シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「うーん…」
休日の朝、目覚めたブルーは鏡に映った自分の姿に溜息をついた。
ピョコンと跳ねてしまった頭の天辺、髪の一房。銀色の髪がピンと真上に立ち上がっている。
(間抜けだよ、これ…)
好き勝手な方向に跳ねているようにも見えるブルーの髪だが、ちゃんと決まった方向があった。髪を切りに行けば理容師が丁寧に癖を見極めながらカットし、整えていた。
前の生では名前など無かった髪型だけれど、今の時代は「ソルジャー・ブルー風」という立派な名前が付いてしまって、町を歩くと同じ髪型をたまに見かける。それだけに妙な風に跳ねると寝癖なのだと一目で分かるし、それが悩ましい点でもあって。
(…ジョミーだったら普通なんだけどなあ…)
コレ、とブルーは跳ねた髪の毛を引っ張った。
前の自分が見付けた後継者のジョミー・マーキス・シン。性格をそっくり表したような金の髪は明るく、光そのもの。ブルーよりも短かった彼の髪だが、何故か一房跳ねていたものだ。
(多分、寝癖じゃないんだよね?)
ああいう髪の癖なんだよね、とブルーは思う。十五年もの長い眠りから覚めて出会った、青年の姿に育ったジョミー。その髪もやはり一房ピョコンと跳ね上がっていた。
それがジョミーのお決まりの髪型だったから、今も何枚も残る写真はそういう髪。男性も女性も「ソルジャー・シン風」だの「ジョミー・マーキス・シン風」だのと真似たがる。
(アレだったら跳ねてても普通なのに…)
この状態が普通なのに、と寝癖のついた髪を引っ張るブルーは知らない。ジョミーと同じ髪型の人たちが「ピョコンと一房」跳ねさせるために毎朝努力していることを。どの辺りを上手く真上に向かって跳ねさせようかと、鏡に向かっていることを…。
ジョミーだったら「普通」だとブルーが信じる寝癖。跳ね上がってしまった自分の髪。
それは「ソルジャー・ブルー風」の髪型では変にしか見えず、とにかく寝癖を直すしかない。
(うー…)
前の自分の髪もよく跳ねていたが、前のブルーなら何でもなかった。サイオンで直せば良かっただけ。サイオンを宿らせた指で軽く撫でれば良かっただけ。
しかし今では事情が違った。とことん不器用になってしまったブルーのサイオン。寝癖を直せる技などは無くて、撫でたって何も起こらない。
(…全然ダメだよ…)
こんな風に、と理想のスタイルを思い描きながら何度撫でても、髪はピョコンと跳ねたまま。
ブラシを握って梳いてみても無駄、ブラシを濡らして梳いてみても駄目。
(直らないよ…)
休日で時間はたっぷりあるから、と努力したものの成果はゼロで。
(…やっぱりママに頼まなくっちゃ…)
登校する日についた寝癖は母が蒸しタオルを使って直してくれるから、そうして貰おうと階下に下りて行ったのに。
「あれっ、ママは?」
焼き立てのトーストの匂いが漂うダイニングに母は見当たらなかった。父だけが新聞を手にしてテーブルに着いて、空いた方の手には齧りかけのトースト。
父が食べている目玉焼きとソーセージが乗っかった皿も、ブルー用の小さなオムレツもきちんと用意されているし、サラダを盛り付けたボウルもあるのに。ハーレイに貰ったマーマレードの瓶も置かれているのに、母の分の皿は何処にも無い。
代わりに自分で焼けとばかりに皿に載せられたスライスしたパン。厚みは明らかにブルー用。
母は何処に、と見回すブルーに父が新聞から顔を上げて言った。
「ママなら朝市に出掛けて行ったぞ。朝刊にチラシが入っていたんだ」
たまに来るだろ、郊外の農場の販売車。
新鮮な野菜も果物もあるって書いてあったし、いそいそとな。
「そうなんだ…。いつ帰るかな?」
「さあな? 朝御飯は其処にあるだろう」
オムレツは軽く温め直して、トーストは焦げ過ぎないように気を付けろよ。
バターは其処で、ハーレイ先生のマーマレードも此処にあるから。
父の言葉通り、オムレツを温め、トーストを焼いて。
背が伸びるようにと毎朝飲んでいるミルクも冷蔵庫から出してカップに注いだ。食べている間に母が戻ってくるであろう、とトーストにマーマレードをたっぷりと塗って齧っているのに。
「…ママ、まだかなあ?」
一向に帰って来ない母。壁の時計の針が進んでゆく。一時間もすれば多分、ハーレイが来る。
(こんな頭じゃ困るんだけど…)
とても困る、と母の帰りを待ち侘びながら「まだかなあ?」と何度も繰り返して。
「もうすぐハーレイが来ちゃうよ、パパ」
「そりゃそうだろうさ。そのために朝市に行ったんだぞ、ママは」
ハーレイ先生に美味しい食事をお出ししたい、ってな。
おいでになる時間には間に合うように帰ってくると言っていたから心配しなくても大丈夫だぞ。
「えーっ!?」
心配事は其処ではない、とブルーは悲鳴にも似た叫びを上げた。
ハーレイに出すお茶は間に合うだろうが、間に合わないかもしれない自分の頭。
しっかりと寝癖がついてしまった自分の頭…。
一人息子の素っ頓狂な声に、父は新聞をバサリと閉じると向き直った。
「どうした、ブルー?」
「…ぼくの髪の毛…」
この世の終わりのような顔で跳ねた毛先を指差すブルーだったが、父は事も無げに。
「寝癖か、自分で直せるだろう?」
「…パパ、直せないの、知ってるくせに…」
恨めしそうに上目遣いで父を睨めば、「はははっ」と笑い声が返った。
「そのままでいいだろ、いらっしゃるのはハーレイ先生なんだから」
校長先生とかじゃないしな?
それにお前のために来て下さるんだ、何も問題ないだろう?
たまにはありのままのお前の姿を見て貰え、と父は涼しい顔だけれども。
(ありのまま過ぎて笑われるんだよ!)
ハーレイは前の自分の寝癖を知っている。
ソルジャー・ブルーの髪が朝にはどうなっていたか、どんな具合に跳ねていたのか。
それに寝癖をサイオンで簡単に直したことも。
(…ぼくが不器用なの、これ以上バラしたくないんだってば…)
たかが髪の毛、たかが寝癖のほんの一房。
けれどブルーにとっては大問題で、何としても寝癖を直したかった。
ピョコンと跳ね上がった一房の髪を、ハーレイがやって来る前に。
まだか、まだかと時計を見ながらオムレツを食べて、トーストも食べて。サラダもミルクも胃に収めたのに、母は戻って来なかった。
朝市の場所は近所の公園。其処で出会ったご近所さんと話が弾んでいるのだろう。
(…ママ、ギリギリまで帰らないかも…)
ハーレイが来る日だと知っているのだし、時計も持って出掛けた筈。何時に戻れば来客のための準備が出来るか、母は充分に分かっている。そして準備に必要な時間の中にはブルーの寝癖を直す時間は含まれていない。
(…ママが帰って来ても、直して貰う時間は無いかも…)
どうやって直すんだったかな、とブルーは母の手順を頭の中で追ってみた。
(えーっと…)
まずは必須の蒸しタオル。
母は給湯器から出る一番熱い湯を使っていた。火傷しないよう気を付けて絞り、湯気が立つ間にブルーの頭に載せていた。
そう、ピョコンと跳ねてしまった辺りに。
(うん、乗っければいいんだよね!)
後は何度かタオルを外して跳ね具合をチェックしていたと思う。
ちょうどいい具合に髪が収まるまで、寝癖がついた辺りをタオルの熱で温めながら。
(蒸しタオル…)
ついでだから、と父と自分が使った食器の後片付けをして、テーブルを拭いた。それから仕事に取り掛かる。キッチンの蛇口から出る湯の温度の目盛りを最高まで上げて、タオルを濡らして。
「あつっ…!」
手にシールドを張れないブルーには熱すぎる温度。絞るだけでも一苦労だった。
ともあれ、蒸しタオルはこれで出来上がったから。
(…こんなものかな?)
ホカホカと湯気を立てるタオルを頭に載せると、ダイニングへと戻って行った。
(少ししたら外して、ちょっと見てみて…)
ダイニングの壁には小さな鏡が掛かっているから、それを覗けばいいだろう。待ち時間はどんなものだったろうか、と考えながら遊ばせた視線の先。
(あっ!)
父が再び広げていた新聞に可愛らしい猫の写真を見付けた。読者投稿欄のペットの写真。
(ミーシャだ…!)
カメラの方を向いてチョコンと座った真っ白な猫。ハーレイの母が飼っていたというミーシャにそっくりな白い猫の写真。
「パパ、ちょっと見せて!」
父の肩越しに覗き込んでみると、写真の猫の名前も奇しくもミーシャ。
(猫のミーシャだ…)
ハーレイの母が飼っていたミーシャはずうっと昔に死んでしまっていないけれども、ハーレイが色々と思い出話をしてくれる。
甘えん坊な所がブルーに似ている、などと懐かしそうに目を細めて。
(本物じゃないけど、本物のミーシャ…)
いいな、とブルーは夢中でミーシャの写真とセットの投稿を読んだ。まるでハーレイが過ごした子供時代を見ているよう。投稿者は子供ではなかったけれども、猫と飼い主との素敵な触れ合い。
(ホントにミーシャにそっくりだよ)
家族全員で可愛がっているという甘えん坊のミーシャ。
子供の頃のハーレイもきっと、こんな風にミーシャと過ごしたのだろう…。
うっとりと想像の世界に浸っていたブルーは、父が呼ぶ声で我に返った。
「ブルー、蒸しタオル、載せすぎじゃないか?」
「えっ?」
忘れ果てていた、頭の上に載せた蒸しタオル。熱すぎるほどだった熱はとっくに無い。
(大変…!)
まさか、と覗き込んだダイニングの壁に掛かった鏡の中。
(……嘘……)
呆然と赤い瞳を見開く。
ピョコンと跳ねていた一房は無かったけれども、頭は見事にペシャンコだった。いつもふわりと広がっている筈の銀色の髪が頭の上だけペシャリと平らにへしゃげている。ソルジャー・ブルー風どころか、何が何だか分からない髪型。何処から見ても可笑しな髪型。
ブルーは半ばパニックになって、慌てて父に助けを求めた。
「どうしよう、パパ…! これ、直せない?」
「うーん…。シャンプーしてブローしないと無理なんじゃないか、それは?」
お前、タオルでしっかり蒸しちまったろう。
そう簡単には直らないぞ、きっと。
「パパのサイオンとかは?」
「出来んこともないが、パパの髪の毛じゃないからなあ…」
失敗したらどうするんだ。パパには加減が分からないからな。
「…そんな……」
どうしたらいいの、と泣きそうになった所へ母が帰って来た音がしたから。
ブルーは急いで玄関の方へと駆けて行った。
買い込んだ荷物が多かったらしく、勝手口には回らないで玄関の扉から入って来た母。ブルーの住む地域は家の中では靴を履かないから、玄関の床は土足の場所より一段高くなっている。其処に敷かれた絨毯の上に、野菜や果物が詰まった袋。
普段のブルーなら母を手伝って荷物を奥へと運ぶけれども、今はそれどころの話ではなかった。
「ママ!」
見てよ、と袋を持とうともせずに自分の頭を指差した。母はまだ靴を脱いでいる最中なのに。
「ぼくの髪の毛、大変なことになっちゃった…!」
「あらあら、すっかりペッシャンコねえ…」
何をしたの、と上がってブルーを見下ろす母。身長が未だに百五十センチしかないブルーよりも母の方が背が高いから、自然とそういう形になる。
「寝癖を直そうとして失敗しちゃった…」
ママがなかなか帰って来ないから、蒸しタオル、自分で作ったんだよ。
だけど頭に乗っける時間が長すぎちゃった…。
「そうだったの? でもねえ、ブルー」
美味しそうな野菜と果物を沢山買ったわ、お昼も夜も御馳走よ。
ハーレイ先生もいらっしゃるから、ママ、張り切ってお料理するわね。
「それより、ママ…!」
ぼくの頭、と訴えた時にチャイムが鳴った。母が「あら?」と客人を映し出す画面を見て。
「いらっしゃったわ、ハーレイ先生」
ブルー、荷物をキッチンに持って行っておいて。
ママは門扉を開けに行くから。
「え? えええっ?」
母は靴を履き直して出て行ってしまい、ブルーは一人残された。
(ハーレイ、来ちゃった…!)
頭はペシャンコのままなのに。
玄関には野菜と果物が詰まった袋が置かれて、それを運ばねばならないのに。
髪を直して貰うどころか、母の手伝いをする間に時間切れだなんて…!
「…ふうむ。それでペシャンコになっちまった、と」
ハーレイは二階の自室に逃げ帰っていたブルーを見るなり吹き出したけれど、声を上げて笑いはしなかった。流石は大人と言うべきだろうか、「すまん」と謝り、いつも通りに挨拶もしてくれたけれども。
ブルーの母がお茶とお菓子を置いて去るなり、ハーレイの顔から教師の威厳は吹き飛んだ。目の前のブルーのペシャンコになった頭をしげしげと眺め、クックッと懸命に笑いを堪える。
大きな身体を二つに曲げんばかりにして肩を震わせるハーレイの姿にブルーは唇を尖らせ、今に至るまでの事情を説明したというのに止まらない笑い。
だから頬っぺたをプウッと膨らませ、悲劇の原因を改めて口にした。
「本当にミーシャだったんだよ! ちゃんと真っ白の!」
それに本物のミーシャみたいに甘えん坊で。
お魚だって生は嫌いで、焼いてくれってトコまでそっくり…。
「おいおい、ミーシャのせいにしないでくれ。それはお前の不注意ってヤツだ」
蒸しタオルを載せてる間くらいは時間に注意していろ。
よそ見をするからそんなことになる。
実に間抜けとしか言いようがないぞ、お前の髪型。
とんだソルジャー・ブルーもあったもんだ、とハーレイが笑い続けるから。
笑われてもペシャンコになった頭はどうにも元に戻せないから、ブルーは仏頂面で尋ねる。
「…ハーレイ、ぼくのこと笑ってるけど、ハーレイは寝癖つかないの?」
「お前、その辺はよくよく知ってる筈だよな?」
前と同じだ、何も変わらん。
キャプテン・ハーレイも俺も寝癖は同じだ。
「逆立つんだっけ?」
確かツンツン立っていたな、とブルーは遠い記憶の底を探った。
青の間のベッドで眠っていた時も、ハーレイの部屋に泊まった時にも、寝癖がついたら逆立っていたと記憶している。短い髪を両手でかき混ぜ、指で上へと伸ばしたように。
「その通りだが、俺の場合はブラシで何回か梳けば直るぞ」
髪質の違いというヤツだな。
それにブラシで直せなければ、スタイリング剤を使うって手もあるし。
「ずるい!」
なんでハーレイはブラシだけで直せてしまうわけ?
おまけに直す薬っていうの?
そんなのまでちゃんとあるなんて、ずるい!
不公平だ、とブルーは頬を膨らませた。
自分は寝癖も直せなくなってしまったというのに、何故ハーレイは前と同じで直せるのかと。
二人で地球に生まれて来たのに、どうして違いが出て来るのかと。
ハーレイは「お前なあ…」と呆れ顔でブルーの苦情を聞いていたけれど、ふと思い付いたように褐色の大きな手を伸ばして。
「じゃあ、こんな髪の方がいいのか、お前」
ブルーの銀色の髪に指を差し入れ、前髪を額の上へと梳きながら。
「今の髪型よりコレにしとくか? どうなんだ、ブルー?」
こんな感じで、と何度か撫でられたブルーの髪はオールバックになっていた。
何か変だ、と気付いたブルーが鏡を覗けば、其処にはペシャンコよりも酷い頭の自分が居て。
「ハーレイ、これ…!」
「ん? 俺の髪型と同じヤツだが、文句があるのか?」
お前の大好きなお揃いってヤツだ。
キャプテン・ハーレイ風と呼ぶには少し長いが、悪くないだろう?
「……こんなお揃い……」
酷い、とブルーは鏡の向こうの別人のような自分を見詰めた。
好き勝手な方へ跳ねているようでも、ソルジャー・ブルー風の髪型はそうではないのに。たった一房の髪が真上に跳ねただけでも変になるのに、オールバック。
いくら大好きなハーレイとお揃いであっても、これだけは御免蒙りたかった。この髪型を作った理容師の方をクルリと振り向き、「直してよ!」と突っかかってゆく。
「直してよったら、嫌だよ、こんなの!」
ねえ、とハーレイが腰掛ける椅子の脇に膝を付き、広い胸を、逞しい腕や足をポカポカと叩いて頼んでいるのに、悠然としている酷い理容師。「知らんな」と素知らぬ顔の理容師。
「ママに見られたら笑われるよ…!」
「お前、そのママにいつも頼んでるんだろ、寝癖直しを?」
ハーレイ先生にやられたと言っとけ。
生憎と俺にも直せんからなあ、お前の寝癖は。
お母さんに頼んで直して貰うのがいいと思うぞ、蒸しタオルで。
それが一番確実なのさ、とハーレイはブルーの悲惨な頭を笑いながら眺めているものだから。
「ホントは上手に直せるくせに!」
大嘘つき、とブルーは自分の髪型を変えてしまった理容師の腕を、胸を叩いた。
「コレが出来たんだから、絶対、直せる!」
直せないだなんて、嘘なんだから!
嘘に決まっているんだから…!
お茶もお菓子もそっちのけにして、ポカポカ叩いて、叩き続けて。
ようやっとハーレイが「仕方ないな」とブルーの髪に手を伸ばすまではかなりかかった。褐色の指がそうっとそうっと髪を解きほぐし、ゆっくりと梳いて。
「…どうだ、こんなもんか?」
鏡を見て来い。
ついでにペシャンコも直しておいたぞ、ソルジャー・ブルー風になったと思うがな?
「えーっと…」
立ち上がって鏡を覗きに行ったブルーは驚いた。オールバックの髪の自分は何処にも居なくて、代わりに普段とまるで同じ姿。ペシャンコになった髪はもとより、ピョコンと跳ねていた寝癖まで綺麗に直っている。
「…凄い……」
ホントに凄い、と感嘆するブルー。
「今度のハーレイ、器用なんだ…」
「違うぞ、前の俺だった頃から出来たぞ?」
変わっていないと言っただろうが。
寝癖も髪質も、寝癖直しの腕前も前の俺のままだ。
「嘘!」
そんな話は聞いていない、とブルーは反論したのだけれど。
前の自分の、ソルジャー・ブルーの記憶の中にはハーレイのそんな技などは無い、と。
けれどハーレイはいとも簡単にサラリと答えた。
「出番が無かったというだけだ」
前のお前には必要無かった技だろうが。
お前、自分で直してたしなあ、寝癖くらいは一瞬でな。
出番が無ければ使う機会も無いものなのだ、とハーレイは笑う。
この技は前から持っていたのだと、今でもスタイリング剤を切らした時には使っていると。
「俺は基本的にサイオンは使わないことにしているからな」
サイオンよりかはスタイリング剤が好みだな。
まずはブラシで、そいつが駄目ならスタイリング剤だ。
しかしだ、俺が使っているヤツはお前の髪には合わないだろうし、髪型もまるで違うしな?
将来、お前に「ずるい」と言われても貸しようがないな、スタイリング剤。
「えっと…。将来って?」
そう尋ねてから、ブルーはハタと気が付いた。
ハーレイ愛用のスタイリング剤を「貸してくれ」とゴネられそうな場面は一つしか無い。それはハーレイと共に暮らす家で、其処の洗面所の鏡の前あたりで口にする台詞。
自分の髪は寝癖で跳ねたままなのに、寝癖をサッサと直してしまったハーレイはずるいと、秘密兵器のスタイリング剤を貸してくれてもいいのにと。
「そっか…。借りられないんだ、今のハーレイが使ってる、えーっと…」
「スタイリング剤だ。お前みたいな子供が使うのは早すぎだな」
だから蒸しタオルになるんだろう。
将来的にも蒸しタオルかもなあ、お前の髪質と髪型に合うヤツが無ければな。
「ずっと蒸しタオルかもしれないの?」
ぼくがやると失敗してしまうのに、とブルーは嘆いた。
母が居なかったから髪がペシャンコになったと、一生これが続くのかと。
「こらこら、勝手に悲観するな」
お前、一人で暮らす予定は無いんだろ?
俺の嫁さんになると決めてるんだろ、違うのか?
「でも、蒸しタオル…。ママがいないと失敗しちゃう…」
「だからだ、お前のママの代わりに直してやる羽目になるんだろうなあ、この俺が」
朝っぱらから蒸しタオルを作って、お前の頭に乗っけるんだ。
うっかりペシャンコにしちまわないよう、チェックするのも忘れずにな。
「ハーレイが直してくれるんだ…」
ママの代わりに、とブルーの頬が幸せで緩む。膨れてばかりだった頬が幸せで桜色になる。その嬉しさのままに「ふふっ、幸せ」と微笑んだけれど。
頼もしい寝癖直し係はニヤリと笑ってこう言った。
「場合によってはオールバックに仕上げるからな?」
俺とお揃いだ、いいだろう?
さっきお試しでやってみたよな、ああいう感じだ。
「酷い!」
寝癖を直してくれるんじゃないの、と食って掛かったブルーに、ハーレイは片目を軽く瞑った。
「冗談だ。さっきはともかく、冗談以外でやらかすわけがないだろう」
やらんさ、お前には今の髪型が一番似合うんだからな。
ソルジャー・ブルー風が似合う俺のブルーだ。
ブルーには、コレだ…。
…そうだろう、ブルー?
前のお前からずっとコレだし、寝癖くらい俺がいくらでも直してやる。
お前の姿を側で見ていられるなら、毎朝だって直してやる。
だから安心して俺の所に来てくれ。いつかお前が、ちゃんと大きく育ったならな……。
寝癖の直し方・了
※今は寝癖を自分で直せないブルー。将来も自分で直すのは難しそうです、前と違って。
ハーレイに頼めばきちんと直して貰えそうですけど、たまにはオールバックかも?
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