シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(わあっ…!)
ブルーの瞳を引き付けた、それ。学校帰りの路線バスの中。
座った席から見るともなしに見たバスの前方、運転席のすぐ脇の所。
バスを降りる人が取ってゆけるよう催しなどのチラシが吊られている場所だけれど、「釣り」と書かれた二文字が目に入った。
ハーレイの父が好きだという釣り。しかも「一日釣り名人」と謳ったチラシ。
「釣り」の二文字がグンと大きく強調されたそれが、もう気になってたまらない。
(どんなのかな?)
考えただけでドキドキしてきた。
子供向けのイベントのようだけれども、対象年齢はどのくらいだろう?
自分も子供には違いないのだし、ああいうイベントに行けたなら…、と胸が高鳴る。
(んーと…)
もっと詳しく見たいと思うが、今のブルーはサイオンの扱いがとことん不器用。チラシの場所に狙いを定めて拡大しては眺められない。
チラシを取って来れば済むものとはいえ、こんな日に限って前の方の座席が埋まっているから、取りに行くなら鞄を置いて行き、再び戻って来なければ…。
(…降りる時に貰えばいいんだよね)
バスに乗っている時間は短いのだから、ほんの少しの間の我慢。降りる時に貰えばいいチラシ。
自分くらいの年が対象のイベントだったら…、と夢が膨らむ。あのイベントに行きたくなる。
一度もやったことが無い釣り。ハーレイの父が大好きな釣り。
ハーレイから「俺の親父は釣りが好きでな」と聞かされるまでは、さして興味の無かった釣り。友人が休日に釣りに行くのだと話していたって、羨ましいとは思わなかった。
けれど今では憧れの釣り。
ハーレイの父が、ブルーを連れて行ってやりたいと思ってくれているらしい釣り…。
チラシから目を離せないまま、バスはいつものバス停に停まり、降りる時に目的のものを貰って降りた。「一日釣り名人」の文字が躍ったチラシ。
バス停に降りるなり、走り去るバスを振り向きもせずにチラシを覗き込んだのだけれど。
(えっ?)
澄んだ川の写真がメインに刷られた、「一日釣り名人」のイベント。
対象年齢はまさにブルーの学校に通う子供たちの年。下の学校に通う子供向けにも同時開催。
(ぼく、行けるんだ…!)
釣りへの道が一気に開けて、グッと近付いたような気がする。
歩きながら読みたいくらいだけれども、あまり褒められたことではないし…。
(そういう時に限って、ご近所さんに会っちゃうんだよ)
すれ違うとか、生垣越しに「お帰りなさい」と声を掛けられるとか、「こんにちは」とか。
チラシに夢中で生返事をしては失礼なのだ、ということくらいは充分に分かる。ブルーの年なら「微笑ましい」と済ませてくれるだろうけれど、それはつまりは子供扱い。
(子供じゃないしね!)
十八歳になったら結婚しようと決めている以上、子供扱いは御免蒙りたい。チラシの中身は気になるのだけど、もうすぐ結婚する自分に相応しく、此処は礼儀を優先で。
読みたい気持ちをギュッと押さえ付け、ブルーはチラシを鞄に仕舞った。
家に帰って、制服から普段着に着替える暇ももどかしく、部屋で立ったまま読んでみたチラシ。鞄の中から引っ張り出して来た、大切なチラシ。
(釣り入門…!)
学校に通う年齢の子供たちのための一日講習会。初めて釣竿を握る子供でも釣り名人に、というコンセプト。だから「一日釣り名人」。
秋は釣りを始めるのにピッタリの季節だと書かれてあった。冬を越すための「荒食い」とやら。魚たちが活発に餌を食べるから、初心者の腕でも釣りやすいという。
チラシの写真の川に棲んでいる、鯉やフナにウグイ、ハゼといった魚。それらを釣ろう、と魚の写真も載っていた。写真の下には魚たちの大きさと紹介文も。
その上、「一日釣り名人」。釣り名人たちが大勢、指導に来てくれるらしく。
(ハーレイのお父さん、これに来るとか!?)
釣り好きな上に名人なのだと聞いていた。海でも川でも出掛ける釣りの達人なのだと。
もしも隣町から来て参加するなら、是非会ってみたい。
ハーレイは「ヒルマンに少し似ているぞ」と話してくれただけで、顔は教えてくれなかったが、向こうはブルーの姿を知っているのだし、一目で気付いてくれるだろう。
(ぼくみたいな子は珍しいものね)
銀色の髪に赤い瞳のアルビノの子供。きっと自分だと分かって貰える。
(声を掛けてくれるかもしれないし…!)
釣りだけではなくて、ハーレイの父に出会えるかもしれない素敵なイベント。
行ってみたい、と思ったけれども。
(土曜日なんだ…)
ハーレイが来てくれる土曜と日曜。いつも待ち遠しい、週末の二日間の休日。
その片方の日がイベントの日では、選ぶまでもなく参加は見送り、家でハーレイと過ごしたい。
けれど、ハーレイに何か予定が入って、来られない日だと言うのなら…。
(断然、釣りだよ!)
家に居るより、釣りに行きたい。「一日釣り名人」の講習会に出掛けてみたい。
憧れの釣りを体験できるし、運が良ければハーレイの父に会って話が出来るのだから。
(…この日、どうかな…)
ハーレイの予定はどうなっているのだろうか、とチラシを見ていたら、母の声。
「ブルー、おやつよ!」
下りて行かないから呼びに上がって来たのだろう。多分、階段の半ば辺りから呼んでいる声。
「はーい!」
大切なチラシを勉強机に置くと、ブルーは部屋を飛び出した。母の姿はもう見えない。代わりに漂う、美味しそうな匂い。甘く優しい、ホットケーキらしき幸せな匂い。
ダイニングに入ると、思ったとおりにホットケーキが焼き上がっていた。食の細いブルーが満足出来るようにと小さめに焼かれ、二枚重ねてお皿の上に。
早速、バターを乗せてメープルシロップをたっぷりとかけて。
ナイフで切って頬張る間も、「一日釣り名人」のチラシが頭を離れず、つい笑みが零れる。
もしかしたらと、釣りに出掛けてハーレイの父に会えるのかも、と。
「どうしたの? 今日はずいぶん御機嫌ね」
学校でいいことがあったのかしら、と母が訊くから。
「あのね、ママ…。今日、バスで貰ったチラシにね…」
嬉しさのあまり、もう喋らずにはいられない。こんなイベントを見付けたのだと、釣りが習えるイベントなのだと。
「釣り?」
「うんっ! 一日釣り名人だって!」
「ブルーは釣りをやってみたいの?」
母の不思議そうな顔でハタと気が付き、「ちょっとだけね」と慌てて答えた。
(いけない、ママはハーレイのお父さんのことは知らないんだ…!)
これではどうして自分が釣りをしたいと言い出したのか、まるで見当が付かないだろう。下手に言い訳をすれば、何をポロリと話してしまうか分からない。
(…ハーレイのお父さんだけで済めばいいけど…!)
ハーレイのことが好きでたまらないとか、そのハーレイの父が好きな釣りだから憧れるとか。
そういう話をしてしまったら、ハーレイとの仲が明るみに出る。
これはマズイ、と冷汗が出そうになったのだけれど。
「そういえば、ハーレイ先生のお父さんがお好きだったかしら?」
(…た、助かった…)
ブルーは心底、安堵した。
いつもは不満一杯の両親も交えてのハーレイとの夕食。両親は「子供の話し相手をするのは大変だろう」とハーレイを気遣い、せっせと声を掛けているから。ハーレイをブルーから奪ってしまうから、嬉しくない時間だったのだけれど。
そのお蔭で釣りの話を母が知っていたのか、と「嬉しくない時間」に感謝したい気持ち。
「うん、ハーレイの話を聞いている内に興味が出ちゃった」
釣りって、ぼくでも出来るのかなあ、って。
「それで、行ってみるの?」
「ハーレイが来られない日だったらね」
土曜日なんだよ、ハーレイが来る日。ハーレイに予定が入っているなら、釣りに行きたい。
「ブルーは本当にハーレイ先生が大好きねえ…。一緒に行って頂いたら?」
「大人は駄目なイベントじゃないかな、子供向けだし…」
下の学校の子なら、保護者付きかもしれないけれど。ぼくの年だと駄目じゃないかな?
そうは言ったものの、胸に生まれた微かな期待。
部屋に戻るなり手に取ったチラシには、保護者同伴は下の学校の子供たちだと書かれてあった。ブルーの年では一人か、友達同士でのグループ参加。つまりハーレイとは一緒に行けない。
(せっかくママのお許しが出たのに…)
母の後押しがあれば、ハーレイも断ることは出来なかっただろう。ブルーを連れて行ってやって欲しいと頼まれたならば、理由も無いのに断る方が難しい。
(ハーレイと一緒に出掛けられるチャンスだったのに…)
こんな機会は二度と無いだろうと思うのだけれど、ブルーの年では要らない保護者。ハーレイと一緒に行けないイベント。
(でも、ハーレイのお父さんが…)
釣り名人のハーレイの父が来るイベントなら、それだけで充分、値打ちはあった。顔を知らない自分からは声を掛けられないけども、もしも見付けて貰えたならば。
(ハーレイのお父さんに挨拶出来るんだよ!)
「はじめまして」と頭を下げて、「これからよろしく」と握手だって出来る。ブルーのためにと指導に付いてくれるかもしれない。
そういったことを考えて行けば、ハーレイと一緒に出掛けられなくても美味しいイベント。
たとえ一人でも行かねばなるまい、と決心した所で来客を知らせるチャイムが鳴って。
「ほほう、お前、釣りに出掛けるのか?」
仕事帰りに寄ってくれた恋人に例のチラシを見せると、興味深げに眺めているから。
「ハーレイが来られない土曜日ならね」
家で一人より、これに行くよ。釣り名人になれるみたいだから。
「俺の用事なら、いくらでも作るが? 久しぶりに道場へ指導に行くのもいいな」
「それは無し!」
作るのはダメ、とブルーは意地悪な恋人に釘を刺した。
「で、どうなの、この日は?」
「生憎と何の用事も無かったな…」
「じゃあ、ハーレイと家に居る」
「おいおい、たまにはこういうのもだな…」
お前、身体が弱いから。…アウトドアってのは殆ど経験無しだろ、一度くらいは行ってみろ。
せっかく興味を持ったからには、やってみるのも悪くはないぞ。
「ママもハーレイと一緒に行って来たら、って言ってくれたけど…」
「俺とか!?」
「うん。ママがそう言ってくれたのに…。ハーレイ、一緒に行けないみたい…」
此処、と保護者同伴は下の学校のみ、と記された箇所を示してブルーは溜息をついた。デートのお許しが出たというのに、イベントの参加条件がそれを許してくれないのだ、と。
「でもね、ハーレイのお父さんがこれに来るんだったら、行ってもいいかな、って」
そうは思ったよ、ハーレイ無しでも行こうかな、って。
「フライングで親父に会うつもりか!」
「駄目?」
会ってみたいよ、ハーレイのお父さんに。
ぼくはハーレイのお父さんを知らないけれども、お父さんはぼくを知っているよね?
顔もチビなのも知ってるんだし、きっと見付けて貰えるよ。
ハーレイのお父さんに会えるんだったら、一人でも行ってみようかなあ…、って。
「お前なあ…。しかしだ、親父はこれには来ないぞ」
親父もこの手のイベントは好きだが、こいつに親父は参加しないな。
「嘘ついてない? ぼくが行こうとしてるから、って」
「ついていない。その日は親父は釣り仲間たちと海に行くんだ、船を雇って海釣りだ」
俺にも予定を知らせて来たのさ、おふくろも一緒に泊まりで行くから留守にするぞ、と。
「そっか…。だったら、ハーレイと家!」
釣りは行かずに家で過ごすよ、だから予定を入れないでね。ちゃんと来てよ?
「うーむ…。実に不純な動機だったな、お前の一日釣り名人への参加希望は」
しかし、親父が聞いたら喜ぶだろうな。どんな動機であれ、お前が釣りをやりたがったなんて。
「ホント?」
「ああ。親父は根っから釣り好きだからな、お前にも教えたくってたまらないんだ」
俺にしょっちゅう言ってくるんだ、あの子を連れて来る気は無いかと。
お前が自然の中で遊べて、釣りも楽しめるような川や湖。そういう所へ行かないか、とな。
この町にも、ハーレイの父が住む隣町にもあるという自然と触れ合える沢山の場所。
ブルーは山や野原しか知らないけれども、川や湖には「釣り」という楽しみがあるらしい。山や野原に出掛けた時に目にしてはいたが、特にやりたいとも思わなかった釣り。
水に糸を垂れている人たちは釣りをしているのだ、と両親は教えてくれたけれども。
待っていれば魚が釣れる筈だと言われて眺めていた程度。釣れた、と感心していた程度。
だから大物が釣れたと歓喜する現場を見たことも無ければ、次から次へと釣り上げてゆく光景も映像でしか知らないから。
釣りの楽しさを体感していないから、釣り名人の父を持った恋人に訊いてみる。
「ハーレイは釣りって、やったことある?」
「もちろんだ。お前にも教えたいって言い出す親父が、俺に教えないわけがないだろう?」
川でも釣ったし、海でも釣ったぞ。今度親父が行くヤツみたいに、船からの釣りもやってるさ。
「そうなんだ…。シャングリラでは釣りはやらなかったね」
前のぼくもハーレイもやっていないね、釣りなんか。
「必要無いしな」
わざわざ糸を垂らして釣らなくっても、係が掬っていたからな。育てた魚を、必要な分だけ。
「でも、子供たちのために、やらせてあげれば良かったね」
今日はこれだけ魚が要るから、頑張って釣ってみて下さい、って。係が掬うより楽しそうだよ、子供たちも、それを見ている大人も。
「そうだな、ゼルあたりが張り切って指導しそうだな。ヒルマンもな」
釣竿を作って、餌をつけてやって。竿を上げるタイミングなんかを付きっきりで。
「いっそ大人もみんな揃って、シャングリラで釣り大会をすれば良かったかもね」
誰が一番沢山釣ったか、それだけで充分、ゲームが出来たよ。
普段は係が網で掬ってても、月に一回とか釣り大会を開催してたら、人気のイベントになったと思うんだけどな…。今度こそ自分が優勝するとか、次は負けないとか。
「うむ。どうして思い付かなかったもんかな、魚を養殖していたのになあ…」
「やっぱり自然が無かったからだよ、こういう川とか」
自然に流れて魚が棲む川、とブルーはチラシの写真の川を指差した。
シャングリラに川の流れは無かったと、自然の流れを模した水は流れていなかったと。
「ビオトープってヤツを作りゃ良かったのか?」
「…ビオトープ?」
なあに、とブルーは首を傾げた。
まるで知らない響きの言葉。けれども聞いたような気もする。遠い昔に、あの白い船で。
白いシャングリラで耳にしたのか、あるいは本で読んだのか。
けれども、今は知らない言葉。今の地球には存在しないか、失われてしまったものなのか…。
「うん? 今の地球には要らんものだな、ビオトープはな」
生物社会の生息空間。元々はそういう意味だった。
地球の環境破壊が進んだ時代に大切にされた概念だったが、そこから転じて小さな水辺。学校や公園なんかに水辺を作って、小魚とかを飼っていたのさ。そうして生態系と自然を再現しようと。
今の地球では自然はしっかり守られているし、ビオトープなんかは必要ない。
これからテラフォーミングをしようって星なら、本来の意味でのビオトープが必要だろうがな。
「そっか、小さな水辺なんだ…。そういう公園、一つくらいはあれば良かったかも…」
公園は幾つもあったのだし、とブルーは白い鯨を思い浮かべた。
ブリッジが見えた一番大きな公園を筆頭に、居住区の中に鏤められた幾つもの小さな公園たち。その一つに水辺を作れば良かった。
そうしていたなら、釣りをしようと思ったかもしれない。
自然の水辺を模した公園が一つあったなら、魚を釣って楽しもうと考えていたかもしれない。
白い鯨に、小さな水辺をもしも作っていたならば…。
あれば良かったと、今になって思うビオトープ。白いシャングリラに自然を模した小さな水辺。
前の自分も考えたことがあるのだろうか。だから聞いた気がするのだろうか、と思った言葉。
けれどシャングリラにビオトープは無くて、釣りをしようとも考えないままで。
「ビオトープ…。なんで作っていなかったんだろう、シャングリラの中に」
「そりゃまあ、なあ…。シャングリラじゃ虫を飼えなかったしな?」
「虫?」
「ミツバチくらいしか飼っていなかったろうが、役に立たない虫は要らないと」
ビオトープを作るならトンボを飼ったり、蛍を育てたりするもんだ。
「そういうものなの?」
「本格的なヤツを目指すんならな。水草と魚だけでは生態系を再現したとは言えん」
幼虫の餌になる小さな貝とかも要るし、トンボや蛍が生きてゆくための草も必要になる。人間の憩いの場としての公園とは全く違ってくるんだ、シャングリラには向かないな。
自給自足で生きて行くための船の中には、ビオトープを作る余裕は無かったんだ。
「…ハーレイ、なんでそんなに詳しく知っているの?」
「キャプテンだった頃に調べてみたのさ、船の居心地を良くしようとな」
公園に改善の余地は無いかとか、次に木を植える時は何にしようかとか、よく調べていた。
そういった中でビオトープってヤツにも出会ったんだが、使えないな、と思ったな。
魅力的だし、子供たちの教育にも向いていそうではあるが、俺たちにそんな余裕は無いな、と。
「ビオトープまで辿り着いてたんなら、釣りはどうだったの?」
釣りっていう遊びが存在するって、気付かない筈がないよね、ハーレイ?
「もちろん気付くさ、魚の棲んでる水があったら釣りだとな」
しかしだ、そいつは遊びの一種だろうが。
これは違うな、と撥ねちまったな。魚をわざわざ釣らなくっても、網で掬う方が早いしな?
「うー…。ハーレイ、真面目すぎなんだよ!」
「そう言うお前はどうなんだ。俺と違って、外で見てたろ?」
アルテメシアの海の方に行きゃ、釣りをしていた人間たちも居た筈だがな?
「あれが釣りっていうヤツなんだな、と思っただけだよ!」
じっと見ていたわけじゃないから、楽しいのかどうかも分からなかった。
今のぼくの方がよっぽどマシだよ、釣り上げる所をちゃんと見たことがあるんだもの。
「その点は前の俺も同じだ、実感ってヤツが伴わなくてな」
釣り糸を垂らせば魚がかかると、餌に食い付いて釣り上げられるというデータを見ても、だ。
そこまでしなくても網で掬えば簡単なのに、と考えちまった。
食うための魚を調達するなら、効率的にやらんとな?
さっさと掬って厨房に運ぶのが一番だろうと思っちまったし、それでいいんだと考えていた。
同じ魚なら厨房に届ける前にも楽しめたのにな、みんなで釣りをしていたならな。
「…ホントだよ。自分が食べる魚は自分で釣るとか、楽しみ方は幾らでも…」
「そうだな、自分で釣っていたなら、美味かったろうなあ、その魚」
ついでに自分が釣った魚は、自分で料理をしていいとかな。
そしたらキャプテンになった俺でも、たまには懐かしの厨房で料理が出来たんだよなあ…。
自分が食べる魚は自分で釣るとか、自分で料理をしていいだとか。
どちらも、シャングリラでは無理だったビオトープとは違って、白い鯨で出来たこと。
ほんの少し発想を変えてやるだけで楽しめた筈の、養殖していた魚たちを使って出来たこと。
何故それすらも思い付かずに、魚を網で掬っていたのか。
係のクルーに必要な分だけ掬わせておいて、それが一番だと思っていたのか。
釣りというものが存在すると知っていながら、釣りをしようと考えなかった自分たち。
シャングリラでも釣りを楽しめる場所は、場面はあった筈だというのに。
皆で腕を競う釣り大会とか、厨房で使う魚を子供たちに遊びを兼ねて釣らせるだとか…。
可能だった筈の釣りの楽しみに気付きもしないで、魚を飼っていたシャングリラ。
ただ食べるためにだけ魚を飼育し、釣り糸の代わりに網で掬ったシャングリラ。
ブルーはフウと溜息をついて、前の自分たちの失敗なるものに頭を振った。
「…釣りが出来たのに、しなかったなんて。やっぱり駄目だね、作り物の楽園」
前のぼくもハーレイも間抜けすぎるよ、それで楽園だと思っていたなんて。
「うむ、限界があったようだな、想像力だか、発想だかの」
そして今ではビオトープさえも死語になっちまった青い地球まで来たわけで…、だ。
「そうだよ、だから今度はハーレイと釣り!」
一日釣り名人には行かないけれども、ハーレイと釣りをするんだよ。
本当に釣りがしたくなったし、ハーレイと釣ってみたいんだもの。
「分かった、分かった。いつか行こうな、釣りは俺でも教えてやれるんだが…」
お前、親父にも習いたいんだろ、名人の技。ついでに遊びに出掛けたいんだな、親父が見付けた自然一杯の川や湖に。
「うんっ! 船で行く海の釣りもやりたい!」
約束だよ、とブルーはハーレイの小指に自分の小指をキュッと絡めた。
釣りの名人に釣りを教わるのだと、ハーレイと一緒に釣りもしたい、と。
シャングリラでは出来なかった釣り。
思い付きさえしなかった釣りを、青い地球の上で。
ハーレイと並んで釣り糸を垂れて、柔らかな風が吹いてゆく中で。
あるいは青い海の上で二人、船から長い竿を伸ばして、何が釣れるかと語り合いながら…。
釣りに行きたい・了
※シャングリラには無かった「釣り」というもの。魚は網で掬っていただけ。
いくら楽園でも、船での暮らしには発想の限界があったようです。釣りは楽しいのに。
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