シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あっ、キノコ…!)
ブルーの視線が捉えたキノコ。庭の芝生にポツンと一本、白いキノコが生えていた。ハーレイと二人で午後のお茶を、と出て来た庭。そういえばキノコの季節だったか、とブルーは思う。
庭で一番大きな木の下に据えられた白いテーブルと椅子。母がお茶とお菓子を運んで来てくれ、ハーレイと向かい合わせで座ったブルーは「ハーレイ、あれ」とキノコを指差した。
「いつ生えたのかな? 昨日は無かったと思うんだけど…」
確かに生えてはいなかったと思う。学校から帰って、おやつを食べながら見ていた庭にキノコは無かった。いつの間に、とブルーは不思議でたまらないのだけれど。
「そりゃまあ…。お前が見てない間さ、キノコってヤツは成長が早い」
一晩もあれば生えて来るさ、とハーレイはブルーに教えてやった。
「その代わり、生えたと思ったら一日くらいで消えちまうキノコもあるからなあ…。キノコ狩りはけっこう大変らしいぞ、種類によっては」
SD体制よりも前の時代の中国の料理だった中華料理。お前だって店で食ったりしてるだろ?
あれの食材でキヌガサタケっていうキノコがあるが、だ。
真っ白なレースみたいな傘を広げる綺麗な姿で有名なんだが、そいつは一日で消えちまうんだ。
「一日?」
「そうさ、たったの一日だ。キノコ狩りのチャンスは一日ってことだ」
雨上がりに生えることが多いから、そういう日に採りに行くんだな。
チャンスを逃すと萎んじまったキノコしか無くて、もう食えんそうだ。
「一日だけかあ…」
なんて慌ただしいのだろうか、とブルーはキノコ狩りへの認識を大きく改めた。幼い頃に読んだ絵本で子供たちが森でキノコを採っていたけれど、その光景はのんびりしたもの。いつ出掛けてもキノコはあるのだと思っていたのに、種類によっては時間との勝負だっただなんて。
(…行ったこと無いから知らなかったよ…)
絵本でしか知らないキノコ狩り。生まれつき身体の弱いブルーは山を殆ど知らないから。
でも、ハーレイはどうだろう?
頑丈な身体のハーレイだったら、キノコ狩りも経験したのだろうか…?
「ねえ、ハーレイ。…キノコ狩りって、行ったことある?」
ブルーの問いに「あるぞ」と直ぐに返った答え。
「親父とおふくろが好きな方でな、ガキの頃にはよく行ったもんだ」
今でもたまに誘われるな。明日、行かないかと言って来たりな。
「そうなんだ…。今でも行くんなら楽しいんだね」
「山は気持ちのいいもんだしな。…って、お前、もしかして…」
行ったことがないのか、キノコ狩り?
一度も行っていないのか…?
「うん…。学校からはキノコ狩りには行かないし…」
パパとママと一緒に山に行ったのはハイキングだけ。
山の天辺までも登れなくって、途中でお弁当を食べて帰って来てたよ、小さな頃は。
「なるほどなあ…。そういう子供にキノコ狩りは無理か…」
お父さんとお母さんの気持ちも分かる、とハーレイの鳶色の瞳がブルーを映して揺れた。
キノコ狩りは運に左右されるから、ドッサリ採れたり、まるで採れなかったりすることもある。
小さなブルーを連れて出掛けて、キノコが見付からなかったなら。ブルーはガッカリするだけで済まず、見付かるまで探すと駄々をこねるに違いない。
ただでも身体の弱いブルーが山や森の中を歩き続ければ、どんな結果になることか。楽しい筈のキノコ狩りがブルーの身体を壊してしまって、高熱が出たりするかもしれない。
ブルーの両親はそういったリスクを考えた上で、キノコ狩りに行かなかったのだろう。ブルーの頑固さは前の生から変わっていないし、キノコが無ければ日暮れまで探しそうだから…。
「面白いんだがなあ、キノコ狩りは…」
しかし頑固で身体の弱いチビには向かないレジャーだ、寝込んじまったら大変だしな。
お前、キノコが採れなくっても諦めたりはしないだろうが。
「探したと思うよ、見付かるまで。…今はそこまでやらないけれど…」
小さい頃ならやったと思う。
パパとママが「帰ろう」って何回言っても、絶対聞かずに探したと思う…。
「そういうガキでも元気だったら連れてって貰えたと思うが、お前はなあ…」
「後で寝込むの、確実だしね」
行けなくっても仕方ないよね、キノコ狩り。
だけどキノコはシャングリラの中でも育ててたのに…。
成長が早いとか、一日でヒョッコリ出て来ちゃうとか、前のぼくは全然知らなかったよ。
「菌床栽培だったからなあ、畑に生えてたわけじゃないしな?」
前のお前が視察に行っても、さほど関心は無かっただろう。
栽培用の施設を眺めて、こんなものかと思って終わりだ。
「本当はこんな風に地面から生えるものだよね、キノコ」
「うむ。木の幹とかにも生えるがな」
歯が立たないような硬いキノコが生えたりもするさ、木の幹だとな。
うんと硬くて、生えてる所が木の幹だろう?
サルノコシカケなんて名前がつくんだ、サルが腰掛けていそうだからな。
「ハーレイ、サルノコシカケも見た?」
「見たさ、でっかい木の幹に幾つもくっついていたぞ」
サルは座っていなかったが…。
座れそうなサイズではあったな、うん。
ハーレイが出掛けたキノコ狩りの話を、ブルーは瞳を輝かせて聞いた。落ち葉の下に隠れているキノコの探し方とか、食べられるキノコの見分け方だとか。
食べられないキノコの方が多くて、食べられるキノコはあまり多くはないというから。
「…食べられるキノコは庭には生えない?」
あれもダメかな、と芝生の白いキノコを示すと「あれは駄目だな」とハーレイが笑う。
「食ったら死ぬってほどでもないがな、食える類のキノコじゃないな」
庭に生えるキノコはまず無理だ。
食えるキノコを探すんだったら、山か森ってことになるなあ…。
「そっか…。庭にキノコはたまに生えるけど、食べられないんだ…」
「前のお前は見ていないのか、キノコ」
シャングリラの外に出た時に。
お前、時間を調整する時は山とかに隠れていなかったか?
「あったよ、キノコ。山にも、森にも」
「…惜しいことをしたな、お前。あの時代なら毒キノコは存在しなかったそうだ」
テラフォーミングの過程で危険な植物などを取り除いていた。
マザー・システムからの指示でな。
「そうだったの?」
「らしいぞ、俺も親父から聞いただけだが…。キノコ好きの間じゃ有名らしい」
だからだ、アルテメシアで見付けたキノコを食っていたなら美味かったかもしれん。
前のお前ならサイオンで簡単に焼けただろ?
焼き立てのキノコに塩を振ったヤツも美味いモンだぞ、レモン汁をかければもっと美味いな。
「えーっ!」
知らなかった、とブルーは叫んだ。
眺めていただけのキノコが美味しかったかもしれないのだ、と聞くと悔しくなってくるから。
「今は? ハーレイ、今のキノコは?」
「残念だが、あの時代のようなわけにはいかんな」
植生を元に戻してしまったからな。
毒キノコもきちんと生えているから、どれを食っても安全ってわけではないんだよなあ…。
かつては存在していなかったのに、今はあるという毒キノコ。
キノコ狩りをするには厄介だけれど、それが本来の自然というものなのだ、とハーレイに改めて言われなくともブルーには分かる。
遠い昔に地球を死の星にしてしまった人間が同じ過ちを繰り返さぬよう、あえて元の通りに木や草を植えた。人間に害をなすものであっても、神が創った自然のままに。
それが正しいと分かってはいるが、前の自分が食べ損ねたらしい無害なキノコ。どうして食べてみなかったのか、と悔しがるブルーに「今も悪いことばかりじゃないぞ?」とハーレイが言う。
「ずっと昔に貴重品だったキノコが今では採り放題ってな」
SD体制よりもずうっと昔だ、この辺りが日本って島国だった頃の話だな。
「どんなキノコ?」
「松茸だ」
「松茸!?」
ブルーは赤い瞳を丸くした。秋になれば食料品店に並ぶ松茸。秋しか見かけないキノコとはいえ高価ではないし、他のキノコと変わらない。貴重品だったなどとは思えないのに…。
「あれって貴重品のキノコだったの? 高かったとか?」
「らしいぞ、キノコとも思えん値段がついてたらしいが…。そのまた昔は安かったそうだ」
学校の食堂でも出て来たくらいに普通のキノコで、つまりは今と同じだな。
ところが採れなくなっちまってだ、値段がぐんぐん上がっちまった。
「なんで採れなくなっちゃったの?」
「人間が山に入らなくなって、手入れが行き届かなくなったんだ。里山っていう言葉があってな、そういう山では人間と自然が共存していた。松茸は里山のキノコだったからな…」
山が荒れたら、もう生えないのさ。
下草を刈ったり、茂りすぎた木を切って明るくしたり。そういったことも時には要るんだ。
「そっか…。自然って、放っておくのが正しいとも限らないんだね」
「上手く共存したいのならな。人間からは何もしないで奪うだけでは駄目だってことだ」
里山って言葉は使われてないが、手入れされた山はあるだろう?
今のお前が遠足で出掛けるような山だな、ああいう山が松茸にピッタリの山なんだ。
遥かな昔には里山と呼ばれた、人と自然とが共に生きる山。
青く蘇った地球の上には、その里山もまた蘇っていた。適度に手を入れ、自然に親しめる場所として。そうした山に出掛けて行けば…、とハーレイはブルーに話してやる。
「今の季節なら、松茸のフェアリーリングが見られるかもな」
「何それ?」
「この辺りが日本だった時代は、天狗の土俵と呼んでたらしいが…」
土俵は分かるな?
前の俺たちの時代には無かった相撲の土俵だ、天狗が其処で相撲を取るんだと思われていた。
松茸がぐるりと円を描くのさ、そういう形で生えているから天狗の土俵というわけだ。
「フェアリーリングは?」
そのまんまの意味だ、妖精の輪だな。
妖精が夜の間に輪を描いて踊った後にキノコが生えると昔の人たちは信じていたんだ。
そいつに入ると違う世界に行けるそうだぞ、妖精の世界とか、過去や未来に。
「過去と未来かあ…」
ひょっとして、とブルーはハーレイに問いを投げかけた。
「ぼくたち、それを通って来たかな?」
何処かでフェアリーリングに出会って、青い地球まで。
ぼくは全然覚えてないけど、前のぼくとハーレイと、二人でフェアリーリングに入ったとか。
「さてな? そういったものに出会っていたなら…」
一人で入りはしないだろうなあ、側にお前が居たならな。
これは何だろう、と言いながら二人で入っただろうな、しっかりと手を繋いでな。
「ねえ、ハーレイ。もしもフェアリーリングに出会ったら…」
入ったら過去に飛ばされちゃうってことはないよね、メギドとかに。
「それは勘弁願いたいが…」
結婚したらキノコ狩りに連れてってやろうかと思ったんだが、やめておくか?
フェアリーリングがあったら困るからなあ、ウッカリ入ってメギドじゃたまらん。
「んーと…。キノコ狩りには行きたいんだけど…」
フェアリーリングをどうしようか、とブルーは首を捻った。
入れば過去に飛んでしまうかもしれない、妖精たちが輪になって踊った跡地。
ただの伝説だと笑えはしない。
自分もハーレイも遥かな時を超えて地球に生まれ変わって来たのだから。
遠い昔にはフェアリーリングで時を超えた人がいたかもしれない。
自分たちだって超えてしまわないとは限らない。けれど…。
(…キノコ狩りには行きたいんだよ!)
たとえ松茸のフェアリーリングがあろうとも、と思った所で素晴らしいアイデアが閃いた。
「ハーレイ、フェアリーリングの松茸! 採っちゃえば?」
松茸を全部採ってしまえば無くなるよ、リング。
入らずに外から採っていくんだよ、フェアリーリングになってる松茸。
「おいおい…。そして松茸、全部食うのか?」
「うんっ!」
松茸御飯とか、焼き松茸とか。
ハーレイ、料理は得意なんだし、色々作って食べちゃおうよ。
フェアリーリングも分解しちゃえば、ただの松茸になるんだものね。
それがいいよ、と勢いよく宣言してから「でも…」とブルーは考え込んだ。
「松茸の妖精って、どんなのかな?」
「この地域じゃ天狗の土俵だしなあ、チビの天狗かもしれないぞ」
松茸の上に座れるようなサイズの天狗だ、お前どころじゃないチビだな。
天狗は空も飛ぶというから、そういう妖精でいいんじゃないか?
「小さな天狗かあ…。可愛いよね」
フェアリーリングを壊さないよ、って言ってあげたら何か貰えるかな?
松茸を採らずに見逃してあげたら。
「天狗の団扇か?」
「それって、貰ったらいいことがあるの?」
「その団扇で煽ぐと鼻が伸びるそうだぞ、天狗どころか天まで届くくらいにな」
伸びた鼻を天の川の橋の杭にされちまったっていう昔話があるからなあ…。
「そんなの、とっても困るんだけど…」
「俺も困るが…」
「そうだよね、天までじゃなくて天狗くらいでも、鼻が伸びちゃったハーレイなんか…」
なんだか違うよ、ハーレイじゃないよ。
「伸びるのは俺の鼻なのか!」
「酷いや、ハーレイ! 困るって、ぼくの鼻を伸ばす気だったの!?」
そんなの酷い、と膨れるブルーにハーレイは慌てて謝る羽目に陥った。
もしもブルーの鼻が伸びたらとても困ると、今のブルーの鼻が好きだと。
松茸の妖精がくれるかもしれない天狗の団扇。
煽ぐと鼻が伸びるというだけの団扇らしいから、ブルーは残念そうに呟く。
「同じ伸びるんなら、背が伸びるように出来ていればいいのに…」
背が伸びるんなら欲しいんだけどな、天狗の団扇。
「そいつは天狗の団扇じゃないな。背が伸びる道具は打ち出の小槌だ」
「打ち出の小槌?」
耳寄りな道具の存在を聞いて、瞳を輝かせるブルー。
伸ばしたいと望み続けている背丈。前の自分と同じ背丈になるまでハーレイとキスすら出来ない身なのに、一向に伸びてくれない背丈。
それを伸ばせる道具がある、と耳にしたから大喜びで訊いた。
「ハーレイ、その…。えっと、ナントカの小槌は何処で貰えるの?」
「貰うんじゃなくて、拾うんだ。鬼が落としていくからな」
まずは鬼退治をしないと駄目だ。打ち出の小槌は鬼の大事な宝物なんだ。
「…鬼って何処かにいるのかな?」
「お前なあ…。鬼退治って、鬼に勝てるのか?」
「……無理?」
だけど誰かが勝ったんでしょ、とブルーが今度は勝つ方法を尋ねてくるから。
ハーレイは「同じチビでもお前には無理だ」と、ブルーよりも遥かに小さな身体で鬼退治をした勇者の話を聞かせてやった。
お椀の船に箸の櫂。針の刀で鬼に挑んだ、一寸法師の昔話を。
「…分かったか? 鬼が丸飲み出来るサイズのチビだから針で勝てたんだ」
お前じゃとても勝負にならん。
前のお前なら楽勝だろうが、打ち出の小槌が欲しいのは今のお前だろ?
鬼に齧られるのが関の山だな、打ち出の小槌は諦めておけ。
それにだ、万が一、お前が鬼に勝ったとしても、だ。
打ち出の小槌を手に入れて背丈を伸ばしたとしても、お前、十四歳だしな?
中身は立派な子供ってヤツだ、生憎だがキスはしてやれないな。
「…背だけ伸びてもキスは駄目なの?」
「当たり前だろうが」
現に今だって庭で健全なデートの真っ最中だぞ、お父さんやお母さんから見える場所でな。
声までは聞こえていないだろうから、こういう話も出来るわけだが…。
ちょっとデートに出掛けてきます、と家も出られない子供なんだぞ、今のお前は。
そんな子供が背だけ伸びても、どうにもこうにも…。
中身の方もきちんと育たないとな?
十四歳では話にもならん。
鬼退治を頑張ったとしても、子供だからと相手にして貰えないらしい小さなブルー。
打ち出の小槌で背丈を伸ばしても、ハーレイとキスは出来ないと言われて肩を落とすブルー。
中身も育たないと駄目だとなったら、いったい何年かかるのだろうか。
結婚出来る年は十八歳だけれど、そこまでの年数も十四歳の子供にとっては長いもの。前世では三百年以上も生きたけれども、だからと言って「ほんの一瞬」とは思えはしない。
今のブルーは子供なのだし、時の流れの感じ方が違う。前の自分とは比べられない。
(…まだまだ何年もかかるだなんて…!)
なんで、と大きな溜息をつけば、向かいに座った恋人がいとも簡単に。
「そんなに心配しなくってもな?」
俺と松茸狩りに行ける頃には結婚してるし、キスもしてるさ。
ほんの数年の我慢だろうが。
「でも…!」
「その数年が待てないってか?」
だがな、待てば待つほど有難味が増すって言葉もあるだろ?
反則技で背だけ伸ばして、俺に無視されて悔しがるよりチビのままでいろ。
お前はゆっくり幸せに育てと何度言ったら分かるんだ?
前のお前が出来なかった分まで、うんとゆっくり、幸せにな。
そういうお前を側で見るのも、俺の幸せな時間の一つだ。
今度のお前はチビでいいんだと、可愛がられてる子供なんだと心が温かくなってくるんだ。
俺はいくらでも待っててやるから、小さな子供でいてくれ、ブルー。
打ち出の小槌なんかを貰おうとせずに、そんな道具で背を伸ばさずに…。
いいな、と何度も念を押した後で、ハーレイは芝生の白いキノコに目を止めた。
フェアリーリングが出来る原因はキノコの菌糸だと聞いているから。
この地域では松茸が作り出す天狗の土俵が有名だけれど、他の地域では違うキノコが輪を描いてフェアリーリングを作るというし…。
(…松茸だけとは限らないからな、この辺りでも)
キノコ狩りには出掛けるけれども、さほどキノコに詳しくはない。芝生の上の白いキノコが食用ではないと分かる程度で、その名前までは分からない。
もしもフェアリーリングを作る類のキノコだったら、と心配になって、ブルーに「おい」と声をかけた。
「あそこのキノコ…。あれが増えたりすることがあって、だ」
お前の家の庭にフェアリーリングが出現したって、入るんじゃないぞ?
伝説ってヤツも馬鹿には出来ん。
この庭からメギドに繋がっていたら大変だからな。
「ぼくだって嫌だよ、メギドなんて!」
入らないよ、と震え上がったブルーだけれど。
(…でも、妖精…)
松茸の妖精は小さな天狗かもしれないから、あまり役には立ちそうにない。
鼻が伸びるという天狗の団扇を貰っても何もいいことはない。
けれど、芝生の白いキノコに妖精が住んでいるのなら。
妖精は不思議な力を持っていると言うから、もしも…、とブルーは考える。
もしもフェアリーリングが庭に出来たら、いきなり入らずに妖精がいるか探してみようと。
運よく妖精を見付けられたら、頼んでみたい。
過去へ、未来へと飛ぶことが出来るフェアリーリング。
その輪の力を貸して貰って、結婚出来る十八歳まで時を飛び越えられないか、と。
一気に時間を超えられたならば、きっと背丈も伸びている筈。
背が伸びてハーレイと結婚出来る日までの道のりをヒョイと飛び越え、未来の自分の家の庭へと降り立つことが出来たなら…。
(うん、結婚式の少し前くらいとか!)
それとも婚約、それとも初めてのキスの前の日?
どの辺りまで時を飛び越えようかと、ズルをして未来へ飛んでゆこうかと浮き立つ心から思念が零れる。キラキラと光る欠片がブルーの心から零れて落ちる。
ブルーの嬉しげに輝く瞳と、弾む心と。
白いテーブルを挟んで座った恋人がそれに気付かないわけなど無くて。
「馬鹿!」
この馬鹿者が、とハーレイはブルーを叱り付けた。
「俺と結婚出来る未来まで時を飛び越えてズルをするだと!?」
そこまでの幸せを捨てるのか、お前。
この先、お前が大きく育っていくまでの時間。
俺と何回、こうして庭でお茶を飲んだり、笑い合ったりするんだと思う?
二階のお前の部屋で何回、飯を食ったりするんだと思う?
その度に新しい発見があったり、前の俺たちのことを思い出したり…。
一つ一つは小さなことだが、そうした出来事を積み重ねていって幸せがうんと増すんだからな。
背が伸びなくって悔しい思いもするだろう。
俺に子供扱いされたと膨れっ面だってするだろう。
メギドの夢だって見るかもしれんし、幸せばかりの時間だとは言わん。
だがな、幸せは過ごした時間の分だけ増えるもんだし、減ったりはしない。
前のお前だってそうだっただろ?
寿命が百年減っていたとしたら、どれだけの幸せを逃していた?
それと同じだ、今だってそうだ。
お前が生きた時間の分だけ幸せってヤツもついてくるのさ、それを置き去りにするのは馬鹿だ。
時間を飛び越えて幸せの真っ只中に降りるつもりでいるんだろうがな、ただの馬鹿だ。
沢山の幸せを捨ててしまった馬鹿になるんだ、それをやっちまったお前はな。
ハーレイの言葉は当たっていたから。
小さなブルーにも充分に分かる重みを帯びていたから、ブルーは「うん…」と小さく頷いた。
馬鹿と言われても仕方ない自分。あまりに考えなしだった自分。
「ふむ。…馬鹿でも物分かりはいいようだな」
今度からよく考えるんだぞ、と大きな褐色の手がブルーの頭をクシャリと撫でた。
「お前が飛び越えようと思った時間の長さ。俺と出会ってからの時間の何倍分だ?」
三倍以上は軽くあるだろ、それだけの時間でどれだけの幸せに出会えるんだか…。
捨てちまうのはもったいない。毎日、きちんと味わってこそだ。
「…分かった。触らないよ、フェアリーリングが出来ても」
妖精を探して頼みもしないし、未来へ飛んだりしないよ、ハーレイ。
ちゃんとハーレイと一緒に過ごすよ、ぼくが飛ぼうとしてた先まで…。
「よし。あそこのキノコが輪になって生えても放っておけ」
そしてだ、いつかキノコ狩りに出掛けて松茸で出来たフェアリーリングを見付けたら…。
お前が言ってたみたいに端からどんどん採っちまって。
全部採り尽くして二人でたらふく食おうな、親父たちにも配ってな。
「うんっ! 天狗の団扇は欲しくないしね」
「ああ。お互い、相手の鼻は今の高さが一番だってな」
もっとも、お前はもう少しばかり伸びた形がいいんだが…。
背丈に合わせて、前のお前と同じ分だけ、ほんのちょっぴり。
しかしだ、ズルをするんじゃないぞ?
打ち出の小槌も、フェアリーリングも使うんじゃない。
今のお前に見合った時間をかけて、ゆっくりゆっくり伸ばしてくれ。
いくらでも待っていてやるから。
お前が前とすっかり同じに育つ時まで、何十年だって待ってやるから……。
妖精の輪・了
※キノコが作るフェアリーリング。それに入れば、妖精の世界や過去や未来に行けるとか。
幸せな未来へ、時を飛び越えたいブルーですけど…。其処へ至る時間も大切なのです。
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