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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

ドーナツ

 学校から帰ってみたら、おやつにと買ってあったドーナツ。ママが作ってくれるお菓子も大好きだけれど、たまに買って貰えるドーナツも好き。
(んーと…)
 着替えはとっくに済ませていたから、ダイニングのテーブルに置かれた箱をいそいそと開けた。何が入っているのかな、と覗き込んだら種類は色々。
(どれにしようかな?)
 クリームが入っているのも美味しそうだし、チョコレートがかかったのにも心を惹かれる。
 だけど、一度に沢山は食べられない、ぼく。ドーナツを幾つも食べてしまったら夕食が入らないことは明らか。
(一個だけだよね…)
 その一個をどれにするかで悩むのが恒例だけども、いきなり「これだ!」と閃いた一個。
 ごくごく普通のプレーンなドーナツ、チョコレートもクリームもついていない上に、平凡な形。それでも「これ!」と思ってしまった。
(うん、シャングリラのドーナツなんだよ)
 懐かしいな、と箱から出してお皿に乗っけた。ホットココアも用意して、椅子へと座る。ママはキッチンで何かしているから、一人でゆっくり。思い出に浸るには丁度いい時間。
(そう、この味!)
 ドーナツを齧ったら笑みが零れた。
 前のぼくも同じ味のを食べていたっけと、こんなドーナツだったっけ、と。



 遥かな昔にソルジャー・ブルーだった、ぼく。
 今では伝説の英雄だけれど、その英雄がドーナツだなんて、と誰も信じてくれそうにないけど。でも本当に食べていたんだし、好きでもあった。何の飾りも無いドーナツが。
(そんなことまで歴史に残ってないものね)
 シャングリラの食堂で作っていた食事のメニューやレシピも残ってないんじゃないかな、もしも残ってたら本が出されていそうだもの。シャングリラは最高に有名な宇宙船だし、遊園地に行けばシャングリラの形の遊具が人気。そのシャングリラのレシピ本なら、絶対に売れる。
(レシピのあちこちに「合成のものが無ければ天然のもので構いません」って注意書きが書かれていたって売れるよ)
 ソルジャー・ブルーが、ソルジャー・シンが食べていたものを食べたい人は多いだろう。それが豪華なものでなくても、ある種の憧れ。
(レストランとかの企画で再現したなら、人気が出そう…)
 行列が出来たり、予約で埋まってしまったり。そう考えたら可笑しくなった。
(前のぼくは夢にも思わなかったよ、シャングリラの料理が人気メニューになるかもなんて)
 ぼくが食べてるドーナツだって、「ソルジャー・ブルーのお気に入りだった」って発表されたら飛ぶように売れてゆくかもしれない。
 平凡なプレーンの、「他のドーナツを買ったついでに」買われるであろう素朴なドーナツ。
 ソルジャー・ブルーがシャングリラで食べていた、おやつのドーナツ…。



 リングの形に纏めた生地を揚げただけのドーナツは、白いシャングリラでは子供たちのおやつの定番だった。シンプルだけれど飽きが来ないし、材料だって揃えやすいから。
 それに子供たちの服だって汚れたりしない。ドーナツの欠片が零れて落ちても、手でパンパンと軽くはたけばおしまい。ジャムや溶けたチョコレートみたいに染みにはならない。
 そういった理由でドーナツは定番、子供たちにも人気のお菓子。お行儀よくフォークで切ったりしなくてもガブリと齧れて、手に持ったままで公園にだって出掛けてゆけた。
(…基本は子供たちのための部屋で食べる、って決まりだったけどね)
 前のぼくがドーナツを食べていた場所も、子供たちが集まるための部屋。
 ぼくは最高齢な上にソルジャーだったけれど、保育部や養育部の食堂でよく食べた。子供たちの遊び相手をするのが前のぼくの仕事だったから。
 ソルジャーの力が必要な場面はシャングリラの中では滅多に無くって、前のぼくには仕事が無い日が多すぎた。青の間でのんびりしてては気が咎めるから、あちこち手伝いに出掛けてみたけど。
 機関部に行けば案内係がついてしまって、仕事の邪魔にしかならなかった。農園も同じ。
 掃除でもしようかと考えたけれど、これまた「とんでもありません!」と断られた。ぼく専用の青の間でさえも、「自分でやるよ」と何度言っても掃除係がやって来る始末。
 厨房なんかは行ったら試食係どころか特別メニューが出て来そうだから、此処も論外。
 何か仕事は無いのだろうか、と考えた末に辿り着いた場所が保育部と養育部だった。子供たちはソルジャーが遊び相手でも恐縮したりはしないし、却って喜ぶ。係のクルーは空き時間が出来る。その時間を他の仕事に回せる。
 思わぬ所で見付かった仕事。前のぼくが見付けたピッタリの仕事。
 出掛けて行ったらおやつも出るから、子供たちと一緒に和やかに食べた。其処で何度も出て来たドーナツ。子供たちが好きなだけ食べられるように、と人数分よりも多いドーナツ。



 揚げ立てのドーナツを子供たちと食べて、また遊んで。
 時々、余ったドーナツを包んで貰って持って帰った。「青の間で食べるよ」と笑顔で言って。
 ぼくにドーナツをくれたクルーたちは、ぼくの夜食かおやつだと信じていただろうけど、真相は少し違っていた。前のぼくも食べていたんだけれども、もう一人。
(誰も気付いていなかったよ、うん)
 実はハーレイに御馳走していた。キャプテンの仕事を終えてから青の間を訪ねるハーレイに。
 もちろん、訪ねて来るだけじゃない。ぼくのベッドに泊まってゆく、大切な大切なぼくの恋人。
 そのハーレイに「今日はドーナツを貰って来たよ」と、お皿に乗っけて差し出した。
 ドーナツは大人にも人気のおやつで、食堂に行けば食べられたのに行かなかった前のハーレイ。「私にドーナツは似合いませんから」と、気にして行かなかったから。
 エラもブラウも、それにゼルだって食べに出掛けていたのに、大きな身体には似合わないからと言って、食べないドーナツ。
 決してドーナツを食べないハーレイ。それを知っていたから、青の間でドーナツ。
 揚げ立ての美味しさはもう無かったけど、「ほら」とドーナツを渡していた。



 「似合わないから」と食堂では食べなかったくせに、ハーレイが大好きだったドーナツ。
 「ドーナツがあるよ」と差し出せば顔が綻んでいた。子供みたいな笑顔になった。
 ドーナツは美味しかったから。
 冷めてしまっても優しくて甘い、パンとは違った膨らんだお菓子。
 前のぼくもハーレイも、ドーナツがとても好きだった。他のお菓子とは比べられない、不思議な味わい。ドーナツでなくちゃ、と舌が、心が喜ぶドーナツ。
 幸せな思い出が山ほど詰まっている気がした。
 どうしても思い出せなかったけれど、ぼくにもハーレイにも無理だったけれど。
 アルタミラで機械に奪われた記憶は取り戻せなくて、幸せな思い出は行方不明になったまま。
 それでも幸せの正体の見当はついた。前のぼくたちを育ててくれていた、血が繋がってはいない養父母。優しかっただろう、顔も姿も忘れてしまったパパとママ。
 そのパパやママに買って貰って食べていたとか、一緒にドーナツを齧っていたとか。そういった記憶だったんだろう、とドーナツを食べる度に思った。
 ハーレイと二人、「美味しいね」と冷めたドーナツに齧り付きながら。



 どんな思い出があったんだろうね、とハーレイと語り合ったりもした。
 幸せの味がするドーナツ。舌が、心が喜ぶドーナツ。
「あなたは駄々をこねていそうですね。あのドーナツを買って欲しいと」
 店の前とか、ショーケースを覗き込みながらとか。
 買ってくれるまで動かないよ、と膨れる姿が目に浮かびそうです。
 ハーレイがそんなことを言うから、「そう見えるかい?」と尋ねてみたら。
「ええ。あなたはとても我儘な子供だったという気がしますよ、そういう点では」
 普段は両親の言いつけを守る良い子で、とても大人しい子なのでしょうが。
 我儘も言ったりしないのでしょうが、他の人が聞いたら笑い出しそうなつまらない何か。
 ドーナツが欲しいとか、あのキャンディーが食べたいだとか。
 そんな小さな、ささやかな何か。
 そういったことで駄々をこねては、望みを叶えて嬉しそうだっただろうと思うんですよ。
「…そうなのかな?」
「どうでしょう?」
 こればっかりは分かりませんね、とハーレイは笑っていたんだけれど…。



 前のハーレイのカンは当たっていたかもしれない。
 好き嫌いの無いぼくだけれども、買って欲しいとパパやママに強請ることはあるから。
 今では「この頃、ドーナツ、食べていないよ」といった風に遠回しに強請ってみたりするけど、小さい頃にはそうじゃなかった。
 欲しいと思ったら「買って来てよ」と注文してたし、街へ出掛けた時にも強請った。ドーナツを売っているから買ってと、あのドーナツが欲しいのだと。
 ドーナツに限らず、他のものでも「買って」と駄々をこねていた。
 ママが「晩御飯を食べられなくなってしまうわよ?」と困った顔をしたって、欲しいと思ったら足を踏ん張って動こうとしなかったクレープの屋台や、アイスクリーム。
 パパが「お前じゃ食べ切れないぞ?」と止めても「欲しい!」と叫んで買って貰った、目の前で焼き上がるトウモロコシ。
(…トウモロコシは半分も食べられなくって挫折してたんだよ)
 残りはパパに食べて貰って、それでも夕食が入らなかった失敗が何度あっただろう。クレープやアイスクリームも同じで、ドーナツでも何度も失敗をした。
 懲りずに駄々をこねていた、ぼく。小さかった頃の、ぼくの我儘。
(今はあそこまでやってはいないよ)
 シャングリラの写真集をパパに強請ったけれども、「買って」と駄々をこねてはいない。
 パパが「しょうがないな」と呆れ顔をするまで、ソファの前で踏ん張っていたわけじゃない。
 前のぼくには敵わないけれど、今のぼくも我慢を覚えたから。
 駄々をこねずに「お願い」することとかも、ちゃんと覚えた子供だから…。



(…ふふっ、ドーナツ…)
 懐かしい記憶を拾い上げたな、って考えながら美味しく食べた。幸せの味がするドーナツ。前のぼくが大好きだったドーナツ。
 そうしたら、仕事帰りのハーレイがぼくの家に寄ってくれたから。
 夕食の後のお茶をぼくの部屋で飲みながら、ドーナツの話をすることにした。
「ねえ、ハーレイ。前のハーレイのカンって当たっていたね」
「何の話だ?」
 怪訝そうな顔をするハーレイに「おやつ」と答えた。
「今日のおやつ、ドーナツだったんだよ」
「…それで?」
「ずうっと昔にハーレイが言ったよ、ぼくはドーナツで駄々をこねそうだ、って」
 今のぼくじゃなくって、前のぼく。
 ドーナツが欲しいとお店の前とかで駄々をこねる姿が見えるようだ、って。
「思い出したのか? その頃のことを?」
 ハーレイの目が丸くなったから、「ううん」と首を横に振る。
 残念だけれど、前のぼくが生きてた間にも戻らなかった記憶は永遠に戻っては来ないだろう。
「今のぼくだよ、前のぼくの記憶までは無理」
「…ということは…。駄々をこねたのか、お前」
 ドーナツが欲しいと強請って、店の前で足を踏ん張ったのか?
 買ってくれるまで動かないからと、お母さんたちを困らせてたのか?
「うん…。ドーナツだとか、他にも色々…」
 クレープもアイスクリームもママに強請ったし、パパにだって…。
 うんと駄々をこねて買って貰ったけど、食べ切れないとか、後で御飯が入らないとか。
 何度も何度も失敗したのに、懲りないで駄々をこねてたよ。
 前のハーレイが言ったとおりに、ぼく、我儘な子供だったよ…。



「ふむ…」
 前の俺のカンが当たっていたか、とハーレイは腕組みをして頷いたけれど。
「まあ、あれだ。我儘を言えて、駄々を何度もこねられた、っていうことは、だ」
 お父さんたちに可愛がられている証拠だな。
 可愛い一人息子が駄々をこねるから、結果がどうなるか見えていたって許してくれる。
 食べ切れないのも、飯が入らなくなってしまうのも、可愛いから許してくれたのさ。
「うん。…そうでなきゃ、ダメって叱られて終わりになっちゃうものね」
 パパもママも困った顔はしたけど、怒らなかったよ。
 「しょうがないな」とか「仕方ないわね」とか。
 いつだってちゃんと買ってくれたよ、ぼくが欲しかったドーナツやお菓子。
 それでね…。
「ぼく、もしかして、って思ったんだ。前のぼくもそうやっていたんだろうか、って」
 仕方ないわね、って許して貰ってドーナツを食べていたのかな?
 そういう幸せが詰まってたのかな、可愛がって貰ったんだっていう記憶。
「そりゃそうだろう。前のお前も今と同じに可愛がられて育ったんだ」
「…そう思う?」
「当たり前だ。こんな可愛い子供がいればな、可愛がらずにはいられないさ」
 十四歳のお前でもこうだ、もっと小さければ可愛かったに決まってる。
 前のお前の養父母たちは十四歳を迎えるまでのお前しか知らんが、きっと可愛い子だった筈だ。
 自慢の可愛い息子だったさ、血が繋がってはいなくてもな。



「でも…。目と髪の色が全然違うよ?」
 違うよ、とぼくは自分の頭を指差した。
 前のぼくが成人検査を受ける前には、髪の毛の色は金色だった。ジョミーみたいに輝くような金ではなかったけれども、銀色じゃない。何処から見たって金色の髪。
 それに青かった瞳の色。前のぼくの名前は瞳の色から名付けたのかな、と何度も思った。記憶は戻って来なかったけれど、青い瞳だから「ブルー」なのかと。
 今のぼくとは色が違った、前のぼく。
 色がすっかり違っていたって、可愛いと思ってくれたんだろうか?
「目と髪の色か…。確かに印象は変わってくるかもしれんがな…」
 だが、そいつはうんと些細なことだ。
 お前という中身の方が大事で、可愛がられたのは中身の方だ。
 姿も全部ひっくるめて可愛がるのが親ってヤツだし、前のお前の姿も可愛いと思っただろうな。
 こんな可愛い子供はいないと、自分たちの子供が一番なんだと。
 いいか、冷静に考えてみろよ?
 可愛いだなんて言えそうもないガキだった今の俺だが、親父たちは可愛がってくれたんだ。
 見た目なんかは関係ないんだ、そう思わないか?
「そっか…。前のハーレイのお父さんたちも、きっとそうだね」
「そうだったんだろうな、ドーナツも買ってくれたんだろう」
 欲しいんだったら仕方ないな、と前の俺の親父は笑っただろうな。
 おふくろも「仕方ないわね」と笑って買ってくれてただろう。
 …生憎と忘れちまったが…。
 思い出したくても、幸せの味のドーナツだとしか感じられなくなっちまったがな…。



 おふくろも親父もデータだけしか無いんだよな、とハーレイは寂しそうだった。
 アルテメシアを落とした時に、テラズ・ナンバー・ファイブから引き出した膨大なデータ。その中には前のぼくたちの養父母の写真もあった。育った家の記録もあった。
 ぼくも今のハーレイに記憶を見せて貰ったから、前のパパとママの写真は知ってる。でも、写真だけ。動く姿も声も無いから、パパとママだと実感出来ない。
 その点はハーレイもまるで同じで、消された記憶は戻らないから、知らない人の写真を見るのと変わらない。
 前のぼくもハーレイも、パパとママとを奪われた。機械にすっかり消されてしまった。
 残ったものは舌が、身体が忘れなかったドーナツの味の記憶だけ。
 幸せがたっぷり詰まっていたんだと、舌が覚えていた記憶だけ…。



 ちょっぴり悲しくなったけれども、ぼくはぼく。
 今のぼくにはパパとママがいて、ハーレイにもお父さんとお母さんがいる。
 十四歳の誕生日を迎えた後にも別れなくてよくて、おまけに本物のパパとママ。前と違って血が繋がったパパとママとで、我儘だって聞いてくれるから。
 駄々をこねたって許してくれてたパパとママだから、ハーレイにも訊いてみることにした。
「ねえ、ハーレイ。…今のハーレイも、ドーナツ、強請った?」
「ドーナツだけじゃない、お前と同じだ」
 もっとも、クレープだのアイスクリームだのって菓子よりも主に食い物だったが。
 ホットドッグとか、ハンバーガーだとか。
 ハンバーガーは大人でも食い切れないようなサイズのを強請って失敗してたな、俺の場合は。
「…それって、とってもハーレイらしいね…」
「この身体だしな?」
 あれこれ強請って失敗した分も、栄養はキッチリ摂れてたようだ。
 食った分だけ大きく育って、今の俺が此処に居るってわけだ。
 もしかしたら前の俺ってヤツもだ、食い物の方が主だったかもしれないなあ…。
 食い物を目指して突っ走る前の小さかった頃がドーナツとかな。



「ふふっ、そうかもしれないね」
 ハーレイだったらありそうだな、って思ってしまった。
 うんと小さくてヨチヨチ歩きの頃がドーナツで、学校に行くような年になったら食べ物専門。
 それでもドーナツは強請ってたよね、と考える。
 幸せの記憶をたっぷりと中に詰め込むためには、何度も食べなきゃいけないから。
 そのドーナツは今のハーレイにとってはどうなんだろう、と浮かんだ疑問。
 前と同じで好きなんだろうか、それとも普通のおやつだろうか?
 訊いてみなくちゃ、とぶつけてみた。
「ハーレイ、今でもドーナツは好き?」
「もちろんだ。ガキの頃の幸せな記憶ってヤツだな、たまに無性に食いたくなる」
 そして今度は堂々と食える。
 前の俺みたいに、お前が取っておいてくれたドーナツをコッソリ食わなくてもな。
「…なんで?」
「クラブのガキどもの御相伴だ」
 運動すると腹が減るからな。
 学校でドーナツを食うようなことは滅多に無いが、だ。
 他所へ出掛けて行った時にはよく食ってるなあ、その辺の店でドカンと買ってな。
「ああ…!」
「代金が俺の財布から出て行くことも多いんだがなあ、楽しいもんだな」
 堂々とドーナツを食えるってのは。
 前の俺がどうやって食っていたのかを思い出したら、楽しさも更に増すってもんだ。



「…前のハーレイも堂々と食べれば良かったのに…」
 食堂で食べたら揚げ立てなんだよ?
 揚げ立てはやっぱり美味しかったよ、保育部とかにも揚げ立てのドーナツが届いてたもの。
「前のお前の場合と違って、ガキが一緒にくっついていない。無理がありすぎだ」
 俺が保育部だの養育部だのに出掛けていたなら、食えたんだろうが…。
 ドーナツ目当てで出掛けられるか、そいつも相当みっともないぞ。
「大丈夫だったと思うけどなあ、ハーレイが食堂で食べていたって」
 誰も笑ったりしなかったと思うよ、似合わなくても。
 みんなドーナツが好きだったんだから、幸せの味がしたんだよ。
 それを食べたくて来ているんだ、って分かるから誰も笑いはしないよ。
「…そうだったのかもしれないが…」
 そうかもしれんが、俺は前のお前と一緒に二人で食うのが良かった。
 青の間でコッソリとドーナツを食って、幸せの味を噛み締めるのが良かったな…。
「ホント?」
「いたたまれない気持ちで食うより、断然、そっちだ」
 前のお前の笑顔もつくしな、幸せの味のドーナツにはな。
 二人で食うから美味さが増すんだ、幸せの味もググンとな。



「そっか、そういうものなんだ…」
 ハーレイがそれで良かったと言うなら、青の間でコッソリはいいんだけれど。
 こっそりドーナツの方はいいんだけれども、今度はドーナツ、どうするんだろう?
「ねえ、ハーレイ。…今度もドーナツ、ぼくと一緒に食べるんだよね?」
 何処で食べるの?
 買ってきて家でコッソリ食べるの、ぼくと食べる時にはクラブの生徒は一緒じゃないよ?
「ふむ…。いっそ店に出掛けて堂々と食うか?」
 店で食うための席もあるだろ、あそこで食ったら揚げ立てが食える。
 飲み物なんかも買ってのんびりするんだ、腹具合を見ながらドーナツ追加で。
「ふふっ、二人でドーナツでデート?」
「ああ。ついでにテイクアウトもしてな」
 持って帰って家でゆっくり食おうじゃないか。
 青の間で食ってたドーナツの思い出を語り合ってだ、コッソリじゃなくて堂々とな。
 お前の家の庭にある、テーブルと椅子。
 ああいった場所で食べるのもいいし、庭が見える窓際に座るのもいい。
 今度は誰に見られていたって、俺たちは二人一緒に居るのが当たり前の仲になるんだからな。



 いつか一緒にドーナツを食おう、ってハーレイは笑顔で約束をして帰って行った。
 ドーナツを売ってるお店に二人で出掛けて、お店のテーブルで揚げ立てのドーナツ。手を繋いで出掛けて、二人でドーナツ。
 もう入らない、ってくらいに食べたらテイクアウトのドーナツを買う。
 二人で箱を提げて帰って、家でのんびりドーナツを食べる。
 幸せの味がたっぷり詰まったプレーンを沢山、沢山買うのもいい。美味しそうなドーナツを色々選んで詰め合わせて貰って帰るのもいい。
(だけど一番はプレーンだよね、きっと)
 シャングリラで食べていたドーナツ。
 幸せの味だと、思い出せないけど幸せが詰まったドーナツなのだと噛み締めた味。
 あのドーナツがきっと一番、一生忘れられない幸せの味のドーナツだと思う。
(でも…。ハーレイと一緒に食べるようになったら、幸せのドーナツも増えるかな?)
 お店に行った時の幸せ気分を反映するとか、思い出のドーナツが出来るとか。
 初めて二人で出掛ける時に一個しか買わないだなんて有り得ないから、その時の分は全部記念のドーナツになる。初めて買った記念のドーナツ。
(…うん、その時に買って食べた分は思い出のドーナツだよ)
 どれを買おうか迷って、買って。思い出のドーナツがプレーンの他にも幾つか増える。
(きっと他にもまだまだ増えるよ)
 絶対増える、と確信した。
 今度はうんと幸せな気分が増えそうなドーナツ。
 ハーレイが来てくれる時のおやつに、ママはドーナツを買ってはこないから…。
 思い出のドーナツを増やしてゆくのは、結婚した後のお楽しみ。
 それともママに頼んでみようか、一度ドーナツを買ってほしい、と。
 買って貰うなら、プレーンは絶対。
 それが幸せのドーナツの始まりだもの…。




          ドーナツ・了

※前のハーレイとブルーの気に入りのおやつだった、ドーナツ。記憶を失くしてしまっても。
 きっと幸せな思い出があった筈のドーナツ、今度も幸せの味になるのでしょうね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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