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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

時の有る場所で

 上も下もなく、時すらも無い白い空間。
 ただ暖かく、穏やかな光に包まれて二人きりで過ごす恋人たち。
「好きだよ、ハーレイ」
「俺もだ、ブルー。…お前さえいれば何も要らない」
 ただ二人きり、甘やかな言の葉を交わし、幸せな想いを、他愛ない言葉を交わしては互いに寄り添い合って眠り、また目覚めては微笑み合って…。
 そんな優しくも満たされた時が、どれくらい流れていったのだろう。
 いつしかブルーは願うようになった。
 もう一度ヒトの姿で生まれてみたいと、失くしてしまったヒトの身体でハーレイの温もりと共に生きてみたいと。死の星であった地球が蘇っているのなら、その地球の上で。
 ブルーの願いを、望みを知ったハーレイもまた祈るようになった。
 神が存在するというなら、その身を、命をミュウの未来に捧げて散った愛しい者の切なる願いを叶えて欲しいと。



 そうして二人、共に生きたいと願い、祈り続けてどのくらいの時が過ぎていったのか。
 時すらも無い場所では分からないけれど、穏やかな白い光に満たされ、二人だけのために閉じた筈の世界を清しい風が吹き抜けていった。
 白い光がふうわりと揺れて、彼方まで見通せたような気がした。
 ほんの一瞬のことだったけども、恋人たちには直ぐに分かった。時が来たのだと。
「…ハーレイ、今の…」
「ああ。…風が吹いたな、お前の夢が叶うらしいな」
 行くか、とハーレイがブルーの手を取る。
「お前が焦がれた青い地球に行こう。今度こそ俺はお前を離しはしない」
「ぼくも。…ぼくも今度こそ離れはしない」
 けして一人で行きはしない、とブルーはハーレイの手を強く握った。
 遠い日にメギドでハーレイの温もりを失くしてしまって凍えた右手で。今度こそ温もりを忘れはしないと、その手でハーレイの温もりを握り締めながら。
「ハーレイ、ぼくを忘れないでよ? ぼくは必ず思い出すから」
「そう言っていたな、ずっと前から。…俺も必ず思い出してみせる。青い地球の上でお前に会った時には、必ず全てを思い出してみせる」
「うん…。うん、ハーレイ…」
 それまで少しお別れだね、とブルーの瞳が僅かに揺れて。
 想いをこめて恋人の唇に唇を重ねた。それに応えてハーレイの腕がブルーを抱き締め、長い長い口付けを交わし合った後で。
「今度もさよならは言わないよ。…ぼくたちに「さよなら」は要らないから」
「ああ、今度は本当に要らないな。俺たちは出会うために行くんだからな」
「そうだよ、離れるわけじゃないから。…二度と会えないわけじゃないから」
 前と違って。
 メギドへ飛び立った前と違って、今度こそ「さよなら」の言葉は要らない。
 あの時には言えなかった「さよなら」の言葉。交わせずに終わった別れの言葉。
 今度も「さよなら」は言わないけれども、それは再び出会えることが分かっているから。
 青い地球の上で、もう一度ヒトの身体で巡り会えるから…。



「行こう、ブルー。…早くお前の姿を見たい。今と全く同じ姿に生まれたお前を」
「ぼくもだよ。今と変わらないハーレイに会って、早く一緒に過ごしたいよ…」
 お互い、何処に生まれるのだろう。
 どうやって、何処で出会えるのだろう。
 まるで見当もつかなかったけれど、必ず会えるとお互いにちゃんと分かっていたから。
 別れには何の不安も無かった。それに…。
(…たとえ忘れても、ぼくは思い出せる)
 ブルーが魂に刻んだ傷痕。メギドで撃たれて、ハーレイの温もりを失くした時に受けた傷痕。
 全てを忘れてしまっていたとしても、あの傷の痛みで思い出せる。
(…もしもハーレイを忘れていたなら、会った時にぼくに思い出させて。ハーレイなんだ、と)
 魂に刻み付けた見えない傷痕に強い願いを、祈りを託して、ブルーはハーレイに口付けた。
 傷痕のことは何も告げずに、ただ恋人への想いをこめて。
 長い口付けと抱擁を終えて、二人、互いを見詰め合って微笑む。
「次のキスは地球の上で…だね」
「そうだな、青い地球の上で会おう」
 もう一度、恋人同士として。
 ヒトの身体を持った今とそっくりの恋人同士として巡り会い、再びキスを交わそう。
 それまでの間、ほんの少しの間の「さよなら」。
 でも、「さよなら」と別れを告げるつもりなど互いに無いから。
「…さよならじゃなくて、「またね」がいいかな」
「いいな。また会おう、ブルー。…少しでも早く、地球の上でな」
「うん。…またね、ハーレイ。ああ、まだ暫くは一緒なのかな」
 互いの手を握り合い、指を絡め合って、吹き込んで来た暖かな風に乗る。
 ハーレイの左手がブルーの右手を、ブルーの左手がハーレイの右手を。
 互いに寄り添い、抱き合って二人は白い風に乗った。
「…好きだよ、ハーレイ…」
「俺もだ、ブルー。…いつまでも俺にはお前だけだ」
 甘やかな言葉を交わし合いながら、互いの想いを確かめ合いながら、少しずつ風に溶けてゆく。
 まるで眠りに落ちるかのように、暖かな想いに満たされたままで。
 何の不安もありはしないし、二人、いつまでも一緒だから。
 何処までも二人、離れずに居るための旅立ちだから…。



 いつお互いの手が離れたのか、寄り添い合った魂が離れていったのか。
 ブルーにもハーレイにも分かりはしなくて、ただ一つだけ、確かなこと。
 上も下も無く、時すらも無い白い空間からの旅立ち。
 其処に時など有りはしないし、生まれ落ちる場所と時間がどんなに隔たっていても、其処からの旅立ちは二人一緒に。
 先に生まれる者も、後から追う者も、旅立つ時には一緒だった。
 時の流れなど無い場所だから。
 前も後も其処では意味を持ってはいないから…。
 恋人たちは共に、同時に旅立ち、新たな生を得るために地球へと向かった。
 ブルーが焦がれて止まなかった地球。
 ハーレイが辿り着いた時には死に絶えた星であった地球。
 遙かな時を経て青く蘇った地球の上へと、二人は共に旅立って行った。
 ブルーの願いを、ハーレイの祈りを聞き届けた神の導きのままに。
 上も下も無く、時すらも無い白い空間を後に、また恋人として巡り会うために……。



 閉じた世界で二人きりで過ごした恋人たちは知らなかったのだけれど。
 魂は懐かしい者を見付けては寄り合い、また次の生へと旅立つまでの時を共にするもの。
 彼らが生きてきた幾つもの生で、最高だったと思う時の仲間を見付けたがるもの。
 次の旅立ちを待つ者たちが集まって過ごす光の世界に、漣のように広がってゆく気配。
(…誰だろう、あれは)
(誰が旅立つというのだろう)
 未だかつて見たこともない、神に祝福された魂。
 神の御使いの胸に抱かれ、生ある者たちが生きる世界へと降りてゆく青く美しく輝く魂。
(……ソルジャー・ブルー?)
(ソルジャー・ブルー…?)
 知らない者など誰一人いない、あまりにも知られた伝説にも等しいミュウの長の名。
 誰からともなく囁きが零れ、あちこちでその名が口へと上る。
 その身と引き換えにミュウの未来を守り、メギドに散ったソルジャー・ブルー。
 彼に逢った者は今の今まで、誰一人として居なかった……。
「…ブルーなのかい?」
 あれは、と遠い昔にブラウと呼ばれていたシャングリラの長老が呟いた。
「そうらしいのう…。今まで何処におったものやら」
 かつてゼルと呼ばれた長老が応じる。
「ブルーに違いないわね、あれは」
 間違えはしない、とエラであった魂の声が重なり、穏やかなヒルマンの声も重なる。
「そうか、ブルーは地球へ行くのだね…。前と全く同じ姿に生まれるのだね」
「おや、本当だよ。あの赤ん坊が今度のブルーなのかい」
 赤ん坊ですらないんだけどね、とブラウが笑った。
 母の胎内に宿ったばかりの小さな命。人の形すら持たない器へと神の御使いが降りてゆく。
 けれど魂だけの者たちには分かる。
 その器がいつか、かつてのソルジャー・ブルーと同じ姿に育つものだと。
「…しかし、解せんのお…」
 なんで今まで何処にもおらんかったのじゃ、とゼルが腕組みをして。
 他の長老たちもしきりに首を捻った。
 今までブルーは何処に居たのかと、何故今になって地球へ行くのか、と…。



 ブルーの魂が地球に降りた後、折に触れては見守っていたかつての長老たちだったけれど。
 母の胎内で眠るブルーの魂が不意に飛び跳ねる時があると気が付いた。
 けして目覚めるわけではないのだが、喜びの気配を確かに感じる。何ゆえなのかと訝りつつも、眠る魂を見守り続けて…。
「あら、また跳ねたわ」
「何だろうねえ、喜びそうなものは何も無いんだけどねえ?」
 定期健診で病院を訪れているブルーの母。待合室の椅子に座った彼女の胎内でブルーが跳ねた。眠りながらもその嬉しさを隠そうともせずに。
「夢なのかしらね?」
「そうかもねえ…」
 いったい何の夢なんだか、とブラウが病院の外に向けた意識が公園を捉えた。病院からほど近い所に広がる大きな公園。親子連れや散歩中の人々が行き交う中をタッタッと駆けてゆく頑丈そうな体格の若者。褐色の肌に金色の髪。その面差しに見覚えがあった。
「ちょっと、エラ! あれをご覧よ」
「…まさか、ハーレイ?」
「それ以外の誰に見えるってんだい? ちょいと若いけどさ」
 かつてアルタミラを脱出した頃のハーレイにそっくりな姿の若者。その身に宿る魂はハーレイのものに間違いない、と直ぐに分かった。ヒルマンとゼルも寄って来る。
「おやおや、ずいぶん若くなったものだ」
「若づくりと言うんじゃ、若すぎじゃ、あれは!」
 もっと老けんかい、と毒づくゼルは自分ではとても気に入っているらしい禿げ頭で。ヒルマンもまた白髪に白い髭、ブラウとエラも長老だった頃そのままの姿。
 そんな姿を好む彼らを他所に、若いハーレイが走ってゆく。ブルーの母が居る病院との間が近くなるにつれて、ブルーの魂が喜びに跳ねる。
「…ハーレイを待っているのかい?」
「さあ…?」
 ブラウとエラが言い交わす間に、ハーレイは軽快に公園を駆け抜けて道路の方へと出て行った。するとブルーの魂は何も無かったかのように眠ってしまって、それきり跳ねることは無かった。
「…やっぱりハーレイだったのかねえ?」
「どうなのかしらね?」
 いずれ分かるといいのだけれど、とエラが返して。それから間もなく、彼らは気付いた。
 ブルーの魂に逢った者は今までに誰一人いない。ハーレイもまた、そうではなかったかと。



「…いつの間にか消えておったんじゃ」
 最初は居たんじゃ、とゼルが遙かに過ぎ去った地球が燃え上がった日に思いを馳せる。あの日、地球の地の底で命尽きた直後は長老たちは揃っていた。ハーレイも彼らの中に居た。
 それがいつの間に見えなくなったか、誰の記憶も定かではない。
 しかしハーレイはいつしか姿を消していた。誰と挨拶を交わしもせずに、いつの間にか何処かへ消えてしまった。
 多分、何処かに新しく生まれたものであろうと思ったから。
 誰も探しに行きはしなかったし、そうしたものだと考えていたが…。
「そう言えば一度も逢っていないか…」
 あれきり逢いはしなかったか、とヒルマンが白い髭を引っ張る。
「私は一度も逢っていないが、誰かハーレイに逢ったかね?」
「あたしは一度も逢っていないよ」
「私もだわ」
「わしもじゃ」
 では、何処に。長老たちの視線が交差した。
 地球が蘇るほどの長い長い間、自分たちは幾度も顔を合わせた。今のように揃うことも珍しくはなく、ジョミーやキースまで居たこともある。
 それなのに一度も、誰も逢わなかったというハーレイ。
 ブルーと同じで、見た者が誰も無いハーレイ。
「…ブルーと一緒に居たのかねえ?」
 なんでまた、とブラウが軽く頭を振った時、ブルーの魂が跳ねる気配が届いた。皆で見た先に、タッタッと軽快に走るハーレイ。彼とすれ違う、病院帰りのブルーの母。
 その瞬間に、彼らはようやく思い至った。
 何故、ハーレイは何処にも居なかったのか。ブルーの魂が喜びに跳ねるのは何故なのか。
「…そうだったのかい…。あんたたち、恋人同士だったのかい…」
 知らなくてごめんよ、とブラウの瞳から涙が零れた。
「ブルー、ホントに辛かったろう…。知ってたらメギドにゃ行かせなかったよ…」
「うむ。水臭い奴らじゃ、いつか会ったら、うんと叱ってやらんとのう…」
 馬鹿者どもが、と言葉は酷いけれども、ゼルもまた涙ぐんでいた。
 遠い遠い昔、別れの抱擁さえも交わすことなく死に別れてしまった恋人たち。
 彼らが今まで何処に居たのかは分からないけれど、もう一度地球で巡り会うのだ。
 青い地球の上で二人巡り会うためにだけ、ブルーの魂は地球へと降りて行ったのだ……。



 誰にも仲を悟られることなく、隠し通した恋人たち。
 皆の前では最後までソルジャーとキャプテンであったブルーとハーレイ。
 二人は恐らく、二人だけで何処かに居たのだろう。
 新しい命を授かりもせずに、長い長い時を、ただ二人きりで何処かで過ごした。
 その果てに多分、二人で願った。
 青い地球に生まれて巡り会いたいと、恋人同士として再び二人で生きてみたいと。
 前と全く同じ姿で、ブルーが焦がれた青い地球の上で…。
 神は御使いにブルーの魂を託し、先に生まれたハーレイから近い場所へと送り出した。
 いや、最初から定まっていたのだろう。
 ハーレイが今の身体に生まれて来た場所も、ブルーの魂が宿った場所も。
 彼らが再び巡り会うのがいつになるのかは分からないけども…。
「あたしたちと会うことは、これから先も無いんだろうねえ…」
「無いじゃろうなあ…」
 会ったらハーレイを一発殴りたいんじゃが、とゼルが自分の拳を擦る。
 何も言わずにブルーをメギドに行かせてしまったハーレイを殴りたい気分なのだ、と。
「知っておったら止めておったわ、挙句に今頃泣かねばならん」
「ホントだよ。…まったく、何年経ったと思っているのさ…」
「ええ。でも、また二人で何処かへ消えるのでしょうね」
「そうなるだろうな…」
 私たちの所へは来ないだろう、とヒルマンも頷く。
 まだ出会ってもいない恋人同士の二人は再び巡り会い、今度こそ幸せになるであろうけれど。
 彼らの生が終わった時にもこの世界には来ないであろう、と。
 何処に行くのか分からないけれど、彼らには二人きりで過ごした世界が在った筈。
 二人は其処へと共に還って、二人だけの時を過ごすのだろうと…。
 それが彼らの決めたことならば、それでいい。
 巡り会えないことは寂しいけれども、恋人たちが幸せでいられるのならば……。



 青い地球の上で時は流れて、季節は移る。
 神の御使いがブルーの魂を抱いて地球へと降りた時には青葉の頃だった、若いハーレイが暮らす町。彼が古典の教師となって一年目の年度の終わりは三月の末。
「…明日から新年度が始まるしな」
 リフレッシュして気分を引き締めねば、とハーレイは朝早くからジムに向かった。二年目となる教師生活。担任をすることも覚悟していたが、そちらの不安は三月半ばに解消された。ハーレイが顧問を務める柔道部の成績が上々だったため、担任は持たずに柔道部と共に大会を目指す。
 任された以上は、全力で。自分の体調管理も大切な仕事。
 ジムのプールで思い切り泳いで、それからジョギングに出発した。走るコースは何通りもあり、どれを行くかはその日の気分。
(…そろそろ桜が咲いてくる頃か…)
 公園の方に行ってみるか、とハーレイは町を走り始める。麗らかに晴れた三月の一番最後の日。明日から四月というだけはあって、日射しはすっかり春のものだ。
 あちこちの家の花壇やプランターに花が咲き始め、街路樹もうっすらと芽吹きの緑。吹いてゆく風も肌に心地よく、走るには最高のジョギング日和。
 手を振ってくれる子供たちに手を振り返しながら颯爽と走り、公園が近付いてくると胸が次第に高鳴って来た。桜のせいだ、とハーレイは思う。今の季節は桜がいい。
(チラホラとでも咲いていると実に幸先がいいんだが…)
 古典の教師だからこそ知っている。SD体制よりも遙かに遠い昔の合格電報、「サクラサク」。合格したい試験は無いが、柔道部を大会に出してやるなら「サクラサク」。
 咲いているといいな、とハーレイが公園を目指していた頃、公園から見える病院へと走ってゆく一台の車があった。ブルーの父がハンドルを握っている車。初めての子供が生まれそうだと報せを受けて病院へと急ぐブルーの父の車。
 ブルーの父の車はハーレイを追い越し、ハーレイはそれとも気付かなかった。公園から目に入る病院の建物に誰が居るのか、誰が生まれて来ようとしているのかにも気付かない。
 けれど心は高鳴ってゆく。公園で待っている素敵な出来事。
(…おっ!)
 咲いているな、と遠目に捉えた桜の木の枝に目を細めた。いわゆる咲き初め、チラホラと咲いた白に近く見える桜の花。
(サクラサク、か…!)
 最高の気分で公園を駆け抜けてゆくハーレイは夢にも思わない。
 たった今、産声を上げた小さな命。それが前世で愛した恋人のもので、胸が高鳴っていた本当の理由は生まれる直前のブルーの魂と共鳴したからなのだとは…。



「鈍い! あんた鈍いよ、ハーレイ!」
 どの辺がサクラサクなんだい、と見守っていたブラウが詰る。
「仕方ないわよ、ブルーだってもう分かってないもの」
 エラが吐き出した微かな溜息。
 産声を上げる少し前まで、ブルーの魂は飛び跳ねていた。ハーレイが近付いてくるのを感じて、喜びに弾んで小躍りしていた。
 そのハーレイが最も病院に接近してから次第に離れてゆきつつあるのに、ブルーの魂は跳ねたり弾んだりする代わりに母の方へと向いている。生まれてしまったのだから魂ではなく心だろうか、それが向く先は母と、その傍らでブルーに指を握らせている父と。
「おやまあ…。普通の赤ん坊になっちまったのかい?」
「そうみたい…。ハーレイばかりを責められないわ」
「ふむ…。すると恋人同士になるとしてもじゃ、暫く時間がかかるのかのう?」
「そうなるだろうな…」
 私たちが揃っている間に見届けてやりたいものなのだがね、とヒルマンが言えば。
「どの辺までだい?」
 覗きは御免蒙るよ、とブラウがツンとそっぽを向き、「確かにのう…」とゼルが応じる。
「わしも悪趣味な覗きは御免じゃ、第一、なんで今頃あてられにゃいかん」
「ならば、この辺でやめておくかね?」
「そうねえ、今ならキリがいいわね」
 このまま見ていればズルズルと…、というエラの意見に長老たちは皆一様に頷いた。
 もう少しだけ、という気持ちは募ってゆくのに決まっている。
 恋人たちの悲しすぎた別れを知っているからこそ、見届けたくなるに決まっている。
 けれど彼らは自分たちの所に戻っては来ない。
 享けて間もない生が終われば、また二人だけの世界へと還る。
 ブルーが無事に生まれる所までは見届けたのだし、後は二人きりにしておくべきだろう…。
「今度こそ幸せにおなりよ、ブルー」
「ブルー、ハーレイと幸せにね?」
「うんと幸せになるんじゃぞ。前の分もじゃ」
「幸せにな、ブルー…」
 皆がそれぞれの言葉をブルーに投げ掛け、心からの祝福を生まれたばかりの赤ん坊に告げて。
 二度と見まい、と遙か離れた魂の世界からの優しく暖かな見守りは終わった。
 サクラサクと公園を駆け抜けて行ったハーレイに呆れ果てながら…。



 咲き初めの桜を楽しんだハーレイのジョギングコースは、自分の家が終点だった。教師になると決めた時に父が買ってくれた一戸建て。両親は隣町に住んでいるから、庭つきの家に今はハーレイ一人。いずれは妻や子供が一緒に住むのだろうが…。
(今の所は俺一人だしな?)
 気ままな一人暮らしも気に入っていた。鍵を開けて入り、軽くシャワーを浴びたら鼻歌交じりに料理を始める。桜も咲き始めていたし、こんな日は少し豪華な夕食もいい。
「よし、明日から始まる新年度と柔道部の前途を祝して、晩飯はステーキで一杯やるか」
 ならば昼食は簡単に。オムライスにサラダ、ソーセージでも焼けば上等だ。食べ終えたら店まで買い出しに行こう。ステーキ肉と、それに合う赤ワイン。重いのがいいか、軽めがいいか。
(…いっそ見た目で選んでみるかな)
 赤という色に心が躍る。ステーキ肉も今日はレアにしようか、明日からの活力が漲る気分。
(うん、赤がいいな。血の色の赤だ、肉もワインも)
 何故か血の赤に心が惹かれた。血気盛んと言うくらいだから、きっと健康の証だろう。血の色のワインとレアステーキで更に体力をつけて、新しい年度に備えなければ。
 買い出しと夕食の段取りをしているハーレイを長老たちが見たなら、罵声が飛んだに違いない。
 血の色の赤はソルジャー・ブルーの瞳の色。
 生まれたばかりの恋人の瞳の色に惹き付けられているのに、其処でワインとステーキなのかと。
 けれど長老たちの見守りは終わり、ハーレイが気付くわけもない。
 前世からの恋人が生まれ落ちたことも、その瞬間に自分が近くに居たことも。



 そしてハーレイと魂を共鳴させていたブルーの方も、何も知らずに眠っていた。
 前の生から焦がれた地球に生まれて来たことも、その地球の同じ町に運命の恋人が居ることも。
 ハーレイが自分でも気付かない意識の底で垣間見た、血の色を映した瞳を閉じてブルーは眠る。母のベッドの隣に置かれた小さなベッドの中ですやすやと、本当に何も知らないままで。
 前の生での名前は忘れた。
 恋人が居たことも忘れてしまった。
 上も下も無く、時すらも無い白い空間で共に過ごした褐色の肌を持った恋人。
 鳶色の瞳の優しい恋人。
 それでもいつの日か、ブルーはきっと思い出す。
 柔らかな肌の下、その魂に刻まれた傷。
 恋人と共に過ごす間に、秘かに刻んだ見えない傷痕。
 その傷痕から鮮血が溢れ出す時、痛みがブルーの忘れ去った記憶を呼び覚ます筈。
 いつかハーレイと出会う時が来るまで、傷痕は見えはしないのだけれど。
 時の無い場所を出て、時の有る場所へ戻って来て二人巡り会うために、その魂に刻んだ傷痕。
 流れ出す血と、その痛みとで恋人を思い出すために…。
 そんな傷痕を持っていることさえ知らないままでブルーは眠る。
 ハーレイが買いに出掛けた赤ワインの色の瞳を閉ざして、青い地球に生まれた幸せの中で……。




          時の有る場所で・了

※ハーレイとブルー、ちゃんと出会っていたのです。ブルーが生まれて来るよりも前に。
 運命の二人なんですけれども、本当に会えるまでが長かったよね、というお話。
 第17弾の『時の無い場所で』と対です、やっと公開出来ました~!
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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