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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

選べる料理
(ふうむ…)
 どれにするかな、とハーレイが眺めたメニュー。
 今日は午前中だけの研修、そちらの方は済ませて来た。学校に行く前に食事にしよう、と入った店で渡されたメニュー。「此処なら、ゆっくり出来そうだな」と選んだ店。
 学校に行くのは急がないから、たまには一人でのんびり昼食。そんな気分で入ったものの…。
(ランチセットでいいんだが…)
 悩んじまうな、と思うのがランチセットの中身。メインの料理が一種類ではなかった店。どれを選んでも値段は全く変わらないのに、四種類もあった。それほど広くはない店なのに。
(食後はコーヒーで決まりなんだが…)
 紅茶かどうかは悩まない。コーヒー好きだし、キャプテン・ハーレイだった頃からコーヒー党。其処は簡単に決まるのだけれど、料理の方はそうはいかない。
(どれも美味そうな感じだし…)
 メニューに添えられている写真。皿に盛られた四種類の料理、食欲をそそるものばかり。これは困った、と眺める中で惹かれたのが期間限定の文字。
(この料理だけは入れ替わるんだな)
 四種類の中で、その枠だけが。一月ごとに変わってゆくのか、シーズンごとか。あるいは店主の気分で変わるのかもしれない。
 つまりは次に店に来たって、あるとは限らない料理。同じ注文するのだったら、そういう料理を頼むのがいい。またこの店に来るかは謎だし、次の機会は無いにしても。
(一期一会って言葉もあるしな?)
 こいつを食えるのは今日だけなのかもしれないぞ、と期間限定のパスタに決めた。他の三種類も魅力的だし、捨て難いけれど。
 大ぶりなサンドイッチは、如何にも食べ応えがありそうな感じ。グツグツと音を立てていそうなグラタンだって、スパイスが効いていそうなカレーの方も。



 それでも期間限定がいい、と選んだメニュー。直ぐに届いたサラダの皿。バゲットも、バターを添えて二切れ。
(カレーにしてたら、このバゲットは無いんだっけな)
 どんな具合か、と少し千切って頬張ってみたら、なかなかの味。此処で焼くとは思えないから、パン専門の店から仕入れているのだろう。きっと店主のこだわりの店。
 いいバゲットを出して来る店は、料理も期待出来るもの。この店に入って正解だった、と自分の勘を褒める間にパスタの方もやって来た。
 七種類の豆を使ったというピリ辛のパスタ。ミートソースもたっぷりと。
(うん、美味い!)
 パスタで当たりだ、と口に運びながら眺めた周り。他の席の様子も目に入るから。
 ピリ辛のパスタで満足だけれど、他の三種類の料理を選んだ人たちもいる。熱々のグラタンや、カレーの皿や。思った通りに大きいサイズのサンドイッチを齧る人だって。
 きっと、どの料理も美味しいのだろう。パスタでなくても、グラタンやサンドイッチでも。この店だったら、味は間違いなさそうだから。
(ランチセットでなきゃ、もっと色々あるわけで…)
 パスタだったらソースが変わって、サンドイッチは中身が変わる。入った時に眺めたメニューに幾つも載っていた料理。写真もつけて。
(単品にしても良かったかもな?)
 同じパスタを頼むにしたって、ランチセットとは違ったものを。少し高めになったとしたって、食後のコーヒーが別料金になったって。
 それだけの価値がある味なんだ、と味わうパスタ。「他のも美味いに違いない」と。
(ちょっと早まりすぎたってか?)
 俺としたことが、と少し残念な気分。パスタがとても美味しい上に、バゲットもいい店だから。こういう店なら、どんな料理も満足の味になる筈だから。



 もっとゆっくり周りを見てから決めるべきだった、とパスタを頬張る。いくらメニューに写真があっても、やはり実物には敵わない。どんな具合に盛られて来るかも、どう食べるかも。
(…みんな美味そうに食ってるからなあ…)
 サンドイッチも良さそうだよな、と目が行ってしまう。「あのサイズなら齧り甲斐がある」と。上品で小さいものよりも。
(大きすぎても、こういう所じゃ食べにくいんだが…)
 丁度いいサイズになっているのが心憎い。店主のセンスがいいのだろう、と一目で分かる。他の料理も、きっと店主の自信作。
(見回してから決めりゃ良かったなあ…)
 多分、余計に悩む結果になっただろうけれど、時間はたっぷりあったから。メニューを眺めて、他の客たちの料理を眺めて、またメニューへと戻ったり。
(学校の方は、別に行かなくてもいい日なんだし…)
 研修があった日は、そうなっている。午前中だけで終わったのなら、午後は自由に使っていい。遊びに行こうが、家でゆったり過ごしていようが、何処からも文句は出ないもの。
(俺が勝手に学校に行こうとしているだけで…)
 何時に着いても、同僚たちが驚くだけ。「今日は研修でお休みなのでは?」と。
 そういう日だから、メニューで悩んでいたっていい。店に迷惑をかけない程度の時間なら。直ぐ決めなくても、「決まったら呼びます」と言ったって。
 急ぎ過ぎたか、と思うけれども、これが性分。
 仕事がある日はサッサと決めるし、そうそう悩みはしないもの。ランチセットにするか、単品にするか、それが最初に決めること。大抵は其処で決まる注文。
 今日はたまたまランチセットが四種類あって、少し迷ってしまったけれど。



 俺のスタイルはそうなんだ、と思う注文する方法。食事を楽しみたい時はともかく、食べるだけなら悩まない。どれが自分の目的に合うか、ただそれだけで選んでゆく。
 量をたっぷり食べたいのならば、これだとか。急いで食べて店を出るなら、これがいいとか。
(俺だけじゃなくて、前の俺にしたって同じだからな)
 しかもあっちはキャプテンだった、と苦笑い。今よりもずっと多忙な日々で、そうそうのんびりしてはいられない。食事も、それに休憩も。
 前の俺だった時からの癖だ、と考えなくても分かること。食事よりも仕事が最優先だ、と。他の仲間が食べている料理、それを見てから決める余裕などあるものか、と。
 そんな暇などあるわけがない、と思った所でハタと気付いた。前の自分が生きていた船。
(選べたか…?)
 シャングリラの食堂で、食べる料理を。昼食にしても、夕食にしても。白い鯨になった船でも、料理を選んで食べられたのか、と辿った前の自分の記憶。「それは無理だ」と。
 選べるわけがなかった料理。食堂は店ではないのだから。食事は栄養を摂るためのもので、皆の身体を養う場所。胃袋を満たすことは出来ても、あれこれ選んで食べられはしない。幾つも並んだ料理の中から選ぶことさえ出来なかった船。
 厨房の者たちが「今日はこれだ」と決めた料理が、出て来た船がシャングリラ。トレイに載せて渡されるだけで、「これを」と注文などは出来ない。
(せいぜい、朝の卵の調理方法…)
 その程度だった、と思う選べたメニュー。朝食の卵をどう料理するか、それは選べた。固ゆでにするか、半熟か。目玉焼きがいいか、オムレツなのか。
 けれど、それだけ。他の料理を選べはしなくて、注文も出来なかった船。「あれが食べたい」と思っていたって、それが出る日を待つ他はない。
 「今日、食べたい」と思っても。…ライブラリーで読んだ本に出て来て、食べたい気分になっていたって。仲間たちとの他愛ない話、それで話題になったって。



(おいおいおい…)
 贅沢すぎるぞ、と見詰めた皿。なんてこった、と。
 七種類の豆を使ったピリ辛パスタ。自分で選んだ料理だけれども、前の自分には出来なかった。四種類ものランチメニューを出されはしないし、選ぶことだって無かったから。
 そうやって一つ選んだというのに、目移りしていたのが自分。サンドイッチも良さそうだとか、単品にして他のパスタでも良かったろうか、と。
(時間はたっぷりあったのに、なんて考えてたぞ?)
 贅沢者め、と額をコツンと叩きたい気分。他の客たちがいなかったなら。
 前の自分は多忙だったけれど、時間に余裕があった時でも料理を選べはしなかった。食堂の中を眺め回しても、誰のトレイにも同じ料理しか無かったから。同じ皿に盛られた同じ料理だけ。
(いつも一種類だったんだ…)
 メインの料理も、サラダなども。
 厨房の係に注文する時、出来たことは量の調整くらい。「多めに」だとか、「少なめに」とか。それが出来たら、もう充分に満ち足りた気分になれた船。
(俺の場合は大盛りだったが…)
 少なめの仲間も多かった。たまに食堂に出て来たブルーも「少なめ」の一人。好き嫌いはまるで無かったけれども、食べられる量は、けして多くはなかったから。
(この時間だと…)
 ブルーも学校で食事だろうか。ランチ仲間と食堂に出掛けて行って。
 名前はシャングリラと同じに食堂だけれど、今のブルーが通う学校の食堂も料理を色々選べる。定番のランチセットは毎日一種類でも、他に幾つもある単品。オムライスとか、パスタとか。
 だからブルーも選んだだろう。「今日はこれにしよう」と、食堂で。
(俺もあいつも、とんでもない贅沢をしてたってわけか…)
 何を食べようかと、迷って選ぶ料理だなんて。悩む時間が短かろうとも、選ぶというだけで既に贅沢。シャングリラでは選べなかったから。料理は出て来るだけだったから。
(あいつに話してやらないとな?)
 如何に贅沢に暮らしているのか、今の時代の素晴らしさを。
 今日は帰りにブルーの家を訪ねてゆけるし、その時に。本当だったら休んでいい日に、予定外の仕事は来ないから。「これで帰ります」と、学校を出ればいいのだから。



 そうやって出勤した学校。案の定、驚いた同僚たち。「またですか」と。研修を終えて出勤したことは何度もあるから、予想はしていたようだけれども。
 やろうと思った仕事と、柔道部の指導。それが済んだらブルーの家へ。今日の研修は愛車も一緒だったし、ごくごく短い時間で着いた。歩くよりも、ずっと早い時間で。
 ブルーの部屋に案内されて、テーブルを挟んで向かい合うなり投げ掛けた問い。
「お前、今日の昼飯は何だった?」
 食堂で何を食べたんだ、と訊いてやったら「ランチだよ?」と答えたブルー。
「いつも食べてるランチセット。…お昼御飯がどうかしたの?」
「なんだ、他のにしなかったのか。色々あるのに」
 たまにはランチセットじゃないのも食えばいいのに…。お前、大抵、ランチだよな?
「ランチセット、いつも美味しそうだから…。それに今日のはハンバーグ」
 人気なんだよ、ハンバーグの日は。…ぼくの友達、全員、ランチセットにしていたもの。
 いつもは違う友達だって、とブルーは説明してくれた。ハンバーグの時の人気の高さ。すっかり売り切れてしまう日だってあるらしい。遅く来た子が食べ損ねるほど。
「なるほどな。ちゃんとお前も選んだってわけだ」
「え? 選ぶって…。何を?」
 ぼくはいつものランチセットで、とブルーはキョトンとしているけれど。
「飯だ、飯。…お前がランチセットを選ぶの、美味そうだからだろ?」
 ついでに今日は人気メニューのハンバーグの日で、お前も大満足だった、と。
 それはお前が数ある食堂のメニューの中から、ランチセットを選んだということになる。他にも色々あるんだから。お前の好みがランチセットだというだけで。
 実はな、俺も今日は昼飯を選んでて…。学校じゃなくて、外の店だが。
「外のお店で昼御飯って…。ハーレイ、今日は研修だったの?」
 普段は学校で食べているでしょ、食堂とか、お弁当だとか。お店で食べていたなら、研修?
「よく分かったな。午前中だけのヤツだったがな」
 だから昼飯を食った後には、学校に行って来たんだが…。
 休んでもいいことになっていたって、ついつい、足が向いちまうんだ。



 柔道部の指導もして来たんだぞ、と話してから昼食に戻した話題。「美味い店だった」と。
「出て来たバゲットが美味かった。ああいう店にハズレは無いんだ」
 そういうトコまで気を配る店は、美味いと相場が決まってる。そして本当に美味かったんだが、食ってる途中で気が付いた。
 とんでもない贅沢をしてるんだな、と。
「贅沢って…。ハーレイ、高いお店に入ったの?」
 一人で行くより、デートとかに使うような店。…そういうお店で食べて来たの?
 ぼくも一緒に行きたかったよ、とブルーが言うから、「デートにはまだ早いだろうが」と叱ってやった。「前のお前と同じ背丈に育ってからだ」と。
「それに、お前は勘違いしてる。俺が食ってた店は普通の店だぞ、ありきたりの」
 値段も普通なら、店構えもごくごく普通だったが…。ランチセットは多かったかもな。四種類もあって、其処から選べたモンだから…。メインの料理を。
 其処が俺の言う贅沢なんだ。料理ってヤツを選べる所。
 お前もランチセットにしようと選んだわけだが、今の俺たちならではだぞ、これは。
 …シャングリラの食堂、飯時に行って料理を選べたか?
 白い鯨になる前はもちろん、白い鯨で立派な食堂が出来た後にも。
「…選ぶって…。そんなの、シャングリラじゃ無理だったっけね…」
 ホントだ、ハーレイが言う通りだよ。今のぼくたち、凄い贅沢をしているみたい。学校の食堂、ランチセットの他にも色々あるから…。ぼくもそっちを頼んでる日も、たまにあるから。
 でも、シャングリラだと、食事の時間の料理は全部決まってて…。
 これはどうしても食べられない、っていう人がいた時は…。
「駄目ならこれにしておくんだな、とドンと出ただろ、選べもしないで」
 その日の厨房の都合に合わせて、予備に作ってある料理。食えない連中向けのヤツ。
 両方駄目だ、と言い出すヤツが出ないようにと、その辺は考えてあったんだがな。
「そういう仕組みだったっけ…」
 ぼくは好き嫌いが無かったけれども、あった仲間は、みんなそう。
 係に「食べられません」って言ったら、別のトレイを渡されるんだよ。みんなと違う料理のが。
 だけど、選べたわけじゃないよね。…最初からそれに決まってるんだし、選ぶのは無理。



 あれは選ぶと言わないよね、とブルーも頷いている通り。
 白い鯨になった後でも、まるで選べなかった食堂。大勢の仲間が食べに行くのに、メニューさえ存在しなかった。選ぶことなど出来ないのだから、メニューがあったわけもない。
 朝、昼、晩と三度の食事は、厨房の係が決めていた。栄養バランスなどを考慮し、様々な食材を組み合わせて。飽きが来ないよう、味付けや調理方法を変えて。
「…前のお前の朝飯だったら、選べたんだがな」
 食堂で食うんじゃなかったからなあ、青の間で俺と食ってただけで。…それ専門の係もいたし。
 しかし、あれでもメニューがあったわけではないし…。
 卵料理を選べた所は、他のヤツらと同じだった。食堂で選べた唯一の料理が朝の卵だっけな。
 前のお前と俺の特権は、それの他にも少し注文出来たってトコで…。
 トーストよりもホットケーキがいいとか、焼いたソーセージもつけてくれとか。
 そんな程度の注文だったぞ、前の俺たちが選べた朝飯。
「係はいたけど、無茶なんか言えなかったよね…」
 朝御飯を作りに来てくれるんだし、もうそれだけで贅沢だから…。他のみんなと違うんだもの。
 その気になったら、我儘、言えただろうけれど…。
 食堂だって、夜食だったらサンドイッチとかも注文出来たから…。誰が頼みに行ってもね。
「晩飯が済んだら、厨房が暇になるからな」
 後片付けと次の日の仕込みくらいで、大忙しってわけじゃないもんだから…。
 だが、船のヤツらが次から次へと食べにやって来る飯時は無理だ。別の料理はしていられない。
 食事を食べに来たヤツらだって、悩んで決めてる時間は無いぞ。メニューが無いから。
 其処で何かを迷うとしたなら、「苦手なんだが、どうしようか」ってトコだけだ。
 「これは食えない」と申し出て別の料理を貰うか、我慢して食っておく方にするか。
 どっちにしたって早く決めないと、他の仲間が迷惑なんだ。
「…行列して受け取る所だったものね、食堂は…」
 自分の順番が回って来たら、係にトレイを渡されるだけ。
 渡される前に「別のがいい」って言っておいたら、時間は無駄にならないけれど…。
 トレイが来てからそれを言ったら、次の仲間を待たせちゃうものね。
 料理の見本は、いつも一応、出ていたけれど…。苦手な人用の別の料理の見本も。



 白いシャングリラにも無かったメニュー。選ぶことなど出来なかった料理。トレイに載せられ、渡されるだけ。その料理が苦手だった場合は、代わりのものを。
「…あれは選ぶとは言えないだろうな、苦手だから替えてくれというのは」
 食べられる料理がそれしか無いから、そっちを選んだだけなんだから。
 今日の俺みたいに、美味そうなのが幾つも揃った中から、選ぶってわけじゃないんだし…。
 お前のランチセットにしたって、他の料理は食べられないってことでもないし…。
 いつ見ても美味そうだから選ぶわけだろ、ランチセットを?
 今の俺たちには、何を食おうかと選ぶ自由も、そいつで悩める場所も幾つもあるんだが…。
「贅沢だよね、本当に…。シャングリラの頃と比べたら」
 あの船で料理を好きに選べて、食べられた時ってあったっけ?
 夜食用の注文が出来る時間以外で、そういう自由がある時間。これがいいな、って。
「無かったな。あの船じゃ、料理の注文は出来ん。夜食の時間帯なら、なんとかなったが…」
 その代わり、注文出来る料理も少ない。厨房のヤツらと、食材の在庫次第だから。
 好きに選んで食べるとなったら、パーティーの時に皿の上から選べた程度で…。
 あれにしたって、料理そのものは選べやしない。皿に盛り付けて出されたヤツが全部だから。
 もっと他のが食べたいんだが、と思っていたって、注文するのは無理だったからな。
 ついでに言うなら、皿の上から選べた料理も、今のバイキングには敵わんぞ。
 色々あるだろ、バイキングの料理。ホテルの朝飯とかにしたって。
 朝飯でも料理がドッサリだ、と広げた両手。卵料理やサラダで終わりじゃないんだから、と。
「シャングリラで好きに選べた料理…。バイキングにも負けちゃうね…」
 朝御飯のヤツにも負けてしまうよ、トーストもホットケーキも、白い御飯もあるんだもの。
 料理も山ほど置いてあるよね、サラダだけでも何種類も。
 朝からお肉もお魚もあって、和風のも、中華風だって。…シャングリラのパーティーよりも上。
 今はそういう時代なんだし、お料理、選べて当たり前だよね。
 何にしようか悩めるだなんて、ホントに贅沢なんだけど…。



 ミュウの箱舟だった船。楽園という名のシャングリラ。白い鯨は自給自足で生きてゆける設備を誇ったけれども、所詮は閉じた楽園だった。
 食料に不自由しない船でも、今の時代の朝食バイキングにさえも勝てなかった船。パーティーの時に並べた料理の中身でさえも、まるで勝負にならなかった船。
 そんな具合だから、普段の料理を選べはしない。食事の時間に、何を食べようかと迷いたくても無かった選択肢。皆と同じものか、それが苦手な人用に作られた予備の料理か、その二つだけ。
 選ぶ自由が無い船なのだし、メニューを広げて眺める贅沢だって無い。
「…つくづく贅沢になったもんだな、俺たちも」
 今日の俺は写真付きのメニューを眺めて悩んで、お前は食堂に張り出してあるメニューだろ?
 ランチセットの中身はコレ、って書いてあるヤツと、いつも貼ってあるオムライスとか。
 シャングリラじゃ、そいつも出来なかったな。夜食を注文するにしたって、訊くだけだから。
 厨房に出掛けて、「何が作れる?」と。…サンドイッチの中身にしても。
「あの船にはメニュー、無かったもんね」
 こういう料理があるんです、って書いてあるものは無かったよ。写真付きのも、字だけのも。
 厨房で出て来るものしか無くって、見本が置いてあっただけ。今日の食事はこういう料理、ってトレイに載せて。…苦手だったら「替えて下さい」って言えるようにね。
「メニューなあ…。どういう料理かを書くだけだったら、無かったこともないんだが?」
 生憎と写真は無かったがな、と今日の店で見たメニューと比べてみる。頭の中で。
 白いシャングリラで目にしたメニューと、今日の贅沢なメニューとを。
「メニュー、シャングリラにあったっけ?」
 そんなの、見たこと無いけれど…。メニューがあったら、みんなが眺めていそうだけれど。
 覚えてないよ、とブルーが言うから、「忘れちまったか?」と笑みを浮かべた。
「ソルジャー主催の食事会だと作っていたぞ」
 一種の記念品ってヤツだな、出席者が持って帰れるように。ソルジャーと食べた料理の中身を、何度も思い出せるようにと。
 エラが張り切っていただろうが。これが無くては話にならん、と。



 テーブルに置いてあったもんだが、と両手で示したメニューのサイズ。二つ折りだ、と。それを広げて立ててあったと、書かれた順に料理が出たが、と。
「ソルジャー専用の食器に盛られて、そりゃあ仰々しく…」
 でもって、係がメニューの通りに言ってたぞ。魚のポワレでソースがどうとか。
「…あれ、メニューなの?」
 エラはメニューだと言っていたけど、あれだと選べないじゃない。書いてある通りに、出て来るだけで。…一番上から順番に。
 今日のハーレイが見て来たメニューと全然違うよ、とブルーが首を傾げるから。
「選ぶメニューとは違うがな…。あれもメニューの一種ではある」
 そしてシャングリラでは、唯一のメニューだったんだ。あの船でメニューと言ったらアレだ。
 今なら店に出掛けて行ったら、ああいうコース料理でも選べるヤツがあるのに…。
 俺が悩んだメニューみたいに、メイン料理を選ぶとか。スープも選べるヤツだとか…。
「そうだよね…。あるよね、そういうの…」
 ぼくは少ししか食べられないから、レストラン、滅多に行かないけれど…。
 そういうメニューで選んだことなら、何度かあったよ。
 お肉よりかは、お魚の方がお腹一杯にならないかも、って魚料理にするとかね。
 スープが選べる所だったら、ポタージュじゃなくてコンソメスープ。
 ポタージュスープは、お腹一杯になっちゃうから…。
 「少なめに入れて」ってお願いしたって、あまり少なくはならないものね。



 コース料理のような凝ったものでも、肉か魚か、選べる店があるくらい。スープの種類も。
 けれどシャングリラでは無理だった。メニューを広げて、食べたい料理を選ぶこと。今の時代はブルーの学校の食堂でさえも、色々選べるものなのに。ランチセットは一種類でも、他の何かを。
 今日の昼食に入った店なら、ランチセットのメイン料理を四種類の中から選べたのに。
「今だと選ぶの、当たり前になってしまったからなあ…」
 俺が物心ついた頃には、もうメニューを見て選んでた。写真付きなら、指差してな。小さすぎて字なんか読めないチビでも、そうして選べたもんだから…。
 俺もすっかり慣れちまっていて、今日まで気付きもしなかった。メニューを眺めて、色々選べる贅沢ってヤツに。
 気付いたからには、これからはゆっくり選ばないと、とは思うんだが…。
 また直ぐにサッと決めちまいそうだ、仕事のある日は。…外で一人で食ってるんなら、その日は暇なんだろうにな。今日と同じで、本当は休んでしまっていい日。
「それって、前のハーレイがキャプテンだったから?」
 前のハーレイ、いつも仕事が沢山あって…。食事も休憩も早めに切り上げてたでしょ、少しでも早くブリッジに戻るのがキャプテンだから、って。
 そうやって急いでいたりするのに、子供たちの相手はしてあげるんだよ。放っておかずに。
 ハーレイらしいな、って思ってた。…あの頃を身体が覚えてるのかな、仕事のある日は、サッと食事を決めてしまうの。急がなくちゃ、って前のハーレイが…?
「俺もそのせいかと思ったんだが…。よく考えたら、運動をやってたせいかもな」
 柔道にしても、水泳にしても、練習も合宿も時間厳守だ。むしろ早めに、と叩き込まれる。朝は早起き、飯も急いで食べなきゃならん。それも、しっかりよく噛んで、だぞ?
 そう仕込まれたのが俺なわけでだ、飯をのんびり食っていたせいで遅れるなんぞは論外だ。
 きっとそっちの方なんだろうな、メニューを見て直ぐに決めちまうのは。
 前の俺でも、同じようにしそうではあるが…。前の俺はメニューで選んでないしな。
「そっか…。シャングリラでは、お料理、選んでないものね…」
 だけど、前のハーレイなら、ホントにやりそうだよ。メニューを見せたら、直ぐに選ぶこと。
 「これから仕事がありますから」って、短い時間で食べられそうなお料理とかをね。



 前のハーレイでも、きっとそうだよ、とブルーにまで言われてしまうほど。
 青い地球の上に生まれ変わっても、新しい命と身体を貰っても。平和な時代にやって来たって、仕事の時には大急ぎ。じっくり料理を選んでいいのに、メニューを見るなり決めてしまうくらい。
「お前にだって、そう見えるのか…。だったら、前の俺かもなあ…」
 前の俺も混じっているかもしれんな、急いで決めようとしちまうこと。…仕事のある日は。
 しかしだ、前の俺だと選ぶ自由も無かった料理を、今は色々選べるわけで…。
 仕事の時は無理かもしれんが、いつかお前とデートの時には、ゆっくりと悩むことにするかな。
 どれにしようか、お前も一緒に、あれこれ悩んでみようじゃないか。
 好き嫌いは無くても、選びたいだろ、お前だって?
 今日も選んでいたようだしな、と提案してやった、メニューを広げて悩むこと。いつかブルーが大きくなったら、二人でデートに出掛けて行って。メニューが豊富な店に入って。
「もちろん選んでみたいよ、ぼくも」
 シャングリラの時代は抜きにしたって、選ぶの、楽しそうだから…。色々選べるお店だったら。
 でも、選ぶのに困っちゃうかもしれないね。
 メニューのお料理、どれも美味しそうで。…今日のハーレイが迷ったみたいに。
 四種類の中から選ぶだけでも、迷ったんでしょ、と見詰めるブルー。仕事のある日に入ったお店だったのに、と。
 「そういう時のハーレイだって悩むんだったら、ぼくはホントに迷っちゃうよ」と。
「だったら、全部頼んじまえばいいじゃないか」
 悩むくらいなら、端から頼んで食っちまえ。時間はたっぷりあるんだから。
 メニューを広げて悩む時間も山ほどある上、食べる時間もゆったり取れるぞ。
 前の俺たちの頃と違って、仕事が待ってるわけじゃない。
 デートに出掛けて行こうって日だぞ、店が営業している間は、のんびり食ってていいんだから。



 そうするべきだ、と勧めてやったのだけれど。「全部頼んで食べてしまえ」と言ったけれども、困ったような表情のブルー。「無理そうだけど…」と。
「ハーレイ、それ…。ぼくが食べ切れると思う?」
 前のぼくだって、食堂に行ったら「少なめに」って頼んでいたんだよ?
 ぼくが大きくなった時にも、同じことになると思うけど…。お料理が多いと、お腹一杯。
 食べたいお料理を全部頼んでも、絶対、食べ切れないんだから。…お腹一杯になってしまって。
「お前の場合は、そうなるだろうな」 
 前のお前も、今のお前も、あまり沢山食べられそうにはないんだが…。
 お前が注文しようって時は、俺とデートの真っ最中だぞ?
 俺がお前と一緒なわけで、同じテーブルにいるんだから…。お前が食べてみたい料理を、シェアすることも出来るってな。
「シェア…?」
 なあに、とブルーは不思議そうだから、「知らないか?」と微笑み掛けた。
「料理を二人で分けるんだ。皿を二人分、貰ってな」
 そうすりゃ、お前が食わなかった分は、俺が綺麗に平らげてやれる。お前が幾つ頼んでいても。
 でなきゃ、お前と俺とで全く別の料理を頼んで、途中で交換するだとか。
 俺はお前が食べてみたい料理を食うことにするから、適当なトコで「取り替えて」とな。
「それって、とっても楽しいかも…!」
 色々頼んで、ハーレイと分けて食べるのも…。ハーレイとお料理を交換するのも。
 どっちも素敵で、やってみたいよ。美味しそうな料理を、一つだけ選べなかった時には。
 だけど、やっぱり食べられる量は少ないだろうし…。
 欲張って沢山頼んじゃっても、お腹一杯だと、ぼくはどうにもならないから…。



 選べるお料理の数は少なくなりそう、とブルーは残念そうな顔。「お店の人にも悪いもの」と。いくら助けて貰ったとしても、食べ切れなくなってしまうなら、と。
「…そうでしょ、ハーレイ? お料理してくれる人に悪いよ」
 お腹一杯になってしまったら、せっかくのお料理、食べられないもの…。
 まだありますよ、って運んで来てくれても、ぼくは見ているしかないんだもの。ハーレイが全部食べる所を、「それ、美味しい?」って訊くだけで。
 そんなの、ホントに失礼だから…。あまり沢山頼んじゃ駄目だよ、いくら悩んでしまっても。
 だから少ししか頼めないよ、というのがブルーの悩み。メニューで選べる時代ならでは。
 前の自分たちが生きた頃なら、悩む必要さえ無かったこと。選ぶ料理が無かったから。メニューさえも無い船だったから。
「少ししか頼めないってか…。そういうことなら、また行けばいいだろ、続きを食べに」
「続き?」
「そのままの意味さ。次のデートで、この前の続き、と食べに行くんだ」
 何度もやってりゃ、いくらお前が少しずつしか食べられなくても、メニューを制覇だ。それこそ端から端まで食えるぞ、料理も、それにデザートだって。
「それもいいかも…。おんなじお店でデートなんだね」
 美味しいお料理、どんなのか、全部食べるまで。…メニューにあるのを、ホントに全部。
「いいか、必ず限定品から食べるんだぞ?」
 今日の俺もそいつで決めたんだ。期間限定と書いてあったから、ある間に、とな。あの店にまた行くかどうかは別にして。
 旬の素材で作る料理も多いからなあ、制覇するなら先に押さえるのは限定品だ。
「分かった、いつでも食べられるお料理は後回しだね」
「そういうこった。…ついでに、店に入る前にも沢山悩めるぞ」
 何の料理を食べに行こうか、というトコからな。今の時代は料理の種類も山ほどだから。
「贅沢すぎだよ、今のぼくたち…」
 メニューだけでも悩めそうなのに、食べに行けるお店の種類も一杯。
 シャングリラの食堂の頃が嘘みたいだよね、あの食堂でも、充分、美味しかったのに…。



 だけど素敵、とブルーの瞳が未来の夢に煌めいているから、デートの時にはゆっくり悩もう。
 今の時代は選べる料理に、選べる食事が出来る店。
 いつかブルーとデートの時には、何処に入るか、まずは食事をする店から。
 ブルーと二人で悩むのもいいし、いったい何処へ連れて行こうかと一人で調べて悩むのもいい。
 店を決めたらブルーと入って、今度はメニューを広げて悩む。
 自分も、ブルーも、ずらりと並んだ料理の中から、どれを選んで食べようかと。
 シャングリラにいた頃と違って、今は色々選べるから。
 二人で違う料理を頼んで、分けて食べてもいいのだから。
 そしてブルーが望むのだったら、幾つも頼んでシェアだっていい。
 同じ料理を分けて食べるのも、きっと幸せだろうから。
 そうやって何度も店を訪ねて、メニューを制覇するのもいい。
 ブルーと二人で通い続けて、すっかり店の馴染みになって。
 気に入りの席も覚えて貰って、其処に座って、料理と一緒にブルーの笑顔も堪能して…。




             選べる料理・了


※今のハーレイやブルーにとっては、料理を選ぶのは当たり前。店でも、学校の食堂でも。
 けれど、シャングリラでは違ったのです。何を選ぶか悩める今。デートの時にも悩んでこそ。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv











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