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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

名月の夜に

 明日は必ず、帰りに寄るから。
 ハーレイが学校帰りに寄ってそう言ったことをブルーは不思議に思っていた。
 夕食を食べてゆくには遅い時間だから、と両親の誘いを固辞して帰って行ったハーレイ。明日の予定だけを告げて帰ったハーレイ。
(…御飯、食べてってくれれば良かったのに…)
 母の「今日は多めに作りましたから、ハーレイ先生の分もありますよ」という言葉は来客向けのものではなくて事実だったし、ブルーたちは既に食べ始めていたのだけれども、ハーレイが食卓に着きさえすれば一緒に食事は出来た筈。それが残念でたまらない。
(…ハーレイにはキッチンの中までは分からないしね…)
 ハーレイは母が追加で料理をせねばならなくなることを気遣って帰ったのだろう。今日の夕食は本当に多めに作ってあったのに。
 余れば明日の朝に父が食べるから、と大皿一杯のキッシュ。スープだって鍋にたっぷり。もしもハーレイが食べたとしたって、明日の朝食が普段通りの卵料理になるだけなのに…。
(ホントに残念…)
 せっかくハーレイの顔を見られたというのに、明日の約束だけ。
 ブルーが胸を高鳴らせたハーレイの愛車のエンジン音は夜の向こうへと消えてしまった。
 夕食を終えて、お風呂に入って。
 ベッドの端にチョコンと腰掛けても、まだ残念な気持ちが残る。夕食を一緒に食べたかった。
 けれど、それ以上に気になってたまらないこと。
 何故、ハーレイは「明日は寄るから」とわざわざ言いに寄ったのだろう?



 明日は普通に学校がある日。
 ハーレイの訪問は休日が基本だからだろうか、とも思ったけれども、平日は「時間が出来た」と寄ってゆくのだし、突然の来訪はよくあること。
(…なんで、予告?)
 何の記念日でも無い筈なのに、とブルーは首を傾げて考え込んだ。記念日だったとしたら、必ず来ようとハーレイが決めていたとしても分かる。けれどブルーには覚えが無い。
(んーと…)
 いくら考えても、ハーレイが帰りに寄った理由が分からない。
 明日に約束をしたという記憶も無ければ、前の生での記念日の類でも無さそうだ。しかし、二日続けての急な訪問は特に珍しくないのに、帰り道に寄っての予告付き。
 よほど特別な日なのだろうとしか思えない。
(…何の日だろう?)
 もしかしたら自分が忘れているだけで、前の生での記念日だろうか?
 どうにも気になってたまらないから、ブルーは記憶を遡ってみることにした。



(…ハーレイとの記念日…)
 もちろん忘れてなどいない。生まれ変わっても忘れはしない。
 ハーレイとシャングリラで過ごした日々。閉ざされた世界だけが全てだったけれど、ハーレイが居てくれたから幸せだった。二人一緒だったから幸せだった…。
(…キスした日かな?)
 初めて貰った唇へのキス。触れ合うだけだった優しいキス。
 今でも鮮やかに思い出せるけれど、その日は明日ではなかったと思う。
(…ハーレイと初めて…?)
 ハーレイが初めて青の間に泊まって行った日。本物の恋人同士として結ばれた夜。
 その日も違う。明日とは違うと記憶している。
 想いを打ち明けられた日でもなかった……と思う。
(…それとも、ぼくが覚え間違ってる?)
 キスさえ出来ない今の生ではこだわるだけ無駄だと思っていたから、ハーレイには一度も話していない。確認だってしていない。
 それに今度は、どの記念日も確実に違う日になるだろうと考えていたし…。



(…やっぱり、明日は記念日なのかな?)
 もしかして、と胸がときめいた。
 自分の記憶が間違っているだけで、実は記念日なのかもしれない。
(…そうなのかも…)
 記念日だったら、キスは駄目でも何か素敵なこと。
 ハーレイは予告までして行ったのだし、大いに期待していてもいい。
 両親も一緒の食卓では何も無いだろうけれど、食後のお茶の時にブルーの部屋で何か。
 キスは駄目でも甘い言葉とか、優しい抱擁。
(だって、大切な記念日だしね?)
 恋人同士ならではのイベントが何かあるかもしれない。
 そう、プレゼントを貰うとか…。
(ハーレイとのお揃いが一つ増えるかも!)
 二つだけしか無い、ハーレイとブルーのお揃いの持ち物。
 その片方はシャングリラの豪華版の写真集。ハーレイが先に買って来て、教えてくれて。自分のお小遣いで買うには高すぎたから、父に強請って買って貰った。
 もう片方は勉強机の上に飾ってあるフォトフレーム。夏休みの最後の日にハーレイと二人、庭で一番大きな木の下で写した記念写真が入っている。ハーレイがプレゼントしてくれたお揃いの品。お互いのフォトフレームを交換して持っている、大切な飴色の木製のそれ。
(…三つ目のお揃いが出来るのかも…)
 しかも記念日に貰えるとなれば、嬉しさは何十倍、何百倍にも膨らみそうだから。
(何か貰えると嬉しいんだけど…)
 考えただけで胸が弾むし、笑みだって零れそうになる。
 きっとドキドキして眠れない、とベッドにもぐり込んだのに、いつの間にか眠って朝だった。



(…ふふっ、記念日…)
 いよいよ今日だ、と制服に着替えて学校に行って。
 ハーレイの授業がある日だったから、脈打つ心臓を懸命に抑えて教室の扉が開くのを待った。
 学校ではあくまで教師と生徒。それは分かっているのだけれど。
(今日はハーレイが家まで来てくれるんだよ、記念日だから)
 緩みそうになる頬を引き締め、現れたハーレイを迎えたのに。
 褐色の肌をした恋人は、開口一番、こう言った。
「さて、今日は何の日か知ってるか?」
(えっ?)
 どうして、と驚くブルーの方を特に見もせず、ハーレイは教室の前のボードに「仲秋の名月」と大きく書いた。SD体制よりも遙かな昔、この地域にあった月を愛でる習慣。
(……お月見……)
 記念日ではなくてこれだったのか、と愕然としたブルーだけれど。
 遠い遠い昔、貴族と呼ばれた偉い人たちは月を直接見上げる代わりに池や杯の酒に映して眺めていたとか、仲秋の名月を見たなら翌月の十三夜の月も見ないと片月見とされて忌まれたとか。
 月にはウサギが住んでいて餅をついているとか、大きな桂の木があるのだとか。
 そういった話は面白かったから、それはそれで楽しかったと思う。
 でも……。



(…何の記念日でもなかったよ…)
 帰宅したブルーは部屋でしょんぼりと肩を落としつつ、それでもハーレイの来訪は確実だから。大好きな恋人が来てくれることは間違いないから、早く来てくれないかと待ち侘びていた。
(学校の帰りだし、車だよね?)
 いつもハーレイの車が来る方向を窓から見下ろしていると、暗くなった道路に見慣れた車。深い緑色をした車体の色までは分からないけれど、間違えはしない。
 車が駐車スペースに入って、門扉の前に大きな人影。チャイムが鳴って母が出て行って…。
(あっ…!)
 ハーレイの授業で教わったススキ。仲秋の名月に供えると聞いた穂のついたススキ。ハーレイがそれを庭のテーブルの上に飾っている。庭で一番大きな木の下が定位置の白いテーブルと椅子とを動かし、月が見えそうな場所へと移して。
(もしかして、御飯…。外なのかな?)
 それは考えてもみなかった。
(そういえば…)
 おやつの後で覗いたキッチンに枝豆が置いてあっただろうか?
 ハーレイの授業で聞いた枝豆。仲秋の名月に供えていたという枝豆、それに栗と里芋。
(…ハーレイ、昨日、ママにも何か話してたよね?)
 特に気に留めていなかったけれど、今夜の相談だったかもしれない。
 仲秋の名月に相応しい料理を作って欲しい、と母に頼んでいたのかも…。



「ブルー、ハーレイ先生がいらっしゃったわよ!」
 お庭で食事よ、と母に呼ばれてブルーの心臓がドキリと跳ねた。
 ハーレイと二人きりでの夕食。庭のテーブルを使うなら、そういうこと。
 何の記念日でもなかったけれども、夕食を二人で。
 いつもは必ず両親も一緒に食べる夕食をハーレイと二人、両親抜きでの庭での夕食。
 夏休みに一度経験したきりの特別な席。
(ハーレイと二人…!)
 記念日でなくてもかまわないや、とブルーは急いで階段を下りた。
 仲秋の名月だから、とハーレイが母に提案してくれたのだろう。
 もうそれだけで嬉しくなる。
 大好きなハーレイと二人きりでの夕食だったら、立派にデートな気分だから。



 月が見える場所へと移されたテーブルに、ハーレイが持って来てくれたススキを生けた花瓶。
 ほんのりとテーブルを照らし出す母のお気に入りのランプ。月明かりを邪魔しない控えめな光。
 庭の向こうから昇って来た月は見事に丸くて、煌々と光り輝いていた。
 月とランプとが照らす食卓に、栗御飯と茹でた枝豆、里芋の煮物。授業で聞いたとおりの献立。それだけではハーレイには足りないからと、他の料理もあるのだけれど。
 ハーレイが美味しそうに栗御飯を頬張り、月を仰いだ。
「地球に来たからには月見をせんとな。一年で一番綺麗な月だぞ、今夜の月は」
 前の俺は地球の満月を見てはいるんだが、残念なことに季節が違った。
 ついでに月も赤かったしな。
 汚染されちまった酷い大気を通して見てもだ、こんな綺麗な月にはならん。
「そうだったんだ…。今はピカピカのお月様だよ、鏡みたいだね」
 ホントにウサギが住んでいそうだし、大きな桂の木だってありそう。
 でも…。



 でも、とブルーは口ごもった。
 月を見ながらのデートは素敵だけれども、記念日なのかと勘違いして期待したから。
 残念な気持ちが残っているから、それをハーレイに告げたくなる。
「…ぼく、勘違いをしてたんだけど…」
 お月見だなんて思わなかった。
 何かの記念日かと思っていたのに。前のハーレイと、ぼくとの記念日…。
「記念日なあ…」
 ハーレイは苦笑しつつも、「なら、記念日にしておくか?」と月を見上げた。
「これから毎年、月見をするとか。それもまた良し、だ」
「ホント!?」
 嬉しい、とブルーは笑顔になった。
「それに、来月もお月見、出来るんだよね? 今日の月だけだと駄目なんでしょ?」
 片月見になる、ってハーレイが授業で言ってたじゃない。
「ああ、あれな。あれはなあ…。つまらん説もあるから、却下だ。やらなくてもいい」
「つまらないって…。なんで?」
「遊郭から始まった習慣だという話がある。遊郭という言葉は知ってるだろう?」
「…知ってるけど…」
 そんな場所から生まれた習慣だったとは、とブルーは驚く。
「ホントにそうなの?」
「さあな? SD体制よりも前の話だ、本当の所は分からんさ」
 しかし授業でわざわざ教えることもあるまい。片月見だけで充分だ。
「そっか…」
 月見が記念日に加わるとしても、次回は来年。来月の十三夜とやらは月見が出来ないらしい、と少し悲しい気持ちになる。
 ハーレイと二人、夜の庭で月を見ながらのデート。それが年に二回だと思ったのに。
「片方だけを見たんじゃ駄目、って、お月様を池に映して見るのと同じくらいにロマンチックだと思ったんだけど…。それ、駄目なんだ…」
「あんまり褒められた由来じゃなさそうだしな? しかしだ、月を映して見る方は、だ」
 そっちの月見は是非、しないとな?



 ほら、とテーブルの上に杯。まるでお正月の御屠蘇に使う杯のよう。
 ハーレイは「これでなければ気分が出ない」と片目を瞑った。そのために出して来たのだ、と。
「御屠蘇くらいでしか見ないだろうがな、月を映していた頃の杯はこういう形だ」
「ふうん…。だけど、前のぼくたちの頃にはこんな杯、無かったよね?」
「無かっただろうな、地球と一緒に復活してきた文化の一つさ」
 これも今の時代の地球ならではだ、とハーレイがテーブルの端に置いてあった器から杯に何かを注ぐ。ブルーは酒かと思ったのだけれど、それとは違った不思議な匂い。けれど…。
「お前は酒は駄目だしな? 俺は酒で、だ。お前は自分のグラスに月を映しておけ」
 やはり中身は酒だったらしい。確かに未成年のブルーには飲めないけれども、水のグラスに月を映しても素敵ではないし、面白味もない。
 月を映すならこの杯でないと、と言ったハーレイではないが気分が出ない。
 だから唇を尖らせた。
「なんで杯、一つだけなの? ぼくの水を入れる分も持って来て欲しかったのに…」
「杯に水を入れるだと? お前、別れたいのか、俺と」
「えっ?」
 なんで、と尋ねたブルーは水杯という言葉と意味とを聞かされて心底震え上がった。
 今生の別れに際して汲み交わす杯が、酒の代わりに水を満たした水杯。そんな恐ろしい杯などは遠慮したいから、つまらなくても水の入ったグラスでいい。
 そうは思うが、ハーレイが美味そうに傾ける酒。
 今のブルーも、酒に弱かったソルジャー・ブルーにも飲めない酒。



(…いいな…)
 杯の酒に映った月は、グラスの水に映る月よりも綺麗に見えるから。
 それを酒と一緒に飲み干せるハーレイはいいな、と羨ましく眺めていたのだけれど。
(…あれ?)
 ハーレイは車でやって来た。駐車スペースに停めるのを部屋の窓から確かに見ていた。
 酒を飲んだら飲酒運転になってしまうのでは、とハタと気付いて青ざめる。
(そうだよ、飲酒運転だよ!)
 飲酒運転は法律で禁止。違反したなら運転免許は取り消しになるし、なにより危ない。
(…ハーレイ、飲酒運転なんかはしないよね?)
 前のハーレイは無免許で巨大なシャングリラを動かしていたが、それはそれ。あの頃は無免許になってしまった理由があったし、無免許でも熟練のキャプテンだった。酒を飲んでシャングリラの舵を握ることなど決して無かった。
(うん、今のハーレイだって絶対しないよ)
 車は置いて帰るのかも、と嬉しくなった。それならば明日の朝、ハーレイと一緒に登校出来る。
 きっと朝一番に車を取りに来るから、頼めば乗せてくれるだろう。



 そう思ったから、ブルーは早速、ハーレイに強請ることにした。
「ハーレイ、明日はぼくも学校まで車に乗せてってくれる?」
「なんでだ?」
 ハーレイが杯を片手に怪訝そうな顔をするから。
「なんでって…。車、明日の朝に取りに来るんでしょ?」
「いや、乗って帰る」
 サラリと返したハーレイに、ブルーはギョッと息を飲んで叫んだ。
「ハーレイ、それって飲酒運転…!」
「…ははっ、バレたか。実はこいつは酒じゃなくて、だ。ノンアルコールの日本酒ってヤツだな、この地域の昔ながらの酒が日本酒だ。月見には日本酒でないと気分が乗らない」
 ノンアルコールじゃイマイチだからな、味を付けてみた。屠蘇風味だ。
「そっか、御屠蘇…」
 不思議な匂いがしたのはそれだったのか、と酒の正体ともども納得したブルーなのだけど。
 本物の酒ではないと聞いたら、欲しくなる。
 酒は飲めない自分だけれども、酒でなければ飲めるのだから。
 ハーレイが仲秋の名月を映して飲んでいる酒。それを自分も飲みたいと思う。
 だから…。



「お酒でないなら、ぼくにもちょうだい。お月見、したいよ」
「うーむ…」
 子供のお前には思い切り不味いと思うがな?
 いくら好き嫌いが無いと言っても、こいつは御屠蘇だ。薬臭いと思うのがオチだ。
 それに杯は一つだけしか無いんだが…。
「パパに頼んで借りて来る!」
 ブルーは急いで家に駆け込み、父がたまに楽しんでいる酒杯を一つ借りて来た。ハーレイの手にある杯とは違って、陶器の杯。いわゆるお猪口。
 お猪口でも月はグラスよりも綺麗に映るし、ハーレイと同じものを注いで貰って大満足で口へと運んだブルーだけれど。
「うー…」
 本当に薬の味がする、と顔を顰めれば、「俺も本物の酒の方がいい」とハーレイが笑った。
 アルコール抜きでは気分が出ないと、屠蘇風味に仕立ててみても雰囲気だけだ、と。



 それでも二人、杯とお猪口に満たした酒に仲秋の名月を映してみた。
 雲ひとつ無い夜空に昇った月。
 その月が小さな水面で輝く。まるで夜空を切り取ったように、酒の中に月が宿ったように。
「綺麗だね…」
 ホントに綺麗、とブルーが呟けば、ハーレイも「ああ」と杯に映った月を眺めた。
「まさに名月だな、一番綺麗な月だと言うだけはある。これで本物の酒ならばもっと…」
「そこでお酒?」
 ブルーは「本当にハーレイはお酒が好きだ」と自分には理解しかねる嗜好に首を捻ったけれど。今のハーレイも前のハーレイも酒好きなのだし、好きな人にはこたえられない味なのだろう。
 遙かな昔の貴族とやらも月を杯などに映して見ていた、と今日の授業で教わった。
 池に映った月を眺めるか、こうして杯の酒に映すか。昔の偉い人たちの月見はずいぶん変わったものだったのだな、と思うけれども、悪くはない。それに…。
「ねえ、ハーレイ。こんな風にしてお月見してると、ちょっと偉い人になった気分だよね」
「偉い人か…。ソルジャーとキャプテンだったら、どうだ?」
 問われて、暫し考えてみる。
 シャングリラに居た頃の自分とハーレイも偉い立場ではあったと思う。
 皆を導くソルジャーだったブルーと、シャングリラのキャプテンだったハーレイ。
 どちらが欠けても船は守れず、その立場ゆえに恋人同士であったことを伏せねばならなかった。
 時の流れが連れ去ってしまったシャングリラ。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 あの頃の自分たちも偉い立場ではあったけれども、今となっては既に当時の比ではない。
 ソルジャー・ブルーもキャプテン・ハーレイも、歴史の教科書に名が載るレベル。
 ブルーに至っては、学校の先生の長い挨拶で名前と共に「感謝しましょう」と言われる有様。



「……凄く偉いね……」
 偉すぎだよ、とブルーが嘆けば、「そのようだ」と笑いを含んだ声が返った。
「とてつもなく偉くなっちまったらしいな、お前も俺も。特にお前は」
 偉い人になっちまった前の俺たちに敬意を表して、もう一杯、綺麗に飲み干しておくか。
 二人で乾杯といかんか、ブルー?
 前の俺が見た赤い月から数えて何度目の満月になるかは知らんが、地球の月にな。
「うん。とっても薬臭い飲み物だけどね」
「お前にはな。俺にはちゃんと御屠蘇の味がする。…アルコール分が無いから物足りんがな」
 それでも酒だ、とハーレイは月を映した杯を掲げた。
「乾杯!」
 ブルーも自分のお猪口を掲げて「乾杯!」と唱和し、飲んでみたけれど。
 屠蘇風味の飲み物は薬臭くて、美味しいとはとても思えなかった。
 月を映したものでなければ、ハーレイと二人で飲むのでなければ、飲み物ならぬ薬の味。
 好き嫌いの無いブルーであっても、好んで飲みたいとは思わぬ飲み物。
 これなら水の方がよっぽど…、と思ったけれども、杯に水は厳禁だから。
 ハーレイに教わった水杯は御免だから、と頑張って酒を飲み干した。
 そうしたら再び酒が注がれ、お猪口に仲秋の名月が映る。
「まだ飲むの?」
「いや。飲めとは言わんが、こうしないと気分が出ないだろうが」
 飲まなくていいから、せっかくの月を映しておけ。
 月はこうして見るものなんだぞ、前の俺たちみたいに偉い人はな。



 今のブルーには薬だとしか思えない味の、お猪口の中の飲み物だったけれども。
 いつか二人で本物の御屠蘇をちゃんと飲もうな、とハーレイが笑う。
 お前は酒に弱いけれども、御屠蘇は縁起物だから、と。
「うん…。うん、ハーレイ…」
 ブルーの期待した記念日の類では無かったけれども、気分は充分に特別だった。
 ハーレイと二人、庭での夕食。
 仲秋の名月の夜に二人きり。ススキを飾って、栗御飯に枝豆、里芋の煮物なんかを食べて。
 それに杯とお猪口に、月。
 遙かな昔の偉い人たちがしていたように、月を映して眺めて、飲んで。
(…こんなお月見が出来るだなんて…)
 ソルジャー・ブルーだった頃には思いもよらなかった、ハーレイと二人きりでの月見。
 焦がれ続けた地球の上に居て、空には仲秋の名月があって。
 青い地球に生まれて来られた幸せを思い、ブルーは澄んだ夜空を見上げる。
 ハーレイが地球に降りた夜には赤かったという月。その月が白く煌々と輝く下で…。




        名月の夜に・了

※ハーレイとブルー、二人でお月見。地球から月を見上げられる世界に来たのです。
 前のハーレイが見た赤い月とは違う月。あれから幾つ目の満月でしょうか…。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv




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