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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

木彫りとナイフ
(…これが野菜で出来てるの?)
 本当に、とブルーが見詰めた新聞の写真。学校から帰って、おやつの時間に。
 綺麗な花や葉っぱの形に彫られた彫刻。鳥や龍だってあるのだけれども、その材料はどれも…。
(野菜に、フルーツ…)
 キュウリで出来た花や白鳥、それから亀。ニンジンで彫られた龍や火の鳥。赤いカブラを彫った薔薇やら、メロンを丸ごと使って彫り上げた花籠なんかも。
 材料はこれ、と言われなければ分からないほどの芸術品。本物そっくりに見える花まで。
 この作品たちは名前もそのまま、ベジタブルカービングにフルーツカービング。野菜を彫ったらベジタブル。果物を彫ったら、フルーツカービングになるらしい。
(復活して来た文化なんだ…)
 SD体制が崩壊した後、復活して来た様々な文化。遠い昔に地球のあちこちで生まれた料理や、伝統文化や、他にも色々。
 この彫刻たちも、その一つ。元はタイという国の宮廷の文化。食卓を美しく彩るために、様々な花や鳥などを彫った。野菜に果物、食べられる素材ばかりを使って。
 今の時代は趣味でやる人が多いという。タイの文化を復活させた地域はもちろん、この地域にもいる愛好家たち。
 新聞に載っている作品の一部は、この地域の人が彫ったもの。花も、細かく彫られた鳥も。
(柔らかい材料を彫るんだしね?)
 野菜や、パイナップルなどの果物。歯で簡単に噛み切れるのだし、木彫りや石の彫刻とは違う。楽々と彫れて、簡単なのだと思ったのに。
 愛好家が多いのも、直ぐに上達出来るからだと考えたのに…。



 嘘、と大きく見開いた瞳。新聞の記事を読み進めたら。
(使うの、ナイフが一本だけなの?)
 ベジタブルカービングも、フルーツカービングも、専用のナイフが一本だけ。道具はそれだけ、どちらにも使える共通のナイフ。相手が野菜でも、果物でも。
 鳥やら花やら、色々な形を彫り上げなくてはいけないのに。細かい部分まで彫り込まなければ、繊細な鳥は出来上がらない。翼を広げたキュウリの白鳥も、誇らしげなニンジンの火の鳥だって。
(こんなに細かいのを彫っていくのも…)
 メロンを丸ごと刳りぬいた花籠、それを作るのもナイフ一本。途中で道具を変えたりはしない。挑む相手が野菜だろうと、果物だろうと。
 硬い部分を彫ってゆく時も、柔らかな部分に細かい彫刻を施す時も。
(彫刻刀は使わないんだ…)
 初心者向けの教室だったら、用意しているらしいけれども。普通の彫刻と同じように。
 どういう風に彫ればいいのか、初心者にはまるで謎だから。野菜や果物の硬さがどうかも、まだ見当がつかないから。
(…コツを掴んだら、彫刻刀は卒業…)
 これからはナイフを使いましょう、と渡されるナイフ。それも一本、彫刻刀なら色々あるのに。目的に合わせて、違うタイプのを使えるのに。
(…何を彫るのも、このナイフだけ…)
 凄い、と改めて眺めた作品の数々。花も、花籠も、鳥たちも、龍や亀なども。
 ナイフ一本でこんなに彫れるだなんて、と。花を彫るのも、鳥の羽根を彫るのも、道具は同じ。
 きっと、ナイフをどう使うかで変わる彫り方。こう彫りたいなら、こんな具合、と。



(ぼくには無理…)
 そんな器用な彫り方はとても出来ないよ、と感心しながら戻った部屋。おやつのケーキと紅茶をのんびり味わった後で、もう一度さっきの新聞を見て。
 勉強机の前に座って、考えてみたベジタブルカービング。それにフルーツカービングも。
 人間が地球しか知らなかった頃に、タイで生まれた工芸品。ナイフ一本だけで彫り上げる、花や鳥たち。野菜や果物、食べられる材料だけを使って。
 どれも見事なものだったけれど、自分にはとても彫れそうにない。ナイフしか使えないのでは。大まかに彫るのも、細かい模様を刻み込むのも、全く同じナイフだけでは。
 美術の授業で彫刻刀を使うのだって、鮮やかとは言えない腕前の自分。
(おっかなびっくり…)
 彫刻刀の刃は鋭いから、先生に何度も脅された。木を削っていて、自分の手までウッカリ一緒に削らないように、と。
 手を滑らせたら削ってしまうし、そうでなくても何かのはずみで削りがちだから、と。
 それから、笑顔で注意もされた。「シールドなんかは反則ですよ」と。
 今の時代は、サイオンは使わないのがマナー。彫刻刀で削ってしまわないよう、手にシールドを張るのは反則。あくまで自分で注意すること、それが大切なことだから、と。
(反則したくても、出来ないから!)
 やっている子も多かったけれど、使えなかった反則技。サイオンを上手く扱えないから、片手にシールドを張っておくのは無理。
(…両方の手にだって張れないよ…)
 彫刻刀での怪我を防ぐシールド、それを左手にだけ張りたくても。彫刻刀の刃が怖くても。
 いつもビクビク、怪我をしないかと。手まで一緒に削らないかと。



 幸い、一度もしていない怪我。とても慎重にやっていたからか、たまたま運が良かったのか。
 彫刻刀で怪我をした子は、何人か見ているのだから。保健室に連れて行かれた子たち。
(ぼくが果物や野菜を彫ろうとしたら…)
 きっと怪我してしまうのだろう。今日まで無事に過ごして来たのに、あっさりと。
 野菜はともかく、果物は滑りやすそうな感じ。甘いメロンもパイナップルも、みずみずしい分、水気がたっぷり。彫っている間に、ツルッと滑ってしまいそう。
 おまけにナイフ一本で彫ってゆくのだから、余計に手元が危ういだろう。彫刻刀とは違うから。
(力加減が難しそうだよ…)
 どういう具合に彫りたいのかは、ナイフを握った自分次第。彫刻刀なら、目的に合わせて選んで替えてゆけるのに。「今度はこっち」と。
 そうする代わりに、変えるナイフの使い方。刃先で彫るとか、全体を上手く使うとか。
(使い方、想像もつかないんだけど…)
 ナイフなんかでどうやるの、と首を傾げても分からない。繊細な模様の彫り方も。クルンと中を刳りぬいた花籠、それをナイフで彫る方法も。
 あれを彫る人たちは器用だよね、と本当に感心してしまう。ナイフ一本で色々な形、花も鳥も、龍も作るのだから。
(ぼくと違って、ホントに器用…)
 自分だったら、出来上がる前に怪我をして終わり。ナイフでスパッと指とかを切って。大騒ぎで怪我の手当てをするだけ、絆創膏や傷薬で。
(絶対、そっち…)
 そうなるのが目に見えている。ナイフ一本で挑んだら。
 野菜や果物、それを使って花や鳥たちを彫り上げようと挑戦したら。



 世の中には器用な人がいるよね、と感動させられるベジタブルカービング。果物を使うフルーツカービングも。
 彫刻刀も使わずに彫るなんて、と技術の高さを思ったけれど。ナイフ一本で仕上げる腕前、その素晴らしさに脱帽だけれど。
(…あれ?)
 ナイフ、と掠めた遠い遠い記憶。ナイフで彫ってゆくということ。
 前のハーレイもそうだった、と蘇って来た前の自分の記憶。何度も目にした、ハーレイの趣味。木の塊から色々なものを彫っていた。実用品から、宇宙遺産のウサギまで。
(あのウサギ、ホントはナキネズミで…)
 宇宙のみんなが騙されてるよ、と呆れるしかない木彫りのウサギ。今の時代は博物館にあって、百年に一度の特別公開の時は長蛇の列。
 ナキネズミだとは誰も知らないから。「ミュウの子供が沢山生まれますように」と、ハーレイが彫ったウサギのお守り、そう信じられているものだから。
 ナキネズミがウサギに化けたくらいに、酷い腕前の彫刻家。前のハーレイはそうだったけれど、使った道具はナイフだけ。それも一本きりのナイフで、彫刻刀は使わなかった。
 何を彫るにも、いつでもナイフ。それだけを使って作った木彫りの作品たち。
(ハーレイ、ホントは器用だったの?)
 あまりにも下手な彫刻だったし、不器用なのだと頭から思っていたけれど。不器用すぎる下手の横好き、そうだと評価していたけれど。
 ナイフ一本で彫っていたなら、ベジタブルカービングやフルーツカービングと同じこと。
 新聞で眺めた綺麗な彫刻、あれを彫るのもナイフ一本。前のハーレイがやっていたのと同じに。
(木の方がずっと硬いんだから…)
 果物や野菜よりも硬い素材を、ナイフ一本で彫っていたハーレイ。彫刻刀を使いもせずに。
 もしかしたら、芸術的センスが無かっただけで、本当は器用だったのだろうか。ナイフがあれば何でも彫ることが出来たハーレイは。…酷すぎた腕の彫刻家は。



 そうだったのかも、と今頃になって気付いたこと。前のハーレイは器用だったのでは、と。
(芸術品の出来は最悪だったけど…)
 ナキネズミがウサギに化ける腕だったけれど、実用品の方は違った。スプーンとかなら、見事に仕上げていたハーレイ。注文する仲間が大勢いたほど、評価が高かった木彫りの実用品。
 それを思うと、彫刻の才能はあったのだろうか。まるで才能が無かったのなら、ナイフ一本では無理だという気がしてくる木彫り。彫刻刀を使っていいなら、別だけれども。
(スプーンを一本、彫るにしたって…)
 自分にはとても彫れそうにない。ナイフ一本しか使えないのでは。
 彫刻刀を使って彫ろうとしたって、木の塊から彫るのは無理。どう削るのかが分からないから。鉛筆で下絵を描いてみたって、大まかな形を削り出すのも難しそうに思えるから。
(やっぱりハーレイ、才能があったの?)
 あんなに下手くそだったのに、と考えていたら、聞こえたチャイム。そのハーレイが仕事帰りに訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり訊いてみた。
「あのね、ハーレイ、器用だった?」
 本当は手先が器用だったの、ハーレイは…?
「はあ?」
 何の話だ、と目を丸くしているハーレイ。「料理の話か?」と。「包丁さばきは自信があるが」などと言っているから、「そうじゃないよ」と首を横に振った。
「今のハーレイだと、料理なのかもしれないけれど…。前のハーレイの話だよ」
 木彫りで色々作っていたでしょ、だから手先が器用だったのかな、って…。
 ハーレイ、何でも作れたから。
「ほほう…。俺の芸術をやっと認めてくれたのか?」
 今のお前にも馬鹿にされたが、ようやく腕を分かってくれたか。いいだろ、例のナキネズミ。
 勝手にウサギにされちまったが、あれは立派にナキネズミだしな?
「そっちじゃなくって、前のハーレイの彫り方だよ」
 ナイフ一本で彫っていたでしょ、どんな物でも。…スプーンも、他の芸術品も。
「その通りだが?」
 あれさえあれば何処でも彫れたし、お蔭で色々作れたってな。暇な時にはナイフを出して。
 例のナキネズミも、ブリッジで彫っていたくらいだから。



 ナイフ一本で出来る趣味だ、とハーレイが見せた誇らしげな顔。「他に道具は何も要らん」と。木の塊とナイフさえあれば、後は下絵用の鉛筆くらい、と。
「スケッチよりも簡単だぞ? スケッチブックが要らないからな」
 それに何処でも出来るのがいい。俺が座れる場所さえあったら、木彫りを始められるんだから。
「やっぱり…! ナイフ一本だけだよね、あれ」
 前のハーレイ、本当は器用だったんじゃないの?
 ナイフ一本で何でも彫っていたなんて、物凄く器用だったとか…。だって、ナイフが一本だよ?
 彫刻刀とかじゃないんだもの。…彫刻だったら、普通は彫刻刀なのに…。
 何を彫りたいかで、使う彫刻刀だって変わるものでしょ?
 それなのにナイフだけなんて…。ホントに凄すぎ、前のハーレイ。
「なんだ、今頃気が付いたのか? 前の俺が使っていた道具の凄さに」
 確かにナイフ一本で彫るというのは難しいだろうな、慣れていないと。…前の俺みたいに。
 器用だったことを分かって貰えて光栄なんだが、何故、今なんだ?
 どうして今頃、前の俺の木彫りの腕に注目したんだ、お前は?
 それが謎だ、と鳶色の瞳に見詰められたから、「えっとね…」と始めた新聞の話。
「今日の新聞に載ってたんだよ、とても綺麗な花とか鳥の彫刻が」
 彫刻なのに、材料が野菜と果物で…。ベジタブルカービングとフルーツカービング。
 どっちもナイフ一本だけで彫るんです、って書いてあったからビックリしちゃって…。
「あれか、丸ごと食える彫刻だな」
 使った部分にもよるんだろうが、その気になったら食っちまえるヤツ。あれは凄いよな。
 出来も凄いが、野菜や果物を芸術品にしちまう所がなあ…。



 実に凄い、とハーレイも知っていたベジタブルカービングとフルーツカービング。野菜や果物をナイフ一本で彫って仕上げる彫刻。
 知っているなら作れるのだろうか、と胸を躍らせて、ぶつけた質問。
「ハーレイも出来る?」
 あれって、ハーレイにも作れるの?
 包丁さばきには自信があるって言っていたよね、ベジタブルカービングも出来たりする…?
「ナイフと包丁とは違うしな…。それに今の俺は木彫りをやってはいないから…」
 挑んでみたって無理なんだろうが、前の俺なら出来ただろう。
 彫るものが木から野菜に変わるだけだし、果物だって彫れただろうな。
「本当に? 前のハーレイ、ホントに出来たの?」
 もしかしたら、って思ってたけど、あんな凄いのも作れたわけ…?
 野菜や果物を彫ってあったの、とても綺麗で芸術品って感じだったよ?
 前のハーレイが作った芸術品って、ナキネズミがウサギになっちゃうくらいに酷くって…。
「見本さえ見せて貰えれば彫れたな、こういう風に彫ってくれ、と」
 前の俺たちが生きた時代に、ああいう文化は無かったが…。昔の写真でもあれば。
 こいつは野菜で出来ているんだ、と花の写真でも渡して貰って、野菜を寄越してくれればな。
 どういう形に仕上げればいいか、それさえ分かれば充分だ。
 ナイフ一本で彫ってみせたさ、薔薇の花だろうが、小鳥だろうが。



 簡単なもんだ、と自信たっぷりだけれど。見本さえあれば出来たと、本人も言っているけれど。
 前のハーレイが本当に器用だったとしたなら、彫刻の出来はどうして酷かったのだろう?
 芸術的なセンスが無かったにしても、綺麗な花や小鳥を彫れる腕前があったなら…。
「…野菜や果物の花や小鳥は彫れるのに…。上手に彫れたって言ってるのに…」
 前のハーレイ、なんで駄目だったの?
「駄目って、何がだ?」
 ちゃんと彫れると言っただろうが、とハーレイは野菜と果物のつもりでいるようだから。
「木彫りだよ! 前のハーレイが作った彫刻!」
 どれも酷かったよ、実用品じゃなかったヤツは。…スプーンとかなら上手かったけれど。
 だけど、芸術だって言ってた彫刻、とんでもない出来のヤツばっかりで…。
 宇宙遺産のウサギもそうだし、ヒルマンが頼んだフクロウはトトロになっちゃったでしょ?
 もっと上手に彫れた筈だよ、野菜や果物で花や小鳥が彫れるなら。
 本物そっくりのナキネズミだとか、空を飛びそうなフクロウだとか…。
 どうして彫れなかったわけ、と問い詰めた。素晴らしい腕があったのに、と。
「そりゃあ、作れたかもしれないが…。やれと言われれば…」
 しかし、それを芸術とは言わんだろうが。本物そっくりに彫るってだけじゃ。
「芸術って?」
「独創性ってヤツだ、同じ彫るなら独創性が大切だ。彫刻家としての俺の腕だな」
 同じ木の塊を彫るにしたって、俺の魂のままに彫るんだ。
 本物そっくりに作るんじゃなくて、これはこうだ、と俺の魂が捉えた姿に仕上げるんだな。
 ナキネズミにしても、ヒルマンの注文だったフクロウにしても。
「…それ、ホント?」
 前のハーレイには、そう見えたわけ?
 ナキネズミはウサギみたいに見えてて、フクロウはトトロだったって言うの…?
「いや、それは…。その…」
 そう見えたというわけではなくて…。
 俺の独創性を発揮する前に、こう、基本になる彫刻と言うか…。
 普通に彫るなら、こう彫るべきだ、という当たり前の手本というヤツがだな…。



 何処にも無かったモンだから、というのがハーレイの言い訳。
 ベジタブルカービングや、フルーツカービングのように見本があったならば、と聞かされた話。ナキネズミもフクロウも、基本の形があったら手本に出来たんだが、と。 
 一理あるとは思うけれども、ナキネズミはともかく、フクロウの方。
 ミュウが作り出した生き物ではないし、データベースを端から探せば、彫刻の写真もあった筈。それこそ様々な形のものが。
 だから生まれてくる疑問。ハーレイの話は本当だろうか、と。
「お手本が何処にも無かったから、って言うんだね?」
 それがあったら前のハーレイでも、凄い芸術品を彫り上げることが出来たわけ?
 ナキネズミはウサギにならなくて済んで、フクロウはちゃんとフクロウのままで…。
 きちんとしたのを彫れたって言うの、お手本になる基本の彫刻があれば…?
 本当なの、と問いただしたら、「どうだかなあ…」とハーレイは顎に手を当てた。
「見本はこうだ、と資料を貰ったとしても…。はてさて、出来はどうなったんだか…」
 木の塊と向き合っちまえば、俺の考えが入っちまうしな?
 下絵をきちんと描いていたって、「こうじゃないんだ」と何処かで変えたくなっちまう。
 この通りに彫ったら、そいつは俺の作品じゃない、と思い始めて。
 そうやってあちこち変えていったら、見本とは別のが出来ちまうから…。
「本当に?」
 言い訳にしか聞こえないんだけれども、ハーレイの彫刻の腕が酷かったのは芸術なの?
 本当は上手に彫れるんだけれど、ハーレイが好きに彫ってた結果があれなわけ?
 ナキネズミがウサギになってしまったのも、フクロウがトトロになっちゃったのも。
「芸術っていうのは、そういうもんだと思うがな?」
 世の中の芸術ってヤツを見てみろ、彫刻でも絵でも、何でもいいから。
 これを彫りました、って言われていたって、その通りに見えない彫刻が山ほどあるだろうが。
 絵の方にしても、凄い美人をモデルにしたのに、落書きみたいに見えるヤツとか。



 俺の木彫りもそれと同じだ、とハーレイは大真面目に言い切った。「芸術品だ」と。
 木彫りの腕とはまるで関係無く、魂のままに彫った作品。酷いようでも俺の自慢の作品だ、と。
「ナキネズミがウサギに見えるヤツらが悪いんだ。…フクロウがトトロに見えるのもな」
 俺が違うと言っているんだ、作った俺の言葉が正しい。俺の芸術なんだから。
 そういや、お前…。前の俺にも言わなかったか?
「言うって…。何を?」
 何のことなの、とキョトンとしたら、「今と同じだ」と答えたハーレイ。
「きちんと上手に彫れないのか、と言ってくれたぞ」
 全く違うものに見えるし、酷すぎると。…俺の芸術作品を。
「いつのこと?」
 それって、いつなの、ハーレイが何を彫っていた時?
「いつだっけかなあ…。お前に言われたことは確かで…」
 お前なんだから、ナキネズミってことだけは有り得ない。トォニィがナスカで生まれた時には、お前は眠ってたんだしな。
 フクロウの方も、お前、存在自体を知らなかったから違うわけで…。
 あれは何だったか、俺が彫ってた芸術品は、だ…。
 そうだ、鶏を彫ろうとしてたんだっけな、あの時の俺は。
「鶏?」
 ハーレイ、鶏なんかも彫ってた?
 下手くそな木彫りは幾つも見たけど、鶏も誰かの注文だったの?
「俺が彫りたかったというだけなんだが…。ちょっといいじゃないか、鶏も」
 シャングリラでも飼っていたしな、本物をじっくり見られるだろうが。生きたモデルを。
 雄鶏を彫ったらいいかもしれん、と思い付いたんだ。
 朝一番に時をつくるし、なかなかに堂々としているからなあ…。雄鶏ってヤツは。
「思い出した…!」
 あったよ、ハーレイが彫ってた鶏。
 ハーレイの芸術作品だったし、どう見ても鶏じゃなかったけれど…。



 確かにあった、と浮かび上がって来た記憶。前のハーレイが彫った雄鶏。
 最初の出会いは、キャプテンの部屋へ泊まりに出掛けて行った時。恋人同士になっていたから、たまに泊まったハーレイのベッド。恋人の部屋で過ごす時間が好きだったから。
 その日も夜に出掛けてみたら、ハーレイが机で向き合っていた木の塊。木彫りを始める前の常。
 暫くじっと木を見詰めてから、鉛筆で線を描いてゆく。彫ろうとしている物の下絵を。
 そこそこ大きな塊だったし、興味津々で問い掛けた自分。ハーレイの手許を覗き込みながら。
「今度は何が出来るんだい?」
 スプーンとかではなさそうだけれど、君の得意な芸術だとか…?
「鶏ですよ。雄鶏を彫ってみようと思いまして…」
 雌鶏と違って絵になりますしね、雄鶏は。高らかに鳴いている時などは、特に。
 あの堂々とした姿を彫り上げられたら、この木も大いに満足かと…。スプーンになるより。
 いい作品に仕上げてみせますよ、とハーレイは自信満々だったけれど、日頃の腕が腕だけに…。
(ちっとも期待出来ない、って…)
 前の自分は考えた。ハーレイの腕では、雄鶏など彫れるわけがない、と。
 そうは思っても、雄鶏と聞けば好奇心がむくむくと湧いて来るもの。白いシャングリラの農場で時をつくっている雄鶏。立派な鶏冠を持った鶏。
 ハーレイが彫ったら何が出来るか、ちゃんと雄鶏に見えるかどうか。
 其処が大いに気になる所で、行く末を見届けたくなった。結果はもちろん、彫ってゆく間も。
 下絵では雄鶏らしく見えているのが、どんな形に出来上がるかを。



 木彫りの雄鶏が完成するまで、時々、泊まりに来ようと思った自分。ハーレイがナイフで彫っているのを、側で見学するために。
 何度か足を運ぶ間に、木の塊から雄鶏が姿を現したけれど。雄鶏が生まれる筈なのだけれど…。
「…別の物になって来ていないかい?」
 君は雄鶏だと言っていたよね、とハーレイが彫っている木を指差した。
 「ぼくの目には、これが雄鶏のようには見えないけれど」と。
「…そうでしょうか?」
 雄鶏のつもりなのですが、と彫る手を止めて眺め回したハーレイ。持ち上げてみたり、真横からしげしげ見詰めたりと。
 その結論が「雄鶏ですよ?」と出たものだから、「違うだろう?」と呆れ返った。雄鶏らしくは見えない木。どう贔屓目に見ても、譲っても。
「雄鶏だなんて…。これじゃアヒルだよ、本物のアヒルはシャングリラにはいないけど…」
 君もアヒルは知っているだろう、鶏とは違うことくらいは。…これはアヒルだね。
 クチバシも駄目だし、尻尾の辺りも、本物の雄鶏とは違いすぎるよ。
 雄鶏らしく見せるんだったら、あちこち直してやらないと…。
 ちょっと貸して、とハーレイから奪った雄鶏とナイフ。
 「ぼくが上手に直してあげる」と宣言して。
 ハーレイに「どいて」と椅子を譲らせて、自分が机の前に座って。



 さて、と彫り始めた木彫りの雄鶏。左手で持って、右手にナイフ。
 ハーレイの部屋では恋人同士で過ごすのだから、とうに外していた手袋。ソルジャーの手袋は、二人きりの時には外すもの。他の衣装は着けていたって。
 素手で木彫りに取り掛かったけれど、硬かったのが素材の木。バターのように切れはしないし、削るだけでも一苦労。ほんの僅かな修正でさえも。
(えっと…?)
 どう直すのがいいのかな、とナイフを握って悪戦苦闘する内に…。
「危ない!」
 叫びと共に飛んで来た、ハーレイの緑のサイオンの光。
 アッと思ったら、シールドされていた左手。ハーレイが放ったサイオンで。
 それが弾いたナイフの刃。左手にグサリと食い込む代わりに、キンと響かせた金属音。
「………?」
 ナイフを持ったまま、呆然と見詰めた自分の手許。何が起こったのか、直ぐ分からなくて。
「良かった…。お怪我は無いですか?」
 ブルー、と呼び掛けるハーレイの声で、やっと気付いた。さっき自分が見舞われた危機に。
「…大丈夫だけど……」
 なんともないよ、と返事してから、ナイフを置いて眺めた左手。
 もう少しで怪我をする所だった。ハーレイがシールドしてくれなかったら、雄鶏の木彫りを削る代わりに、自分の左手をナイフで抉って。
 手袋をはめていないから。
 爆風も炎も防げる手袋、ソルジャーの手を守る手袋は、自分で外してしまったから。



 もしもナイフで抉っていたら、とゾッとした左手。木が硬いだけに、上手く削ろうと力を入れていたナイフ。あれが左手を襲っていたなら、掠り傷では済まなかっただろう。
(…当たった所が悪かったら…)
 ノルディに縫われていたかもしれない。パックリと口を開いた傷を。
 「いったい何をなさったのです?」と尋ねられながら、何針も。「手袋はどうなさいました」と睨み付けられて、包帯をグルグル巻き付けられて。
 助かった、とホッと息をついて、「ありがとう」とハーレイに御礼を言った。自分では気付いていなかったのだし、ハーレイが弾いてくれなかったら、間違いなく怪我をしていたから。
「…君のお蔭で助かったよ。もう少しで、ノルディにお説教をされる所だったかも…」
 縫うような傷になっていたなら、酷く叱られただろうね。「手袋を外すとは何事です」と。
 油断してたよ、こういう作業をしている時こそ、あの手袋が役に立つのに…。
 ナイフの怖さを思い知ったけど、君は怪我をしたりはしないのかい?
 手に包帯を巻いた姿は、まるで覚えが無いんだけれど…?
「慣れていますからね、これが私の趣味ですし」
 怪我をするようでは、話になりはしませんよ。ゼルたちにも叱られてしまいます。
 「何をウカウカしとるんじゃ!」と。…手を怪我したなら、舵が握れなくなりますから。
「慣れているのは分かるけれども、最初の頃は?」
 君だって最初は初めての筈だよ、木彫りをするのは。…ナイフには慣れていそうだけれど…。
 厨房でもナイフを使っていたけど、木と野菜とは違うだろう?
「そうですね。慣れなかった頃は、こういう時に備えてシールドですよ」
 キャプテンは手が大切ですから、怪我をしないよう、シールドしながら彫っていました。
 それならナイフが当たったとしても、切れる心配はありませんから。
「…ぼくにもそれを言ってくれれば良かったのに…」
 左手をシールドするくらいのことは、ぼくには何でもないんだから。
「忘れていました、初心者でらっしゃるということを」
 私の作品を直すだなどと仰ったので…。木彫りには慣れてらっしゃるつもりでおりました。
 あなたが木彫りをなさらないことは、誰よりも知っている筈ですのに…。
 ブルー、申し訳ありません。…あなたにお怪我をさせる所でした。私の不注意のせいで。



 無事で良かった、と左手に落とされたハーレイのキス。左手にも詫びるかのように。
 ハーレイの彫刻は下手だけれども、木彫りの腕はいいらしい、と思った自分。その時に、ふと。
 自分と違って、怪我をしないで彫れるのだから。
 雄鶏には見えないような物でも、アヒルにしか見えない木の塊でも。
「…前のハーレイ、腕は良かったんだね、本当に」
 木彫りの腕は確かだったよ。ぼくよりも、ずっと。
「おっ、認めたか?」
 俺の芸術を分かってくれたか、今頃になってしまったが…。前のお前は認めてくれなかったが、そうか、認めてくれるのか。俺も頑張った甲斐があったな、何と言われても。
「怪我をしないで彫れたんだもの。それだけで充分、凄いと思うよ」
 前のハーレイなら、ベジタブルカービングも、きっと出来たね。フルーツカービングだって。
 ナイフだけで花とか鳥とかを彫って、シャングリラの食卓を飾れそう。
 ソルジャー主催の食事会なら、思い切り腕を揮えそうだよ。テーブルに飾れば映えるものね。
「前の俺が知っていさえすればな、あの文化をな…」
 果物や野菜で見事な彫刻が作れるんだ、ということを。そうすりゃ、俺の評価も上がった。
 厨房を離れた後にしたって、趣味の範囲で野菜や果物をナイフで彫って。
「無かったっけね、あんな文化は…」
 ヒルマンもエラも、見付けて来たりはしなかったから…。見付けていたら素敵だったのに。
 前のハーレイの出番が増えるし、評価もグンと上がっていたよ。果物や野菜を彫る度に。
 木彫りは駄目でも、こういうヤツなら凄く綺麗に彫れるんだ、って。
 そういえば、あの雄鶏はどうなったっけ?
 ぼくが直そうとして怪我をしかけた雄鶏、ちゃんと雄鶏に仕上がってた…?
「あれなら、お前に散々笑われて終わりだったが?」
 完成した後に、「何処から見たってアヒルだ」と言われちまってな。直せもしない、と。
「ごめん…。あの時のぼくも、腕はいいんだと思ったけれど…」
 ハーレイの木彫りの腕はいいけど、その腕を使って出来上がるものが酷かったから…。
 やっぱり下手くそなんだよね、って思うしかなくて、あの雄鶏も…。



 出来上がったらアヒルにしか見えなかったから、と肩を竦めた。
 どうしてああなっちゃうんだろうね、と。
「前のハーレイ、本当に腕は良かったのに…」
 怪我をしないで彫れたのもそうだし、ナイフ一本で何でも彫れたのだって上手な証拠。
 木彫りの腕は確かなんだよ、なのにどうして変な物ばかりが出来上がったわけ?
 ナキネズミはウサギで、フクロウはトトロで、雄鶏はアヒルになっちゃったなんて。
「さてなあ…? そいつはお前の思い込みっていうヤツで…」
 前の俺は下手ではなかったんだ。木彫りも、そいつで出来上がる物も。
 芸術っていうのはそうしたモンだろ、理解して貰うまでには時間がかかる。
 とても有名な芸術家にしても、作品が本当に評価されたのは、死んじまった後の時代だとかな。
「…宇宙遺産のウサギは今でもウサギのままだよ、理解されてないよ?」
 誰が見たって、ナキネズミには見えないんだから。…ウサギで通っているんだから。
「しかし、あれは立派な宇宙遺産だぞ。評価はされてる」
 キャプテン・ハーレイの木彫りの腕も、立派に評価されたってな。
 ああして宇宙遺産になってだ、特別公開される時には大勢の人が並んで見物するんだから。
「言い訳にしか聞こえないけど…」
 ナキネズミがウサギになっちゃったことは、どうするの?
 ウサギと間違えられちゃったから、ミュウの子供が沢山生まれますように、ってお守りで…。
 ナキネズミのままだと、ただのオモチャで終わりなんだよ、あのウサギは。
「どうだかな? 前の俺なら、ベジタブルカービングだって出来たんだ」
 やろうと思えば作れたわけで、そういう文化が無かっただけで…。
 俺の木彫りの腕は確かだ、だからこそ宇宙遺産のウサギも見事に彫れたってな。
「…野菜や果物を彫るのを見てれば、みんなの評価も変わってたかな?」
 ナキネズミもフクロウも、ハーレイの芸術作品なんだ、って。…下手なんじゃなくて。
「そうかもなあ…」
 実は綺麗な物も彫れるんです、と腕前を披露するべきだったか…。
 生憎とチャンスは無かったわけだが、野菜や果物で花だの鳥だのを見事に彫って。



 スプーンやフォークを彫っていたんじゃ、俺の本当の腕は分かって貰えないしな、とハーレイが浮かべた苦笑い。「ナイフ一本で彫れる凄さを、披露するチャンスを逃しちまった」と。
 前の自分たちが生きた時代に、ベジタブルカービングは無かったから。フルーツカービングも。
 ナイフ一本で野菜や果物に施す彫刻、それを愛でるという文化も。
 今の時代なら、ハーレイの腕を生かせそうなのに。ナイフ一本で彫刻する腕、それを生かす場がありそうなのに。
「…ねえ、今のハーレイにはホントに無理なの?」
 ベジタブルカービングとかは出来そうにないの、木彫りをやっていないから…?
 包丁でお魚とかを上手に切れても、野菜や果物に彫刻は無理…?
「やってみたことがないからなあ…。やろうと思ったことだって無いし」
 いつか試すか、お前と一緒に。
 料理のついでに、ちょいと綺麗に飾りを作ってみるっていうのも悪くはないぞ。
 食卓を凝った彫刻で飾れて、果物だったら後で丸ごと食えるしな。
「一緒にって…。ぼく、今度こそ怪我をしそうだよ!」
 左手、シールド出来ないんだから…。美術の授業の、彫刻刀だって怖いんだから…!
「今度は俺も怪我をするかもしれないぞ。今の時代は、サイオンは使わないのが基本だからな」
 俺だって使わないのが好みで、もうキャプテンでもないわけだから…。
 左手をグサリとやっちまうかもな、前の俺なら使い慣れてた筈のナイフで。
 だが、野菜や果物は木彫りよりかは、柔らかい分だけ彫りやすいし…。
 手が滑らないように気を付けていれば、木彫りよりは怪我も少ないだろう。
 怪我をしたって、前のお前が危なかったみたいな、縫うような怪我にはならんだろうし…。
「だったら、二人で練習してみる?」
 ぼくは初心者だから、彫刻刀で彫る所から。…ハーレイは最初からナイフ一本で。
「それもいいなあ、前の俺たちに戻ったつもりで」
 きっと楽しいぞ、野菜や果物を彫ってみるのも。
 前のお前は彫刻刀を使っちゃいないが、今のお前は彫刻刀なら使えるからな。



 どうだ、と誘って貰ったから。
 ナイフ一本で木彫りをしていた、ハーレイからの誘いだから。
 結婚した時にも覚えていたなら、二人であれこれ彫ってみようか。
 野菜や果物をナイフ一本で、それに彫刻刀で。
 今のハーレイの腕前はどうか、本当に綺麗に彫れるのか。変な芸術にならないで。
 野菜や果物で出来た花やら、鳥たちやら。
 ハーレイと二人で綺麗に彫れたら、きっと最高に楽しい筈。
 前の自分たちは全く知らなかったもので、今ならではの文化だから。
 蘇った青い地球に来たから、そんなものをナイフで、彫刻刀で彫れるのだから…。




            木彫りとナイフ・了

※出来上がった作品は散々でしたが、木彫りの腕だけは確かだったらしい、前のハーレイ。
 野菜やフルーツも、ナイフ一本で彫れたかもしれません。あの時代に、それがあったならば。
 パソコンが壊れたせいで2月になった、1月分の2度目の更新。今月は普通に2度目です。
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