シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
窓と小鳥と
「あれ?」
なあに、と窓を眺めたブルー。二階にある自分の部屋の窓。ハーレイと過ごす休日の午後に。
窓辺に据えた椅子とテーブル、いつも二人でお茶を飲んだりするけれど…。
そのテーブルの上に、急に差した影。いい天気なのに。それから気配。窓の方から。ハーレイも同じ窓へと視線を向けて。
「小鳥だな…」
「うん…」
何やってるの、とキョトンと見上げた。窓は大きくて、小鳥がいるのは頭よりも上の方だから。窓ガラスの向こう、懸命に羽ばたいている小鳥。空を目指して飛ぶのではなくて、窓に向かって。
こちら側から見えているのは、小鳥のお腹。羽ばたく翼に、それから尾羽。
パタパタせわしなく羽ばたく小鳥は、窓ガラスに足をくっつけてみたり、嘴の先でつついたり。まるでガラスにくっついたように、少しも離れようとはしない。窓は開いてはいないのに。
「この部屋に入りたいのかな?」
ぼくたちがお茶を飲んでいるから、と指差したテーブル。母が焼いてくれたケーキが載っているお皿。それを食べたいと思っているとか、気になる何かが部屋にあるとか。
「違うと思うが…。第一、小鳥は見た目でケーキを判断出来んぞ」
欠片を食ったら美味いケーキか、そうじゃないのか。果物だったら分かるんだろうが…。
ついでに部屋の中身の方もだ、家具の区別もつかん筈だぞ。クローゼットも机も纏めて家具で。
小鳥の注意を引かんだろうさ、とハーレイの考えは全く違った。小鳥は興味が無いらしい部屋。
「じゃあ、なんで?」
ケーキは欲しいと思っていなくて、よく見てみたい何かも無くて…。
それなら他所に行けばいいのに、どうして窓にこだわってるわけ?
空はとっても広いのに、と話している間も、一向に飛んでゆかない小鳥。窓ガラスにくっついて飛び続けていて、こちらにお腹を向けたままで。
休むことなく羽ばたく翼。それをやめたら、落っこちて行ってしまうから。
ずいぶん変わった小鳥だよね、と観察してみた小さな身体。鳥には詳しくないけれど。どういう羽根の模様なのかと、木の枝にでも止まっていたならどう見えるのかと。
裏側だけしか見えない小鳥。木の枝や地面にいる時だったら、見えない方の側だけしか。
翼の裏側とお腹だけでは、姿が想像できない小鳥。お腹だけ白い小鳥は多いし、翼だって開いた時と閉じた時とで見え方が違う。何枚もの羽根で出来ているから。
(なんの鳥だろ?)
雀じゃないことは分かるんだけど、と眺めていたら「シジュウカラだな」と教えて貰った。同じ小鳥を観察していた恋人に。
今は一羽で飛んでいるけれど、もう少ししたら群れを作る鳥。そういう季節になったなら。
何羽ものシジュウカラが集まり、賑やかに飛んで回るのだという。枝から枝へと、木から空へと次々に。鳴き交わしながら移動し続け、それは楽しげに見える光景。
「面白いんだぞ、そっくりなのが何羽もいるから。数えてる間に動いちまうし…」
何羽いるのか数えようとすると厄介だ、とハーレイは笑う。バードウォッチングが趣味の人なら上手に数えられても、「俺のような素人じゃ、ちょっと無理だな」と。
柔道で鍛えたハーレイだけれど、対戦相手の動きを見るのと、小鳥を数えるのは別らしい。何羽いるのかと眺めていたって、小鳥たちが賑やかに飛び回るから。
「ハーレイでも数えられないんだったら、ぼくには無理そう…」
アッと言う間に飛び移られちゃって、見落としちゃって…。同じ小鳥を何度も数えちゃうとか。
シジュウカラがそういう小鳥だったら、このガラス、鏡になってるのかな?
こっちに仲間が一羽いるから、仲間がいると思ってるとか…。それで頑張って誘ってる?
群れを作る季節が近づいてるなら、一緒に群れを作ろうよ、って。
せっかく出会えた友達だから、と眺めたガラス。其処に仲間を見付けたのなら、欲しい友達。
「惜しいな、ガラスが鏡って所は合ってるんだが…」
これだけ頑張って飛んでるからには、もう確実に鏡だな。それで間違いない筈だ。
しかし、友達を誘いに飛んでいるってわけじゃない。そっちの方なら、もういないだろう。
誘ってみたって来てくれないな、と諦めて飛んで行っちまって。
鏡の中に見えているのは、窓の向こうにある庭だ。お前の家の庭がそっくり映っている、と。
いい天気だから庭の木なんかも全部映って、庭の続きに見えるんだ。ガラスの向こうが。
前に青い鳥、ダイニングの窓にぶつかってたろ?
お前が留守番していた間に、ゴツンと当たっちまったオオルリ。
俺が来た時は慌ててたっけな、と言われてみれば、そういう事件もあった。母が出掛けて留守の間に、ダイニングの窓にぶつかった小鳥。瑠璃色の羽根を持っていた。白いお腹で。
前の自分が欲しかった「幸せの青い鳥」。それが空から降って来たよ、と思ったオオルリ。暫く経ったらハーレイが来たから、「本当に幸せを運んでくれた」と弾んだ胸。
けれど小鳥はぶつかったショックで動けなかったし、とても心配したりもした。命懸けで幸せを運んだろうかと、其処まで頑張ってくれなくてもいい、と。
幸い、青い小鳥はショックが癒えたら飛び去ったけれど。獣医さんに連れて行かなくても。
あのオオルリはゴツンと窓にぶつかった上に、テラスにコロンと転がっていた。起き上がっても動けないままで、真ん丸に膨れていた身体。ショックで羽根が逆立ったらしくて。
窓の向こうが庭に見えたら、ああなると思う。其処を目指して飛んで行ったらゴツンと衝突。
「でも、ハーレイ…。このシジュウカラは、ぶつかってないよ?」
庭だと思って飛んで来たなら、オオルリみたいにぶつかるんじゃないの…?
やっぱり仲間を誘ってるんじゃあ…、と見上げた小鳥。「一緒に行こう」と説得中だよ、と。
「それは違うと言っただろう。仲間を誘って断られたなら、次の所へ行っちまうぞ」
もっと気の合う仲間がいいしな、「行かない」と返事するヤツよりも。
だからこいつが見てるのは庭で、慌ててはいないということだな。オオルリの時とはまた別だ。
木の枝にでも止まってて見付けたんだろう。「あそこにも庭があるらしい」と。
其処からゆっくり飛んで来たから、ぶつからないだけの余裕があった。どんな具合かと、覗いて中を見られるだけの。
そして今でも、ガラスの向こうに本物があると信じているってトコだろう。本物の庭が。
「ふうん…?」
オオルリの時とおんなじなんだ…。間違えてる所は同じだけれども、ぶつからない小鳥。
窓に映った庭に行きたくて、こうやって飛んでいるって言うの…?
ガラスの中には入れないのに、とハーレイと話している間も、まだ飛んでいる。こちらにお腹を向けた姿で、翼の裏側を見せて懸命に羽ばたきながら。
諦めることを知らない努力家のシジュウカラなのか、それとも部屋に入りたいのか。
ハーレイが言うような「ガラスに映った庭」とは違って、入りたいのは部屋かもしれない。何か気になるものを見付けて、どうしてもそれに近付きたくて。
小鳥はケーキや家具に興味を示さない、とハーレイは言っていたけれど。この部屋に入りたいと思いはしなくて、ガラスに映った庭を求めているらしいけれど。
(そんなの、どうだか分かんないよね?)
ハーレイ自身は小鳥ではないし、シジュウカラの気持ちが分かりはしない。人間同士でも、心の中身を知りたかったら言葉や思念波を使うのだから。相手はどういう気持ちなのかと尋ねてみて。
(人間同士でも分からないのに、小鳥の気持ちは分からないってば)
群れを作るというシジュウカラ。群れがあったら、その群れにいる小鳥の数だけある気持ち。
中には個性が強い小鳥もいるだろう。好奇心旺盛なシジュウカラだって。
(人間の部屋に興味がある鳥、いたっておかしくないと思うな…)
部屋に入りたい小鳥だったら、意地悪しないで入れてやりたい。窓を開けてやって、この部屋の中に御招待。「何が見たいの?」と、「何かやりたいことでもあるの?」と。
家具をつついて遊びたいならそれでもいいし、ケーキを食べてみたいのだったら、幾らでも。食べやすい大きさにフォークで崩して、「はい、どうぞ」と。
そう思ったから、「やっぱり入れてあげたいよ」とテーブルの向かいの恋人に言った。
「本当は部屋に入りたいのかもしれないよ? ハーレイは庭だって言ってるけれど」
シジュウカラにだって、個性は色々あるだろうから…。人間の部屋が気になるのかも…。
家具とか、お皿のケーキだとか、と羽ばたいている小鳥に目をやった。「まだいるものね」と。
せっかく此処まで来てくれたのなら、入れてやりたい。この部屋に入りたいのなら。
「入れてやりたいって…。相手は小鳥で、俺たちが動けばビックリするぞ」
俺はもちろん、お前の方でも小鳥にとってはデカすぎる。窓を開けようと立ち上がったら。
座っている今は大して気にならなくてもな、と言われなくても分かっている。窓を開けるために椅子から立ったら、小鳥は驚いて逃げるだろうと。だから…。
「ハーレイ、サイオンでなんとか出来ない?」
「はあ?」
サイオンって…。俺に小鳥を捕まえろとでも言うつもりか?
でもって部屋に入れてやるのか、とハーレイは見事に勘違いした。小鳥を捕まえたいのかと。
「そうじゃなくって…。サイオンで窓を開けてあげてよ、手を動かさずに」
ぼくと違ってサイオンを上手に使えるんだから。…ほんのちょっぴり、小鳥が驚かないように。
小鳥が通れる分だけ開けて、と頼んだ部屋のガラス窓。今の自分のサイオンはとても不器用で、思念波もろくに紡げないレベル。窓を細めに開けることなど、どう頑張っても出来ないから。
「窓なあ…。開けてやれって言うんだな? ちょいと細めに」
そういうことなら…、とハーレイが上手に開けてくれた窓。サイオンで枠の上を滑らせ、僅かな音も立てないで。小鳥の身体が通れる分だけ、羽ばたきながら中へ入れるように。
(やった…!)
これで入って来られるものね、と小鳥に微笑み掛けたのだけれど。小鳥も驚かせずに済んだし、入って来ると思ったけれど。
小鳥はといえば開いた窓から入りはしないで、ちょっぴり中を見ていただけ。羽ばたきながら。其処からガラスの方へ移って、飛び続けている窓ガラスの側。さっきまでと同じにお腹を見せて。
其処で変わらず飛んでいるから、入りたいわけではないらしい。この部屋の中に。
羽ばたく小鳥が行ってみたいのは、ガラス窓の向こうに映った庭。窓に映った景色の中。
「小鳥、ちっとも入って来ないね…」
覗いただけで、ガラスの方に行っちゃった。開いた所からしか入れないのに…。
「だから言ったろ、行きたいのは庭の方なんだと」
部屋の中じゃないと言った筈だがな、とハーレイも見ている飛び続ける小鳥。窓のすぐ外で。
「そうみたい…。ガラスに映った庭が好きなんだね」
其処に行きたくて飛んでるんだよ、何処か入れる道が無いかな、って。開かないかな、って。
本物の庭は此処に無いのに…。窓に映った偽物なのに…。
頑張って飛んでも駄目なのにね、と努力し続ける小鳥の姿に溜息をついた。いくら頑張っても、開かない道。入れはしないガラスに映った庭。
「脅かしてやれば、大慌てで飛んでいくと思うが?」
本物の庭に向かってな。そいつが小鳥のためだと思うぞ、本物の庭はあっちなんだから。
「それじゃ可哀相…。脅かすだなんて酷すぎるよ」
分かってくれるまで待ってあげようよ、ガラスに映った庭は偽物なんだってことを。
きっといつかは分かるだろうし、と見守りたい気持ち。脅かして此処から去らせるよりも。
「はてさて、どっちが可哀相なんだか…」
飛んでりゃ体力を使っちまうぞ、枝に止まっちゃいないんだから。飲まず食わずで。
さっさと行かせてやった方が、と言うハーレイを止めて、静かに見ているだけにした。ガラスに映った庭を信じて、其処に行こうと飛び続ける鳥を。
それから優に五分以上は羽ばたいて飛んでいた小鳥。時々ハーレイが開けた窓から中を覗いて、またガラス窓の方に戻って。
入れないかと飛んで飛び続けて、ようやっと諦めて庭へと飛んで行ったから…。
「良かった、分かってくれたみたい。これは偽物の庭だったんだ、って」
それとも駄目だと諦めたのかな、いくら飛んでも入れないから。でも、良かった…。
脅かされて逃げるよりかはいいものね、と恋人を軽く睨み付けた。「脅かすのは駄目」と。
「俺が小鳥なら、脅かして貰った方が遥かに有難いがな?」
あいつ、どれだけ飛んでたんだか…。相当に長く此処にいただろ、休みもしないで。
「ハーレイ、脅かして貰う方がいいの?」
納得するまで飛んでいるより、脅かされて逃げて行く方が好き…?
ちょっと意外、と目を丸くした。今のハーレイは柔道の達人なのだし、逃げるなど恥だと思っていそうだから。相手がどんな強敵だろうと、後ろを見せてはならないと。
「おいおい、勘違いしないでくれよ? 逃げるのが好きってわけじゃない」
俺がさっきの小鳥だったら、ということを話しているんだからな。俺のことじゃなくて。
ああやって無駄に飛び続けていれば、腹が減るだろ。食えるものは何も無かったんだから。
そんな所で飛んでいるより、別の所へ行くのがいいんだ。餌も水もあって、休める所へ。
ついでに入ろうと頑張った分だけ、「入れなかった」とガッカリもするし…。
無駄な努力をさせられるよりは、早めに切り上げて新天地に移った方が遥かにいいと思うがな?
ありもしない幻の庭を目指して飛ぶよりもずっと、建設的で希望もある、と。
ん…?
待てよ、とハーレイが眺めた窓。幻の庭を映したガラス。こちら側からは、窓に映っている庭の景色は見えないけれど。どれほど素敵に見えていたのか、それを掴めはしないのだけど。
それを見詰めて、「前の俺たちみたいだな」と呟くと腕組みしたハーレイ。
「今の鳥と何処か似ているな」と。
幻の庭を探し求めて、懸命に飛んでいた小鳥。あのシジュウカラと、前の自分たちが重なると。
「前のお前もだ」と、「あの船にいた仲間たちは皆、そうだったよな」と。
そう聞かされても飲み込めない。いったい何が似ているというのか、あのシジュウカラと。
「似てるって…。前のぼくと、さっきの小鳥とが…?」
何処が似てるの、と問い掛けた。まるで見当が付きはしないし、言葉の意味が謎だから。
「お前もそうだが、前の俺たちだ。船の仲間は皆そうだったと、俺は言ったぞ」
シジュウカラが行きたかったのは庭で、窓ガラスに映っていた幻だ。
あれだけの時間、窓の側でせっせと羽ばたき続けて、なんとか中に入れないかと努力していた。
誰も脅かしてくれやしないし、「これは駄目らしい」と諦めるまで。
さぞかしガッカリしたんだろうなあ、飛んでいく時は。「あんなに努力したのに」と。
でもって、前の俺たちなんだが…。
ずっと長い間、座標さえも分からない地球に憧れて、行こうと努力し続けて…。いつか必ず、と夢を描いて、シャングリラで宇宙の旅を続けて、最後は皆で戦いもした。
やっとの思いでシャングリラは地球まで行ったわけだが、辿り着いた地球はどうだったんだ…?
青く輝く水の星だったか、と問われれば違う。前の自分が焦がれた青い星は無かった。影さえも無くて、死に絶えた星があっただけ。前の自分は、それを見る前に死んだけれども。
「…死の星だったよ、前のハーレイたちが見た地球は…」
今みたいに青い星じゃなくって、砂漠化していて、生き物は何も棲めない星で…。
朽ちた高層ビルとかまでが、片付けられないで残ってたって…。
ユグドラシルがあっただけで、と俯いた。地球再生機構、リボーンが本拠としたユグドラシル。地下にはグランド・マザーもいたのに、その周りさえも浄化されてはいなかった地球。
「そうだろ、それが前の俺たちを待ってた現実だった」
いよいよ地球だ、と皆が期待に溢れて最後のワープをしたのにな。…長距離ワープを。
ワープアウトした先にメギドがあろうが、危うく騙し討ちをされる所だろうが、どうでもいい。あのとんでもない地球に比べりゃ、それくらいは些細なことだったんだ。
もっと早くに真実を教えてくれれば良かった。「青い地球などありはしない」と。
俺たちがガッカリさせられる前に、ゼルたちが涙を流すよりも前に。
知っていれば早くに諦めたんだ、とハーレイが持ち出すさっきの小鳥。ガラス窓に映った素敵な庭は幻なのだ、と教えられれば飛び去った筈。入ろうと懸命に飛び続けないで。
それと同じに前の自分たちも知りたかったと、地球の本当の姿を、と。
何処にも無かった青い星。前の自分が行きたくて焦がれ続けた星。
さっきの小鳥が入りたかったガラスに映った庭と、ありはしなかった青い地球。それが重なる。どちらも幻、辿り着ける日は来ないのだから。
けして報われない努力。どんなに必死に歩み続けても、青い地球には辿り着けなかった。
「…そうなのかも…。前のぼくたち、さっきの小鳥とおんなじかもね…」
辿り着けないのも、最後はガッカリさせられちゃうのも。…努力したのに駄目だった、って。
青い地球は何処にも無かったんだし、もっと早くに知りたかったと思うよね…。本当のことを。
今のハーレイが思うみたいに…、と確かに考えさせられる。その通りかもしれないと。
前の自分が焦がれていたのは、機械が教えた偽りの地球。青く美しい母なる星だと、広い宇宙の何処かに青い地球が存在するのだと。
人類の聖地と呼ばれた地球。座標さえも厳重に隠されたほどに、幾重にも守られ続けた星。
幻だなどと誰が思うだろう。窓ガラスに映った庭と同じで、本当は存在しないだなんて。
(…窓ガラスに映った、幻の地球…)
機械が作り出した幻影、それをフィシスも抱いていた。青い地球が存在するかのように。
それは幻だと気付かないまま、目指した前の自分たち。いつか地球へと、青い星へと。
前の自分は青い水の星に焦がれ続けて、それを見られずに命尽きると悟った時には、どれほどに悲しく思ったことか。自分の命の灯は消えるのだと、地球に着くまでは生きられないと。
いずれ尽きるだろう命。
アルテメシアの雲海の中から出られないまま、地球への旅立ちすらも叶わないまま。
一度でいいから見てみたかった、と何度涙を零しただろう。地球を思って、青い水の星に描いた幾つもの夢を思って。
(でも、本当のことを知ってたら…)
どうだったろう、と前の自分に思いを馳せる。「ソルジャー・ブルー」だった頃へと。
白いシャングリラで生きたミュウたちの長。青の間で暮らした初代のソルジャー。
「いつか地球へ」と皆を導き続けたけれども、その「地球」が青くなかったら。今も死に絶えた姿のままで宇宙にあると知っていたなら、前の自分はどうしたのだろう。
青い地球など、遠い昔に滅びたまま。機械は地球を蘇らせることも出来ないままで、地球の地の底にいるのだという残酷な事実。…本当の地球はどういう姿か、前の自分が知っていたなら。
命ある星に戻ることなく、屍を晒し続ける星。それが地球なら、前の自分が生きていた日々は、もっと長くて辛かったろう。遠く遥かな時の彼方で、現実に生きたものよりも、ずっと。
命が尽きる気配など無い、若かった頃であろうとも。白いシャングリラが出来たばかりで、遥か先まで未来というものがあった頃でも。
たとえ真実を知っていようと、地球には「行くしかない」のだから。死の星だろうが、生き物は何も棲めない世界だろうが。
SD体制の要とも言えたグランド・マザーの居場所は地球。人類の聖地と呼ばれる場所。
其処へ行かねば、ミュウの未来は開けない。グランド・マザーを、SD体制を倒さない限りは、ミュウの未来は手に入らない。ミュウは端から殺されるだけで、生きる権利を得られないまま。
そういう時代を終わらせたいなら、シャングリラは地球へ行かねばならない。
どんな星でも、いつか必ず。…ミュウの未来を手に入れるために。
(同じように地球を目指すなら…)
機械がついた嘘の星でも、青く輝く地球がいい。死に絶えたままで宇宙に転がる星よりは。
その方が目指す甲斐がある。何処よりも素晴らしい星に行くのだと、遠い昔に人が生まれた青い水の星に行かねばと。
いつか着くだろう旅の終点、其処は美しい方がいい。「行きたい」と夢を描ける場所。
それでこそ旅を続けられるし、疲れた時にもまた立ち上がれる。先を急ごうと、また歩こうと。素晴らしい所へ向かう旅だからこそ、出来ること。今よりもいい場所へ行けるのだから。
(旅の終わりが、アルテメシアよりも酷い星なら…)
自ら進んで歩きたい者はいないだろう。それが使命なら、やむを得ず歩くしかないけれど。
前の自分もそうなった筈。「これが自分の務めだから」と、死に絶えた地球を目指しただろう。乗り気ではない仲間を叱咤し、「ミュウの未来を手に入れねば」と。
(青くない地球じゃ、みんな嫌がるし…)
ぼくだって夢を見られやしない、と今の自分でも分かること。前のハーレイと幾つも交わした、「地球に着いたら」という約束。幾つもの夢を描き続けて、青い星に焦がれ続けていた。
メギドで命を捨てる時にも、未練を拭えなかった地球。ミュウの未来を掴むためには、死なねばならぬと分かっていても。元より無かった筈の命で、ジョミーの願いで得た命でも。
「地球を見たかった」と呟いたほどに焦がれた地球。死の星だとは知らなかったから。
きっと自分は、本当に幸せだったのだろう。本物の地球を、最期まで知らずにいたことは。
旅の終わりには死の星しか無いと知っていたなら、長くて辛いだけの人生。地球まで辿り着ける寿命を持っていたって、その先に夢は無いのだから。SD体制を倒すという目標があるだけで。
何も知らずに幾つもの夢を描いた星だったから、いつも未来を夢見ていられた。青い水の星に。
メギドへと飛んだ時さえも。…命の終わりが見えた時にも。
自分は行けずに終わるけれども、皆は行けるだろう青い地球。其処で未来を得られればいいと、青い星でどうか、自分の分まで幸せに、と。
だから…。
「違うよ、ハーレイ。…前のぼくたち、さっきの小鳥で良かったんだよ」
窓の向こうに素敵な庭があるんだから、って頑張り続けていた小鳥。窓の所で羽ばたき続けて。
前のぼくたちは幻の地球を目指したけれども、本当のことを知らなかったけど…。
今は結末を知っているから、「知りたかった」と思うだけ。
前のぼくたちが生きてた時には、それは知らなくて良かったんだよ。小鳥が行こうと頑張ってた庭と同じでね。
幻の地球のままで良かった、とハーレイに言った。本当の姿は知らなくていいと。
「…何故だ?」
前のお前も騙されたんだぞ、機械がついてた嘘八百に。…地球は青いと信じ込んで。
挙句に命まで捨てちまって…、とハーレイは苦しそうな顔。「あんな地球のために」と。
「間違えちゃ駄目。前のぼくがメギドを沈めに出て行ったのは、ミュウの未来を作るためだよ」
みんなに地球まで行って欲しかったのも、そうしなきゃ未来は掴めないから。
SD体制が続く間は、ミュウは殺され続けるんだし…。終わらせたければ地球に行かなきゃ。
そのためにメギドを沈めに行くのが、前のぼくの最後の役目だっただけ。…ソルジャーだから。
でもね…。
前のぼくは最後まで地球を見たくて、見られないのが悲しかったよ。青い地球をね。
せっかくナスカまで生き延びたのに、終わりになってしまうんだから。地球を見られずに。
だけど本当の地球の姿を知っていたなら、そんな風には悲しまなかった。きっと悔しかった。
それこそ「あんな地球のために」って、泣き叫びたい気持ちだったと思う。
だって、ハーレイとお別れなんだよ、死ぬんだから。…みんなを送り出すためだけにね。
それも青くない地球に向かって…、と前の自分の思いを手繰る。
船の仲間たちは青い地球に旅立てるのだ、と信じていたから、迷うことなく捨てられた命。皆が約束の地に着けるのなら、自分はそのために犠牲になろうと。
約束の地は青い地球。死に絶えた地球では、そうは呼べない。
「幻でも、ガラスに映った庭でも、夢は必要だと思う…。それに騙されちゃってても」
夢は信じないと叶いやしないよ、どんな夢でも。手に入れたいと自分が思わなければ。
諦めちゃったら、それでおしまい。其処で掴めなくなっちゃうものでしょ、持っていた夢は。
前のぼくたちが目指してた地球も同じなんだよ。機械に騙されて、青いと思い込んでた地球。
さっきハーレイが言ったみたいに、本当のことを知ってたら…。地球は死の星で、青い星なんか何処にも無くて…。アルテメシアの方がずっと素敵で、人間が住める星なんだよ?
みんなが地球の正体を知って、「あんな星なんか欲しくない」って誰もが思ってしまったら…。
欲しくない星にどうやって行くの、人間が住めるアルテメシアを離れてまで…?
ナスカのことは良く知らないけど、ナスカも同じ。人間が住める立派な星だよ、地球と違って。
今いる場所より酷い地球なんか、誰が喜んで行きたいと思う?
行かなきゃいけないことは分かってても、誰も頑張れないじゃない。…前のぼくもね。
ハーレイはどう?
頑張れたの、と投げ掛けた問い。地球の正体を知っていてなお、変わらず前に進めたのかと。
「俺か…?」
「そう。前のぼくがいなくなった後には、独りぼっちで辛かったのは知ってるけれど…」
辛い中でも、地球は青いと思っていたから、頑張れたっていうことはなかった?
何もかも投げ出したい気分になりはしないで。…地球に行こう、って前を見詰めて。
「それはまあ…。前のお前に頼まれたからには、行くしかないと腹を括っていたが…」
いつかお前に土産話をしてやろうとは思っていたな。青い地球、お前は見られなかったから。
お前に話してやりたかったんだ、とハーレイが口にした前のハーレイの夢。辛い日々の中で青い地球を思っては、其処で見るだろう全てを土産話にすること。逝ってしまった恋人への。
「ほらね、ハーレイも地球には夢を持ってたんでしょ? 青い地球にね」
青い地球を見られる時が来るんだ、って信じていたから見られた夢だよ。その夢だって。
本当のことを知っていたなら、辛いだけ。…前のぼくへの土産話も出来ない死の星なんだもの。
知らないままで良かったんだよ、と今のハーレイに向かって語り掛けた。「本当のことは」と。
「前のぼくたちが目指してた地球は、青い地球でなくちゃ。死の星だった地球じゃなくって」
本物の地球は死に絶えた星でも、知らなかったら青い地球のまま。騙されていたら、青い星。
さっきの小鳥は、ガラスに映った素敵な庭に行きたかったんだけど…。
行けずに何処かへ飛んでったけれど、頑張ってた間は夢を一杯見られたと思う。窓の景色に。
中に入れたらあれをしようとか、あの木に止まってみようとか…。ホントに沢山。
そうでなければ、あんなに頑張っていないと思うよ。さっさと飛んで行ってしまって。
前のぼくたちも、それとおんなじ。地球は青いと思っていたから、みんな前へと進めたんだよ。辛くて苦しい思いをしたって、仲間を戦いで失ったって。
地球の正体は、知らないままでいるのが一番。…最後にガッカリしちゃってもね。
ガッカリするのは一瞬だもの、と浮かべた笑み。早い時期から死の星なのだと知っていたなら、何年苦しむことになるのか。青くない地球、死の星だと知っても行かねばならない運命の星。
其処へ行かねば、戦いは終わらないのだから。ミュウの未来を掴み取るには、SD体制を倒しに地球へ行くしかない。何十年もかかる旅路だろうと、何百年であろうとも。
それほど長く苦しむよりかは、最後の最後に知ってガッカリするのがいい。「これが地球か」と愕然としても、旅の終わりは其処だから。終点まで辿り着いたのだから。
「うーむ…。最後にガッカリするんだったら、一瞬か…」
確かにそうだな、もうその先には旅なんか無い。SD体制とグランド・マザーを倒すだけだし、倒しちまえば地球には用は無いんだから。
それまでに見てきた幾つもの星から、暮らしやすそうな星を選んで地球にオサラバするだけだ。
「あんな星とは思わなかった」と呆れて文句を言いながらな。…「早く帰ろう」と。
もっとも、俺やジョミーたちは帰り損なったんだが…。
お前の所に行こうとしていた俺はともかく、他の連中には気の毒なことになっちまったが…。
それでも若いヤツらやフィシスは、地球とは縁が切れたってな。もう行って来た後だから。
失望しながら旅に出たって、住める星は幾つもあったんだから。
「ね、一瞬で済んだでしょ? ガッカリするの」
みんな未来に向かっていったよ、地球もいつかは良くなるだろうと考えながら。
一番酷い所を見たなら、後は良くなるだけなんだものね。…少しずつでも、いい方へと。
そして本当に青くなったよ、と窓の向こうを指差した。「今の地球はちゃんと青いもの」と。
「前のハーレイたちはガッカリしたけど、本当に少しの間だけ。地球に着いたら酷かったから」
そんな星だと知っていたなら、みんな嫌々進むだけだよ。文句も沢山出てくると思う。
ナスカを離れるかどうかだけでも、あれだけの騒ぎになったんだから…。
死の星の地球に行くとなったら、仲間割れだって起こりそう。シャングリラの他に居場所が無い内は、仕方なく乗っていそうだけれど…。
星を幾つも落とし始めたら、「此処に残る」っていう仲間だって出てくるよ。
地球には行きたい人だけが行って、SD体制を倒せばいい、って言い出す人たち。ソルジャーやキャプテンたちだけが行って、人類と話をすればいいって。
きっとそういうことになってた、と今の自分の意見を話した。地球の正体を誰も知らないままでいたから、真っ直ぐに辿り着けたのだと。…失望も悲しみも一番短い期間で済んだ、と。
「なるほどなあ…。仲間割れまで起こっちまったか、地球の正体が早い段階で分かっていたら」
そうなったろうな、安全な居場所を手に入れた後は離れる仲間も現れただろう。
地球は青いと信じていたから、誰もが地球を見たがった。シャングリラで地球に行くんだと。
死の星だったら見る価値は無いし、安全が確保できるんだったら途中に残りたくもなる。仲間と別れて船を降りても、生きてゆける場所が見付かったなら。
そっちに転がり始めちまったら、キャプテンの俺でも止められやしない。船の仲間の命の安全、それを一番に考えるのがキャプテンだから…。敵地に赴く船に乗せるより、降ろすべきだし。
地球は青いんだ、と性悪な機械に騙されたお蔭で、仲間割れもせず、ガッカリの時間も一番短いコースで済んだというわけか…。今から思えば、そういうことになるってことか。
お前、やっぱり中身はソルジャー・ブルーだな。
「え?」
いきなり何を言い出すの、と真ん丸く見開いてしまった瞳。
前の自分の名前が出てくる理由が、全く分からなかったから。話がまるで繋がらないから。
「いや、お前だなと思ってな…」
前と違ってチビで泣き虫でも、今のお前も、前のお前の考え方は引き継いでいる。
我儘ばかりのチビに見えていても、前のお前が生きた時代を立派に考えられるんだから。
地球の正体を知っていたなら、船の仲間たちがどうなったのか。…地球を目指した旅だってな。
今のお前の話を聞いたら分かった、と「偉いぞ」と撫でて貰えた頭。大きな手で。
「流石は俺のブルーだ」と。「今の俺より、よく分かってる」と。
「…俺は早くに知りたかったと言ったのに…。地球の正体」
それじゃ駄目だと言うのがお前で、どうやらそちらが正しいらしい。…色々なことを考えたら。
正しい答えを直ぐに出せるのは、お前がソルジャー・ブルーだからだ。
弱虫のチビになっちまっても…、とハーレイが褒めてくれるから。
「えっと…。ぼくは、ちょっぴり考えただけだよ?」
前のぼくならどう思うかな、って…。それで思い付いたことを話しただけで…。
凄くはないと思うんだけど、と答えたけれども、「それでもだ」とハーレイは穏やかな笑み。
「きちんと物事を考えられる所は、前のお前のままってことだな。…普段はチビで我儘でも」
小鳥の気持ちも、俺より分かっていたみたいだし…。気が済むまでそっとしておこう、と。
窓に映った庭に行きたいなら、思う存分、頑張ってくれ、と。
「ううん、そっちは間違ってたかも…。頑張りすぎて、お腹、減っちゃったかもしれないし…」
もっと早くに諦めていたら、お腹、減ったりしないでしょ。それに疲れもしないから…。
ハーレイの方が正しかったと思う。ビックリさせられても、次の所へ飛んでって、御飯…。
休憩だって出来るんだものね、本物の庭に行ったなら。木の枝にちゃんと止まったりして。
脅かされた時はビックリしたって、一瞬だから…。追い掛けられて悪戯されるわけでもないし。
一瞬のビックリで後は自由になれるなら、と言ったのだけれど。
さっきまでの地球の話に重ねて、無駄な努力を長い間続けさせておくより、小鳥に自由を与えた方が良かっただろうと考え直したのだけれども。
「いいや、そっちもお前が正しい。俺の方が正しいように見えても」
傍から見たなら、小鳥を窓から自由にするのが優しいように思えるだろう。腹が減るだけだし、翼も疲れてしまうから。…小鳥の目には、ガラスの仕組みは分からないしな。
しかしだ、俺が小鳥だったら、脅かされて何処かへ飛んでゆくより、あそこで頑張る方がいい。
どう頑張っても素敵な世界に入れなくても、やれるだけのことをやった方がな。
開けて貰った窓の中には、綺麗な庭は無さそうだ、と確かめてみたり、行きたいと思ってる庭に向かって羽ばたいてみたり。
疲れちまって、もう駄目だ、と思う所までやりたいよなあ…。俺が鳥なら。
頑張った結果が出なかったとしても、自分が納得できるから、と語るハーレイ。
ガラスに映った庭の世界は幻でも。本物は何処にも無かったとしても、自分が納得するまでは。
「自分の力を全て出し切る、そいつが俺の信条だから…。諦めるのは好きじゃないんだ」
まして諦めさせられたんでは、どうにも納得いかないってな。後でやり直したくなっちまう。
やり直せるようなチャンスがあれば…、というのが今のハーレイ。全力を尽くすのが信条。
「…なんだかスポーツみたいだね」
自分の力を出し切るだなんて、柔道の試合を聞いてるみたい。でなきゃ水泳の方だとか…。
どっちも今のハーレイが続けているスポーツでしょ、プロの選手じゃないけれど。
「もちろんスポーツの話だってな。…今の俺なら」
頑張りもしないで放り出せるか、どんなに厳しい練習だろうが、強い対戦相手だろうが。
強い相手とぶつかりそうだと分かっていたなら、とにかく練習あるのみだ。…今じゃ負けんが。
前の俺だって、似たようなことを考えていた。
お前がいなくなっちまった後で、何が何でも地球に行こうと。…辛い日々だろうが、戦いに次ぐ戦いの中で、キャプテンの仕事が増えてゆこうが。
シャングリラを地球まで運びさえすれば、胸を張ってお前に会いに行けるから。
キャプテンはシドに譲っちまって、「地球を見て来た」と土産話を山ほど抱えて。
そのためにも地球は青くないとな、機械に騙されて思い込まされた結果でも。青い星でないと。
どうせ行っても死の星なのに、と重たい足を引きずりながらの旅じゃ、其処まで誇れやしない。
全力を尽くしたとは言い難いからな、真っ直ぐに前を見られないなら。
「…そういうものなの?」
重たい足を引きずっていたら、地球までの旅は全力だとは言えないの?
おんなじように頑張っていても、戦って勝ち取った長い道でも…?
努力の結果に見えるけれど、と首を傾げたけれども、ハーレイにとっては違うらしい。前だけを見据えて進む旅路と、仕方なく歩んでゆく旅路とは。
「チビのお前には分からないかもしれないが…。それにスポーツもやってないしな」
だがな、そういうものなんだ。
自分の力を出し切りたいなら、心に迷いがあっては駄目だ。それじゃ力を出せやしない。
まずは自分の力を信じる、「必ず結果が出せる筈だ」と。そのためには結果も信じないとな…?
勝てると思った試合は勝てる、というのがハーレイの心構えで、生徒たちにもそう教える。心に迷いを持っては駄目だと、「まずは自分を信じろ」と。それに試合に勝つ自分をも。
「結果に自信が持てない試合は、勝てたって何処か拙いんだ。もっと鮮やかに出来たろう、と」
早くに技をかけてやるとか、水泳だったら何処でスピードを上げるべきかという計算。
結果という名の目標が無けりゃ、上手くはいかないものなんだ。…前の俺たちの旅も同じだな。
青い地球への旅だったからこそ戦えた、とハーレイが言うものだから。
「それなら、地球はガラスに映った庭と同じで良かったんだね」
本物は何処にも無かったけれども、みんなが青いと信じてたから…。前のぼくも、ハーレイも、船のみんなも。
青い地球まで行かなくちゃ、と思っていたから一つになれた。地球の正体、知らなかったから。
ハーレイはさっき、「知っておきたかった」って言っていたけれど…。
「俺も今ならそう思う。ソルジャー・ブルーの意見を聞いちまったらな」
チビでも立派にソルジャー・ブルーだ、と向けられる笑顔。「俺のブルーだ」と。
「…ありがとう。チビは余計だけど、前のぼくと同じっていうのは凄く嬉しいから」
あの小鳥、また挑戦するかな?
来てくれたお蔭で、ぼくの評価が少し上がったみたいだから…。来てくれたら御礼。
「此処では二度とやらないだろうが…。入れないってことは分かったようだしな」
とはいえ、お前が追い払わなかったから、また他所で努力するんだろう。入ってみようと。
窓ガラスに庭が映っていたら、とハーレイが言うから心配になった小鳥の行方。また窓ガラスに挑戦したなら、飲まず食わずで羽ばたき続けることになるから。
「他所でって…。そんなの、ホントにお腹、減っちゃう…」
窓を見る度に挑戦してたら、御飯も食べずに飛んでいるだけ…。大変じゃない!
「それでも夢はたっぷり見られる。この景色の中を飛んでみたい、と」
誰かが邪魔しに出て来なければ、好きなだけ夢を見ていられるんだ。窓の所で羽ばたきながら。
お前はどっちがいいと思うんだ、此処は駄目だ、とガッカリするのか、夢がたっぷりか。
青い地球があると信じて進み続けるのと、そんな星は無いと知ってガッカリするのと。
「夢に決まっているじゃない!」
何度も言ったよ、青い地球だから頑張れた、って。夢も沢山見られたんだから…!
夢はたっぷり無いと駄目だよ、と繰り返した。幻にすぎない青い地球でも。さっきの小鳥が夢を見ていた、ガラス窓に映った庭の景色でも。
「なら、夢があれば充分じゃないか。あの鳥にしても」
夢だけで腹は膨れやしないが、心は幸せで一杯になる。夢を山ほど抱えていれば。
そうすりゃひもじくないからなあ…。前のお前にも覚えがあるだろ、そういうのは。
腹は減ってても、夢がありさえすれば…、と訊かれたら思い出したこと。燃えるアルタミラから脱出した後、初めて食べた船での食事。
「そうだっけ…。まだシャングリラって名前も無かった船だったけれど…」
あの船で初めて食べた非常食、とっても美味しかったから…。
ふんわり膨らんでくれるパンとか、温かくなる料理とか。お腹が減ってたせいもあるけど、船のみんながいてくれたから…。自由なんだ、って思えたから。
幸せが一杯溢れてたんだね、あの時のぼくの心の中には。
もちろんハーレイも一緒だったし…、と思うあの日の自分の夢。何も無かったようにも思うし、山のようにあったような気もする。まだ見えもしない未来に向かって。
夢は大切なものなのだろう。あの日の自分がソルジャーになって、地球を目指した。青い地球が何処かにあると信じて、ミュウの未来を掴み取るために。
前に進むには、無くてはならないものが夢。
さっきの小鳥が行きたいと願った、窓のガラスに映っている庭の景色でも。
前の自分たちが機械に騙され、焦がれ続けた幻の地球でも。
「ねえ、ハーレイ…。今は青い地球、幻じゃないね」
本当に本物の青い地球だし、ぼくもハーレイも地球にいるよね…?
「正真正銘、本物だってな。前のお前の夢が何もかも叶う地球だぞ、俺と約束していたヤツが」
新しい夢も一杯だろうが、今の俺と幾つも約束したしな…?
それにきちんと腹が膨れる夢もあるぞ、とハーレイが挙げてくれた夢。今のハーレイとの約束。
食べ物の夢も沢山あるから、ハーレイと幸せに歩いてゆこう。青い地球の上で生きてゆく道を。
ガラスに映った庭だった地球は、本物の地球になったから。
死の星だった地球は青く蘇って、今の自分たちを温かく迎えてくれたから。
だからハーレイと手を繋ぎ合って歩いてゆく。いつまでも何処までも、この地球の上を…。
窓と小鳥と・了
※地球は青いと信じて進み続けた、前のブルーたち。青い地球は、存在しなかったのに。
けれども、それで良かったのです。青い地球への憧れが無ければ、辛くて長い旅路だった筈。
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なあに、と窓を眺めたブルー。二階にある自分の部屋の窓。ハーレイと過ごす休日の午後に。
窓辺に据えた椅子とテーブル、いつも二人でお茶を飲んだりするけれど…。
そのテーブルの上に、急に差した影。いい天気なのに。それから気配。窓の方から。ハーレイも同じ窓へと視線を向けて。
「小鳥だな…」
「うん…」
何やってるの、とキョトンと見上げた。窓は大きくて、小鳥がいるのは頭よりも上の方だから。窓ガラスの向こう、懸命に羽ばたいている小鳥。空を目指して飛ぶのではなくて、窓に向かって。
こちら側から見えているのは、小鳥のお腹。羽ばたく翼に、それから尾羽。
パタパタせわしなく羽ばたく小鳥は、窓ガラスに足をくっつけてみたり、嘴の先でつついたり。まるでガラスにくっついたように、少しも離れようとはしない。窓は開いてはいないのに。
「この部屋に入りたいのかな?」
ぼくたちがお茶を飲んでいるから、と指差したテーブル。母が焼いてくれたケーキが載っているお皿。それを食べたいと思っているとか、気になる何かが部屋にあるとか。
「違うと思うが…。第一、小鳥は見た目でケーキを判断出来んぞ」
欠片を食ったら美味いケーキか、そうじゃないのか。果物だったら分かるんだろうが…。
ついでに部屋の中身の方もだ、家具の区別もつかん筈だぞ。クローゼットも机も纏めて家具で。
小鳥の注意を引かんだろうさ、とハーレイの考えは全く違った。小鳥は興味が無いらしい部屋。
「じゃあ、なんで?」
ケーキは欲しいと思っていなくて、よく見てみたい何かも無くて…。
それなら他所に行けばいいのに、どうして窓にこだわってるわけ?
空はとっても広いのに、と話している間も、一向に飛んでゆかない小鳥。窓ガラスにくっついて飛び続けていて、こちらにお腹を向けたままで。
休むことなく羽ばたく翼。それをやめたら、落っこちて行ってしまうから。
ずいぶん変わった小鳥だよね、と観察してみた小さな身体。鳥には詳しくないけれど。どういう羽根の模様なのかと、木の枝にでも止まっていたならどう見えるのかと。
裏側だけしか見えない小鳥。木の枝や地面にいる時だったら、見えない方の側だけしか。
翼の裏側とお腹だけでは、姿が想像できない小鳥。お腹だけ白い小鳥は多いし、翼だって開いた時と閉じた時とで見え方が違う。何枚もの羽根で出来ているから。
(なんの鳥だろ?)
雀じゃないことは分かるんだけど、と眺めていたら「シジュウカラだな」と教えて貰った。同じ小鳥を観察していた恋人に。
今は一羽で飛んでいるけれど、もう少ししたら群れを作る鳥。そういう季節になったなら。
何羽ものシジュウカラが集まり、賑やかに飛んで回るのだという。枝から枝へと、木から空へと次々に。鳴き交わしながら移動し続け、それは楽しげに見える光景。
「面白いんだぞ、そっくりなのが何羽もいるから。数えてる間に動いちまうし…」
何羽いるのか数えようとすると厄介だ、とハーレイは笑う。バードウォッチングが趣味の人なら上手に数えられても、「俺のような素人じゃ、ちょっと無理だな」と。
柔道で鍛えたハーレイだけれど、対戦相手の動きを見るのと、小鳥を数えるのは別らしい。何羽いるのかと眺めていたって、小鳥たちが賑やかに飛び回るから。
「ハーレイでも数えられないんだったら、ぼくには無理そう…」
アッと言う間に飛び移られちゃって、見落としちゃって…。同じ小鳥を何度も数えちゃうとか。
シジュウカラがそういう小鳥だったら、このガラス、鏡になってるのかな?
こっちに仲間が一羽いるから、仲間がいると思ってるとか…。それで頑張って誘ってる?
群れを作る季節が近づいてるなら、一緒に群れを作ろうよ、って。
せっかく出会えた友達だから、と眺めたガラス。其処に仲間を見付けたのなら、欲しい友達。
「惜しいな、ガラスが鏡って所は合ってるんだが…」
これだけ頑張って飛んでるからには、もう確実に鏡だな。それで間違いない筈だ。
しかし、友達を誘いに飛んでいるってわけじゃない。そっちの方なら、もういないだろう。
誘ってみたって来てくれないな、と諦めて飛んで行っちまって。
鏡の中に見えているのは、窓の向こうにある庭だ。お前の家の庭がそっくり映っている、と。
いい天気だから庭の木なんかも全部映って、庭の続きに見えるんだ。ガラスの向こうが。
前に青い鳥、ダイニングの窓にぶつかってたろ?
お前が留守番していた間に、ゴツンと当たっちまったオオルリ。
俺が来た時は慌ててたっけな、と言われてみれば、そういう事件もあった。母が出掛けて留守の間に、ダイニングの窓にぶつかった小鳥。瑠璃色の羽根を持っていた。白いお腹で。
前の自分が欲しかった「幸せの青い鳥」。それが空から降って来たよ、と思ったオオルリ。暫く経ったらハーレイが来たから、「本当に幸せを運んでくれた」と弾んだ胸。
けれど小鳥はぶつかったショックで動けなかったし、とても心配したりもした。命懸けで幸せを運んだろうかと、其処まで頑張ってくれなくてもいい、と。
幸い、青い小鳥はショックが癒えたら飛び去ったけれど。獣医さんに連れて行かなくても。
あのオオルリはゴツンと窓にぶつかった上に、テラスにコロンと転がっていた。起き上がっても動けないままで、真ん丸に膨れていた身体。ショックで羽根が逆立ったらしくて。
窓の向こうが庭に見えたら、ああなると思う。其処を目指して飛んで行ったらゴツンと衝突。
「でも、ハーレイ…。このシジュウカラは、ぶつかってないよ?」
庭だと思って飛んで来たなら、オオルリみたいにぶつかるんじゃないの…?
やっぱり仲間を誘ってるんじゃあ…、と見上げた小鳥。「一緒に行こう」と説得中だよ、と。
「それは違うと言っただろう。仲間を誘って断られたなら、次の所へ行っちまうぞ」
もっと気の合う仲間がいいしな、「行かない」と返事するヤツよりも。
だからこいつが見てるのは庭で、慌ててはいないということだな。オオルリの時とはまた別だ。
木の枝にでも止まってて見付けたんだろう。「あそこにも庭があるらしい」と。
其処からゆっくり飛んで来たから、ぶつからないだけの余裕があった。どんな具合かと、覗いて中を見られるだけの。
そして今でも、ガラスの向こうに本物があると信じているってトコだろう。本物の庭が。
「ふうん…?」
オオルリの時とおんなじなんだ…。間違えてる所は同じだけれども、ぶつからない小鳥。
窓に映った庭に行きたくて、こうやって飛んでいるって言うの…?
ガラスの中には入れないのに、とハーレイと話している間も、まだ飛んでいる。こちらにお腹を向けた姿で、翼の裏側を見せて懸命に羽ばたきながら。
諦めることを知らない努力家のシジュウカラなのか、それとも部屋に入りたいのか。
ハーレイが言うような「ガラスに映った庭」とは違って、入りたいのは部屋かもしれない。何か気になるものを見付けて、どうしてもそれに近付きたくて。
小鳥はケーキや家具に興味を示さない、とハーレイは言っていたけれど。この部屋に入りたいと思いはしなくて、ガラスに映った庭を求めているらしいけれど。
(そんなの、どうだか分かんないよね?)
ハーレイ自身は小鳥ではないし、シジュウカラの気持ちが分かりはしない。人間同士でも、心の中身を知りたかったら言葉や思念波を使うのだから。相手はどういう気持ちなのかと尋ねてみて。
(人間同士でも分からないのに、小鳥の気持ちは分からないってば)
群れを作るというシジュウカラ。群れがあったら、その群れにいる小鳥の数だけある気持ち。
中には個性が強い小鳥もいるだろう。好奇心旺盛なシジュウカラだって。
(人間の部屋に興味がある鳥、いたっておかしくないと思うな…)
部屋に入りたい小鳥だったら、意地悪しないで入れてやりたい。窓を開けてやって、この部屋の中に御招待。「何が見たいの?」と、「何かやりたいことでもあるの?」と。
家具をつついて遊びたいならそれでもいいし、ケーキを食べてみたいのだったら、幾らでも。食べやすい大きさにフォークで崩して、「はい、どうぞ」と。
そう思ったから、「やっぱり入れてあげたいよ」とテーブルの向かいの恋人に言った。
「本当は部屋に入りたいのかもしれないよ? ハーレイは庭だって言ってるけれど」
シジュウカラにだって、個性は色々あるだろうから…。人間の部屋が気になるのかも…。
家具とか、お皿のケーキだとか、と羽ばたいている小鳥に目をやった。「まだいるものね」と。
せっかく此処まで来てくれたのなら、入れてやりたい。この部屋に入りたいのなら。
「入れてやりたいって…。相手は小鳥で、俺たちが動けばビックリするぞ」
俺はもちろん、お前の方でも小鳥にとってはデカすぎる。窓を開けようと立ち上がったら。
座っている今は大して気にならなくてもな、と言われなくても分かっている。窓を開けるために椅子から立ったら、小鳥は驚いて逃げるだろうと。だから…。
「ハーレイ、サイオンでなんとか出来ない?」
「はあ?」
サイオンって…。俺に小鳥を捕まえろとでも言うつもりか?
でもって部屋に入れてやるのか、とハーレイは見事に勘違いした。小鳥を捕まえたいのかと。
「そうじゃなくって…。サイオンで窓を開けてあげてよ、手を動かさずに」
ぼくと違ってサイオンを上手に使えるんだから。…ほんのちょっぴり、小鳥が驚かないように。
小鳥が通れる分だけ開けて、と頼んだ部屋のガラス窓。今の自分のサイオンはとても不器用で、思念波もろくに紡げないレベル。窓を細めに開けることなど、どう頑張っても出来ないから。
「窓なあ…。開けてやれって言うんだな? ちょいと細めに」
そういうことなら…、とハーレイが上手に開けてくれた窓。サイオンで枠の上を滑らせ、僅かな音も立てないで。小鳥の身体が通れる分だけ、羽ばたきながら中へ入れるように。
(やった…!)
これで入って来られるものね、と小鳥に微笑み掛けたのだけれど。小鳥も驚かせずに済んだし、入って来ると思ったけれど。
小鳥はといえば開いた窓から入りはしないで、ちょっぴり中を見ていただけ。羽ばたきながら。其処からガラスの方へ移って、飛び続けている窓ガラスの側。さっきまでと同じにお腹を見せて。
其処で変わらず飛んでいるから、入りたいわけではないらしい。この部屋の中に。
羽ばたく小鳥が行ってみたいのは、ガラス窓の向こうに映った庭。窓に映った景色の中。
「小鳥、ちっとも入って来ないね…」
覗いただけで、ガラスの方に行っちゃった。開いた所からしか入れないのに…。
「だから言ったろ、行きたいのは庭の方なんだと」
部屋の中じゃないと言った筈だがな、とハーレイも見ている飛び続ける小鳥。窓のすぐ外で。
「そうみたい…。ガラスに映った庭が好きなんだね」
其処に行きたくて飛んでるんだよ、何処か入れる道が無いかな、って。開かないかな、って。
本物の庭は此処に無いのに…。窓に映った偽物なのに…。
頑張って飛んでも駄目なのにね、と努力し続ける小鳥の姿に溜息をついた。いくら頑張っても、開かない道。入れはしないガラスに映った庭。
「脅かしてやれば、大慌てで飛んでいくと思うが?」
本物の庭に向かってな。そいつが小鳥のためだと思うぞ、本物の庭はあっちなんだから。
「それじゃ可哀相…。脅かすだなんて酷すぎるよ」
分かってくれるまで待ってあげようよ、ガラスに映った庭は偽物なんだってことを。
きっといつかは分かるだろうし、と見守りたい気持ち。脅かして此処から去らせるよりも。
「はてさて、どっちが可哀相なんだか…」
飛んでりゃ体力を使っちまうぞ、枝に止まっちゃいないんだから。飲まず食わずで。
さっさと行かせてやった方が、と言うハーレイを止めて、静かに見ているだけにした。ガラスに映った庭を信じて、其処に行こうと飛び続ける鳥を。
それから優に五分以上は羽ばたいて飛んでいた小鳥。時々ハーレイが開けた窓から中を覗いて、またガラス窓の方に戻って。
入れないかと飛んで飛び続けて、ようやっと諦めて庭へと飛んで行ったから…。
「良かった、分かってくれたみたい。これは偽物の庭だったんだ、って」
それとも駄目だと諦めたのかな、いくら飛んでも入れないから。でも、良かった…。
脅かされて逃げるよりかはいいものね、と恋人を軽く睨み付けた。「脅かすのは駄目」と。
「俺が小鳥なら、脅かして貰った方が遥かに有難いがな?」
あいつ、どれだけ飛んでたんだか…。相当に長く此処にいただろ、休みもしないで。
「ハーレイ、脅かして貰う方がいいの?」
納得するまで飛んでいるより、脅かされて逃げて行く方が好き…?
ちょっと意外、と目を丸くした。今のハーレイは柔道の達人なのだし、逃げるなど恥だと思っていそうだから。相手がどんな強敵だろうと、後ろを見せてはならないと。
「おいおい、勘違いしないでくれよ? 逃げるのが好きってわけじゃない」
俺がさっきの小鳥だったら、ということを話しているんだからな。俺のことじゃなくて。
ああやって無駄に飛び続けていれば、腹が減るだろ。食えるものは何も無かったんだから。
そんな所で飛んでいるより、別の所へ行くのがいいんだ。餌も水もあって、休める所へ。
ついでに入ろうと頑張った分だけ、「入れなかった」とガッカリもするし…。
無駄な努力をさせられるよりは、早めに切り上げて新天地に移った方が遥かにいいと思うがな?
ありもしない幻の庭を目指して飛ぶよりもずっと、建設的で希望もある、と。
ん…?
待てよ、とハーレイが眺めた窓。幻の庭を映したガラス。こちら側からは、窓に映っている庭の景色は見えないけれど。どれほど素敵に見えていたのか、それを掴めはしないのだけど。
それを見詰めて、「前の俺たちみたいだな」と呟くと腕組みしたハーレイ。
「今の鳥と何処か似ているな」と。
幻の庭を探し求めて、懸命に飛んでいた小鳥。あのシジュウカラと、前の自分たちが重なると。
「前のお前もだ」と、「あの船にいた仲間たちは皆、そうだったよな」と。
そう聞かされても飲み込めない。いったい何が似ているというのか、あのシジュウカラと。
「似てるって…。前のぼくと、さっきの小鳥とが…?」
何処が似てるの、と問い掛けた。まるで見当が付きはしないし、言葉の意味が謎だから。
「お前もそうだが、前の俺たちだ。船の仲間は皆そうだったと、俺は言ったぞ」
シジュウカラが行きたかったのは庭で、窓ガラスに映っていた幻だ。
あれだけの時間、窓の側でせっせと羽ばたき続けて、なんとか中に入れないかと努力していた。
誰も脅かしてくれやしないし、「これは駄目らしい」と諦めるまで。
さぞかしガッカリしたんだろうなあ、飛んでいく時は。「あんなに努力したのに」と。
でもって、前の俺たちなんだが…。
ずっと長い間、座標さえも分からない地球に憧れて、行こうと努力し続けて…。いつか必ず、と夢を描いて、シャングリラで宇宙の旅を続けて、最後は皆で戦いもした。
やっとの思いでシャングリラは地球まで行ったわけだが、辿り着いた地球はどうだったんだ…?
青く輝く水の星だったか、と問われれば違う。前の自分が焦がれた青い星は無かった。影さえも無くて、死に絶えた星があっただけ。前の自分は、それを見る前に死んだけれども。
「…死の星だったよ、前のハーレイたちが見た地球は…」
今みたいに青い星じゃなくって、砂漠化していて、生き物は何も棲めない星で…。
朽ちた高層ビルとかまでが、片付けられないで残ってたって…。
ユグドラシルがあっただけで、と俯いた。地球再生機構、リボーンが本拠としたユグドラシル。地下にはグランド・マザーもいたのに、その周りさえも浄化されてはいなかった地球。
「そうだろ、それが前の俺たちを待ってた現実だった」
いよいよ地球だ、と皆が期待に溢れて最後のワープをしたのにな。…長距離ワープを。
ワープアウトした先にメギドがあろうが、危うく騙し討ちをされる所だろうが、どうでもいい。あのとんでもない地球に比べりゃ、それくらいは些細なことだったんだ。
もっと早くに真実を教えてくれれば良かった。「青い地球などありはしない」と。
俺たちがガッカリさせられる前に、ゼルたちが涙を流すよりも前に。
知っていれば早くに諦めたんだ、とハーレイが持ち出すさっきの小鳥。ガラス窓に映った素敵な庭は幻なのだ、と教えられれば飛び去った筈。入ろうと懸命に飛び続けないで。
それと同じに前の自分たちも知りたかったと、地球の本当の姿を、と。
何処にも無かった青い星。前の自分が行きたくて焦がれ続けた星。
さっきの小鳥が入りたかったガラスに映った庭と、ありはしなかった青い地球。それが重なる。どちらも幻、辿り着ける日は来ないのだから。
けして報われない努力。どんなに必死に歩み続けても、青い地球には辿り着けなかった。
「…そうなのかも…。前のぼくたち、さっきの小鳥とおんなじかもね…」
辿り着けないのも、最後はガッカリさせられちゃうのも。…努力したのに駄目だった、って。
青い地球は何処にも無かったんだし、もっと早くに知りたかったと思うよね…。本当のことを。
今のハーレイが思うみたいに…、と確かに考えさせられる。その通りかもしれないと。
前の自分が焦がれていたのは、機械が教えた偽りの地球。青く美しい母なる星だと、広い宇宙の何処かに青い地球が存在するのだと。
人類の聖地と呼ばれた地球。座標さえも厳重に隠されたほどに、幾重にも守られ続けた星。
幻だなどと誰が思うだろう。窓ガラスに映った庭と同じで、本当は存在しないだなんて。
(…窓ガラスに映った、幻の地球…)
機械が作り出した幻影、それをフィシスも抱いていた。青い地球が存在するかのように。
それは幻だと気付かないまま、目指した前の自分たち。いつか地球へと、青い星へと。
前の自分は青い水の星に焦がれ続けて、それを見られずに命尽きると悟った時には、どれほどに悲しく思ったことか。自分の命の灯は消えるのだと、地球に着くまでは生きられないと。
いずれ尽きるだろう命。
アルテメシアの雲海の中から出られないまま、地球への旅立ちすらも叶わないまま。
一度でいいから見てみたかった、と何度涙を零しただろう。地球を思って、青い水の星に描いた幾つもの夢を思って。
(でも、本当のことを知ってたら…)
どうだったろう、と前の自分に思いを馳せる。「ソルジャー・ブルー」だった頃へと。
白いシャングリラで生きたミュウたちの長。青の間で暮らした初代のソルジャー。
「いつか地球へ」と皆を導き続けたけれども、その「地球」が青くなかったら。今も死に絶えた姿のままで宇宙にあると知っていたなら、前の自分はどうしたのだろう。
青い地球など、遠い昔に滅びたまま。機械は地球を蘇らせることも出来ないままで、地球の地の底にいるのだという残酷な事実。…本当の地球はどういう姿か、前の自分が知っていたなら。
命ある星に戻ることなく、屍を晒し続ける星。それが地球なら、前の自分が生きていた日々は、もっと長くて辛かったろう。遠く遥かな時の彼方で、現実に生きたものよりも、ずっと。
命が尽きる気配など無い、若かった頃であろうとも。白いシャングリラが出来たばかりで、遥か先まで未来というものがあった頃でも。
たとえ真実を知っていようと、地球には「行くしかない」のだから。死の星だろうが、生き物は何も棲めない世界だろうが。
SD体制の要とも言えたグランド・マザーの居場所は地球。人類の聖地と呼ばれる場所。
其処へ行かねば、ミュウの未来は開けない。グランド・マザーを、SD体制を倒さない限りは、ミュウの未来は手に入らない。ミュウは端から殺されるだけで、生きる権利を得られないまま。
そういう時代を終わらせたいなら、シャングリラは地球へ行かねばならない。
どんな星でも、いつか必ず。…ミュウの未来を手に入れるために。
(同じように地球を目指すなら…)
機械がついた嘘の星でも、青く輝く地球がいい。死に絶えたままで宇宙に転がる星よりは。
その方が目指す甲斐がある。何処よりも素晴らしい星に行くのだと、遠い昔に人が生まれた青い水の星に行かねばと。
いつか着くだろう旅の終点、其処は美しい方がいい。「行きたい」と夢を描ける場所。
それでこそ旅を続けられるし、疲れた時にもまた立ち上がれる。先を急ごうと、また歩こうと。素晴らしい所へ向かう旅だからこそ、出来ること。今よりもいい場所へ行けるのだから。
(旅の終わりが、アルテメシアよりも酷い星なら…)
自ら進んで歩きたい者はいないだろう。それが使命なら、やむを得ず歩くしかないけれど。
前の自分もそうなった筈。「これが自分の務めだから」と、死に絶えた地球を目指しただろう。乗り気ではない仲間を叱咤し、「ミュウの未来を手に入れねば」と。
(青くない地球じゃ、みんな嫌がるし…)
ぼくだって夢を見られやしない、と今の自分でも分かること。前のハーレイと幾つも交わした、「地球に着いたら」という約束。幾つもの夢を描き続けて、青い星に焦がれ続けていた。
メギドで命を捨てる時にも、未練を拭えなかった地球。ミュウの未来を掴むためには、死なねばならぬと分かっていても。元より無かった筈の命で、ジョミーの願いで得た命でも。
「地球を見たかった」と呟いたほどに焦がれた地球。死の星だとは知らなかったから。
きっと自分は、本当に幸せだったのだろう。本物の地球を、最期まで知らずにいたことは。
旅の終わりには死の星しか無いと知っていたなら、長くて辛いだけの人生。地球まで辿り着ける寿命を持っていたって、その先に夢は無いのだから。SD体制を倒すという目標があるだけで。
何も知らずに幾つもの夢を描いた星だったから、いつも未来を夢見ていられた。青い水の星に。
メギドへと飛んだ時さえも。…命の終わりが見えた時にも。
自分は行けずに終わるけれども、皆は行けるだろう青い地球。其処で未来を得られればいいと、青い星でどうか、自分の分まで幸せに、と。
だから…。
「違うよ、ハーレイ。…前のぼくたち、さっきの小鳥で良かったんだよ」
窓の向こうに素敵な庭があるんだから、って頑張り続けていた小鳥。窓の所で羽ばたき続けて。
前のぼくたちは幻の地球を目指したけれども、本当のことを知らなかったけど…。
今は結末を知っているから、「知りたかった」と思うだけ。
前のぼくたちが生きてた時には、それは知らなくて良かったんだよ。小鳥が行こうと頑張ってた庭と同じでね。
幻の地球のままで良かった、とハーレイに言った。本当の姿は知らなくていいと。
「…何故だ?」
前のお前も騙されたんだぞ、機械がついてた嘘八百に。…地球は青いと信じ込んで。
挙句に命まで捨てちまって…、とハーレイは苦しそうな顔。「あんな地球のために」と。
「間違えちゃ駄目。前のぼくがメギドを沈めに出て行ったのは、ミュウの未来を作るためだよ」
みんなに地球まで行って欲しかったのも、そうしなきゃ未来は掴めないから。
SD体制が続く間は、ミュウは殺され続けるんだし…。終わらせたければ地球に行かなきゃ。
そのためにメギドを沈めに行くのが、前のぼくの最後の役目だっただけ。…ソルジャーだから。
でもね…。
前のぼくは最後まで地球を見たくて、見られないのが悲しかったよ。青い地球をね。
せっかくナスカまで生き延びたのに、終わりになってしまうんだから。地球を見られずに。
だけど本当の地球の姿を知っていたなら、そんな風には悲しまなかった。きっと悔しかった。
それこそ「あんな地球のために」って、泣き叫びたい気持ちだったと思う。
だって、ハーレイとお別れなんだよ、死ぬんだから。…みんなを送り出すためだけにね。
それも青くない地球に向かって…、と前の自分の思いを手繰る。
船の仲間たちは青い地球に旅立てるのだ、と信じていたから、迷うことなく捨てられた命。皆が約束の地に着けるのなら、自分はそのために犠牲になろうと。
約束の地は青い地球。死に絶えた地球では、そうは呼べない。
「幻でも、ガラスに映った庭でも、夢は必要だと思う…。それに騙されちゃってても」
夢は信じないと叶いやしないよ、どんな夢でも。手に入れたいと自分が思わなければ。
諦めちゃったら、それでおしまい。其処で掴めなくなっちゃうものでしょ、持っていた夢は。
前のぼくたちが目指してた地球も同じなんだよ。機械に騙されて、青いと思い込んでた地球。
さっきハーレイが言ったみたいに、本当のことを知ってたら…。地球は死の星で、青い星なんか何処にも無くて…。アルテメシアの方がずっと素敵で、人間が住める星なんだよ?
みんなが地球の正体を知って、「あんな星なんか欲しくない」って誰もが思ってしまったら…。
欲しくない星にどうやって行くの、人間が住めるアルテメシアを離れてまで…?
ナスカのことは良く知らないけど、ナスカも同じ。人間が住める立派な星だよ、地球と違って。
今いる場所より酷い地球なんか、誰が喜んで行きたいと思う?
行かなきゃいけないことは分かってても、誰も頑張れないじゃない。…前のぼくもね。
ハーレイはどう?
頑張れたの、と投げ掛けた問い。地球の正体を知っていてなお、変わらず前に進めたのかと。
「俺か…?」
「そう。前のぼくがいなくなった後には、独りぼっちで辛かったのは知ってるけれど…」
辛い中でも、地球は青いと思っていたから、頑張れたっていうことはなかった?
何もかも投げ出したい気分になりはしないで。…地球に行こう、って前を見詰めて。
「それはまあ…。前のお前に頼まれたからには、行くしかないと腹を括っていたが…」
いつかお前に土産話をしてやろうとは思っていたな。青い地球、お前は見られなかったから。
お前に話してやりたかったんだ、とハーレイが口にした前のハーレイの夢。辛い日々の中で青い地球を思っては、其処で見るだろう全てを土産話にすること。逝ってしまった恋人への。
「ほらね、ハーレイも地球には夢を持ってたんでしょ? 青い地球にね」
青い地球を見られる時が来るんだ、って信じていたから見られた夢だよ。その夢だって。
本当のことを知っていたなら、辛いだけ。…前のぼくへの土産話も出来ない死の星なんだもの。
知らないままで良かったんだよ、と今のハーレイに向かって語り掛けた。「本当のことは」と。
「前のぼくたちが目指してた地球は、青い地球でなくちゃ。死の星だった地球じゃなくって」
本物の地球は死に絶えた星でも、知らなかったら青い地球のまま。騙されていたら、青い星。
さっきの小鳥は、ガラスに映った素敵な庭に行きたかったんだけど…。
行けずに何処かへ飛んでったけれど、頑張ってた間は夢を一杯見られたと思う。窓の景色に。
中に入れたらあれをしようとか、あの木に止まってみようとか…。ホントに沢山。
そうでなければ、あんなに頑張っていないと思うよ。さっさと飛んで行ってしまって。
前のぼくたちも、それとおんなじ。地球は青いと思っていたから、みんな前へと進めたんだよ。辛くて苦しい思いをしたって、仲間を戦いで失ったって。
地球の正体は、知らないままでいるのが一番。…最後にガッカリしちゃってもね。
ガッカリするのは一瞬だもの、と浮かべた笑み。早い時期から死の星なのだと知っていたなら、何年苦しむことになるのか。青くない地球、死の星だと知っても行かねばならない運命の星。
其処へ行かねば、戦いは終わらないのだから。ミュウの未来を掴み取るには、SD体制を倒しに地球へ行くしかない。何十年もかかる旅路だろうと、何百年であろうとも。
それほど長く苦しむよりかは、最後の最後に知ってガッカリするのがいい。「これが地球か」と愕然としても、旅の終わりは其処だから。終点まで辿り着いたのだから。
「うーむ…。最後にガッカリするんだったら、一瞬か…」
確かにそうだな、もうその先には旅なんか無い。SD体制とグランド・マザーを倒すだけだし、倒しちまえば地球には用は無いんだから。
それまでに見てきた幾つもの星から、暮らしやすそうな星を選んで地球にオサラバするだけだ。
「あんな星とは思わなかった」と呆れて文句を言いながらな。…「早く帰ろう」と。
もっとも、俺やジョミーたちは帰り損なったんだが…。
お前の所に行こうとしていた俺はともかく、他の連中には気の毒なことになっちまったが…。
それでも若いヤツらやフィシスは、地球とは縁が切れたってな。もう行って来た後だから。
失望しながら旅に出たって、住める星は幾つもあったんだから。
「ね、一瞬で済んだでしょ? ガッカリするの」
みんな未来に向かっていったよ、地球もいつかは良くなるだろうと考えながら。
一番酷い所を見たなら、後は良くなるだけなんだものね。…少しずつでも、いい方へと。
そして本当に青くなったよ、と窓の向こうを指差した。「今の地球はちゃんと青いもの」と。
「前のハーレイたちはガッカリしたけど、本当に少しの間だけ。地球に着いたら酷かったから」
そんな星だと知っていたなら、みんな嫌々進むだけだよ。文句も沢山出てくると思う。
ナスカを離れるかどうかだけでも、あれだけの騒ぎになったんだから…。
死の星の地球に行くとなったら、仲間割れだって起こりそう。シャングリラの他に居場所が無い内は、仕方なく乗っていそうだけれど…。
星を幾つも落とし始めたら、「此処に残る」っていう仲間だって出てくるよ。
地球には行きたい人だけが行って、SD体制を倒せばいい、って言い出す人たち。ソルジャーやキャプテンたちだけが行って、人類と話をすればいいって。
きっとそういうことになってた、と今の自分の意見を話した。地球の正体を誰も知らないままでいたから、真っ直ぐに辿り着けたのだと。…失望も悲しみも一番短い期間で済んだ、と。
「なるほどなあ…。仲間割れまで起こっちまったか、地球の正体が早い段階で分かっていたら」
そうなったろうな、安全な居場所を手に入れた後は離れる仲間も現れただろう。
地球は青いと信じていたから、誰もが地球を見たがった。シャングリラで地球に行くんだと。
死の星だったら見る価値は無いし、安全が確保できるんだったら途中に残りたくもなる。仲間と別れて船を降りても、生きてゆける場所が見付かったなら。
そっちに転がり始めちまったら、キャプテンの俺でも止められやしない。船の仲間の命の安全、それを一番に考えるのがキャプテンだから…。敵地に赴く船に乗せるより、降ろすべきだし。
地球は青いんだ、と性悪な機械に騙されたお蔭で、仲間割れもせず、ガッカリの時間も一番短いコースで済んだというわけか…。今から思えば、そういうことになるってことか。
お前、やっぱり中身はソルジャー・ブルーだな。
「え?」
いきなり何を言い出すの、と真ん丸く見開いてしまった瞳。
前の自分の名前が出てくる理由が、全く分からなかったから。話がまるで繋がらないから。
「いや、お前だなと思ってな…」
前と違ってチビで泣き虫でも、今のお前も、前のお前の考え方は引き継いでいる。
我儘ばかりのチビに見えていても、前のお前が生きた時代を立派に考えられるんだから。
地球の正体を知っていたなら、船の仲間たちがどうなったのか。…地球を目指した旅だってな。
今のお前の話を聞いたら分かった、と「偉いぞ」と撫でて貰えた頭。大きな手で。
「流石は俺のブルーだ」と。「今の俺より、よく分かってる」と。
「…俺は早くに知りたかったと言ったのに…。地球の正体」
それじゃ駄目だと言うのがお前で、どうやらそちらが正しいらしい。…色々なことを考えたら。
正しい答えを直ぐに出せるのは、お前がソルジャー・ブルーだからだ。
弱虫のチビになっちまっても…、とハーレイが褒めてくれるから。
「えっと…。ぼくは、ちょっぴり考えただけだよ?」
前のぼくならどう思うかな、って…。それで思い付いたことを話しただけで…。
凄くはないと思うんだけど、と答えたけれども、「それでもだ」とハーレイは穏やかな笑み。
「きちんと物事を考えられる所は、前のお前のままってことだな。…普段はチビで我儘でも」
小鳥の気持ちも、俺より分かっていたみたいだし…。気が済むまでそっとしておこう、と。
窓に映った庭に行きたいなら、思う存分、頑張ってくれ、と。
「ううん、そっちは間違ってたかも…。頑張りすぎて、お腹、減っちゃったかもしれないし…」
もっと早くに諦めていたら、お腹、減ったりしないでしょ。それに疲れもしないから…。
ハーレイの方が正しかったと思う。ビックリさせられても、次の所へ飛んでって、御飯…。
休憩だって出来るんだものね、本物の庭に行ったなら。木の枝にちゃんと止まったりして。
脅かされた時はビックリしたって、一瞬だから…。追い掛けられて悪戯されるわけでもないし。
一瞬のビックリで後は自由になれるなら、と言ったのだけれど。
さっきまでの地球の話に重ねて、無駄な努力を長い間続けさせておくより、小鳥に自由を与えた方が良かっただろうと考え直したのだけれども。
「いいや、そっちもお前が正しい。俺の方が正しいように見えても」
傍から見たなら、小鳥を窓から自由にするのが優しいように思えるだろう。腹が減るだけだし、翼も疲れてしまうから。…小鳥の目には、ガラスの仕組みは分からないしな。
しかしだ、俺が小鳥だったら、脅かされて何処かへ飛んでゆくより、あそこで頑張る方がいい。
どう頑張っても素敵な世界に入れなくても、やれるだけのことをやった方がな。
開けて貰った窓の中には、綺麗な庭は無さそうだ、と確かめてみたり、行きたいと思ってる庭に向かって羽ばたいてみたり。
疲れちまって、もう駄目だ、と思う所までやりたいよなあ…。俺が鳥なら。
頑張った結果が出なかったとしても、自分が納得できるから、と語るハーレイ。
ガラスに映った庭の世界は幻でも。本物は何処にも無かったとしても、自分が納得するまでは。
「自分の力を全て出し切る、そいつが俺の信条だから…。諦めるのは好きじゃないんだ」
まして諦めさせられたんでは、どうにも納得いかないってな。後でやり直したくなっちまう。
やり直せるようなチャンスがあれば…、というのが今のハーレイ。全力を尽くすのが信条。
「…なんだかスポーツみたいだね」
自分の力を出し切るだなんて、柔道の試合を聞いてるみたい。でなきゃ水泳の方だとか…。
どっちも今のハーレイが続けているスポーツでしょ、プロの選手じゃないけれど。
「もちろんスポーツの話だってな。…今の俺なら」
頑張りもしないで放り出せるか、どんなに厳しい練習だろうが、強い対戦相手だろうが。
強い相手とぶつかりそうだと分かっていたなら、とにかく練習あるのみだ。…今じゃ負けんが。
前の俺だって、似たようなことを考えていた。
お前がいなくなっちまった後で、何が何でも地球に行こうと。…辛い日々だろうが、戦いに次ぐ戦いの中で、キャプテンの仕事が増えてゆこうが。
シャングリラを地球まで運びさえすれば、胸を張ってお前に会いに行けるから。
キャプテンはシドに譲っちまって、「地球を見て来た」と土産話を山ほど抱えて。
そのためにも地球は青くないとな、機械に騙されて思い込まされた結果でも。青い星でないと。
どうせ行っても死の星なのに、と重たい足を引きずりながらの旅じゃ、其処まで誇れやしない。
全力を尽くしたとは言い難いからな、真っ直ぐに前を見られないなら。
「…そういうものなの?」
重たい足を引きずっていたら、地球までの旅は全力だとは言えないの?
おんなじように頑張っていても、戦って勝ち取った長い道でも…?
努力の結果に見えるけれど、と首を傾げたけれども、ハーレイにとっては違うらしい。前だけを見据えて進む旅路と、仕方なく歩んでゆく旅路とは。
「チビのお前には分からないかもしれないが…。それにスポーツもやってないしな」
だがな、そういうものなんだ。
自分の力を出し切りたいなら、心に迷いがあっては駄目だ。それじゃ力を出せやしない。
まずは自分の力を信じる、「必ず結果が出せる筈だ」と。そのためには結果も信じないとな…?
勝てると思った試合は勝てる、というのがハーレイの心構えで、生徒たちにもそう教える。心に迷いを持っては駄目だと、「まずは自分を信じろ」と。それに試合に勝つ自分をも。
「結果に自信が持てない試合は、勝てたって何処か拙いんだ。もっと鮮やかに出来たろう、と」
早くに技をかけてやるとか、水泳だったら何処でスピードを上げるべきかという計算。
結果という名の目標が無けりゃ、上手くはいかないものなんだ。…前の俺たちの旅も同じだな。
青い地球への旅だったからこそ戦えた、とハーレイが言うものだから。
「それなら、地球はガラスに映った庭と同じで良かったんだね」
本物は何処にも無かったけれども、みんなが青いと信じてたから…。前のぼくも、ハーレイも、船のみんなも。
青い地球まで行かなくちゃ、と思っていたから一つになれた。地球の正体、知らなかったから。
ハーレイはさっき、「知っておきたかった」って言っていたけれど…。
「俺も今ならそう思う。ソルジャー・ブルーの意見を聞いちまったらな」
チビでも立派にソルジャー・ブルーだ、と向けられる笑顔。「俺のブルーだ」と。
「…ありがとう。チビは余計だけど、前のぼくと同じっていうのは凄く嬉しいから」
あの小鳥、また挑戦するかな?
来てくれたお蔭で、ぼくの評価が少し上がったみたいだから…。来てくれたら御礼。
「此処では二度とやらないだろうが…。入れないってことは分かったようだしな」
とはいえ、お前が追い払わなかったから、また他所で努力するんだろう。入ってみようと。
窓ガラスに庭が映っていたら、とハーレイが言うから心配になった小鳥の行方。また窓ガラスに挑戦したなら、飲まず食わずで羽ばたき続けることになるから。
「他所でって…。そんなの、ホントにお腹、減っちゃう…」
窓を見る度に挑戦してたら、御飯も食べずに飛んでいるだけ…。大変じゃない!
「それでも夢はたっぷり見られる。この景色の中を飛んでみたい、と」
誰かが邪魔しに出て来なければ、好きなだけ夢を見ていられるんだ。窓の所で羽ばたきながら。
お前はどっちがいいと思うんだ、此処は駄目だ、とガッカリするのか、夢がたっぷりか。
青い地球があると信じて進み続けるのと、そんな星は無いと知ってガッカリするのと。
「夢に決まっているじゃない!」
何度も言ったよ、青い地球だから頑張れた、って。夢も沢山見られたんだから…!
夢はたっぷり無いと駄目だよ、と繰り返した。幻にすぎない青い地球でも。さっきの小鳥が夢を見ていた、ガラス窓に映った庭の景色でも。
「なら、夢があれば充分じゃないか。あの鳥にしても」
夢だけで腹は膨れやしないが、心は幸せで一杯になる。夢を山ほど抱えていれば。
そうすりゃひもじくないからなあ…。前のお前にも覚えがあるだろ、そういうのは。
腹は減ってても、夢がありさえすれば…、と訊かれたら思い出したこと。燃えるアルタミラから脱出した後、初めて食べた船での食事。
「そうだっけ…。まだシャングリラって名前も無かった船だったけれど…」
あの船で初めて食べた非常食、とっても美味しかったから…。
ふんわり膨らんでくれるパンとか、温かくなる料理とか。お腹が減ってたせいもあるけど、船のみんながいてくれたから…。自由なんだ、って思えたから。
幸せが一杯溢れてたんだね、あの時のぼくの心の中には。
もちろんハーレイも一緒だったし…、と思うあの日の自分の夢。何も無かったようにも思うし、山のようにあったような気もする。まだ見えもしない未来に向かって。
夢は大切なものなのだろう。あの日の自分がソルジャーになって、地球を目指した。青い地球が何処かにあると信じて、ミュウの未来を掴み取るために。
前に進むには、無くてはならないものが夢。
さっきの小鳥が行きたいと願った、窓のガラスに映っている庭の景色でも。
前の自分たちが機械に騙され、焦がれ続けた幻の地球でも。
「ねえ、ハーレイ…。今は青い地球、幻じゃないね」
本当に本物の青い地球だし、ぼくもハーレイも地球にいるよね…?
「正真正銘、本物だってな。前のお前の夢が何もかも叶う地球だぞ、俺と約束していたヤツが」
新しい夢も一杯だろうが、今の俺と幾つも約束したしな…?
それにきちんと腹が膨れる夢もあるぞ、とハーレイが挙げてくれた夢。今のハーレイとの約束。
食べ物の夢も沢山あるから、ハーレイと幸せに歩いてゆこう。青い地球の上で生きてゆく道を。
ガラスに映った庭だった地球は、本物の地球になったから。
死の星だった地球は青く蘇って、今の自分たちを温かく迎えてくれたから。
だからハーレイと手を繋ぎ合って歩いてゆく。いつまでも何処までも、この地球の上を…。
窓と小鳥と・了
※地球は青いと信じて進み続けた、前のブルーたち。青い地球は、存在しなかったのに。
けれども、それで良かったのです。青い地球への憧れが無ければ、辛くて長い旅路だった筈。
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