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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

氷室と洞窟
「今日は天然の冷蔵庫について話してやろう」
 冷凍庫と言ったが正しいかもな、とハーレイが教室の前のボードに書いた「氷室」という文字。
 ブルーのクラスで始まった、古典の時間に人気の雑談。生徒の集中力を取り戻すために、絶妙なタイミングで繰り出されるそれ。
(…氷室って?)
 それに冷蔵庫で冷凍庫、とブルーはボードの文字を眺めた。「何だろう?」と。他の生徒たちも興味津々、氷室なるものに。ハーレイは教室をぐるりと見回すと…。
「氷室なんだし、氷と関係ありそうだろうが。氷って言葉が入るんだから」
 ずっと昔から人間は氷を利用していた。人間が地球しか知らなかった時代で、冷蔵庫も冷凍庫も無かったような時代から。…それこそ夏の真っ盛りでも。
 お前たちも知っている古典だったら、枕草子。あの中にだって出てくるだろうが、かき氷。
 削り氷と書いてあったがな。そいつに「あまづら」をかけて食べるのが夏の楽しみの一つだと。
 そいつを不思議に思っていなかったか、という質問。教室にいる生徒たちに向けて。平安時代に書かれたものが枕草子で、遥かな昔。どうやって夏に削った氷を食べられたのか、と。
「氷室のお蔭だって聞きましたけど…」
 授業の時に、と答えた男子。たまたま覚えていたらしい。優等生ではないけれど。
「確かに俺は、そう教えたが…。誰も質問しなかったよな、その氷室」
 どういう仕組みになっていたのか、とボードの文字を指で叩くハーレイ。「これなんだが」と。
(ホントだ、氷室…)
 ぼくも気付いていなかったよ、と後悔しきり。質問するチャンスだったのに。
 他の生徒が手を挙げないなら、「質問です!」と言えば良かった。氷室はどういうものなのか。そしたらハーレイを暫くの間、一人占めすることが出来たのに。
(いい質問だ、って言って貰えて…)
 きっと笑顔も向けて貰えた。氷室の解説を始める前に。
 迂闊だった、と残念な氷室。授業でそれを聞いた時には「氷室だから氷」と思っただけ。夏でも氷を食べられるように、氷を貯蔵したのだろうと。
 よく考えたら、冷蔵庫も冷凍庫も無かった時代。気温が上がれば氷は溶けてしまうのに。



 失敗しちゃった、とガッカリしても始まらない。クラスの他の生徒と一緒に、ハーレイの解説に耳を傾けるしかない自分。氷室について。
「平安時代は今よりもずっと昔だからなあ、冷凍用の設備なんかがあるわけがない」
 冷蔵庫だって作れやしないし、保存食が多かった時代なんだが…。腐らないよう塩漬けだとか。
 そんな時代でも人間は工夫を凝らしたってわけで、日本で使われていたのが氷室だ。
 夏の盛りに貴族たちに氷を提供するために…、という説明。枕草子を書いた清少納言も、氷室の氷を食べていた。細かく削ってかき氷にして、「あまづら」と呼ばれたシロップをかけて。
 氷室は日本のあちこちに作られたらしいけれども、都の近くにも幾つかの氷室。都から遠いと、運ぶ途中で氷が溶けてしまうから。
 平安時代の日本の都は、寒い場所ではなかったのに。冬になったら雪と氷に閉ざされてしまう、雪国などとは違ったのに。
「都が寒い所にあったら、不思議でも何でもないんだが…。そうじゃないだろ?」
 だから穴を掘って、その中に氷を貯蔵していた。断熱材の代わりに藁なんかを被せて。
 都の近くに洞窟があれば、もっと楽だっただろうがな。同じ氷室を作るにしても。
「洞窟ですか?」
 あちこちで上がった疑問の声。何故、洞窟があれば楽なのだろうと。
「知らないか? 洞窟の中は、一年を通して温度が一定になるもんだから…。夏でも冬でも」
 その分、貯蔵が楽になる。洞窟の中には氷穴なんかもあったんだ。年中、氷が溶けない洞窟。
 つまり天然の氷室なわけだな、氷穴は。
 他の洞窟でも、涼しさを利用した使い道は沢山あったらしいぞ。ずっと昔は。
 人間は自然を上手く使っていたってことだ。穴を掘ってた氷室にしたって、冬の間に出来た氷を保存して使っていたんだから。
 人間は地球と仲良く生きていたんだ、と結ばれた氷室に纏わる雑談。
 遠い昔の地球の上では、あちこちで氷室が作られたらしいから。日本以外の地域でも。
 氷室が無かったような時代でも、高い山から雪を運ばせた人たちがいた。夏の盛りに、雪を頂く山へ使いを送った皇帝や貴族。涼を取るために。
 ローマ時代には雪でワインを冷やして、後の時代にはシャーベットが出来た。山から運んだ雪に色々なシロップをかけて、贅を尽くした冷たいデザート。



 なるほど、と耳を傾けたハーレイの雑談。氷室から始まって、世界で最初のシャーベットまで。
 学校が終わって家に帰って、おやつの後で戻った部屋。勉強机に頬杖をついて思い出す氷室。
(…昔の人たちは、地球と仲良く…)
 無茶をしないで生きた人間。暑い夏にも冷たい氷を食べたとはいえ、使わなかった冷凍庫。冬の間に出来た氷を保存するとか、高い山から雪を運んでくるとか。
 地球がくれる自然の恵みの分だけ、夏の間も楽しんだ氷。山に積もった雪は夏でも凍ったまま。氷室の氷も、凍らせておくのにエネルギーなどは使っていない。藁などを被せただけだから。
 けれど、それから時が流れたら、人間は冷凍庫を作り出した。氷室も山の雪も使わず、家の中で氷が作れる設備。大規模な冷凍施設も作られ、もっと、もっとと進められた技術。
(欲張っちゃったから駄目だったんだね…)
 冷凍用の設備の維持には、必要なのがエネルギー。他の様々な設備も同じ。エネルギー源を色々開発しては、どんどん使っていった人間。引き返そうとは考えないで。
 そうやって進み続けた挙句に、滅びた地球。大気は汚染されてしまって、地下には分解不可能な毒素。海からは魚が消えていったし、ついには人も住めなくなった。
 地球を離れざるを得なかった人間。SD体制を敷いてまで。滅びた地球の再生のために。
 そうなったのは、自然の恵みだけでは足りなくなって、もっと得ようとした結果。遠い昔なら、夏の氷は氷室や高い山の雪だけを使っていたのに。…冷凍庫なんかは作りもせずに。
(…夏のアイスクリームは贅沢?)
 それにシャーベットや、かき氷。今の自分も大好物。
 この夏だって、ハーレイと一緒に何度も食べた。アイスクリームも、シャーベットも。暑い日のおやつの定番で。それに氷を幾つも浮かべた、冷たいレモネードやアイスティーだって。
(あのくらいなら…)
 神様は許してくれるのだろうか、青く蘇った今の地球でのことだから。
 氷室は何処にも無いのだけれども、自然に無理やり手は加えないし、厳しい決まりがある時代。何かの施設を作るにしたって、得なければいけない様々な許可。
 アイスクリームの工場だって、許可を得て作られた施設の筈。家のキッチンにある冷凍庫なども規格が細かい時代なのだし…。
 昔とはまるで違うだろう。「もっと便利に」と願い続けて、地球を滅ぼした時代とは。



 その筈だよ、と思う今の時代。自然の恵みを使った氷室や、高い山の雪を使わなくても…。
(大丈夫だよね?)
 ぼくが食べてるアイスくらいは、と考えていたら聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合あわせで問い掛けた。
「あのね…。暑い夏でも、アイスクリームを食べていいんだよね?」
 冬は身体が冷えてしまうから、ママは滅多に許してくれないんだけど…。アップルパイに添えるくらいしか。夏の間は、アイスもシャーベットも食べられるけれど。
「アイスクリームって…。何の話だ?」
 食べていいかと言われなくても、アイスは夏のものだろう。特にお前にとってはな。
 丈夫なヤツなら冬でも食うが、とハーレイには通じていなかった。アイスクリームを食べる条件だと頭から思っているらしい。暑い夏には似合いの食べ物、と。
「それは普通のアイスだけれど…。今日の授業で、ハーレイが言ってた氷室だよ」
 今の時代のアイスクリームは、氷室を使っていないから…。シャーベットも全部、冷凍庫とかで作るものでしょ。家で手作りするにしたって、冷凍庫を使わないと無理。
 氷室で作る人はいないし、高い山から運んだ雪とか氷でもないし…。アイスクリームの作り方。
 そういうのって、欲張りすぎていないかなあ、って…。人間がね。
 ハーレイの話にあったみたいな、地球の自然の恵みのアイスじゃないんだもの。夏の氷も。
 それを食べてて大丈夫かな、と心配な気持ちをぶつけてみた。今の時代は厳しい決まりが幾つもあっても、昔とは違うアイスクリームの作り方。自然の恵みは使われていない。
「なるほどな…。其処まで深く考えてみた、と。流石お前と言うべきか…」
 SD体制の時代に生きてたわけだし、地球の環境にも敏感になっているんだろう。今の時代しか知らないヤツらと違ってな。
 お前らしい疑問で、心配になってしまうのも分かる。アイスクリームを食っていいのか、と。
 だがな…。今の時代のアイスクリームは、確かに氷室で作っちゃいないが…。
 工場で大量生産だったり、手作りが売りの店にしたって、冷凍庫ってヤツの世話にはなる。
 でないと冬しか作れないしな、アイスクリームもシャーベットも。それじゃ全く話にならん。
 暑い真夏に食えるからこそ、美味いってわけで…。
 そこでだ、お前が言ってるアイスクリーム。そいつの材料は何なんだ…?



 シャーベットは横に置いておいて、と尋ねられた。アイスクリームは何から出来ているのかと。
「えーっと…? 氷を使うってトコじゃないよね、材料だよね…?」
 牛乳に、卵に、それからお砂糖…。生クリームも入っていたんだっけ…?
 後はバニラビーンズとか、いろんなもの、と母の手作りを思い出す。多分そうだ、と。作る所を眺めただけだし、あまり詳しくないけれど。まるで手伝ってはいなかったから。
「基本のヤツなら、そんなモンだな。牛乳と卵黄、それに砂糖と生クリームだから」
 材料を混ぜて冷凍庫に入れて、何度も取り出しては混ぜてやる。ガチガチに固まらないように。
 うんと昔だと、氷を詰めた桶とかの中に器を入れてだ、せっせと混ぜていたらしいんだが。
 そうやって出来るアイスクリーム。材料は全部、この地球の上で採れるものなんだがな。
 砂糖もそうだし、卵も、牛乳も、生クリームも。…違うのか?
 どの材料も地球の恵みだろうが、とハーレイが挙げたアイスクリームの材料たち。砂糖も卵も、牛乳も、それに生クリームだって。地球で育った牛に鶏、サトウキビなどから得られる食材。
「そうだけど…。どれも地球の上で採れるけど…」
 お砂糖も卵も、牛乳も。生クリームも牛乳から出来るものだから…。
「全部そうだろ、それなら神様も許して下さる。冷凍庫を使って作っていようが」
 アイスクリームの材料の方は、人間の手できちんと育てた牛のミルクや、卵や砂糖なんだから。
 牛も鶏も地球の草や穀物を食べて生きてるんだし、サトウキビだって地球の土から栄養を貰う。どの材料にも、地球の恵みがたっぷりだ。太陽の光も、土も水もな。
 そういったものが揃っていなけりゃ、牛乳も卵も、砂糖だって地球では得られやしない。自然に育ちやしないから。牛たちも、土に生えてるサトウキビも。
 それが地球では採れなくなっても、自分たちの生活を変えようとしなかったのが人間だ。地球が滅びに向かった時代の。
 一度覚えた贅沢ってヤツは、簡単には忘れられないから。
 他の星から材料を運ぶことになっても、地球での生活を続けようとした。それまでと変わらず、我儘放題にエネルギーを使って、地球という星を汚染し続けながら。
 そのせいで地球は滅びちまった、とハーレイは語る。人間たちが滅びの兆候に気付いた時には、もう手遅れだった地球の再生。元に戻す道は、何処にも残っていなかった。
 人間が地球を離れる他には。…地球を滅ぼした、人間たちが地球を立ち去る以外には。



 地球を青い星に戻すためには、人間の方を変えるしかない、と下された決断がSD体制。機械に全てを委ねること。
 地球を再生することはもとより、人間そのものを改革する。欲望のままに生きようとする人間に枷をはめること。自然出産さえもやめてしまって、人工子宮で子供を育てて。
「お蔭で、前の俺たちは酷い目に遭ってしまったわけで…」
 機械が統治していなかったら、ミュウの排除はあそこまで酷くなかっただろう。
 自然出産で生まれた子供は、本物の家族がいるわけだから…。少し変わった子が生まれたって、親は通報したりはしない。「この子は変だ」と思いはしたって、自分の子だから。
 そうなっていたら、ミュウへの進化は自然に進んでいたんだろうな。処分されずに、他の人間の中に混じって育っていって。…その子が次の世代を育てて。
 ところが、機械が治める時代じゃそうはいかない。異分子は排除されるだけだ。
 前の俺たちは地獄を見たし、前のお前もそうだった。氷室にだって、いい思い出は無いだろう?
 ずっと昔ならアイスクリームやシャーベットだが、と出て来た氷室。アルタミラの地獄で氷室となったら、思い出すものは強化ガラスのケース。
「…その氷室って、低温実験のこと?」
 とても寒くて、ガラスに氷の花が幾つも…。脱出した後も、窓に出来てた氷の花が怖かったよ。
 前のハーレイが「大丈夫だから」って、指で溶かして模様を描いてくれるまでは。
「それもあるしだ、シャングリラにだって氷室はあったぞ」
 なんたって、宇宙空間って所は寒いんだ。恒星の光をモロに浴びてりゃ、高温だがな。
 そうでない時は船の中の温度は、ぐんぐん下がってゆくわけで…。そいつを使った天然の氷室、あの船にだってあっただろうが。空調を切って、冷凍庫代わりに使っていた部屋。
 部屋をそのまま冷凍倉庫に出来たほどだから、空調システムが故障した時は部屋が凍ったぞ。
 最初の頃にはよく壊れていて、そうした時には仲間の部屋に仮住まいさせて貰っていたが…。
 お前、引越ししようとしないで、部屋でガタガタ震えてたこともあったじゃないか。
 いい思い出とは言えないだろう、と持ち出された話。前の自分が部屋で凍えていた時のこと。
「そうだっけね…」
 ハーレイの部屋に行こうと思ったんだけど、留守だったから…。
 ベッドの中なら大丈夫かな、って毛布を頭から被ったけれども、駄目だったっけ…。



 あれは失敗、と今の自分も覚えている。仕事を終えたハーレイが来てくれた時は、身体が凍えて氷のようになっていた。ハーレイにだって、とても心配をかけてしまった前の自分。
「思い出したか? 前のお前の氷室の思い出、ロクなのが無いわけなんだが…」
 低温実験のこともそうだし、シャングリラの中ですっかり凍えてしまったことも。
 それに何より、テラズ・ナンバー・ファイブだな。あれが最悪な思い出じゃないか、氷室。
 前のお前の記憶の中では、と名前が挙がった宿敵の巨大コンピューター。アルテメシアの地下に潜んで、あの星を支配していた機械。
 忘れもしない名前だけれども、寒かったという覚えは無い。何度も対峙した、あの機械。攻撃を躱した記憶も山ほど、けれど冷気を浴びせられてはいない。凍結の危機に見舞われたことも。
「テラズ・ナンバー・ファイブって…。氷室と何か関係あるわけ?」
 凍えるような目に遭ったことは無いんだけれど…。いろんな攻撃を受けたけれどね。
 機械が作った思念波だとか、衝撃波だとか、電撃だとか…。でも、寒いのは無かったよ。
 火傷しそうな攻撃だったら多かったけど、と激しかった火花を思い浮かべていたら…。
「俺の雑談、ちゃんと聞いていたか? 今日の氷室の話の中身」
 かき氷を食べてた都の貴族たちのための氷室は、地面に穴を掘ったヤツだが…。
 洞窟があったら楽だっただろう、と俺は話をしてやった。一年中、中の温度が変わらないから。
 テラズ・ナンバー・ファイブがいたのは洞窟だぞ。
 氷室に使われていなかっただけで、あれが昔の地球なら立派な氷室になるわけでだな…。
 あの機械は氷室に巣食っていたようなもんだ、というのがハーレイの考え。氷室に使える場所にいたのだと解釈するなら、最悪な思い出になるだろうが、と。
「そっか、洞窟…。氷室に使えるんだっけ…」
 地面に深い穴を掘るより、ずっと簡単に出来ちゃう氷室。中に氷を運び込んだら。
 藁とかを被せて溶けないように気を付けていたら、あの洞窟でも氷室に変身しちゃうんだ…。
 氷の代わりにテラズ・ナンバー・ファイブがいたんだけれど、と苦笑するしかない洞窟。確かに悪い思い出しか無い。成人検査でミュウと判断した子供たちを、端から殺していた機械。
 ジョミーを救いに飛び込んだ時も、やはり洞窟の中だった。
 あの時は思念体だったけれど。
 衰弱し切っていた身体では、妨害するのが精一杯。ジョミーを船に連れてゆくのは無理だから。



 テラズ・ナンバー・ファイブが根城にしていた、アルテメシアの地下の洞窟。前の自分は何度も戦いに赴いたけれど、あの洞窟が遠い昔の地球の何処かにあったなら…。
(…テラズ・ナンバー・ファイブを据える代わりに、氷室になるんだ…)
 此処なら温度が一定だから、と冬の間に氷の塊が幾つも運び込まれて。
 冷凍庫で出来る氷ではなくて、自然の池や湖に張った天然の氷。それを丁度いい大きさに切って運んでゆくとか、そんな具合に。
 運び込んだ氷には藁を被せたり、溶けないための色々な工夫。暑い真夏も、冷凍庫無しで冷たい氷を味わえるように。かき氷にするとか、シャーベットだとか、アイスクリーム作りに使うとか。
「あそこの洞窟…。平和な時代の地球にあったら、何かに使えていたんだね」
 冷凍庫の代わりに氷を入れて氷室にするとか、冷蔵庫代わりに使うとか…。
 夏でも暑くならないんだったら、色々なものを保存できるから。…氷でなくても。
 地球でなくても使えそう、と思わないでもない洞窟。自然の恵みの冷蔵庫なのだし、何か方法を考え付いたら、有効活用出来たのかも、と。
 あんな時代のアルテメシアでなかったら。テラズ・ナンバー・ファイブがいなかったなら。
「そういうこった。洞窟は何処でも似たようなものになるからな」
 灼熱の星なら話は別だが、人間様が暮らせる星なら、地球にあるのと変わらない。氷穴になってしまうヤツとか、涼しいだけだとか、多少の違いは地球の上でもあるもんだ。
 前のお前がテラズ・ナンバー・ファイブと戦い続けた、あの洞窟…。
 今の時代じゃ、使っている可能性もゼロではないが。あそこの主は、とっくの昔にいないから。
 ジョミーが倒しちまったからな、というのは今の自分も知っていること。前の自分の記憶が戻る前から、歴史の授業で教わっていた。歴史の上では、とても大事な出来事だから。
 けれど、その後に残った洞窟。それを何かに使うだなんて、と首を傾げた。今の時代は、氷室を使いはしないから。この地球でさえも、何処の家でも冷凍庫を使っていいのだから。
「あの洞窟を何かに使うって…。いったい、何のために?」
 今じゃ氷室は必要ないでしょ、使い道が無いと思うんだけど…。あんな洞窟。
「それがそうでもないってな。洞窟は優れものなんだ」
 ワインやチーズも貯蔵できるし、この地球でだって使っているぞ。その目的で。
「そうなんだ…!」
 洞窟、今でも貯蔵庫なんだ…。氷室の代わりに、ワインやチーズの。



 知らなかった、と瞳を輝かせた。授業中に聞いた話だけだと、洞窟が使われた時代は遥かな昔。氷を貯蔵する氷室として。一年中、温度が変わらないから。
 冷蔵庫代わりにも使えそうだと考えたけれど、まさか本当に使えるなんて。今の時代もワインやチーズの貯蔵庫になっていたなんて。
「ハーレイ、それって冷蔵庫みたいに使っているの?」
 ワインやチーズを洞窟の中に入れておいたら、冷蔵庫を作らなくても済むからなの…?
 洞窟はとても大きいものね、と考えた。沢山のワインを並べられそうだし、チーズだって、と。大量生産のものならともかく、少量だったら洞窟くらいでいいのかも、と。
 そうしたら…。
「冷蔵庫代わりというわけじゃないな。あれは立派な貯蔵庫らしい。ワインやチーズの」
 しかも歴史が長いんだ。人間が地球しか知らなかった時代に、もう使われていたんだから。
 青いカビがつくチーズを知ってるか?
 お前の口に合うかどうかは知らないが…。好き嫌いが無くても、癖のある味には違いない。その青いカビが生えるチーズは、ロックフォールチーズって名前でな…。数千年の歴史があるらしい。
 ところが、その名をつけていいのは、フランスの小さな村だけだった。
 其処に昔からあった洞窟、其処にチーズを貯蔵しておくと青いカビが自然に生えたんだそうだ。
 地球が滅びたら、そのチーズだって作れないようになっちまったが…。
 今の時代は、また復活して作られている。昔と同じに洞窟の中で。洞窟は別のになったがな。
 地球が燃えた時にすっかり崩れちまったから、という話。
 遠い昔のロックフォールチーズは失われたけれど、今もフランスの洞窟で作られ続けるチーズ。自然に青いカビが生えてくるまで、洞窟の中で熟成させて。
「数千年の歴史って…。なんだか凄いね、そのチーズ…」
 青いカビのチーズは、まだ食べたことが無いんだけれど…。洞窟生まれのチーズだったんだ…。
「そうらしい。一番最初は、置き忘れられたチーズにカビが生えたって話もあるな」
 本当かどうかは確かめようもない伝説だが。…つまり洞窟が欠かせないチーズもあるわけだ。
 ワインの方も、数千年とまではいかないものの、熟成させるのに洞窟を使った所もあった。
 温度が一定になっているのがいいらしい。
 そいつを生かして、ワイン工場を丸ごと洞窟に作った人まであったそうだぞ。



 ワイン作りに最適な気温を保った洞窟。それを見付けて、工場をそっくり洞窟の中に。遠い昔に考え出されたそのアイデアは、今の時代も復活させて使っている人がいるという。
 他にもワインを貯蔵している洞窟が幾つも、熟成に適した温度だからと。
「ワイン工場とか、チーズ作りとか…。洞窟って今でも役に立つんだね」
 氷室でなくても、ちゃんと貯蔵庫。温度が一定になっているのを、上手く利用して。
 今の地球でもやってるんなら、他の星でも真似をしている所が沢山ありそう。美味しいチーズを作るためとか、ワインを美味しく作るためにね。
 アルテメシアでもやっているかな、さっきハーレイが言ったみたいに。空いてる洞窟、あそこにちゃんとあったんだから。
 ジョミーがテラズ・ナンバー・ファイブを倒した後は…、と思い浮かべた地下洞窟。前の自分の記憶の中では、テラズ・ナンバー・ファイブが居座っているのだけれど。
(SD体制が倒れた後には、瓦礫も片付けちゃったんだろうし…)
 きっとあのまま放っておきはしなかったろう。忌まわしい機械の残骸などを。
 平和になって落ち着いたならば、綺麗に片付けられた筈。其処にテラズ・ナンバー・ファイブが在ったことなど、誰も気付きはしないくらいに。
 そうすれば生まれる広大なスペース。どう使おうとも、人間の自由。命令する機械は、何処にも存在しないのだから。
(…誰か、チーズを思い付いたかな?)
 さっきハーレイに聞いた、青カビのチーズ。
 ロックフォールチーズの名前はフランスの小さな村しか使えないけれど、違う名前でいいのなら何処でも作れるだろう。青カビがチーズに勝手に生える洞窟ならば。
 あそこで誰かが試しただろうか、そういうチーズが作れるかどうか。あるいは、ワインの熟成に適した温度かどうかを調べて、ワイン工場を作り上げたとか。
(青カビのチーズとか、ワインだとか…)
 それなら少し愉快ではある。前の自分には、いい思い出が何も無い場所でも。
 テラズ・ナンバー・ファイブが巣食っていた洞窟の中で、今はチーズやワインが出来るのなら。
 あの星ならではの自然の恵みを生かして、貯蔵庫だとかワイン工場になっているのなら。



 なんだか素敵、と広がる夢。前の自分の因縁の場所が、平和に生まれ変わっていたならいい。
 成人検査をしていた憎い機械の巣窟、其処で美味しいチーズやワインが出来るのならば。
「ねえ、ハーレイ…。ロックフォールチーズっていう名前、一ヵ所しか使えないらしいけど…」
 そんな風に、テラズ・ナンバー・ファイブの名前がついてるチーズは無いの?
 でなきゃ、そういう名前のワイン。あの洞窟で作ってるんなら、あってもいいと思うけど…。
 テラズ・ナンバー・ファイブっていう名前のチーズやワイン、と尋ねてみた。今の自分は食品に詳しくないのだけれども、ハーレイは自分で食料品店に足を運ぶのだから。
「はて…。テラズ・ナンバー・ファイブという名を聞いたことは無いが…」
 テラズ・ナンバー・ファイブとは名付けていないってだけで、別の名前で作られてるかもな。
 歴史で有名な機械ではあるが、ミュウにとっては仇とも言える機械だから…。
 縁起でもない、と全く違う名をつけて、せっせと作っているかもしれん。青カビのチーズとか、あの洞窟の中で一から作った、とびきり美味いワインとかをな。
 まるで無いとは言えないぞ、とハーレイもあの広い洞窟を思い浮かべているようだから…。
「そういうチーズがあるんだったら食べてみたいな、平和になった時代の証拠なんだもの」
 ワインだと、ぼくは酔っ払うから無理だけど…。チーズだったら食べられるもの。
 癖があっても平気だってば、見た目にカビが生えていたって。…青カビのチーズ、あるって話は知っているから。
 前のぼくが聞いたらビックリだろうね、「いつかは此処でチーズを作るんですよ」だなんて。
 ワインの方でもビックリ仰天、だけど嬉しいだろうと思う。平和な時代が来る証拠だから。
 生きて見られはしなくってもね…、と前の自分に思いを馳せる。テラズ・ナンバー・ファイブと戦い続けたソルジャー・ブルー。懸命に、ミュウの未来を掴み取ろうとして。
 …洞窟が氷室になるとも知らずに、チーズやワインが作れる場所とも考えないで。
「そうだな、俺も大いに興味があるし…。その内に探してみるとするかな」
 あの洞窟を使って作る、チーズやワインがあるのかどうか。アルテメシアの特産品で。
 もし見付かったら、いつかお前と食ってみような、チーズだったら。…ワインだった時は、俺が責任を持って飲んでやるから、お前は味見だ。それでいいだろ?
 なんと言っても、テラズ・ナンバー・ファイブは前の俺たちの敵で、実に手強いヤツだった。
 あの洞窟には、恨みが山ほどあったんだから。



 ジョミーが晴らしてくれたがな、と口にしてから、ハーレイがふと顎にやった手。
「そういえば…。前のお前、場所を知ってたんだよな?」
 今の今まで気付かなかったが、と鳶色の瞳がゆっくり瞬いた。「その筈だよな?」と。
「場所って…。何の?」
 キョトンと見開いてしまった瞳。「前のお前」なら、チーズやワインの話とは無縁だろうから。
「あの洞窟…。テラズ・ナンバー・ファイブの居場所だ」
 何処にあったか、前のお前は知ってた筈だぞ。あいつと何回も戦い続けていたんだから。
 まさか知らないとは言わないだろうな、とハーレイが訊くからコクリと頷いた。
「それはもちろん…。知っていないと、まるで話にならないよ」
 何処にいるのか分かっていなけりゃ、助けに行くことが出来ないじゃない。成人検査の妨害も。
 ジョミーの時は思念体だけで行ったけれども、それまでに助けた子供たち…。
 前のぼくが自分で出掛けて行った時には、あそこの洞窟だって何回も入っていたんだよ。
 敵の居場所を掴んでいないと戦えないよ、と前の自分に戻ったつもりで説明した。敵地に入ってゆこうと言うなら、闇雲に突っ込めば命取り。相手が何処に潜んでいるのか、把握するのが戦士の鉄則。そうでなければ攻撃を躱せはしないから。
「やっぱりな…。それだ、それ」
 ジョミーも案外、ウッカリ者だな。お前が選んだ後継者には違いなかったが…。
 地球まで立派に辿り着いた上に、SD体制を崩壊させた英雄なのも間違いないんだが…。
 少しばかり間抜けな所もあったか、とハーレイが言うものだから。
「間抜けって…。それに、ウッカリ者って?」
 どうしてジョミーがそう言われちゃうの、とても頑張ってくれたじゃない。命まで捨てて。
 ぼくが頼んだことだったけれど、死んじゃうだなんて思っていたら…。
 それが分かってたら、ぼくはジョミーを迷わずに連れてこられたかどうか…。
 シャングリラにね、と項垂れた。
 前の自分はジョミーに希望の光を見たから、嫌がるジョミーを追い掛けてまで船に連れ戻した。自分の跡を継がせるために。ミュウの未来を託すために。
 ジョミーがあれほどの若さで命を落とすと分かっていたなら、きっと迷ったことだろう。彼には彼の人生がある。生き抜いてくれると信じたからこそ、強引にそれを捻じ曲げたのに。



 前の自分の思いを継いで、若くして散ってしまったジョミー。それを思うと胸が苦しい時だってある。ジョミーは後悔していなかったと分かっていても。
 自分が選んだ後継者。SD体制を倒した英雄、そのジョミーがどうしてウッカリ者だと言われてしまうのだろう。少し間抜けな所もあっただなんて。
「ジョミーの何処が間抜けだって言うの? ウッカリ者の方もそうだよ」
 しっかりやってくれてた筈だと思うんだけど…。前のぼくが死んでしまった後にも、ジョミーは立派なソルジャーだったし…。
「そいつは俺も分かっているさ。だが、それとこれとは別問題だ」
 前の俺たちはアルテメシアで苦労したんだ、地球の座標を引き出すために。
 アルテメシアを陥落させたら、手に入るものだと誰もが思っていたんだが…。甘くはなかった。
 これでいける、と思って挑戦してみても、銀河系の映像が表示されるというだけで。
 ヤエでも全く歯が立たなかった、と聞かされれば分かる。歴史の授業でも習っているから。
「そうだったらしいね、データがプロテクトされていて」
 アルテメシアはテラズ・ナンバー・ファイブが統治していたし、そっちの方からのプロテクト。
 ユニバーサルを破壊したって、テラズ・ナンバー・ファイブが無事な間は解けなかった、って。
「その通りだが…。肝心のテラズ・ナンバー・ファイブの所在が分からなかった」
 まるでデータが手に入らないんだ、何もかもブロックされていて。
 そんな中で、ジョミーが「心当たりがある」と出掛けて行ったんだ。そして見事に見付け出して破壊したってわけだが、心当たりを探さなくても…。
 わざわざ探しに出掛けなくても、テラズ・ナンバー・ファイブの居場所。前のお前の記憶の中に入っていたんじゃないのか?
 お前がジョミーに残していった記憶装置だ、と問われたから「うん」と即答した。
「そうだよ、ちゃんとあった筈だよ」
 前のぼくの記憶で大切なものは、全部あの中に入っていたから…。
 ジョミーにも秘密の大事な記憶は、何も入れてはいなかったけれど。
 ハーレイがぼくの恋人だったとか、フィシスはミュウじゃなかったこととか…。
 そういうことは何も入れずに、偽の記憶を入れたんだけど…。その他のことは全部本物。
 テラズ・ナンバー・ファイブの居場所も正確に入れておいたよ、あの洞窟は何処だったのか。



 ちゃんと入れた、と自信を持って言えること。ジョミーのために役立つ記憶は、残らずあの中に入れたのだから。ソルジャーとして生きた三世紀にわたる記憶を全部。
「やはりな…。テラズ・ナンバー・ファイブの居場所も、あれに入っていたのか…」
 ジョミーがそれに気付いていたなら、「心当たりがある」という言い方はしないだろう。
 「知っている」と言うと思わんか?
 そして真っ直ぐに行けばいいんだ、お前の記憶にあった場所へと。心当たりを探す代わりに。
 違うのか、と尋ねるハーレイの言葉は間違っていない。ジョミーは記憶装置を使いはしないで、自分の勘に頼って動いた。テラズ・ナンバー・ファイブの所在を見付けだすために。
「そうだね…。ジョミーは知らなかったんだろうね、本当に」
 テラズ・ナンバー・ファイブが何処にいたのか、あの洞窟が何処にあったのか。だから自分で探しに出掛けて、見付けて破壊したんだよ。木っ端微塵に。
 それでプロテクトが解けたんでしょ、と言ったのだけれど。
「やれやれ、しっかりしていたようでも、ウッカリ者のソルジャーだったか…」
 肝心の時に、肝心の情報を使わないなんて。…前のお前が知らなかった筈がないのにな?
 何のために記憶装置を受け継いだんだか…。有効活用すべきだろうが。
 時間を無駄にしちまった、とハーレイは苦い顔だけれども、自分はそうは思わない。ジョミーはきっと、ウッカリ者ではなかっただろう。記憶装置の意味も充分、分かっていたと思うから。
「ウッカリ者って言うけれど…。いいと思うよ、ジョミーらしくて」
 前のぼくの記憶に頼りっ放しじゃなかった証拠。…なんでもかんでも。
 自分で答えが出せそうな時は、きちんと自分で考えるソルジャー。…それがジョミーだよ。前のぼくの記憶から簡単に答えを引っ張り出すより、自分の足で前に進むんだってば。
 それだけの自信があったんだと思う、と微笑んでみせた。「ジョミーだものね」と。
 前の自分が選んだ若き後継者。若い命を散らしたけれども、強いソルジャーだったのだ、と。
「そういう考え方も出来るか…」
 記憶装置に尋ねたならば、答えは出ると承知の上で頼らなかった、と。
 自分の力で切り開いた道なら、確かに自信もつくだろう。…前のお前に導かれるより。
 そう考えたから、あえてお前が残した記憶と答えを無視した。自分でやろう、と。
 テラズ・ナンバー・ファイブは自分で見付けて、自分一人で倒すんだとな。



 そうだったのかもしれないな…、とハーレイが首を捻っているから、駄目押しをした。ウッカリ者ではなかっただろう、ジョミーの名誉を守るために。
「絶対、そっちの方だってば。…ぼくはそうだと信じているし、それで間違いない筈だよ」
 だって、そうしたのはジョミーだから。…前のぼくの記憶に頼らない、って決めたのは。
 テラズ・ナンバー・ファイブもそうだし、その後の幾つもの戦い。…人類とのね。
 ジョミーじゃなければ、きっと戦えなかったよ。救命艇まで壊させたっていう話だけれど…。
 其処まで心を決めていたから、ジョミーは勝ち進んで行けたんだと思う。
 ぼくなら人類に遠慮しちゃうから、降伏されたら助けてしまうよ。そうして降伏した人類の中にスパイがいるとか、考えもせずに。…助けなくちゃ、って救命艇を回収して。
 そんなやり方だと、あんな速さで地球まで行けない。ジョミーがやったようにはね。
 前のぼくの考えの通りにしたんじゃ、とても辿り着けはしないんだよ。…あの速さでは。
 もちろんSD体制も倒せやしない、と「ウッカリ者」だと言われたジョミーの肩を持った。前の自分の記憶装置に頼ったのでは、地球までの道は開けないと。
「そう…かもしれんな」
 お前の言葉の通りかもしれん。…ジョミーはウッカリ者ではなくて、しっかり者のソルジャー。
 前のお前に頼る代わりに、自分で道を拓いたんだな?
 テラズ・ナンバー・ファイブを自分で探し出して、壊して、自信をつけて。
「そうに決まっているってば。…ジョミーなんだから」
 自分を信じて、自分の道を真っ直ぐ歩いて行ったんだよ。楽な道が他にあったって。
 前のぼくの記憶を引き出して使うより、ずっと偉いよ。ジョミーが自分で頑張る方が。
 …そういえば、前のぼく、ジョミーにずっと昔に言ったんだっけ…。
 「自分を信じることから道は開ける」って。アルテメシアから逃げ出して直ぐに。
 シロエを連れて来られなかった、って、ジョミーが落ち込んでいた時に話した言葉だけれど…。
 あれを覚えていてくれたのかな、あれから後も。
 ぼくの記憶を頼りにしないで、自分の力でテラズ・ナンバー・ファイブを探しに行ったなら。
 戦い方だって、ぼくの記憶があったのに…。
 それを引き出して分析したなら、ジョミーは有利な筈だったのにね。
 きっとそれさえ、していないと思う。真っ正面から、自分の力だけでぶつかって行って。



 ジョミーはとても頑張ってくれた、と思う。地球までの道を、辛くて長い戦いの日々を。
 地球の地の底でジョミーは命を落としたけれども、きっと悔いてはいなかったろう。
 前の自分に引きずり込まれた茨の道でも、ちゃんと歩いてくれたから。前の自分の記憶に縋って歩むことなく、自分の道を行ってくれたから。
 生まれ変わった今になっても、誇りに思う後継者。ジョミーの生き様を今の自分は学校で何度も教えられたし、今のハーレイからも聞いているから。
 ハーレイが「ウッカリ者」だと評した件も、ジョミーの強さの表れの一つ。ジョミーはきっと、幸せになってくれただろう。とうに何処かに生まれ変わって、新しい命と身体を貰って。
 きっとそうだ、と考えていたら…。
「そういや、ジョミーが言ってたな。「ぼくが生まれた場所だ」とな」
「なあに、それ?」
 何処のことなの、と首を傾げた。心当たりが無い場所だから。
「テラズ・ナンバー・ファイブの居場所だった洞窟のことだ。心当たりと言った時にな」
「生まれた場所…。ジョミーがそういう風に言ってたんなら、そうなんだね」
 前のぼくに文句を言って、船から飛び出したりもしたけど…。ちゃんと分かってくれてたんだ。
 ミュウとしてのジョミーは何処で生まれたか、どうしてソルジャーになった自分がいたのか。
 良かった、とホッとついた溜息。ジョミーは本当に自分の道を生きたろうから。
「うむ。…あそこがジョミーの生まれた場所ってことになるらしい」
 今じゃ平和にチーズかワインが置かれているかもしれないが…。
 テラズ・ナンバー・ファイブは欠片も無くなっちまって、お誂え向きの洞窟ってことで。
 誰かがチーズを熟成していそうだな、とハーレイが話す青カビのチーズ。ジョミーという存在が生まれたらしい、あの洞窟で出来る青カビのチーズ。
「だったら、ジョミーって名前がついているかもね。そのチーズには」
 ジョミーが生まれた場所から生まれるチーズだったら、ジョミーって名前になるのかも…。
 えっと、なんだっけ…。ロックフォールチーズだっけ、それの代わりにジョミーチーズ。
「あの言葉は多分、よく知られていると思うんだが…」
 ジョミーが好きな人たちだったら、ピンと来るだろう言葉の筈だ。
 「ぼくが生まれた場所だ」というのは。しかしだな…。



 俺は耳にしたことがないんだが、とハーレイが悩むチーズの名称。そんなのは知らん、と。
「ジョミーやテラズ・ナンバー・ファイブって名前のチーズは、聞いたことがないが…」
 食料品店でも見かけた覚えが無いしな、果たしてあるのか、どうなんだか…。
「もしもあったら、其処のチーズだと思わない?」
 テラズ・ナンバー・ファイブがあった洞窟、あそこで作られてるチーズ。青カビのチーズで。
 ジョミーって名前や、テラズ・ナンバー・ファイブって名前がついちゃってて。
 あの洞窟から生まれるチーズなんだもの、と興味は尽きない。あるといいな、という思いも。
「そうなんだろうな、その名前なら。…ならば是非とも食わないと」
 何処かでお目に掛かった時には、買い込んで。お前と二人で、味わってな。
「ワインの方だったとしても、ぼく、飲みたいよ。悪酔いしてもかまわないから」
 ジョミーって名前のワインだったら、頑張って飲むよ。ジョミーも頑張ってくれたんだしね。
 地球までの道を…、と固めた決意。飲めないワインも飲んでみよう、と。
「お前なあ…。そんな決心をされちまったら、チーズの方であって欲しいな。俺としては」
 二日酔いしたお前は酷く弱っちまうから、ワインは勘弁して欲しい。チーズで頼む。
 もっとも、まだ活用はされていないかもしれないが…。どう使うかを検討中でな。
 あの洞窟の利用方法…、とハーレイの瞳が見ている彼方。時の彼方のアルテメシアの洞窟。
 テラズ・ナンバー・ファイブがいた場所、前の自分も知っていた場所。
 今は普通の洞窟なのだし、平和に使われているならいい。
 チーズやワインの置き場になっても、まだ活用方法を検討中で誰かが調査をしていても。
 今は平和な時代なのだし、あの星で自然の恵みを受けられる天然の貯蔵庫として。
 チーズやワインを作っていたって、これから作り始める場所にしたって。
 其処のチーズやワインに出会ったら、ハーレイと二人で味わおう。
 ワインだったら、悪酔いしたってかまわない。ジョミーが歩んだ道を思って飲み干すから。
 ジョミーが歩いてくれた地球までの道に、ハーレイと二人で乾杯して御礼を言いたいから…。



              氷室と洞窟・了


※前のブルーの記憶装置にあった筈の、テラズ・ナンバー・ファイブの居場所のデータ。
 ジョミーは使わず、自力で見付け出したのです。あの洞窟も、今はチーズが作られていそう。
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