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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

幼稚園の女神

 今日は学校が早く終わったから。いつもより早い下校時間で、バスに乗るのも早かった。バスで通学している生徒は、ぼくが乗る路線バスでは一人だけ。普通は歩くか、自転車で通う。
 健康な子供には何でもない距離にある学校だけれど、生まれつき身体の弱いぼくには遠い学校。いつだって家の近所のバス停から乗って、帰りは降りて。住宅街を歩いて家との往復。
(時間が早いと景色も違うね)
 日射しが違うって言うのかな?
 同じ道なのに、違う顔。普段見るより鮮やかな花や、艶やかに見える木の葉っぱ。
(ハーレイ、何時に来てくれるかな?)
 学校が早く終わった理由は、先生たちのための行事があるから。会議みたいなものなんだろう。昨日、学校の廊下でハーレイに会ったら「明日は俺も早めに終わるぞ」と言ってて、夜にはママに連絡があった。「明日は帰りに寄りますから」って。
 学校がある日でも、仕事が早く終わった時にはぼくの家まで来てくれるハーレイ。一緒に夕食を食べてくれるハーレイ。
 だけど大抵、予告は無い。先生の仕事は急に増えたりすることもあって、予定を立てても無駄になることが多いから。
 今日みたいに「行きます」って約束してくれる日は滅多に無いから、とても嬉しい。ママだって張り切って夕食の用意をするんだよね、きっと。
 ハーレイは何でも美味しそうに食べるし、好き嫌いだって無いんだけれど。
 それでも予告をしてくれたからには、凝った料理とか、何か珍しい食材だとか。
(晩御飯、何かな?)
 ぼくの足取りまで踊り出しそう。ハーレイが来るって分かっているから、それだけで幸せ。
 ハーレイと一緒に晩御飯だよ、と考えただけで幸せ一杯。
 夕食の前には二人きりで部屋でお茶が飲めるし、その時間が長く取れるといいな、って。



 浮き立つ心で歩いていたら、ぼくを追い越して行った幼稚園のバス。車体に描かれた虹や動物、如何にも子供が好きそうな絵たち。
 小さな頃には乗ってたっけ、と少し先の方で止まったバスを見ながら歩いた。後ろにくっついた丸いプレートには、バスの名前が書いてあるんだろう。キリンとかゾウとか、バスの愛称。
(…ぼくが乗ってたのはキリン号だっけ?)
 それともキリン号の子が羨ましくって、他の動物だっただろうか。流石にちょっと記憶に無い。帰ったらママに訊いてみようかな、と思った所へバスから降りて来た男の子。制服姿のちっちゃな子供。迎えに出ていたお母さんとしっかり手を繋いでる。
 幼稚園バスはまた走り出して、男の子が空いている方の手を大きく振った。
「フィシス先生、さようならー!」
(フィシス!?)
 バスの後ろの大きな窓越しに手を振り返している女の先生。
 その瞬間、思い出したんだ。
 幼稚園にはフィシス先生がいたんだっけ、って。



 フィシスって名前は今では特に珍しくはない。
 前のぼくと同じでフィシスも有名人だから。ミュウの女神だったフィシスの名前を生まれた子に付ける人だって多い。
 幼稚園バスに乗ってた女性が「フィシス先生」でも、不思議でもなんでもないんだけれど。
 ぼくの学校の生徒にだって、フィシスって名前の子はいるんだけれど…。



(なんで忘れていたんだろう…)
 家に帰って、ママとダイニングでおやつを食べて。
 それから二階の部屋に戻って、さっき出会った幼稚園バスとフィシス先生とを思い返した。
 ぼくが行ってた幼稚園に居た、フィシス先生。
 大好きだったフィシス先生。
(すっかり忘れてしまってたなんて…)
 ぼくはきっと、小さすぎたんだ。
 幼稚園に行ってたくらいなんだし、まだ六歳にもなってなかった。三月の一番最後の日がぼくの誕生日だから、六歳になった途端に学校に行った。幼稚園時代は五歳で終わってしまった。
(五歳じゃ記憶も薄れちゃうよね…)
 おまけに今のぼくの中には、三百年を超える前のぼくの記憶。
 普段は表に出て来ないけれど、ふとしたはずみに溢れ出してくる膨大な記憶。
 そんな代物が詰まっていたんじゃ、幼稚園の頃の思い出なんかは薄れて当然なんだけど。
 分かってるけど、ちょっぴりショック。
 フィシス先生を忘れていたなんて…。
 シャングリラの写真集を何度も開いて、天体の間を写した写真を隅から隅まで見ていたのに。
 フィシスのことだって考えてたのに、今と繋がってはいなかった。



(…フィシス先生…)
 今のぼくより、うんと小さかった頃のぼく。
 制服のズボンが半ズボンだった、幼稚園バスに乗っていた頃のぼく。
 キリン号だか、違う名前のバスだったのか。ママに見送られて乗り込んだバスに揺られて、他の子たちを乗せながら着いた幼稚園。広い園庭や遊具、出迎えてくれる先生たち。
 其処の中庭にあった、真っ白な像。凄く髪の長い女性の像で、長い服の裾が足を隠してた。立ち姿じゃなくって、椅子に座ったみたいな形。上半身を屈めて、子供と視線を合わせる形。
 女神様みたいだと思ってた像。だけど女神様とは違って、先生。
 文字を覚えたら読めるようにと「フィシスせんせい」って書いてあったプレート。
 小さかったぼくには誰のことだか全然分かっていなかったけれど、ずっと昔のとても優しかった先生なんだ、って教えて貰った。
 ぼくたちみたいな子供の世話をするのが大好きな人で、女神様みたいな人だったんだ、って。



(フィシス先生、好きだったっけ…)
 前のぼくの記憶が無かったぼくには、ただの彫像だったけど。
 シャングリラに居た頃のままの衣装を纏った「フィシス先生」の像がお気に入りだった。それを見るのが好きなんじゃなくて、ホントのホントにお気に入り。大好きだったフィシス先生。
(ちょうどいい場所にあったんだよ、あれ)
 小さかったぼくは、中庭にあった小鳥の家とか、ウサギの小屋が好きだったから。
 小鳥やウサギを眺めに出掛けて、他の子供たちで混んでいる時はフィシス先生の膝に座ってた。
 そう、小さな子供がよじ登れるように、フィシス先生は両手を差し出してくれていたんだ。その手を伝って、膝に登って。真っ白な像の膝にチョコンと座った。
 他の子たちよりも高い場所から、小鳥の家やウサギの小屋を見ていた。ホントは近くで見たくて仕方ないけど、混んでいる間は待つしかないから。フィシス先生の膝で待つしかないから。
 早く空かないかな~、って待ってる間中、フィシス先生はぼくのために日陰を作ってくれた。
 夏は日陰で、冬は陽が当たるポカポカ暖かなフィシス先生の膝の上。
 そうなるように設置してあったんだろう。
 膝に座る子供が快適な時間を過ごせるようにと、季節によって向きが変わるとか。



 フィシス先生の像の目は閉じていたけれど、何も不思議に思わなかった。
 優しそうな笑みを湛えた顔だけで充分、笑ってる時に目が細くなる人も多いから。そういう顔を写した像だと、フィシス先生は笑ってるんだと思ってた。
 目が見えないだなんて知らなかったし、幼稚園では教わることもなかったから。
 学校に行って、ミュウの歴史で習った時には「そうだったんだ」と驚いたけれど…。
 フィシス先生の像が目を閉じてた理由にビックリしたけど、それっきり。
 忘れちゃってたフィシス先生。大好きだったフィシス先生の像。
 今でも幼稚園の中庭にフィシス先生の像はあるんだろうか?
 小さかった頃のぼくみたいな子を、膝に乗っけて中庭に座っているんだろうか…。



 前のハーレイと、ゼルにヒルマン、ブラウにエラ。
 地球の地の底に向かったジョミーを探して、地上にあったユグドラシルから下へと向かった長老たちとフィシス。彼らは途中で子供を見付けた。大勢の人類の子供たちを。
 今のハーレイに聞いた話では、みんな仰天したらしい。どうして子供が地下にいるのかと、地の底で何をしているのかと。
 だけど、ハーレイたちはミュウだったから。
 絶え間ない地震で揺れ動く地の底で、明かりさえも消えてしまった所で泣きじゃくるだけの子供たちの心を読むことが出来た。
 カナリヤと呼ばれて、地球の浄化が終わる時まで地の底深くで育てられる子たち。地球の本当の姿を知らされていない、「外へ出られる日は近いのだ」と信じ込んでいた子供たち。
 幼い子たちを見殺しになんか出来はしないと、ハーレイたちは頑張った。一人一人のサイオンは弱く、瞬間移動は不可能だけれど、力を合わせれば出来る筈だと。子供たちを地球の上空に浮かぶシャングリラまで無事に送ってやれる筈だと。
 そうして彼らはやり遂げたんだ。カナリヤの子たちを白い鯨へ送り届けた。そればかりか、更にフィシスも送った。「あなたは生きろ」と、自分たちのことを覚えていてくれと…。
 前のハーレイたちの命は其処で終わったけれども、フィシスは生きた。ハーレイたちが命懸けで守ったカナリヤの子たちを乗せた箱舟で、白いシャングリラでフィシスは生きた。



 カナリヤの子たちを育てていたから、彼らがミュウに育てられた最初の人類の子供たち。人類とミュウは同じなのだと、兄弟なのだという確かな証明。
 宇宙の星々もそれに倣った。人類がミュウを、ミュウが人類の子供を育てて一緒に暮らしてゆく世界。誰も反対しなかった。気味が悪いとも思わなかった。
 ミュウは敵だと、忌むべきものだと教えるシステムはもう無かったから。
 グランド・マザーに立ち向かう前にキースが残して行ったメッセージもまた、そうせよと説いたものだったから。
 フィシスはそれから長い時を生きて、ミュウの女神から幼稚園の先生へと変身を遂げた。
 ミュウと人類とが一緒に入った一番最初の幼稚園に招かれ、其処の園長先生になった。けれども最後まで普通の先生をやりたがってて、子供たちと遊んだというフィシス。園長先生の仕事をしていない時は、子供たちの相手をしていたフィシス。
 前のぼくがフィシスに与えたサイオンはとっくの昔に無くなっていた筈なのに。前のぼくの死と共に薄れ始めて、消えて無くなる筈だったのに…。
 見えない筈のフィシスの瞳は前と変わらず、周りの世界をきちんと捉えていたという。長かった寿命も、若い姿のままだったことも、フィシスにサイオンがあったことの証拠。
 前のハーレイたちと一緒にカナリヤの子たちを瞬間移動で送った時にも、フィシスはサイオンを使っていたと今のハーレイが話していたから、そういう奇跡もあるんだろう。
 きっとフィシスは神様の力で本物のミュウになったんだろう。
 ぼくとハーレイが青い地球の上に生まれ変わったみたいに、神様にしか起こせない奇跡。
 本物のミュウになった、前のぼくの女神。
 今のぼくがうんと小さかった頃、大好きだったフィシス先生の像…。



 フィシス先生のことは忘れていたな、と考えている内に、来客を知らせるチャイムが鳴って。
 約束通り、ハーレイが仕事帰りに来てくれた。いつもより早い時間の来訪な上に、ぼくの部屋のテーブルに置かれたおやつはパウンドケーキ。ハーレイの大好物のパウンドケーキ。
 ハーレイのお母さんが作るのと同じ味がするというそれを、ママはしっかり準備した。予告つきだったからこそ出来ること。晩御飯もきっと御馳走だよね、と思うけれども、その前に…。
「ねえ、ハーレイ」
 ママの足音が階段を下りていった後、ぼくは早速、訊いてみた。
「ハーレイが行ってた幼稚園にも、フィシスはいた?」
「フィシス?」
 何のことだ、とハーレイが怪訝そうな顔をするから。
「フィシス先生だよ、フィシスそっくりの像は無かった?」
「ああ、あったな…!」
 そういえばあった、と手を打つハーレイ。
 幼稚園の庭に像があったと、今から思えばフィシスなんだな、と。
 やっぱりハーレイも忘れていた。
 幼稚園に居た、フィシス先生。前のぼくたちが知っているフィシスの、その後の姿を。



「ハーレイの幼稚園にあったフィシス先生、どんな像なの?」
「あれか? ほら、手を出せ」
 前のぼくがフィシスの地球を見る時にしていたみたいに、手と手を絡めて。サイオンを合わせて見せて貰ったハーレイの記憶も、ぼくとおんなじフィシス先生。座った姿の真っ白な像。
 おんなじだね、って、ぼくの記憶のフィシス先生の像を送ってみたら。
「この形のが一番多いらしいぞ、幼稚園に置いてある像は」
 他にも何種類かあるみたいだがな、これが基本で一番人気の像らしい。
「…フィシス先生は忘れてたくせに、知っているんだ?」
 どうして、と不思議に思ったけれども、答えは至って単純だった。
「教師として一応、教わるからな」
 幼稚園と学校はまるで違うが、子供が最初に集団行動を覚える所が幼稚園だしな?
 どういう所かくらいは押さえておかんと、生徒の心を上手く掴めん。
 こんなのは幼稚園のレベルだろうが、と叱り付けるには根拠が要るのさ。



 そう言ってハーレイは笑ったけれども、ハーレイは先生。フィシスも先生。
 義務教育の一番最後の学校の先生と、幼稚園の先生じゃ仕事も全然違うだろうけど…。
「ハーレイ…。フィシス、幸せだったのかな?」
 フィシス先生の像は優しい笑顔で、とっても幸せそうだけど。
 前のぼくが死んでしまった後のフィシスは幸せだったんだろうか、前のぼくが渡したサイオンも失くしてしまっただろうに。
 そうなると知ってて何も教えずに、前のぼくはメギドに行っちゃったけれど…。
 フィシスが自分で気付いてくれれば、と生まれさえ教えなかったけれども、間違っていた?
「さあな…。一時期、悩んで塞いでいたが…」
 すまん、俺も余裕が無かったからな。
 フィシスのことまで気が回らないままで終わっちまった、ろくに訪ねもしなかった。
 それでもフィシスは地球に降りると自分で決めたし、地球でも気丈に振舞っていたな。
 トォニィを引っぱたいたりもしたと前に話してやっただろう?
 幸せだったかどうかはともかく、自分の足でちゃんと歩いていたさ。
 前のお前が教えなくても、きっと気付いていたんだろう。
 自分が何者か、何処から来たのか。
 お前が教えずに逝っちまったからこそ、自分で考えて答えを出せた。どう生きるべきかも自分で決めた。そうだったろうと俺は思うぞ、前のお前は間違っていない。
 手とり足とり、こうするべきだと教えてやるより良かったさ。
 お前という保護者を失くしたフィシスは、自分で歩くしかなかったんだからな。



「そっか…。それならいい…」
 前のぼくもそれを望んでいたから。
 サイオンを失くしても強く生きてくれと、幸せに生きろと願っていたから。
 前のぼくの我儘で連れて来たフィシス。前のハーレイだけが正体を知っていたフィシス…。
 だけど神様は奇跡を起こした。フィシスにサイオンを残してくれた。そのサイオンを使って目が見える人と同じように動いて、フィシスはカナリヤの子たちを育てた。
「ハーレイがカナリヤの子たちを送った時には、フィシス先生なんて想像しなかったよね?」
「それどころの騒ぎじゃなかったからなあ…」
 とにかく脱出させなければ、と必死だったな。
 ついでにフィシスを最後に送ろうと、俺たちだけでコッソリ思念を回してたしな?
 フィシスに知れたら失敗するから、そういう意味でも必死だったさ。
 無事に送り出せてホッとしたもんだが、まさかフィシスがフィシス先生になるとはなあ…。
 俺たちに託されたカナリヤの子たちだ、頑張らねばと思ってくれたんだろうな。



「カナリヤの子たち、シャングリラで育てたんだよね?」
「あの子たちが降りたがらなかったらしいな、フィシスに懐いていたんだろうな」
 何処の星でも降りられたのにな?
 シャングリラを降りた仲間も多かったようだが、あの子供たちは乗っていたらしいな。
「ハーレイたちに助けられたんだもの。シャングリラに残ろうって考えそうだよ」
 刷り込みって言うんだったっけ?
 卵から孵った雛鳥が最初に目にした人間のことを親だと思ってついて歩くの。
 それと似たような感じじゃないかな、ハーレイたちに貰った命だものね。
「…そうかもしれんな」
 沢山の雛鳥を拾っちまったなあ、文字通りカナリヤの雛ってヤツだな。
 さぞ賑やかなことだったろうさ、あれだけの子供がいっぺんに増えたシャングリラはな。
 前の俺たちやジョミーがいなくなった分を埋め合わせるには充分だろう。
 寂しいどころか、前よりもうるさくなったんじゃないか?
 トォニィもチビの後輩が一気に増えたらベソをかいてはいられないしな。



 そういう意味でもカナリヤの子たちはシャングリラの役に立っただろうと笑うハーレイ。
 ジョミーを亡くしたトォニィはベソをかきそうだけども、小さな子供が大勢いたなら先輩として頑張らないといけないから。泣いていたんじゃカッコ悪いから…。
「そうだね、泣き虫ソルジャーって渾名がつきそうだものね」
「うむ。子供は容赦がないからな」
 遠慮なく泣き虫呼ばわりだろうさ、泣いていたなら。
 シャングリラの仲間は見逃してくれても、カナリヤの子たちはそうはいかんぞ。
「その子供たちが大きく育ってから幼稚園の園長先生になったんだよね、フィシス?」
 アルテメシアの幼稚園で。
 人類とミュウが一番最初に一緒に入ったっていう幼稚園で…。
「ああ。カナリヤの子たちも何人か一緒に行ったようだな、その幼稚園の先生をやるために」
 そこのやり方が評判になって、あちこちの星に広がって行った。
 幾つもの星に呼ばれて講演なんかもしてたらしいな、フィシスたちはな。
「そうなんだ…」
「お前の年ではまだ知らないさ。それに学校で習うことでもないからな」
 そういったわけで、幼稚園と言えばフィシス先生なのさ。
 だから何処でもフィシス先生の像があるわけだ。
 こういう立派な先生がいたと、偉いけれども優しくて素敵な先生だった、と…。



(…フィシス、そんなに偉かったんだ…)
 前のぼくの像は見たことがない。何処かにあるって話も聞かない。
 ジョミーやキースもそれは同じで、前のぼくたちのためには記念墓地の墓碑。前のぼくの墓碑が一番奥にドカンと立ってて、その次の場所にジョミーとキースのが並ぶ。
 あちこちの星に記念墓地と墓碑があると聞くけど、像は知らない。絶対に無いとは言い切れないけど、フィシスみたいに何処の星でも当たり前にあるわけじゃない。
 幼稚園があれば、庭にはフィシス先生の像。幼稚園を守る女神みたいに、フィシスの像。
 ミュウの女神は幼稚園のための女神になった。
 小さかった頃のぼくみたいな子を、膝に乗っける女神になった…。



 前のぼくには想像もつかなかった、フィシス先生。
 幼稚園を守る女神に変身を遂げた、前のぼくの女神。前のぼくが決めたミュウたちの女神。
 小さかったぼくが大好きだったフィシス先生が、前のぼくのフィシスだっただなんて。
「ねえ、ハーレイ。…ハーレイはフィシス先生、好きだった?」
「はあ?」
 意味が掴めないって感じのハーレイの顔。そうだろうな、ってクスッと笑う。
「あのね…。ぼくね、とっても好きだったよ。フィシス先生の像の膝の上が」
「お前、あそこは登ってたのか?」
 自分の家の木にも登らないお前が、あの像の膝に?
 俺の記憶じゃ幼稚園児にはかなり高い筈だぞ、登れるようには出来ているがな。
「うん。チビのくせに頑張っていたとは思う…」
 だけど周りがよく見えるんだよ、小鳥の家とかウサギの小屋とか。
 前が混んでて行けない時には、あそこに登って空くまで座っていたんだよ…。
「なるほどなあ…。きっと御機嫌で座っていたんだろうなあ、小さなお前が」
 今日も登ったと、得意そうな顔で。
 ぼくの椅子だ、って満足そうに座って、足をぶらぶらさせたりして。
 そうか、チビだった頃のお前がフィシスの膝になあ…。



「傑作だよね、前のぼくは座らなかったのにね?」
 フィシスの膝に座るどころか、その逆だったよ。
 シャングリラに連れて来た頃のフィシスは小さかったし、前のぼくの膝の上に座っていたよ。
「お前の方が保護者だったんだから仕方なかろう」
 フィシスは幼稚園児よりかは大きかったが、それでも子供だ。
 お前だって可愛がって座らせてたろうが、フィシスをうんと甘やかしてな。
「まあね。…前のぼくはフィシスの膝じゃなくって、ハーレイの膝に座ってたんだよ」
「今のお前も変わらんじゃないか」
 何かと言えば座りたがるくせに。
 幼稚園に行ってた頃から変わらないわけだ、フィシス先生の像か、俺かの違いだ。
「…ふふっ、フィシス先生はぼくの恋人とは違うんだけどね?」
 幼稚園の頃から変わらないんなら、フィシス先生の膝の代わりに座ってもいい?
 ハーレイの膝。
「まあいいだろう。…お母さんが晩飯だって呼びに来るまでな」
「うんっ!」
 やった、と自分の椅子から立ち上がったぼく。
 フィシス先生の膝の代わりに、今日はハーレイの膝に座れる。



(いいことを思い出しちゃった!)
 よいしょ、とハーレイの膝に乗っかった。
 いつもはハーレイの膝に座ったら胸に頬を摺り寄せて甘えるけれども、フィシス先生の膝の上に座ってた頃を思い出したから。
 それが切っ掛けでハーレイの膝に乗っけて貰えたんだから、今日はいつもと違う向き。
 ハーレイとおんなじ方向を向いて、背中にハーレイの優しい温もり。
 広くて逞しい胸がぼくの背もたれで、ハーレイの膝がぼくの座る場所。
 ハーレイの腕がぼくの身体をそっと抱き締めて、笑いを含んだ声が訊いてきた。
「おい、フィシス先生の膝と比べてどうだ?」
「やっぱり断然、ハーレイがいいよ」
 そうに決まっているじゃない。
 前のぼくも、今のぼくも、ハーレイが好き。ハーレイのことが一番好き…。
 前のぼくはフィシスが好きだったんだ、って噂もあるけど、それはそれでいいよ。
 実はキャプテン・ハーレイと恋人同士でした、ってことになったら大騒ぎになってしまうもの。
 恋人はフィシスだったんです、って方が平和なんだよ、間違いだけど。
 間違いだけれど、訂正するより平和だろうって気がしてこない?
「まあな。今度も秘密のままなのかもなあ…」
 俺とお前が結婚したって、前世が誰だったかは一生、明かさないままで。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイの仲は今度も秘密で終わるのかもなあ…。



 せっかく二人で生まれて来たのに、とハーレイは苦笑しているけれども、それでいい。
 前のぼくの恋人が本当は誰だったのかなんて、間違えられたままでもいい。
 フィシスか、それともハーレイかなんて、誰一人として知らなくってもかまわない。
 今のぼくは地球で幸せだから。
 ハーレイと二人、青い地球の上に生まれ変わって幸せに生きてゆくんだから。
(…今度は結婚出来るんだよ)
 誰よりも大切で、前のぼくだった頃から好きだったハーレイと今度は結婚出来るんだから。
 幸せだったら、それだけでいい。それ以上のことを望みはしない。
(フィシス、見えてる?)
 君の膝の上に乗ってた、幼稚園の頃のぼくも君には見えてた?
 ねえ、フィシス。
 ぼくはとっても幸せなんだよ、前のぼくが行きたいと夢見た青い地球の上で…。




          幼稚園の女神・了

※幼かった頃のブルーのお気に入りの場所だった、フィシス先生の膝の上。像ですけれど。
 フィシスは幸せに生きたようです、カナリヤの子たちと。そして今では幼稚園の女神。
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