シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「えーっと…」
あれっ、とブルーは周りを見回した。
昨夜は早めにお風呂に入って、夜更かしもせずに眠ったと思う。なのに…。
(なんで?)
目を覚ました自分がベッドに横たわったままでいる場所。
見覚えのある部屋には違いなかったが、何もかもが見事に違っていた。射し込む光や漂う空気が違うどころか、まるで別物。
見慣れた天井の代わりに、柔らかな照明が灯る天蓋。
勉強机やクローゼットの代わりに、ベッドの周りを取り巻くカーテン。
(…此処って、青の間…)
直ぐにそうだと気付いたけれども、それはおかしい。
自分は十四歳の小さな子供で、ソルジャー・ブルーではなかった筈。
しかし…。
「お目覚めですか?」
耳に馴染んだ声が聞こえて、キャプテンの制服を纏ったハーレイが奥の方からやって来た。まだ状況が飲み込めないブルーのベッドの脇に立ち、笑顔で促す。
「バスルームが空きましたから、シャワーをどうぞ」
(えっ?)
ハーレイが青の間のバスルームを使い、その後にブルーにシャワーを勧めるということは。
(昨夜はハーレイと一緒に寝たんだ!)
しかも一緒に寝ただけでではなく、朝一番にシャワーが必要になるような時間を過ごした。恋人同士で熱く抱き合い、愛を交わしたに違いない。
それでは昨夜の自分はそういう時間をハーレイと、と慌てて身体を眺めたのに。
(………)
一糸纏わぬ姿どころか、昨夜着て寝たパジャマがブルーを包んでいた。ハーレイと愛を交わした痕跡は皆無、ボタンの一つも外れてはいない。
(こんなトコだけ、元通りなんて!)
理不尽だよ、と頬を膨らませてから気が付いた。
(…ぼく、子供だ…)
青の間に居るのに、ソルジャー・ブルーだった頃の部屋に居るのに、手も足もすっかり十四歳の子供のもの。パジャマから覗いた小さな手足。
なのに…。
「ブルー?」
ベッドの脇に立つハーレイが困ったような顔で覗き込んで来た。
「じきに朝食の係が来ますよ、早く着替えて頂かないと」
シャワーを済ませて、ソルジャーの衣装をお召しになって。
マントもきちんと着けて下さい、でないと係が変だと思うでしょうからね。
(…ソルジャーの服って…)
ブルーは酷く途惑った。
青い地球の上に生まれ変わって来たハーレイは、ブルーが「普通の子供」であることを喜ぶ。
今度の生ではソルジャーではないと、何も背負わなくてもいい子供なのだと。
そんなハーレイが今の自分にソルジャーの衣装を着せたがるだろうか?
(…もしかして、ハーレイだけどハーレイじゃ…ない……の?)
今のブルーの優しい恋人。ずっと年上で、先生でもある今のハーレイ。
自分を見下ろすハーレイはそのハーレイとは違うらしい、と思い至ったけれど。ハーレイの方はブルーがソルジャー・ブルーだと信じ込んでいるようだから…。
「ハーレイ。ぼくはソルジャー・ブルーじゃないよ」
違うんだよ、と起き上がった。目をパチクリとさせて見上げているのに、ハーレイは笑顔。
「朝から何を仰いますやら…」
私をからかいたい御気分なのでしょうが、もう朝ですから。
本当に朝食係が来てしまいますよ、シャワーを浴びて着替えて下さい。
「そうじゃなくって!」
ブルーは小さな両手を一杯に広げ、腕も大きく広げて見せた。
「見てよ、こんなに小さいってば!」
ソルジャー・ブルーは小さくないよ。
ハーレイよりかは小さかったけど、ぼくよりもずっと大きいってば!
「……はあ……」
言われてみれば、とブルーをしげしげと眺めたハーレイは、ようやく異変に気付いたらしく。
ベッドの上にチョコンと座ったブルーに、困ったような顔が向けられる。
「…では、あなたは?」
昔のブルーにそっくりの姿でいらっしゃいますが、あなたは誰です?
「ブルーだけど…」
ぼくだってブルーなんだけど、と口にしてからブルーが思い出した現実。
ソルジャー・ブルーの生まれ変わりでタイプ・ブルーでもある自分だけれども、サイオンを扱う力は無いに等しい。ほんの少しだけ浮き上がったり出来るだけ。
青の間に、シャングリラに来てしまったとはいえ、ソルジャー・ブルーの代わりは務まらない。何の役にも立たないどころか、船に居る他の仲間たちにすら劣るだろう。
これはマズイ、と考えたから。
「ぼくもブルーだけど、ぼく、思いっ切り不器用なんだよ!」
サイオンなんか全然使えなくって、タイプ・ブルーのくせに何も出来なくて…!
ソルジャーなんか務まらないよ、とブルーは叫んだ。
「助けて、ハーレイ…」
お願い、助けて。
ぼく、此処じゃ何にも出来ないんだよ…。
ソルジャー・ブルーと同じようには出来ないし、出来っこないんだよ…。
頼りになるのはハーレイだけだ、と直感したブルーは懸命に訴えた。
ソルジャーに次ぐ地位に立つキャプテン・ハーレイ。彼ならば何とかしてくれるだろうと、彼で駄目なら他に頼れる者は誰一人としていないであろうと。
そのハーレイは難しい顔で腕組みをしていたけれど。眉間に深い皺を刻んでいたのだけれども、ブルーの瞳から零れた涙に表情を和らげ、武骨な指でそっと涙を拭ってやって。
「…困りましたねえ…」
あなたも大層お困りでしょうが、私も困っているのですよ。
ソルジャー・ブルーは何処へ行ってしまわれたというのでしょう…。
「…多分、ぼくの中…」
ぼくの中だよ、とブルーは自分の胸の辺りを指差した。
「…ぼくは生まれ変わり。ソルジャー・ブルーの生まれ変わりがぼくだから」
「生まれ変わりですって?」
ハーレイはブルーの瞳を覗き込み、首を捻った。
「それはまた…。何故?」
どうしてあなたが生まれ変わりになったんです?
ブルーはどうなったのですか…?
ソルジャー・ブルーを案じているのだと分かる、ハーレイの心配そうな表情。
生まれ変わるまでの間に何が起こったかを喋ったら駄目だ、とブルーは思ったから。前の自分の身に何が起こるか、話してはならないと思ったから。
遠い未来から来たのだ、と答えた。
ずっと遥かな未来から来たと、其処にはハーレイも居るのだと。
「ぼくの先生なんだよ、ハーレイ。…それに……」
恋人。小さな声で紡いだ言葉に、「良かった」とハーレイが笑みを浮かべた。
「ならば、未来から来た小さなあなたも私のブルーというわけですね」
分かりました、全力でお守りしますよ。
あなたは私が守ってみせます。
とりあえず…。今日は御気分が優れないということにしておきましょう。そうすれば誰も訪ねて来ません。後のことは追い追い考えるとして……。
朝食は如何なさいますか?
卵料理の御希望などがあれば私が係に伝えますが。
「えーっと…」
卵の調理方法などより、ブルーには切実な注文があった。
「ねえ、ハーレイ。普通に喋って欲しいんだけど…」
よそよそしい敬語なんかじゃなくって、もっと普通に。
ぼくは「お前」で構わないんだし、ハーレイも「俺」がいいんだけれど…。
「…それは…」
それは私には難しいかと…、とハーレイは「すみません」と頭を下げた。
この言葉遣いで慣れてしまったと、急には変えられないのだと。
やがて朝食係のクルーが訪れ、奥のキッチンでブルーとハーレイの朝食を仕上げて帰った。係が居る間、ブルーはカーテンを引いたベッドの中。
ハーレイから「ソルジャーは御気分が優れない」と聞かされた係は不審がりもせず、「お食事を召し上がって頂ければいいのですが…」と心配しながら配膳していた。カーテンの向こう、朝食を食べるためのテーブル。其処で朝食を食べていたっけ、とブルーは懐かしく思い出す。
係のクルーの気配が消えると、ハーレイがカーテンを開けて顔を覗かせた。
「ブルー、朝食の用意が出来ましたよ」
ですが…。
お召しになれる服がありませんねえ、そのお身体だと。
「うん…。絶対、大きすぎると思う…」
それでもパジャマはあんまりだから、とブルーはソルジャーの衣装の上着だけを着た。白と銀の上着は身体のラインにピタリと添うように出来ていたけれど、ブルーには余る。丈も長いし、幅もたっぷりと余っていた。
(…ぼくってホントにチビだったんだ…)
ハーレイにチビと言われる筈だよ、と此処には居ない恋人の口の悪さを思う。
何かと言えば「チビ」だの「小さい」だのと繰り返すハーレイ。
敬語では話さないハーレイ……。
くすぐったすぎる敬語のハーレイと二人で朝食を食べる間に、ブルーは地球から来たと話した。青い地球から此処に来たのだと、地球の上に住んでいるのだと。
「良かった…。無事にお着きになれたのですね、地球に」
「でも、ぼく、生まれ変わりだよ?」
「それでもです」
あなたが焦がれておられた地球です。
その地球にお住まいになっておられる、そう伺ってホッとしましたよ。
如何ですか、地球は?
青い地球は素敵な星ですか、ブルー?
「うん。…ハーレイもちゃんと地球に居るしね」
だからハーレイも行けるんだよ、地球に。
地球に住んで先生をやってるんだよ、ぼくの先生。
「そして、あなたの恋人なのですね」
未来が楽しみになってきましたよ。
今はまだ地球が何処に在るのかも分かりませんが…。
いつかは青い地球に住めるのだと、あなたの先生にもなれると聞いたら、楽しみです。
早くその日を迎えたいですね、生まれ変わりであったとしても。
和やかな朝食の時間が終わって、係が食器を片付けに来て。
ブルーは再びベッドに隠れたのだけれど、其処から出て来た後になっても去らないハーレイ。
朝食が済んだらキャプテンはブリッジに出掛けるものだと覚えていたから、ブルーは尋ねた。
「ハーレイ、仕事は?」
ブリッジに出掛けなくてもいいの?
いつもだったら、朝御飯の後は直ぐにブリッジに…。
「此処でやりますよ、そういう時だってあったでしょう?」
青の間には色々と設備が整っていますから。
此処からでも充分に指示を出せます、私の部屋と同じですよ。
非常時以外はブリッジに詰めていなくてもいいと、あなたもご存じの筈ですよね?
「うん…。でも、いいの?」
「今はこういう時ですからね」
此処にお一人では不安でしょう?
私がお側に居た方がいいと、そうするべきだと思うのですよ。
そう言ったハーレイはブリッジとの通信回線を開き、青の間から指揮をすると伝えた。
ブリッジから次々に入る報告。送られてくるデータに目を通し、処理してゆく。シャングリラのキャプテンの仕事ぶりを見ながら、ブルーは「こんな風だった」と遠い記憶と重ねるけれど。
同じようにしていた前のハーレイを想うと、今のハーレイが恋しくなるから。
あのハーレイの所へ帰れるだろうか、と不安になるから。
「…ハーレイ、ぼく…。ずっとこのまま?」
帰れないままで此処に居るしかないの?
此処で暮らしていくしかないの…?
「いずれは元に戻るのでは、と思いますが…」
でないと私も困りますし。
私の大切なソルジャー・ブルーが行方不明のままですからね。
「うん…」
そうだよね、と頷いた所でブルーはハッタと閃いた。
此処に居るハーレイはソルジャー・ブルーと恋人同士。出会った時にもバスルームから出て来たばかりの所で、ブルーにシャワーを勧めたくらい。
ソルジャー・ブルーと愛を交わすことが日常の一部であるハーレイ。
このハーレイなら、今の自分の恋人のように冷たくあしらうことはないかもしれない。
(…ひょっとして、このハーレイだったら…!)
自分の夢が叶うかもしれない、とブルーは仕事中のハーレイに近づいて袖を引っ張った。
「どうなさいました?」
振り返ったハーレイに向かって微笑む。
「キスしてもいいよ?」
ねえ、と口付けを強請ってみたのに、「いえ、それは…」と言葉を濁された。
「なんで?」
遠慮なんかはしなくていいよ、と首に腕を回せば「いいえ」と軽く振りほどかれて。
「そういったことは、未来の私が駄目だと止めているのでしょう?」
「えっ…」
何故、知れたのか。
見抜かれたのか、と目を丸くするブルーに答えが返った。
「サイオンの扱いは不器用なのだと仰ったのは御自分ですよ?」
あなたのお考えは私に筒抜けです。
私ならば、とお思いになっておられたでしょう?
生憎ですが、私も未来の私と同意見ですね。
そのお姿に見合った中身の恋人でいて頂かないと。
背伸びしてキスをして頂くより、子供らしくと思いますよ。
(…このハーレイでもダメなんだ…)
ブルーはガックリと肩を落とした。
せっかく青の間に来たというのに、コソコソとベッドに隠れるだけ。ソルジャー・ブルーと恋人同士の時を過ごしているハーレイは自分を恋人扱いしてくれない。
(何もいいこと無いんだけれど…)
つまらないよ、と思った途端に「そうですか?」と問われたから。
「今のも筒抜け!?」
「いいえ。お顔を見ていれば分かりますよ」
でも、良かった。
こんな時でも不平不満を仰れるほどに、平和な所に行かれたのだ、と分かりますから。
(そっか…)
そうだったよね、とブルーはハーレイの言葉を噛み締めた。
前の生なら有り得なかった不満。
ハーレイと二人きりで過ごしていられる、それだけで充分に幸せだった。
つまらないとは思わなかったし、いいことが無いとも思わなかった。
平和な日々に慣れてしまって、知らない間にすっかり我儘になってしまっていた。
もっと、もっとと贅沢を願う、欲張りな自分が出来上がっていた…。
「ねえ、ハーレイ…。ぼくって、我儘?」
呆れられてしまっただろうか、とブルーは心配したのだけれど。ハーレイは「いいえ」と優しい笑みを返した。
「平和で穏やかな暮らしをなさっていらっしゃるなら、それが普通ですよ、きっと」
そういったものだと思いますよ。
残念なことに、私は覚えていませんが…。成人検査よりも前の子供時代は、私だって我儘を沢山言っては周りを困らせていたのでしょうね。
「…そうなのかな?」
「ええ。…そして我儘を仰るあなたも、可愛らしくて大好きですよ」
そんなあなたをずっと見ていたいとも思うのですが…。
幸せに育ってこられたあなたが今よりも大きくなられた姿も見たいのですが…。
いつまでも平和が続いてくれれば、こうして青の間に隠しておいて。
「うん…」
ブルーにはハーレイの気持ちが良く分かった。
自分の恋人であるハーレイの気持ちと似ていたから。「ゆっくり育てよ」と、「今度はゆっくり幸せに育てよ」と言い聞かせるハーレイの心と良く似ていたから。でも…。
「でも、ハーレイ…。ぼく……」
帰りたいよ、パパとママの所に。ハーレイの所に。
ねえ、どうすれば帰れると思う?
「…分かりません…」
どうやって時を超えて来られたのかも分かりませんし…。
私に何かお手伝いが出来ればいいのですが…。
余裕のある時にデータベースを探してみましょう、とハーレイが提案した時。
青の間に警報が鳴り響いた。人類側の船の接近を知らせる警報。
ハーレイは濃い緑色のマントを翻してスロープを駆け下りて行った。走りながらブルーの方へと振り向き、大きな声で叫ぶ。
「ブルー、私はブリッジに…!」
「ぼくは?」
「此処に隠れていて下さい!」
あなたが出なければならない状況にはさせませんから!
いいですね、ブルー!
此処を出ないで、という言葉を残してハーレイが走り去った後。
青の間に独りきりになったブルーは、まだ響いている警報の音に耳を凝らした。生まれ変わった自分だけれども、覚えている。この警報の鳴り方は尋常ではない。接近しつつある船は民間の輸送船や客船ではなく、人類軍の船。警備艇か、あるいは戦闘機か。
雲海に隠れ、ステルスデバイスに守られたシャングリラは見付からないとは思うけれども。
(…まだ鳴ってる…)
もしかしたら発見されたかもしれない。照準を合わされているかもしれない。
サイオンキャノンで対処できるのか、それでは防げないレベルなのか。
前の自分なら、そんな時には出てゆけた。人類軍の攻撃くらいは何でもなかった。けれども今の自分は違う。何一つとして出来はしないし、ろくに思念も紡げないレベル。
(…でも…)
守らなくてはいけないのかもしれない。
此処で自分が守らなかったら、シャングリラの未来は無いのかもしれない。
シャングリラの未来も、そのずっと先の自分が生まれ変わって生きている地球も。
(…ぼく一人しかいないんだ…)
戦える者はたった一人だけ。
ハーレイの未来を守りたいなら。
消えてしまったソルジャー・ブルーの未来を守りたいのなら。
(…メギドまでなら頑張れる筈だよ)
前の自分はメギドまで行った。そこまでの未来はきっとある筈。
(だけど…)
飛ぶことが出来ない、飛べない自分。
瞬間移動もシールドも出来ず、攻撃力すら無い自分。
どうやって人類軍の船から白い鯨を守ればいいのか、守り通すことが出来るのか。
そんな力を持ってはいない。持っていたら青の間に隠れてはいない。
けれど…。
未だに止まない警報の音。人類軍の船が視認出来そうな距離にまで近付いている。
サイオンキャノンでは落とせなかったか、落としても次がやって来るのか。もうハーレイの指揮だけで対処出来る段階は過ぎているだろう。ソルジャーにしか収拾不可能な事態。
なのにソルジャー・ブルーは居なくて、代わりに自分。
空も飛べない、攻撃力も無い自分に何が出来るというのだろう?
でも…。
(だけど、やるしか…!)
パジャマの上に着ているブカブカの上着。
引き摺るのが分かっているマント。
ブーツも手袋も、今のブルーには大きすぎるに決まっているのだけれど。
(でも、ソルジャーはぼくしかいないよ…)
何とかしてシャングリラを守ってみせる。ハーレイの未来を守ってみせる。
そしてハーレイと一緒に暮らす。
遠い未来で、青い地球の上に生まれ変わってハーレイと一緒に…。
(…メギドまでは行ける筈なんだよ…!)
そこまで頑張って守らなくっちゃ、と、エイッとブカブカの上着を脱いだ。
大きすぎるサイズのアンダーを掴み、着替えようとパジャマのボタンに手を掛けた所で。
(目覚まし…?)
ふわりと意識が浮上する感覚。遠ざかってゆく警報の音。
ソルジャーの服が、白いシャングリラが、青の間が消えたと思う間もなく、開いた瞼。
天蓋の代わりに見慣れた天井。ベッドを囲んだカーテンの代わりに勉強机やクローゼット。朝の光が射し込むカーテンの隙間。ベッドではなくて窓を覆ったカーテン。
(…ぼくの部屋だ…)
ぼくの部屋だ、と涙が零れた。
滲んだ瞳が捉えた勉強机の上にはフォトフレーム。ハーレイと二人で写した記念写真。つい先刻まで居た敬語しか話さないハーレイとは違う、ブルーを「お前」と呼ぶハーレイ。
(…帰って来たんだ…)
ハーレイの所に帰って来たんだ、と緊張の糸が一気に緩んだブルーは泣いた。
あれは夢だと、本当に起こったことではないのだと分かってはいても、夢の世界では何もかもが真実だったから。
戦える者は自分だけだと、メギドに行くまで頑張らねばと覚悟を決めた自分が居たから。
(ぼくの部屋に帰って来たんだよ…)
パパとママの居る家に、ハーレイと暮らしている町に。
帰って来たんだ、とブルーは泣き続けた。母が「遅刻するわよ」と扉をノックするまで…。
母に起こされて、顔を洗って。
幸い、目が赤くなるほどには泣かなかったらしくて、腫れてもいない。ほんの五分か、長くても十分も泣いてはいなかったのだろう、と鏡の向こうの自分を眺めた。
あれも悪夢と呼ぶのだろうか、と考えながら制服に着替え、階段を下りてゆけばダイニングから漂うトーストの匂い。其処へ入ると…。
(…スクランブルエッグ…)
夢の中でハーレイと食べていたっけ、と思い出した卵料理だけれども、決定的に違う光景。
「早く食べなさいよ?」と微笑む母と、「今日は寝坊か?」と笑っている父。それに…。
(うん、ハーレイのお母さんのマーマレードだ!)
テーブルに置かれたマーマレードの大きな瓶。父と母もお気に入りの夏ミカンのマーマレードは隣町に住むハーレイの母の手作りだった。庭に大きな夏ミカンの木がある家でハーレイの母が沢山作って、あちこちに配ると聞いている。
いつかハーレイと結婚するブルーのために、とハーレイの両親が贈ってくれたのが最初。以来、瓶が空になる前にハーレイが新しい瓶を届けてくれる。テーブルの上で輝く金色。
(ちゃんと本物のハーレイが居てくれる世界なんだよ)
マーマレードがちゃんとあるもの、とブルーは焼き立てのトーストにたっぷりと塗った。
今日はハーレイの授業は無い日だけれども、不満を言ってはならないと思う。
学校に行けばハーレイが居るし、夢のハーレイが言っていたように平和な世界に来たのだから。
(…ビックリしたけど、懐かしかったな)
敬語のハーレイ、と笑みを浮かべたブルーに父が「いい夢を見たのか?」と訊いてくるから。
ブルーは笑顔で「うん」と答えた。
とても幸せになれる夢を見たのだと、今は幸せな気持ちで一杯なのだと…。
青の間の夢・了
※今のブルーが夢に見てしまった、子供の自分の青の間での体験。サイオンも使えない子供。
怖い思いもしたのですけど、目が覚めてみたら幸せな今。これもいい夢の内でしょう。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv