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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

ネクタイ

 来客を知らせるチャイムの音。この時間だと…、と部屋の窓から庭の向こうの門扉を見下ろす。生垣を隔てた表の通りに見慣れた人影。
(やっぱり…!)
 ママが夕食の支度を始める時間帯。ママの友達が来るには遅いし、パパの友達は平日には滅多に訪ねて来ない。今頃の時間に来るお客さんといえば、ご近所さんか、そうでなければ…。
(ふふっ)
 ぼくは急いで部屋を飛び出し、階段を駆け下りて玄関へ走った。着くのと同時に外側から開いた玄関の扉。ママが「どうぞ」と中へ促すお客さん。
「ハーレイ…!」
「おう。今日の放課後以来だな」
 元気にしてたか? と挨拶しながら大きな身体が入ってくる。学校を出る前、廊下ですれ違って挨拶を交わした「ハーレイ先生」。ぼくの家だと、ただの「ハーレイ」。
 ハーレイはママに「すみません、こんな時間から」って、お決まりの挨拶をしているけれども、ママはちっとも気にしていない。ハーレイはとっくに家族みたいなものだから。
「こちらこそ、ブルーがお世話になります。どうぞごゆっくり」
 直ぐにお茶をお持ちしますから、とママが言い終えるのを待って、ぼくも「来てよ!」と階段の方へと駆け出した。走らなくてもいいんだけれども、いつもパタパタ走ってしまう。階段の途中で後ろを振り向いて、歩いてくるハーレイに「早く!」と叫んで。
 もちろんハーレイは走ってくれない。他所の家で走るだなんて、大人はしない。
 分かってるけど、走ってしまう小さなぼく。前のぼくなら走りはしないと思うけど…。
(でも、走りたくなっちゃうものは仕方ないよね)
 部屋の扉を開けて入って、テーブルと椅子を目でチェックした。窓際に置いてある、ハーレイと二人で腰掛けるための指定席。今日みたいに急に来ることも多いから、毎日掃除は欠かさない。
(よし!)
 ちゃんと出来てる、と満足した所でハーレイがようやく到着した。



 テーブルに向かい合わせで座って、ママがお茶とお菓子を運んで来るのを待って。
 それが届いたら夕食に呼ばれるまでの間は二人きりの時間。ママは決して部屋には来ない。前はそうだと気付いていなくてドキドキしたけど、パターンが分かったら寛ぎの時間。
(うん、今日もハーレイとゆっくり出来るよ)
 ママの足音が階段を下りて消えていく。二人きりの時間の始まりだよ、とハーレイを見たら。
(あ…!)
 学校帰りにぼくの家に寄った時、ハーレイが一番最初にしていること。
 正確に言うなら、挨拶とかを終えて落ち着いた後で、必ずすることって言うのかな?
 スーツの上着はママが預かって掛けておくから、上着を脱ぐのは家に入ったら直ぐにすること。スーツじゃない先生も多いけれども、ハーレイはスーツ。パパと同じで大人の制服。
 その制服の上着も脱ぐけど、なによりネクタイ。
 ママの足音が消えて行ったら、ハーレイの褐色の手が自分の襟元に行く。
 キッチリと結んであったネクタイを緩めて、ホッと寛いだ表情を見せるハーレイ。
 学校では決して見られない顔。
(…ママが出て行くまで緩めないよね…)
 それでもパパやママが「どうぞお楽に」って言うよりも前に緩めるようになっただけマシ。誰も何にも言わなくっても、ネクタイを緩めてくれるハーレイ。
 ぼくの家に通うようになってから暫くの間、ハーレイはネクタイを緩めなかった。パパとママが「楽になさって下さい」と声を掛けるまで、きちんと結んだままだった。
 休日に訪ねて来てくれた時はネクタイなんかはしてなかったから、学校帰りの時だけれども。
 そのネクタイを今では勝手に緩めてくれるのが嬉しい。
 ぼくの家を出る前には元通りに締めて、上着も着て帰ってゆくけれど。それが大人の制服だって分かっているから、ネクタイを緩めて制服にサヨナラしてくれると思うととても嬉しい。
 ぼくの家では制服を着なくていいんだと、楽にしていいんだと思ってくれているんだから…。



 その、ネクタイ。
 緩める姿はすっかり見慣れたけれども、ぼくはネクタイをしたことがない。ぼくの学校の制服にネクタイは無いし、小さな頃に改まった場所へ着て行った子供スーツは蝶ネクタイ。それも子供が自分で簡単に出来るようにとボタンでパチンと留めていただけ。
(んーと…)
 ハーレイがネクタイを緩める時の表情からして、あれって首筋がきついんだろうか?
 パパは毎朝、ダイニングの壁に掛かった小さな鏡の前でキュッと締め直して出掛けるけれども、首筋がギュウギュウ締まるんだろうか?
 ぼくには分からない、大人の制服。前のぼくだってネクタイは締めたことがない。どんな感じか訊いてみよう、とハーレイに尋ねることにした。
「ねえ、ハーレイ」
「なんだ?」
「ネクタイって、やっぱり首がきついの?」
 緩めてるよね、ぼくの家に来たら。学校ではきちんと結んでいるけど…。
「まあな。首が締まるっていうほどじゃないが、緩めると楽なものではあるな」
「キャプテンの制服とネクタイだったら、どっちがきつい?」
 どっちだろう、と訊いてみた。
 前のハーレイが着ていたキャプテンの制服。仕事で機関部の奥までチェックに入るとか、特別な事情がある時は制服の代わりに繋ぎの作業服なんかを着ていたけれども、普段は制服。背中に深い緑色のマントがついた制服。
 前のぼくの上着よりも重たい上着に、マントつき。しかも襟元までカッチリしていた。前のぼくみたいに戦闘に出てゆくわけじゃないから、活動的なデザインには出来ていなかった。
 生地だって重いし、伸縮性だって前のぼくの上着とかには敵わない。
 ネクタイと制服、どっちがハーレイにとってはきつかったかな、と好奇心。



「さてなあ…。どっちも慣れだしな?」
 俺にとっては大差ないな、とハーレイらしい答えが返って来た。
「毎日着てれば慣れて来るものさ。キャプテンの服もネクタイもスーツも、要は慣れだな」
 ただ、キャプテンの制服はネクタイみたいに人前で緩められはしなかったしな?
 お前だって覚えてるだろう、あのデザイン。
 首がきついな、と緩めてみろ。だらしないどころの見た目じゃないぞ。
 前のお前の前でくらいしか緩められなかったなあ、ついでに上着も脱げなかったな。
「……上着……」
 どういう時にハーレイが上着を脱いでいたのか、一瞬で思い出したから。
 前のぼくとキスして、それから上着を脱いでいたのを思い出してしまって、真っ赤になったぼくだけれども。
 ハーレイは「また余計なことを考えてるな?」って、ぼくの額を指で弾いた。
「お前がそういう良からぬ発想にならない分だけ、ネクタイの方がマシらしいな」
 俺にとってきついかどうかはともかく、緩める度に赤くなられちゃ落ち着かん。
 スーツの上着も、お前の目の前で脱いでいたってお前の顔は赤くならないからな。



 ネクタイの方が断然マシだ、と結論付けてしまったハーレイ。
 ぼくはプウッと膨れたけれども、お構いなしで澄ました顔。ネクタイの話を続けてくれる。
「キャプテンの制服は変えようが無かったが、ネクタイは色々と変えられるしな」
 その日の気分で色も模様も選べるって辺りが優れものだ。
 締めて行く場所に合わせてこの色で、って約束事はあるが、それ以外は自由というのがいい。
 自分だけのための決まり事なんかも作れるからな。
 節目の時にはこれを締めようとか、部活の大会の付き添いの時は勝利を祈ってコレだとかな。
「そういう約束、作ってるんだ…」
「気付かなかったろ? 俺だけの決まりだ、傍目にはまず分からんな」
 いつかはお前も覚えるだろうが…。
 俺に「あのネクタイは何処だった?」と訊かれる立場になったならな。
「えっ?」
「俺の嫁さんになるんだろ? その後のことさ」
 俺が出勤して行く時にはネクタイを締めるし、それをお前が渡してくれる日もあるだろう。
 そうして何度も渡したり探したりしている内にだ、俺の決まりも覚えてしまうさ。
 俺がこうだと教えなくても、その日にピッタリのネクタイを渡してくれたりな。
 まだまだ先の話なんだが、俺としてはその日が待ち遠しいな。



「えーっと…」
 ネクタイの決まりを覚えられるほど、ぼくに余裕はあるんだろうか?
 ハーレイと一緒に暮らせるだけで幸せ一杯、そんなトコまで気が付かないっていう気もする。
(…お嫁さんがそれじゃいけないのかな?)
 ダメなのかな、って思うけれども、覚えられない可能性が高い。だけど楽しみにしているらしいハーレイ。これは話題を変えなくちゃマズイ。
(ネクタイの話で、だけど模様とかとは違う話で…)
 何か無いかな、と懸命に考えて思い付いた。それをそのままぶつけてみる。
「ハーレイ、ぼくの家ではネクタイを緩めてるけど、帰る時には締めて帰るね」
 なんでそのまま帰らないの?
 締め直さないと上着が着られないってことはないよね、上着を着てなかった季節も締めてた。
 どうしてわざわざ締めて帰るの?
「そりゃまあ…。お前のお父さんとお母さんに挨拶しなくちゃいけなしな?」
「締めていないと駄目なものなの、挨拶の時は?」
 そういえばハーレイは、ママがお茶とお菓子を出し終わるまでは決して緩めたりしない。あれも挨拶が終わるまで待っているんだろうか?
 ネクタイってそんなに面倒なのか、と思うけれども。
「駄目と言うより、だらしないってことになるからなあ…」
 本来、きちんと締めているためのものだしな?
 お前のお父さんだってそうだろ、会社に行くのに緩めていたりはしないだろう?
「それはそうだけど…。学校の先生たちは色々だよ?」
 緩めてる先生も何人もいるし、ネクタイをしていない先生もいるよ。
「その点は俺のこだわりだな。教師はネクタイって決まりなんかは無いからな」
 言わば今の俺の仕事用の制服って所か、ネクタイとスーツ。
 ネクタイを締めると「これから仕事だ」って気が引き締まるような感じがするな。
 気持ちの切り替えに丁度いいんだ、ネクタイってヤツは。



 こんなに小さな布の紐だけで制服気分とは大したもんだ、とハーレイは笑う。
 ネクタイに比べればキャプテンの制服は大層だったと、スーツと比べても立派すぎたと。
「あれを着てた頃にはそういうモンだと思っていたがな、今になるとなあ…」
 よくも毎日着ていたもんだ。律儀にマントまでくっつけてな。
「肩章までついていたもんね」
「まったく、誰の趣味だったんだか…」
 其処まで凝らなくてもいいだろう、と溜息をついてるハーレイだけれど。
「でも、似合ってたよ? キャプテンらしくてカッコ良かったよ、あの肩章」
「前のお前でも肩章なんかは無かったのに…」
「その分、マントが長かったよ。大袈裟なんだよ、あのマント」
 防御力がどうとかって言ってたけれども、あんなの無くても平気だったのに。
 シールドがあればマントなんかは出番無しだし、役に立ったの、一回だけだよ。
 メギドで背中から撃たれた時には防弾チョッキ代わりになったけれども…。
 よく考えたら上着だって同じ仕様だったし、やっぱり要らなかったよ、マントは。
「お前、嫌がってたもんなあ…。あのマント」
「ソルジャーの上着はともかく、マントはね…。そんなに偉くはないんだもの」
 大して偉くはないよ、ソルジャー。たまたま力があったってだけで。
「そいつは俺だって同じことだな」
 キャプテンに担ぎ上げられちまったが、元々は調理担当なんだぞ?
 それ専門ってわけじゃなかったが、食材管理の責任者のつもりだったんだがなあ…。
 何処で間違えちまったんだか、気付けばキャプテンになっちまってたさ。
 挙句の果てにマントまでついた制服を着せられちまってな。



「そっか…。今度はネクタイで済んで良かったね」
 それとスーツと。
 ネクタイもスーツも、キャプテンの服と違って目立たないものね。
「そうだな、おまけにただの教師だ。キャプテンなんかと違って気楽だ」
 お前も普通の制服だしなあ、ソルジャーの服と違ってな。
「うん。友達もみんな一緒の服だよ」
 ぼくだけ特別って服じゃないから、制服は全然気にならないよ。
 家に帰ったら脱ぎたくなるけど、きついからってわけではないし…。
 多分、生徒のぼくと普通のぼくとを切り替えてるんだ、ネクタイと一緒。
 ハーレイがネクタイで気分を切り替えるみたいに、ぼくは制服で気分の切り替え。
 制服だったら学校の生徒で、普通の服だとパパとママの子供。
 そしてハーレイの恋人なんだよ、普通の服の時は。



 きっとそうだよ、と口にしてから、ふと浮かんで来た将来のこと。
 今は学校の生徒だけれども、いつまでも生徒で子供じゃない。いくらぼくの背が百五十センチのままだったとしても、いつかは伸びる。前のぼくと変わらない背丈に伸びる。
 そうなったら、ぼくはどうなるんだろう?
 学校の制服を着ている代わりに、ネクタイを締めることになるんだろうか?
「ハーレイ…。ぼくもいつかはネクタイなのかな?」
 ネクタイって、きつい?
 緩めたくなるほどきついものなの、ネクタイって?
「ふむ…。俺ので良ければ締めてみるか?」
 お前の今のシャツならネクタイが出来んこともない。
「いいの?」
「百聞は一見に如かずだからなあ、体験するのが一番ってことだ」
 チビのお前には少しデカイが、締め方なんぞは同じだからな。
 感じは分かるさ、ネクタイを締めたらどんな気分か。



 ハーレイは自分の首からネクタイを外して、ぼくの首に「ほら」と掛けてくれた。
 思いがけない、ハーレイのネクタイ。今の今まで、ハーレイの首にあったネクタイ。
 胸がドキドキするのを隠して、ネクタイの端を掴んでみたけど。
「えーっと…」
 締め方がまるで分からなかった。こんな風かな、と紐みたいに結ぼうとしたら。
「違う、違う。ネクタイってヤツはそうじゃなくって…」
 こうだ、こう。
 そう言いながらハーレイの手がぼくの後ろから伸びて来た。ぼくの肩越しに褐色の手が手際よくネクタイを結んでゆく。
(…ネクタイって、なんだか難しそう…)
 ただ結んであるだけじゃないのか、と複雑に重なってゆくネクタイを見てた。折って、重ねて、回して、通して。ハーレイやパパの襟元で見慣れた独特の結び目が出来上がってゆく。
「これで大体、出来上がりだな」
 ハーレイに結んで貰ったネクタイ。嬉しくて、ちょっぴりくすぐったい。
(…ハーレイのネクタイ…)
 貸して貰って、結んで貰った。幸せだな、って頬を緩ませていたら、「そら」とネクタイの端を握らせてくる手。
「此処をキュッと引っ張れば、きちんと締まるってわけだ」
「こう?」
 ハーレイの大きな手と一緒にキュッと引っ張ったけれど。
 ぼくの首筋もキュッと締まった。やっぱりきつい。ボタンで留めてた蝶ネクタイとは全然違う。
「きついよ、これ…」
「そうか? 緩めるとこんな感じになるんだ」
 太い指がネクタイの結び目を緩めて、一気に楽になった首筋。
「わあ…!」
 ハーレイがネクタイを緩める気持ちがよく分かった。
 こんなに首筋が軽くなるなら、断然、緩めの方がいい。緩めてもかまわない場面だったら、絶対緩める方がいい。首筋がキュッと締まってるより、楽な感じがする方がいい…。



 子供にはちょっと早すぎだな、ってハーレイはネクタイをサッサと外してしまったけれど。
 自分の首へと結び直して、キュッと締めてから直ぐに緩めているんだけれど。
(…ハーレイがネクタイを緩めるのって…)
 楽だからってだけじゃないんだろうな、と考えた。
 キャプテンの制服と大差は無いな、って言ってたネクタイ。今のハーレイのための制服。
 そのネクタイを緩める時には、きっと責任が緩むんだ。
 キャプテンの服を着ていない時がそうだったように、背負っている重さが緩むんだ…。
(前のハーレイはキャプテンだったけど、今は先生…)
 重さは全然違うけれども、仕事に対する責任は同じ。
 自分がやってる仕事に対して、責任があるって点では同じ。
 ぼくもいつかはネクタイを締めて、責任ってヤツを背負うんだろうか?
 前のぼくほどではないにしたって、何かの責任。
 今度はうんと軽いだろうとは思うけれども、やっぱり背負わなくてはならない。
 そう考えたらとても不安で、凄く心配になってきた。
 ソルジャーのそれよりは軽かったとしても、その責任をぼくは背負えるだろうか。
 潰されずに背負っていけるんだろうか…。



(今のぼく、ペシャンと潰れちゃうかも…)
 ぼくは前ほど強くない、って分かってる。
 不器用すぎるサイオンもそうだけど、心の強さが前のぼくとは比較にならない。一人きりで死が待つメギドへと飛べた、前のぼくほど強くはない。
 それなのに背負わなくてはいけない責任。背負えなかったら潰れてしまう。背負える程度のものならいいけど、どんな責任を背負うことになるのか分かりもしないし、見えもしないし…。
 背負えるのかな、と俯いていたら、ハーレイが「どうした?」って訊いてくるから。
 心配なんだ、って返事をした。
 今度のぼくはどんな責任を背負うんだろう、って。
 ネクタイを締めて、スーツを着て。
 どんな責任を背負って歩くんだろうと、背負い切れなったらどうしようか、と。



「背負わなくていいさ」
「えっ?」
 ハーレイがまるで挨拶みたいに簡単に投げて寄越した言葉。ぼくの重たすぎる疑問に答えるには軽い、あまりに軽すぎる言葉なんだけれど。
 でも、そう言ってのけたハーレイの鳶色の瞳は優しくて深くて、真剣なもの。
 冗談なんかを口にするには相応しくない瞳の色。
「お前は何も背負わなくていいさ」
 ハーレイはもう一度、念を押すように言って笑顔になった。
「責任なんかは背負わなくっていいんだ、今度のお前は」
 もしもお前が仕事をしたいと思うんだったら、俺は止めない。
 どんな仕事でも、やりたいことなら好きなだけやって責任も背負え。
 …だがな、やりたいことが無いなら俺の嫁さんだけをやってりゃいい。
 俺と暮らして俺を見送って、ただ出迎えてくれればいい。お前の責任はそれだけだ。
「…でも…」
 それって、ちょっとあんまり過ぎない?
 無責任にも程があるって気がするんだけど…。



「馬鹿」
 それでいいんだ、と頭をポンと叩かれた。
「前のお前は普通の人の何人分を働いたんだ? 今度はゆっくり休んでおけ」
 今度のお前は休むのが仕事だ、どうしても仕事をしたいのならな。責任も休むことだけだ。その程度だったら背負えるだろうが、寝転がっていたって背負えるからな。
「だけど、ハーレイは今度も仕事をしているのに…」
 キャプテンの制服は着ていないけれど、ネクタイを締めて先生だよ?
 ハーレイはちゃんと仕事をしてるし、責任だって前と同じで背負っているのに。
「俺はいいのさ、好きな仕事に好きな部活の顧問だからな」
 それで給料を貰えているんだ、キャプテンよりも充実してるぞ。
 キャプテンは責任ばかり重くて無給だったぞ、前のお前も給料無しだが…。
 そいつを思えば今の仕事は俺にとっては遊びと変わらん。
「本当に?」
「ああ。趣味が仕事になったようなもんだ」
 古典の教師が俺の趣味と見事に重なってるのは、普段から見てりゃ分かるだろ?
 柔道部の顧問も趣味の世界だし、他の学校でやってた水泳部の顧問だって同じだ。
 今の俺には楽しい仕事で、責任も大したことじゃないのさ。
 生徒を預かる立場ではあるが、何処からも攻撃は来ないしな?
 シャングリラのキャプテンをやってた頃には、俺がミスをしたら船中の仲間の命が無かった。
 前のお前が眠ってた間も、どれだけ危ない橋を渡ったか…。
 三連恒星の重力干渉点からワープするなんて荒技までやっていたんだぞ?
 太陽に投身自殺する気かとゼルに怒鳴られたりしたっけなあ……。



 そして…、とハーレイはぼくの大好きな笑顔で笑いかけてくれた。
「お前が嫁に来てくれるんなら、嫁さんのために頑張れる、ってな」
 お前のお父さんだってそうだろうが。
 お母さんとお前のためにって仕事に出掛けているんだろう?
 嫌そうに見えるか、お父さんの背中。
 それと同じだ、大事な人が居てくれるだけで責任もグンと軽くなるのさ、身体の底から力が湧き上がってくるからな。
 前のお前もそうじゃなかったか?
 シャングリラの仲間を守るためなら、力が湧いて来なかったか?
 そのせいでメギドまで行っちまったわけだな、あんなに弱ってフラフラだったくせにな。
「…そうだったかも…」
 確かにハーレイの言う通りかも、と納得していたら。
「そうだろう? だから今度のお前はネクタイなんかは締めなくていい」
 お前が締めたいと思わないならな、と大きな手で頭を撫でられた。
「お前は今度は責任なんかは背負わなくていい」
 その分まで俺が背負ってやる。
 お前ごと全部背負ってやるから、お前は俺の隣に居るだけでいい。
 今度こそ俺が背負いたいんだ、前のお前を背負い切れなかった分までな…。



 約束だぞ、と優しく笑ってくれたハーレイ。
 ぼくごと背負うと、ぼくの責任まで全部自分が背負いたいのだと。
 ネクタイは締めなくてもいいらしい、ぼく。
 男としてはどうなんだろう、と思ったけれども、どうせハーレイのお嫁さん。
 ハーレイが背負ってくれると言うんだったら、背負って貰って生きるのもいい。
 やりたい何かが出てこない限り。
 ネクタイを締めて、責任を背負って、やりたい何かが出てこない限り。
 それに、今のぼくがやりたいものはお嫁さんだけ。
 ハーレイのお嫁さんだけなんだから…。




          ネクタイ・了

※ハーレイにネクタイを締めて貰ったブルー。けれど、育った後にも要らないネクタイ。
 今度は責任を背負わなくてもいいのです。ハーレイの側にいれば、それで充分。
 次回更新日の3月31日は、ブルー君のお誕生日です!
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