シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
テールライト
(行っちゃった…)
帰っちゃった、とブルーが見送ったテールライト。遠ざかってゆく車の光。
ハーレイの愛車の後ろに灯っているライト。金曜日の夜、「またな」と帰って行ったハーレイ。前のハーレイのマントと同じ色の車を運転して。濃い緑色をした愛車に乗って。
懸命に手を振るのだけれども、ハーレイからはもう見えないだろう。テールライトは遠ざかって消えていったから。夜の住宅街の向こうへ。
(あーあ…)
溜息をついて入った庭。見送りに出ていた道路から。門扉を閉めて鍵をかけたら、ハーレイとは別の世界の住人。チビの自分はこの家に住んで、ハーレイの家は何ブロックも離れた所。
(さよならだなんて…)
今日は学校があった日だから、ハーレイが帰りに寄ってくれただけでも運がいい。学校の仕事が長引いた日には、訪ねて来てはくれないから。
それは分かっているのだけれども、寂しい気持ちは拭えない。ついさっきまでは、あれこれ話が出来たのに。二人きりで部屋でお茶を飲んだり、両親も一緒の夕食だって。
(ホントに色々、お喋りしてて…)
ハーレイの声に、姿に、夢中だった自分。「ハーレイと一緒なんだよ」と。
キスは駄目でも恋人同士で、大好きでたまらないハーレイ。側にいられるというだけで。温かな声が耳に届いて、穏やかな瞳を見られるだけで。
幸せ一杯で過ごしていたのに、楽しい時間はアッと言う間に過ぎるもの。気付けばとっくに通り過ぎていて、こうして終わりがやって来る。
食後のお茶の時間も終わって、帰って行ってしまったハーレイ。「またな」と軽く手を振って。
ガレージに停めていた愛車に乗って、エンジンをかけて走り出して。
そのハーレイが乗った車はもう見えない。「あそこだよ」と分かるテールライトも。
表の道路に戻ってみたって、何処にも見えないテールライト。夜の道路があるだけで。道沿いの家に灯る灯りや、街灯の光があるだけで。
庭から家の中へと入って、戻った二階の自分の部屋。ハーレイとお茶を飲んでいた部屋。
其処にハーレイの姿は無いから、零れてしまった小さな溜息。さっきまで一緒だったのに、と。
(寂しいよ…)
ハーレイが運転して行った車。濃い緑色の車の助手席に乗って、ハーレイの家に帰りたいのに。自分も車に乗ってゆけるなら、それが出来たら幸せなのに。
ハーレイが開ける運転席とは、違った方の扉を開けて。シートに座って、扉を閉めて。
そしたら車が走り出しても、寂しい気持ちになったりはしない。自分も一緒に乗っているから、夜の道を二人で走るのだから。
ほんの短いドライブだけれど、ハーレイの家に着くまでの道を。ガレージに車が滑り込むまで、ハーレイがエンジンを止めるまで。
(そうしたいけど、まだまだ無理…)
十四歳にしかならない自分は、当分はこうして見送るだけ。
今日の自分がそうだったように、家の表の道路に出て。ハーレイに「またね」と手を振って。
車が行ってしまうのを。…テールライトが見えなくなるのを。
お風呂に入ったら、後は寝るだけ。パジャマ姿で、窓の向こうを覗いてみた。カーテンは閉めたまま、上半身と頭を突っ込んで。
庭園灯が灯った庭と生垣、それをぼんやり見下ろしていたら、通った車。黒っぽい影とライトが見えただけなのだけれど、表の道路を走って行った。ハーレイの車が去ったのと同じ方向へ。
(ハーレイの車も…)
こんな風に此処から見ることがある。濃い緑色は夜の暗さに溶けてしまって、シルエット。光が当たった時以外は。街灯だとか、庭園灯だとか。
はっきり見えるのはテールライトで、「帰って行くんだ」と分かる遠ざかる光。
普段は表で見送るけれども、病気の時には窓からお別れ。今のようにカーテンの陰に入って。
(起きちゃ駄目だ、って言われても…)
ハーレイが「しっかり眠って早く治せよ?」と灯りを消して部屋を出たって、足音が消えた後、何度見送ったか分からない。
こっそりと起きて、カーテンを閉めた窓の陰から。ハーレイに気付かれないように。
テールライトが消えてゆくのを、遠ざかって見えなくなってゆくのを。
(ああいう時には、ホントに寂しい…)
外で見送る時よりも、ずっと。表の通りに立って手を振る時よりも。
きっと心が弱くなっているからだろう。病気のせいで、弱ってしまった身体と一緒に心まで。
窓から車を見送りながら、涙が零れる時だって。
「帰っちゃった」と。
ハーレイの車は行ってしまって、テールライトももう見えないよ、と。
今の車で思い出しちゃった、と離れた窓。ハーレイはとっくに家に着いただろうし、ゆっくりと寛いでいそうな時間。熱いコーヒーでも淹れて。
置いて帰ったチビの恋人、自分の心も知らないで。
(テールライト…)
なんて寂しい光だろう、とベッドに腰掛けて考えた。消えてゆく光は寂しいよ、と。
テールライトを点けて帰って行ったハーレイ、愛おしい人はまた来るのだと分かっていても。
それっきりになってしまいはしなくて、再び会えると分かっていても。
(今日だと、明日には…)
夜が明けたら土曜日なのだし、またハーレイに会うことが出来る。
休日だから、車の出番は無いけれど。天気のいい日は、ハーレイはいつも歩いて来るから。雨が降る日や、降りそうな時だけ、車でやって来るハーレイ。休みの日には。
仕事の帰りに寄ってくれる日は、いつでも車。今日も車で来ていたように。
テールライトが消えていっても、ハーレイにはまた会えるのだけれど。ほんの短い間のお別れ、どんなに会えない日が続いたって、せいぜい数日なのだけれども。
(でも、会えるって分かっていたって…)
悲しすぎる光がテールライト。いつ見送っても、何度、大きく手を振っても。
さよなら、と小さくなってゆく光。
ハーレイを乗せた車が点けている光、恋人の居場所はどんどん遠くなってゆくから。
さっきまで家の前にいたのに、遠ざかって消えてしまうから。
(さよならの光…)
テールライトはそうだよね、と思った途端に、胸を掠めていったこと。
前の自分は見ていない。
シャングリラが去ってゆく光を。白い鯨のテールライトを、「さよなら」と消えてゆく光を。
(テールライトじゃなかったけれど…)
白いシャングリラも、暗い宇宙で後ろから見れば、幾つかの光が灯っていた。鯨のヒレのように見える部分などには、位置を示すための青い色の灯り。
それにエンジンの強い光も、テールライトのようなもの。「あそこにいる」と分かるから。
漆黒の宇宙を飛んでいたって、シャングリラの居場所を教えた光。
けれど、メギドに飛んだ自分は…。
(テールライト、見送れなかったんだよ…)
白い鯨が去ってゆくのを、自分が守ったシャングリラを。
命と引き換えに守り抜いた船を、無事に飛んでゆくシャングリラを。
あの時の自分は泣きじゃくっていたから、それどころではなかったけれど。ハーレイの温もりを失くしてしまって、右手が凍えて、悲しくて泣いていたのだけれど。
(…だけど、シャングリラが見えていたなら…)
シャングリラがいた赤いナスカと、あんなに離れていなかったなら。メギドとナスカが、もっと近い場所にあったなら。
泣きながらも、きっと見送れた。白いシャングリラが旅立つのを。
自分は其処には戻れないけれど、あそこにハーレイがいるのだと。
ハーレイがしっかりと舵を握って、シャングリラは地球に向かうのだと。
遠ざかってゆくテールライトを、エンジンの光を見送っただろう。光が宇宙に溶けてゆくのを。漆黒の闇に吸い込まれるように、「さよなら」と消えてゆく光を。
メギドが爆発する時まで。前の自分の命の焔が、それと一緒に消える時まで。
あるいは倒れて命尽きるまで、意識が闇に飲まれるまで。
もしも、そうしていられたら。白いシャングリラを見送れたなら。
(ハーレイとの絆…)
切れてしまった、と思わずに済んだかもしれない。ハーレイの温もりを失くしていても。
シャングリラの居場所を教えてくれる、テールライトの光の向こう。それを点けた船、ミュウの仲間たちを乗せた白い箱船。光の中にはハーレイもいる。テールライトを点けている船に。
ハーレイの温もりは消えたけれども、今は見送るだけなのだから、と。
温もりをくれた温かな腕は、あの光と一緒にあるのだから、と。
(さよならだけれど、ハーレイは見えているものね…)
姿そのものは見えないけれども、ハーレイが舵を握る船。シャングリラの光が見えているなら、ハーレイが見えているのと同じ。ハーレイを乗せた船なのだから。
右手が凍えていたとしたって、ギュッと握ったかもしれない。自分の意志で。
失くしてしまったハーレイの温もり、それを右手に取り戻そうと。
白いシャングリラのテールライトを見送りながら。「あそこにハーレイはいるのだから」と。
絆は切れてしまっていないと、今もハーレイとは繋がっている、と。
(ハーレイの姿は見えなくっても…)
白いシャングリラが其処に在るなら、ハーレイも其処に確かにいる。あの箱舟の舵を握って。
キャプテンの務めを果たさなければ、と真っ直ぐに前を見詰めて立って。
テールライトが遠くなったら、絆は細くなってゆくけれど。きっと切れたりしないだろう。船がどんなに遠くなっても、光が闇に溶けていっても。
ワープして視界から消えていっても、切れることなく続きそうな絆。ハーレイと前の自分の間を繋ぎ続ける、細いけれども強い糸。けして切れずに、繋がったままの。
白いシャングリラを、テールライトを見送ることが出来たなら。
右の瞳は撃たれてしまって潰されたから、左の目でしか見られなくても。
半分欠けてしまった視界が、涙で滲んでぼやけていても。
(…シャングリラ、見送りたかったかも…)
そう思ったら零れた涙。両方の瞳から、涙の粒が盛り上がって。溢れて流れて、頬を伝って。
守った船を見送ることさえ、出来ずに終わった前の自分。
シャングリラからは遠く離れていたから、ジルベスター・エイトとナスカの間は遠すぎたから。
もっと近くにシャングリラがいたら、テールライトを見送れたのに。
「さよなら」と、「いつか地球まで行って」と。
自分の命は尽きるけれども、シャングリラは無事に飛び立てたから。暗い宇宙へ船出したから、遠くなってゆくのがテールライト。白い鯨が旅立った証。
それさえ見られず、独りぼっちで泣きじゃくりながら死んだソルジャー・ブルー。
前の自分は、なんと悲しい最期だったか、と思うと止まらない涙。
テールライトが見えていたなら、皆の旅立ちを見送ったのに。ハーレイとの絆もきちんと自分で結び直して、右手をギュッと握ったろうに。
温もりは消えてしまったけれども、こうして思い出せるから、と。
シャングリラが遠くへ去ってしまっても、自分の命が此処で尽きても、ハーレイとの絆は切れてしまいはしないから、と。
きっと笑みさえ浮かべただろうに、見送れなかったシャングリラ。遠ざかる光を、漆黒の宇宙を飛んでゆく船のテールライトを。
(見たかったよ…)
シャングリラの光が遠くなるのを、テールライトが消えてゆくのを。
けれども、出来なかったこと。シャングリラから遠く離れたメギドで死んでいった自分。
本当に悲しくてたまらないから、胸が締め付けられるようだから…。
(明日は、ハーレイに…)
うんと甘えることにしよう、と両腕で抱き締めた自分の身体。ハーレイは此処にいないから。
明日になっても覚えていたなら、大きな身体に抱き付いて、頬をすり寄せたりもして。
ハーレイと一緒に地球に来られたと、今はこうして幸せだから、と。
それがいいよね、と潜り込んだベッド。今の自分はチビの子供で、両親と地球で暮らしている。子供部屋だって持っているから、こうして眠れる自分用のベッド。
青の間にあったベッドよりずっと小さいけれども、心地良い眠りをくれる場所。
一晩眠れば、明日はハーレイが来てくれる。ハーレイに会ったら、抱き付いて、甘えて…。
(…メギドの夢は嫌だけれどね?)
あそこでシャングリラを見送りたかった、と考えていたせいで、メギドの悪夢が訪れたら困る。怖くて夜中に飛び起きる夢。前の自分が死んでゆく夢。
メギドの夢を見ませんように、と祈りながらウトウト眠ってしまって、気付けば其処はメギドの中で。青い光が消えてしまった制御室。発射されることはないメギド。
とうに壊れて、後は沈んでゆくだけだから。爆発のせいで、装甲も破壊されているから。
(…シャングリラ……)
あんな所に、と見付けた船。遠いけれども、白い鯨だと分かる船。
爆発で穴が開いた装甲、それの向こうに広がる宇宙。漆黒の闇にポツンと灯ったテールライト。
長い年月、其処で暮らしたから、シャングリラの光を間違えはしない。
遠く離れて、小さな光の点になっても。星たちの中に紛れていても。
(シャングリラは無事に飛び立てたんだ…)
良かった、と漏らした安堵の息。もう大丈夫だと、白い鯨は飛べたから、と。
メギドの炎に飲まれはしないで、仲間たちを乗せて飛び立った船。この宙域から去ってゆく光。
シャングリラの無事を確かめられたら、思い残すことは何も無い。
(どうか地球まで…)
白いシャングリラの仲間たちが幸せであるように。ミュウの未来が幸多きものであるように。
シャングリラの舵を今も握っているだろう恋人、ハーレイもどうか青い地球へ、と捧げた祈り。
自分は共に行けないけれども、皆は幸せに青い地球へ、と。
冷たいと感じはしなかった右手。
皆の幸せを祈る間も、右手は凍えていなかった。ただ、シャングリラを見送っただけ。
無事に飛べたと、テールライトが宇宙の闇に消えてゆくのを。
(あれ…?)
何処、と見回した自分の周り。パチリと開いた両方の瞳。右の瞳は砕けてしまった筈なのに。
なんだか変だ、と思った自分はベッドの上。朝の光がカーテンの向こうから射して来る。
(…今のって、夢…)
前のぼくのつもりで夢を見てた、と気が付いた。夢が覚めたから、チビの自分がいるのだと。
子供部屋に置かれたベッドの上に。十四歳の自分用のベッドに。
(あの夢って…)
メギドの夢でも全然違う、と見詰めた右手。この手は冷たく凍えなかったし、いつもの悲しさや苦しさも無い。「やり遂げた」という思いがあるだけ。
シャングリラは無事に飛び立てたから。ミュウの仲間たちとハーレイを乗せて、宇宙に船出して行ったから。宇宙の何処かにあるだろう地球、其処を目指して。…ミュウの未来へ。
夢の中身が変わっていたのは、きっとテールライトのことを考えたせい。
シャングリラのそれを見送りたかった、と眠る前に思って泣いていたから。白いシャングリラのテールライトを見送れたならば、前の自分は悲しい最期を迎えずに済んでいただろう、と。
そう思ったから、夢の中身が変わった。
同じメギドの夢だけれども、白いシャングリラを見送る夢に。
いつもと全く違った夢。目覚めた後にも、鮮やかに思い出せる夢。
だから、ハーレイが訪ねて来た時、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、今日はハーレイに甘える予定だったんだけど…」
そういうつもりでいたんだけれど、と言ったらハーレイは怪訝そうな顔。
「予定だって?」
なんだ、甘える予定というのは。…それに、その予定がどうかしたのか?
それだけでは何も分からんぞ、というハーレイの疑問は当然だろう。普段だったら、ハーレイが何をやっていようが、甘える時には甘えるから。
断りも無しにチョコンと膝の上に座るとか、いきなりギュッと抱き付くだとか。
「予定だってば、甘えようと思っていたんだよ。…昨日の夜から」
甘えるつもりだったんだけど…。変わっちゃったよ、夢を見たせいで。…ぼくの気分が。
「夢ということは…。メギドなのか?」
違うな、メギドの夢を見たなら、甘える方に行く筈だ。お前、いつでもそうなんだから。
いったい何の夢を見たんだ、甘えたい気分が消し飛ぶだなんて…?
「えっとね…。甘えたい気分が消えたって言うより、ぼくが満足しちゃったんだよ」
昨日の夜には、ハーレイに甘えるしかない、って思うくらいに悲しくて…。
涙まで出ちゃったほどなんだけれど、その悲しさが無くなっちゃった。夢のお蔭で。
見たのはメギドの夢だったけれど、ぼくの手、凍えなかったんだよ。いつも右手が凍えるのに。
「ほほう…。その夢には俺が出て来たのか?」
俺はお前を助けられたのか、メギドの夢に登場して…?
「ううん、出て来たのはシャングリラ…」
「シャングリラだと?」
メギドを沈めにやって来たのか、とハーレイが訊くから、「違うよ」と首を横に振った。
「ただシャングリラが出て来ただけ。うんと遠くを飛んでいたけど…」
あれは確かにシャングリラだったよ、夢の中のぼくにも分かっていたから。
だって見間違えるわけがないもの、シャングリラが宇宙を飛んでゆく姿。
無事に飛び立ったことが分かったから、と説明した。
ミュウの仲間たちを乗せた箱舟、それを見られて安心した、と。いつもの夢なら、独りぼっちで泣きじゃくるけれど、ハーレイも無事だと分かったお蔭で泣かずに済んだ、と。
「ホントだよ? ちゃんとシャングリラが見えたから…」
シャングリラなんだ、って分かる光だったから、泣いたりしないでホッとしてたよ。ハーレイもあの船に乗っているから、みんなと地球まで行くんだよね、って。
ぼくは一緒に行けないけれども、みんなが無事ならそれでいい、って…。
シャングリラは飛んで行っちゃったけれど、光を見ながらお祈りしてた。夢の中でね。
「…あんな所から見えたのか、それが?」
お前が夢に見るってことはだ、今日まで忘れてしまってただけで、見えていたのか?
もちろん肉眼じゃ見えないだろうが、サイオンの目では見えていたとか…?
「見えなかったよ、そんな力が残っていたわけがないじゃない」
メギドからシャングリラを探せるほどなら、前のぼくは生きて戻っていたよ。
大怪我をしてても、シャングリラまで。…ジョミーを呼んで、途中まで迎えに来て貰って。
力は少しも残っていなくて、シャングリラが無事かどうかも知らないままで終わったけれど…。
無事でいて欲しい、って思いながら死んだのが前のぼくなんだけど…。
でもね、シャングリラを見送りたかった、って思ったんだよ。
昨日の夜に、ハーレイの車を見送った後で。
お風呂に入って、それから暫く起きていて…。窓の外もちょっぴり眺めたりして。
ハーレイが車で帰って行く時は、テールライトが見えるから…。じきに見えなくなるけどね。
シャングリラだって、後ろから見たらエンジンとかの光、テールライトに見えるでしょ?
それを見送りたかったな、って考えちゃって…。
メギドで独りぼっちになっても、シャングリラの光が見えていたなら良かったかも、って。
だって、みんなが乗ってる船だよ?
シャングリラなんだ、って見送ることが出来たら、前のぼく、泣かなかったかも、って…。
でも、シャングリラは見えなかったし、前のぼくは悲しすぎたよね、って…。
そう思ったから、ハーレイに甘えるつもりだったんだよ。…今日、会ったらね。
色々と考えてしまったせいで夢を見ちゃった、と打ち明けた。
メギドの悪夢は見たくないのに、メギドの夢を見てしまった、とも。夢の中身は、まるで違っていたけれど。独りぼっちで泣きじゃくりながら、死んでゆく夢ではなかったけれど。
「夢のぼく、やっぱり独りぼっちでいたけれど…。誰も側にはいなかったけれど…」
それでも泣いていなかったんだよ、いつもの夢とは違ってね。
右手が凍えて冷たい感じもしなかった。この話、さっきもしていたでしょ?
同じように死んでしまう夢でも、シャングリラを見送ることが出来たら、幸せみたい。
シャングリラがどんどん遠くなっていって、消えてしまうような夢でもね。
夢の中のぼく、どうして平気だったのかな…?
シャングリラはぼくを置いて行くのに、ぼくは一人で死んじゃうのに…。
今のぼくが幸せに生きてるからかな、おんなじようにテールライトを見てても。
ハーレイの車、帰って行っても、また来るもんね。
テールライトが見えなくなっても、もうハーレイに会えなくなるってわけじゃないから。
それと重なっちゃったのかな、と傾げた首。
「夢の中のぼくは、今のぼくと重なっちゃってたかな?」と。
夢にいたのは前の自分でも、今の自分の幸せな経験を何処かに持っていたのだろうか、と。
「そのせいだろうな、シャングリラは行ってしまうんだから」
行ったきり二度と戻って来ないし、お前は独りぼっちのままだ。余計に寂しくなりそうだぞ。
いや、前のお前なら、そうは思わなかったかもしれん。
本当にシャングリラの光が見えていたなら、満足だったかもしれないな。
前のお前は、今のお前よりも遥かに我慢強かった。…仲間たちのことが最優先で、自分のことはいつも後回しで。
そのせいでメギドまで行っちまったんだ、仲間たちとシャングリラを守ろうとして。
だからシャングリラの無事を知ったら、独りぼっちで死ぬ運命でも、幸せに思ったかもしれん。
自分の役目を果たせたんだし、ミュウの未来が続いてゆくのを、その目で確かめたんだから。
シャングリラの光が遠ざかってゆくなら、それは仲間たちが生き延びた証拠。メギドの劫火から無事に逃れて、ミュウの未来へと旅立った証。
「前のお前なら、幸せな気持ちで見送ったかもしれないな」と話したハーレイなのだけれども。
ふと曇ったのが鳶色の瞳。「俺は無理だな」と。
「…俺には、とても出来んだろう。遠ざかってゆく光を見送ることは」
お前のようには出来ないな。…たとえ夢でも、俺には無理だ。
「え…?」
ハーレイが見送る光ってなあに、何が無理なの?
「夢でも無理だと言っただろうが。今の俺じゃなくて、前の俺だな」
前のお前がシャングリラが飛んで行くのを見なかったように、前の俺だって見ていない。
シャングリラじゃなくて、前のお前だが…。
お前がメギドへ飛んで行くのを、前の俺は見てはいないんだ。…青い光が遠ざかるのを。
ジョミーの話じゃ、お前、消えちまったらしいしな?
瞬間移動で行ってしまって、何処へ飛んだかも分からなかった。お前が行ってしまった方向。
シャングリラのレーダーに映っていた点、その内の一つが消えてしまって、それっきりだ。
次にお前が現れた場所は、もうレーダーでは捉えられない所になっていたんだろう。
お前がそれを意図していたのか、そうじゃないのかは分からんが…。
青い光に包まれたお前が飛んで行くのを、もしも肉眼で見ていたら…。
レーダーに映った点にしたって、そいつがどんどん遠くなっていって、消えちまったら…。
きっと一生、悔やみ続けた、とハーレイの手が伸びて来て握られた右手。
今日の夢では凍えていないし、「温めてよ」と頼んだわけではないというのに。甘える予定も、夢のお蔭で変わったと伝えた筈なのに。
けれどハーレイは褐色の両手で、右手をすっぽりと包んでいるから…。
「…なんでハーレイは見送れないの?」
前のぼくが飛んで行く姿を。…肉眼でも、それにレーダーでも。
見送りたかった、って言うんだったら分かるけれども、その逆だなんて…。
前のぼくは其処まで考えてないし、飛べるだけの距離を稼ぎたくって瞬間移動したんだけれど。
どうしてそんなことを言うの、とハーレイの顔を見詰めたら…。
「いいか、見送ったら、お前を失くしてしまうんだぞ?」
俺が見ている青い光は、二度と戻って来やしない。…お前はそのために行ったんだから。
青い光が見えなくなったら、お前とはもうお別れだ。レーダーから影が消えた時にも。
前のお前が見送りたかったシャングリラには、ちゃんと未来があるだろう?
お前が見ていた夢の中でも、現実に起こった出来事でもな。シャングリラは無事に地球まで辿り着いたし、消えてしまいやしなかった。沈んだりしないで、未来があった。
しかし、お前にはそいつが無いんだ。…メギドに向かって飛ぶお前には。
未来なんか無くて、死んじまうだけだ。俺から遠くなればなるほど。
そうなることが分かっているのに、俺が見送れると思うのか…?
「あ…!」
ホントだ、前のぼくとシャングリラだったら、まるで逆様…。
おんなじように消えて行っても、遠くなっていく光でも…。
前のぼくだと本当に消えて、戻って来ない光だものね…。シャングリラの光は宇宙に消えても、別の所へ旅をしてゆくだけなんだけれど…。
全然違うよ、どっちも遠くなる光だけれど。
前のハーレイがぼくを見送れないのは、前のぼくは戻って来ないから…。
それで「無理だ」と言ったのか、と分かったハーレイの言葉の理由。ハーレイの胸にある思い。
もしも戻って来ないのだったら、テールライトは見送れない。
今のハーレイが乗っている車、それの光が消えて行ったら、もうお別れだと言うのなら。二度とハーレイに会えはしなくて、テールライトが見えなくなった時が別れの瞬間ならば。
(…お別れなんだ、って分かっていたって、見送れないよ…)
テールライトが見えなくなったら、別れを思い知らされるから。あまりにも悲しすぎる別れを、現実を目の前に突き付けられてしまうから。
さよならと一緒に「またね」があるから、見送れる車のテールライト。「また来てね」と大きく手を振りながら。テールライトが見えなくなるまで、車が行ってしまうまで。
メギドでシャングリラを見送る夢だって、多分、同じこと。
また見ることは叶わなくても、シャングリラは未来がある船だから。夢も希望も乗っている船、別れた途端に消えてしまいはしないから。
「そっか…。ぼく、あんな夢まで見ちゃったから…」
テールライトを見送ることって、幸せなんだと思ったのに…。
さよならの光でも、幸せな光。見送っていたら、心が温かくなる光。ちょっぴり寂しい気持ちがしたって、見られないよりもずっといいよね、って…。
でも…。
そうじゃない時もあるんだね。…前のハーレイだと、幸せどころか悲しいだけの光だから。
見られない方が良かったんだ、って今でも思うほどだから…。前のぼくが飛んで行った時の光。
「まあな…。前の俺にはな」
今の時代だと、チビのお前が思う通りに幸せな光になるんだろうが。…余程でなければ。
「ホント?」
「考えてもみろ、「またな」と嘘をついたりすることはないだろう?」
俺が「またな」と帰った時には、ちゃんとまた会いに来るんだし…。
誰だってそういう具合だろうが、俺に限らず。
遠くへ旅立つ宇宙船だって、とハーレイが優しく撫でてくれた右手。「お前の手だな」と。
「前の俺はお前を失くしちまったが、お前でさえも帰って来たんだ。俺の所へ」
今はそういう時代なんだぞ、
すっかり平和で戦いも何も無い時代。
技術もずいぶん進んだんだし、どんなに遠くへ行った船でも、いつかは帰って来るもんだ。前の俺たちが生きた頃だと、行ったきりになる船も珍しくはなかったが…。
戻って来たって、乗組員が世代交代しちまってるとか。人類だけに、年を取り過ぎちまって。
しかし今だと、そういうことは起こらないから…。
他の星へ移住するんです、と引越したヤツも、それっきりにはならないだろう?
郵便も届けば、通信だってあるからな。直接会える機会は少なくなっちまっても。
「そうだね…!」
宙港とかまで見送りに行っても、飛んで行く船、ちゃんと帰って来るものね…。
乗って行った人が次の便には乗ってなくても、「またね」って約束したらいつかは会えるもの。
会えないままになったりしないよ、何年か会えずに待つってことはあってもね。
パパやママの友達だってそうだもの、と頷いた。遠い星へと引越して行った知り合いの人。
「あの船だな」と父が夜空を指差したことも何度かあった。友達が乗っている船だ、と。
消えてゆく光を父と一緒に見上げたけれども、友達はまた会いに来た。宇宙船に乗って、他所の星から。「大きくなったな」と頭を撫でてくれたりもして。
そういうものか、と納得した今の時代のこと。今は悲しいテールライトは無いらしい。
ハーレイが「俺は無理だな」と夢に見るのさえ嫌がったような、遠ざかって消えてゆく光は。
二度と戻れない場所へ向かって、真っ直ぐに飛んでゆく光は。
平和な時代になったんだね、と考えていたら、ハーレイが右手を返してくれた。「お前のだ」と優しい笑みを浮かべて。
「今日のお前は、温めなくてもいいらしいしな? メギドの夢を見たくせに」
俺の方が逆に欲しがっちまった、お前の手を。…前のお前を思い出したら、不安になって。
前のお前がメギドへ飛んで行く時の光、夢でも見たくはないからなあ…。
それでだ、今のお前の場合は、テールライトが好きなのか?
俺の車を見送った後で、色々と考え事をして、ついでに泣いてたようだがな…?
「…泣いてたのは、前のぼくのことを考えてたからで…」
前のぼく、可哀相だったよね、って。…シャングリラを見送れなかったから。
夢でシャングリラを見送ったぼくは、いつもの夢よりずっと幸せだったんだけど…。
今のぼくは寂しいよ、テールライトは。「またね」の光で、また会えても。
ハーレイの車を見送るだけで、一緒に帰れないんだから。
「なるほどなあ…。また会えるんだと分かっていたって、寂しい光に見えるってことか」
しかしだ、今は無理でも、いつかはお前も俺と一緒に帰れるんだぞ?
何処へ出掛けても俺の車で、俺の隣に座ってな。…テールライトを見送る代わりに。
その日を楽しみにしていちゃどうだ?
いつかはアレに乗るんだから、と思っていれば、幸せな光に見えて来そうだぞ。
何事も気の持ちようだってな、テールライトをどう思うかも。
「前のぼくなら出来そうだけれど、今のぼくは強くないんだよ!」
シャングリラの光を夢で見送って、幸せだったぼくみたいには…!
あんな風に強くなれやしないよ、今のぼくはうんと弱虫になってしまったもの…!
だからね…。
今日はゆっくりしていってね、と立ち上がって回り込んだテーブル。ハーレイが座る、向かい側へと。椅子の後ろから両手を回して抱き付いた。
「テールライトは遅いほどいいよ」と。
遠くなるのはゆっくりでいいと、うんとゆっくり走らせて、と。
「ゆっくり走れば、見えなくなるまでの時間が少しは長くなるでしょ?」
だからお願い、テールライトが遠くなるのを遅くしてよね。
「おいおい、今日は天気がいいから、俺は車じゃないんだが?」
此処まで歩いて来ちまったんだし、テールライトを遅くするも何も…。
そいつは出来ない相談で…、とハーレイは苦笑しているけれど。譲る気持ちなど全く無いから、車で来てはいない恋人に出した注文。
「じゃあ、帰る時はゆっくり歩いて!」
ハーレイ、歩くの、速いんだもの…。大股でぐんぐん行っちゃうから。
「ゆっくりか…。俺が覚えていたならな」
帰る時まで覚えていたなら、注文通りに歩いてやろう。ちょっと遅めに。
「約束だよ?」
ぼくも約束、忘れないから、ハーレイもちゃんと覚えておいて。今日の帰りはゆっくりだよ!
メギドの夢まで見ちゃった日だから、と大きな身体に甘えて約束。「絶対だよ?」と。
いくら幸せな部分があっても、遠ざかってゆくテールライトは、やっぱり何処か寂しいから。
見送れる強さを今の自分は持っていないから、甘えたくなる。
早く一緒に帰れるようになりたいから。
ハーレイの車のテールライトを見送るよりかは、同じ車で帰りたいから…。
テールライト・了
※前のブルーには見送れなかった、ナスカを離れてゆくシャングリラが遠ざかってゆく光。
もしも見ることが出来ていたなら、きっと満足だったのでしょう。自分の務めを全て終えて。
パソコンが壊れたため、実際のUPが2月10日になったことをお詫びいたします。
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帰っちゃった、とブルーが見送ったテールライト。遠ざかってゆく車の光。
ハーレイの愛車の後ろに灯っているライト。金曜日の夜、「またな」と帰って行ったハーレイ。前のハーレイのマントと同じ色の車を運転して。濃い緑色をした愛車に乗って。
懸命に手を振るのだけれども、ハーレイからはもう見えないだろう。テールライトは遠ざかって消えていったから。夜の住宅街の向こうへ。
(あーあ…)
溜息をついて入った庭。見送りに出ていた道路から。門扉を閉めて鍵をかけたら、ハーレイとは別の世界の住人。チビの自分はこの家に住んで、ハーレイの家は何ブロックも離れた所。
(さよならだなんて…)
今日は学校があった日だから、ハーレイが帰りに寄ってくれただけでも運がいい。学校の仕事が長引いた日には、訪ねて来てはくれないから。
それは分かっているのだけれども、寂しい気持ちは拭えない。ついさっきまでは、あれこれ話が出来たのに。二人きりで部屋でお茶を飲んだり、両親も一緒の夕食だって。
(ホントに色々、お喋りしてて…)
ハーレイの声に、姿に、夢中だった自分。「ハーレイと一緒なんだよ」と。
キスは駄目でも恋人同士で、大好きでたまらないハーレイ。側にいられるというだけで。温かな声が耳に届いて、穏やかな瞳を見られるだけで。
幸せ一杯で過ごしていたのに、楽しい時間はアッと言う間に過ぎるもの。気付けばとっくに通り過ぎていて、こうして終わりがやって来る。
食後のお茶の時間も終わって、帰って行ってしまったハーレイ。「またな」と軽く手を振って。
ガレージに停めていた愛車に乗って、エンジンをかけて走り出して。
そのハーレイが乗った車はもう見えない。「あそこだよ」と分かるテールライトも。
表の道路に戻ってみたって、何処にも見えないテールライト。夜の道路があるだけで。道沿いの家に灯る灯りや、街灯の光があるだけで。
庭から家の中へと入って、戻った二階の自分の部屋。ハーレイとお茶を飲んでいた部屋。
其処にハーレイの姿は無いから、零れてしまった小さな溜息。さっきまで一緒だったのに、と。
(寂しいよ…)
ハーレイが運転して行った車。濃い緑色の車の助手席に乗って、ハーレイの家に帰りたいのに。自分も車に乗ってゆけるなら、それが出来たら幸せなのに。
ハーレイが開ける運転席とは、違った方の扉を開けて。シートに座って、扉を閉めて。
そしたら車が走り出しても、寂しい気持ちになったりはしない。自分も一緒に乗っているから、夜の道を二人で走るのだから。
ほんの短いドライブだけれど、ハーレイの家に着くまでの道を。ガレージに車が滑り込むまで、ハーレイがエンジンを止めるまで。
(そうしたいけど、まだまだ無理…)
十四歳にしかならない自分は、当分はこうして見送るだけ。
今日の自分がそうだったように、家の表の道路に出て。ハーレイに「またね」と手を振って。
車が行ってしまうのを。…テールライトが見えなくなるのを。
お風呂に入ったら、後は寝るだけ。パジャマ姿で、窓の向こうを覗いてみた。カーテンは閉めたまま、上半身と頭を突っ込んで。
庭園灯が灯った庭と生垣、それをぼんやり見下ろしていたら、通った車。黒っぽい影とライトが見えただけなのだけれど、表の道路を走って行った。ハーレイの車が去ったのと同じ方向へ。
(ハーレイの車も…)
こんな風に此処から見ることがある。濃い緑色は夜の暗さに溶けてしまって、シルエット。光が当たった時以外は。街灯だとか、庭園灯だとか。
はっきり見えるのはテールライトで、「帰って行くんだ」と分かる遠ざかる光。
普段は表で見送るけれども、病気の時には窓からお別れ。今のようにカーテンの陰に入って。
(起きちゃ駄目だ、って言われても…)
ハーレイが「しっかり眠って早く治せよ?」と灯りを消して部屋を出たって、足音が消えた後、何度見送ったか分からない。
こっそりと起きて、カーテンを閉めた窓の陰から。ハーレイに気付かれないように。
テールライトが消えてゆくのを、遠ざかって見えなくなってゆくのを。
(ああいう時には、ホントに寂しい…)
外で見送る時よりも、ずっと。表の通りに立って手を振る時よりも。
きっと心が弱くなっているからだろう。病気のせいで、弱ってしまった身体と一緒に心まで。
窓から車を見送りながら、涙が零れる時だって。
「帰っちゃった」と。
ハーレイの車は行ってしまって、テールライトももう見えないよ、と。
今の車で思い出しちゃった、と離れた窓。ハーレイはとっくに家に着いただろうし、ゆっくりと寛いでいそうな時間。熱いコーヒーでも淹れて。
置いて帰ったチビの恋人、自分の心も知らないで。
(テールライト…)
なんて寂しい光だろう、とベッドに腰掛けて考えた。消えてゆく光は寂しいよ、と。
テールライトを点けて帰って行ったハーレイ、愛おしい人はまた来るのだと分かっていても。
それっきりになってしまいはしなくて、再び会えると分かっていても。
(今日だと、明日には…)
夜が明けたら土曜日なのだし、またハーレイに会うことが出来る。
休日だから、車の出番は無いけれど。天気のいい日は、ハーレイはいつも歩いて来るから。雨が降る日や、降りそうな時だけ、車でやって来るハーレイ。休みの日には。
仕事の帰りに寄ってくれる日は、いつでも車。今日も車で来ていたように。
テールライトが消えていっても、ハーレイにはまた会えるのだけれど。ほんの短い間のお別れ、どんなに会えない日が続いたって、せいぜい数日なのだけれども。
(でも、会えるって分かっていたって…)
悲しすぎる光がテールライト。いつ見送っても、何度、大きく手を振っても。
さよなら、と小さくなってゆく光。
ハーレイを乗せた車が点けている光、恋人の居場所はどんどん遠くなってゆくから。
さっきまで家の前にいたのに、遠ざかって消えてしまうから。
(さよならの光…)
テールライトはそうだよね、と思った途端に、胸を掠めていったこと。
前の自分は見ていない。
シャングリラが去ってゆく光を。白い鯨のテールライトを、「さよなら」と消えてゆく光を。
(テールライトじゃなかったけれど…)
白いシャングリラも、暗い宇宙で後ろから見れば、幾つかの光が灯っていた。鯨のヒレのように見える部分などには、位置を示すための青い色の灯り。
それにエンジンの強い光も、テールライトのようなもの。「あそこにいる」と分かるから。
漆黒の宇宙を飛んでいたって、シャングリラの居場所を教えた光。
けれど、メギドに飛んだ自分は…。
(テールライト、見送れなかったんだよ…)
白い鯨が去ってゆくのを、自分が守ったシャングリラを。
命と引き換えに守り抜いた船を、無事に飛んでゆくシャングリラを。
あの時の自分は泣きじゃくっていたから、それどころではなかったけれど。ハーレイの温もりを失くしてしまって、右手が凍えて、悲しくて泣いていたのだけれど。
(…だけど、シャングリラが見えていたなら…)
シャングリラがいた赤いナスカと、あんなに離れていなかったなら。メギドとナスカが、もっと近い場所にあったなら。
泣きながらも、きっと見送れた。白いシャングリラが旅立つのを。
自分は其処には戻れないけれど、あそこにハーレイがいるのだと。
ハーレイがしっかりと舵を握って、シャングリラは地球に向かうのだと。
遠ざかってゆくテールライトを、エンジンの光を見送っただろう。光が宇宙に溶けてゆくのを。漆黒の闇に吸い込まれるように、「さよなら」と消えてゆく光を。
メギドが爆発する時まで。前の自分の命の焔が、それと一緒に消える時まで。
あるいは倒れて命尽きるまで、意識が闇に飲まれるまで。
もしも、そうしていられたら。白いシャングリラを見送れたなら。
(ハーレイとの絆…)
切れてしまった、と思わずに済んだかもしれない。ハーレイの温もりを失くしていても。
シャングリラの居場所を教えてくれる、テールライトの光の向こう。それを点けた船、ミュウの仲間たちを乗せた白い箱船。光の中にはハーレイもいる。テールライトを点けている船に。
ハーレイの温もりは消えたけれども、今は見送るだけなのだから、と。
温もりをくれた温かな腕は、あの光と一緒にあるのだから、と。
(さよならだけれど、ハーレイは見えているものね…)
姿そのものは見えないけれども、ハーレイが舵を握る船。シャングリラの光が見えているなら、ハーレイが見えているのと同じ。ハーレイを乗せた船なのだから。
右手が凍えていたとしたって、ギュッと握ったかもしれない。自分の意志で。
失くしてしまったハーレイの温もり、それを右手に取り戻そうと。
白いシャングリラのテールライトを見送りながら。「あそこにハーレイはいるのだから」と。
絆は切れてしまっていないと、今もハーレイとは繋がっている、と。
(ハーレイの姿は見えなくっても…)
白いシャングリラが其処に在るなら、ハーレイも其処に確かにいる。あの箱舟の舵を握って。
キャプテンの務めを果たさなければ、と真っ直ぐに前を見詰めて立って。
テールライトが遠くなったら、絆は細くなってゆくけれど。きっと切れたりしないだろう。船がどんなに遠くなっても、光が闇に溶けていっても。
ワープして視界から消えていっても、切れることなく続きそうな絆。ハーレイと前の自分の間を繋ぎ続ける、細いけれども強い糸。けして切れずに、繋がったままの。
白いシャングリラを、テールライトを見送ることが出来たなら。
右の瞳は撃たれてしまって潰されたから、左の目でしか見られなくても。
半分欠けてしまった視界が、涙で滲んでぼやけていても。
(…シャングリラ、見送りたかったかも…)
そう思ったら零れた涙。両方の瞳から、涙の粒が盛り上がって。溢れて流れて、頬を伝って。
守った船を見送ることさえ、出来ずに終わった前の自分。
シャングリラからは遠く離れていたから、ジルベスター・エイトとナスカの間は遠すぎたから。
もっと近くにシャングリラがいたら、テールライトを見送れたのに。
「さよなら」と、「いつか地球まで行って」と。
自分の命は尽きるけれども、シャングリラは無事に飛び立てたから。暗い宇宙へ船出したから、遠くなってゆくのがテールライト。白い鯨が旅立った証。
それさえ見られず、独りぼっちで泣きじゃくりながら死んだソルジャー・ブルー。
前の自分は、なんと悲しい最期だったか、と思うと止まらない涙。
テールライトが見えていたなら、皆の旅立ちを見送ったのに。ハーレイとの絆もきちんと自分で結び直して、右手をギュッと握ったろうに。
温もりは消えてしまったけれども、こうして思い出せるから、と。
シャングリラが遠くへ去ってしまっても、自分の命が此処で尽きても、ハーレイとの絆は切れてしまいはしないから、と。
きっと笑みさえ浮かべただろうに、見送れなかったシャングリラ。遠ざかる光を、漆黒の宇宙を飛んでゆく船のテールライトを。
(見たかったよ…)
シャングリラの光が遠くなるのを、テールライトが消えてゆくのを。
けれども、出来なかったこと。シャングリラから遠く離れたメギドで死んでいった自分。
本当に悲しくてたまらないから、胸が締め付けられるようだから…。
(明日は、ハーレイに…)
うんと甘えることにしよう、と両腕で抱き締めた自分の身体。ハーレイは此処にいないから。
明日になっても覚えていたなら、大きな身体に抱き付いて、頬をすり寄せたりもして。
ハーレイと一緒に地球に来られたと、今はこうして幸せだから、と。
それがいいよね、と潜り込んだベッド。今の自分はチビの子供で、両親と地球で暮らしている。子供部屋だって持っているから、こうして眠れる自分用のベッド。
青の間にあったベッドよりずっと小さいけれども、心地良い眠りをくれる場所。
一晩眠れば、明日はハーレイが来てくれる。ハーレイに会ったら、抱き付いて、甘えて…。
(…メギドの夢は嫌だけれどね?)
あそこでシャングリラを見送りたかった、と考えていたせいで、メギドの悪夢が訪れたら困る。怖くて夜中に飛び起きる夢。前の自分が死んでゆく夢。
メギドの夢を見ませんように、と祈りながらウトウト眠ってしまって、気付けば其処はメギドの中で。青い光が消えてしまった制御室。発射されることはないメギド。
とうに壊れて、後は沈んでゆくだけだから。爆発のせいで、装甲も破壊されているから。
(…シャングリラ……)
あんな所に、と見付けた船。遠いけれども、白い鯨だと分かる船。
爆発で穴が開いた装甲、それの向こうに広がる宇宙。漆黒の闇にポツンと灯ったテールライト。
長い年月、其処で暮らしたから、シャングリラの光を間違えはしない。
遠く離れて、小さな光の点になっても。星たちの中に紛れていても。
(シャングリラは無事に飛び立てたんだ…)
良かった、と漏らした安堵の息。もう大丈夫だと、白い鯨は飛べたから、と。
メギドの炎に飲まれはしないで、仲間たちを乗せて飛び立った船。この宙域から去ってゆく光。
シャングリラの無事を確かめられたら、思い残すことは何も無い。
(どうか地球まで…)
白いシャングリラの仲間たちが幸せであるように。ミュウの未来が幸多きものであるように。
シャングリラの舵を今も握っているだろう恋人、ハーレイもどうか青い地球へ、と捧げた祈り。
自分は共に行けないけれども、皆は幸せに青い地球へ、と。
冷たいと感じはしなかった右手。
皆の幸せを祈る間も、右手は凍えていなかった。ただ、シャングリラを見送っただけ。
無事に飛べたと、テールライトが宇宙の闇に消えてゆくのを。
(あれ…?)
何処、と見回した自分の周り。パチリと開いた両方の瞳。右の瞳は砕けてしまった筈なのに。
なんだか変だ、と思った自分はベッドの上。朝の光がカーテンの向こうから射して来る。
(…今のって、夢…)
前のぼくのつもりで夢を見てた、と気が付いた。夢が覚めたから、チビの自分がいるのだと。
子供部屋に置かれたベッドの上に。十四歳の自分用のベッドに。
(あの夢って…)
メギドの夢でも全然違う、と見詰めた右手。この手は冷たく凍えなかったし、いつもの悲しさや苦しさも無い。「やり遂げた」という思いがあるだけ。
シャングリラは無事に飛び立てたから。ミュウの仲間たちとハーレイを乗せて、宇宙に船出して行ったから。宇宙の何処かにあるだろう地球、其処を目指して。…ミュウの未来へ。
夢の中身が変わっていたのは、きっとテールライトのことを考えたせい。
シャングリラのそれを見送りたかった、と眠る前に思って泣いていたから。白いシャングリラのテールライトを見送れたならば、前の自分は悲しい最期を迎えずに済んでいただろう、と。
そう思ったから、夢の中身が変わった。
同じメギドの夢だけれども、白いシャングリラを見送る夢に。
いつもと全く違った夢。目覚めた後にも、鮮やかに思い出せる夢。
だから、ハーレイが訪ねて来た時、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、今日はハーレイに甘える予定だったんだけど…」
そういうつもりでいたんだけれど、と言ったらハーレイは怪訝そうな顔。
「予定だって?」
なんだ、甘える予定というのは。…それに、その予定がどうかしたのか?
それだけでは何も分からんぞ、というハーレイの疑問は当然だろう。普段だったら、ハーレイが何をやっていようが、甘える時には甘えるから。
断りも無しにチョコンと膝の上に座るとか、いきなりギュッと抱き付くだとか。
「予定だってば、甘えようと思っていたんだよ。…昨日の夜から」
甘えるつもりだったんだけど…。変わっちゃったよ、夢を見たせいで。…ぼくの気分が。
「夢ということは…。メギドなのか?」
違うな、メギドの夢を見たなら、甘える方に行く筈だ。お前、いつでもそうなんだから。
いったい何の夢を見たんだ、甘えたい気分が消し飛ぶだなんて…?
「えっとね…。甘えたい気分が消えたって言うより、ぼくが満足しちゃったんだよ」
昨日の夜には、ハーレイに甘えるしかない、って思うくらいに悲しくて…。
涙まで出ちゃったほどなんだけれど、その悲しさが無くなっちゃった。夢のお蔭で。
見たのはメギドの夢だったけれど、ぼくの手、凍えなかったんだよ。いつも右手が凍えるのに。
「ほほう…。その夢には俺が出て来たのか?」
俺はお前を助けられたのか、メギドの夢に登場して…?
「ううん、出て来たのはシャングリラ…」
「シャングリラだと?」
メギドを沈めにやって来たのか、とハーレイが訊くから、「違うよ」と首を横に振った。
「ただシャングリラが出て来ただけ。うんと遠くを飛んでいたけど…」
あれは確かにシャングリラだったよ、夢の中のぼくにも分かっていたから。
だって見間違えるわけがないもの、シャングリラが宇宙を飛んでゆく姿。
無事に飛び立ったことが分かったから、と説明した。
ミュウの仲間たちを乗せた箱舟、それを見られて安心した、と。いつもの夢なら、独りぼっちで泣きじゃくるけれど、ハーレイも無事だと分かったお蔭で泣かずに済んだ、と。
「ホントだよ? ちゃんとシャングリラが見えたから…」
シャングリラなんだ、って分かる光だったから、泣いたりしないでホッとしてたよ。ハーレイもあの船に乗っているから、みんなと地球まで行くんだよね、って。
ぼくは一緒に行けないけれども、みんなが無事ならそれでいい、って…。
シャングリラは飛んで行っちゃったけれど、光を見ながらお祈りしてた。夢の中でね。
「…あんな所から見えたのか、それが?」
お前が夢に見るってことはだ、今日まで忘れてしまってただけで、見えていたのか?
もちろん肉眼じゃ見えないだろうが、サイオンの目では見えていたとか…?
「見えなかったよ、そんな力が残っていたわけがないじゃない」
メギドからシャングリラを探せるほどなら、前のぼくは生きて戻っていたよ。
大怪我をしてても、シャングリラまで。…ジョミーを呼んで、途中まで迎えに来て貰って。
力は少しも残っていなくて、シャングリラが無事かどうかも知らないままで終わったけれど…。
無事でいて欲しい、って思いながら死んだのが前のぼくなんだけど…。
でもね、シャングリラを見送りたかった、って思ったんだよ。
昨日の夜に、ハーレイの車を見送った後で。
お風呂に入って、それから暫く起きていて…。窓の外もちょっぴり眺めたりして。
ハーレイが車で帰って行く時は、テールライトが見えるから…。じきに見えなくなるけどね。
シャングリラだって、後ろから見たらエンジンとかの光、テールライトに見えるでしょ?
それを見送りたかったな、って考えちゃって…。
メギドで独りぼっちになっても、シャングリラの光が見えていたなら良かったかも、って。
だって、みんなが乗ってる船だよ?
シャングリラなんだ、って見送ることが出来たら、前のぼく、泣かなかったかも、って…。
でも、シャングリラは見えなかったし、前のぼくは悲しすぎたよね、って…。
そう思ったから、ハーレイに甘えるつもりだったんだよ。…今日、会ったらね。
色々と考えてしまったせいで夢を見ちゃった、と打ち明けた。
メギドの悪夢は見たくないのに、メギドの夢を見てしまった、とも。夢の中身は、まるで違っていたけれど。独りぼっちで泣きじゃくりながら、死んでゆく夢ではなかったけれど。
「夢のぼく、やっぱり独りぼっちでいたけれど…。誰も側にはいなかったけれど…」
それでも泣いていなかったんだよ、いつもの夢とは違ってね。
右手が凍えて冷たい感じもしなかった。この話、さっきもしていたでしょ?
同じように死んでしまう夢でも、シャングリラを見送ることが出来たら、幸せみたい。
シャングリラがどんどん遠くなっていって、消えてしまうような夢でもね。
夢の中のぼく、どうして平気だったのかな…?
シャングリラはぼくを置いて行くのに、ぼくは一人で死んじゃうのに…。
今のぼくが幸せに生きてるからかな、おんなじようにテールライトを見てても。
ハーレイの車、帰って行っても、また来るもんね。
テールライトが見えなくなっても、もうハーレイに会えなくなるってわけじゃないから。
それと重なっちゃったのかな、と傾げた首。
「夢の中のぼくは、今のぼくと重なっちゃってたかな?」と。
夢にいたのは前の自分でも、今の自分の幸せな経験を何処かに持っていたのだろうか、と。
「そのせいだろうな、シャングリラは行ってしまうんだから」
行ったきり二度と戻って来ないし、お前は独りぼっちのままだ。余計に寂しくなりそうだぞ。
いや、前のお前なら、そうは思わなかったかもしれん。
本当にシャングリラの光が見えていたなら、満足だったかもしれないな。
前のお前は、今のお前よりも遥かに我慢強かった。…仲間たちのことが最優先で、自分のことはいつも後回しで。
そのせいでメギドまで行っちまったんだ、仲間たちとシャングリラを守ろうとして。
だからシャングリラの無事を知ったら、独りぼっちで死ぬ運命でも、幸せに思ったかもしれん。
自分の役目を果たせたんだし、ミュウの未来が続いてゆくのを、その目で確かめたんだから。
シャングリラの光が遠ざかってゆくなら、それは仲間たちが生き延びた証拠。メギドの劫火から無事に逃れて、ミュウの未来へと旅立った証。
「前のお前なら、幸せな気持ちで見送ったかもしれないな」と話したハーレイなのだけれども。
ふと曇ったのが鳶色の瞳。「俺は無理だな」と。
「…俺には、とても出来んだろう。遠ざかってゆく光を見送ることは」
お前のようには出来ないな。…たとえ夢でも、俺には無理だ。
「え…?」
ハーレイが見送る光ってなあに、何が無理なの?
「夢でも無理だと言っただろうが。今の俺じゃなくて、前の俺だな」
前のお前がシャングリラが飛んで行くのを見なかったように、前の俺だって見ていない。
シャングリラじゃなくて、前のお前だが…。
お前がメギドへ飛んで行くのを、前の俺は見てはいないんだ。…青い光が遠ざかるのを。
ジョミーの話じゃ、お前、消えちまったらしいしな?
瞬間移動で行ってしまって、何処へ飛んだかも分からなかった。お前が行ってしまった方向。
シャングリラのレーダーに映っていた点、その内の一つが消えてしまって、それっきりだ。
次にお前が現れた場所は、もうレーダーでは捉えられない所になっていたんだろう。
お前がそれを意図していたのか、そうじゃないのかは分からんが…。
青い光に包まれたお前が飛んで行くのを、もしも肉眼で見ていたら…。
レーダーに映った点にしたって、そいつがどんどん遠くなっていって、消えちまったら…。
きっと一生、悔やみ続けた、とハーレイの手が伸びて来て握られた右手。
今日の夢では凍えていないし、「温めてよ」と頼んだわけではないというのに。甘える予定も、夢のお蔭で変わったと伝えた筈なのに。
けれどハーレイは褐色の両手で、右手をすっぽりと包んでいるから…。
「…なんでハーレイは見送れないの?」
前のぼくが飛んで行く姿を。…肉眼でも、それにレーダーでも。
見送りたかった、って言うんだったら分かるけれども、その逆だなんて…。
前のぼくは其処まで考えてないし、飛べるだけの距離を稼ぎたくって瞬間移動したんだけれど。
どうしてそんなことを言うの、とハーレイの顔を見詰めたら…。
「いいか、見送ったら、お前を失くしてしまうんだぞ?」
俺が見ている青い光は、二度と戻って来やしない。…お前はそのために行ったんだから。
青い光が見えなくなったら、お前とはもうお別れだ。レーダーから影が消えた時にも。
前のお前が見送りたかったシャングリラには、ちゃんと未来があるだろう?
お前が見ていた夢の中でも、現実に起こった出来事でもな。シャングリラは無事に地球まで辿り着いたし、消えてしまいやしなかった。沈んだりしないで、未来があった。
しかし、お前にはそいつが無いんだ。…メギドに向かって飛ぶお前には。
未来なんか無くて、死んじまうだけだ。俺から遠くなればなるほど。
そうなることが分かっているのに、俺が見送れると思うのか…?
「あ…!」
ホントだ、前のぼくとシャングリラだったら、まるで逆様…。
おんなじように消えて行っても、遠くなっていく光でも…。
前のぼくだと本当に消えて、戻って来ない光だものね…。シャングリラの光は宇宙に消えても、別の所へ旅をしてゆくだけなんだけれど…。
全然違うよ、どっちも遠くなる光だけれど。
前のハーレイがぼくを見送れないのは、前のぼくは戻って来ないから…。
それで「無理だ」と言ったのか、と分かったハーレイの言葉の理由。ハーレイの胸にある思い。
もしも戻って来ないのだったら、テールライトは見送れない。
今のハーレイが乗っている車、それの光が消えて行ったら、もうお別れだと言うのなら。二度とハーレイに会えはしなくて、テールライトが見えなくなった時が別れの瞬間ならば。
(…お別れなんだ、って分かっていたって、見送れないよ…)
テールライトが見えなくなったら、別れを思い知らされるから。あまりにも悲しすぎる別れを、現実を目の前に突き付けられてしまうから。
さよならと一緒に「またね」があるから、見送れる車のテールライト。「また来てね」と大きく手を振りながら。テールライトが見えなくなるまで、車が行ってしまうまで。
メギドでシャングリラを見送る夢だって、多分、同じこと。
また見ることは叶わなくても、シャングリラは未来がある船だから。夢も希望も乗っている船、別れた途端に消えてしまいはしないから。
「そっか…。ぼく、あんな夢まで見ちゃったから…」
テールライトを見送ることって、幸せなんだと思ったのに…。
さよならの光でも、幸せな光。見送っていたら、心が温かくなる光。ちょっぴり寂しい気持ちがしたって、見られないよりもずっといいよね、って…。
でも…。
そうじゃない時もあるんだね。…前のハーレイだと、幸せどころか悲しいだけの光だから。
見られない方が良かったんだ、って今でも思うほどだから…。前のぼくが飛んで行った時の光。
「まあな…。前の俺にはな」
今の時代だと、チビのお前が思う通りに幸せな光になるんだろうが。…余程でなければ。
「ホント?」
「考えてもみろ、「またな」と嘘をついたりすることはないだろう?」
俺が「またな」と帰った時には、ちゃんとまた会いに来るんだし…。
誰だってそういう具合だろうが、俺に限らず。
遠くへ旅立つ宇宙船だって、とハーレイが優しく撫でてくれた右手。「お前の手だな」と。
「前の俺はお前を失くしちまったが、お前でさえも帰って来たんだ。俺の所へ」
今はそういう時代なんだぞ、
すっかり平和で戦いも何も無い時代。
技術もずいぶん進んだんだし、どんなに遠くへ行った船でも、いつかは帰って来るもんだ。前の俺たちが生きた頃だと、行ったきりになる船も珍しくはなかったが…。
戻って来たって、乗組員が世代交代しちまってるとか。人類だけに、年を取り過ぎちまって。
しかし今だと、そういうことは起こらないから…。
他の星へ移住するんです、と引越したヤツも、それっきりにはならないだろう?
郵便も届けば、通信だってあるからな。直接会える機会は少なくなっちまっても。
「そうだね…!」
宙港とかまで見送りに行っても、飛んで行く船、ちゃんと帰って来るものね…。
乗って行った人が次の便には乗ってなくても、「またね」って約束したらいつかは会えるもの。
会えないままになったりしないよ、何年か会えずに待つってことはあってもね。
パパやママの友達だってそうだもの、と頷いた。遠い星へと引越して行った知り合いの人。
「あの船だな」と父が夜空を指差したことも何度かあった。友達が乗っている船だ、と。
消えてゆく光を父と一緒に見上げたけれども、友達はまた会いに来た。宇宙船に乗って、他所の星から。「大きくなったな」と頭を撫でてくれたりもして。
そういうものか、と納得した今の時代のこと。今は悲しいテールライトは無いらしい。
ハーレイが「俺は無理だな」と夢に見るのさえ嫌がったような、遠ざかって消えてゆく光は。
二度と戻れない場所へ向かって、真っ直ぐに飛んでゆく光は。
平和な時代になったんだね、と考えていたら、ハーレイが右手を返してくれた。「お前のだ」と優しい笑みを浮かべて。
「今日のお前は、温めなくてもいいらしいしな? メギドの夢を見たくせに」
俺の方が逆に欲しがっちまった、お前の手を。…前のお前を思い出したら、不安になって。
前のお前がメギドへ飛んで行く時の光、夢でも見たくはないからなあ…。
それでだ、今のお前の場合は、テールライトが好きなのか?
俺の車を見送った後で、色々と考え事をして、ついでに泣いてたようだがな…?
「…泣いてたのは、前のぼくのことを考えてたからで…」
前のぼく、可哀相だったよね、って。…シャングリラを見送れなかったから。
夢でシャングリラを見送ったぼくは、いつもの夢よりずっと幸せだったんだけど…。
今のぼくは寂しいよ、テールライトは。「またね」の光で、また会えても。
ハーレイの車を見送るだけで、一緒に帰れないんだから。
「なるほどなあ…。また会えるんだと分かっていたって、寂しい光に見えるってことか」
しかしだ、今は無理でも、いつかはお前も俺と一緒に帰れるんだぞ?
何処へ出掛けても俺の車で、俺の隣に座ってな。…テールライトを見送る代わりに。
その日を楽しみにしていちゃどうだ?
いつかはアレに乗るんだから、と思っていれば、幸せな光に見えて来そうだぞ。
何事も気の持ちようだってな、テールライトをどう思うかも。
「前のぼくなら出来そうだけれど、今のぼくは強くないんだよ!」
シャングリラの光を夢で見送って、幸せだったぼくみたいには…!
あんな風に強くなれやしないよ、今のぼくはうんと弱虫になってしまったもの…!
だからね…。
今日はゆっくりしていってね、と立ち上がって回り込んだテーブル。ハーレイが座る、向かい側へと。椅子の後ろから両手を回して抱き付いた。
「テールライトは遅いほどいいよ」と。
遠くなるのはゆっくりでいいと、うんとゆっくり走らせて、と。
「ゆっくり走れば、見えなくなるまでの時間が少しは長くなるでしょ?」
だからお願い、テールライトが遠くなるのを遅くしてよね。
「おいおい、今日は天気がいいから、俺は車じゃないんだが?」
此処まで歩いて来ちまったんだし、テールライトを遅くするも何も…。
そいつは出来ない相談で…、とハーレイは苦笑しているけれど。譲る気持ちなど全く無いから、車で来てはいない恋人に出した注文。
「じゃあ、帰る時はゆっくり歩いて!」
ハーレイ、歩くの、速いんだもの…。大股でぐんぐん行っちゃうから。
「ゆっくりか…。俺が覚えていたならな」
帰る時まで覚えていたなら、注文通りに歩いてやろう。ちょっと遅めに。
「約束だよ?」
ぼくも約束、忘れないから、ハーレイもちゃんと覚えておいて。今日の帰りはゆっくりだよ!
メギドの夢まで見ちゃった日だから、と大きな身体に甘えて約束。「絶対だよ?」と。
いくら幸せな部分があっても、遠ざかってゆくテールライトは、やっぱり何処か寂しいから。
見送れる強さを今の自分は持っていないから、甘えたくなる。
早く一緒に帰れるようになりたいから。
ハーレイの車のテールライトを見送るよりかは、同じ車で帰りたいから…。
テールライト・了
※前のブルーには見送れなかった、ナスカを離れてゆくシャングリラが遠ざかってゆく光。
もしも見ることが出来ていたなら、きっと満足だったのでしょう。自分の務めを全て終えて。
パソコンが壊れたため、実際のUPが2月10日になったことをお詫びいたします。
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