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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

フライパンと船

(よっ、と…!)
 ヒョイと右手でフライパンを振って、上のオムレツを引っくり返して。
 ハーレイは鼻歌混じりに家のキッチンに立っていた。馴染んだキッチン、慣れたフライパン。
 こんな時間にオムレツを焼いていることは珍しい。いつもなら、朝。
 けれども急に食べたくなって来たから、夜食にオムレツ。キッチンの窓の向こうは暗い。
(…まるで宇宙だな)
 前の生でキャプテン・ハーレイだった頃に見ていた宇宙。恒星にでも近付かない限り、窓の外は漆黒の闇だった。瞬かない星たちが散らばっていても、さして明るくはなかったから。
 あの頃に見た窓のようだな、と、ヒョイとオムレツを返した瞬間、蘇って来た遠い記憶。
(こんなものだったな)
 いや、もう少しばかり太くて重かったろうか。
 かつて握っていた、シャングリラの舵。舵輪の記憶と手にしたフライパンの柄とが重なった。
 舵輪は回して動かしたけれど。一杯に舵を切っていたけれど。
 フライパンのように振ることは無かったけれども、かつて手の中にあった感触。
 そうだ、こうして舵を握った。
 フライパンも舵も似たようなものだ、と冗談交じりに口にしながら。



(…またフライパンに戻っちまったな)
 なあ、とブルーに語り掛けた。
 十四歳の小さなブルーではなくて、写真集の表紙に刷られたブルーに。
 焼き立てのオムレツを腹に収めた後、眠りに差し支えないよう、薄めに淹れたコーヒーを持って入った書斎。其処の机の引き出しから出したブルーの写真集。ソルジャー・ブルーの写真集。
 最も知られたブルーの写真が青い地球を背景に浮かぶ、『追憶』というタイトルの本。
 メギドへと飛ぶブルーの姿を編んだ最終章を持った、開くのがとても辛い本。
 だから滅多に中は見ないが、表紙のブルーは気に入っていた。正面を向いた強い瞳の奥に隠れた深い悲しみ。ソルジャーの表情をしていないブルー。こんな目だった、と憶えているブルー。
 今夜のように前の生のことを思い出した時には、ブルーと語る。一方的に自分が語るだけでも、語り合ったような気持ちになれる。
 今の小さなブルーではなくて、前のブルーと。
 ソルジャーとしての生を懸命に生きて散ってしまった、気高く美しかったブルーと…。



 フライパンに戻っちまった、と苦笑いしたくなる遠い遠い昔。
 シャングリラがまだ白い鯨ではなく、人類の持ち物だった船の姿のままだった時代。
 ハーレイがフライパンを握っていた頃、ブルーは今のように小さなブルーではなかった。しかし写真集の表紙を飾るブルーほどにも大きくはなくて、その姿まで育つ途中の少年ではあった。
 今よりも少しだけ育ったブルー。
 ソルジャーの尊称はまだ無かったから、リーダーと呼ばれていたブルー。
 少年の身体で、生身で宇宙空間を駆けて様々な物資を調達していた。食料も服も、およそ生活に必要不可欠な品物は全部、ブルーが人類の輸送船などから奪って来た。
 時には偏りがちだった食材を管理し、調理して食堂へと送り出していたのがハーレイ。いつしか他の物資の管理も任され、公平に、あるいは必要な人にと分配する立場。
 そうした役目は性に合ったし、調理するのも好きだった。この食材で何が出来るかと調べたり、それを作って試食してみたり。
 ブルーが奪った食料の中身がキャベツだらけやジャガイモだらけでも、遣り甲斐があった。
 厨房の仕事は楽しかったし、物資の分配に心を配るのも皆の笑顔が励みになった。此処が自分の居場所なのだと決めた厨房。フライパンを、鍋を幾つも使っていた場所。



(お前がいなけりゃ、俺はキャプテンをやってたかどうか…)
 そうだろう? と表紙のブルーに微笑み掛ける。お前はこれは苦手だったな、と薄いコーヒーを入れたカップを持ち上げながら。
(あいつに好き嫌いは無かったんだが、酒とコーヒーは苦手だったよなあ…)
 それでも飲もうと頑張っていたな、と懐かしく思い出す前の生。
 遥かに過ぎ去った遠い昔にブルーと暮らしたシャングリラ。名前だけの楽園だった頃から、白い鯨に姿を変えた後までも長く共に生きた。恋人同士になるよりも前から、ブルーと共に。



 まだ楽園ではなかった船。名前だけだった時代のシャングリラ。
 そのシャングリラのキャプテンに、と推された時には、途惑った。
 自分の仕事は調理担当で、副業が物資の分配などだと思っていたから、キャプテンと言われてもピンと来ないし、また務まるとも思えない。
 「見当たらない物があるならハーレイに訊け」とまで言われてはいたが、倉庫や備品の管理人を兼ねていただけに「分かって当然」くらいの認識。
 船を、シャングリラを丸ごと預かるキャプテンなどは無理で、器でもないと断ったけれど。
「だけど、あんたが適任なんだよ」
 ちょっと他には見当たらなくてね、とブラウが真顔で言った。
「俺も賛成だな、他にはいない」
「適任者が無いと思うのだがね?」
「私もブラウと同じ意見よ」
 ゼルにヒルマン、それにエラまで。
 いつの間にやらブリッジなどを居場所としていた四人に推された。
 他にはいないと、受けて貰えなければ困るのだと。
 彼らは足繁く部屋を訪れては、やってくれないかと、やって欲しいと頼むのだけれど。
 サポートするとまで言うのだけれども、キャプテンなどが務まるだろうか…?



(俺がキャプテン…)
 キャプテン、それは船長を指す。このシャングリラを纏め上げる最高責任者。
 そういう肩書きの者が必要な段階に来ていることを薄々感じてはいたし、ゼルたちからも何度も聞いた。キャプテン不在では心許ないと、操船出来る者たちがいるだけでは船は駄目なのだと。
 けれども、キャプテンは文字通り船の長であり、要になる者。
 適任者は他にいそうな気がした。誰かいないかと、船の顔ぶれを思い浮かべて。
(ブルーは…)
 姿こそ未だに少年だったが、比類なきサイオンと頭脳の持ち主。シャングリラの長を名乗るには充分だろう、と考えたものの、ブルーは既にリーダーだった。
 物資の調達がブルーの主な仕事だけれども、他の者には出来ない仕事。ブルーにしか出来ない、生活の糧を、皆の命を繋ぐ物資を奪いに出掛ける重要な役目。
 代わってくれる者のいない仕事をしているブルー。ゆえにリーダー。
 そんなブルーにキャプテンまでをも兼任させては酷だろう。
 ブルーには補佐役が必要であって、キャプテンをさせるどころではない。
 そう、キャプテンとはブルーの補佐をも務める者。



(ブルーの補佐をすることになるのか…)
 それならば…、と思わないでもなかった。
 かつてアルタミラで一度は担った役どころ。ブルーと二人で幾つものシェルターを開けて仲間を逃がした。閉じ込められた仲間を自由にするべく、燃え盛る炎の地獄をくぐって走った。
 二人でシェルターの扉をこじ開け、あるいはブルーがサイオンで壊して、何人の仲間を逃がしただろう。出会ったばかりのブルーと二人で、どれだけの距離を走り続けたことだろう…。
 あの時は確かにブルーを補佐した。ブルーを手伝い、共に走った。
 けれども、補佐役はあの一度だけ。
 脱出した後は厨房で調理に邁進していたし、逆にブルーが手伝ってくれた。「何が出来るの?」などと覗きに来ては、ジャガイモの皮をせっせと剥いてくれたり。
 これではブルーの補佐役ではない。しかし必要なブルーの補佐役。
 ブルーには補佐役が要るであろうし、船にはキャプテンが欠かせない。
 そのキャプテンにと推されてはいるが、果たして自分に務まるだろうか…?



(フライパンと船では違いすぎるぞ)
 考え込む時のハーレイの癖。傍から見れば考え事とは見えない光景。
 欲しい者が誰もいなかったから、と貰った木で出来た机をキュッキュッと磨く。使い古した布の切れ端でせっせと磨き込みながら、あれこれと考えを巡らせる。
 磨けば磨くほどに味わいが増すのが木の机。それが好きだし、手を動かしている方が雑念が入りにくかった。
 キャプテンなどが自分に出来るのだろうか?
 フライパンならば自由自在に扱えるけれど、船はあまりに違いすぎる。フライパンしか知らない自分に、仲間たちの命を預かる船を任せようなどと、一体誰が言いだしたやら…。
「フライパンでいいと思うけどね?」
 不意にハーレイの耳へと飛び込んだ声。それは続けた。
「フライパンも船も、どちらもとても大事なものだよ」
 命を守るのに必要だから。
 どちらが欠けても、命がなくなってしまうから。
 そう思うけどね、フライパンとかで出来る食事と、このシャングリラと。



「ブルー!?」
 振り返った先にブルーが居た。壁に背を預けて、さも暇そうに。いつの間に、と問えば。
「さっきからいたよ?」
 君が気付かなかっただけ、とブルーはクスッと笑って。
「ハーレイ、キャプテンになるんだって?」
「いや、それはまだ…」
 言葉を濁したハーレイだったが、「そう?」とブルーが瞬きをする。
「ハーレイだといいな、と思ったんだけど」
 同じキャプテンを選ぶんだったら、ハーレイがいいな、と思ったんだよ。
 ぼくは誰がキャプテンでもかまわないけど、ハーレイって聞いたら嬉しくなった。
 距離が近いままでいられるよね、って。
「…距離?」
 どういう意味か、と首を捻ったハーレイに答えが返った。
「そのままの意味だよ、君との距離」
 ぼくはリーダーになっちゃったから。
 今はまだこうして話をしていられるけど、この先は…ね。
 いろんな部門が出来ていったら、厨房との距離がどんどん開いて離れていくと思うんだ。
 ハーレイとの距離は開けたくないから、厨房よりもキャプテンなんだよ。



「…そんな理由で推すつもりなのか?」
 俺を、とハーレイは咎めるような目つきになったけれども。
 ブルーは軽く肩を竦めて、「まさか」とハーレイを真っ直ぐに見た。
「距離と言ったよ、ぼくと気軽に話せるキャプテンがいい」
 息が合うキャプテンがいいんだよ。
 今はまだ命懸けって場面に遭遇してはいないし、そういう意味では平和だけれど。
 いずれは出会うよ、ぼくが命を懸けなきゃいけないような局面。
 その時にキャプテンと息が合わないのは嫌だ。
 誰がキャプテンでも合わせてみせるよ、ぼくはリーダーなんだから。
 だけど我儘を言っていいなら、息が合うキャプテンがいいと気付いた。
 ハーレイがキャプテンの候補なんだ、って聞いた時にね。



「お前が命を懸けようって時に、俺がキャプテンだといいと言うのか…?」
 ハーレイには信じ難かったけれど、ブルーは「そう」と頷いた。
「ぼくの命、ハーレイにだったら預けてもいいな、って」
 安心して預けることが出来るよ、君にだったら。
 アルタミラで一度は経験済みだよ、君と二人で崩れようとしている地面を走った。君がいたから頑張れたんだよ、全部のシェルターを確認するまで。
 初対面であれだけ息が合ったのなら、これから先だってピタリと合うに決まっているんだ。
「しかし…。他のヤツらは、そういう機会が無かっただけで…」
 他にも合うヤツ、いるんじゃないか?
 俺よりももっと息が合うヤツ、この船の中にいるんじゃないか…?
「ぼくの勘だよ、多分、ハーレイが一番合う」
 ハーレイよりも息の合いそうな人は一人もいないよ、この船には。
「しかしだ、俺は厨房専門でだな…」
「似たようなものだとぼくは言ったよ、フライパンと船」
 ハーレイがなってくれるといいな、と言い残してブルーは去って行った。
 ゆっくり考えて決めて欲しいと、押し付けようとは思わないから、と。



(フライパンと船なあ…)
 どう考えても違うんだが、と心の中で何度呟いたことか。
 まるで違うと、別物なのだと思っているのに、何故か頭を離れない言葉。
 「似たようなものだ」と言っていたブルー。
 フライパンも船も似たようなものだと、どちらもとても大事なものだと。
(…どちらが欠けても命を守ることは出来ないんだ、と言われりゃそうだが…)
 それでも両者の違いは大きい。
 大きさからして全く違うし、使い道も決して重なりはしない。
 フライパンは人間を乗せて宇宙を飛べはしないし、宇宙船そのものを使って調理は出来ない。
 何から何まで違いすぎる、と思うのだけれど、気付けば並べて考えている。
 今も試作品の炒め物を作っているのに、ついうっかりと自分の思いに囚われていて。
(おっと…!)
 焦げる、と慌てて火加減を調節しながらフライパンを振った。
 フライパンから煙が上がるのは防いだけれども、そのタイミングでガクンと大きく揺れた船。
 一度きりしか揺れなかったから、障害物でも避けたのだろう。



(ふむ…)
 船も同じか、という気がした。
 たった今、危うく焦がしてしまう所だったフライパン。時を同じくして揺れた船。
 二つの違いは大きいけれども、扱いを誤れば焦げてしまうか、壊れるかの違い。
 フライパンは焦げるし、船の場合は壊れてしまう。
(…焦げることもあるな…)
 太陽に接近しすぎたならば船は焦げるし、攻撃を受けても焦げるだろう。
 今はまだどちらも未経験だが、いずれ無いとは言い切れない。
 ブルー自身もそう言っていた。
 いつかは自分が命を懸けねばならない場面に遭遇するだろう、と。
 恒星の重力に捕まってしまって引き寄せられるか、人類軍に発見されて攻撃されるか。
 船の力だけで逃げ切れればいいが、それが出来なければブルーに頼るしかない。
 重力圏からの脱出にしても、人類軍の攻撃を防ぐにしても。



(あいつはそういったものから船を守るのか…)
 船が壊れぬよう、焦げてしまわぬよう、その比類なきサイオンをもって守り続ける。
 これから先も、ずっとブルーは。
 ブルーの代わりを務められる者は誰もいないから、ブルーは一人で守るしかない。
 このシャングリラを、仲間たちを乗せた船をたった一人で…。
(…俺はフライパンを振っていられるのか?)
 ブルーが危険を伴う場所へと、飛び込んで行こうという時に。
 たった一人きりで危機に立ち向かうべく、ブルーが船から飛び立った時に…。
(いくら似たようなものだと言っても…)
 自分が作る食事が船と同じく皆の命を守るものでも、命を繋ぐのに欠かせぬものであっても。
 ブルーの命もサイオンも食事を源とするものではあっても、ブルーが命を懸けている時。
 そんな時にブルーの帰りを待ち侘びながら、フライパンを振っていられるだろうか?
 戻ったらこれを食べて貰おう、と料理を作っていられるだろうか…。



(…それくらいなら…)
 厨房では料理くらいしか出来ないけれども、キャプテンになればブリッジに立てる。
 具体的な例は直ぐに頭に浮かばないけれど、ブルーをサポートすることが出来る。船の外に出たブルーの居場所も、ブリッジならば常に分かる筈。
 厨房で帰りを待つのではなく、船を動かして追いかけることも、迎えに行くことも可能だろう。そのための指揮を執れるのがキャプテンであって、船の最高責任者。
(…あいつが息が合うキャプテンがいい、と言っていたのはこれか…)
 ブルーがどう動き、何をしようとしているのか。
 連絡が来ずとも、「こうであろう」と先を読んでサポート出来るキャプテン。
 ブルーはそれが欲しかったのか、とようやく気付いた。
 阿吽の呼吸で船を動かし、ブルーが動きやすいようにと先回りすら出来るキャプテンが。



(…確かにアルタミラでは経験済みだな)
 幾つものシェルターを壊す過程で、息が合わねば出来ない作業を何度もやった。次のシェルターへと走る途中の道でも、助け合って危険を回避していた。間一髪で地割れを避けたり、落下物から逃れたり。声を掛け合わずとも身体が動いた。次はこうして、その次はこう、と。
 何とも思わずにやっていたけれど、誰であっても出来ることではないだろう。たまたま出会っただけだったけれど、同じシェルターに閉じ込められたという偶然の結果に過ぎないけども。
 ブルーはハーレイと息が合ったし、ハーレイにとってもブルーは息の合う相棒だった。
 そのブルーが命を預ける相手にハーレイを選びたいと言う。
 我儘を言っていいならキャプテンはハーレイであって欲しいと、息の合う人が欲しいのだと。
 それならば…。
(……やってみるか)
 今ならやれるか、という気がした。
 まだ平穏なシャングリラの周り。人類軍の船とは一度も遭遇しておらず、シャングリラの存在も知られてはいない。知られていないのだから追われもしない。
 つまりは余裕がたっぷりとある。厨房出身の自分がブリッジに馴染むための時間がたっぷりと。
 直ぐにキャプテンの任を受ければ、操舵を覚える時間も充分あるだろう。
 焦がさないように船を動かす技術を身に付けることが出来るだろう。
 そうして、いつかはブルーを助けて最前線へとシャングリラを出せるキャプテンに。
 ありとあらゆる場面で指揮を執りながら、船もブルーも守り切れるだけのキャプテンに…。
(…言ってみるか、ゼルに)
 それにブラウにヒルマン、エラ。
 彼らの依頼を受けようと思うと、自分で良ければキャプテンになると。



(…あの時、お前が言わなかったら…)
 俺はキャプテンになっていたかどうか、と写真集の表紙のブルーに苦笑してみせる。
 フライパンも船も似たようなものだと言われなければ、厨房に残っていたかもしれないと。
(それでもお前は俺に惚れてくれていたんだろうか…?)
 ソルジャーと厨房の責任者とでは身分が違いすぎるんだが、と笑ったけれど。
 ハーレイとの距離は開けたくない、と口にしていたブルーだったら惚れてくれたな、という気もするから、ますます可笑しさがこみ上げて来た。
 ソルジャーとキャプテンだったから秘密にした仲。誰にも明かせず終わってしまった恋人同士。
 厨房の責任者との恋であったら明かせただろうかと、身分違いは甚だしくても、シャングリラの行方を左右したりはしないのだから、と。



(そうしてフライパンに戻っちまったぞ、元の俺にな)
 さっきもオムレツを焼いていたしな、と『追憶』の表紙のブルーに語り掛けていたら。
(…ブルー?)
 そっちの君がいいよ、と声が聞こえたように思った。
 キャプテンの君よりもそっちの方が、と。
(ブルー…?)
 あれは小さなブルーの声だったろうか?
 それとも、写真集の表紙に刷られたソルジャー・ブルー……前のブルーの声だったろうか?
 誰が、と耳を澄ましたけれども、もう聞こえない。
 けれども確かに覚えている。
 そっちの君がいいよと、キャプテンの君よりもそっちの方が、と。
 そういう台詞だけを耳に残して消えてしまいそうなブルーと言えば…。



(…どちらでもないな)
 小さなブルーでも、ソルジャー・ブルーの方でもない。
 お前だな、と表紙の大人びた顔の向こうにあの日のブルーを思い浮かべる。
 ハーレイだといいな、と思ったんだけど、と前の自分の部屋まで言いに来たブルーを。
 前の自分をキャプテンに推した、やって欲しいと望んだブルーを。
 今のブルーよりも少し育った姿だったブルー。
 まだ少年の姿だったけれど、いつか命を懸ける日が来ると悟って先を見ていたブルー。
 その時が来ればハーレイに命を預けたいのだと、そうしたいと望んでいたブルー。
 あれほどに悲しくも辛い覚悟をしていたブルーが、今の世界では…。
 小さなブルーに生まれ変わって青い地球まで来た今では…。



(…そうか、今度はフライパンがいいか)
 フライパンを持ってる俺がいいんだな、キャプテンよりも。
 そっちがいいと言ってくれるんだな、あの日のお前が。
 …あの姿のお前。
 小さなブルーよりも少し育った、あの姿のお前。
 今度はいつになったら会えるんだろうな、お前に会うまでに何年待つことになるんだか…。
(だが、俺たちは地球に来たしな?)
 いいさ、何年でも待っていてやる。
 キャプテンはもう要らないんだから、今度はフライパンを振りながらな…。




         フライパンと船・了

※フライパンも船も、似たようなもの。厨房からキャプテンになったのが前のハーレイ。
 前のブルーのためでしたけれど、恋人同士でなかった頃から深い絆が。もちろん、今も。
 某pixiv でフライング公開していたお話、ようやくUP出来ました~!
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