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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

羽衣
(羽衣伝説…)
 日本のお話だけじゃないんだ、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
 人間が地球しか知らなかった頃、語られていた羽衣と天女の話。
 日本だけでも幾つもあったと伝わるけれども、似た伝説が他の地域にも存在したらしい。有名なものだと、北欧神話のワルキューレ。白鳥に化身する乙女。
 彼女たちの持ち物は羽衣のように、空を飛んでゆくためのもの。白鳥になって翔けた乙女たち。姿を変えるための衣を隠されてしまい、人間の男と結婚したワルキューレもいたというから…。
(羽衣のお話そっくりだよ…)
 日本からは遠く離れているのに、瓜二つに出来ている話。羽衣の天女と、ワルキューレと。
 伝説が生まれた遠い昔は、今よりもずっと遠かった距離。日本と、ワルキューレの伝説の辺り。簡単に行き来は出来なかったろうに、どうやって伝わったのだろう。
 なんとも不思議でたまらないから、羽衣はあったと考えたくなる。空を飛ぶ力を持った何かが。
(羽衣って、サイオン増幅装置みたいなものかな?)
 それがあったら、空を自由に飛べるようだから。…前の自分が飛んでいたように。
 日本だけの伝説ではないというなら、羽衣は存在したのだろうか。天女の絵には必ず描かれる、ふうわりと薄くて軽い羽衣。天女が空を飛ぶための道具。
 ワルキューレの方なら、白鳥に化けられる衣。そういえば、日本の天女伝説の中にも…。
(…白鳥になって舞い降りるお話…)
 何処かの湖にあったと思う。羽衣を脱いで水浴びしている間に、人間に盗まれてしまった羽衣。他の天女たちは白鳥に戻って逃げてゆくのに、帰れなくなった天女が一人。
 ワルキューレの話そのもののような、白鳥の天女。羽衣を盗んだ男と結婚した天女。
 北欧と日本の間は遠くて、伝説などを伝えられたとは思えないのに。旅をするにも、文字の形で届けるにしても、あまりにも離れすぎているから。



 それなのに、とても似ている伝説。白鳥になって舞い降りる天女と、白鳥になるワルキューレ。
 どちらも羽衣を使うのだから、羽衣のモデルがありそうな感じ。
(サイオン増幅装置だったら、誰でも空を飛べるよね?)
 羽衣の正体はそれだろうか、とケーキを頬張りながら考えたけれど。
 増幅装置を奪われたのなら、飛べなくなるのも当然だよね、とも思ったけれど…。
(羽衣の伝説、女の人ばかり…)
 天に帰れなくなった男性の話は、一度も聞いたことが無い。羽衣を奪われるのは、どの伝説でも天女なのだし、ワルキューレも女性。
 ならば、サイオンを使って飛んでいたのとは違うだろう。女性ばかりだというのなら。
 それに大昔からミュウがいたなら、前の自分たちは人類に追われていないから。ミュウも人間の種族の一つで、居場所がきちんとあっただろうから…。
(羽衣、サイオン増幅装置じゃないみたい…)
 やっぱり伝説の中にしか無い、空想の産物なのだろう。モデルなどは無くて、ただの伝説。
 地球のあちこちに羽衣伝説があっても、日本の天女と北欧神話のワルキューレの話が、不思議なくらいにそっくりでも。
 けれど、羽衣には憧れる。たとえ女性の持ち物でも。
 それさえあったら、自由に飛んでゆける空。ふわりと身体に巻き付けてみたり、真っ白な白鳥になったりして。
(前のぼくみたいに…)
 高く舞い上がって、何処までだって青い空を翔けてゆける筈。羽衣を持っていたならば。
 今の自分も、羽衣があれば飛べるのに。
 不器用になったサイオンの代わりに、天女の羽衣。それを纏って、青い青い空を。
 せっかく青い地球に来たのに、飛べない自分。
 地球の大地を空から見たなら、きっと幸せ一杯だろうに。家の庭から舞い上がったなら、郊外に広がる山や野原も、流れる川も見えるだろうに。



 羽衣がとても欲しいけれども、生憎と伝説の中にしか無い。どんなに欲しいと願ってみたって、空から落ちては来ない羽衣。
(羽衣は天女の持ち物なんだから、仕方ないけど…)
 手に入らなくて当然だけど、と思うけれども、残念な気持ち。羽衣があったら飛べるのに、と。
 おやつを食べ終えて、閉じた新聞。「羽衣、欲しいな…」と。
 二階の自分の部屋に帰っても、羽衣が頭を離れない。羽衣があればいいのに、と。
 勉強机の前に座って、さっきの続きを考えてみた。「違うみたい」と却下した考えだけれど。
(羽衣がサイオン増幅装置だったら…) 
 そういう性質の道具だったら、今の自分は間違いなく飛べる。羽衣を貰いさえすれば。
 単にサイオンが不器用なだけで、今でもタイプ・ブルーだから。羽衣無しでも飛べるだけの力、それを身体に秘めているから。
 きっと簡単に舞い上がれる筈、羽衣を身に着けたなら。…サイオンを増幅出来たなら。
(前のぼくみたいに、飛びたいな…)
 空から下を見てみたいよ、と思うのだけれど、サイオン増幅装置は無い。羽衣どころか、装置が存在していない。
 宇宙船などのシールド用に使われているものを除いたら。
 衝突事故を避けるためにと、宇宙船や宇宙ステーションなどに張られているシールド。宇宙では小さな岩が当たっても、船体に穴が開いたりするから。
 そうならないよう、乗員のサイオンを増幅して張っておくのがシールド。
 白いシャングリラにあったのと同じ仕組みが、今の時代も使われている。少ない人数でも張れるシールド、増幅装置を載せておいたら。
 一人一人のサイオンは弱く僅かなものであっても、増幅装置がそれを補ってくれるから。
 今も存在するサイオンの増幅装置は、シールド用のものくらい。安全を確保するために使われ、他の目的には使用されない。
(サイオン・キャノンも無いものね…) 
 白いシャングリラが誇った武器。人類の船と互角に戦うことが出来たサイオン・キャノン。
 あれもサイオン増幅装置を使ったけれども、今の時代は要らない技術。広い宇宙から武器は姿を消したから。誰も戦ったりしないから。
(サイオン増幅装置の出番も、前のぼくたちの時代より少なくなっちゃった…)
 技術は進歩したというのに、廃れた技術。「必要無い」と終わってしまった研究。



 もしも、あのままミュウが追われ続けていたなら、羽衣も出来ていたろうか。タイプ・ブルーに生まれなくても、強力なサイオンを使えるように。
 サイオンさえあれば、誰でもタイプ・ブルー並みの力を揮える羽衣。
 空を飛んだり、サイオンを使って攻撃したりと、力を増幅してくれる装置。ふわりと軽く出来た羽衣、それを一枚、纏いさえすれば、誰もがタイプ・ブルーになれる。
 元々はタイプ・グリーンでも。タイプ・イエローでも、思念波が主なタイプ・レッドでも。
(便利だけれども、物騒だよね…)
 ミュウなら誰でも、ソルジャー級の能力を発揮するなんて。
 普段は農場や厨房で穏やかに暮らしているのに、船の危機には羽衣を纏って戦うだなんて。
 向かってくる敵を倒すために。人類軍の船を端から落として、シャングリラを守り抜くために。
(…全員が戦う船なんて…)
 強い船にはなるだろうけれど、ミュウは本来、優しいもの。戦いには向かない、優しすぎる心を持った生き物。
 いくら生き残るためだとはいえ、皆が戦う船になったら、ミュウの性質まで変わってしまう。
 羽衣を纏って戦う時には、優しい心を捨てていないと駄目だから。敵に情けをかけていたなら、戦いに出てゆく意味が無いから。
(…優しい心を殺してしまって戦っていたら、だんだん心が麻痺していって…)
 ミュウは優しさを失うだろうし、そんな方向に進む前に戦いが終わって良かった。サイオン増幅装置の機能を、戦いのための羽衣に転用する前に。
 羽衣は欲しいと思うけれども、物騒な研究の産物だったら、無くていいから。
 それさえあったら空を飛べても、ミュウが優しさを失くしてしまいそうな恐れがある物なら。



 羽衣が無くて良かったかもね、と考えていたら、聞こえたチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「あのね、羽衣伝説、知ってる?」
 幾つもあるでしょ、天女の伝説。羽衣で空を飛ぶ天女。
「…お前、俺を誰だと思ってるんだ?」
 失礼なヤツだな、と顔を顰めたハーレイ。「俺は古典の教師なんだが」と。
 羽衣伝説も知らないようでは、古典の教師は務まらない。それを承知で言っているのか、と。
「分かってるけど…。日本のだったら、ハーレイは詳しいだろうけど…」
 日本のじゃなくて、他の場所にもあるみたいだから…。地球のあちこちに、羽衣伝説。
 北欧神話のワルキューレとか。
「なんだ、そういう質問なのか。…ワルキューレの話は有名だよな」
 そっくりの話が日本にもあったもんだから…。余呉湖ってトコの天女の伝説だ。
 琵琶湖って湖、教わるだろう?
 昔の日本で一番大きかった湖だしなあ、知らなきゃ話にならないから。
 余呉湖は琵琶湖の直ぐ側にあって、其処に白鳥の姿の天女が舞い降りたという伝説だ。白鳥って所がそっくりだってな、ワルキューレと。…ワルキューレも羽衣を隠されるんだが…。
 ワルキューレは白鳥になって飛ぶから、とハーレイも知っていた天女の伝説。白鳥になる天女の話は、余呉湖に伝わるものだったらしい。
「えっとね…。羽衣伝説は色々な所にあるんです、って今日の新聞に載っていたから…」
 羽衣の正体はサイオン増幅装置だったのかも、って考えちゃって…。
 そういう道具があったとしたなら、タイプ・ブルーじゃなくても空を飛べるよ。
 羽衣を盗られたら飛べなくなるのは、自分が持ってるサイオンだけでは飛べないからで…。



 どう思う、と披露してみた説。おやつの後に考えたものの、「違う」と却下した説だけれども。
「羽衣を使って飛んでた天女は、サイオンを増幅していたんだよ」
 自分の力じゃ飛べないけれども、羽衣があったら飛べるんだから。…羽衣がサイオン増幅装置。
「ふうむ…。お前が考えた新説なんだな、羽衣伝説をどう解釈するかの」
 斬新なアイデアだとは思うが、問題が一つあるわけで…。
 羽衣伝説で空を飛ぶのは、女性だけだぞ。天女もワルキューレも、他の伝説でも女性ばかりだ。
 サイオンの増幅装置だったら、男だって飛んでいるだろう。空を飛ぶ道具があるんだから。
 女性しか飛んでいないというのが、何処か変だと思うがな…?
 飛びたい男性から文句が出るぞ、というのがハーレイの意見。道具があるなら公平に、と。
「だよね、やっぱり違うよね…」
 ぼくも考えてはみたんだけれども、女の人しかいなかったのなら伝説だよね、って…。
 羽衣はお話の中にしか無くて、本物は無くて、サイオン増幅装置の方だって無し。
 それに昔からミュウがいたなら、歴史は変わっているだろうから…。人間の中には、空を飛べる種族もいるらしい、ってことになるだけで、滅ぼす方には行かないよ。いくらSD体制でもね。
 羽衣も天女も、全部伝説なんだけど…。夢のお話なんだけど…。
 それでも、羽衣、ちょっぴり欲しいな。
 あったら空を飛べるんだもの。…今のぼくでも。
「お前、飛べなくなっちまったからな」
 前のお前と全く同じで、今のお前もタイプ・ブルーなのに…。
 タイプ・ブルーだったら飛べる筈なのに、お前ときたら、飛べない上に不器用と来た。
 思念波だって上手く使えないしな、とハーレイが笑うものだから。
「でしょ? 笑われちゃうほど不器用なんだよ、今のぼくはね」
 窓から飛ぼうとしたら落ちるし、羽衣が無いと飛べないんだよ。サイオン増幅装置か、本物の。
 本物が空から落ちて来るとか、天女が貸してくれるとか…。
 それが無理なら、サイオン増幅装置だけれど…。そんな装置は何処にも無いでしょ?
 サイオン増幅装置そのものが、前のぼくたちが生きてた頃より減っちゃった。
 使っている場所、今ではホントに少ないから…。
 だけど、人類との戦いがもっと長引いていたら、どうだったと思う…?



 ミュウが追われる時代が続いていたならば、と話してみた。個人用のサイオン増幅装置のこと。
 羽衣のように身に纏うだけで、どんなミュウでも戦える力を持つ装置。
 タイプ・ブルーとは違うミュウでも、生身で宇宙空間を駆けて、人類軍の船を落とせる羽衣。
「…そういうのが出来ていたかもね、って思ったんだけど…」
 簡単にサイオンを増幅出来たら、誰でも人類と戦えるようになるわけだから…。
 ソルジャーじゃなくても、ナスカの子供たちでなくても。
 そしたら戦力がグンと増えるし、人類軍にも勝てそうじゃない。攻撃力だって凄いんだから。
「サイオンさえあれば、誰でもソルジャー級のミュウになれる装置か…」
 誕生していた可能性ってヤツは大いにあるな。人類の方でも、似たような研究をしていたし…。
 個人単位で使うヤツをな、とハーレイが言うから、丸くなった目。
「それって…。人類がサイオンの増幅装置を作っていたわけ?」
 ミュウと戦うならサイオンだ、って…。人類にもサイオン、少しくらいはあったとか…?
 増幅したなら、ミュウと互角に戦えるかも、って増幅装置を研究してたの…?
「残念ながら、その逆だ。人類にサイオンは無かったからな」
 人類のヤツらが研究したのはAPDだ。アンチ・サイオン・デバイススーツ。
 サイオンを無効化しちまう装置だ、歴史の授業で習うだろう?
 そいつを兵士に着せておいたら、サイオンで攻撃されても平気な仕組みだってな。
 完璧なものは作り出せなかったが…。お蔭で、俺たちは勝てたんだが。
「そうだったっけ…。前のぼくが死んじゃった後の話だけれど…」
 人類が研究を進めていたなら、ミュウだって対抗するよね、きっと。
 APDの出来が凄かったんなら、それで無効化されないように、って増幅装置を開発して。
「現に兆しは見えてたな。…あの騒ぎの後で」
 サイオン攻撃が効かないヤツらが、シャングリラに攻め込んで来たわけだから…。
 それも特殊訓練を受けたメンバーズじゃなくて、APDを着込んだだけの普通の兵士だ。
 厄介なものを作りやがった、と俺は頭を抱えたんだが、ゼルやヒルマンは逆にヒントにした。
 個人単位で使用可能な、サイオン増幅装置を開発しようと。
 APDみたいに大袈裟じゃなくて、ちょいと腕にでも着けておいたらサイオンが強くなる装置。
 もっとも、実行に移す前に地球に着いちまったが…。
 そんな装置を作らなくても、ミュウは戦いに勝ったんだがな。



 案が出ただけで終わっちまった、とハーレイが軽く広げてみせた手。
「APDの逆は誕生しなかったんだ。…話だけでな」
 ゼルが自分の船を持っていなけりゃ、もう早速に開発にかかっていたんだろうが…。
 別の船に移ってしまっていたしな、ヒルマンと二人で研究三昧の日々とはいかん。
 まだシャングリラに乗っていたなら、せっせと研究しただろうがな。
「…羽衣、出来ていたかもしれないんだ…」
 物騒な方の羽衣じゃなくて、空を飛ぶためだけの羽衣。
 ゼルたちが思い付いた増幅装置が出来ていたなら、個人で使えるわけだから…。
 作れそうでしょ、今の時代なら。…平和利用で、ただの羽衣。
 そういうのがあったら、誰でも空を飛べるんだよ。物騒な羽衣は嫌だけれどね。
 開発を始めて、完成しないまま、っていうのが理想かな。個人用ならこう作る、っていう理論は出来てて、其処で戦いが終わるんだよ。
 其処で止まっていればいいな、と描いた夢。
 誰もが戦う時代は来なくて、その方法だけが確立した状態。個人用のサイオン増幅装置を作れる技術があったら、それを応用出来るから。
 タイプ・ブルーに生まれなくても、誰でも空を舞えるから。…羽衣のように、それを使って。
「羽衣か…。それがお前の夢なんだな?」
 本物だろうが、ゼルたちが開発したヤツだろうが、空を飛ばせてくれる羽衣。
 今のお前でも空を飛べるような道具が、お前は欲しくてたまらない、ってトコか。
「飛べたらいいな、って思うもの…」
 乗り物を使って飛ぶんじゃなくって、ぼくの身体だけで。…前のぼくみたいに。
 空を飛べたら、きっと素敵だと思うから…。
 青い空だよ、本物の地球の。…それに空から色々見えるよ、森も林も、山も川もね。



 飛んでみたいよ、と言ったのだけれど、ハーレイは「俺は違うな」と瞳の色を深くした。何処か悲しそうな表情で。
「俺は飛べないお前がいいがな…。何度も言っていることだが」
 前のお前は飛びすぎちまった。俺の手から離れて、メギドまでな。…空を飛べたせいで。
 お前が空を飛べなかったら、俺はお前を失くしていない。お前はメギドに行けないんだから。
 もしも、お前が羽衣で飛んでいたんなら…。
 増幅装置の羽衣じゃなくて、天女みたいに羽衣を持って、この世に生まれて来たのなら…。
 俺はそいつを隠しただろうな、お前が飛ぶための羽衣を。
「え…?」
 なんで、と驚いたけれど、「当然だろうが」と答えたハーレイ。
「もちろん、最初から隠しやしない。お前が空を飛べなかったら、みんな飢え死にするからな」
 初めの間はそれでいいんだ、思う通りに飛んでいたって。何をしようが、俺は止めない。
 しかし、お前の身体が弱っちまったら、話は別だ。…二度と飛べないよう、隠さないとな。
 ジョミーを追い掛けて飛んでっちまった段階で。
 俺が止めても、お前は一人で行っちまったし…。力を使い果たしちまって、落ちちまったし。
 幸い、生きて戻りはしたがだ、あんな思いはもうしたくない。
 羽衣を奪って隠すしかないだろ、お前が飛んで行けないように。
「隠すだなんて…。そう簡単にはいかないよ?」
 ぼくが盗ませるわけがないでしょ、本物の羽衣だったなら。
 それを使わないと飛べないものなら、盗まれてしまったら大変だもの。…飛べなくなるから。
「どうなんだか…。確かに、普段のお前じゃ無理だが…」
 お前、眠っていただろうが。十五年間も、一度も起きずに。
 隙だらけだぞ、寝ていた間なら。…俺が青の間に忍び込もうが、何をしようが。
「あ…!」
 ホントだ、寝てたら何も出来ない…。羽衣をしっかり持って寝てても、寝てるんだから…。
 ハーレイが勝手に持って行っても、ぼくはちっとも気付かないまま…。
「ほら見ろ。充分、盗み出せたぞ」
 お前の大事な羽衣だろうが、握り締めたままで寝ていようがな。



 眠っている間に盗み出した、とハーレイの顔は真剣だった。「お前の羽衣は隠さないと」と。
 二度と飛べないように、青の間から奪って隠すという。隠し場所を見付けて、押し込んで。
「そうでもしないと、お前は飛んでっちまうんだから…。隠しておくのが一番だ」
 泥棒の真似をすることになるが、お前が無茶をするのを止めるには、こいつがいい。
 羽衣が無ければ、お前は飛べやしないんだから。
「それ、困るよ…。起きたら羽衣が無いなんて…」
 返してよ、ぼくはメギドに行かなきゃいけないんだから。飛べないと行けやしないんだから…!
「いや、返さん」
 返したら、お前は行っちまうしな。…いくら頼まれても、駄目なものは駄目だ。
 俺は羽衣を返さないぞ、とハーレイが睨み付けるから。
「…だったら、ハーレイの部屋から盗むよ」
 ぼくの羽衣なんだから。…隠されちゃった羽衣は取り返すものでしょ、お話の中の天女はそう。
 それと同じで、ぼくの羽衣も取り返すだけ。
 ハーレイがブリッジに行ってる間に、部屋中を捜して見付け出すよ。…ぼくの羽衣。
 見付けたら後は盗んで終わり、と言ってやったら、鳶色の瞳に宿った悲しげな光。まるで、あの日に引き戻されたかのように。…遠い昔に、赤いナスカがメギドの炎に滅ぼされた日に。
「お前が羽衣を盗み出しちまうということは…。俺は結局、失うのか?」
 前のお前は羽衣でメギドに飛んでっちまって、それっきりなのか…?
 羽衣は俺が隠しておいたというのに、お前に取り戻されてしまって…?
「そうだけど…。でないと、メギドは止められないよ」
 ぼくしかメギドに行けなかったし、羽衣のお話はどれもそうでしょ?
 隠しておいても天女が見付けて、天に帰って行っておしまい。
 前のぼくは天に帰る代わりに、メギドに飛んで行くんだけれど…。羽衣を見付け出したらね。
「うーむ…」
 相手がお前じゃ、隠し場所は直ぐにバレるんだろうし…。
 俺の留守に盗みに来られたんでは、取り戻せないようにシールドを張ることも出来んしな…。



 お前は飛んでっちまうのか、と呻くハーレイ。「羽衣を隠しても無駄なのか」と。
 本当に悲しそうな顔だけれども、そんな顔をされても変えられない過去。ソルジャーだった前の自分の生き方。…空を飛ぶための羽衣を持って生まれて、その力で飛んでいたとしたって。
「メギドを止めるの、前のぼくの役目だったしね。…シャングリラのみんなを守ることが」
 盗んでだって飛んで行かなきゃ、メギドまで。
 ハーレイが羽衣を隠してしまったんなら、部屋中を捜して、取り戻して。
 ぼくの羽衣を取り返すんだし、盗むのとは少し違うかもね、と笑みを浮かべたのだけれど。
 盗まれた品物を奪い返すのなら、泥棒じゃないよ、とも言ったのだけれど。
「…泥棒かどうかはともかくとして…。お前、本当にそれでいいのか?」
 お前の羽衣、俺の部屋から平気で盗み出せるのか?
 何のためらいもなく手に引っ掴んで、そのまま飛んで行けるのか…?
 それを知りたい、と問い掛けられた。「お前は辛いと思わないのか」と。
 天女だったら、真っ直ぐに天に帰るのだけれど。…地上に未練は無いのだけれども、その辺りをどう思うんだ、と。
「えーっと…?」
 ぼくが羽衣を見付けたら…。やっと見付けた、って思うだろうけど…。
 大急ぎで引っ張り出すんだろうけど、それを着けても…。
 これで飛べるんだ、ってホッとしたとしても…。その羽衣で飛んで行くまでには…。
 どうしたかな、とハーレイに問われた通りに考えてみた。羽衣を見付けた後の自分は…、と。
(…前のぼく…)
 羽衣を身に纏ったとしても、きっと本物の天女のようにはいかないだろう。
 天に帰りたいわけではないから、死が待つメギドへ飛ぶのだから。
 それに羽衣を隠してしまった、ハーレイの気持ちも痛いほど分かる。何故、盗んだのか。羽衣を隠した理由は何かも、誰よりも分かるのが自分。
 「飛んで欲しくない」と願うハーレイの気持ち。「行かせたくない」と思う心も。
 天女だったら、何も考えずに飛んでゆくのに。
 やっと羽衣を取り戻せたと、我が子さえ置いて去ってゆくのに。



 本物の天女が天に帰るように、直ぐに飛ぶことは出来ない自分。隠された羽衣を見付けても。
 隠し場所から引っ張り出しても、ふわりと身体に巻き付けても。
「…ぼく、泣くかもね…。ごめん、って…」
 ハーレイの気持ちを台無しにしてしまうんだから。…意地悪で隠したわけじゃないのに…。
 ぼくが羽衣を持っていたら大変なことになりそうだから、って青の間から盗み出したのに…。
 だけど、行かなきゃいけないから…。ハーレイとも、もうお別れだから…。
 手紙を書いて置いて行くかも、「ぼくの羽衣、持ってってごめん」って。
 ぼくのために隠してくれていたのに、勝手に盗んで行っちゃうなんて、って…。
 羽衣の代わりに手紙を残して行ったかもね、と前の自分になったつもりで答えたら…。
「そうか、手紙か…。お前が書いてくれるんだな」
 俺の部屋から消えてしまった羽衣の代わりに、お前の手紙。…お前の気持ちが書かれた手紙。
 そいつがあったら、少しは辛さが紛れたかもな。…お前を失くしちまっても。
 お前の手紙を肌身離さず、どんな時でも持ち続けて。
 前のお前の形見は何も無かったから…。髪の毛も残っちゃいなかったからな。
 お前の部屋はすっかり掃除されちまってて、とハーレイが辛そうに歪めた唇。綺麗好きな部屋の主のためにと、部屋付きの係が戦いの最中に掃除を済ませて、何も残らなかった青の間。
「そうだったね…。ハーレイ、ぼくの髪の毛を探しに行ったのに…」
 青の間には何も残っていなくて、ぼくの気配も消えちゃっていて…。
 そうなっちゃうなら、前のぼく、ホントに羽衣で飛んでいれば良かったね。
 ハーレイが羽衣を盗んで何処かに隠してしまって、ぼくが見付けて盗み返して…。
 代わりに手紙を置いて行くんだよ、ぼくの形見になるように。「ごめんね」って書いて。
「…俺は形見を貰えるわけだな、お前が飛んで行っちまっても」
 羽衣を隠したことは無駄になっても、お前の手紙は俺の所に残るのか…。
 そうやって手紙を貰えたとしても、俺はどのみち、泣くんだがな。
 前のお前を失くしちまって、残りの人生は独りぼっちだ。…戦い続けて、地球に着くまで。
 だが、待てよ…。



 俺は隠してしまったかもな、とハーレイの顔に浮かんだ笑み。
 お前の羽衣というヤツを、と。
「多分、隠してしまったんだろう。…お前の羽衣」
 きっとそうだな、そんな気がする。
 俺だな、とハーレイは可笑しそうなのだけれど。
「…ぼく、羽衣は持っていないよ?」
 前のぼくは羽衣を使って飛んではいないし、今のぼくだと欲しいくらいで…。
 羽衣、ホントに欲しいんだけど、と傾げた首。持っていない羽衣を隠すも何も、と。
「そうだろうなあ、今のお前は羽衣を持っていないんだから」
 欲しいと思うのも無理はない。もう一度空を飛んでみたくて、羽衣が欲しくなるのもな。
 しかし、お前はそいつを持ってはいないんだ。…俺が隠してしまったからな。
「隠したって…。どういう意味?」
 ハーレイが何を隠すって言うの、ぼくは羽衣なんか持ってはいなかったよ?
「そのまんまの意味さ。…前の俺が隠してしまったんだ」
 お前が二度と飛べないように、前のお前の羽衣を。
 羽衣の形はしちゃいなかったが、お前、自由に飛べたんだからな?
 その力がお前の羽衣だ。…俺はそいつを隠したわけだな、お前が飛んで行けないように。
「…いつ?」
 ぼくの力をいつ隠したの、何処へ隠してしまったっていうの…?
「さてなあ…? 前の俺が死んで直ぐだったんだか、生まれ変わって来る前だか…」
 俺も覚えちゃいないんだ。地球の上に生まれて来る前のことは、何一つな。…お前もそうだろ?
 だから訊かれても答えられんな、羽衣を何処に隠したのかは。
 隠し場所を覚えていないんだから、返してやることも出来ないな、うん。
 羽衣が欲しいと言われても無理だ、とハーレイは涼しい顔だけれども。
「酷いよ、それ!」
 今なら飛べても困らないのに…!
 ハーレイだって少しも困らないでしょ、平和な時代になったんだから…!



 なのに羽衣を隠すなんて、と睨み付けた。「ぼくの羽衣、返してよ!」と。
「ぼくは羽衣が欲しいくらいなのに、ハーレイが隠してしまったなんて…」
 ハーレイが隠してしまわなかったら、今のぼくだって飛べたのに…!
 ホントに酷い、と意地悪な恋人を責めたけれども、ハーレイは「すまん」と言葉で謝っただけ。心から詫びていない証拠に、唇は笑みを湛えたまま。
「…お前には悪いと思うんだが…。前の俺はすっかり懲りていたから…」
 ジョミーを追い掛けて飛んでった上に、最後はメギドまで飛んじまったろうが。前のお前は。
 放っておいたら、お前は勝手に飛んじまうんだ。…そうしていなくなっちまう。
 前の俺なら隠しかねないだろ、お前の羽衣。飛ぶための力というヤツを。
 飛ぶだけに限らず、お前の力そのものかもな。強すぎるサイオンを隠してしまえ、と。
 そうやって俺が隠したかもな、とハーレイが片目を瞑るから。
「…ぼくが不器用なのは、ハーレイがやったの?」
 サイオン、とことん不器用だけれど、ぼくの力はハーレイが隠してしまったわけ…?
「そうだ、と言いたい所なんだが…。違うんじゃないか?」
 お前が幸せに生きてゆけるように、神様がやったことなんだろうと思うがな…。
 お父さんとお母さんにたっぷり甘えて、俺にも甘えて、そうやって生きていける人生。
 強いサイオンを持っているより、不器用な方がずっと甘えやすいし…。
 だが、俺がそいつを隠したんなら、愉快じゃないか。
 お前の羽衣を盗んじまって、何処かに隠してしまったのならな。
「返してよ、ぼくの羽衣を!」
 ぼくはホントに空を飛びたくて、羽衣、欲しくてたまらないのに…!
 空を飛んで地球を見てみたいのに…!
「俺じゃないって言ってるだろうが、神様なんだ、と」
 お前の羽衣を隠しちまったのは、神様だ。…もう飛ばなくてもいいんだから、と。
 他の力も要らないだろうと、全部隠してしまったんだな。
「うー…」
 ハーレイにしても、神様にしても、どっちも酷いよ!
 ぼくの羽衣を隠しちゃうなんて、飛べないようにしてしまったなんて…。



 乗り物を使わずに空を飛びたいのに、と膨れていたら。「ぼくの羽衣…」と怒っていたら。
「お前が空を飛ぶ練習なら、手伝ってやるとも言ったがな?」
 前に約束してやっただろうが。…プールでコツを掴むトコから教えてやろう、と。
 俺は空など飛べはしないが、水の中なら浮けるわけだし…。空を飛ぶのと似ているからな。
 お前が感覚を取り戻せるまで、気長にプールで付き合ってやる、と。
 そう言ったぞ、というハーレイの言葉には覚えがあった。大きくなった時の約束の一つ。
「羽衣、返してくれるんだね?」
 ハーレイが隠してしまった羽衣、反省して返してくれるんだ…?
「だから、俺が隠したわけではないと…。神様なんだと言ってるだろうが」
 俺にはそんな力は無いしな、お前の羽衣を隠したくても。…隠そうとしても。
「じゃあ、取り返すのを手伝ってくれるの?」
 神様が何処かに隠した羽衣、ぼくが取り戻せるように。…ちゃんと見付けて使えるように。
「俺としては、二度と飛んで欲しくはないんだが…」
 そうは言っても、今のお前が飛ぶ姿はとても綺麗だろうし…。それを見たいのは確かだな。
 きっと天使のように見えるぞ、今のお前が飛べたなら。
 実は俺にも、直ぐには決められないってな。…お前が飛べる方がいいのか、そうじゃないのか。
 二人でゆっくり考えようじゃないか、どっちがいいか。
 いつか一緒に暮らし始めたら、今のお前の羽衣をどうするかをな。
「…そうだね、急がないものね…」
 ぼくが飛べなくても、ぼくしか困らないんだから。
 急いで羽衣を取り返さないと、シャングリラの仲間が危ないわけじゃないんだから…。
「そういうこった。…羽衣、直ぐには要らないだろうが」
 お前の夢だというだけだしなあ、空を飛ぶこと。…俺も少しは見てみたいんだが…。
 前の俺がすっかり懲りていなけりゃ、喜んで協力してやるんだが…。お前の羽衣を捜すこと。
 まあ、急ぐことはないってな。神様が隠していらっしゃるなら、安心だ。
 羽衣は天使がきちんと手入れをしてくれているさ、たまには風を通したりして。



 「捜す時には俺も手伝うから、無茶はするなよ」と撫でられた頭。
 前のお前みたいに一人で飛んで行くんじゃないぞ、と。
「うん、分かってる…」
 分かってるよ、と笑みを返した。「今度は一人で行きはしないよ」と。
 前の自分は一人きりでメギドへ飛んだけれども、そんなことは二度としないから。
 空を飛ぶために、前の自分が持っていた羽衣。宇宙空間も飛べた強いサイオン。
 その羽衣を隠したのは神様だろうと思うけれども、ハーレイでもいい。
 二度と一人で飛んで行かないよう、ハーレイが何処かに隠した羽衣。
 そう考えた方が、幸せだと思えたりもする。
 「酷い」とハーレイを責めたけれども、「羽衣を返して」と怒ったけれども、それでもいい。
 羽衣伝説の天女たちと違って、ハーレイの側を離れようとは思わないから。
 ハーレイが羽衣を隠したのなら、いつまでも二人、幸せに生きてゆくだけだから…。




            羽衣・了


※サイオンが不器用になってしまった今のブルー。羽衣を奪われた天女と同じで飛べない空。
 前のブルーが持っていた羽衣を、ハーレイが隠してしまったのかも。飛んで行かないように。
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