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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

大嫌いな注射

 秋の日の午後。庭で一番大きな木の下の白いテーブルと椅子で、ブルーはハーレイと二人きりの時間を過ごしていた。
 自分の部屋に居る時のようにハーレイの膝に座ったり、抱き付いたりは出来ないけれども、この場所はブルーの大のお気に入り。初めて「ハーレイとデートをした場所」だったから。
 べったりとくっついて甘えられなくても、話すことなら沢山あった。前の生のこと、今の生での色々なこと。家であったことも、学校で起こった様々なことも。
 今日のブルーも上機嫌だったのだけれど、ふと思い出した週の半ばに見舞われた不幸。以前なら大したことではなかった、珍しくもなかった学校に行けなかった二日間。
 生まれつき身体の弱いブルーは小さな頃から幼稚園も学校も休みがちな子供で、入院するほどの大病はしない代わりに頻繁に欠席を余儀なくされた。そういうものだ、と大人しく休んでいたのが今では違う。学校に行けないことは、ハーレイに会えないことを意味していたから。
(休んじゃったら会えないんだもの…)
 ハーレイはブルーが通う学校の教師。登校すれば大抵は何処かで顔を見られる。ハーレイが受け持つ古典の授業が無い日であっても、廊下で、校庭で、中庭などで。
 だから学校を休まなくて済むよう、ブルーは懸命に努力していた。体調管理にも気を配ったし、少し眩暈がした程度ならば無理をしてでも登校するとか。
 それなのに先日、休んでしまった二日間。熱が出てしまっては誤魔化しも出来ず、かかりつけの病院に連れてゆかれて、そのまま欠席。
 あまつさえ、ブルーが休むと「大丈夫か?」と見舞いに来ては野菜スープを作ってくれる優しいハーレイも来てくれなかった。忙しいのだと分かってはいても、寂しくてたまらなかった二日間。
(それに…)
 そういう時に限って酷い目に遭うんだ、と病院での出来事を思い返した。幼い頃から顔馴染みの医師が、「早く治すにはこれが一番」とブスリと打ってくれた注射を。



 ブルーは注射が大嫌いだった。
 幼稚園の頃には泣き叫んで抵抗したほどの注射嫌いで、今でも変わらず注射は嫌い。昔のように泣き喚いたりはしないけれども、注射針の痛さも、注射器を見るのも出来れば御免蒙りたい。
 幼かった頃に初めて打たれた注射が余程痛かったか、痛みというものに弱いのか。
 注射嫌いの子供は珍しくないし、その部類だと思い込んでいた。両親も、ブルー本人でさえも。それがどうやら違ったらしい、と気が付いたのは前の生の記憶が戻った後。
 先日と同じように熱を出してしまって学校を休み、母と近所の病院に行った。いつもの主治医が「打っておきましょう」と取り出した注射器を見た瞬間に覚えた恐怖。今までの「嫌い」どころの騒ぎではない、明確な「嫌だ」と拒絶する心。
 それが何なのかを思い出す前に、ブルーの注射嫌いを知っている医師と母は手際よく作業をしてくれた。母がブルーの服の袖を捲って「我慢しなさい」と諭す間に、医師が慣れた手つきで消毒を済ませ、注射針が腕にグサリと刺さる。
(嫌だ…!)
 注射は嫌だ、と叫ぼうとしたが、「はい、おしまい」という医師の声。薬剤はとっくにブルーの身体の中で、大嫌いな時間は終わっていた。
 なのに収まらなかった恐怖。医師が笑顔で「じきに熱が下がりますよ」と告げるのを聞くまで、震え出しそうだったほどの激しい恐怖。
 その原因が何だったのかを遠い記憶として手繰り寄せ、納得した時はとうに家へと帰っていた。母が「大人しくして寝ていなさい」と上掛けを掛けてくれ、部屋を出て行った後で気付いた。
 どうして注射があれほど怖いか、幼い頃から嫌いだったのか。



(…全部アルタミラのせいなんだよ)
 タイプ・ブルー・オリジンと呼ばれ、人体実験を繰り返された前の生で居た研究所。
 薬剤に対する抵抗力を調べるためだとか、行われる実験の目的に合わせた薬物を注入するために打たれる注射。打たれて直ぐに苦痛が襲うこともあれば、実験開始と共に生き地獄のような苦悶に見舞われたり。
 もちろんブルーを死なせないため、治療用の注射も実験の後で幾度となく打たれていたけれど。身体が楽になる注射もあった筈だけれど、ブルー自身に記憶は無い。
 注射は苦痛を齎すもの。直ちに苦痛に見舞われなくとも、確実に苦痛が襲ってくるもの。実験が始まるまでの間が待ち時間であったり、遅効性の薬物の時であったり。
 どう転んでも逃れられない激しい苦痛。それを運んでくる注射。
 嫌いにならないわけがなかった。注射器を見ただけで震え上がるのも、打たれた痛みで泣くのも当然。自分の身に何が起ころうとしているのか、嫌というほど体験して来たのだから。
(今の注射は大丈夫だって分かっているんだけどな…)
 記憶が戻ってから初めて打たれた注射は医師が効能を告げてくれるまで怖かったけれど、今では其処まで怖くはない。治すための注射だと自覚しているし、現に打った方が治りが早い。
 分かってはいても、未だに消えてくれない恐怖。前の生で心に刻まれた恐怖。
(…ノルディは知っててくれていたしね?)
 白いシャングリラで暮らしていた頃も、注射は苦手だったから。
 戦闘に赴くソルジャーが注射如きを恐れていては、と耐えていたけれど、顔には出るから。
 それが何ゆえかを知っていたノルディは、あれこれと心を配って注射を極力打たない方向で治療してくれたが、今の生でのブルーの主治医はお構いなし。
 体調を崩して病院に行けば、問答無用で注射一発。
 どんなに嫌いでたまらなくても、自分の前世を言えはしないし…。



 酷い目に遭った、と打たれた注射を思い返して、ブルーはハーレイに泣き言を言った。大嫌いな注射を打たれたのだと、今でも注射が嫌いなのだと。
「…熱が下がるって分かっていたって嫌なんだよ、注射…」
「お前、アルタミラで沢山打たれたらしいしなあ…」
 可哀相に、とハーレイが顔を曇らせる。
 生まれ変わっても注射嫌いになるほど打たれたのかと、それほどに苦しかったのかと。
「ハーレイは注射は少なめだったんだよね?」
「俺は耐久実験の方が多かったからな」
 ミュウには珍しく頑丈に出来ていたからだろうな、ひたすら耐えてりゃ良かっただけだ。
 タイプ・グリーンは幾らでもいるし、薬物実験はそっちでやりゃいい。
 お前みたいに一人しかいないタイプ・ブルーだと、被験体も一人きりだからなあ…。
 色々と集中しちまったんだな、実験の方も。
「…うん、多分…。お蔭で死なずに済んだけれども」
 他にもタイプ・ブルーが大勢いたなら、殺されていたかもしれなかった。
 どうすれば死ぬのか、どんな風にして死んでゆくのか、それを調べる実験も存在していたから。
 その果てに殺された仲間たちの残留思念を幾度も拾った。
 彼らのようにならずに済んだ理由は唯一のタイプ・ブルーだったから。
 ブルーが死んだらタイプ・ブルーのデータが取れない。実験しようにも被験体がいない。
 だから苦しめ、痛めつけても治療をされた。次の実験に役立てるために。
 そうして何本も打たれ続けた注射。
 実験薬に、実験の準備にと打たれた注射。苦痛しか齎さなかった注射…。



「…ホントに嫌な思い出なんだよ、あの注射」
 今になっても引き摺るくらい、と嘆いてブルーは立ち上がった。
 こんなに平和な地球に来たのに、ハーレイと二人でのんびりとお茶を楽しめる世界に生まれたというのに、どうして注射を恐れなくてはならないのか。
 父と母が居る暖かな家があるのに、午後の柔らかな光が降り注ぐ庭もあるのに。
「なんで今でも注射器を見ただけでダメなんだろう…」
 あの針が嫌だ、と銀色に光る忌まわしい凶器を頭の隅へと追いやりながら、自分の目を現実へと向かわせる。
 庭で一番大きな木。幼い頃から見上げていた木。太く頼もしい幹と、四方に広げた枝葉と。この木の下にハーレイと二人で座る場所が在って、母がお茶やお菓子を届けてくれる。これが現実。
 そう、アルタミラはもう遠い遠い昔。
 其処に居た自分は遥かな昔に死んでしまって、今は地球に住んでいる子供の身体。まだ十四歳にしかならない小さな身体で、ソルジャー・ブルーだった頃とは違う。
(手だって、小さくなっちゃったんだよ)
 そのせいでハーレイとの恋に支障があるのだけれども、「前の自分とは全く違う」ことを教えてくれる姿ではある。
 小さな手と、庭にどっしりと根を張った木と。
 二つを重ね合わせれば「今」が見えて来るよ、とブルーは木の幹を撫で擦った。ざらざらとした感触が「木は此処に在る」と教えてくれる。ブルーの手が其処に触れていることも。



(…ぼくは此処に居るんだ…)
 ちゃんと青い地球の上に生きているんだ、と何度も何度も木の幹を撫でる間に。
「いたっ…!」
 チクリと指先に走った痛み。注射のそれとは違うけれども、不愉快な痛み。
「どうした?」
 椅子から腰を浮かせるハーレイに、白い指先に視線を落としながら「棘…」と短く答えた。棘のある種類の木ではなかったし、今までに刺さったこともない。
 けれども運が悪かったのか、撫で擦る内に木の皮が浮いてしまったのか。右手の人差し指の先に刺さった小さな棘。左手で抜こうとしても抜けない。
(刺さっちゃった…)
 抜こうと左手で引っ張るブルーに、ハーレイが「見せてみろ」と声を掛け、招き寄せて。
 自分が腰掛ける椅子の側に立たせて、小さな手を掴んで白い指先を検分しながら。
「すっかり入り込んじまったか…」
 刺抜きじゃ無理だな、こいつは針だな。
「針!?」
 父に何度か針で抜かれたことがある棘。それと同じだと気付いたブルーは悲鳴を上げた。
「やだ…!」
「しかし、こいつは抜けないぞ?」
「でも、針は嫌だ。注射みたいで怖いんだよ…!」
 絶対に嫌だ、と慌てて右手を引っ込めようとしたが、ハーレイの力は緩まなかった。
 捕まったままでブルーは「嫌だ」と首を左右に振る。針は嫌だと、注射みたいな針は嫌だと。



 涙まで滲ませて訴えてみても、一向に緩まないハーレイの力。棘が刺さった指先の不快な痛みは嫌だったけれど、針の方がもっと嫌だから。
 針で棘を抜かれることだけは避けたかったから、「サイオンは?」と泣きそうな声で尋ねる。
「ハーレイ、サイオンで抜けないの、これ?」
「…瞬間移動が出来るヤツにしか無理だろう。病院に行けば出来る医者だっているが…」
 この程度の棘、そんな先生の出番を待つ前に針だと思うぞ。
 普通なら病院に行かずに家で抜こうってレベルの棘だし、病院でも同じ程度の扱いだな。
「…そんな……。そうだ、テープは?」
 テープで抜けると友人が言っていたのを思い出して訊いてみたけれど、ハーレイはフウと溜息をついて答えた。
「刺さって直ぐなら抜けたかもしれんが…」
 今じゃ無理だな、もぐっちまっているからなあ…。
 テープで抜くには棘の端っこが見えていないと駄目なんだ。
 こうなっちまうと針で引っ張り出すしかない。この際、針を克服しておけ。
「えっ?」
「注射は無理でも針くらいはな」
 俺がやるのでも針だけは嫌か?
 病院に行ってお医者さんに針で抜いて貰うか、その方がいいか?
(…ハーレイにやって貰うか、お医者さんか…)
 どちらも針しか無いのだったら、考えるまでもないことだから。
 恋人に抜いて貰う方がマシに決まっているから、ブルーは「ハーレイでいいよ」と呟いた。
 針は見たくもないのだけれども、ハーレイが抜いてくれるのならば、と。



「よし。…うん、泣き喚くだけのガキじゃないってことだな」
 偉いぞ、とハーレイの手がブルーの頭をポンと叩いて。
「此処じゃ抜けんな、お前の部屋でやるか。…柚子の木があると良かったんだが…」
「柚子の木?」
 庭に柚子の木は無かったから。どういう意味か、とブルーはキョロキョロと庭を見回す。
「それ、何にするの?」
「針の代わりだ」
 ハーレイに言われても、まだピンと来ない。
「針?」
「柚子の木の棘さ。針みたいにデカイ棘があるんだ、柚子の木にはな」
 俺の家では棘が刺さった時の定番だったぞ、柚子の木の棘。
 ガキの頃には親父が抜いてくれていたもんだ。
 柚子は殺菌作用があるんだ、実だけじゃなくって木の皮とかにも。
 もちろん棘だって、青いヤツなら消毒済みっていうわけさ。
 生えてから何年も経っちまった棘だとそうはいかんが、生えてから間もない青い棘だな。



 そうした棘を使って抜くのだ、とブルーの気を逸らしながら、ハーレイは家の方へと戻った。
 玄関を入り、リビングに居たブルーの母に声を掛ける。
「すみません、ブルー君が指に棘を刺してしまいまして…。薬箱と針をお借り出来ますか?」
「針ですか?」
「ええ。これから部屋で抜きますので」
 ハーレイが言うなり、ブルーの母は「それは…」と言葉を濁してから。
「ブルー。ハーレイ先生が抜いて下さるのなら、ちゃんとお礼を言わなきゃ駄目よ?」
 泣くんじゃないのよ、大きいんだから。
 十四歳になったんでしょうが。
「…うん、ママ……」
 シュンと項垂れるブルーの姿に、ハーレイは今日までにこの家で起こったであろう騒動が容易に想像出来た。注射も針も嫌いなブルーが泣き叫んだか、はたまた涙を零したか。たかが棘抜きとは思えないほどの騒ぎだったに違いない。
(…よっぽど針が苦手で嫌いなんだろうが…)
 ブルーの両親は今も理由を知らないのだろうな、とハーレイは思う。
 小さなブルーは泣き虫だけれど、前世を思わせる気丈な部分も存在していた。両親を心配させることが明らかなアルタミラでの悲惨な過去など、きっと話しはしないだろう。
 注射嫌いで針も嫌いな弱虫のレッテルを貼られたままでも、その方がいいと思うのだろう。
 そんな健気な小さなブルーに、針くらいは克服させてやりたい。
 注射は無理でも、針を使った刺抜きくらいは…。



 ブルーの母が用意してくれた、刺抜き用の道具と薬箱。ハーレイはそれを手にして、先に立って階段を上って行った。普段だったらブルーがパタパタと先に駆け上る階段を。
「こら。ぐずぐずしてても棘は抜けんぞ」
 早く来い、とブルーを急かして、すっかり馴染みの部屋に入るとテーブルの上に薬箱を置いた。いつも自分が座る側の椅子に腰掛け、借りて来た針とライターを持つと立ち竦むブルー。
 部屋の入口で止まったブルーの顔には「嫌だ」と書いてあったけれど、ハーレイはやめるつもりなど無い。ライターを点け、針の先を炙りながら「来い」と命じる。
「ほら、消毒が済んだぞ、ブルー。針を克服するんだろうが」
 いつまでも弱虫でいいのか、お前。
 俺は一向に構わないんだが、棘が刺さる度に泣くのはお前なんだぞ、ブルー?
「……痛くない?」
 怖々といった様子で前に立ったブルーに「そりゃ痛いさ」とハーレイは返した。
「針なんだからな、少しは痛い。気を付けはするが、全く痛くないとは言わん」
 だが、我慢しろ。こいつは治療で、アルタミラとは違うんだ。
 俺を信じて右手を出せ。
 …よし、それでいいから動かすなよ、指。
 怖いからって逃げたりしたらだ、針がグサリと刺さっちまうからな。



 ハーレイはブルーの右手をしっかりと掴むと、棘が刺さった人差し指の先を針で慎重にそうっと探った。此処だ、と見定めた場所に針を入れれば、ブルーの手がビクリと強張って。
「いたっ…!」
「こら、逃げるな!」
 直ぐだ、と刺さっていた棘を針で取り除いた。自分に刺さった棘も、教え子の棘も何度も抜いた経験があるから、手際よく抜ける。ほんの一瞬とまでは言わないけれども、僅かな時間。
「ほら、取れたぞ。…痛かったか?」
「…ちょっとだけ…」
 チクッとした、と訴えるブルーの指先に化膿止めの薬を付けてやる。刺抜き用の針はライターで消毒してあったけれど、刺さっていた棘はそうではないから。小さな棘でも侮れないから、後から膿んだりしないようにと。
「これで終わりだ。…ちゃんと見てたか、さっきの針を」
「…ハーレイの手を見てた……」
 針は殆ど見ていなかった、とブルーは俯いたけれど。
「少しでも見たなら、それでいいさ」
 針だけだったら普段も見るしな、家庭科の授業でも使うだろう。
 そういう針は平気だろ、お前?
 自分の身体に刺さってくる針が嫌なんだろう?
 …だがな、身体に刺さる針もこうして役に立つんだ、注射も同じだ。
 痛い分だけ、ちゃんと良くなる。
 それをきちんと覚えておけ。そうすりゃ怖くはなくなってくるさ。



 棘抜きと手当てを終えたハーレイが薬箱などを返しに行くと、ブルーの母が心配そうな顔をしていたから。
 ハーレイは「ブルー君は我慢強かったですよ」と伝えることを忘れなかった。棘を抜くのに針を刺しても泣かなかったし、痛いと叫びもしなかったと。
 ホッとしたらしいブルーの母は「ありがとうございました」と深く頭を下げ、それから間もなく二階へお茶とお菓子を持って来てくれた。庭で使っていたものとは別のティーセット。
「ブルー、ハーレイ先生にちゃんとお礼を言った?」
「うんっ!」
 笑顔で答えたブルーは「ぼく、泣かなかったよ」と自慢したけれど、母は「当たり前でしょ」と苦笑して部屋から出て行った。ブルーが前の生で受けた仕打ちを知らないのだから仕方ない。
 母の足音が階段を下りてゆくのを聞きながら「我慢したのに…」と残念そうに呟くブルー。
 注射が嫌いで、針も嫌いな小さなブルー。
 ハーレイは「仕方ないだろ、お母さんにとってはお前はただの弱虫なんだし」と言いつつ、手を伸ばしてブルーの頭を撫でてやった。
「お前がきちんと我慢したのは俺が見てたさ、それでいいだろ?」
 前のお前が惨い目に遭ったことも、俺は知ってる。
 だから針が怖くてたまらない理由も知っているがな、人生、うんと長いしな?
 克服しといて損は無いんだ、針も、それから注射もな。
 出来れば克服して欲しいんだが…。



 しかし、とハーレイは片目を瞑って微笑んだ。
「どうしても無理なら、結婚した後は俺が病院についてって医者に注文してやるさ」
 こいつは注射が嫌いなんですと、注射は抜きでお願いします、と。
「ホント!?」
 嬉しい、と喜んだブルーだったが、それに対するハーレイの言葉は。
「もっとも、俺が行ってる近所の医者もだ、問答無用で打つ方なんだが」
「嘘…!」
「残念ながら、本当なんだ」
 俺がそういう好みだからなあ、とにかく早めに治したい、ってな。
 滅多に病院の世話にはならんが、たまに行くなら早く治せる医者がいい。
 のんびり優しく治療してくれる病院よりもだ、注射一本、その日限りの御縁がいいな。
「…そういうお医者さんなんだ…?」
「俺の行きつけと言うか、かかりつけと言うか…。馴染みの医者はそういうタイプだ」
 ブスリと注射で、後は飲み薬を三日分ほどと言った所か。
 それでピタリと治っちまうなあ、名医と評判の先生なんだぞ?
 だが、待合室で女性と子供は見かけないから、優しい医者ではないってコトか。
 お前、どうする?
 俺は優しいと評判の先生の病院は生憎と全く知らないんだが…。



(…ハーレイの行ってる病院の先生も注射だなんて…)
 しかも問答無用だなんて、とブルーは頭を抱えたくなった。
 どうやらハーレイと結婚した後も、注射からは逃れられないらしい。
 注射の無い病院は無いのだろうか、と悩むブルーだけれども、注射が一番早いのだから。
 早く確実に治したいなら注射なのだと分かっているから、問答無用の方針も分かる。
 そうした病院で注射をされずに済ませるためには、ハーレイの「お願い」に期待するのみ。
 こいつは注射が駄目なんですと言ってくれるよう、なんとか打たない方で済むよう。
(…でも…)
 針を克服するんだな、と指に刺さった棘を抜いてくれたハーレイが持つ針は怖くなかった。
 大きな手が器用に棘を抜く間、自分の指に刺された針をチラリと見られた。
 父が同じことをしてくれた時には泣き喚いた針。
 大して痛くはなかったというのに、大声で泣いてしまった針。
(…ハーレイの手と一緒だったら怖くなかったよ、針が刺さっても)
 たった一度で克服出来たとは思わないけれど。
 もしかしたら針が身体に刺さることに対する恐怖も、いつかは本当に消えるかもしれない。
 注射も平気になるかもしれない。
 そうなるといいな、とブルーは思う。
 アルタミラの注射の記憶を忘れて、幸せに生きていけたらいいと…。




        大嫌いな注射・了

※幼かった頃から注射嫌いのブルー。多分、アルタミラ時代の記憶のせいで。
 今もやっぱり苦手ですけど、怖くなかったハーレイが持つ針。いつかは注射嫌いも克服?
 そして、今日、3月31日は、聖痕シリーズのブルーの誕生日。
 ブルー君、お誕生日おめでとう!
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