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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

作りたい料理

(うーん…)
 学校から帰って、着替えて、おやつ。ママがダイニングで待ってくれてて、パウンドケーキ。
 ぼくのお皿の上に一切れ、ハーレイが大好きなパウンドケーキ。
 早速フォークを入れたんだけれど、ママのパウンドケーキは美味しい。でも、それだけじゃない秘密を持ってるパウンドケーキ。ぼくには分からない、不思議な魔法。
(ハーレイのお母さんが焼くパウンドケーキと同じ味なんだよね?)
 ぼくはまだ食べたことが無いけれど。
 隣町に住むハーレイのお母さんには会ったことが一度も無いんだけれども、ハーレイに聞いた。ぼくのママが作るパウンドケーキは、ハーレイのお母さんのと同じ味がすると。
 自分で料理をするハーレイ。パウンドケーキも焼いてみるけど、お母さんと同じ味にはならないらしい。パウンドケーキは作り方も材料も単純なくせに、お母さんの味にはならないって。
 だからハーレイは、ぼくのママが焼くパウンドケーキが大好物。
 おふくろの味って言うのかな?
 どのお菓子よりも嬉しそうに食べるし、見ているぼくまで幸せな気持ち。
 ぼくもいつかはハーレイのために、ママと同じ味のパウンドケーキを焼きたいんだけど…。



「ママ…?」
 作り方のコツを訊こうと声を掛けてから、慌ててやめた。
 前にハーレイからパウンドケーキの話を聞いた時、「作り方、ママに習おうかな?」って言ってみた、ぼく。そしたら「バレるぞ」と止められたっけ。ぼくの周りでママのパウンドケーキの味がお気に入りの人は誰か、ってトコからハーレイとの恋がバレるって。
 ぼくがハーレイを好きだってことがバレたらマズイ。コツは知りたいけど、ママには訊けない。
 途中で言葉を止めちゃったけれど、ママはしっかり聞いてたみたいで。
「なあに?」
 どうしたの、って笑顔を向けて来るママ。
 せっかくだから少し訊いてみようか、パウンドケーキの名前は出さずに。



「えーっと…。お菓子を作るのって難しいの?」
 ママは楽しそうに作ってるけど、お菓子作りって難しい?
「ブルーも学校で作ったでしょう、カップケーキとか」
「うん。…焦がしちゃった子も何人かいたし、難しいかな、って」
 ちゃんと教わった通りにしたのに、焦げちゃった子たち。簡単だったら焦げないよね?
「そうねえ…。ママも昔は焦がしていたわね」
「ママが!?」
 嘘でしょ、とぼくの目は真ん丸になった。
 ぼくが幼稚園に行ってた頃には、おやつはとっくにママの手作り。オーブンから出て来る時間をワクワクしながら待ち侘びていたし、いつだって綺麗に焼けてたと思う。
 お菓子作りが得意なママ。そのママがケーキを焦がしただなんて…。
「ホントよ、最初は失敗ばかりよ。だけど、誰だって自然に上手になるのよ」
「どうやって?」
「そうねえ…。食べて欲しい人が出来たら……かしらね?」
 今のママなら、パパとブルーね。ブルーが生まれる前なら、パパ。
 ブルーにはまだまだ先の話ね、食べて欲しいっていう女の子が出来て、お菓子を貰う日。



(そっか…)
 ママは勘違いをしていたけれども、ヒントは貰えた。
 ぼくはお菓子を貰う方じゃなくて、作りたい方。ハーレイのために作ってあげたい。
(お菓子を上手に作るコツって、食べて欲しい人が出来ることなんだ…?)
 そういうことか、と部屋に帰って考えてみた。
 ぼくがハーレイに作ってあげたいパウンドケーキ。ハーレイのお母さんのとそっくり同じ味のを作って、うんと喜んで貰いたい。
 そのためだったら頑張れそうだし、何度焦がしても上手になるまで挑戦出来そう。
 確かにママが言っていた通り、大切なものは「食べて欲しい人」。
 ママとおんなじ腕前になるまで頑張らなくちゃ、と決心をした。
 ハーレイが喜ぶパウンドケーキ。おふくろの味のパウンドケーキ。
 いつか必ず作ってみせる、とグッと拳を握ったんだけど。



(あれ…?)
 前のぼくって、頑張ってたっけ?
 ハーレイのために何か作ってたっけ、と遠い記憶を手繰って遡ってみて、愕然とした。
 青の間のキッチンでハーレイがいつも作ってくれてた、野菜スープのシャングリラ風。今でこそ立派な名前があるけど、あの頃はただの野菜のスープ。前のぼくが寝込むと作って貰えた、何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだ素朴なスープ。
 多忙なキャプテンがブリッジを抜けては、ぼくに作ってくれていたのに。
 忙しい時でも「これなら喉を通るでしょう?」とわざわざ作りに来てくれてたのに…。
(ぼくって、作って貰っていただけ…)
 ソルジャーだったぼくは何も作りはしなかった。
 お茶は淹れたりしていたけれども、キッチンでは何も作らなかった。
 ちゃんと恋人がいたというのに、ハーレイと本当に本物の恋人同士だったのに。
(なんで一度も作らなかったわけ…?)
 前のぼくは愛が足りなかったんだろうか。
 ハーレイに食べて欲しいと思わなかったんだろうか、とショックを受けた。
 何一つとして作ってあげたいと思った記憶など無いし、作ってもいない。
 前のぼくはハーレイに作らせるだけで、お菓子も料理も何も作ろうとはしなかった。



(……最悪……)
 なんて酷い恋人だったんだろう。
 作らせてばかりで何もしないで、お茶だけを淹れていたなんて。
 しかも前のハーレイが大好きだったコーヒーは苦手で、ぼくの好みの紅茶ばかりを淹れていた。コーヒーを淹れるハーレイを何度も見ていたけれども、淹れ方を覚えはしなかった。
 ハーレイの好きな飲み物なんだ、って分かってたくせに、淹れ方も知らなかったぼく。
 コーヒーを淹れてあげたいとさえ思いもしなくて、紅茶ばかりを飲ませていたぼく。
(前のぼくって…)
 どうしようもなく我儘な上に、自分勝手な最低最悪としか言えない恋人。
 尽くさせるだけだった、酷い恋人。
 それでも見捨てずに付き合ってくれたハーレイはきっと、心が広かったんだろうと思うけど。
 今度は流石にマズイだろうか、と心の中でタラリと冷汗。
 ハーレイと結婚しようと決めている年、ぼくが十八歳を迎える年。
 十八歳までに料理を覚えておかなきゃならない。
 ママと同じ味のパウンドケーキが焼けるだけの腕と、他にも色々作れる腕前。
 ソルジャーだった頃と違って、今度のぼくはハーレイの「お嫁さん」になるんだから。



(…十八歳までに料理を覚える方法は…)
 手っ取り早いのはママのお手伝い。
 夕食の支度を手伝っていれば覚えるだろうし、お菓子もママと一緒に作ればハーレイが大好きなパウンドケーキの焼き方をマスター出来ると思う。
 だけど、ママにはなんて言ったらいいんだろう?
 ぼくがいきなり料理やお菓子を作りたいなんて頼み込んだら、ハーレイとの恋がバレるかも…。
(…一人暮らしの練習とか?)
 そんな予定は全然無いけど、無難な理由はそれくらい。
(でも…)
 背丈が伸びないぼくが言っても、嘘っぽい。
 ぼくみたいに小さくて心も身体も子供のままでは、一人暮らしは有り得ない。ぼくみたいな子が行くための上の学校、幼年学校も一人暮らしは認めていなくて、家を出るなら寮生活。寮生活だと食事つきだし、料理を覚える必要は無い。
 学校と言えば調理実習。家庭科の時間に料理やお菓子の作り方を習う。お蔭で包丁とかは上手に使えるけれども、調理実習の時間は多くない。
 ハーレイのお嫁さんになった時に色々と作ってあげられるほどに上達するとは思えない。



(料理学校…?)
 いろんな料理やお菓子作りを習える学校。調理実習ばかりの学校。コースは沢山あると思うし、学校の帰りに行けるコースに入って習えば上手くなれそう。
 それにしよう、と考えたけれど、身体が弱いからクラブにも入っていないぼく。家に帰る時間が遅くなったら、ママに変だと思われる。
 それに…。
(ハーレイが仕事の帰りに早い時間に寄ってくれても、ぼくがいないよ!)
 普段は仕事や柔道部の指導で遅くなってるハーレイだけれど、たまに早く来ることがあるから。しかも「明日は早いぞ」なんて予告は滅多に無いから、料理学校に寄っていたならすれ違い。
 それから、お金。
 料理学校の授業料を払えるほどのお小遣いをぼくは貰ってはいない。貯金してあるお金を使えば行けるだろうけど、それは「小さな子供が通う所じゃありません」ってこと。
 料理学校はぼくには無理っぽい感じ。



(どうしよう…)
 結婚したって料理が出来なきゃ、ハーレイに食べて貰えない。
 食べて欲しいのにパウンドケーキも焼けやしない、と落ち込んでいたら。
 そのハーレイが仕事帰りにやって来た。ぼくの部屋でテーブルを挟んで向かい合わせに座って、「今日はパウンドケーキの日だったか。運がいいな」と、とても御機嫌。
 ぼくには焼けないパウンドケーキ。ハーレイのお母さんのと同じ味がするパウンドケーキ…。
「…パウンドケーキ…」
 呟いたぼくに、ハーレイが「ん、どうした?」って訊いてくれたから。
「ぼく、焼いたことがないんだけれど…。ハーレイが好きなパウンドケーキ」
「ああ…。お前、前にもそう言ってたな?」
 俺は期待はしていないから、安心しろ。
 この味のパウンドケーキでないと、と無茶を言ったりする気もないしな。



「でも…」
 前のぼく、ハーレイに何も御馳走していないんだよ。
 ハーレイは野菜スープを何度も作ってくれていたのに、前のぼくは何もしなかったんだよ。
「それがどうかしたか?」
 俺は全く気にしていないぞ、前の俺もな。
「だけど…。考えてみたら最低だよね、って」
 なんでハーレイのために何か作ろうって一度も思わなかったんだろう。
 作らせてばかりで、ハーレイには何も作ってあげずに平気な顔をしてたんだろう…。
 最低最悪の恋人だよね、って今頃になって気が付いたんだ。
 前のぼくが最低だった分まで、今度はうんと頑張らなくちゃ、って思うんだけど…。
 結婚するまでに料理学校にも行けそうにないよ、どうしよう?
 ママに教えて貰おうとしたら、ハーレイのために作りたいんだってバレちゃいそうだし…。
 調理実習で習ったことしか出来ないよ、ぼく。
 ハーレイに食べて欲しい料理があっても上手く作れないし、パウンドケーキも焼けないんだよ。
 また最低な恋人になってしまうよ、今のままだと。



 どうしよう、って泣きたい気持ちで、情けない気持ち。
 最低最悪の恋人は前のぼくだけにしておきたいのに、このままじゃぼくも最低最悪。ハーレイに愛想を尽かされないのが不思議なくらいの酷い恋人になってしまう、と訴えていたら。
「ふうむ…」
 なるほど、と大きく頷いたハーレイ。
「俺に言わせりゃ、ジャガイモの皮が剥ければ充分だがな?」
 調理実習でやるだろ、皮むき。そいつが出来れば問題ないさ。
「…なんで?」
「前のお前も、それしかしてない」
 他はキャベツを刻んでいたとか、泣きながらタマネギを刻んでいたとか。
 俺の手伝いしかしてないだろうが、それも下ごしらえの段階。フライパンだの鍋だのは前の俺の管轄だったからなあ、お前には一度も触らせていない。番をしていろとも言わなかったぞ、料理は素人には任せられんし、焦げちまっても困るしな?
 俺のために料理を作るも何も、俺の方が料理のプロだったんだ。
 プロの料理人に自分の手料理を御馳走しようって度胸のあるヤツはそうそういないぞ。



「…そういうものなの?」
 なんだかピンと来ないぼく。
 料理のプロに御馳走する度胸のある人は少ないだろう、ってことは分かるけど、前のぼく。前のぼくはハーレイが料理のプロかどうかも、多分、考えてはいなかった。
 自分が料理を作った場合に見劣りがするかどうかなんてことは、まるで考えてはいなかった。
 謙虚な気持ちで作らずにいたってわけじゃなくって、作ろうと思いもしなかった。
 つまりは最低最悪の恋人、ハーレイが好意的に解釈してくれなければ最低なわけで…。
 やっぱり駄目だ、と肩を落としたぼくだったけれど。
「おいおい、せっかく俺がいい方向に解釈してやってるのに、何を一人で落ち込んでるんだ」
 落ち込む理由は何処にもないさ、と大きな手がぼくの頭をクシャリと撫でた。
「前のお前はそういったことを思い付きさえしなかったんだろうが、今のお前は違うだろ?」
 今度は作ってみたいと思い付いてくれた。俺のために作りたいと思ってくれた。
 それだけで俺は充分なんだ。
 お前が本当に作るかどうかは全く別でだ、その気持ちだけでもう最高だな。



 いいか、とハーレイの手がぼくの頭をポンと叩いて。
「前の俺だが、キャプテンじゃなくて厨房の責任者をやってた頃はな…」
 お前が美味しいと食ってくれるのが嬉しかったし、遣り甲斐があった。試食も色々してただろ?
 「何が出来るの?」と覗きに来る度に「内緒だ」と言いつつ、ちょっぴり味見をさせたりな。
 楽しかったぞ、前のお前の目が丸くなったり、「もっと」とつまみ食いをしようとしたり。
 あの頃はうんと充実してたな、前の俺の料理人としての人生。
 気付けばキャプテンになっちまっていて、料理どころじゃなくなっていたが…。
 お前のための野菜スープだけは作ってやれたし、あれが俺の楽しみだったんだ、うん。
 俺が作って、お前に食わせて。
 前のお前が俺の野菜スープだけは食ってくれると、俺はお前の特別なんだ、と自己満足だな。
 実際、特別になれたわけだが…。
 恋人同士になれたわけだが、あの野菜スープ、それよりも前からあっただろうが。
 そうだろう、ブルー…?



 お前は最低最悪じゃないさ、とハーレイはぼくに教えてくれた。
 前のぼくは少しも悪くはなくって、最低最悪なんかじゃないと。悩まなくてもいいんだ、と。
「お前が薄情だったんじゃない。俺がやりすぎちまっただけだ」
 プロの料理人かどうかはともかく、お前の特別でいたかった。
 だからせっせと野菜スープを作りに行ったし、お前に食わせて喜んでいた。
 お前は食うだけで俺を喜ばせていたんだからなあ、その件で礼を言われても困る。
「…ホント?」
「本当だ。俺に負い目を感じなくてもかまわないのさ、俺だけが料理をしていたがな」
 それだって不思議でも何でもないんだ、お前が料理をしなかったこと。
 前のお前はアルタミラで辛い思いをし過ぎて、その後もずっと一人で頑張り続けて。
 たった一人で船を守って、仲間を守って、どのくらい一人で頑張り続けた?
 ジョミーが来るまでたったの一人で、倒れたって誰も代わりはいなくて。
 俺のスープしか喉を通らなかったような時でも、何か起こったら飛び出して行った。船に戻って直ぐに倒れても、野菜スープしか飲めなくっても、また飛び出して行っただろうが。
 シャングリラと仲間と、守るべきもので前のお前の頭の中は占められていた。
 残りの部分で地球に焦がれて、その下に隠した本当のお前。俺と一緒にいたかったお前。本当のお前のために割ける部分はほんの少しで、お前の殆どはソルジャーだった。
 俺に料理を作ろうだなんて、考え付く暇さえ無かったってことだ。そいつはソルジャーとしての考えじゃないし、前のお前に思い付いてくれと言う方が無理で無茶だろうが。
 それを自分で思い付けた分だけ、今度のお前は幸せで余裕があるってことだな。



「というわけで…、だ。お前の料理は食ってみたいが、頑張る必要は何処にも無いぞ」
 前のお前は最低最悪じゃないんだからな、ってハーレイは微笑んでくれたけど。
 やっぱりハーレイにぼくの料理を食べて欲しいし、美味しく作ってあげたいから。
「…ママがね、食べて欲しい人が出来たら上手になるって…」
 だけど練習する暇が…。
 家じゃ無理だし、料理学校にも行けないし…。
 本当に調理実習だけ。ジャガイモの皮はちゃんと剥けるけど、凝った料理は教わらないよ。
「練習すればいいじゃないか」
「いつ?」
 練習出来そうな場所も時間も無いって言ったよ、いつすればいいの?
「決まってるだろう、俺と結婚してからだ」
 お前が覚えたいと言うんだったら、俺が料理を教えてやるさ。
 料理は得意だと何度も言ったろ、レシピさえあれば失敗は有り得ないってな。
 しかしだ、俺はお前に食わせたい方で、こいつはシャングリラの頃からの伝統でなあ…。



 どっちがいい? と訊かれた、ぼく。
 ハーレイが作る料理を食べるか、ハーレイに教わってぼくが料理を作ってみるか。
 食べるのもいいけど、作ってもみたい。
 ハーレイはぼくに食べさせたい方で、あれこれ作ってくれるだろうけど、ぼくも作りたい。前のぼくは何にも御馳走しなかったんだし、今度は何か御馳走したい。
(でも、ハーレイは料理が得意で…)
 きっとぼくより美味しく作れる。ぼくに教えるって言うくらいだから、絶対に腕もぼくより上。
(美味しくない料理を作っても…)
 仕方ないよね、と思った所で閃いた。
 ハーレイが大好きなパウンドケーキ。ぼくのママが焼く、パウンドケーキ。
 あの味はハーレイには出せないらしいし、パウンドケーキを頑張ろうかな、って気になった。
 結婚したなら、ママに作り方を習っても全然おかしくないし…。




 ママの味のパウンドケーキに挑戦するよ、と、ぼくはハーレイに提案した。
 料理はハーレイの方が上手いに決まっているから、パウンドケーキを焼こうと思う、と。
「おっ、いいな!」
 だったら、お前はパウンドケーキをマスターしてくれ。料理は俺が頑張るから。
「それでいいの?」
 パウンドケーキしか上手じゃなくって、料理はハーレイにお任せだなんて。
「分かっていないな、おふくろの味のパウンドケーキを焼ける嫁さんなら上等さ」
 そういうもんだぞ、おふくろの味が一番だからな。
 いい嫁さんを貰ったんだと、料理上手だと自慢して回ったら羨ましがられるレベルだってな。
「パウンドケーキしか作れなくっても?」
「もちろんだ。そのパウンドケーキが凄いんだからな」
 それにだ、前のお前よりもずっと進歩してると思わないか?
 前は何一つ作らなかったお前が、今度はパウンドケーキを焼いて、俺に食わせてくれるんだぞ?
 しかも最高に美味いパウンドケーキだ、おふくろの味だと自慢できる出来の。
 これを進歩と言わなかったら罰が当たるな、いい嫁さんを貰ったのにな?
「そっか…。うん、前のぼくよりは進歩してるね」
 だったら今度は頑張ってみるよ、ハーレイのためにパウンドケーキ。
 ママに習って、同じ味のを焼けるようになってみせるよ、きっと。



「その決心は嬉しいんだが…。今はまだ習いに行こうとするなよ?」
 お前のお母さんに俺たちの仲がバレちまうからな。
 俺の大好物がパウンドケーキだってことを、お前のお母さんは知ってるんだしな?
「うん。今日のおやつがパウンドケーキだったのは偶然だけどね」
 ぼくが一度だけハーレイの家に遊びに行った時も、パウンドケーキを持って行ったもの。
 ハーレイの大好物だから、ってパウンドケーキを焼いて貰って提げて行ったし、ずうっと前からママは知ってる。
 ウッカリ作り方を習いに行ったらバレるかも、って思ってるから、今日も訊いてないよ。
 訊こうとしたけど危ないと思って話を変えたら、「食べて欲しい人が出来たら上手になる」って教わったんだよ、お菓子作り。
「ほほう…。そこから最低最悪な恋人の話になっていった、と」
 発端はパウンドケーキだったか、それで落ち込んじまってたのか…。
 話は最初に戻ったわけだな、お前が美味いパウンドケーキを作ってみたい、という所まで。
 それで充分、俺には嬉しい話なわけだ。
 お前の手料理…。いや、パウンドケーキは菓子なわけだが、そいつを食える。
 前のお前と暮らした頃には想像もしなかった手料理ってヤツを今度の俺は食えるんだ、ってな。
 ついでに最高に美味いおふくろの味と来たもんだ。
 実に楽しみだな、お前が焼いてくれるパウンドケーキ。



 だが…、とハーレイは笑いながらこうも言ったんだ。
「お前のパウンドケーキには期待してるが、お前、まだまだ子供だしな?」
 約束をすっかり忘れちまって、前と同じで食うのが専門の嫁さんになっても俺は気にせん。
 そいつが前からの俺の立場で、お前に料理を食わせてやるのが生き甲斐だからな。
 キャプテンになってからは野菜スープしか作れなかった分、色々と作ってみたいじゃないか。
 お前がフライパンとか鍋を覗いて「何が出来るの?」って訊く料理をな。
「ぼくはジャガイモの皮を剥けばいいの?」
「芋も今では色々あるしな、いっそ山芋でも剥いてみるか?」
 あれは滑るぞ、ジャガイモよりも手強いな。
 サトイモなんかも剥きにくいなあ、どっちもシャングリラの畑には無かった芋だが。
「そうだね、そんなの植えてなかったし、知らなかったね」
 剥こうとしたら滑るお芋だなんて…、と二人で笑った。
 滑る芋でもハーレイはぼくに剥かせただろうかと、きっと自分で剥いただろうと。
 前のぼくが「手伝うよ」と声を掛けても「危ないから」と、山ほどの山芋をきっと一人で。



 シャングリラの厨房で料理をしていた、前のハーレイ。
 キャプテンになっても野菜スープを作ってくれてた、前のハーレイ。
 そのハーレイに何も料理を作ってあげずに、思い付きもせずに終わってしまった前のぼく。
 ハーレイは「違う」と言ってくれたけれど、最低最悪の恋人だったらしい、前のぼく。
 今度のぼくたちはどんな風に暮らしていくんだろう?
 やっぱり今度もハーレイが作って、ぼくは食べるの専門なのかな?
(料理は絶対、ハーレイの方が上手いんだものね…)
 だけどハーレイが手料理って言ってた、ぼくが作る料理。
 一つくらいは食べて貰えたら幸せだよね、と考えてしまう、今のぼく。
 もしも忘れてしまわなければ、いつかパウンドケーキを習おう。
 ママに習って、ハーレイのために大好物のパウンドケーキ。
 おふくろの味のパウンドケーキを焼いてあげられるようになったらいいな、と思う。
 食べて欲しい人が出来たら、上手になるって聞いたから。
 ぼくが料理を食べて欲しい人は、生まれ変わる前から好きだった恋人のハーレイだから…。




         作りたい料理・了

※前のブルーはハーレイに料理を作って貰ってばかり。自分は紅茶を淹れていただけ。
 今度は頑張って作るようです、パウンドケーキを。上手く焼けたら嬉しいでしょうね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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