シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「すまん。こういうのはマナー違反なんだがな」
だが確認しておかないと、とハーレイは財布を取り出した。夕食の後、ぼくの部屋でテーブルを挟んで向かい合わせ。テーブルの上には食後のお茶。
ハーレイ曰く、「人前で財布を出して中身を数えるのは行儀が悪い」らしいんだけれど、ぼくに断りつつも財布を出したことには理由があって。ハーレイは明日の朝、柔道部員たちのために買い出しをしなければならないという。
「店に行ってから、金が足りていないと悲惨だしな?」
今の今まで忘れていたのだ、と話すハーレイ。仕事が早く終わりそうだったから、帰りにぼくの家に寄ろうと思って急いでいたら確認するのを忘れてた、って。
そう聞かされると、なんだか嬉しい。マナー違反なんかどうでもいい。
でも…。お店で大人が買い物するなら、現金以外にも方法があると思うんだけどな…。どうしてそっちにしないんだろう?
「その買い物って、現金でないといけないの?」
尋ねてみたら、「ああ」と返事が返った。
「そういう決まりだ、学校に申告したい時にはな」
もしも申告出来なかったら、ハーレイが私費で支払う羽目になるらしい。それはとっても大変なことになりそうだから、ハラハラしながらハーレイを見守ることにした。
(…お金、足りてるといいんだけれど…)
財布にお金が足りなかったら、ぼくの家から帰る途中で補充しに行かなきゃならないから。早く帰らなくちゃいけなくなるから、それは嫌。
せっかく寄ってくれたんだもの、時間ギリギリまで居て欲しいよ…。
祈るような気持ちのぼくの目の前で、ハーレイは紙幣の数を数えて、小銭もあるか確認して。
「…よし。お釣りで店の人を困らせないでも済むようだな、うん」
「よかったあ…。お金、足りてたんだね」
「ああ、細かいのも持ってたようだ。おっと…!」
ハーレイの財布からコロンと何かが転がり落ちた。コツン、と床にぶつかる音。
「ぼくが拾うよ」
「すまんな、うっかり落としちまった」
テーブルの下には、身体が小さいぼくの方が入りやすいから。椅子から下りて床に屈んで、下を覗き込んだぼくは目を丸くした。
(…何、これ…)
てっきり小銭だとばかり思った、それ。ハーレイの財布から落っこちた、それ。
テーブルの下にコロンと転がっているんだけれども、ぼくの見慣れた小銭じゃなかった。金色をした小さな亀。
(…亀だよね?)
お腹の方を上にして転がってるけど、亀だと思う。そういう形で、手足と頭と小さな尻尾。指で摘んで裏返してみたら、ちゃんと甲羅がついていた。どう見てもそれは亀でしかなくて。
(…何処かのお金?)
亀の形をしたお金なんて、ぼくは初めて見たんだけれど。聞いたことすら一度も無いけど、この宇宙はとても広いから。前のぼくが生きてたSD体制の時代と違って、惑星ごとにいろんな文化があるから、そういう形のお金があっても不思議ではない。
(亀のお金かあ…)
面白いね、と拾い上げた。
きっとハーレイのコレクション。ハーレイが他所の星へ旅行をしたって話は聞いていないから、誰かに貰ったお土産なんだ。友達か、それとも親戚の人か。
(ひょっとしたら、お父さんかお母さんが出掛けたのかな?)
素敵なものに出会ってしまった。ハーレイの財布の中の亀。きっとハーレイの大切な亀…。
「はい、ハーレイ」
テーブルの下から這い出したぼくは、椅子に座ってから金色の亀を手のひらに乗せてハーレイの前に差し出した。
「ありがとう。小さいってのも便利だな」
こういう時には、とハーレイの手が伸びて来て亀を摘み上げたから。小さな亀が財布に戻されてしまう前に、と好奇心一杯で訊いてみた。
「それ、何処の星のお金?」
「はあ?」
亀を摘んだハーレイが変な顔になった。しまった、間違えちゃっただろうか。他所の星と違って地球のだった?
「もしかして、地球の? 何処のお金なの?」
ぼくの知らない何処かのお金。亀の形をしたお金。何処の地域のお金だろう?
「…金って、こいつか?」
「うん、亀のお金。何処で使われているお金なの、それ?」
「なるほど、亀の形をした金なあ…」
ハーレイは「はははっ」と亀をテーブルに置いて笑い始めた。
「知らんのか、これを。…まあ、知らなくても無理はないかもな」
こいつはお金じゃないんだ、ブルー。
ちゃんと金色だし、財布に入れるものではあるが、だ。
亀の形に意味があるんだ、こいつを出しても何も買えんぞ。
銭亀。
ハーレイがぼくに教えてくれた、金色の小さな亀の名前。
(そんなの、ホントに初めて聞いたよ)
亀の甲羅についた模様がSD体制よりも遙かに遠い昔の、ぼくたちが住んでる地域のお金の形に見えるらしくて、お金が貯まる金運のお守り。それが銭亀。
この地域が日本という名前の島国だった頃に生まれたお守り。SD体制が始まった時には、もう銭亀は無かったかもしれないらしいんだけれど。
SD体制が崩壊した後、地域の文化を復興させる過程で銭亀のお守りも帰って来た。ぼくたちの住む地域に戻った。
だけど、銭亀はあくまで文化。そういったものが大好きな人たちのもの。
誰もが知っているわけじゃないし、誰でも持ってるものでもない。古い習慣や昔の道具が好きな人たちが楽しむもの。趣味で集めたり、持ったりするもの。
ハーレイの財布に入っていたのは、ハーレイが古典の先生だからかな、と思ったんだけど。
きっとそうだと思ったんだけど、銭亀はハーレイのお父さんたちの趣味だった。
隣町の庭に夏ミカンの大きな木がある家に住んでる、ハーレイのお父さんとお母さん。遠い昔の道具が大好きで、家に火鉢や七輪を持っていたりする。
しかも銭亀だけじゃなくって、家の玄関には無事カエルっていうのが居るらしい。出掛けた人が無事に帰って来ますように、という願いがこもったカエルの置き物。
ぼくは無事カエルも初めて聞いた。そっちは「帰る」と「カエル」の語呂合わせ。ずうっと昔の日本のお守り、銭亀と同じで復活してきた文化の一つ。
「…色々あるんだ…」
ぼくはハーレイの銭亀を指先でチョンとつついてみた。こんなにちっちゃな金色の亀がお守りだなんて。それにカエルまでがお守りになっているなんて…。
ハーレイが「うむ」と腕組みしながら大きく頷く。
「実に色々とあるようだぞ。…前の俺たちには赤い石しか無かったがな」
「あれは無しだよ!」
言わないでよ、と悲鳴を上げた。
前のぼくたちが持っていた、たった一つの大事なお守り。誰の服にもついていた石。高価な宝石などではなくって、ただの赤い石。ぼくは青でも緑でもいいと思ったのに、赤い石。
赤い石にしようとヒルマンたちが決めた。
遙かな昔の地球に在ったお守り、メデューサの目。青い目を象った魔除けのお守り。同じ石なら赤にしよう、と推されてしまった。魔除けの青い目と同じように、ミュウたちを守る瞳の色に。
前のぼくの赤い瞳の色に…。
あまりにも恥ずかしすぎる理由で決められた赤い石。ミュウたちのお守りだなんて言われても、困る。恥ずかしいから、新しい世代には絶対に言うな、と緘口令を敷いた。もちろんジョミーにも教えなかった。
シャングリラに制服が誕生した時点で乗ってた仲間しか知らないお守り。
次の世代には伝えずに終わった、お守りだった赤い石。
そんなお守りはあったんだけれど。
瞳をお守りにされてしまった、前のぼくを困らせたお守りは存在したんだけれど。
でも、銭亀とか無事カエルとかは何処にも無かった。
それにシャングリラには居なかった、亀。
本物の亀は居なかった。カエルだって居はしなかった。
どちらも役に立たない生き物。シャングリラには要らない、無用の生き物。
閉ざされた船の中だけで生きてゆかねばならなかったから、役に立たない生き物は不要。そんな生き物を飼う余裕はない。シャングリラは生きるための世界で、水族館ではないのだから。
そういったことを思い出していたら、ハーレイがボソリと呟いた。
「赤い石だけ持つんじゃなくって、カエルは飼っときゃ良かったなあ…」
「カエル?」
なんで、とキョトンとしてしまった。
カエルなんかがシャングリラの中でどう役に立つと言うんだろう?
それとも今だから分かる理由が見付かったとか?
あの頃はカエルは身近な生き物じゃなかったけれども、今なら雨上がりに庭で跳ねてたりする。キャプテン・ハーレイの視点で見てたら、使えそうな生き物なのかもしれない。
ハーレイならではの凄い発見をしたんだろうか、と期待していたら。
「いや、お前が無事に帰ったかもしれんと思ってな…。メギドからな」
「………」
よりにもよって無事カエルだった。凄い発見以前の問題。
だけどハーレイは大真面目な顔で言うから、ぼくも真面目に訊き返した。
「…そこまでの力、カエルにある?」
「さてな? しかし、頼れるんなら何でも良かった。無事カエルでもな」
縋れるんなら、それでお前が戻って来るなら、俺はカエルにでも頭を下げたぞ。
「……カエル……」
ポカンと口を開けたけれども、カエルに土下座するハーレイの姿を想像したら可笑しくなった。それもキャプテンの制服で。
威厳たっぷりの制服姿で、カエルに土下座しているハーレイ。
(…なんだか凄いよね…)
そこまでされたら、ぼくも戻っていたかもしれない。
戻れていたような気がして来た。
だって、キャプテンがカエルに土下座出来る世界。それも戦闘の真っ只中に。
そこまで間抜けな光景が広がる世界だったら、とんでもない奇跡もあるかもしれない。
瀕死のぼくでもカエルに背負われて戻って来るとか…。
そう言ってみたら、「ははっ、カエルか!」と鳶色の瞳が煌めいた。
「でっかいのがお前を背負って来るのか、そいつは凄い光景かもな」
ブリッジの連中もビックリだろうが、医療班のヤツらも腰を抜かすぞ。
前のお前を背負えるくらいのデカいカエルがノッシノッシと来るんだからな。
そういや、ずうっと古い昔の日本の、忍者ってヤツを知ってるか?
ものすごくデカいカエルに乗ってた忍術使いが居たそうだ。もちろん、作り話だが…。
確か、児雷也という名前だったな。かなり人気があったようだぞ、カエルにも変身出来るんだ。
「変身出来るの?」
「そうさ、前のお前にも出来なかったよなあ、変身はな」
「うん。サイオニック・ドリームで変身したように見せかけることは出来ただろうけど」
思い浮かべて、吹き出しかけた。
もしもメギドで、ぼくが巨大なカエルに変身してたら。
キースにサイオニック・ドリームは通用しなかったけれど、もしもキースがかかったならば。
巨大なカエルで腰を抜かしていたかもしれない。
その間にメギドを止めてしまって、ぼくは帰れていたかもしれない。
ハーレイに話したら「そいつはいいな」と大笑いだった。
うん、やっぱりキャプテン・ハーレイがカエルに土下座出来る世界は凄くて偉大だ。前のぼくがメギドから帰れたりする。
カエルの背中に背負われて帰るとか、カエルに化けてキースの腰を抜かさせるとか…。
素敵すぎる世界な、カエルがお守りのシャングリラ。
二人して散々笑い転げた後で、ハーレイが「それはともかく…」と座り直した。
「本当にカエルを飼っときゃ良かった。…縁起担ぎでも何でもいいから」
気休めでもいいから、無事カエルだな。
前の俺たちは知らなかったんだから仕方ないんだが、本当に飼っておけば良かった。
「じゃあ、亀も?」
ぼくはテーブルの上の金色の亀を指差したんだけど。
「そっちはあんまり意味が無いだろう。いや、全然、無い」
「なんで?」
銭亀のお守りも良さそうなのに。小さくて可愛い、金色の亀。
シャングリラで本物のカエルを飼うなら、セットで亀だって飼えばいいのに。
そう思ったのに、ハーレイに「お前、きちんと考えたか?」と訊かれてしまった。
「無事カエルはともかく、銭亀だぞ。…シャングリラに金はあったのか?」
「………」
お金。そういえばシャングリラにお金は無かった。そもそも使うような場所が無かった。
「……無かったね、お金」
「ほら見ろ、亀は要らないんだ」
無事カエルだけで充分なんだ、と銭亀を摘み上げたハーレイだけれど。
「いや、待てよ…。こいつは長寿のお守りってヤツも兼ねてたっけな」
「長寿?」
「そうさ、長生きのお守りだ。ずっと昔は「鶴は千年、亀は万年」って言葉があってな。鶴と亀はとても長生きするんだと思われていた。それにあやかって長寿のお守りってわけだ」
亀のように長生き出来ますように、と持ち歩くのさ。
流石に万年は無理だろうがな、本物の亀も一万年も生きるってわけじゃないしな。
銭亀は金運だけじゃなくって、長寿のお守りだったみたいだ。
それを思い出したハーレイは「うーむ…」と唸って、銭亀をテーブルにコトリと置いて。
「やはりシャングリラでは亀も飼うべきだったな、前のお前が地球まで行けるようにな」
「…ぼく?」
「お前の寿命が延びりゃ良かった。そうすりゃ地球まで行けてたんだぞ」
「ふふっ、そうかもしれないね。メギドなんかは無かったかもね」
シャングリラには居なかった、カエルと亀。
そんなものまで飼える余裕があったとしたなら、本当に何もかもが全て変わっていただろう。
前のぼくはうんと長生きをして、元気なまんまでジョミーを見付け出して来て。
ジョミーがぼくの後継者じゃなくて、一緒に戦うソルジャーだったら。
二人目のソルジャーだったとしたなら、それだけで戦力が倍以上になる。そしたらアルテメシアから宇宙へ逃げ出す代わりに、アルテメシアを落とせていた。
後はナスカに寄りもしないで、真っ直ぐに地球へ。
トォニィたちが生まれてなくても、ぼくとジョミーと、二人居ればきっと辿り着けた。
地球が死に絶えた星であっても、間違いなく地球。人類の聖地。
ぼくたちは地球を手に入れた上で、SD体制を崩せただろう。ミュウの未来を拓けただろう。
全ては夢の話だけれど。
シャングリラにはカエルも亀も居なくて、前のぼくの寿命もナスカまでしか無かったんだけど。
赤い石のお守りだけしか持っていなかった、前のぼくたち。
石の由来を知っていた仲間は、ぼくの瞳のお守りを魔除けに持っていたんだけれど。魔物ならぬ人類から守ってくれる赤い石を持っていたんだけれど…。
ぼくのためのお守りは何も無かった。
赤い石のお守りは前のぼくの瞳を指してたんだから、瞳の持ち主のぼくの身なんかは守れない。ぼくはお守りを持っていなくて、シャングリラにはカエルと亀さえ居なかった。
無事カエルも長寿のお守りの亀も、何処にも無くって、居なかった…。
欲しかったわけじゃないけれど。
ぼくを守ってくれるお守りが欲しいと思ってたわけじゃないけれど…。
だけど、こうして目の前に銭亀。
ハーレイの財布から転がり落ちて来た金色をした小さな亀。
こんなのを見て、無事カエルが玄関に居る家の話を聞いたら「いいな」と少し羨ましくなる。
無事に帰れるカエルのお守りと、長生きが出来る亀のお守り。
ほんのちょっぴり、欲しいと思う。
とっくの昔に手遅れだけれど。前のぼくは死んでしまったけれど…。
「…ほんのちょっとだけ、欲しかったかな…」
カエルのお守りと、亀のお守り。
今のぼくじゃなくって前のぼくだよ、ってハーレイに夢の話をしたら。ハーレイは笑う代わりに「俺もだ」と大きく頷いた。
「あの頃の俺が知っていたなら、お前のためだけに。…誰に何を言われても飼っていただろうな、カエルと亀をな」
「飼うの?」
「もちろんだ。知っていたなら、飼っていた」
えーっと…。ハーレイの気持ちは嬉しいんだけど…。
「ぼくの恋人だってバレないかな? それ…」
「いや、キャプテンの任務の内だ。ソルジャーの無事と長寿を祈るのもな」
「そうなるわけ?」
キャプテンの仕事の中に「お祈り」が入るとは知らなかった。
なんだか凄いこじつけだけれど、きっとハーレイが知っていたなら、飼っただろう。
ぼくのためだと言うからには公園とかで飼うんじゃなくって、多分、青の間。
青の間に満々と湛えられた水に、カエルと亀。
あそこに生き物は居なかったけれど、あの水の中にカエルと亀。
無事カエルと長寿のお守りの亀…。
もしも青の間の水に、カエルと亀とが泳いでいて。
キャプテンのハーレイが世話をしながら、ぼくの無事と長寿を祈っていたら。
どんな時でも、戦闘中でも、祈り続けていてくれたなら。
さっきみたいに「俺はカエルにでも頭を下げるぞ」って真剣な表情で言えるハーレイがカエルと亀とに祈ってくれていたなら、ぼくは帰れていたかもしれない。
あのメギドから、シャングリラへ。
前のぼくの命が尽きてしまったメギドから、懐かしいシャングリラへ。
瀕死の重傷を負っていたとしても、メギドでは死なずに生きて帰れていたかもしれない。
ハーレイが祈るシャングリラへ。
カエルに土下座して祈り続けるキャプテンの許へ…。
(…そしたら、ハーレイの温もりを失くさなかったね…)
ぼくの右の手が凍えて冷たくなっていたとしても、死ぬ前に温もりが戻っただろう。
たとえキャプテンとしての立場であっても、ハーレイはぼくの手を握ってくれただろうから。
死にゆくぼくの右手を握って、温もりを移してくれただろうから。
ぼくもハーレイも、恋人同士の別れが出来ない点では同じなんだけど…。
同じなんだけど、全然違う。
独りぼっちで死んでゆくのと、ハーレイに手を握って貰って安心しながら死んでゆくのと…。
(…そんな風に死ねたら、前のぼくはきっと幸せだったよ…)
最期にハーレイの腕の中に戻れて、「ブルー」とは呼んで貰えなくても「ソルジャー」と何度も呼び掛けられて。
ぼくの大好きな声で何度も呼ばれて、あの大きくて温かな手でぼくの手を強く握って貰って。
それだけで幸せだったと思う。
さよならのキスを貰えなくても、抱き合うことが出来なくっても、幸せの中で死ねたと思う。
メギドで独りぼっちで泣きながら死んでゆくんじゃなくって、幸せの中で。
ハーレイが居ると、側に居てくれると、きっと微笑みながら死んでいったと思う。
ぼくは最期まで幸せだったよと、君が居てくれるから幸せだよ、と…。
だけど、全ては夢物語。
シャングリラにはカエルも亀も居なくて、カエルと亀とに祈るキャプテンも居なかった。
無事カエルは無くて、長寿のお守りの亀も無かった。
前のぼくはシャングリラに帰る代わりに独りぼっちで死ぬしかなくって、ハーレイに手を握って貰うどころか温もりを失くして死んでしまった。右手が冷たいと泣きながら死んだ。
(…欲しかったかもね、無事カエルと銭亀…)
あんな風に死なずに済むんだったら、欲しかった。
そう思ってたら、「欲しいのか?」ってハーレイが訊いてくれるから。
「今はいいよ」って笑って答えた。
今のぼくは何処へ出掛けるわけでもないから、無事カエルは今すぐに欲しいわけじゃない。
十四歳のぼくは寿命が足りなくて困っていないし、長寿のお守りの亀も要らない。金運の銭亀が欲しくなるほどお小遣いがピンチってわけでもないしね。
ハーレイは「そうか」って穏やかな笑みを浮かべて、テーブルの銭亀を摘み上げた。
「だったら、こいつは仕舞っておこう。俺の大事な銭亀だしな」
頑張って金を貯めておかんと、お前とあちこち旅行に行けん。
うんと沢山約束したしな、好き嫌い探しの旅とかな?
「そっか、あったね、好き嫌い探し!」
ぼくとハーレイには好き嫌いが無いから、探しに行こうって話もあった。
何処かに一つくらいは食べられない食べ物があるかもしれないし、凄く美味しいものが何処かにあるかもしれないから。
そういう旅に出るんだったら…。
「ねえ、ハーレイ。無事カエル、ぼくたちの家にも置かないとね?」
「そうだな、玄関に置くとしようか、でっかいのをな」
無事に旅から帰れるように。
二人揃って、怪我も病気もしないで元気に帰って来られるように…。
今の所は銭亀も無事カエルも要らないと思う、ぼくだけれども。
ハーレイにはきちんと持ってて欲しい。
財布には長寿のお守りの銭亀、ハーレイのお父さんとお母さんの家には無事カエル。
シャングリラと違って亀もカエルも揃っているから、ぼくは安心。
ハーレイはうんと長生きをするし、何処へ行っても元気に家へ帰って来る。
前のぼくみたいなことにはならずに、ぼくの家をいつでも訪ねてくれる。
だけど、そんなハーレイと一緒に何処へでも出掛けて行きたいから。
ぼくの家で待ってるだけじゃなくって、手を繋いで一緒に出掛けたいから。
一日でも早く大きく育って、ハーレイと二人で暮らしたいと思う。
その時が来たら、ぼくも長生きしなきゃいけないから、長寿のお守りも持たなくちゃ。
今度こそハーレイといつまでも一緒。
何処へ行くのも二人で、一緒。
お互い、財布に銭亀を入れて、玄関にカエルの置物を置いて…。
亀のお守り・了
※ハーレイの財布から出て来た銭亀。ブルーでなくても間違えますよね、何処かのお金だと。
正体が分かったら、いつかは欲しいお守りたち。銭亀も、それに無事カエルも…。
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