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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

雨上がりの風

「あっ…!」
 ざあっ、と梢を鳴らして吹いて来た風。
 庭の木々を揺さぶった風は開け放ってあった窓から部屋へ吹き込み、ブルーとハーレイが向かい合って座るテーブルの上を軽々と越えて。
 ブルーが思わず瞑ってしまった目を開けるよりも早く、勉強机に重ねて置いてあったプリントがバサバサと音を立てて部屋中に舞った。それらは床へ、ベッドへと無秩序に落ちる。
「あーあ…」
 ほんの一瞬で散らかった部屋。
 ブルーは椅子から立ち上がってプリントを拾い、机に戻して重石代わりにとペン立てを乗せた。乱暴な風にそう何回も飛ばされたのではたまらない。



「派手にやられたな」
「うん」
 片付ける間、黙って見ていたハーレイが椅子に戻ったブルーを「お疲れ様」と労い、窓の外へと視線を向けて。
「…風の音にぞ驚かれぬる、か」
 相変わらず風は吹いていたけれど、先刻のような突風ではなくて穏やかな風。葉ずれの音さえも微かでしかない風だったから、さっきの風を指しているのだとは思うけれども。
 聞き覚えの無い言い回しだから、ブルーは首を傾げて尋ねた。
「なに、それ?」
「ん? 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる、だな」
 古今集の歌さ。
 藤原敏行って人が詠んだ和歌なんだ、百人一首には入ってないがな。
「風の音でビックリするの? さっきみたいに?」
「秋が来ていることを目ではっきりとは見られないが、だ。風の音で秋の気配を感じて驚いた、といった意味の和歌だな」
「ふうん…。だけど百人一首じゃないんだ?」
「同じ人の歌は入っているんだが…。まるで別の和歌だ、秋の歌じゃない」
 全く違う、とハーレイが挙げた和歌は確かに別物だった。
「住の江の岸に寄る波、夜さへや夢の通ひ路人目よくらむ。…恋の歌だな」
「そうなの?」
「気になるんだったら、後で自分で調べておけ」
 俺は藪蛇は御免蒙る。
 如何にもお前が詠みそうな歌だ、そして文句をつけてくるんだ。
「えーっ?」
 ケチ、とブルーは唇を尖らせたけれど、ハーレイの解説は聞けなかった。



 百人一首。
 ブルーとハーレイが住んでいる地域に遙かな昔に在った小さな島国、日本で選ばれた百首の歌。
 古典の授業の範囲ではあるが、全部の歌を習いはしない。
 ソルジャー・ブルーだった頃のブルーも、その存在を何処かで目にした程度。内容までは興味を持たなかったし、百首の歌を見た覚えも無い。
 ゆえにハーレイが口にした歌の意味など見当もつかず、仕方ないから質問を変えることにした。
「百人一首には秋の歌って色々あるの?」
「あるぞ。吹くからに秋の草木の萎るれば、むべ山風を嵐と言ふらむ、とかな」
 こいつはさっきの風よりも酷い。
 風が吹いた端から草木が萎れていくと言うから、歌の通りに嵐だな。
 その時代の言葉で呼ぶなら野分だ。
「野分…。それ、台風のことだったっけ?」
「そうだ、流石によく覚えてるな。もっとも今じゃ本物の台風ってヤツは無いそうだがな」
 SD体制が崩壊した時、地球の地形も変わっちまった。
 ずうっと昔には二百十日なんて言ってだ、台風が来やすい時期を指した言葉もあったんだが…。
 梅雨と同じで消えちまったなあ、台風も二百十日もな。
 もっとも、秋に来る嵐なら野分でいいかもしれん。
 二百十日の頃に野の草を吹き分けてゆくという強風だからな、二百十日は秋だしな?



 他にも秋の風を詠んだ歌は百人一首にあるんだぞ、とハーレイは挙げた。
「秋風にたなびく雲の絶え間より漏れいづる月の影のさやけさ」
「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり」
 この二つだけでなく、まだ幾つか。
 雲がたなびくだけの風から、紅葉を散らす嵐まで。
 なんと沢山の風があるものか、とブルーは思う。
「ねえ、ハーレイ。秋の風だけでも色々な風があるんだね」
「そりゃまあ…。なあ? 秋の風も春も、夏や冬の風もあるだろうが」
 有名なトコだと、春なら東風か。冬は木枯らしだな。
 四季がある地域ならではだ。
「うん。此処に生まれて良かったよ、ぼく」
「まったくだ。四季がある上、海に行ったら潮風があるし、山の風も気持ちいいからな」
 実にいい所に生まれたものだ、とハーレイも大きく頷いた。
 四季折々の地球の息吹を感じられると、この地域に生まれ変わることが出来て良かったと。



 二人して、四季と風とを語り合っていたのだけれど。
 不意にハーレイがブルーの瞳を覗き込んだ。
「そういえば…。お前はどういう風なんだろうな?」
「えっ?」
 ぼく? とブルーが目を丸くすれば、ハーレイは「ああ」と笑みを浮かべた。
「今のお前なら可愛らしいし春風だろうが、前のお前は何だろうなあ…」
「…なんで前のぼく?」
 どうして其処でソルジャー・ブルーの話になるのか、ブルーにはまるで分からなかった。
 今の自分がどういう風かを話題にするなら自然だけれども、ソルジャー・ブルー。
 遙か遠い昔に死んでしまった前の自分を、何故ハーレイが持ち出すのだろう?
「すまん、驚いたか? だが、風の話で思い出したんでな」
「何を?」
「ナキネズミのヤツが言ったんだ。「ブルーは風の匂いがしたね」と」
 お前が逝ってしまった後で。
 俺が青の間を何度も訪ねたって話は前にしていただろう?
 たまに先客がベッドに居たと。
 丸くなって寝ていたナキネズミを起こして、お前の思い出話をしたと…。



 言われてみればブルーにも覚えがあった。
 前の自分が死んでしまった後、独りぼっちになったハーレイ。
 シャングリラに仲間たちは大勢いたのに、ハーレイは孤独の只中に居た。
 癒し難い苦しみと悲しみを抱え、ブルーが居なくなった青の間を訪ねては泣いた。その青の間のベッドで寝ていたらしいナキネズミ。
 たった一匹のナキネズミがベッドに居るだけで、ハーレイは泣かずに済んだという。在りし日のブルーに共に思いを馳せ、懐かしむことが出来たから。
 けれど…。
「えーっと…。ハーレイ、ナキネズミは風の匂いなんかを知っていた?」
 シャングリラ生まれの動物だけど、とブルーは尋ねた。
 ナキネズミは思念波を中継させるために作った生き物だったし、シャングリラでしか育たない。交配も世代交代も全てシャングリラの中。
 ジョミーに渡して「レイン」と名付けられたナキネズミも例外ではなかった筈なのだが…。
「はて…。そう言えば、あいつは風を知らんか…」
 ハーレイともども、首を捻って。
 そうか、とブルーが思い至ったこと。
「それ、もしかしたらナスカの風のことかな?」
「そうかもしれん。…いや待て、それだけは有り得んな」
 あいつは風がお前の匂いだと言った。
 お前、ナスカには降りていないぞ。眠ったままだったお前の匂いと比較は出来ん。
「そっか…。じゃあ、シャングリラの風なわけ?」
「人工のか? そいつは有難味が無さ過ぎるぞ」
 俺はてっきり自然の風だと…。
 如何にもお前に似合いそうだと、そう思って聞いていたんだが…?



 またしても二人、ナキネズミが話したという風の正体について考え込む羽目に陥った。
 ナスカの風とは違うらしいし、シャングリラの公園に吹く人工の風でも無いのだとしたら。
「…ハーレイ。あれ、いつ地上に下ろしたっけ?」
「あいつか? ジョミーの成人検査に間に合うように、馴染ませないといけなかったし…」
 成人検査より半年くらいは前だったろうか、とハーレイが記憶を遡る。
 人類の世界には存在しないナキネズミ。
 それを巧みに紛れ込ませてデータを操作し、宇宙の珍獣だと思い込ませた。
 ジョミーの成人検査の時期に合わせて公開されるよう、ジョミーの目に触れて出会えるように。
「あいつはリオが運んで行ったんだったか?」
「うん、ぼくがサイオンで細工したケージに入れてね。その時なのかな?」
「ケージの中では風が吹いても分からんだろう」
 それに輸送は小型艇だ。
 あの船の中にも風は吹かんぞ、凄い速さで飛ぶ密室だからな。
「だったら、地上? …でも、リオはユニバーサルのデータを操作して、ナキネズミをケージごと動物園に…」
「その筈だよな?」
 風に触れさせる暇など無かった筈だ、とハーレイは顎に手をやった。
 ナキネズミはケージごと動物園に収容されて宇宙の珍獣になったのだから、と。



 まるで分からない、ナキネズミと風との接点なるもの。
 ブルーは前の自分が目にした動物園の様子を思い浮かべて、ポンと手を打った。
「うん、何処かで自然に生きてたかも! 風の入る檻って言うの? 屋根のない場所で」
 そういう区画は幾つもあった。
 子供たちが動物と触れ合えるように作られた広場や、囲いの中を歩き回る動物たちや。
 夜になれば飼育用の小部屋に戻されるけれど、昼の間は風が吹き抜ける場所に居た生き物たち。ナキネズミもそうに違いない、と考えたブルーだったけれども。
「おいおい、宇宙の珍獣だぞ?」
 ナキネズミは一匹だけなんだ。
 貴重な動物をウサギやポニーなんかと一緒にするなよ?
 ライオンだってだ、一頭しかいないってわけじゃないんだ、珍しさの桁が違いすぎる。
「うーん…。自然の区画は無理かあ…」
 考えてみれば、ジョミーがナキネズミと出会った時にも密閉された檻だった。
 換気用の設備は整っていたものの、狭苦しい檻。
 アルタミラで押し込まれていた檻を思い出させる、ろくに動けもしない檻……。



 前の自分が立てた作戦とはいえ、ブルーの胸が微かに痛んだ。
 シャングリラの中で生まれ育ったナキネズミ。
 そのシャングリラでさえ閉ざされた狭い世界であったというのに、更に狭い檻へと送り込まれたナキネズミ。ろくに動けず、風さえ吹かない檻に入れられ、ジョミーを待っていたナキネズミ…。
 あの狭苦しい檻に入れられる前は、ナキネズミは何処に居たのだろう?
 アルテメシアには一匹しかいない宇宙の珍獣。
 人類が暮らす宇宙全域でも数えるほどしか存在しない、と偽りのデータを送っておいた。
 それほどに貴重なナキネズミ。
 自然の風が入る場所では、感染症で死ぬかもしれない。病気に罹ってしまうかもしれない。
 もしも自分がナキネズミを預かる飼育係ならどうするだろう、と想像してみて。
 密閉した部屋で飼うしかないと思った。
 外からウイルスが入らないよう、換気設備の完璧な部屋で。
 だとすると……。



「ひょっとして、ジョミーが外に出すまで、ナキネズミは風を知らなかった?」
「有り得るな…」
 大いに有り得る、とハーレイとも意見の一致を見たのだけれど。
 其処でブルーはとんでもない事実に気が付いた。
「ちょ、ちょっと待って。まさか風って、ジョミーが派手に銃撃されてた時の!?」
「なんだって!?」
 ハーレイが鳶色の目を見開いた。
「硝煙の匂いの風だと言うのか、ナキネズミが言っていた風は?」
 まさか、と目を剥くハーレイだったが、ジョミーが銃撃されていたことは否定できない。そして現場にナキネズミが共に居たことも。
 ジョミーはナキネズミを檻から出した直後に取り囲まれたし、銃撃された。
 それから後はリオに救われ、小型艇の中。
 そんな場所では風は吹かない。ナキネズミが風を感じただろう場所では激しい銃撃。



 ブルーは呆然として今の自分の身体を眺めた。
 可愛らしいから春風のようだ、とハーレイが言った小さな身体。
 けれども、ソルジャー・ブルーだった頃の自分が纏っていたという風の匂いは…。
「…ぼくってそんなに…」
 硝煙の匂いがしただろうか、と呟いた途端に蘇る記憶。
 あんまりと言えばあんまりな記憶。
「そうだ、ナキネズミに…。レインに会ったの、格納庫だ…」
 キースの脱走騒ぎの時の。
 あそこでキースに逃げられた後でレインが来たから、思念波をブリッジに届けて貰って…。
「うーむ…」
 そうだった、とハーレイが腕を組んで唸った。
 子供が一人仮死状態だから医療班を寄越してくれと、自分もナキネズミの力を借りねば思念波を送ることさえ覚束ない、とブルーからブリッジに届いた思念。
 あの時は腰が抜けそうだったが、今なら冷静に思い出せるし、笑いも出来る。
「キースは硝煙臭かったろうな、爆発騒ぎの後だったしな?」
「その匂い、ぼくにも移っていたかも…。全然、意識していなかったけど…」
 キースからブルーの身体に移ったかもしれない硝煙の匂い。
 ナキネズミがジョミーと一緒に銃撃された時、嗅がされたであろう硝煙の匂い…。



「前のぼくの匂いって、まさか、硝煙…」
「それだけは無いと俺は思いたいが…」
 あまりにも酷すぎる風の匂いに、愕然とするブルーと、ハーレイと。
 硝煙では無かったと思いたいけれど、考えるほどに硝煙の匂いが怪しい上に有力候補。
 しかしソルジャー・ブルーが常に硝煙の匂いを纏っていたわけではなかったから。
 違ったことをハーレイは誰よりも知っていたから、こう提案した。
「そうだ、雨だと思っておかないか?」
「雨?」
「雨上がりの風だ。水が少なくて乾いたナスカじゃ、そいつが一番いい風だった」
 あいつ、名前がレインだったからな。
 たまにナスカで雨が降って来ると、雨上がりに外へ駆け出して行ってたもんだ。
 空気が薄くても平気だったな、やっぱり動物は強いもんだな。
「雨上がりの風かあ…。硝煙よりかはそっちがいいかな」
 それがいいな、とブルーは嬉しくなったのだけれど。
 ナキネズミが語ったと聞く「風の匂い」。
 その風がどういう匂いだったのか、ハーレイは尋ねなかったのだろうか?



 硝煙だったのか、ナキネズミが好きだった雨上がりの風か。
 どちらが前の自分の匂いなのか、とブルーはもう一度ハーレイに向かって訊いてみた。
「ハーレイ、確認しなかったの? 風の匂いって、どんな匂いか」
「いい話だと思っていたからな。風の匂いだと聞いたら、そうかと思うさ」
「……そんなものなの?」
 いい話だから、と思ってナキネズミに訊き返さなかったハーレイ。
 ソルジャー・ブルーは風の匂いがした、と聞かされて「いい話だ」と思ったらしいハーレイ。
 ということは…、とブルーはアッと息を飲んだ。
「それじゃ、ハーレイも風の匂いで納得したわけ?」
 そういえば、ハーレイもアルタミラから後は本物の風なんか知らないよね?
 アルタミラって言えば、空まで届きそうに燃え上がる炎と爆風が渦巻く地獄だったし…。
 やっぱり硝煙?!
 前のぼくの匂いって、硝煙なんだ…?



 打ちのめされたブルーだけれども、ハーレイが「こらこら」と苦笑した。
「落ち着け、馬鹿。俺だってナスカの風を知ってる。雨上がりが一番と言っただろうが」
 それにアルテメシアに居た頃には、だ。
 シャングリラの周りの風の匂いだって俺は知ってたさ。キャプテンだからな。
 必要とあらばハッチだって開けて覗かにゃならん。
「シャングリラの周りって…。凄い風だったよ?」
「だが、本物の風には違いあるまい?」
 油断したら身体ごと吹っ飛ばされそうな風でも、本物の風だ。
 前の俺は本物の風の匂いを知っていたんだ、アルテメシアのも、ナスカのもな。
「…だったら風の匂いって、硝煙の匂いじゃないかもしれないんだ?」
「まあな。…ナスカはともかく、アルテメシアじゃいつだって雲の中だったんだが…」
 あの頃の、元気だった頃のお前が風の匂いだと俺は思った。
 はて、何故なんだか…。



 何故、と顎に手を当てて遠い記憶を探っていたハーレイが「あれか」と声を上げた。
「…そうだ、湿り気を含んだ風だ。シャングリラの周りにはいつも雲があった」
 雲は細かい水の粒だしな、風だって自然と湿り気を帯びる。
 じっとりと重い風じゃなくって、しっとりと肌に馴染むんだ。
 もの凄い強さで吹き付けて来るのに、「外の空気だ」と身体が喜んでいたな。
 やはりナスカの雨上がりの風があれに近いか…。
 あいつ、きちんと言い当てていたか、お前の匂いを。
「本当に? ハーレイ、本当に硝煙じゃなくて?」
「間違いない。俺が保証する」
 前のお前からしていた匂いは風の匂いだ、ナスカで一番だった雨上がりの風の。
 ナキネズミが言ってた風の匂いは、そいつで絶対、間違いはない。
 俺にしてみれば、雨上がりの風でなくてもいいんだがな。
 アルテメシアでシャングリラのハッチから顔を出した時の、雲の中の風。
 あの時に感じた風の匂いが、前のお前の匂いだったんだがな…。



 硝煙の匂いではなかったらしいソルジャー・ブルー。
 けれど雨上がりの風の匂いだと言われても、やはりブルーには分からない。
 ジョミーに渡したナキネズミが生まれた頃には既に弱っていたソルジャー・ブルー。それゆえにナキネズミと触れ合う時間などは無かったのだし、地上へ送り出す前に少し会った程度。
 ほんの少ししか会わなかったナキネズミが匂いを覚えているものだろうか?
 キースと対峙した後の格納庫でなら濃密な触れ合いがあったけれども、それなら硝煙の匂いだと思われる筈。
 殆ど面識が無いに等しいナキネズミが何故、雨上がりの風だと考えたのか。
 それをハーレイが言うのだったら、不思議でも何でも無いのだけれど…。
 だから疑問を口にしてみる。
 雨上がりの風だと保証してくれた、褐色の肌の恋人に向かって。
「ねえ、ハーレイ。ぼくはナキネズミと殆ど会ってないのに、なんで風の匂いがしたんだろう?」
「そいつは多分…。俺が思うに、青の間じゃないか?」
「青の間?」
「お前は知らないだろうがな。あいつ、青の間に何度も来てたぞ」
 前のお前が寝ていた間に、ジョミーの肩に乗っかってな。
 お前は黙って寝ていただけだが、ナキネズミには青の間がお前の部屋だと分かっていた。
 其処で馴染んだ匂いと良く似ていたのが、ナスカの雨上がりの風だったんだろう。
 ……忘れちまったか?
 青の間にはたっぷりとあった筈だぞ、雲の湿り気や雨上がりの風とそっくりなものが。
「そうか、水…!」
 広大な青の間に満々と湛えられていた大量の水。
 ナキネズミはそれの匂いを覚えたのか、とブルーはようやっと安堵の吐息をついた。
 ソルジャー・ブルーの匂いだとナキネズミが言った風の匂いは雨上がりの風。
 乾き切ったナスカの大地を潤した雨が運んで来た風…。



「…良かった…。硝煙の匂いじゃなくて」
「俺もホッとしたさ、そんな物騒な匂いのことだったのかと焦ったぞ」
「ハーレイがちゃんと確かめておかないからだよ、ナキネズミに!」
 ぼくだって焦ったんだから、とブルーは文句を言ったけれども、本当はとても幸せだった。
 ハーレイが覚えていてくれた、ソルジャー・ブルーだった頃の自分の匂い。
 雨上がりの風の匂いに似ていたという、元気だった頃のソルジャー・ブルーの匂い…。
 どんな匂いがしたのだろうか、と考えていたら。
 サアッ、と風が吹き抜けていって、遠くの空に雲が湧いている。
 ハーレイもそちらの方を眺めて、「ふむ…」と遠い雲に目を凝らした。
「さて、こいつは後で一雨来るかな」
「どうなんだろうね?」
 天気予報では降るとは言っていなかった。
 けれども秋の天気は気まぐれ。
 遙かな昔のような野分こそ今では来ないけれども、変わりやすいことは今でも同じ。
 ハーレイが雲を見やって、それからブルーの方を見て。
「降るとしたら夜だな、俺が帰った後だろうな」
 お前と一緒に雨上がりの風の匂いは確かめられないか…。
 こんなのだったぞ、と言ってやろうにも、帰った後ではどうにもならんな。
「ぼくは自分の匂いなんかは知らないよ!」
 そんなの知らない、と照れ隠しに叫んだ小さなブルーだったけれども。
 本当の所は、ハーレイと一緒に雨が降るまで、雨が上がるまで一緒に居たかった。
 そして二人で確かめたかった、とブルーは遠くの雲を見詰める。
 雨上がりの風の匂いがしていたという、ソルジャー・ブルー。
 前の自分からはどんな匂いがしたのか、雨上がりの風はどんな匂いを運んで来るのか。
 それをハーレイと確かめたかった、とブルーは思う。
 前の自分から漂ったという、湿り気を帯びた風の匂いを……。




         雨上がりの風・了

※風の匂いがした、ソルジャー・ブルー。なんとも不思議な匂いです。風の匂いは本当に色々。
 雨上がりの風の匂いで良かったですよね、硝煙の匂いだと酷すぎですから。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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