シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(うーん…)
やっぱりダメか、と溜息をついた、ぼく。
夕食もお風呂もとっくに済ませて、自分の部屋でパジャマなんだけど。寝るにはちょっぴり早い時間で、こんな夜にはたまに挑戦するんだけれど。
(今度のぼくは前のぼくとは違うのかな?)
まだ小さいってことを除けば、見た目はそっくりだと思う。それに身体だって、アルタミラでは小さいままだった。脱出するまで成長を止めたままでいたから、今のぼくと同じだった筈。
それなのに…。
(まるでダメだなんて、全然、似てない…)
とことん不器用なぼくのサイオン。
タイプ・ブルーとも思えないレベルの、前のぼくとは似ても似つかないぼく。
小さい頃からそうだったせいで、特に気にしていなかったけれど。
ハーレイに出会って前の生での記憶が戻って、ソルジャー・ブルーだったと思い出したから。
そうなると今の不器用さが情けないから、何とかしたいって気持ちにもなる。
ちょっと練習しようかな、って思った時にはコレが定番。
勉強机の上に、水差しとコップ。
夜中に水が飲みたくなりそうな気がする夜には、時々持ってくる、ぼく専用の。
ぼくが寝込んでしまった時なら、ママが置いてってくれるけど。
枕元に置いて、食事の度に水を取り替えてコップも洗ってくれるんだけれど。
普段はぼくの部屋には水差しは無くて、コップだって無い。
ぼくが自分で運んで来る日は、喉が渇きそうな気がした夜だけ。
その水差しの水をコップに注いで、じーっと眺めて頑張ってみる。
表面がちょっぴり動かないかと、さざ波は無理でもごくごく小さな揺れとか、波紋。
だけど「揺れた?」と感じた時には、ぼくの身体も動いてた。夢中になって机に触ってたとか、足を動かしてしまっていたとか。
まるで動いてくれない水。コップの中に澄ました顔して収まってる水。
どんなに見てても何も起こらなくて、いつだって結局、飲む羽目になる。
そのままコップに入れておいたら、零しちゃうかもしれないから。
常夜灯しか点けてない夜中に起き出したりして、引っ掛けちゃうかもしれないから。
(今日も全然、ダメだったよ…)
動いてくれなかった水をクイッと飲み干して、コップを置いた。
コップの底に残った雫を、「濡れてますよ」って言わんばかりの雫を見詰めてみるけれど。
(…やっぱりダメかあ…)
透明なガラスのコップの底に貼り付いて残った水。傾けても飲めない、ちょっぴりの水。
明日の朝までにはすっかり乾いて痕跡さえも消えていそうな、コップを満たしていた水の名残。
(こんなにちょっぴりでもダメだなんて…)
ガックリと肩を落としたぼく。
雫さえも動いてくれやしない、と溜息しか出ない。
水差しとコップを自分で部屋まで持って来た時のお決まりの行事。
何度繰り返しても同じパターンになっちゃう行事…。
覆水盆に返らず、だなんて言うけれど。有名な言葉なんだけど。
前のぼくには、そんな言葉は意味が無かった。
似たような意味の、類語って言うの?
「後悔先に立たず」は何度も痛感したけど、「覆水盆に返らず」は無意味だったんだ。
前のぼくには当てはまらない言葉だったから。それが当てはまりはしなかったから。
覆水を盆に返せたぼく。
引っくり返って零れちゃった水を、文字通りお盆に返せたぼく。
だから今になって練習している、水差しとコップ。
コップに注いだ水を元の水差しに戻せないかと、水差しの中に戻せないかと。
未だに上手くいかないどころか、その気配さえも無いんだけれど。
前のぼくなら簡単に出来た。
水差しからコップに注がれた水を、一滴も残さずヒョイと水差しに戻せたんだ。
もちろん、手なんか使ったりせずに。
コップから水差しに手を使って注ぎ入れるんじゃなくて、一瞬の内にサイオンだけで。
(前のぼくがやった、一番最初は…)
アルタミラから脱出してきた船を、シャングリラと名付けて間もない頃だったか。
まだ小さかったぼくは、ハーレイにくっついてシャングリラの中を歩いてた。
アルタミラがメギドの炎で燃え上がった時に、一緒に走って仲間を助けて回ったハーレイ。あの日に初めて会ったというのに、そんな気がしなかった優しいハーレイ。
ぼくはハーレイが誰よりも好きで、心までが子供のままだったぼくには頼れる大人。身体だって大きくて、頼もしい大人。
厨房で食事作りの責任者みたいな立場になったハーレイは、口癖のようにぼくに言ってた。
「しっかり食えよ」って、「食わないと大きくなれないぞ」って。
ハーレイが料理をしている時には覗きに行ったし、試作品の味見もさせて貰った。味見だけじゃハーレイに申し訳ないから、手伝ってジャガイモを剥いたりもした。
出来上がった食事はいつでも、ハーレイと一緒に食べていた。
それにブラウたち、後に長老と呼ばれた四人。
ハーレイは料理作りの責任者って立場で、料理が完成してしまった後は暇になるから。
後片付けだってしなくていいから、ぼくたちと食事が出来たんだ。
厨房も食堂もあった初期のシャングリラだけど、船体は後の白い鯨よりも遥かに小さかった。
その船の中で、飲み水はとても大切なもの。
シャワーや洗濯に使う生活用の水は循環させて使っていたけど、飲み水は全くルートが違った。
飲んだり、料理をするための水は別のルートで供給されるという仕組み。
前のぼくたちが手に入れて乗り込んだ船は、そういう風に出来ていた。
多分、宇宙を飛んでいた船はどれも似たようなものだろうけど。
輸送船だって、客船だって。
人類軍の艦船だって、そんな仕組みになってたろうけど…。
(生活用の水を使い回して、それを飲むだなんて嫌だものね)
いくら綺麗に濾過してあっても、消毒されてても、シャワーとかの水を飲みたくはない。
アルタミラの研究所に捕まっていた頃でさえも、飲み水はちゃんとあったんだから。
前のぼくたちがシャングリラと名付けた船を造った人類だって、同じ考えだったんだろう。
(飲むための水は、別でなくっちゃ)
飲用水は料理にも使って、食べた後の食器もその水で洗って。
汚れてしまった水は浄化用のシステムへ送られていって、また飲み水へと姿を変える。
だけど飲用水は料理専用ってわけじゃなくって、船のみんなも飲んでいるから。喉が乾けば水を飲むんだし、人間の身体は一日に大量の水分が必要なもの。
厨房で使った水を浄化して循環させるだけでは、必然的に足りなくなる。そうならないように、生活用水の一部を高度に浄化するシステムも備わっていたんだけれど。
要は、それだけ。
前のぼくが奪って来るなら別だけれども、飲用水と呼べる水の量には限りがあった。
生活用の水も、最初の内こそ量の加減が掴めなくって、シャワーを使うのに時間制限があったりしたけど、直ぐに慣れてそれは無くなった。
大丈夫だって分かったから。生活用の水は充分にあって、好きに使えると分かったから。
だけど、飲み水。
システムの処理の限界量を超えてしまったら、無くなってしまう。
節水を心がけると言っても、人間の身体が必要としている水分の量を減らせはしない。
計算の上では、足りる筈だと結論が出てはいたんだけれど。
もしもシステムが故障するとか、不測の事態を考えてゆけば飲み水はやっぱり貴重なもの。
シャングリラが白い鯨になった頃には、予備のシステムも出来て心配無かった。
でも、それよりも前の時代は…。
「いざって時には、これを使えば」ってゼルたちが非常用の浄化システムを作り上げるまでは、飲み水は大事なものだったんだ。無くなってしまえば、生活用の水で代用するしかないから。
きちんと消毒されてあっても、別のルートで出来た水しか無いんだから…。
食事の時にコップに一杯分の水。
もちろんおかわり出来たけれども、最初に全員に配られる分はコップに一杯。
大切に飲もう、とみんなが思った。
零さないように、うっかりコップを倒してしまって無駄になったりしないように。
そうやって気を配る日々だったけれど。
誰もが注意をしてたんだけど…。
「あっ、すまん!」
ある日の食堂、バシャッと零れたハーレイの水。コップが隣のぼくの方へと倒れた。
肘が当たったか何かだろうけど、「大変!」と咄嗟に思ったことは確か。
だって、大切な水なんだから。
零しても代わりは貰えるけれども、その分、船の飲み水の量が減るんだから。
「すまん、すまん。…お前、濡れちまったな」
俺としたことが失敗だった、とハーレイが謝った相手は、ぼく。
大慌てで走って行ったかと思うと、厨房のものらしきタオルを掴んで戻って来た。
「すっかり濡れてしまったか? 着替えた方がマシなくらいか?」
ハーレイはぼくの隣に屈んで、服を拭こうとしてくれたけれど。
「ううん、濡れてないよ」
ぼくはちっとも濡れていないよ、ほら、水なんかついてないでしょ?
「ありゃ?」
思い切り零れたと思ったんだが…。殆ど飲んでいなかったからな、満杯に近かった筈なんだが。
「反射的に元に戻したんじゃないの?」
ちゃんとコップに残ってるよ、水。
ハーレイ、うんと反射神経がいいんだよ。
「そうかもなあ…」
テーブルのコップには水が半分くらいは残ってた。
一度は倒れて零れた証拠に、コップの外側には水滴がついて流れていたけど。
床だって厨房の係が駆け付けて来て、モップで拭いていたんだけれど…。
「お前、本当に濡れなかったのか?」
ちょっとした騒ぎになっていた事件が落ち着いた後で、ハーレイがぼくに訊いて来た。コップに新しい水を足して満たして、それを飲みながら。
「濡れなかったよ、ハーレイもぼくの服を見たでしょ?」
「しかし…」
お前の方へと倒れたんだぞ、あのコップ。
水は半分も零れちまったし、床にだって沢山零れてた。
お前だって水を被ったとばかり思ったがなあ、濡れちまった床と同じくらいに。
「ぼくも飛んで来たと思ったけれども、ぼくには全然かかっていないよ」
きっと此処まで飛ばなかったんだよ、零れた水。
床に飛んじゃった分が全部で、ぼくには届かなかったんだよ。
「なら、いいが…」
すまんな、危うく濡れ鼠にしちまうトコだった。
貴重な水を零した上に、被害者まで出したら赤っ恥だ。
当分の間は肩身が狭かったろうなあ、船が噂でもちきりってな。
その時はぼくも全く気付いていなかった。
ぼくに向かって飛んで来た水をサイオンでそっくり受け止め、コップに戻していたなんて。
だけど、その次。
そんな事件は忘れてしまって、平穏な日々が流れていた頃。
食堂でハーレイがぼくの分と、自分の分とのおかわりの水を貰いに行ってくれた時。
両方の手に水が入ったコップを持っていたハーレイに、通り掛かった仲間がぶつかった。
「おっと…!」
危ない、とハーレイは揺れたコップを支えたけれど。
傾いた拍子に飛び散った水をぼくは見ていた。コップの縁から飛び出した水を。
(水…!)
零れちゃう、とぼくが思った途端に。
「うん…?」
水が勝手に戻らなかったか、とハーレイがコップを持ったままで言った。
「勢いよく零れたように見えたが、コップに戻って来なかったか…?」
零れるどころか一杯だぞ、水。
ついでに床だって濡れていないし、水が自分で戻ったとしか…。
周りのみんなも同じことを口々に言い出した。
水は確かに戻っていったと、コップに向かって戻ったのだと。
「まさか、誰かがサイオンで…」
「出来るか、そんな器用なこと?」
相手は水だぞ、おまけに予測不可能だったぞ?
誰が咄嗟に反応するんだ、そんな速さで。
光や音ほど速くはなくても、あんな速さに対応出来るか?
有り得ないな、って会話が広がったけれど。
船には一人だけ、桁外れなミュウが乗っかっていた。
「まさか…」
みんなの視線がぼくに集まった。
たった一人しか存在してない、宇宙空間だって生身で平気なタイプ・ブルー。
宇宙空間を駆けて、人類の船から瞬間移動で物資を奪える最強のミュウ。
「そうか、ブルーか…」
可能性ってヤツは大いにあるな、とハーレイがぼくの居たテーブルに戻って来て。
「ちょっと試すか、お前かどうか」
ハーレイは自分のと、ぼくのコップをテーブルに置くと、厨房からトレイを持って来た。普段の配膳に使ってるヤツで、その上にコップがもう一つ。水が三分の一ほど入ったコップ。
「俺がこいつを引っくり返す。お前は水を受け止めてみろ」
でもってコップに戻してみるんだ、さっきみたいに。
お前、前にもやってたんじゃないか?
俺がコップをお前に向かって倒した時に。
「無茶だよ、ハーレイ!」
出来ないよ、そんな器用なこと!
それに無駄になるよ、ハーレイが零しちゃった水…!
「安心しろ。そのためのトレイだ、こいつに充分、収まる量だ」
お前が失敗しちまった時は、食器を洗った水と一緒に浄化システム行きってな。
ハーレイがゴトンと倒したコップ。
無理だよ、とぼくは悲鳴を上げたけれども。
零れる筈の水は零れていなくて、ハーレイが素早く元通りに起こしたコップの中。
トレイは濡れてもいなかった。零れた筈の水は全部コップに入ってた。
みんなが「凄い」と叫んでる。手品みたいだと、流石はタイプ・ブルーだと。
(…ぼくがやったの?)
意識してなんかいなかったのに。
受け止めようなんて思っていなくて、サイオンを使った覚えも無いのに。
貴重な水だと、無駄になっちゃうと慌てただけなのに、少しも零れなかった水。
ぼくがコップに戻してしまったらしい、ハーレイが零したコップの水…。
それが船のみんなが意識した最初の瞬間だった。
零れた水さえ元に戻せる、前のぼくの力。
食堂でおかわりの水を配って歩く係が足を滑らせた時も、水は綺麗に元に戻った。水を満たした大きな水差しの中に、何事も起こりはしなかったように。
その時に派手に飛び散った水は、ハーレイが零してみせた量とは比較にならなかったから。
ぼくのサイオンは凄い、と誰もがビックリしてた。
あんな量の水でも操れるのかと、しかも心の準備も無しに…、と。
そう、ぼくが集中していなくたって、「貴重なんだ」と瞬時に受け止められた水。
意識すればもっと簡単に出来た。思い通りに水を操れた。
シャワーから降り注ぐ水をサイオンで丸めて、大きな水玉を作ってみたり。
逆に器に貯めておいた水を、無数の水滴に変えて宙へと浮かべてみたり。
ぼくがそうやって遊んでいたことを、前のハーレイは知っていたから。
「見て、こんなのも出来るんだよ」って得意になって見せたりしていたから。
ハーレイだって面白がって、あれこれと話題にしたりする。
「次はこんなのを試さないか」とか、「コップ無しでも水が飲めそうだよな」とか。
そんな無駄話をしていた場所は、厨房だったりもしたんだけれど。
ハーレイが料理の試作をしていて、他の係は別の所で下ごしらえをしてる時なんかも多かった。その日もハーレイはフライパンを握って試作の最中。
「お前、ホントに水なら何でも出来そうだよなあ、水の彫刻とかでもな。おっと…!」
危ない、とハーレイがフライパンを揺すった、アルコール分を飛ばすフランベ。
「これだけの材料、そうそう揃いはしないからな」と挑戦していた、肉のフランベ。
ビックリするほど炎が上がって、ぼくも「危ない!」って叫んでたけれど。
上がりすぎた炎は勝手に下がった。厨房の天井を焦がす代わりに、大人しいサイズに収まった。
「…今の、お前か?」
お前、水だけじゃなかったのか。
火と水ってのは性質がまるで違うモンだが、今のもお前がやったんだよな?
「…多分ね」
天井が焦げちゃう、と思ったもの。
でも、本当にぼくかどうかは分かんないよね。
肩を竦めたぼくだったけれど、それで思い付いて試してみたら炎もちゃんと操れた。
水だけじゃなくて、炎でも自由に操れたんだ。
だけど…。
やがてハーレイが厨房の責任者からキャプテンになって、船もすっかり落ち着いて来て。
そうこうする内に、ぼくはソルジャー。
リーダーと呼ばれる代わりに、ソルジャー。
白い鯨は出来ていなくて改造案の段階だったけれども、シャングリラのみんなに制服が出来た。畑なんかも作り始めて、着々と未来への準備が始まる。
シャングリラを本物の楽園にしようと、素晴らしい船に改造しようと。
そのためには物資も必要だけれど、サイオンの研究もしなくちゃならない。
せっかくサイオンを持ってるんだし、それを生かして色々なことが出来る筈だ、という話。
シールドを張れる力が応用出来たら、船にだってシールドが張れる筈。
更に進めれば、船の姿さえ消してしまうことも可能だろう。船の姿を消す、いわゆるステルス。
タイプ・イエローが特に優れる攻撃力は武器に活用出来そうだった。
今は武装さえしていない船に、ミュウならではの方法で武器を搭載出来る。普通の武器なら使う度に弾薬などの補給が必要だけれど、サイオンだったら補給は要らない。
多くの可能性を秘めたサイオン。
前のぼくの力に頼らなくても、ある程度ならば船を守っていけそうなサイオン…。
そうして研究を進めてゆく中、サイオンを測定出来る装置を自作したのがゼル。
ぼくだと針が振り切れるだとか言っていたけど、将来のためには役立つ装置。
それを色々と改良する内に、前のぼくが食堂で披露してしまった水の事件を思い出したらしい。そこまでは良かったんだけど…。
ある日、ヒルマンがぼくを訪ねて来た。「少し話があるのだがね」と。
「サイオンの相性?」
なんだい、それは。話というのはそれなのかい?
「ゼルが新しい装置を作ったのだよ」
どういった物質が個々人の能力を引き出すのに一番役立ちそうか、と調べる装置だ。
「ふうん…?」
「ちなみに、私とゼルの場合なのだが…」
ヒルマンまでが開発に加わっていたらしい。案を出すだけかと思っていたのに。
「それって、結果が出てるってことは、人体実験したわけだよね?」
「せめて、試したと言ってくれないかね?」
サイオンの研究をするには不可欠なのだよ、そういったことも。
もちろんアルタミラの研究者のような無茶はしないさ、医療検査と似たようなものだ。
一部の有志も測定してみて、どうやら有効らしいと分かった。
それでだ、ソルジャーの場合は水と相性がいいのではないか、という話なのだが…。
「測定させてくれるかね?」という申し出。
痛くないなら、とオッケーした。
アルタミラで地獄を経験しちゃっているから、苦痛を伴う実験なんかは絶対に御免蒙りたい。
だけど、その手の検査でないなら、引き受けなくてはならないだろう。
なにしろサイオンの研究自体は、シャングリラの未来に関わることだから。
相性とやらを調べて何にするのかは分からないけれど、仲間たちの役に立つかもしれないし…。
では早速、と先に立ったヒルマンに案内されて出掛けた部屋。
ゼルが待っていて、測定用らしき機械があった。その隣に置かれた簡易ベッド。
服を脱ぐのかと思ったけれども、手袋を外して袖を捲り上げて。ブーツも脱いで、膝下辺りまでアンダーを捲って、現れた素肌に電極みたいなのを幾つか貼られた。それと、こめかみ。
その状態でベッドに寝かされ、暫くの間、何か測っていたようだけれど。
電流が流れてくるわけでもなく、特に何ということもなかった。ぼくはベッドに寝ていただけ。
ヒルマンが「もう終わったから」と電極を外してくれて、ぼくが手袋とブーツを元の通りに身に着ける間に、測定結果は出ていたらしくて。
「…ふむ、やはり水か」
「火よりは水じゃな、他の何よりも水が一番上じゃわい」
ヒルマンとゼルが話しているから、服を整えたぼくは機械を横から覗き込んだ。
「どんなデータ?」
「いや、まあ…」
こういった感じなのだがね、とヒルマンに見せて貰ったグラフみたいなもの。
これが水だ、と示された項目の数値は確かに他より高かったけれど…。
「…ちょっとだけだよ?」
ほんの少ししか高くないじゃないか。誤差の範囲だと言えそうだけれど?
「そう言えないこともないのだが…。水ということでいいじゃないかね」
せっかく作った装置なのだし、こういう結果が出たということで。
ゼルと私の研究の成果だ、誤差の範囲でも一応、データは出ているのだよ。
「うむ、その通りじゃ」
何の役にも立ちはせんがな、あえて言うなら水なんじゃ。
水と相性がいいということじゃな、ソルジャーが持っておるサイオンは。
それから間もなく、シャングリラ中にこんな噂が広がった。
ぼくのサイオンは水と相性がいいと、ぼくの力を引き出すためには水が一番いいのだと。
食堂での一件を覚えていた仲間が多かったことも、多分、災いしたんだろう。
誰もが素直に納得しちゃって、ぼくには水だということになった。
根拠になった例のデータを見もしないで。誤差の範囲だと気付きもしないで。
だけど、あくまでゼルとヒルマンの個人的な研究みたいな代物。
他の人たちのデータを測りもしないし、お遊びなんだと思っておいた。自分たちが作った装置を試してみたくてやったんだろうと、あれは一種の娯楽だろうと。
(…ホントに遊びだと思っていたのに…)
そうした実験に付き合ったことさえ忘れていた頃、白い鯨に青の間を作られてしまったんだ。
ぼくのサイオンは水と相性がいいのだから、と巨大な貯水槽付きで。
前のぼくのサイオンを高めるための貯水槽だと、ソルジャーの部屋には必要なのだと。
水と相性がいいと言っても、そんな部屋が役に立たないことはゼルもヒルマンも知ってたのに。ハーレイだって知っていたのに、作られてしまった巨大な青の間。
ハーレイは面と向かっては言わなかったけど、青の間ってヤツはこけおどし。
前のぼくを、ソルジャー・ブルーだったぼくを、派手に演出するための。
(…水だなんて、誤差の範囲だしね?)
だけど、前のぼくが確かに見ていたデータ。
他の物質との相性を示すものより、ほんのちょっぴり、高かった数値。
だからサイオンの練習をするんだったら、水だと思っているんだけれど。
水を相手に頑張ってみるのが一番だろうと思うんだけど。
(…それなのに、ピクリとも動かないってば!)
今夜も動かせなかった水。
水差しからコップに注いでみたけど、水差しに戻せなかった水。
やっぱり今のぼくには無理かな、覆水を盆に返すのは…。
水との相性・了
※前のブルーには簡単に出来た「覆水を盆に返す」こと。水と相性が良かったサイオン。
誤差の範囲内だったというのに、大きな貯水槽があった青の間。演出も大事ですけどね…。
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