シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「トマトか…。お前に食わせてやりたかったな…」
ハーレイが唐突に呟いた言葉に、ブルーは赤い瞳を丸くした。
「なんで? トマトだったら、今、食べてるよ?」
ブルーの部屋でテーブルを挟んで向かい合わせの昼食の時間。スープにサラダに、メイン料理のスタッフドトマト。
くり抜いたトマトに米と挽肉、刻んだハーブを詰めてオーブンで焼き上げた、ブルーの母の得意料理の一つ。食の細いブルーには一個で、身体の大きいハーレイには三個。
それを食べている最中なのに、どうしてトマトだなどと言い出すのか。
怪訝そうな顔のブルーに、ハーレイは「すまん、言葉が足りなかったか」と苦笑した。
「お前はお前でも、前のお前だ。これを見たら思い出してしまってな…」
「前のぼく?」
「ああ。トマトだけじゃなくて、キュウリもナスも…。他にも沢山あったっけなあ…」
「前のぼくだって食べてたよ?」
シャングリラで作っていたじゃない、とブルーは首を傾げたのだけれど。
「ナスカだ、ナスカ」
食ってないだろ、とハーレイはブルーの瞳を見詰めた。
「あの星で採れた、いろんな野菜。お前、食わずに逝っちまったしな」
お前が目覚めた時にはシャングリラ中がゴタゴタしていたからな…。
野菜どころじゃなかったろ、お前?
十五年もの長い歳月を眠り続けたソルジャー・ブルー。
その目覚めは変動の予兆そのもので、ミュウに災いを齎す地球の男からシャングリラを、仲間を守るためのもので。
ブルーに残された時間は少なく、その時間さえもが混乱の中で過ぎて行ったようなもの。僅かな時間しか無かったブルーと、多忙すぎたキャプテンのハーレイと。
二人きりで会える時間は無かった。ろくに言葉も交わせなかった。
それが悔しい、とハーレイは辛そうな顔をする。今でも悲しくて悔しいのだ、と。
「ナスカの野菜を味わうどころか、俺の野菜スープも飲まないままで逝っちまったな、とな…」
俺の野菜スープも、きっと美味かっただろうと思うんだ。
いつだったか、お前が地球の野菜スープが美味い、と言ったみたいに。
レシピを変えてしまったのか、と訊いてたろ?
「そういえば…。美味しいんだよね、今のハーレイの野菜のスープ」
「地球の光と水と土とが育てた野菜だからな。同じ野菜でも美味くなるんだ、不思議なもんだ」
だからナスカで採れた野菜も美味かった筈だと思わんか?
前のお前に食わせたかった。
こんなに美味い野菜が出来たと、野菜スープも美味いんだぞ、と…。
だが、とハーレイの顔が苦しげに歪む。まるであの日に戻ったかのように。
「…俺はお前に野菜スープを作るどころか、一緒に眠ってさえやれなかった。…愛しているとさえ言えなかったな、せっかくお前が目覚めたというのに…」
「仕方がないよ」
気にしないで、とブルーは微笑み、「ぼくなら平気」とハーブ風味の米をスプーンで掬った。
「ぼくはソルジャーだったんだから。そして君はシャングリラを預かるキャプテンだった」
そんな時間は無くて当然、と米を頬張り、健気に振舞うブルーだったけれど。
本当の所は辛くなかった筈がない。
今もブルーは覚えている。
ハーレイとの十五年ぶりの優しい時間すら持てず、いたずらに流れ去った遠い日のことを。
赤い星に迫った災いの時をただ待つだけしかなかった日々を…。
長老たちと一緒の公式な見舞い。
それがハーレイが青の間を訪れた、ただ一度だけの時だった。
キャプテンとしてブルーの身体を気遣い、ゼルたちと共に状況の報告や今後の方針などを伝えただけの短い訪問。私的な会話は一切無かった。ソルジャーとキャプテン、それぞれの立場での言葉のみを交わしてハーレイは青の間を辞し、自分の持ち場へと戻って行った。
非常警戒態勢に入ったシャングリラでは、キャプテンは自室を離れられない。ブリッジに居ない時は自室で待機が鉄則だったし、そのように作られた部屋がキャプテンの私室。ブリッジと緊急の連絡が取れて、指示も下せる設備が整った部屋。
ハーレイは其処から動くことが出来ず、自室に居なければ居場所はブリッジ。
青の間で静養中のブルーの方でも、医療スタッフや医療機器に見守られていては動けはしない。許可を得られれば短時間の外出は可能だけれども、ハーレイの部屋には出掛けられない。
今後のことで相談があるから、と嘘をついて訪ねることは出来ても、恋人同士の逢瀬を持ったら何かあった時に全てが知れる。
長い年月、隠し続けてきたハーレイとの仲が、シャングリラ中に。
そうなることが分かっていたから、ブルーは会いには行けなかった。ハーレイが来られないのも分かっていたから、流れ去る時をただ見ていただけ。
残された時間が減ってゆくのを唇を噛んで見ていただけ。
堪え切れずにフィシスの許を訪ねたけれども、辛さが増しただけだった。
フィシスを抱き締め、慰めることは出来るのに。
どうして自分を抱き締めてくれる逞しい腕は何処にも無くて、恋人の声さえ聞けないのかと。
何故ハーレイとキスさえ交わせず、死に赴かねばならないのかと…。
遥かな昔を思い出して俯くブルーに、ハーレイが「すまん」と謝った。
「前の俺の配慮ってヤツが足りなかったんだ。スープ作りなら堂々と青の間に行けただろ?」
キャプテンとしてな。
前のお前がダウンした時には俺の野菜スープしか飲めないってことは皆、知っていたし。
「そうだけど…。ぼくは普通に食事が出来たし、君にはそんな時間は無かった」
ブリッジに居なければ、キャプテンの部屋か移動中か。
そうだったでしょ?
ぼくにはちゃんと分かっていたよ、とブルーはフォークでトマトをつつく。オーブンで加熱したトマトは皺が寄っていて、それでもトマトの形はそのまま。
中身を殆ど掬って食べてからトマトを食べるのがブルーの好みで、底に残ったハーブ風味の米とトマトとを混ぜながら口へ。けれど、トマトの中にはまだたっぷりと具が入っている。
ハーレイの方は一個目のトマトを食べ終え、二個目の蓋を外しながら。
「いや、通信手段さえ確保していれば行けたんだ。スープを作る間くらいは」
スープを作りに行ってきます、と嘘をつく度胸さえ無かったキャプテンだ、俺は。
お前が独りぼっちだってことは分かってたのにな…。
「ううん、仕事を大切にしただけ。キャプテンの役目を果たしただけだよ」
ぼくが本当のソルジャーだったら、野菜スープを作る間に作戦会議ってこともあるけれど…。
ソルジャーはとうにジョミーだったし、スープ作りの時間は無駄だよ。
ぼくと会うだけの、ただの恋人同士の時間で何の役にも立ちはしないよ。
ハーレイはそれに気付いていたから、来なかっただけ。
青の間でスープを作る代わりに、キャプテンの仕事をしていただけ…。
「それはそうかもしれないが…」
実際そうでもあったのだろうが、とハーレイはトマトに詰まった米を掬って。
「俺がスープを作りに行けていたなら…。そしたら、お前は美味いスープを飲めたんだ」
こんな美味しいスープがあるのか、と言ってくれたかもしれないな。
レシピをこっそり変えたんじゃないかと、今のお前と同じことをな…。
「そうだね。そう言ったかもしれないね…」
それに、最後に食べる食事がハーレイのスープだったら良かった…。
ハーレイが作ってくれたスープを美味しく飲んで、それから死ねたら幸せだったよ。
…それでもやっぱり泣いただろうけど。
ハーレイの温もりを失くしてしまって泣いただろうけど、スープの分だけ涙が減った。
きっと、減ってた…。
本当に減っていたのだろう、とブルーは遠く過ぎ去った日の悲しみを思う。
もしもハーレイと、僅かであっても私的な会話を交わせていたなら。
ハーレイが作った野菜スープを、「美味いと言ってくれただろう」と話すナスカの野菜で作ったスープを味わえていたなら、きっと心に温もりがあった。
右の手が冷たく凍えようとも、思い出は心に残っていた。
ハーレイの姿と声とは確かに記憶に残っていたのに、温もりを失くしてしまった自分。けれどもスープの美味しさを、ハーレイの優しさを心に刻んでいたなら、きっと心が温かかった。
その温かさの分、涙は減った。
独りぼっちなことに変わりはなくても、暖かな思い出に縋れたから。
束の間、味わった幸せに縋れる分だけ、涙は幾粒か減っただろう。
もうハーレイには会えないのだと泣きじゃくりながらも、最後に飲ませて貰ったスープの優しい味と温かさとに少しは救われていただろう。
あれを飲めただけでも幸せだったと、幸せな思い出だけは持って逝けるのだと…。
「お前、本当は何を食ったんだ?」
最後の食事、とハーレイに問われて、ブルーは「同じだよ?」と遠い記憶を手繰り寄せた。
「あの日のお昼御飯でしょ? ハーレイと同じ」
いつも通りの時間に届いたし、特に何か言われた覚えも無いし…。
だから、みんなと同じだよ。
ハーレイが何処で食べたのかは知らないけれども、普通の食堂の御飯だったよ。
「そうか…。ナスカの野菜ですらなかったんだな、やっぱりな…」
「そうだったの?」
何も考えていなかったから、とブルーは遠い遠い記憶を探ったけれど。
迫り来る死に、ハーレイとの別れに囚われていた心は食事の味まで覚えてはいない。ハーレイが美味しかったと語ったナスカの野菜が使われていても、恐らく気付きはしなかったろう。
けれどハーレイが悲しそうな顔をするから、もう一度重ねて訊いてみる。
「あの食事、シャングリラの野菜だったんだ?」
「…ああ。お前が何も訊かれなかったなら、間違いなくシャングリラの野菜だな」
ナスカの野菜は好き嫌いが分かれた。
俺は美味いと思ってたんだが、食いたくないヤツらも中にはいたんだ。
ナスカなんぞで暮らしているより地球へ行こうと主張するヤツらは食わなかった。
だから若い連中向けの料理には使っていた筈なんだが、古株向けはな…。
同じメニューでも素材が違う、というヤツだ。
お前は古株の中の古株なんだし、試食しますかと訊かれなかったならシャングリラの野菜だ。
ブルーは驚いて目を見開いた。
ナスカに居た頃、若い世代との対立があったとは今のハーレイから聞いていたけれど、食事用の野菜までが別にされるほどに激しいものとは思わなかった。
どおりでナスカに残ろうとした者が多かった筈だ、と今になって気付く。明らかに危険が迫っているのに何故逃げないのかと不思議だったが、彼らにとってはナスカこそが居場所だったのだと。
「…野菜まで別にしてたんだったら、ナスカに残りたがるのも無理はないよね…」
「俺に言わせりゃ、馬鹿だがな。一旦逃げてだ、何事も無ければ戻るっていうのが普通だろ?」
それが避難というヤツだ。
安全を確認出来たら戻るって選択も可能ではある。
いくらあの時点で「二度とナスカには戻らない」と言いはしてもだ、安全ならな。
「うん。安全だったら捨てる必要は無いものね、ナスカ…」
「せっかく開拓したんだしな? だが、若い連中には危機感ってヤツが欠けていたんだ」
その結果として、あの惨事だ。
自業自得なヤツらはともかく、俺たちはお前まで失くしちまった。
もっとも俺たち古い世代も努力不足ではあったと思う。
俺はともかく、頑固なヤツら。
ナスカの野菜なんかが食えるものか、と言ってたヤツらの意識を変えておくべきだった。
そうしたら同じナスカを離れるにしても、一時撤退って形を取れていたかもなあ…。
「ナスカの野菜、そこまで嫌われ者だったんだ?」
ハーレイが食べたら美味しかったのに、食べようとしない人、多かったんだ?
「まあな。…ゼルが初めてナスカのトマトを食った時には、お前が居なかったくらいだからな」
「…ぼくが死んだ後?」
ナスカが無くなった後のことか、とブルーは仰天したものの。
どうしてゼルが食べようという気になったものか、ということの方が気にかかる。
それを問えば、ハーレイは「怒るなよ?」と苦い笑みを浮かべた。
「お前のお蔭で逃げ延びた後、俺たちは天体の間に集まってジョミーの指示を待っていた。…俺は緊張の糸が切れたっていう感じでな…。お前の名前を呼びながら泣いていたんだが…」
その時にゼルが食っていたんだ、「こんなに美味かったんじゃのう…。ハロルド」って、死んだ若いヤツの名を呟きながらな。
俺は一瞬、激しい怒りを覚えたさ。どうしてお前の名を呼ばないのか、と。
だがな、殴り飛ばしたくなった途端にゼルの心の奥底が見えた。だから殴らずに見守れたんだ。
「…何か理由があったんだね? ぼくの名前を呼ばなかった理由」
「そうだ。だから怒るなと先に言っておいた筈だぞ」
ゼルはアルタミラで弟を亡くしている分、仲間を亡くした若いヤツらの気持ちも分かった。
それでお前を呼べなかった。お前の名前は俺たちが呼ぶに決まっているからな。
若いヤツらのためにナスカで死んだヤツの名前を呼んでだ、あえてお前を呼ばなかった。
そして初めてのトマトも食うことにしたんだ、厨房から持ってこさせてな。
死んだヤツらが育てたトマトだ、それを味わって食ってやるのが何よりの供養になるだろうが。
ゼルの気持ちは分かったけれども、今度はトマトがブルーの心に引っ掛かった。
母のスタッフドトマトは確かに美味しい。けれど野菜は他にも色々。生で食べるには適しているからゼルはトマトを持ってこさせたのか、それ以外の理由もあったりするのか。
これは訊かねば、とハーレイの鳶色の瞳を見上げる。
「そこでトマトを選ぶんだ? トマトが一番自慢の味の野菜だったとか、そんな意味もある?」
「自慢の味と言うか、ナスカで最初に実った野菜と言うか…。最初に根付いたものは豆だが、豆はそのままじゃ食えんしな? 生で食える野菜としてはトマトが最初だ」
それだけに熟練の味だったな、うん。
ナスカに居た間に劇的に味が向上してたぞ、実に美味かった。
「ぼくもそのトマト、食べたかったよ。野菜が別だって知っていたなら、注文したかも…」
「ゼルとしては供えていたんだと思うぞ、お前にな」
声に出していたのは若いヤツらの名前だったが、心の中ではちゃんとお前を呼んでいた。
俺には分かった。ゼルがお前の名前を呼びながら号泣していたのがな。
…で、食えたか?
ゼルがお前に供えたナスカのトマト。
「さあ…? どうなんだろう、覚えてないや」
でも、そのトマトって、生だよね?
「調理済みではなかったな」
「そっか…。じゃあ、味の違いが際立ったかな?」
食べてみたかったな、ナスカのトマト。
ちょっと生のトマトを食べたい気分がするけれど…。残念、今日のサラダはトマトじゃないね。
「おいおい、メインがコレだぞ?」
サラダまでトマトだとやりすぎだ。
一個しか食わないお前はともかく、俺はトマトが三個分だしな?
ゼルが前の自分にナスカのトマトを供えてくれていた、とハーレイから聞かされたブルーは遠い記憶を探るけれども、生憎とメギドから後は分からなかった。記憶の糸はプツリと途切れて、今の生へと繋がっている。生まれ変わるまでの間に何処に居たのかも定かではなくて。
「…前のぼくって、食べられたのかな? ゼルのトマト…」
「食ってくれていたなら嬉しいが…」
嬉しいんだが、とハーレイは複雑な表情になった。
「その一方で俺としては腹立たしくもあるな。俺のスープは飲んで貰えなかったのに、とな」
お前にナスカの野菜のスープを作ってやりたかったのに。
美味いのを飲ませてやりたかったのに…。
「だったら、ぼくは食べていないよ、きっと。…ゼルのトマトは」
ハーレイの気持ち、伝わっていたと思うから。
どんなにゼルに貰ったトマトが美味しそうでも、食べないよ。
ハーレイがぼくに飲ませたかったスープを飲んでないのに、ゼルのトマトは食べられないよ。
「そうなのか?」
「うん。ハーレイが悲しがるようなことはしないよ、メギドだけで沢山」
勝手に飛んでしまって悲しませたから、と口にする小さなブルーをハーレイが軽く睨み付けて。
「充分に悲しかったがな? そのメギドのせいで」
「だからそれ以上はやらないってば」
ゼルのトマトだけを美味しく食べて、ハーレイを悲しい気持ちにはさせないよ。
ハーレイのスープを飲んでいないのに、トマトなんかは食べないよ…。
決して食べないし食べてはいない、とブルーは笑みを浮かべて言った。
ナスカのトマトは気になるけれども、食べられるものなら食べたかったけれど、ハーレイが作るスープの方が良かったと。
それを最後に飲みたかったし、それが無いならナスカのトマトも要らないのだと。
「…それにね、今は美味しい地球のトマトが食べられるから」
ナスカのトマトにはこだわらないよ。
絶対に地球のトマトの方が美味しいトマトに決まっているもの。
「違いないな」
その点は両方を食べた俺が保証する、とハーレイが大きく頷いてみせる。
「やっぱり美味さが全然違うぞ、シャングリラのとナスカのトマトの違いよりデカイな」
「そこまで違うの?」
「ああ、違う」
それだけ地球のトマトは美味い。
うんと美味いし、いつか俺たちが結婚したら…。
お前の野菜スープ専用の畑を作ろうか、って言ってただろう?
その畑のメインはトマトにしとくか?
ナスカで一番自慢の野菜で、ゼルがお前に供えたトマトだ。記念にどうだ?
「うーん…。記念はいいけど、そうなると野菜スープがトマト風味になってしまわない?」
ぼくが一番好きな味とはちょっと違うかも。
ハーレイ、レシピを変えちゃうつもり?
「確かになあ…。トマトベースだと別物だからなあ…」
塩と野菜の旨味だけっていうのがお前好みの味だしな。
トマトは入れてもほんのちょっぴり、他の野菜が多めだっけな?
畑のメインをトマトにするのはやめておくか、とハーレイは三個目のスタッフドトマトを食べるべく蓋を開けにかかる。
ブルーはと言えば、一個しか無かった自分のトマトの皮と残った米とを混ぜ合わせている最中。普段だったら食べ終えている頃だけれども、話に夢中で手が遅い。
そんなブルーの手元を見ながら、ハーレイがしみじみと先刻の話題を繰り返した。
「…しかしだ、お前に飲ませたかったな、ナスカの野菜で作ったスープ…」
「ぼくも最後に飲みたかったよ、ハーレイのスープ」
ハーレイが言うから飲みたくなった、とブルーはクスクスと小さく笑った。
「だけど、とっくに手遅れだもの。前のぼくは死んじゃって、今のぼくになっちゃったしね」
ハーレイのスープ、今は地球の野菜のスープになったよ。
ナスカの野菜のは飲み損ねたけど、地球の野菜のスープは一生、作ってくれるんだよね?
「そりゃあ、野菜畑まで作る予定だ、作ってやるが…」
いくらでも作るが、他の料理にも開眼しろよ?
最後の晩餐が野菜スープっていうのは悲しいぞ。
前のお前の頃ならともかく、今じゃ料理も素材も食べ放題で選び放題だ。
今度は野菜スープだなんて言わずに、もっとゴージャスなのを注文してくれ。
そういう話題は王道だぞ、とハーレイはブルーに微笑みかけた。
最後の食事に何を食べたいか、何を食べるかと好物を挙げて楽しむのだと。
学生時代はそうした話に興じたものだし、今でも同僚とああだこうだと笑い合うのだ、と。
「お前の年では、まだやらないか…。飯よりも菓子が挙がりそうだしな、ガキだしな?」
「ガキは酷いよ!」
酷い、と抗議しつつも、ブルーは少し考えてみて。
「…ぼくはハーレイと一緒に食べられるんなら何でもいいよ、最後の晩餐」
「ほう、そうか? 何でもいいのか」
じゃあ、ステーキだ。
食べ応えのある美味いのを食おうじゃないか。
「いいよ? …ぼく、食べ切れないかもしれないけれど…」
「寿司かもしれんが?」
ありったけのネタを端から注文して食っていくんだ、楽しいもんだぞ。
美味い酒があればもっといいな。
前のお前も今のお前も酒は駄目そうだが、最後の晩餐とくれば付き合え。
酒は舐めるだけでもいいから、寿司ネタは端から端までな。
なあに、少し齧って俺に寄越せば制覇出来るさ、お前のちっぽけな胃袋でもな。
難しそうな注文ばかりが挙がるけれども、ブルーは「うん」と笑顔で応えた。
「お寿司でも寄せ鍋でも、何でもいいよ」
ハーレイと一緒に食べられるんなら、ぼくには最高の御馳走だから。
前のぼくは最後の食事を一緒に食べられなかったから……。
それにスープだって飲めなかった。
ハーレイが作る野菜のスープ。ナスカの野菜で作ったスープ…。
「ふむ…。俺の料理でも満足か、お前」
「そうだよ? 別にお店で食べなくっても、ハーレイの料理で充分なんだよ」
だって、ハーレイが作ってくれるだけで美味しいに決まっているんだもの。
ステーキもお寿司も、ハーレイが食べに行きたいんだったら付き合うけれども、ぼくが食べたい最後の晩餐はハーレイの料理。
野菜スープでも何でもいいから、ハーレイの料理が食べたいな…。
「俺の料理か…。よし、思い切り腕を奮うか、何百年後になるかは知らないけどな」
なんたって最後の晩餐だからな、俺たちが何年生きるかによるな。
それまでに腕を磨いておこう。
お前も食いたい料理を増やして、野菜スープだなんてケチな注文するんじゃないぞ?
「うん。それを食べたら…。最後の晩餐を一緒に食べたら、約束通り死ぬのも一緒だよ?」
そしてまた何処かに一緒に生まれてこようね、思い出の味を食べられるようにね。
「ああ。いつまでも、何処までも一緒に行こうな、ブルー」
今度こそ、何処までも一緒に行こう。
次に二人で生まれ変わっても、その次も、そのまた次もな…。
一緒に行こう、と微笑み交わして、約束をして。
指切りをする二人の前に置かれた皿にはトマトのヘタだけが残っていた。
ブルーの皿にはヘタが一個で、ハーレイの皿には三個分のヘタ。
幸せな約束を見届けた四個のトマトは、地球の大地で育ったトマト。
青く蘇った地球の光と水と土とで育ったトマト。
ナスカのトマトよりも遥かに美味しいトマトを育てる母なる地球。
その地球の上に生まれ変わって、恋人たちは幸せな時を生きてゆく。
今度こそ二人離れることなく、何処までも二人、手をしっかりと繋ぎ合って……。
赤い星のトマト・了
※ナスカのトマト。…個人的には非常に恨みがあった代物、アニテラ17話のせいで。
「なんでハロルドだよ! ブルーの名前じゃないんだよ、ゼル!」と。
ようやっと恨みを晴らせた作品、自分語りをしてしまうほどに。…トマトなんです。
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