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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

麺とスープと

(今じゃ全く普通なんだが…)
 すっかり慣れてしまったんだが、とハーレイは器の中身を眺めた。ホカホカと湯気が立ち昇る、蕎麦。器にたっぷりと入った出汁。
 午前中は研修だったから、昼食は外で。それからいつもの、ブルーが通う学校へ。
 特に急いではいなかったけれど、早く食べられて満腹感を得られるものを…、と入った店。
 丼物やカレーなどにしようか、麺類にしようかと悩むまでもなく、蕎麦を茹でる匂いに惹かれて暖簾をくぐった。
 SD体制崩壊後に復活して来た暖簾。日本という小さな島国の文化の暖簾。
 そういった古い文化は大好きだったし、暖簾に釣られた部分もかなり大きいだろう。前の生から見慣れた普通のドアを開けるより、暖簾をくぐって入るのがいい。



 思った通りに居心地のいい店は賑わっていた。茹でたての蕎麦の美味そうな匂いが漂っている。それに天麩羅や出汁の匂いも。
 カウンターに座り、渡されたメニューをざっと眺めて月見天蕎麦に決めた。海老天に卵、これは栄養価も高い。
(此処は天麩羅も美味そうだしな?)
 きちんと店で揚げているのが嬉しい所だ。出来合いの天麩羅を乗せるだけの店も多いのに。
(今日の昼飯は大当たりってトコか)
 研修さまさま、次にこの辺りで研修があればこの店にしよう、と食べる前から膨らむ期待。店に漂う匂いだけで分かる。質のいい食材を使っているのも、手間暇を惜しんでいないことも。
 そうして出て来た月見天蕎麦は思った以上に素晴らしい出来で、蕎麦の茹で加減も出汁もまさに絶品、おまけに海老天も美味かった。卵も、これぞ月見といった趣き。
(これはなかなか…)
 次に来る時が楽しみだ、と風味豊かな蕎麦を啜っていた時、不意に浮かんで来た記憶。
(…待てよ?)
 こんなものは食べたことが無かった、と前の生での自分が驚く。
 こういう食べ物は有り得なかった、と。



(…うーむ…)
 今では全く普通なのに。
 こうしてフラリと入った店でも、何のためらいもなく注文出来る食べ物なのに。
(…こいつは何とも驚きだな…)
 美味いんだが、と再び蕎麦を啜り始めながら、前の生へと思いを馳せて。
(よし、蕎麦だ!)
 覚えておかねば、と残り少なくなった器の中身を頭にキッチリ叩き込んだ。大当たりだった、と自分を惹き付けた蕎麦の匂いに感謝する。残りの蕎麦も美味しく食べ終え、勘定を済ませて暖簾の向こうの通りへと出た。
 愛車を停めてあった駐車場まで上機嫌で歩き、いざ職場へ。
 今日は自分の授業は無いのだけれども、ブルーが通っている学校へと。



 研修先で貰った資料などを整理し、明日の授業の準備を済ませて、一息ついたら放課後が近い。柔道部の指導に出掛ける前に…、と今日のあれこれを振り返る内に思い出した蕎麦屋。
(そうだ、蕎麦だったな)
 一度思い出したら、もう忘れない。
 蕎麦屋でメモを取っても良かったのだけれど、前の生に纏わる記憶だから、と取らなかった。
 ふとしたはずみに蘇る記憶は書き留めていたらキリが無いというのもあったけれども、遠い昔の記憶が心をフッと掠める感触が好きだったから。
 何度でもそれを味わいたいから、あえて書かずに放っておく。今日の蕎麦だって、今日の間なら忘れないけれど、明日には忘れているかもしれない。
(そうしたら、また楽しめるしな?)
 今日の新鮮な驚きを。
 月見天蕎麦の器を前にして「有り得なかった」と驚いた時の、前の自分の反応を。
 だから書かずに放っておいたが、今日の間は忘れないように。
 柔道部で汗を流した後にも忘れないよう、もう一度「蕎麦だ」と繰り返しておいた。



 これまた前の生では縁が無かった柔道なるもの。今の生では打ち込んで来た道。
 体育館で大勢の柔道部員を指導し、稽古をつけて。共に身体を動かした後も、例の記憶は残っていた。蕎麦屋で頭に叩き込んだ記憶。学校で「蕎麦だ」と繰り返した記憶。
 柔道着を脱ぎ、シャワーを浴びて元のスーツに身を包んだ後。
(さて、どうするかな…)
 こうした時は、と学校の駐車場に停めた愛車の運転席に座って暫し考えてから車を出した。
 ブルーの家に行くまでに少し寄り道、途中の食料品店へ。
 専用の籠を提げ、目的の棚の前であれこれ選んで一つ、二つと入れてゆく。
(…こんなもんかな)
 全部で六つ。
 土産というわけではないのだけれども、これが一番良さそうだから。



 ブルーの家の駐車スペースに車を置いて、食料品店の袋を引っ張り出して。
 門扉を開けに出て来たブルーの母に「私物ですので」と断っておいた。手土産ではなくて自分の荷物だと、車に置いてはおけないので、と。
 ブルーの母は「お帰りになるまで預かりましょうか?」と言ってくれたが、「ブルー君に分けてあげたいんですよ」と笑顔で返す。「実につまらないものなのですが」と。
「あらあら…。いつもお気遣い頂いてしまってすみません」
「いいえ、本当につまらないものなんですよ」
 それどころか呆れられそうですが、と袋をポンと叩く。
 普通は土産にしないものだと、土産に持ってゆけば礼を失する代物なのだ、と。
「何ですの?」
 興味津々のブルーの母に「こんなものですよ」と袋の口を少し開いて見せれば。
「あらまあ…!」
「驚かれるのも無理はないんですがね」
 肩を竦めて、「前の私はこういうものを知らなかったんですよ」と苦笑した。
「ブルー君も、今は当たり前に知っているのでしょうが…」
 話の種にと買って来ました。ご心配無く、今日の夕食はこれにしたいとは言いませんから。



 ブルーの母に案内されて、二階へと。待ち焦がれていたらしいブルーは、母がテーブルにお茶とお菓子を置いて去るなり、ハーレイが自分の椅子の脇に置いた袋の方へ身体を傾けた。
「ハーレイ、それ…。何の荷物?」
「うん? 軽いぞ、俺の夜食にと買って来たんだが…」
 たまにはこんなものも食いたくなる。気に入ったのがあれば譲ってやろうと思ってな。
 欲しいんだったら土産に一つ分けてやるぞ、とハーレイは身体を屈めて袋を開けた。「ほら」と声を掛けつつ、一つ、二つとテーブルの上に重ねてゆく。
 空いたスペースに大きなものから順に乗せていって、崩れないように。
「えーっと…」
 ブルーの瞳が丸くなった。
 様々な器に入った味も色々のラーメンやうどん、いわゆるカップ麺なるもの。湯を注いで待てば出来上がる即席麺が合計六個。
 「一つやるぞ」と言われたものの、ブルーがおやつに食べられそうなものは一個だけ。積まれたカップ麺の山の横、チョコンと置かれたチキンラーメン、それのミニサイズ。
 他のカップ麺はどれも大きく、ブルーにとっては夜食どころか一食分で。



「…うーん…」
 チキンラーメンと他のカップ麺の山とを見比べては、ブルーが悩んでいるから。
「それにしておくか?」
 お前に向いていそうなサイズはそれしか無くてな。
「貰ってもいいの?」
「ああ。ただし、普通の食事もきちんと食べられそうな時に食べろよ」
 そら、とチキンラーメンをブルーに渡してやった。他のカップ麺は「邪魔になるからな」と元の袋に戻して床へ。
 テーブルの上にはブルーが貰ったミニサイズのチキンラーメンしか無くなったけれど。ブルーは怪訝そうな顔でチキンラーメンを見詰めて、首を傾げた。
「お土産はとっても嬉しいんだけど…。なんでカップ麺?」
「晩飯が麺類ってことはまず無いからな」
「無いね。お昼御飯だったら、お蕎麦もあるけど…」
「その蕎麦だ」
 蕎麦だ、とハーレイはニヤリと笑った。
「えっ?」
「蕎麦でもうどんでも、素麺でもいい。ラーメンでもいいが、閃かないか?」
 とにかくその手の麺類ってヤツでピンと来ないか、そのためにカップ麺を買って来たんだが。



「閃くって…。何が?」
 まるで分からない、といった表情のブルー。そうだろうな、とハーレイも思う。自分も今日まで気付かなかったし、カップ麺というヒントを出してもブルーには分からないだろう。
 そのくらいに今や普通の食べ物。何処の家でも食べているもの。
 けれども前は有り得なかった、と気付いた以上は、ブルーにだって教えてやりたい。
 だから…。
「俺は今日、昼飯を食いに入った蕎麦屋で思い出したんだが…」
 この手の食事は有り得ないってな。
「どういう意味?」
「お前、シャングリラで麺をスープに浸して食ったか?」
「麺…?」
「パスタだ、パスタ」
 平たいのとか、貝みたいな形のヤツじゃなくって、スパゲティだとか…。要はヌードル。
 そういった長い麺ってヤツをだ、スープに浸して食っていたか、と訊いている。
 蕎麦とかうどんみたいにたっぷりの汁で、美味しく食っていたかってことだ。



「…そういえば…」
 遠い記憶を遡っていたらしいブルーの瞳が、チキンラーメンの容器に向けられたから。
「どうだ、食ってはいなかったろうが?」
「…うん」
 ビックリしちゃった。お蕎麦とかは普通に食べていたから、気付かなかったよ。
「俺もシャングリラの厨房に居た頃、スパゲティの類を茹でてはいたが、だ」
 茹で汁を捨てたらキッチリ水分を切っていたな、と思ってな。
 水気ってヤツは残っちゃいかんと信じてた。
 絡んでくっついちまわないよう、オイルかバターがあったら入れてはいたが…。
 麺そのものをスープに浸して食おうって発想は無かったな、と。
「それじゃ、ハーレイが買って来たカップ麺って…」
 前のぼくたちが全く知らない食べ物なんだ?
 今じゃ何処でも売っているのに、あの時代には何処にも無かったのかな?
「無かっただろうな、あったら前のお前が何処かで奪っていた筈だ」
 保存食には便利なんだし、積んでいる船もあっただろう。
 しかし、前のお前は奪っちゃいない。
 前の俺たちの頃には無かったな、とは何度か思ったことがあるんだが…。



 カップ麺自体はハーレイも「無かった食べ物」と認識していた。
 前の自分たちはこれを知らなかったと、あったなら便利だっただろうに、と。
 けれど、深く考えてはみなかった。今日の昼食に蕎麦を食べるまで、何とも思っていなかった。ただ漠然と「無かった食べ物」、そう思っただけのカップ麺。
 ところが実際はカップ麺どころか、蕎麦もうどんも無かったのだ。
 前の自分たちが生きた頃には。白いシャングリラで前のブルーと共に暮らした遠い昔には…。
「なあ、ブルー。カップ麺が無かっただけじゃないんだ、この手の文化が無かったんだ」
 保存食だの非常食だのにカップ麺どころか、スープに浸した麺が無かった。
 いや、驚いたぞ、蕎麦屋で食ってる真っ最中にな。
「ホントに普通の食べ物なのにね、お出汁の入った麺類って」
「うむ。味噌とか醤油が無かったってことは考えていたが、蕎麦やうどんは盲点だった」
 考えてみりゃあ、蕎麦もうどんも出汁が要るしな、その出汁の文化が消えていた時代に残ってるわけが無いってもんだ。
 味付けにしたって味噌や醤油だ、どう考えても無くて当然なんだよなあ…。
 今の俺たちはすっかり慣れて、当たり前のように食ってるんだが。
 スープに浸した麺類ってヤツは、前の俺たちは知りもしなかったんだ。



 実に不思議な食い物が今や普通になっちまったな、とハーレイは笑う。
 こういう麺の食べ方をするのは今の自分たちが住む地域の文化で、SD体制の基本となった地域には全く無かった食文化だと。
「スープパスタってヤツがあるだろ、あれも本来の食べ方とは違うそうだしな」
「お店で普通に食べられるよ?」
「この地域ではな。今じゃいろんな料理が食える時代で、パスタの本場にもあるんだが…」
 昔はこういう食べ方は無かった、って但し書きつきの料理なんだと前に本で読んだ。
 あれも元々は日本って島国の食べ物らしい。
 SD体制が始まるよりもずっと昔にパスタの本場にも伝わりはしたが、日本の料理だ。
 麺をスープに浸して食うのが普通の場所だから生まれたんだな、スープパスタも。
「ラーメンは日本生まれじゃないんだよね?」
「あれは違うな、七夕とかと同じで中国から来た食べ物だな」
 もっとも、日本で独自の進化を遂げちまったから、日本の食文化の一部ではあるが…。
 だからこそカップ麺にもラーメンがあるし、カップ麺は日本生まれだしな?
 日本って地域の人はよっぽど、麺をスープに浸して食うのが好きだったんだろうなあ…。



「どの辺まであるの、麺をスープで食べる文化って」
「今はどの辺までだろうなあ…」
 他の星でも蕎麦屋が無いとは言い切れないから、宇宙規模かもしれないが。
 昔は恐らくアジア限定って所だろうなあ、しっかり定着してたのは。
「アジア限定かあ…。マザー・システムが消しちゃうわけだね」
「SD体制の基礎になった文化はアジアの文化じゃなかったからな」
 多様な文化を認めなかったのがSD体制ってヤツだからなあ、統治しやすいよう統一ってな。
 文化でさえも消そうってヤツらが、ミュウなんかを受け入れてくれる筈が無かったな…。
「そうだね、消しちゃった文化も人類の文化だったのにね…」
 せっかく沢山の文化を築いていたのに、統一して消してしまっただなんて。
 それをせっせと元に戻したのがミュウだっていうのが面白いよね、SD体制とはホントに逆。
 だから危険視されちゃったのかな、前のぼくたち。
「おいおい、そいつは結果としてそうなっただけでだな…」
 前の俺たちは文化の復興なんぞを考える余裕も無かったぞ?
 まずは人類にミュウの存在を認めさせよう、って段階だったぞ、文化どころじゃなくってな。



「ふふっ、そうだね」
 そうだったね、とブルーは頷いたけれど。
 遥かな時を超えて生まれ変わった青い地球では、そんな時代は遥かに過ぎ去った昔だから。今の自分たちには無縁とさえ思える遠い昔だから、今の文化の方に惹かれる。
 ハーレイに貰ったカップ麺。ミニサイズのチキンラーメンを指でつついて呟く。
「…和食の文化だけじゃなくって、こういう麺まで消えちゃってたんだ…」
 お湯を注いで、たっぷりのスープで食べる麺。スープやお出汁に浸かってるのが普通の麺…。
「前の俺たちには想像もつかん食べ物だろうが」
 こいつをゼルが見ていたら、だ。何と言うやら…。
「カップ麺にお湯を注いで、出来上がるのを待ってるトコとか?」
「ああ。あいつだったら、時間が来たら迷わずスープごと湯を捨てちまうな」
「それってカップ麺を間違えていない?」
 お湯を捨てるのはラーメンとかじゃなくって焼きそばだよ。
「おっ、知っていたのか、カップ焼きそば」
「友達が買って来てくれて家で食べたよ、全部は食べ切れなかったけれど」
 美味しかったけど、こんなミニサイズじゃなかったんだもの。おやつに向いていないよ、アレ。
「そうだろうなあ、それをおやつに食わされたのか」
「計算ずくだよ、「お前、こんなに食えないだろうから先に貰っておいてやる」って」
 自分の器に沢山持って行ったよ、ぼくの分のカップ焼きそばを。
「そう来たか!」
「うん」
「いい友人なんだか、ずるいんだか…。で、食い切れたか?」
「ぼくの器に残った分はね」
 でも、あれ以上あったら無理。ぼくの分まで食べちゃった友達は凄いと思うよ、本当に。



 カップ焼きそばは量が多すぎた、とブルーは嘆いて、でも知っていると自慢して。
「ぼくだってお湯を捨てちゃうカップ麺を知ってるんだよ、ホントだよ」
 ドキドキしながらお湯を捨てたけど、ゼルだったら普通のカップ麺でもお湯、捨てちゃうよね。湯切口なんかついてなくても、出来上がったらスープごと全部。
「ブラウでもヒルマンでもエラでも捨てるぞ、まず間違いなく」
 具まで一緒に捨てちまわないよう、慎重にな。
「うん。そして「美味しくない」って言いそうだよね」
「美味いスープを全部捨てちまっているからなあ…」
 具が残ってても不味いだろうさ。
 そういうカップ麺は食いたくないなあ、大いに邪道なカップ麺だぞ。
「だよね、スープと一緒に食べなきゃ美味しくないよね」
 カップ麺でなくても、お蕎麦とかでも。
 茹でた麺だけドカンと出されて「食べて下さい」って言われちゃったら困るよ。
 トロロとかウズラの卵がついていたって、お出汁無しでお蕎麦は食べられないよ…。



「ふうむ…。ゼルたちが蕎麦だのラーメンだのを食うと思うか?」
 あいつらの前に、今日、俺が食って来た月見天蕎麦。…置いてやったらどうなるだろうな?
 最高に美味い蕎麦だったんだが、あいつらの目には美味そうには映らないんだろうなあ…。
「チャレンジしたら美味しいだろうけど、食べるまでがね…」
 疑いの目で見られそうだよ、たっぷりのスープに麺が浸かっているんだから。
「こいつは本当に食えるのか、と訊いてくるのは間違いないな」
「ちょっと茹ですぎじゃないのかい、とかね」
 言われそうだよ、茹ですぎだって。茹で汁だって捨てていないじゃないか、って。
「実際、麺は茹ですぎたら不味くはなるんだが…」
 それにスープに浸かった麺もだ、早く食べないと伸びちまって不味くなるんだが…。
 考えてみると面白いよなあ、スープさえ無きゃ伸びないんだしな?
 ざるそばなんかは理に適ってるな、食べる分だけ浸すんだしな。



「…前のぼくだとどうなったかな?」
 ハーレイが食べた月見天蕎麦、前のぼくも警戒しちゃってたかな?
 美味しそう、って眺める代わりに、変な食べ物だと思って見てるだけかな…。
「俺も正直、前の俺でも食えただろうという自信が無い」
 まあ、他に食い物が無いとなったら食うんだろうが…。
 そして「意外に美味いじゃないか」と思うんだろうが、月見天蕎麦はいいとしてだ。
 前の俺がラーメンを食う羽目になったら、まず間違いなくスープは残していただろうな。これは飲めんと、たとえ味付きでも茹で汁なんぞは論外だと。
「えっ、ハーレイ、ラーメンのスープも飲むの?」
「飲んじゃいかんか?」
 スープを飲むために散蓮華だって添えてあるだろうが。
「ぼくも少しは飲むんだけれど…」
 残すとか残さないとか以前に、あれって全部飲み切れるもの?
 ハーレイ、「残していただろうな」なんて言ってるからには全部綺麗に飲んじゃうんだよね?
「当たり前だろうが、美味いスープは飲まんとな」
 ああいうスープは少し作っても美味くならないんだ、でっかい鍋で仕込まないとな。
 自分の家では作れん味だし、たまに食うなら飲み干してこそだ。



「…凄いね、ハーレイ…」
 ブルーは心底、ハーレイを尊敬したのだけれど。
 自分にはとても飲み切れない量のスープを平らげるハーレイを凄いと思ったのだけど。
 そのハーレイは「ふむ」と小さなブルーを見遣って、唇に笑みを浮かべてみせた。
「なるほどなあ…。お前、頑固親父のラーメン屋には入れません、ってか」
「なに、それ?」
 一体どういう意味なのだろう、とキョトンとするブルーに、ハーレイはこう教えてやった。
「スープに自信満々の店だ。飲み切れないと「不味いのか?」と訊かれるんだ」
 そして機嫌が悪くなるわけだな、店の親父の。
「……本当に?」
「いるぞ、昔の日本気取りの頑固な親父」
 この辺りが日本だった頃には、そんなラーメン屋が幾つもあって有名だったそうだ。
 それを気取っているわけなんだが、そういう店に限ってラーメンが美味い。
 本当に美味いラーメンを食わせる店に行きたきゃ、スープは飲み干すのが礼儀だってな。
「……嘘……」
 ラーメン屋さんって、そんな仕組みになってるの?
 ぼく、ラーメン専門のお店に行ったことが無いから知らなかったよ…!



 スープを全部飲まなきゃいけないなんて、とブルーが目を丸くしているから。
 赤い瞳がすっかり真ん丸になっているから、ハーレイは「うーむ…」と腕組みをして。
「いつかお前を連れて行くとなったら、美味いラーメン屋は無理だな、蕎麦にしておくか」
 美味い蕎麦屋に連れてってやるさ、心当たりは幾つもあるしな。
「…ラーメン屋さんだと、ぼくがスープを飲み切れないから?」
「そういうことだ」
 お前、どう転んでも飲み切れないだろ、ラーメンのスープ。
 美味い店だと大人相手で、お子様用のミニサイズなんかは無いからなあ…。
「ハーレイ、それ…。スープ、ぼくの代わりにハーレイに飲んで貰ったらどうなるの?」
「俺がお前のスープをか!?」
「うん」
 それならスープは残らないよ?
 残さなかったらお店の小父さん、機嫌が悪くはなったりしないと思うけど…。
「……そいつは想定外だった。代わりに飲むのはアリかもなあ…」
「ホント?」
「頑固親父に思い切り冷やかされそうだがな」
 スープ顔負けの熱いカップルだとか、熱々だとか。
 店中の視線が集まりそうなくらい、うんと冷やかしてくれそうな気がするなあ…。



「じゃあ、ラーメン」
「なんだと?」
 思わぬ言葉にハーレイは目を剥いたのだけれど、ブルーは澄ました顔で答えた。
「お蕎麦よりラーメンを食べてみたいよ、スープを残したら駄目なお店で」
 だって、せっかくハーレイと結婚して二人で食べに行くんだよ?
 冷やかされてみたい。熱々だって言って欲しいよ、お客さんが沢山来ている所で。
「お前なあ…」
 冷やかし希望って、大勢が見ている場所でか、おい?
「そうだよ、今度はちゃんと結婚出来るんだもの」
 前は結婚どころか誰にも内緒で言えなかったし…。
 今度は堂々と何処でも二人で出掛けられるから、熱々ですねって言われてみたいよ。



「…そんな理由で頑固親父のラーメン屋になあ…」
 それがお前の希望なのか、と頭を抱えそうになったハーレイだけども。
 前の生から愛し続けた恋人の望みがそれであれば、と心が幸せにほどけてゆくから。
 冷やかされたいと口にするブルーが愛らしくて心が蕩けそうだから…。
 まあいいか、とハーレイは笑って希望を受け入れてやる。
「分かった、いつかはラーメン屋だな」
 お前がスープを飲み切れなければ、俺が代わりに飲むんだな?
「うんっ!」
「よしよし、そして頑固親父に冷やかされる、と」
 それは全くかまわないのだが、と恋人に一つ注文を付けた。
 頑固親父のプライドを傷つけないよう、少しはスープを努力して飲めと。
 飲み干す練習だけでもしておいてくれと、まずはこのミニサイズのカップ麺からだ、と…。




        麺とスープと・了

※SD体制の時代には無かったカップ麺。それにスープたっぷりの麺類たちも。
 今なら普通にあるのが麺類、いつかは二人で頑固親父のラーメンを食べに行くのでしょう。
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