シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(思い出せない…)
うーん、と首を捻ったぼく。
おやつを食べ終わって、階段を上がり始める前は確かに覚えてた。部屋に帰ったら、一番最初にやるべきこと。なのに全然、思い出せない。
(なんだったっけ?)
部屋のドアを開けた途端に忘れ果てたか、階段の途中で落っことして来たか。こんな時には先へ進むと失敗するのが分かってる。部屋に入ったら、もっと忘れる。完全に忘れておしまいだって。
(大事なことなら大変だしね…)
同じことをやったら思い出せると言われてるから、階段の下まで戻ってみた。もう一度ゆっくり上ってみたけど、やっぱりダメ。戻って来てくれない、落とした記憶。
(でも、気になるよ…)
今度こそ、と階段を下りて上り直そうとしていた所へ、ママが通り掛かって。
「ブルー。ママのハンカチ、上には無かった?」
「忘れてた!」
見て来るから、と慌てて駆け上がったぼく。忘れ果てていたものはそれだった。
ママに頼まれていた大事なハンカチ。
昼間にママが出掛けようとして、ぼくの部屋の窓を閉めに入って忘れたハンカチ。
出掛けた先で落としたかも、って落ち込んでたらしいけど、ぼくを見たら思い出したんだった。ぼくの部屋に置いて出ちゃったかもしれない、って。
(えーっと…)
ママが何かを置きそうな場所、と部屋のドアを開けてグルリと見回す。
(あった!)
入ってすぐの棚の上に畳んだハンカチ。急いで持って下りて、ママに渡した。
「はい、ママ。これでしょ?」
「ありがとう。あって良かったわ、お友達に貰ったハンカチなのよ」
手編みのレースをつけてくれたの、って縁を指差して喜ぶママ。レース編みが趣味の人だって。けっこう手間がかかるらしくて、それだけにママは失くしたと思ってショックだったみたい。
(ぼくの部屋にあって良かったよね)
それに忘れてたことも思い出せたし…、と大満足で部屋に帰った。
だけど、よくよく考えてみたら。自分で思い出したというわけじゃなくて、ママに答えを貰った結果。ぼくは階段を上り直しても思い出せなくて、また上ろうとしてたんだっけ…。
(…自分のことじゃないから忘れたんだよ)
おまけに、おやつを食べてた間に頼まれたこと。
階段を上がるまで覚えていた方が奇跡的だよ、と自分に言い訳したけれど。
(…物覚えは悪くない筈なんだけどな…)
記憶力には自信があった。成績だって悪くないから、間違いなく記憶力はいい。
たまに忘れるけど。整理して引き出しに入れた筈の物が、違った所にあったりするけど…。
(前のぼくはホントによく頑張ってたよ)
ぼくみたいなミスはしていなかったと思う。
何をするのか思い出せなくて青の間のスロープを行ったり来たりとか、そういう間抜け。
いつもきちんと忘れないでいた、記憶力に優れたソルジャー・ブルー。
三百年を超える膨大な記憶をしっかり整理し、必要な時にそれを使ったソルジャー・ブルー。
凄かったよね、と自分で自分をちょっと尊敬したんだけれど。
(…あれ?)
そういえば、前のぼくには記憶装置があったんだった。
補聴器の中に組み込まれていた、前のぼくの記憶をデータ化して記録しておく装置。三百年分を入れても余裕たっぷり、千年分くらいは入ると聞いていた素晴らしい装置。
あれのお蔭で、前のぼくの記憶をジョミーに渡せた。ジョミーもトォニィに記憶を渡せた。凄い装置で、素晴らしい装置。記憶をデータで残せる装置。
持ち主が忘れてしまったことでも呼び出せたっけ、と記憶を遡ってみたんだけれど。
(備忘録ってわけじゃなかったっけ…)
前のぼくが見聞きしたことを記録する装置。予定を入れておいたとしたって、切っ掛け無しでは思い出せない。今日はこういう予定でしたよ、と親切に教えてくれたりはしない。
(ということは、さっきみたいな時には…)
ぼくが部屋のドアの所で悩んでいたって、ママに頼まれたハンカチのことは出てこない。それを引き出す鍵が必要、たとえばママとか、頼まれごととか。
(うっかりミスには役立たないよね?)
頭からすっかり抜け落ちたことは、手掛かり無しでは記憶装置があっても無駄。前のぼく自身が鍵になる何かを思い出すまで使えやしない。
(なんだか使えなさそうな感じ…)
実際、使っていなかったと思う。記憶装置のデータには全く頼ってなかった、前のぼく。自分で自分の記憶を管理し、自分の頭の中のデータを使ってた。記憶装置は使わなかった。
それじゃ、いったい、あの装置は…。
(何しに着けてたんだっけ?)
自分自身が使わないなら、何のために記憶装置を頭に乗っけていたんだっけ…?
(…次の世代のためだった?)
ぼくの後を継ぐソルジャーのために。ぼくの記憶を簡単に継いで引き出せるように作ったかな?
うん、そうだ。だからメギドへ飛び立つ前に、フィシスに渡しておいたんだ。ぼくが死んだら、ジョミーに渡してくれるようにと。
(フィシスには直ぐに戻ると嘘をついたけど、フィシスは記憶装置のことを知っていたしね)
前のぼくが戻って来なかった時は、ぼくの補聴器をどうするべきか。
フィシスなら分かってくれると思っていたし、実際、フィシスは前のぼくの望みどおりに動いてくれた。補聴器をジョミーに渡してくれた。ぼくの形見に持っておかずに、ちゃんとジョミーに。
記憶装置は役目を果たして、ぼくの記憶はジョミーに継がれた。
(でも…)
後継者なんて予定も無かった内から律儀だったな、と思ってしまう。記憶をデータ化するために頭にアレを乗っけて、あれこれと記録させてただなんて。
フィシスを見付け出した時にはもう着けてたから、充分に元気だった頃から記憶をデータ化。
なんて律儀で真面目だったんだろうか、前のぼくは。
面倒だから、と放り出しもせずに頭に乗っけて、きちんと記録を残しただなんて…。
(ぼくが考え出したわけじゃないよね?)
前のぼくが作らせた記憶装置なら、元気な頃には着けてない筈。後継者が必要だと考えるようになるまでは自分の頭さえあれば充分、記録しておく必要は無い。
それなのに早くから着けてたってことは、他の誰かが考え出してぼくに渡したってこと。
(えーっと…)
最初はただの補聴器だった。聴力はサイオンで補えてたから、補聴器は要らなかったのに。
こんな大袈裟な補聴器なんて、って断ったけれど、ソルジャーらしくと押し付けられた。やたら仰々しい服とセットで、あの補聴器まで。
(あの頃はホントに補聴器だけで…)
ソルジャーの地位だか、肩書きだか。
御大層なそれを引き立てるための、演出するためのマントつきの衣装とセットの補聴器。衣装は色々と工夫を凝らして作られたもので、ぼくの身体を爆風などから守れる構造だったけど。素材にこだわった品だったけれど、補聴器の方は頑丈に出来ていたというだけ。
あれを頭に乗っけていたってヘルメット代わりになりはしないし、ただのお飾り。
そのお飾りがどういう経緯で記憶装置に化けたんだっけ、と遠い記憶を手繰っていて。
(ハーレイだよ…!)
思い出した、と両手で耳を覆った。あの補聴器に覆われていた頃みたいに。
真っ赤に染まった耳を隠したけれども、きっと顔だって真っ赤だよね…?
前のハーレイに恋をしちゃった、前のぼく。
片想いだと思ってた恋が無事に実って、幸せ一杯、心がお留守。
会議の内容を司会のハーレイに見惚れて聞き逃すこと多数、ついにエラたちに尋ねられた。最近こういうことが多いが、何処か具合でも悪いのか、と。
何でもないよ、と誤魔化して逃げたぼくだけれども、その夜、青の間でハーレイが訊いた。
「ソルジャー、本当にどうなさったのです?」
私も心配しているのですが。皆には言えないと仰るのでしたら、せめて私には…。
「君が言うわけ?」
それと、ブルーだよ。二人きりの時には、ブルー。
「申し訳ございません。それで、最近はどうなさったのですか?」
「ハーレイだな、って見てると忘れる…」
「はあ?」
「だから、ハーレイ!」
君だよね、って見惚れてるから聞き逃してしまうんだ、会議の中身。
もちろん聞いてはいるんだけれど…。
その時は頭に入ったつもりで聞いているんだけど、右から左へ抜けてしまうんだよ。
でも本当に大切なことは忘れてないだろ、シャングリラのこととか、みんなのこととか。
抜け落ちてしまうのは大したことないものばかりだよ。
「そう仰られると…」
つまらない内容だけを忘れていらっしゃいますね、とハーレイは頷いてくれたけれども。
会議の中身をしょっちゅう忘れることは事実で、原因はハーレイに見惚れているせい。
このままでは駄目だと思いはした。
だけど会議の司会はキャプテンの役目。ずうっと前からそういう取り決め。
ぼくが見惚れてしまうから、なんて理由で変えるわけにはいかない。そもそも、ハーレイに恋をしていることすら秘密で、内緒。誰にも言えないハーレイとの恋。
ハーレイと結ばれて間もないだけに、出来ることなら一日中だってハーレイといたい。すぐ側でハーレイを眺めていたい。抱き合って、キスして、くっついていたい。
そんな気持ちが落ち着いて来たら、見惚れてしまって心がお留守になりはしないだろうけれど。でも、それまでの間が大変、まだまだ恋に夢中の時間が続きそう。
見惚れる相手のハーレイに「どのくらいで元に戻ると思う?」と訊いてみたら。
「そうですねえ…」
私はあなたが初恋ですから、体験談ではありませんが…。
この船に来てから読んだ本には年単位だとも書かれていましたね、人によっては。
バカップルというのもあったそうです、とハーレイは言った。周りの人なんか目に入らないで、二人の世界を築き上げてしまう恋人たち。ぼくの状態はそれに近いのかも、と青ざめた。
「年単位な上にバカップルだと…」
なんともマズイね、ソルジャーがそういう状態なのは。
分かった、忘れないように努力してみよう。
とりあえず、ハーレイに見惚れて生返事をしていても聞いていることは確かだから。
右から左へ抜けないようにと頑張ったけれども、また忘れた。綺麗サッパリ忘れてしまった。
そういう時に限って次の会議と内容が重なっていたりするから、皆に本気で心配された。
「忘れちまったのかい、この前のを?」
ブラウは「大丈夫かい?」と訊いてくれたし、エラたちだって。大丈夫だよ、と返したけれども説得力は皆無だから。
ゼルがすっかり禿げた頭を振り振り、こう嘆いた。
「まさかボケでもあるまいし…。わしでもボケておらんのに!」
「さあ、どうだか…。ぼくは年寄りだからね?」
こう見えても年は一番上だよ、ボケても不思議じゃないかもね?
自分では普通のつもりだけれども、案外、ボケて来ているのかも…。
そういえば最近忘れっぽいかな、会議の席だけじゃなくってね。
パチンとウインクしたくらいだから、冗談のつもりだったんだ。
だけど本当に酷かったんだろう、ハーレイに見惚れてあれこれと忘れまくっていた、ぼく。
暫く経って、そんな冗談を言ったことすら綺麗に忘れてしまっていた頃。いつものように会議に行ったら、とんでもない議題が登場して来た。
「なんだい、これは?」
机に広げられた図面はやたら細かくて、多分、何かの設計図。首を傾げたらブラウが答えた。
「記憶装置だよ、こういうのがあったら忘れないだろ?」
「もう試作中じゃ、その補聴器に仕込むんじゃ」
常に頭にくっついとるんじゃ、そいつが一番使いやすいわい。
組み込むのに手間はさほど要らんし、まあ、任せておけ。
二度と忘れんように作ってやるわい、どんなつまらんことでもな。
「ええっ!?」
自信溢れるゼルの言葉に震え上がってしまった、ぼく。
なんでもかんでも記録するだなんて、冗談じゃない。プライバシーも何もありゃしない。
ハーレイも内心、冷汗だったらしくって。
記憶装置に関する議題はぼく抜きで詰めることにするから、と会議室から追い出されてしまった後、ハーレイは一人で頑張ってくれた。それはそうだろう、ぼくが記憶装置を勧められるに至った原因はハーレイなんだし、何もかも全部記録されたら恋人同士なことだってバレる。
孤軍奮闘したハーレイはその夜、いつものように青の間を訪ねて来て。
「記憶装置のことですが…。失敗談などは消したいだろう、と言っておきました」
「それで?」
通ったのかい、その案は?
「はい。ソルジャーがお望みにならない記憶は消せる仕様にするそうです」
「ソルジャーじゃなくて、ブルーなんだけど!」
でも、消せるって?
何でも丸ごと記録してしまって、そのままじゃなくて?
「ええ」
ソルジャーといえども、プライバシーは大切ですから。
いくら公人でも記録されない自由と権利も必要だろう、という結論です。
「ありがとう、ハーレイ。君のお蔭だよ」
だけど、せっかく二人きりの時にソルジャーはやめてくれるかい?
ぼくにはきちんと名前がある。
そうだろう、ハーレイ?
ぼくはブルーで、ソルジャーじゃないよ。
消したい記憶は消せることになって、良かったと安堵はしたんだけれど。
記憶装置は出来てしまって、補聴器の中に組み込まれた。ぼくは会議の中身を忘れなくなって、心配されることも二度と無かった。
そう、あの頃だけは記憶装置に頼ってた。なんだったっけ、と右から左に抜けてしまった記憶の中身を尋ねていた。長かった前のぼくの人生の中で、唯一、記憶装置が働いてた時期。
ハーレイとの恋は続いたけれども、記憶装置を着けたお蔭か、見惚れることはそれから数ヶ月も経たずに終わったと思う。記憶装置を働かせる度に「またやったか」と自覚させられるから。
ほんの数ヶ月とはいえ、頼ったことがあった記憶装置。前のぼくを補助した記憶装置。
作られてからは前のぼくの記憶をデータ化して沢山記録したけれど、本当の所は消してしまった記憶も多かった。フィシスの生まれのこともそうだし、一番はハーレイ。前のぼくの恋。
消せる仕様に出来てて良かった、と思うけれども。
(あれ、今あったら便利だよね)
ママのハンカチを探すことは丸ごと忘れてたから駄目だけれども、他のこと。
出会って咄嗟に名前が出てこないご近所さんとか、一度聞いただけで忘れてしまった何度も会う猫の名前だとか。誰だったっけ、と訊けば答えを返してくれるし、猫の名前も教えてくれる。
(ぼくが忘れても、記憶装置は忘れないものね)
いいな、と使ってた時期の便利さに思いを馳せたんだけれど。
(ちょ、ちょっと待って…!)
何でも覚える、ぼくの代わりに記録してくれる記憶装置。忘れずに覚えてくれる便利な装置。
(記憶装置があれば忘れないけど…!)
今のぼくには、要らない記憶を消すための力が無いんだった。
消したいと思う記憶を記録した部分は、一定以上のサイオンを使って上書きみたいな形で消す。サイオンの扱いがとことん不器用になってしまった、ぼくには不可能。
(もし、今のぼくがアレを着けていたなら…)
ハーレイとの恋もバッチリ記録。
パパとママには内緒にしているハーレイとの恋を、消せないまんまで丸ごと記録。
(まずい…)
酷い忘れ物はしないように気を付けなくちゃ。
あの記憶装置の仕組み自体は、今も伝わっている筈だから。
物忘れ防止だ、ってパパに渡されたりしたら、とっても悲惨なことになるから…。
だけどちょっぴり、欲しい気もする。
今のぼくなら、ハーレイと結婚した後は何を記録しちゃっても平気だから。前のぼくは最後までハーレイとの恋を隠したけれども、今度は隠さなくてもいい。結婚してハーレイのお嫁さん。
ハーレイと二人で暮らせる幸せな日々を毎日丸ごと記録できるって凄く素敵な気がする。だから欲しいな、って思ったんだけど…。
考えてる最中に仕事帰りのハーレイが来たから、どう思う? って訊いたんだけど。
「この欲張りめが」
丸ごと記録してどうするつもりだ、とテーブルの向かいから大きな手が伸びて来た。ぼくの額を人差し指でピンと弾いて、それから頭をグシャグシャと撫でて。
「忘れちまったのを思い出す方が幸せなんだぞ、宝物を見付けたようなモンだな」
その補聴器……いや、記憶装置の話みたいに、何かのはずみにヒョコッと拾うのが面白いんだ。
そうやって拾って、また忘れて。
次に思い出す時には別の記憶もついてたりして、また楽しめる。
何もかも忘れずに覚えていたんじゃ、つまらんだろうが。
前のお前だって記憶装置は使ってないだろ、本当に困った時だけしかな。
「そうだけど…」
やっぱり要らない物だったのかな、あの記憶装置。
前のハーレイも補聴器を着けていたけど、あれに記憶装置は無かったよね?
「お前だけだな、シャングリラの中で記憶装置を着けていたのは」
着ける羽目になった理由はともかく、結果的にはソルジャーの記憶を受け継ぐ大事な装置で象徴だしな?
大いに出世を遂げたわけだし、良かったじゃないか。
「ぼくがハーレイに見惚れちゃってたせいで生まれた装置だけどね?」
「そいつは言わぬが花ってな」
「今のハーレイが授業で教える言葉だったら、知らぬが仏?」
「うむ。そんなトコだ」
知らぬが仏で言わぬが花だな、どうしてお前が記憶装置を持っていたのかは。
ジョミーにもトォニィにも言えやしないな、俺に見惚れて装着する羽目になりました、とはな。
「口が裂けても言えないよ…!」
ハーレイが好きだったことは内緒なんだし、絶対言えない。
おまけにハーレイに見惚れて生返事をしてた結果だなんて、カッコ悪くて情けないってば…!
ハーレイと二人、散々笑って笑い転げた。
すっごくバカバカしい理由で生まれて、補聴器の中に組み込まれてしまった記憶装置。
前のぼくの記憶を補助するために、と出来た記憶装置のついた補聴器。
前のぼくがフィシスに託して、フィシスの手からジョミーに渡って。
ソルジャー・ブルーの記憶が残された補聴器だったから、ソルジャーの象徴になってしまった。ジョミーもトォニィも補聴器なんかは必要ないのに、あれを着けてた。
補聴器としての機能は切ってしまって、記憶装置の部分だけ。
ハーレイの話ではジョミーも記憶を記録していたらしいし、きっと次の代のトォニィも。
そうやって三代のソルジャーが記憶装置を使っていたのに、今はなんにも残ってはいない。
前のハーレイの航宙日誌は超一級の歴史資料になっているのに、前のぼくやジョミーたちが記録していた記憶は宇宙の何処にも残されていない。
歴代ソルジャーの記憶がデータベースに残らなかった理由は、三代目にして最後のソルジャー、トォニィが反対したせいらしい、ってハーレイが教えてくれたんだけど…。
貴重なデータを全く残さずに消してしまっただなんて、なんだか不思議。
前のぼくは誰に見られてもいいように整理して記録しておいたし、残っていたって気にしない。SD体制を倒したジョミーも、気にするような性格じゃない。
トォニィだって…、と懐かしい子供の頃の顔を思い浮かべてみたんだけれど。
シャングリラの中の前のぼくたちの部屋を、手を付けないで残してくれたトォニィ。
初恋の人だったアルテラが残した「あなたの笑顔が好き」ってメッセージを今の時代まで伝わる形にしたトォニィ。
そんなトォニィが歴代ソルジャーの記録を抹消しちゃっただなんて…。
(…なんだか変だよ?)
トォニィも多分、ジョミーと同じで性格は明るい方だと思う。ソルジャーとしての自分の記憶も「後世の役に立つのなら」って、快く公開しそうだけれど…。
(なんで消しちゃったんだろう?)
前のぼくたちの部屋や、アルテラのメッセージが書かれたボトルを残したトォニィ。ハーレイが彫ったナキネズミの木彫りもトォニィの部屋に残されていた。
思い出を大切にしていたトォニィらしくない、記憶装置のデータの抹消。矛盾した行為。後世に残す思い出どころか、とても大切で重要な記録だったのに…。
(ハーレイの航宙日誌なんかより、よっぽど凄い歴史資料だよ?)
ミュウの歴史を全て見て来たソルジャーの記憶。前のぼくからジョミーまでのは歴史の生き証人とも言える代物で、その次を継いだトォニィだって…。
(ぼくがトォニィなら、絶対、残すと思うんだけど…)
分かりやすいように整理して、と考えた所で気が付いた。
記憶装置の中の自分の記憶を整理するには、不要な部分の削除が不可欠。でないと記憶を丸ごと記録したまま、つまらないことまで詰まったまま。
まさか、トォニィ…。
「ねえ、ハーレイ…」
もしかしてトォニィ、記憶装置のデータの消去方法を知らなかったとか?
使えなかったってことはない筈なんだよ、トォニィのサイオン、強かったしね。
「消去方法って…。お前、ジョミーには教えたか?」
「うん、一応。渡す前だから、簡単に説明したんだけれど…」
前のぼくが眠ってしまうよりも前。
アルテメシアに居た頃だったよ、いつかは君に譲るんだから、って。
「なるほどなあ…。だったら、アレだ」
ジョミーはトォニィに教える暇が無かったんだ。
地球で死ぬかもしれないとは思っただろうが、あの補聴器を託す暇があるとは思わなかった。
だから教えずに放っておいたが、結果的にはトォニィの手に渡ったってな。
肝心の消去方法ってヤツを教えないままで。
「じゃあ、トォニィは…」
「何もかも丸ごとアレに記録をしちまったろうし、そいつは消したいと思わないか?」
前のお前とジョミーのデータ。
それも一緒に消えてしまうと分かっていてもだ、自分の記憶を丸ごとはなあ…。
「やっぱりハーレイもそう思うよね…?」
「俺なら絶対に御免蒙る、丸ごとはな」
「ぼくも嫌だよ!」
丸ごと残るなんて絶対に嫌だ。
何を食べたか、何をしてたか、全部データが残ってるなんて、死んだ後でも嫌だってば…!
ジョミーから消去方法を教わらないまま、記憶装置を受け継いだトォニィ。
自分が何をやっていたのか、記憶を丸ごと記録されてしまった最後のソルジャー。
気の毒なトォニィが反対したお蔭で、前のぼくの記憶はデータ化されずに消えてしまった。
ソルジャー・ブルーが持っていた記憶は、ぼくの頭の中身が全て。
今のぼくの小さな頭の中には、超一級の歴史資料が詰まってる。
歴史の研究に役立つ記憶。学者たちが狂喜する記憶。
いつかは公表してもいいな、と考えたりもしてはいるんだけれど…。
だけど喋ったら、前のハーレイとの仲まで探られそうだし、やっぱり黙っておこうかと思う。
前のぼくやジョミーの記憶を収めた記憶装置は、トォニィが消してしまったんだもの。
事情はともかく、消される程度の記憶装置とその中身。
きっと大した記憶じゃないんだ、そういうことにしておこうっと!
それでいいよね、記憶装置が出来た理由も、前のぼくが恋に夢中になってたせいなんだから…。
記憶装置の秘密・了
※前のブルーの記憶装置は、こうして誕生したらしいです。恋で心がお留守だったせいで。
そして補聴器が後世に残らなかった理由は…。トォニィの意志というのは表向きかも?
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