



            初めての祈り・了


※祈ることさえしなかったのが、アルタミラの檻にいた頃のブルー。自分自身のことさえも。
 前のブルーの最初の祈りは、燃える星で仲間たちを助けに走った時。滅びゆくアルタミラで。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv











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