シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(やっぱり、子供だ…)
鏡に映った、子供の顔。十四歳の小さなぼく。
背丈がちっとも伸びてくれないから、顔立ちだって変わってくれない。子供っぽい顔で、少しも大人びてくれやしないし、パパもママも、それにハーレイも子供扱いしてくれるんだ。
大好きなハーレイと再会した日から、変わらないぼく。
五月の三日から変わらないまま、背丈が百五十センチのまま。
(うーん…)
これで慣れちゃったんだけど。
いつまでもこれだと困るけれども、もう慣れた。
ハーレイだって「ゆっくり育てよ」って言ってくれるし、時が来たらきっと育つんだろう。
大きくなりたいって焦らなくっても、その時が来たら、きっと自然に。
(それでもミルクは欠かさないけどね?)
毎朝、必ず一杯のミルク。幸せの四つ葉のクローバーが描かれた瓶に入ったミルク。
早く背丈が伸びますように、って祈りをこめてミルクを飲むことは忘れない。
今のぼくの大切な習慣がこれで、背丈が伸びないことを除けば悩みも無くて幸せ一杯。
優しいパパとママがいる家で暮らして、ハーレイだって家を訪ねて来てくれるんだ。いつか結婚出来る日までは「またな」って帰って行っちゃうけれども、ハーレイはちゃんと来てくれる。
おまけに青い地球に住んでて、本当に幸せ一杯のぼく。
(だけど…)
ぼくと全く同じ顔をしていた、前のぼく。
アルタミラの研究所に閉じ込められてて、来る日も来る日も人体実験ばっかりだった。檻の中に独り、仲間と話せる機会すら無くて、心も身体も成長を止めた。
あの頃のぼくは、心まで子供のままだったのに。
成人検査を受けた時から変わらないままで、今のぼくと同じ十四歳の子供の筈だったのに。
(どうして頑張れたんだろう…)
アルタミラがメギドに滅ぼされた日に、ハーレイと二人で沢山の仲間を助け出したぼく。
幾つものシェルターを開けて回って、閉じ込められてた仲間たちを救い出したぼく。砕けてゆく星の上を走って、メギドの炎に焼かれた地獄の中を走って。
(今のぼくと変わらない筈なんだけどな…)
遠い記憶の中にいるぼくは、今のぼくとおんなじチビで、子供で。
あの日、初めて研究所の外の世界を見たってくらいに、記憶も失くしてしまってた。今のぼくと違う所はサイオンだけ。タイプ・ブルーが持ってるサイオンを使えたっていう所だけ。
(そこだけしか違わないんだよ…)
今のぼくより長く生きてても、それに見合った心も身体も持ってないんじゃ、ぼくとおんなじ。
それなのに違った、前のぼく。今のぼくより、ずっと頑張っていた前のぼく。
(…アルタミラなんて…)
いくらサイオンが強いと言っても、メギドで壊れた研究所の外の世界は燃え盛る地獄。
あんな所を、今のぼくなら走れない。
研究所では靴さえ履いていなくて裸足で、今のぼくなら地面が熱くて走れやしない。瓦礫で足の裏が痛くて痛くて、走るどころか歩くのがやっと。
(それに真っ赤に燃えてるんだよ…)
空まで炎に染まってた世界。この世の終わりを、星の最期をそのまま描いた恐ろしい世界。
ハーレイが側についててくれても、足が竦んで動けなくなる。
怖くて一歩も歩けなくなる。
ハーレイに抱えて走って貰えば、他の仲間を助けに行けるかもしれないけれど…。
(…でも…)
やっぱり、今のぼくには怖い。思い出しただけで怖くてたまらない。
空を焦がすほどに大きな炎は見たこともないし、地面が割れてゆく地震だって知らない。
前のぼくは両方知っているけど、今のぼくはどっちも知らないんだ。
(…あの火だけでも怖すぎだよ…)
ぼくが知ってる一番大きな火は、キャンプファイヤー。
休んでしまったこともあったけど、前の学校のサマーキャンプで囲んだ炎。
あれは楽しい火で、怖くなかった。とても大きい火だったけれども、大人がついてて見守ってた火。点火してから燃え上がるまでをワクワクしながら待っていたんだ、友達と一緒に。
(雨が降らないように、お祈りもしたよ)
キャンプファイヤーが出来なくなったら困るから。
楽しい時間が無くならないよう、晴れるようにとみんなでお祈りしていたくらい。怖くなかったキャンプファイヤー。
マシュマロを焼いて食べたりしたから、火の近くだって行ったんだ。
(頬っぺたとかが熱くなるんだよ)
火の粉だってパチパチ飛んでいたけれど、平気でマシュマロを焼いていたぼく。もっと焼こうと棒に刺しては、キャンプファイヤーの側まで行っていたぼく。
だけど、メギドの火なんか知らない。空が真っ赤に染まる火なんかは見たことがない。
今のぼくが見たら腰が抜けるか、気絶しちゃうか、どっちかなんだ。
地震だって、そう。
今のぼくが住んでる地域は、昔の日本が在った辺りになるんだけれど。
日本は地震が多かったらしいと聞いているけど、今は地震は滅多に無くって、揺れたことすらも分からないくらい。たまにカタッと小さな音がして、何の音かと思う程度で。
だから激しく揺れ動く地面も地割れも知らない。
アルタミラでハーレイと二人で走った、波打つような地面を知らない。それに地鳴りも。
今のぼくがあんな地震に遭ったら、腰が抜けるか、気絶しちゃうか。
とてもじゃないけど走れやしないし、他の誰かを助け出すなんてことも出来っこない。
(前のぼく、なんで頑張れたんだろ…)
ハーレイが居たから頑張れたってわけではないと思うんだけど…。
今のぼくならハーレイが居ても、気絶しちゃうか、腰が抜けるか。
でも、前のぼくもハーレイが声を掛けてくれるまでは座り込んでいたし、腰が抜けてた?
「お前、凄いな」って助け起こしてくれたハーレイ。
もしもハーレイに出会わなかったら、腰が抜けたままで逃げ遅れちゃった?
船に乗れずに、アルタミラと一緒に前のぼくの命も終わっちゃってた?
ぼくがなんとかしなくっちゃ、って閉じ込められてたシェルターを壊しはしたけれど…。ぼくと一緒のシェルターだった人たちが逃げられただけで、前のぼくはあそこで死んじゃってた?
そういうことも起こっていたかもしれない。
ハーレイが助け起こしてくれなかったら、ハーレイと出会っていなかったなら。
それでも頑張った前のぼく。ハーレイと二人で、大勢の仲間を助け出したぼく。
なのに、今のぼくは同じチビでも、うんと弱虫。
子供の頃にはフクロウのオバケが怖くて泣いたし、雷だって怖かったんだ。今だって前のぼくが見たメギドの炎や地震が怖くてたまらない。
こんなぼくが今、アルタミラの地獄で役に立つとは思えない。気絶しちゃうか、腰を抜かすか。
ぼくは弱虫になっちゃった…?
前のぼくとそっくり同じ顔でも、すっかり弱虫になっちゃった…?
(メギドだって…)
アルタミラを壊したメギドじゃなくって、前のぼくが宇宙に沈めたメギド。
白い鯨を、仲間たちを守ろうと命と引き換えに沈めたメギド。
今だって後悔はしてないけれど。
ハーレイの温もりを失くしてしまって冷たく凍えた右手はともかく、やり遂げたんだって思っているけど…。
あれで良かったと、ああして良かったと少しも後悔してないんだけど。
そう考えてるのは、ぼくが引き継いでる前のぼくの部分。前のぼくが良かったと思ってるんだ。自分の役目をちゃんと果たせたと、やるべきことをやったんだと。
それに引き換え、今のぼく。
メギドまで飛べる力すら全く持ってない上、飛んで下さいって言われたら逃げる。
飛ばなきゃいけないことになったら、怖くて逃げ出してしまうと思う。
だって、独りぼっち。
仲間なんか誰もいない所へ、敵ばかりの所へ独りぼっちで飛んで行かなきゃいけないんだから。
おまけに行ったら確実に死ぬ。
メギドと一緒にぼくの命も尽きてしまって、生きて戻って来られやしない。
(…死んじゃうに決まっているんだもの…)
死んでしまったらパパにもママにも二度と会えないし、ハーレイにだってもう会えない。
ハーレイは例外で、また会えるのかもしれないけれど。今みたいに会えるかもしれないけれど。
神様が「また会えますよ」って言ってくれても、絶対に嫌だ。
メギドなんかに飛びたくはないし、行きたくもない。
だって、死んじゃう。
御飯もおやつも全部なくなる。
この部屋にだって、帰って来られなくなっちゃうんだもの…。
(前のぼくって…)
どうしてあんなに強かったんだろう。
メギドを沈めた頃は子供じゃなかったけれども、前のぼくの記憶は残っているから。
今のぼくの中に残っているから、今のぼくが大きく育った時にはどう考えるか想像がつく。今のぼくには、絶対に無理。大きくなっても、前のぼくみたいに強くはなれない。
(…前のぼく、ホントに強すぎなんだよ…)
ぼくには真似の出来ない強さ。それが不思議でたまらない。
(なんで平気でいられたの…?)
前のぼくがナスカで目覚めた時。キースを取り逃がしてしまった後。
死んじゃうんだってことが分かっていたのに、どうしてハーレイの邪魔をしないで青の間に居ることが出来たんだろう?
逃げ出しもせずに平気な顔して、シャングリラに居られたんだろう…?
フィシスには会いに行ったけど…。
行ったけれども、フィシスを慰めて帰って来ただけ。自分の運命は話さなかったし、同じ予感を抱くフィシスに「大丈夫」とまで言ってのけた、ぼく。
(ホントのホントに強すぎだってば…)
今のぼくには逆立ちしたって言えない言葉。
自分が不安でたまらないのに、他の人まで心配している余裕なんか無い。
その上、前のぼくが誰よりも会いたいと願ったハーレイ。本物の恋人同士だったハーレイ。
長い眠りから覚めたというのに少しだけしか会えなかったし、二人きりじゃなくてゼルたちまで居た。ソルジャーの立場でハーレイと会った。
たったそれだけ、ほんの僅かな青の間でハーレイと話せた時間。
(あれっきり会えなかったのに…)
次に会える時は前のぼくの命が終わる時だと知っていたくせに、何も言わずに見送ったぼく。
ゼルたちと青の間を出てゆく背中を、追い掛けもせずに見ていたぼく。
ハーレイは「船が落ち着いたら、スープを作りに来ますから」って約束してくれたけれど、その野菜スープを食べられることは二度と無いんだって、知っていたぼく。
それなのに何一つ言わなかったなんて、ぼくには信じられない強さ。
(…大きくなっても、ぼくには無理だよ…)
今のぼくなら、我慢できずに我儘を言う。
ブリッジで忙しくしているハーレイに思念を送って、「スープを作りに来てよ」って頼む。
夜だって青の間に居て欲しいと強請るし、その内、ポロッと言っちゃうんだ。
「ぼく、死んじゃうよ」って。
「死にたくないよ」って。
決して言ってはならない言葉を、心に仕舞っておくべき言葉を。
そしたらハーレイは抱き締めてくれて、ぼくをメギドへは行かせないだろう。
ぼくだって怖くて、ハーレイの側から離れたくなくて、行けなくて。
白い鯨は沈んでしまって、それっきりなんだ。
前のぼくがメギドを止めなかったら、そうなるしか道は無いんだから。
おまけにとても弱虫なぼくは、白い鯨が沈みそうな時にハーレイを呼んでしまうと思う。
一緒にいて、って。
怖いからぼくと一緒にいて、って、青の間でぼくを抱き締めていて、って。
そして本当にシャングリラが沈みそうなら、ハーレイはぼくの所に来てくれるんだろうか…。
(…ぼくの恋人だけど、キャプテンなんだよ…)
キャプテンだった、前のハーレイ。シャングリラの船長だったハーレイ。
船が沈む時、船長は最後まで船に残らなきゃいけなかった、って時代があった。
今は違うけど。
残ったお客さんがタイプ・ブルーだったりしたら、逃げなかった船長は無駄死にだから。下手に残れば船長だけが死んだりするから、今はそういう決まりは無い。
でも、前のぼくたちが生きていた頃は、まだその精神も決まりも生きていた筈。
(…ハーレイなら、どうしていたんだろう…)
前のぼくを選んで青の間に一緒にいてくれたのか、最後までブリッジを離れなかったか。
どっちなんだろう、と悩むまでもなく、ハーレイが取りそうな動きは分かる。
(きっと、ブリッジ…)
責任感が強かったハーレイ。
前のぼくが最後に残した言葉を守って、シャングリラを地球まで運んだハーレイ。
そんなハーレイがブリッジを捨てるわけがない。最後までシャングリラの舵を握ってブリッジに立っているだろう。白い鯨が沈む時まで、シャングリラが最期を迎える時まで…。
(…やっぱり、ぼくは独りぼっちだ…)
メギドへ飛んでも、飛ばなくっても、独りぼっちで死んでしまうぼく。
弱虫のぼくでも、独りぼっちで青の間で泣きじゃくりながら死んじゃうらしい。
側にいてほしいハーレイがいないと、ブリッジに行ってしまって帰って来ないと。
(…ぼくがシャングリラを守らなくても、ハーレイはちゃんと守るんだ…)
本当に守れるかどうかはともかく、キャプテンとしての仕事は最後までやり遂げる。ブリッジを離れず、最後まで指揮を執り続ける。少しでも長く持ちこたえるよう、白い鯨が沈まないよう。
そうすることが出来るハーレイは強くて、泣いてるだけのぼくは弱虫。
メギドに飛べないぼくは弱虫。
そうなんだな、って溜息をついた。
今のハーレイも精神はとても強そうなんだし、最後までブリッジに立てそうだよね…。
すっかり弱虫になってしまった、今のぼく。
ハーレイはそうじゃないんだろうな、と考えていたら、仕事帰りに寄ってくれたから。
ぼくの部屋で二人、テーブルを挟んで向かい合わせでお茶を飲みながら訊いてみた。
「ハーレイ、前より弱虫だと思う?」
「誰がだ?」
「今のハーレイ。…前のハーレイより弱虫だな、って思うことはある?」
「そりゃまあ、なあ…。随分と弱くなったと思うが」
生きるか死ぬか、って目にも遭っちゃいないし、何より平和な世界だからな。
青い地球に生まれて、呑気に生きて。
前よりも強い筈がないだろ、格段に弱くなってるぞ、きっと。
そう言って笑ったハーレイだけれど、ぼくみたいな弱虫の筈は無いから。
きっと強いに決まっているから、質問をちょっと変えてみた。
「じゃあ、アルタミラで走ることは出来る?」
メギドの炎で燃えてた地獄を、今のハーレイでも走ることが出来る?
「走れるさ、お前と一緒ならな」
アルタミラってことは、お前も一緒にいるんだろう?
それで走れなきゃ男が廃るな、何のために鍛えているんだ、ってな。
「ぼくが腰を抜かしてしまっていたら?」
腰が抜けてたら、ぼくは一緒に走れないんだけど…。走るどころじゃないんだけれど…。
「そしたらお前を抱えて逃げるさ、他のシェルターを開けて回るのは諦めるな」
「ホント?」
「腰を抜かしているってことはだ、そいつは今のお前なんだろ?」
「うん」
弱虫になってしまったぼくだよ、メギドの火も地震も怖いんだよ。
「なら、仕方ない。そんなお前でも、閉じ込められてたシェルターくらいは壊せるだろうしな」
あれだ、火事場の馬鹿力っていうヤツだ。
俺の家まで瞬間移動で飛んで来ちまったろ、一回だけな。メギドの夢が怖かったとかで。
人間、追い詰められた時には凄い力が出るもんだ。
シェルターを壊した力もそいつだったと思うまでだな、他のシェルターまでは手が回らんと。
だからだ、腰を抜かしたチビのお前を抱えて逃げるさ、船のある方へ。
お前さえ俺の腕の中に居りゃ、今の俺でもアルタミラは充分走れるな、うん。
「それじゃ、メギドは?」
「はあ?」
今の話とは別なのか、ってハーレイが訊くから、「ナスカの方」って説明した。同じメギドでもナスカの方だと、ナスカを燃やしたメギドなんだ、と。
「あれでナスカが燃えちゃう前にね…。ぼくが「もうすぐ死ぬんだ」って言ってたら…」
ぼくはもうすぐ死んでしまうんだ、って言っていたなら、スープを作りに来てくれる?
野菜スープを作るためにブリッジを抜けて来てくれる?
「予知なのか、それは。…死ぬってヤツは」
「漠然とね」
なんで死ぬのかは分かってないけど、シャングリラを守って死ぬんだな、って。
みんなの命を守るために死ぬってことしか分かってないけど…。
「…そいつはスープを作るどころの騒ぎじゃないな」
俺はブリッジを離れて青の間に詰めるぞ、キャプテンの権限を行使してな。そして指揮する。
青の間からでも指揮は出来るだろ、ある程度の設備はあるんだからな。
「ホント?」
「ああ。ついでにメギドにも行かせないさ」
お前が行くと言っても止める。
行かせたら死ぬと分かっているんだ、俺は全力で止めるってな。
何があっても行かせやしない。たとえメギドの第一波が来たって、俺はお前を引き留めるぞ。
弱虫のお前なら止められる筈だ、とハーレイが言うから。
俺の力でも青の間に引き留めておける筈だ、と自信たっぷりに言い切るから。
ぼくは、そうなった時に何が起こるか、おっかなびっくり、口にしてみた。
「シャングリラ…。沈んじゃうよ?」
ぼくがメギドを止めなかったら、シャングリラは沈んでしまうんだよ?
第一波の被害は食い止められても、次の攻撃が来たらおしまいなんだよ…?
「分かっているさ。とりあえずブリッジに走って行って、だ」
被害状況を確認した上で、必要な指示を出したらトンズラだな。
「トンズラ…?」
「逃げるって意味の言葉だ、逃げるってことだ」
「何処へ?」
「青の間に決まっているだろう。指揮を執る、と言って逃げるさ、青の間までな」
誰も怪しんだりはしないぞ、青の間にはお前が居るんだからな。
前のソルジャーの側で指揮を執るなら、ブリッジよりもいい知恵が出るかと思う程度で。
それっきり俺が戻らなくっても、別に問題無いだろう?
どうせシャングリラは沈むんだ。死んじまったら誰も文句を言いに来ることは無いからな。
後のことは俺は一切知らん、と鼻でフフンと笑うハーレイ。
古典の授業風に表現するなら「三十六計逃げるに如かず」だなんて、言ってるハーレイ。
とんでもないことを聞いちゃったような気がするから。
「まさか、ハーレイ…」
それって、ブリッジを放り出すって意味なんじゃあ…?
「お前の側に居るってことだ。シャングリラが沈む瞬間までな」
「でも、キャプテンは…。今と違って、前のぼくたちの頃のキャプテンは…」
「船を離れなきゃいいんだろうが」
最後までな。俺は船から離れちゃいないぞ、ちゃんと青の間に居るんだからな。
「屁理屈だよ?」
ブリッジにいなきゃ駄目なんじゃないの、そんな時には?
沈みそうなら、キャプテンはブリッジに詰めていないと駄目なんじゃないの…?
「いいんだ、俺は自分に正直に生きる。もう懲りた」
「前のぼくの時に?」
「ああ。前のお前を行かせちまって、嫌と言うほど懲りたんだ」
もしも同じ状況が巡って来るなら。
そしてお前がメギドに飛ぶ前に、俺に全てを打ち明けるような弱虫だったら。
俺はお前を離しはしないし、お前と一緒にシャングリラごと宇宙に沈んでやるさ。
それでいいだろ、お前だって?
最後まで俺と二人でいられて、独りぼっちじゃないんだからな。
「…そうなんだけど…」
ハーレイと一緒にいられるんなら嬉しいけれど、と答えたけれども、手放しで喜べない気がして来たぼく。
二人一緒に死ぬのはいいけど、シャングリラは沈んでしまうんだから…。
「ねえ、ハーレイ。…それをやっていたら、ぼくたち、地球に来られたと思う?」
今の地球に二人で来られたと思う?
二人揃って好きなようにやって、シャングリラを沈めてしまっていたら。
「…青い地球ってヤツが存在しないんじゃないか?」
俺たちが好き勝手にした罰かどうかは置いておいて、だ。
シャングリラが沈んでしまっていたなら、ミュウの時代が来ていたかどうか…。
この地球だって無事に蘇ったかどうか、まるで見当が付かないからなあ…。
全く別の道を歩んで、結果は同じって可能性もゼロではないが。
しかし、今の俺たちが習う歴史じゃ、前のお前のお蔭でミュウが生き延びて、ミュウと人類とが手を取り合って。マザー・システムから地球を守って、蘇らせたってことになっているしな。
この青い地球は前のお前がいなけりゃ存在しない、って教わるだろう?
「そういえば…。もしかして、地球に来られたことって、御褒美?」
神様がくれた御褒美なのかな、逃げずにちゃんと頑張ったから。
「そうかもしれんな、前のお前が頑張った分の」
ついでに俺が無茶をやらかさずに、シャングリラをきちんと守った分もか?
お前と一緒にシャングリラごと沈む方へは行かずに、地球まで運んで行きました、ってな。
御褒美かもな、ってハーレイも頷いたから。
青い地球に来られたことが神様のくれた御褒美だったら、次はどうなるのか、ちょっぴり心配。
弱虫になってしまったぼくには、御褒美は何も来ないんだろうか?
「…それなら今度も頑張らないと、次の御褒美、貰えないかな?」
今みたいに凄く素敵な御褒美、今のぼくだと貰えないかな…?
「欲張るな。分相応って言葉があるだろ、今の俺たちには小さなつづらで充分だってな」
授業で言ったろ、舌切り雀。
自分が背負える小さなつづらを貰って帰ったお爺さんには宝物でだ、欲張って大きい方を貰ったお婆さんにはオバケでした、って昔話だ。
分相応の御褒美ってヤツを神様はちゃんと下さるさ。小さなつづらに一杯分な。
「前のぼくみたいに頑張らなくても、小さな御褒美、貰えるんだ?」
「多分な」
「なんの御褒美だろ?」
何を頑張ったら、神様が御褒美をくれるのかな?
「俺の嫁さんを頑張ればいいんじゃないか?」
今度のお前の目標はそれだろ、俺の嫁さん。
それをきちんとやっておいたら、頑張った御褒美を神様が用意して下さると思うぞ。
「そっか!」
ハーレイのお嫁さんを頑張ればいいのか、と納得した、ぼく。
弱虫になってしまったぼくでも、お嫁さんなら頑張れそう。アルタミラの地獄を走れなくても、メギドを沈められなくても。
大好きなハーレイのお嫁さんなら、頑張れなんて言われなくても頑張れる。
弱虫のぼくでも出来そうなこと。ハーレイのために出来そうなことが沢山、沢山。
「お料理とかを頑張ればいいんだね!」
ハーレイが好きな、ぼくのママが焼くパウンドケーキ。
あれを覚えて焼けるようになるとか、ハーレイのお母さんと一緒にマーマレードを作るとか。
もちろん、普通のお料理も!
「そんなに頑張らなくてもいいぞ? 俺も料理は得意だからな」
どちらかと言えば食わせたい方だ、お前は俺が作った料理を食ってくれれば充分なんだ。
俺が喜んでいればそれでいいのさ、嫁さんになって俺の家にお前が居てくれれば。
「それで御褒美、貰えちゃうの?」
「貰えると思うぞ、今の俺たちに見合ったのをな」
前の俺たちほど凄くないから、今よりも凄いのを下さいと言っても無理だろうが…。
凄いと言っても、今の世界じゃこれが普通の生活だしな?
今よりも落ちるってことだけは無いさ、御褒美と名前が付くからにはな。
幸せの量は増える筈だ、ってハーレイが笑顔で話してくれるから。
前のぼくたちと今のぼくたちとの違いほどには増えなくっても、幸せは増える筈だと言うから。
「どんな御褒美を貰えるのかな?」
「さてなあ…。俺はお前と一緒だったら何でもいいが」
お前と一緒に暮らせるんなら、もうそれだけで幸せだからな。
「ぼくも。…ハーレイと一緒だったら、それで充分」
きっとそれだね、次の御褒美。ハーレイと一緒。
ハーレイのお嫁さんを頑張っておいたら、次もハーレイと一緒なんだよ。
「そういう褒美なら、いつまでも貰っておきたいもんだな」
「うん。弱虫なぼくでも貰えるといいな、次の御褒美」
御褒美を貰って、ハーレイと一緒。それが欲しいよ、次の御褒美に。
「うむ。貰えるように神様に御礼を言っておけばいいんだと思うぞ、幸せです、って」
「もう何回も言ってるよ?」
ハーレイと会えて幸せです、って。青い地球に来られて幸せです、って。
「もっとだ。一生、御礼を言わんとな? 幸せだったら」
「そっか、一生分なんだね。一生、ハーレイと一緒で幸せです、って言っていたら、きっと…」
またハーレイと一緒なんだね、弱虫のぼくでも。
前のぼくみたいに強くなくても、弱虫のぼくでもかまわないんだね?
ハーレイが「うむ」って微笑んでくれて、ぼくの心は幸せな気持ちで一杯になった。
弱虫になってしまったぼくだけれども、それに見合った小さな御褒美。
うんと背伸びして頑張らなくても、神様はちゃんと見ていてくれる。
弱虫のぼくには、小さな御褒美。
だけど、それだけで充分すぎるし、欲張りたいとも思わない。
ハーレイといつまでも、何処までも一緒。
それがぼくには、何よりも最高の御褒美だから…。
弱虫なぼく・了
※前に比べて、弱虫になったと自覚している今のブルー。「メギドだって無理」と。
けれど今度も、きっと御褒美は貰える筈。小さなつづらの分の幸せでも、ハーレイと一緒。
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