シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
今日は土曜日、ハーレイが訪ねて来てくれる日。
元々ブルーは綺麗好きだし、体調が悪い時を除けば部屋の掃除は自分でする。ましてハーレイが来る休日ともなれば普段以上に丁寧に。
きちんと掃除し、机の上の教科書なども綺麗に揃えて本棚の本も並べ直した。散らかることなど一度も無かった部屋なのだけれど、やっぱり少し緊張するのは前世の記憶のせいかもしれない。
(…青の間よりも綺麗にするなんて無理だしね…)
ミュウの長として長い時間を過ごした青の間。あの頃は私物も少なかったし、何より部屋の広さが違う。天蓋つきのベッドが置かれていたスペースだけでも今の部屋より遙かに広い。
(第一、ベッドが大きかったし!)
この部屋に置いたらどうなるかな、と想像してみて「うーん…」と呟く。
「どう考えても入らないよね、今のベッドが置いてある場所…」
壁際に据えてあるブルーのベッド。子供用ではなかったけれども、いわゆるシングルサイズのそれは前世のベッドと比べてみれば貧相と言うか、小さいと言うか。それの代わりに前世のベッドを持って来たって床のスペースが足りなさすぎる。
(…あのベッドが大きすぎたんだよ、うん)
ぼくの部屋にはこれで充分! と納得して自分だけの小さな城を見回した。
青の間よりもずっと狭い部屋でも、此処には前世で手に入らなかった自由と幸せが溢れている。半ば公のスペースであった青の間とは違う、ブルーのお城。ミュウの未来だのシャングリラの進路だのと心を悩ませる種が持ち込まれることは決して無くて、優しい両親に守られて…。
(それにハーレイも来てくれるしね)
なんて幸せなんだろう、とコロンとベッドの上に転がる。
小さなベッドでもブルーの身体には充分広いし、今より育って大きくなっても取り替え不要。子供用ベッドから買い替える時にそういうサイズのものを父と母とが選んでくれた。だからブルーの周りは広々、寝ていて落ちたこともない。
(あんな大きなベッドでなくても、ぼくにはこれで充分なのにね…)
シャングリラに居た仲間たちはソルジャーであったブルーを神のように崇め、部屋もそのように設えた。それゆえにベッドも立派すぎるサイズで、天蓋つきで…。
(ホント、これだけあったら足りるんだけどな)
コロンと身体を横にしてみて、其処に足りないものに気付いた。
ハーレイがいない。青の間のベッドで目覚めた時には、大抵、隣にハーレイが居て……。
(…ど、どうしよう…。これじゃ全然足りないよ!)
今の今まで充分なのだと思い込んでいたベッドのサイズ。
ブルーが寝るにはピッタリどころかまだまだ余っているのだけれども、ハーレイが隣で寝るとなったら話はまるで別だった。
ずば抜けて身体の大きいハーレイ。前の生でもそうであったし、今の生でも変わらない。そのハーレイとベッドを共にするには、広さがあまりにも足りなさすぎる。
そういう時間を持てるようになるのは何年先だか分からなかったが、その日はいつか必ず来る。
(……ぼくのベッドじゃ無理ってことは……)
ハーレイと本物の恋人同士として結ばれる場所は、ブルーの部屋ではないらしい。
それならば何処になるのだろう?
(…んーと……)
一度だけ遊びに出掛けたハーレイの家。ハーレイの寝室は少し覗いただけだったけれど、大きなハーレイが寝るだけあってベッドはかなりの大きさがあった。
(……もしかして、あそこになるのかな?)
考えると胸がドキドキしてくる。
ハーレイには「大きくなるまで家には来るな」と厳しく言われてしまっているし、次の機会はいつになるかも分からない。
でも、もしかしたら。
次にハーレイの家に招かれた時は、二人並んで横になっても余裕がありそうだった大きなベッドで結ばれることになるのだろうか?
前の生での「初めて」の時は青の間だったが、今度の生ではハーレイの家で…?
(…それしか考えられないよね?)
ぼくのベッドはちょっと狭すぎ、とブルーの頬が赤くなる。
自分が大きく育たない限り恋人同士の関係は無理、と分かっていたから考えないようにしていたけれども、少し未来が見えた気がした。
いつかハーレイの家に招かれたならば、その時が今の生での「初めて」なのだ。
「初めて」とやらに思いを馳せても胸の鼓動が高鳴るだけで、十四歳のブルーの身体は何の変化も来たさない。ベッドでハーレイと何をするのかは前世の記憶で理解していたし、とても気持ちが良かったことさえも覚えているのに、ブルーは何もしようとしない。
これがハーレイの言う「きちんと育った」身体だったら、未来の自分を思い描くだけでは満足しないし、出来る筈もない。小さなブルーには想像もつかない何かをしようとする筈なのだが、その行為すらも知らない辺りがブルーの幼さの証明だった。
其処に気付きもしないブルーは子供ゆえの純真無垢さでもって「初めて」の日を夢見て微笑む。
ハーレイの家でキスを交わして、それから二人でベッドへ行って…。
服はハーレイが脱がせてくれるのだろうか?
なんだか子供みたいだけれども、自分で脱ぐのは前の生でのハーレイは好きではなかったし…。
(…今のハーレイだって、多分、好きじゃないよね)
それに自分で脱ぐというのも「初めて」らしくない気がする。
やはりハーレイに任せておいて、その先のこともハーレイ次第。
すっかり脱いだら、もう一度キス? それともハーレイにキスして貰う? 唇ではない他の場所。思い切り強くキスして貰って、幾つも、幾つも…。
最初のキスは多分、首筋。そこから胸の方へと移って、それから、それから……。
懸命に今の自分と前世での愛の営みとを重ね合わせるブルーだったが、いくら記憶が豊富であっても想いは熱を伴わない。その致命的なズレに気付かないまま、ただウットリとブルーは夢見る。
好きだよ、ハーレイ。
一日でも早く君と結ばれて、本物の恋人になりたいよ…。
身体に変化を来たさないせいで、夢見心地だったブルーの意識は本物の夢に捕まった。
初めの間は前世でのハーレイとの甘い時間の夢であったが、やがて幼く年相応の健全な眠りにすり替わる。ただぐっすりと夢も見ないでベッドの上で眠り続けて…。
「おい、ブルー」
いつまで寝てる、というハーレイの声で目が覚めた。
「えっ、ハーレイ? …いつ来たの?」
寝ぼけ眼で目をゴシゴシと擦るブルーにハーレイが「少し前だ」と苦笑する。
「お母さんが呆れていたぞ。掃除し過ぎて疲れたのか?」
お前そんなに散らかしたのか、と部屋を見回すハーレイに「違うよ!」と抗議の声を上げてベッドから下りたが、テーブルには母が用意していった紅茶と焼き菓子。つまりは母が来ていたことも、ハーレイが訪ねて来たことも知らず、ベッドで気持ち良く寝ていたわけで…。
(あれ?)
ベッドという単語が引っ掛かった。
眠ってしまう前に何か考え事をしていたような…。
確か、掃除を済ませた後にベッドにコロンと転がって……。
(……あっ!)
そうだ、と脳裏に蘇って来た甘く幸せな考え事。
いつかはハーレイの家に出掛けて、寝室にあった大きなベッドで…。
「ねえ、ハーレイ」
ブルーは思い付いたままに考えを素直に口にしようと、笑みを浮かべてハーレイを呼んだ。
「なんだ?」
「…えっとね、ぼくのベッドはハーレイには小さすぎるよね?」
さっきまでブルーが寝ていたベッド。それに目をやり、ハーレイが頷く。
「そうだな、俺には小さすぎるな」
「でしょ? それでね、考えたんだけど……。ハーレイの家に行くしかないな、って」
「何の話だ?」
怪訝そうな顔をしつつも、ハーレイは「お前を俺の家には呼ばんぞ」と重ねて念を押して来た。
「お前が今みたいに小さい間は呼ばないと言ってあるだろう? 何の用事があるのか知らんが、俺の家に来ても入れてはやらん」
「そうじゃなくって…。ぼくが大きくなった時だよ、ソルジャー・ブルーと同じくらいに」
それでね、とブルーは頬を紅潮させた。
「ぼくのベッドは小さすぎるし、ハーレイの家のベッドしか無いと思うんだ。…ハーレイと本物の恋人同士になれる場所って」
「ちょ、お前…!」
ハーレイの顔が真っ赤になって、いつも落ち着いて余裕たっぷりの表情が狼狽のそれへと変わる。
「い、いきなり何を言い出すんだ! ほ、ほ…」
「本物の恋人同士だってば、それにはベッドが要るんでしょ?」
そうだよね? と無邪気に微笑むブルーの顔つきは得意げなもので、色香も艶も微塵も無い。天使の微笑みと言うべきだろうか、無垢そのものなブルーの笑顔がハーレイに平常心を取り戻させた。とんでもないことを話してはいるが、ブルーには何も分かっていない、と。
「…なるほどな…。それで俺の家か」
「うんっ! 今度ハーレイの家に行った時にはそうなるんだよね、本当に本物の恋人同士に」
頑張って早く大きくなるから、と嬉しそうなブルーに、ハーレイは「いや」と重々しく返して腕組みをする。
「…そいつはまだまだ先のことだな、それに物事には順番がある。俺はお前を下心込みで家に呼ぼうとは思っていないし、ベッドの出番はもう少し先だ」
「…下心? それって、何?」
キョトンとするブルーの丸くなった瞳に、ハーレイは「ほらな」と頬を緩めた。
「お前、分かっていないだろう? 下心が何かも分からん子供にベッドの話は早すぎだ」
つまらないことを考える前に沢山食べて大きくなれ、とブルーの皿にハーレイの分の焼き菓子までが乗せられる。こうなれば完全にハーレイのペース。ブルーは大人しく焼き菓子を頬張り、不穏極まりないベッドの話題はそれっきり封じられたのだった。
こうして十四歳のブルーは「初めて」の場所への夢など綺麗に忘れてしまったわけだが、そうはいかないのがハーレイの方。
ブルーの倍以上もの年を重ねた立派な大人で、かつ健康な男性ともなれば身体にも色々と事情があるというものだ。ブルーのように前世の記憶を重ねて夢見て幸せ一杯、心地よく眠れることなど絶対にあろう筈がなく。
「……弱ったな……」
なんだって俺の家だったんだ、とハーレイは深い溜息をつく。
小さなブルーが「本物の恋人同士になれる場所」として名指しよろしく挙げてきた場所が、よりにもよってハーレイのベッド。
まさかブルーと生まれ変わった恋人同士で出会うなどとは思ってはおらず、自分の体格に見合うベッドをと余裕たっぷりのものを買ったつもりが今や寂しい独り寝の床で。
(…この間までは気に入りのベッドだったんだがなあ…)
今は広さが恨めしい、と前の生ならば隣に居た筈の華奢な身体を思い出す。
十四歳のブルーと再会してから、何回、夢に見ただろう。
前世で愛したソルジャー・ブルー。
すらりと細くてしなやかな肢体の、それは美しいミュウたちの長。彼の滑らかな肌と淫らにくねる身体を夢の中で何度抱き締め、組み敷いたことか。
目を覚ます度に今のブルーの幼さを思い、ブルーを欲して猛る身体を懸命に鎮める日々なのに…。
「…俺のベッドを指名しなくてもいいだろう? これからの日々が辛すぎるんだが…」
しかしブルーは忘れているな、と小さな恋人の可愛らしさとその無邪気さとを思い描いた。あんな話題を振っておきながら、ハーレイがブルーの家を辞去する時には「また来てね!」と大きく手を振っていたし、恥じらいの色も無かったし…。
(…まだ子供だから本当に仕方ないんだが…。俺は何年、生き地獄を彷徨う羽目になるんだか)
頼むから二度とベッドの話はしてくれるなよ、と居もしないブルーに切々と願う。
あの話だけは二度と御免だ。
安眠の場を奪うのだけはやめてくれ、と思いながらも身体の熱は鎮まらなくて……。
俺の気に入りのベッドを奪わないでくれ、と願う一方で前世のブルーを思い浮かべては良からぬ行為に耽っていたことが神の怒りに触れたのか。
ブルーの「初めて」発言からさほど日を置かずして、ハーレイは夜の夜中に急襲された。
何かが自分のベッドに居る。
寝ぼけた頭で子供の頃に母が飼っていた猫かと思った生き物は、深く眠ったままのブルーで。
(…ど、どうしてブルーが此処に居るんだ!?)
ブルーの心から溢れ出す思念がハーレイに教える。メギドでの出来事がとても怖い、と。ハーレイに側に居て欲しい、と…。
(……こう来たか……!)
別口で俺のベッドに来たか、と恐慌状態に陥りつつもハーレイは自分と戦った。
懐にスルリともぐり込んで来たブルーをオカズにしてしまわぬよう、間違っても手を出さぬよう。
そして翌朝、目覚めたブルーは案の定、先日の発言を全く覚えておらず…。
(…二度目、三度目は確実にあるな…)
ハーレイが徹夜明けの疲れを隠して作った朝食にブルーが「美味しい!」と舌鼓を打つ。
「ねえ、ハーレイ。…怖い夢を見たら、また来ていいよね?」
「もちろんだ。お前は独りじゃないんだからな」
いつでも来い、と大人の余裕を見せてやりつつ、ハーレイは心の奥底で溜息を幾つもついていた。
ブルーはすっかり忘れているらしいハーレイのベッド。
其処で前世そのままに育ったブルーを組み敷けるのはいつのことだろう?
こうなった以上、ブルーの「初めて」は其処で貰おう、とハーレイは秘かに決意する。
そんなハーレイの心も知らずに、小さなブルーはハーレイの家での朝食を喜び、楽しんでいた。
「来てはいけない」と厳命されていたハーレイの家。
思いがけずも飛んで来られて、おまけに美味しい朝食付き。
(…こんな朝御飯が食べられるなんて…。幸せだよ、ハーレイ、ホントに幸せ!)
それに美味しい、と幸せに酔う小さなブルー。
ハーレイとブルーが本当の意味でベッドを共にする日は、まだまだ先になりそうだった……。
小さなベッド・了